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August 06, 2010

核廃絶をアメリカが言いだしているわけだが

 1945年8月6日広島に原爆が落とされた。
 アメリカが原爆を使用した理由は、「対日戦争を早く終わらせたかった」の一言に尽きる。これほどの破壊力を持つ兵器を使用されては、敵国は戦意を消失するに決まっているし、じっさいに大日本帝国は原爆投下後しばらくして降伏をした。

 原爆は外交交渉の手段としてじつに効果的ではあったわけだが、しかしその使用法は最悪であった。
 兵器というものは戦場で使うものである。国際法上もそう決まっている。広島は軍都ではあったが、戦場ではない。一般市民が住民の大多数を占めており、彼らが普通の生活を行っている場であった。

 アメリカは原爆を投下する前に、先行してB-29を気象観測目的も兼ねて広島上空を飛行させている。その飛来により広島市民は爆撃を恐れて避難したわけだが、先行機は爆弾を落とすことなく通り過ぎた。そのため次の原爆を積んだB-29が飛来したとき、市民は用心を解いてしまい避難することを怠った。
 爆弾を使用するさい、市民が家のなか、あるいは防空壕に退避されていては、殺傷者の数が減ってしまう。より多くの数の市民を殺戮するために、B-29は見事なコンビネーションを組んで行動してそれに成功し、広島市民14万人が殺された。

 アメリカは東京大空襲の時も、焼夷弾を爆撃目的地の周囲から円状に落として、市民の逃げ場を無くしてから東京を焼きつくすという、冷徹で冷酷な手法を用いて、10万人を超える市民を殺戮している。
 アメリカ人というのは、いかにして人を多く殺すかということについて、ずいぶんと知恵を使い、そのろくでもない知恵をきちんと実行する民族なのである。

 広島原爆投下で日本の首脳部は十二分に震撼したのだが、それに飽き足らずに、アメリカは長崎へも原爆を投下した。ずいぶんと執拗で、念の入った行為である。
 これらの破壊と殺戮行為の果てに、ついに大日本帝国は降伏をした。

 アメリカが終戦のために行った原爆投下という行為は、その実際からすれば、民間人大虐殺以外のなにものでもない。立派な国際法違反であり、もし命令者が裁判にかけられたのなら、極刑は必至というものだ。
 極東裁判でも、被告となった日本の軍人たちは、何人も同じ主張をしているが、戦勝国にはなにを言っても通じず、この20世紀最大級の戦争犯罪はついに裁かれることなく、葬り去られた。

 しかしこのようなことをやっては絶対に将来に禍根を残す。
 その行為が非道であればあるほど、人は、あるいは国家は、その行為がいつか我が身に帰ってくることを覚悟しておかねばならない。


 21世紀劈頭の「同時多発テロ」は、アメリカという国家の「終わりの始まり」であったと後の歴史書に記されるに違いない大事件である。
 そしてあのツインタワーが業火に包まれるシーンをTVで見ていて、不謹慎ながら「ああ、あれこそ日本がやるべきものだったのに…」と思ったのは、私だけではないはず。アメリカが日本にやらかした残忍な行為を考えれば、あのテロをやる資格は日本には十分すぎるほどあったから。

 「同時多発テロ」以後、当時のブッシュ大統領は逆上し、常軌を失ったような戦争行為を繰り返すわけだが、それはそれで仕方なかった。

 同時多発テロでアメリカが思い知ったことは、アメリカを心底憎んでいる組織があること、および大がかりなテロを実行できる経済力と人材を持つ組織が実在すること、である。
 そして、そのテロ組織が本格的に破壊行為を行おうと決意したとき、彼らが戦術核を使っても全くおかしくはない。核は現在の社会ではそれほど入手困難なものではないから。同時多発テロで核が使われなかったのは、ある意味幸運であった。
 ならばアメリカは先回りして、核攻撃を避けるべく必死の努力をせねばならない。為政者のリーダーならば必ずそのことは思うし、思わねばリーダーとして失格である。

 それゆえ、ブッシュ前大統領はアメリカの総力をかけて、アフガン、イラクに先制攻撃をかけて、国を滅ぼした。ただし、これらの行為はテロ攻撃を受けて、アメリカの頭に血がのぼったときに行われた行為であり、計画性には乏しかった。核はなかったし、それにアメリカの戦闘行為は、かえって敵を増やしてしまった。

 同時多発テロから10年が過ぎ、大統領もオバマ氏に代わって、アメリカも落ち着きを取り戻しては来たようである。
 現在の、核開発国に対して、脅迫し、攻撃をするという、あまり効果的ではなかった核抑制法に変えて、オバマ大統領は自国を含めての核削減から核廃絶へ到る方法を主張しだした。
 それもこれも、自国の頭上に核が降ってくることを避けることが目的である。

 兵器は使われることを欲する。
 核兵器も、21世紀のいつか使われることになるであろう。
 そして核が落とされるとして、どの国に落とされることになるであろうか?
 核兵器は通常兵器と異なり、その使用が、政治的、社会的に極めて強い影響を与えることから、使用された場合は、歴史が変わってしまう。
 そのような、歴史を変える力を持つ核兵器が落とされるなら、目的地はやはりアメリカしかない。

 21世紀のいつか、核はアメリカの上に落ちることになる。
 そのとき、アメリカという国家は滅びないにしても、20世紀なかばから続いてきた「アメリカの世紀」は確実に終焉をとげることになるであろう。

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