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August 10, 2010

映画:インセプション

 予告篇を観たときは、人のみる夢のなかに勝手に入って、夢をいじることによって、その人の人格,思考に影響を与える話なのだと思っていたが、そうではなかった。

 この映画での夢は、仮想現実としての世界であり、例えば雪山でも、異国でも、異次元の世界でもよく、なんでもありの世界である。
 主人公たちは、その夢の世界を利用して仕事を行い報酬を得るプロなのだが、その仕事にはいろいろな技が必要になる。

 (1)夢を利用するために、主人公たちは特殊な訓練・教育を受けている。それによって、自分の意思で自分が望む夢をみることができる。その夢により、仕事に都合のよい世界を自在に構築できる。
 (2)夢を個人が自由にみられるだけでは話は先に進まない。映画では、複数の人々をコードでつなぐことによって、ある人が造り上げた夢の世界に、そのコードにつなげられた人たちが強引に入ることになり、その夢のなかで全員が活動するようになる。そういうことを可能にする機械が存在している。
 (3)夢のなかで活動している人々は、元の人間の潜在意識が反映しているため、その人々に何らかの働きかけをすることにより、記憶を盗んだり、あるいは感情を植えつけたりすることができる。
 (4)夢のなかにみんなが入ったのち、そこから脱出するには、夢をみている人が目を覚ますか、あるいは登場人物が死ぬことが必要になる。

  これらのルールを映像、会話で解説しながら話は進むのであるが、なにしろテンポの速い映画なので、頭がそのルールについていくのがけっこう大変。

 映画最初のほうでドンパチ騒ぎになるサイトーの夢は2層構造なので理解はまだしやすいが、本番ミッションの夢のほうは4層構造になっており、どれが誰の夢やら、頭がこんがらがりそうになる。せめて画面の端っこにでも、各場面でこれは誰の夢か小さく字幕をつけていればまだ分かりやすかったが、それだと映像的に問題ありか。(その場面で一番活発に動いている者が、「夢をみている人」なんだけど、雪山のシーンはみんな活動しているので分かりにくい)

 物語は感情の植えつけ(=インセプション)を主題に進むわけだが、本当の主筋は「家庭物語」である。
 インセプションのターゲットにされた「巨大企業の創業者である親に疎んじられる、出来の悪い二代目息子」は、冒険のはてに、偽りにせよ(私個人的には偽りではないと思うが)、親子の和解を得ることができる。
 もう一つの本筋は、主人公の家族の愛憎の物語であり、これは…まあ悲惨なようであり、悲惨でないようでもあり。本当に悲惨かどうかは、観る人が判断するしかない。そういうふうにつくられている。

 筋とともに、映画の見どころは、夢の表現。
 夢とはそれを見ている人の精神を投影するものであり、この映画で各人がつくっている夢の風景が、彼らの精神を映像化しているところが面白い。
 映画の重要人物であるサイトーは、経済的に政治的にもたいへんな大物なのであり、第2国家的存在の支配者と想像されるが、彼が見る夢では彼の居城は、なんともしょぼい中華レストラン風建物であり、こういう粗末な建物に何十年もわが魂を閉じ込めていたとなると、彼の栄華の日々の裏にあった心の絶望を感じざるをえず、それだけでも一つの物語をつくってもらいたくなる。
 主人公夫婦の夢では、50年ものあいだリンボ(辺土)の地で、誰も住まぬ高層ビルを数えきれぬほど建てていて、その空疎で空虚なる広大な街は、仮想現実にのめりこんでいってしまった主人公の妻の、荒廃していった精神を如実に示している。果てしなく広がるリンボの地の、これも果てしなく広がる高層マンション群は、奇妙な美しさがあり、その美しさがかえって彼女の精神の荒廃の深さを知らせ、なんとも悲愴な迫力を感じさせる。

 物語の世界の、複雑であるがそれなりに納得できる設定、話の筋の面白さと、「夢」の見事な映像化、どれも高水準であり、「インセプション」は今年の映画のなかではたぶんトップクラスの評判を得られると思う。

 デカプリオは、いつものことながら、出演する映画を選ぶのがうまいなあ。

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 インセプション 公式サイト

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