読書: 「星を継ぐもの」 J・P・ホーガン訃報を聞いて。
まずは「星を継ぐもの」の書評から。
21世紀初頭、人類は宇宙の探索を精力的に行っていた。そして2027年、月で奇妙な死体が洞窟の中で発見される。真っ赤な宇宙服をまとったその死体は、どの国の月探査チームにも所属していなかった。チャーリーと名付けられた死体は検査を進めていったところ、なんと5万年前に死亡していたことが分かる。5万年前は地球に人類は登場していたとはいえ、まだ旧石器時代である。月に進出できるような文明が存在していたはずがない。それでは、チャーリーは他の惑星の生物であったか? しかしいかなる生物学的検査も、チャーリーが人類以外のなにものでもないことを示している。
その後研究が進められるにつれ、チャーリーの仲間の死体や使っていた器具,書物などが発見され、それらの解析から、かれらがなにをやっていたかが分かってくる。
5万年前の月世界で、チャーリー達は戦争を行っていたのである。そしてチャーリーの手記にはその結末が載っており、月に設置された超距離砲が発射され、目標となった惑星が火の海に包まれ、滅んでしまうシーンが書かれていた。
それを読み、研究者たちはさらに困惑してしまう。
月から直にその姿が見える惑星は、地球しかない。ならば超絶的な威力を持つ兵器によって5万年前に滅んだ惑星は地球以外のなにものでもないはずだが、地球は現に存在しているし、地球の考古学は、そのようなカタストロフなどなかったことを既に証明している。
一つの謎が解けると、そこからさらに新たな謎が生まれていき、謎は深まっていくばかりとなる。
ここで、木星の衛星探索を行っていたチームが、そこでまったく別の、古代の超文明を発見したことから、事態は急発展し、謎のピースが一つずつ埋まっていく。そして、最後のピース-冒頭に示された、瀕死のチャーリーを支えながら、苦難の旅を続けていた、逞しく頼もしい男「巨人コリエル」の運命が最後のページで示されて、全てのピースが埋まり、パズルが完成して全ての謎が解ける。
広大な宇宙空間と、悠久な人類の歴史の時間を使った、じつに壮大なスケールの物語である。
この小説は最初は作者の世界観が述べられるシーンが延々と続き、ちょっととっつきにくいが、チャーリーが出現するところから物語は面白さを増し、その面白さはどんどん加速度を増していき、ページをめくる手が止まらなくなるくらいに一挙に読める、それぐらいに、はまって読める小説である。
世の中には、本好きの人と会話をしていて、もしその人がその本を読んでいなかったら、「え、その本を読んでいないの? なんて幸せなんだろう。その本を読む喜びが人生に残っているなんて」と言いきってしまえる本が、誰しも何冊かもっている。
SFファン、あるいはミステリファンにとって、J・P・ホーガンの「星を継ぐもの」は、私にとって自信をもってそう言える貴重な小説である。
もし、SF or ミステリファンで、(そういう人のほとんどは「星を継ぐもの」は読んでいるだろうけど)、たまたまこのブログを見て「星を継ぐもの」を読んでいなかったら、是非とも読んでほしい。読まないと、人生でなにか損をしてしまう、それくらいの価値のある小説である。
J・P・ホーガン、享年2010年7月12日、69歳にて没。
この報を聞いてたいへん驚いた。
SF作家って、大御所のクラークとかハイラインとかブラッドベリとかの例があり、長命なイメージがあったから、次の世代のホーガンはまだまだ現役だと思いこんでいたからである。
SF作家がいったいに長生きなのは、私が勝手に思うに、自分たちの書いていた未来のイメージを見届けるために、執念をもって、せめて結末が予想できるところまで、そこまでは責任をもって生きているからではないだろうか。(再び言うけど、あくまでの私の勝手な考えだ。)
ホーガンの小説は、全体的には、私には「緩さ」をどうしても感じてしまう。
21世紀が「機械」の時代になるのは誰しも分かっていたが、ホーガンはその発展する「機械」および「文明」に、おそろしく楽観的に思える。
たとえば代表作「未来の二つの顔」にしても、機械は、ずいぶんと大人じゃねえ?
「星を継ぐもの」のバックグラウンドにしても、21世紀の地球は宇宙開発に力を入れており、木星の衛星まで有人飛行をできるまでに発達しているが、それは、「20世紀に戦争を解決できて、戦争なき世になったため、予算を宇宙開発に回すことができたから」という、今となっては能天気としかいいようのない予想によっている。
人類は1960年代に月へ有人で着陸できているのだから、たしかに戦争に用いる費用を宇宙に用いれば、今の時代、火星くらいに基地をつくっていてもおかしくはないような気はするが、現実は予算など宇宙に使う余裕はなく、その後月にも行けず、宇宙ステーションをつくるのが精一杯という状況である。
1960年からの半世紀をみれば、私たち人類は結局は「機械」を使いこなせなかった。
人類が使って最も喜ぶ機械は残念ながら「武器」であり、進化した「武器」を制御できるほど、人類は理性も倫理も進化あるいは深化できず、あらゆる国が泥沼にはまりこみ、一番手で宇宙開発をすべき国、アメリカもロシアも、自らその泥沼に最もはまり、とても宇宙の彼方になぞ目を向ける余裕はない。
「星を継ぐもの」では、(たぶん)2030年代には木星の衛星ガニメデに有人探査機を送っている。アポロ計画から連綿と宇宙開発が続いていたなら、それも可能であったかもしれないが、今となってはとても無理だ。
J・P・ホーガンは、おそらく誰よりもそのことを苦々しく思っていたのではなかろうか。
個人の心情をあれこれ忖度するのもなんだが、あれほど、楽観的に未来を語り、未来を楽しんでいた人が、見てしまった現実の未来をどう思ったか。
それについてのなにかの感想でも残っていれば、と思う。それは人類に対して、叡智ある箴言になりうるから。
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