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April 2010の記事

April 30, 2010

コミック:元祖女子山マンガ でこでこてっぺん (著)ゲキ

Dekodeko_4

元祖女子山マンガでこでこてっぺん
(著)ゲキ 山と渓谷社(2010/3/5)

 月刊誌「山と渓谷」に20年間連載されていたものを一冊にまとめて単行本にしたもの。
 本の内容は山が主題であるが、登った山個別について語るというものではなく、山に登るまであるいは登るときのいろいろなゴタゴタ、山好きな人たちの奇人列伝、山へ行くときの装具の工夫、山登りでの失敗談等々、山登りにかかわる些細なことや脇筋のことを漫画の題材にしている。
 そのどれもが山を知っている人なら、相槌を打ったり、苦笑いしたり、身につまされたり、…身に覚えがあることばかりである。そして辛いこと、苦しいことも、ユーモアたっぷりに語られ、それがあるからこそ登山はやめられないなどと改めて思ってしまう。

 著者はいわゆる山女(ヤマメではなく、「やまおんな」と読む)である。幼少のころから山男の父親に山に連れて行かれたことから山の魅力にはまり、それから山登りをずっと続けている。著者の人生のかたわらには常に山があり、20年のあいだの就職、仕事、結婚、出産も、山とのかかわりで語られ、そして山を語ることがすなわち著者の人生史ともなっている。

 山登りというものは一生楽しめる趣味であり、自分の年とともにまた見えてくるものも変わってくる。そしてそのそれぞれが自分にとって大切なものであり、貴重な思い出ともなる。
 「山と渓谷」に載っているときはただ読み流すだけの漫画であったが、こうやって20年間に描かれた200本の漫画をずらりと時系列で読むと、楽しく笑いながらも、山と人生に関わりについて深い感慨を覚える。

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April 27, 2010

鳩山首相は、ただの馬鹿なのか、それともとんでもない策士なのか。

 元々は地域の問題であったはずの普天間基地問題が、今や日米の深刻な国際問題となっている。
 普天間基地は周りに住宅が増えてきたことから、住民に危険を及ぼす存在になったので、日米の合意により辺野古地区に移転するはずであった。そのせっかくの合意をぶち壊し、首相は新たな移転案を模索している。
 首相は実現可能な「腹案」なるものを持っているそうだが、わが国の誰ひとりとして5月末までに、新たな移転計画が合意に到ることができるなど思っていない。それなのに、首相は奇怪なまでの自信に満ちた態度で、現行案に代わる案での5月末までの決着を頑なに主張している。

 核サミットでオバマ大統領とも公式対談の場も持つことができず、基地問題でも具体的な進展案も提示できなかったことから、ワシントンポスト誌のコラムで、鳩山氏は「increasing loopyな首相」と称された。この言葉、日本では「愚かな首相」と訳されたけど、それは意訳のしすぎで、普通に訳せば「どんどんわけが分からなくなっている首相」くらいの意味であろう。

 たしかにアメリカから見れば鳩山首相はincreasing loopyな人物であろう。
 アメリカの対アジア戦略から考えて海兵隊基地は地政学的に沖縄に置くしかない。県外移設なんて最初からありえない案である。だから野党のうちは野党の気楽さで県外移設を主張していた首相も、与党として政務を担当する者となり、実情をレクチャーされればその主張を引っ込めるにちがいない。
 じっさいそれはその通りで、民主党の他の閣僚たちはそのように意見を変えていったのだが、肝心の首相のみはぜんぜんその方向には進ます、「腹案」などと称し、実現不可能な案を進めていってしまっている。
 いったいこの男は何を考えているであろうとアメリカは対応に困り、こいつはincreasing loopyな人物と嘆かざるをえなくなった。

 ただし、この点に関してはアメリカが間違っている。
 日本においては政策で迷走の限りをつくし、やればやるほど混乱をもたらし、言うことのころころ変わる首相はたしかにincreasing loopyな人物であるが、首相は基地問題に対しては一貫している。これに関してのみは、首相は天晴れなほどぶれていない。
 鳩山氏には信念がある。鳩山首相はアメリカ軍が嫌いなのである。アメリカ軍は沖縄から、ひいては日本から出て行ってほしいと本気で願っている。旧民主党時代から鳩山氏はその考えを公言しているし、報道の通り今もその考えは変わっていない。
 だからいかに理詰めで、理論正しく、沖縄基地の意義を説明されたところで、首相の真意は「沖縄から米軍基地を追い出すこと」にあるのだから、言うことを聞くはずがない。

 日本外交史上、アメリカにとってこのような人物は初めて経験する為政者である。
 昨日の書評「世界クジラ戦争」で示したように、アメリカという国は自国の論理を押しつけることについては、ほとんどギャング同然の存在であり、威嚇、恫喝、恐喝、全てを用いて無理にでも言うことをきかせる。今回の件でも同様に外務省にすごい圧力がかかっているはずである。岡田外相の気の毒なくらいのやつれぶりをみても、それは明らかだ。
 それで今までの政治家は交渉時にアメリカに文句を言いたいことがあっても、外務省なり関係省庁なりからアメリカ経由の圧力がかかり、結局はアメリカの言いなりになる、ということを連綿と続けてきた。

 しかし鳩山首相は臆さない。
 元の合意案など見向きもせず、現実的解決策を求める米国に対してはのらりくらりと言い逃れ、日本では「普天間の危険の除去は行う」「県外という思いで頑張っている」「辺野古の海の埋め立てなどさせない」「5月末までに決着する」等々、…日本語に訳せば「移転など実行する気はさらさらない」、もう少しそのあとを訳せば「だから海兵隊は沖縄から出ていけ」ということを言い続けている。
 そしてこういうことをやっていたら日米関係は深刻に悪化していき、ついには日米安保条約廃棄に行きつくでしょうなあ。

 じつは今アメリカは恐怖しているのでないだろうか?
 日本など属国くらいに思っており、首相といえど州知事より下くらに思っていたのに、突如として敢然と逆らう為政者が現れたのだ。
 しかもそれが例えば水産庁の小松氏のように理論武装した手強いインテリではなく、前政権での国家間合意を反故にするなどおよそ近代国家のルールを無視する、理論も理屈も通じない、近代国トップとしてはあるまじき野蛮人であるわけだから。

 この野蛮人にまかせておくと、必然的に移設案として、政府は腹案なる「キャンプシュワブ+徳之島+グァム」案をアメリカに提示する。そんな海兵隊を三つ叉裂きにするような案をアメリカが飲むわけはない。そして実現不可能な要求を他国に突きつけるという行為は、ふつうは宣戦布告とみなされる。昔アメリカは「ハルノート」なる実現不可能な要求を我が国に突きつけ、それが実質上の宣戦布告となり大東亜戦争は始まった。
 今回我が国は逆の立場に立つわけだ。さすがにアメリカが戦争を仕掛けてくることはないとは思うが、日米関係については重大な決意をもって反撃を行うことになろう。

 普天間基地問題は一歩間違うと日米安保条約の破棄につながる案件であり、どうやらその方向に話は進んでいる。
 アメリカは安保条約により、占領が平和条約締結により終了したのちも、日本にいまだに軍隊を駐留させており、それはそれでけしからん話なのだが、残念ながら日本の自衛隊は独自にシーレーンを防衛する能力はないので、米軍のバックアップがあることで日本の平和が保たれているのは否定できない事実である。そのため、我が国は否応なしに安保条約を支持している。

 現在の時点で安保条約破棄は我が国の防衛能力を著しく低下させるため、一国の行政の責任者である首相が、それにつながるような行為を行うことはあり得ないはずである。
 しかし鳩山首相はあの恐るべき大国アメリカに対して頑強に抵抗を続け、少なくとも現時点では、かつてないまでに日米関係を悪化させることに成功している。このままいけば、鳩山首相の夢「米軍の日本撤退」は実現するかもしれない。
 自国の安全を犠牲にしてまで自分の信念を貫くこの行為は、自分の好き嫌いの感情のみから行っているなら、それは単なる馬鹿である。しかし、自衛隊の戦力増強、東アジア新秩序の構成までを「腹案」として含めて行っているのなら、日本に真の独立をもたらしたということで、とんでもない策士ということになる。
 鳩山首相は、ただの馬鹿なのか、それともとんでもない策士なのか。国民の多くは、そしてもちろん私も前者と思ってはいるが、しかし後者の可能性もゼロではない。
 「馬鹿なのか、策士なのか」この日本にとって深刻な問いの解答は、あとひと月もすれば知ることができる。

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April 26, 2010

読書:世界クジラ戦争 (著)小松正之

 なにがなんでも鯨は獲らせないという強固な意志を持つ国米国をトップとする集団が牛耳るIWC(国際捕鯨委員会)で、世界を相手に独り戦ってきた水産庁役人小松氏の奮闘の物語。

 小松氏は捕鯨の意義を極めて論理的に説明し、日本の商業捕鯨を再開させようとするのだが、その企ては反捕鯨原理主義国の米国の論理を無視した横暴な反撃によりいっこうに成就しようとしない。

 小松氏の論ずるところは極めて明快である。
 鯨とは世界にとって極めて重要な食糧資源である。食糧を得るための産業として、水産業の他に、農耕,牧畜があるが、それらは環境に害を与えるマイナス面を持っている。農薬,化学肥料の使用、水資源の浪費、自然林破壊、屎尿処理等々。それに対して、鯨は餌はオキアミ、魚であり、屎尿は海で処理され、鯨は海洋の自然循環の中に位置しており、環境に優しい資源である。さらに鯨は今までの過剰な保護のために、世界の海中にうじゃうじゃと増えており(これはIWCも認めている)、これも大事な資源である魚を大量に消費している。それで鯨の保護が魚の資源の減少という深刻な影響をもたらしている。
 米国・英国が鯨油目的に鯨を獲りまくり大型クジラを絶滅の危機に追いやった前世紀の蛮行は論外として、捕鯨においては獲得する鯨の量を科学的に管理すれば、鯨も獲れるし今より多く魚も獲れる。環境にダメージをもたらすことなく、永続的な水産資源を利用できるわけで、環境保護のためにも捕鯨をしない理由はない。文明国および、その国の会議であるIWCの役割とは、鯨をきちんと管理して、水産資源として最大限に活用することにある。

 この科学的で完璧といえる論理に対して、米国はそれをはなから無視し、意地でも理解しようとしない。どころか文明的行為である捕鯨を、非文明国の野蛮な行為と罵り、あの手この手を使って日本の捕鯨再開の邪魔をする。
 このファナティックな反捕鯨運動をみて、米国がインドの牛みたいに鯨を神聖な動物として信仰し、鯨を守ることを国是としているかのごとく思っている人もいるかもしれない。しかし、それはまったくの誤解である。米国じたいが捕鯨国だからだ。
 日本の沿岸捕鯨がいつまでたっても認められないことに業を煮やした小松氏は、米国に対して反撃を行う。沿岸捕鯨に反対する米国自体がアラスカで沿岸捕鯨をしている。沿岸捕鯨の原則禁止を米国が主張するなら、まずは自分のところの捕鯨を禁止するべきではないか。
 これも完璧な論理であり、小松氏はそれをIWCの議題にあげた。この論理に抵抗することは難しく、提案は可決され、めでたく米国の沿岸捕鯨は禁止となった。しかし、他人には言うことをきかせるのに、自分は他人の言うことをきかない傲慢な国米国はすぐに自国の捕鯨を認めさせるべき緊急会議を開催し、強引に票を集め、自国だけは沿岸捕鯨ができるようにした。
 ここまでくれば、その自分勝手さは尊敬に値するなあ。

 米国相手に堂々たる戦いを続けた小松氏は、米国では相当に憎まれたはずであるが、その年のニューズウィーク誌の特集「世界が尊敬する日本人100人」のうちの一人に選ばれた。ここまで対米交渉で積極的にうって出た日本人は稀なる存在であったからだ。

 小松氏は日本の捕鯨、ひいては水産資源の獲得のために懸命に奮闘していたのだが、残念ながら後ろから鉄砲を打つものがいた。
 米国への協調および追随が史上命題である外務省および官邸は、「鯨ごときで米国との関係を悪化させられてはたまらない」と判断し、水産庁に命じて小松氏を担当から外した。やがて小松氏は平地に波瀾を起こすものとして水産庁からも邪険にされ、ついには水産庁を去ることになる。水産庁の若い者たちはそのことに、「頑張ることが報いられないとは…」とショックを受けたそうである。


 小松氏が去っても、小松氏の論理はまだまだ生きている。
 私たちは文明国に住んでいるので、その思考は論理的かつ科学的でならなければならない。商業捕鯨中止の時から、我々は鯨を食べる機会が激減したわけだが、それをもって鯨について、「あんまり食べないから」とか「鯨は美味しくないから(←美味しいってば!)」とか、あるいは「鯨が可哀そうだから」とか「他国が反対しているから」とかの理由で、捕鯨に対して消極的な人が増えている。
 個人が食おうが食うまいが、あるいは好きか嫌いかにかかわらず、鯨は重要な「環境に優しい資源」なのである。これほどエコロジーが重視される時代、鯨の価値はさらに高まっている。
 捕鯨は地球の環境を守るためにも、現代の文明国にとってほとんど義務に等しい産業である。そのことは、理性ある文明人として知っておくべきことであり、また次の世代に伝えねばならないことである。


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 世界クジラ戦争 (著)小松正之

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April 24, 2010

諸塚山,二上山のアケボノツツジ

 天気がいいので六峰街道のアケボノツツジを見にいってきた。

【諸塚山登山口】
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 六峰街道にはアケボノツツジの名所が二つあり、まずその一つめの諸塚山から。
 これからがこの山に最も人が訪れる時期であり、登山口には名物の饅頭を売っていた。

【諸塚山山頂】
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 この山の山頂にはアケボノツツジは咲いていないのだが、ついでなので山頂まで行ってみた。たいした登りはなく、ハイキングみたいなものである。

【アケボノツツジ】
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 アケボノツツジの群落は登山口の近くにあり、すこし登ったところでアケボノツツジを見ることができる。
 まだ咲き具合は3分以下であり、ほとんどがツボミであった。

【二上山登山口】
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 もう一つの名所は二上山。二上山は双耳峰なので二つ峰があり、こちらは男岳のほうへの登山口。咲き誇ったミツバツツジがきれいである。

【二上山男岳東峰頂上】
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 二上山の登りはけっこうハードであり、諸塚山よりも登るのに気合がいる。
 頂上、写真の下方にアケボノツツジが写っている。

【アケボノツツジ】
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 二上山のアケボノツツジは今がちょうど旬。
 アケボノツツジは灌木が多いツツジ科のなかで、5m以上に伸びる変わり種のツツジである。
 その大きなツツジが、ピンクの花を満開でつけているさまは、巨大な華燭台がピンクの炎をいっぱいいっぱいに灯しているかのようだ。豪華絢爛たるこの姿は、今の時期、この地域でしか見られない、真の名物である。

【三ヶ所神社の石楠花】
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 六峰街道終点近くに石楠花で有名な三ヶ所神社がある。
 石楠花も今が咲き頃なので寄ってみた。
 こちらも見事に満開であった。

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April 21, 2010

光洋、鮨、土産

 光洋をふらりと訪れる。
 4月はネタが不足の時期であり、どこでも同じようなものが出てくるわけだが、造りはまず甘鯛が出てきた。桜鯛ばかりじゃつまんないでしょうとのコメントつき。たしかにそうであります。熟成もほどよく、旨み十分の甘鯛であった。他にもカツオブシのぎっしりつまったシャコを焼いたものや、北浦産のトコロテンなど、なかなか秀逸な肴がでてきた。

【甘鯛椀】
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 椀物は甘鯛をメインに、季節の野菜や山菜がたくさんと。
 なんだかごちゃごちゃした椀のように思えたが、食べてみればけっこうバランスよく、出汁もほどほどの強さでうまくまとまった椀であった。

【お茶】
Tea

 本日はカウンター隣に白玄堂さんがおられ、お茶を一服入れていただいた。
 飲んでみれば、甘み、旨み、柔らかさ、舌ざわり、全てが高レベル。さすがプロの技である。
 お茶というものも奥が深く、学ばねばならないこと多きかな…とは思うものの、どうしても酒ばかりに手がのびてしまうんだよなあ。

 鮨もたらふく食べて満足し、職場へと土産を持ちかえる。

【土産】
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 本日は初めて土産を持っていく部署だったので、定番のちらし寿司と太巻きを両方持っていく。
 一心寿司ってどこの寿司屋なんだろうかと話題になったそうである。味についてはもちろん好評であった。

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April 18, 2010

映画:第9地区 (ネタバレあり)

 南アフリカ共和国の都市ヨハネスブルクの上空に、途方もなく巨大な円盤が突如出現する。映画「インディペンデンス・デイ」ではその巨大円盤が攻撃を仕掛けてくるわけだが、この映画の円盤はまったく何もせずにただ浮いているだけである。友好なのか敵対なのか、何の目的で浮いているのか分からないことにしびれを切らした人類は円盤に乗り込み穴をあけて中に入ってみる。するとそこにいたのは劣悪な環境で弱り切っている宇宙人の群れであった。その宇宙人は知能は低く、この宇宙船を飛ばしたほどの超科学の持ち主とはとても思えない。対処に困った人類は、エビ星人を第9地区というゲットーに隔離し、とりあえず一種の自治国として生活させている。しかしエビ星人は繁殖力が旺盛で数は増えるいっぽうであり、また地元の住人との軋轢がいろいろ生じてきたため、エビ星人を都市からもっと離れたところに強制移住させることになった。エビ星人も一応は知能はあるので、住みなじんだ所から移されるのには抵抗する。それをなんとか移住させようと、国連みたいな機関が軍隊と手を組んで強制的に移住計画を進めていく。その機関の一職員ヴィカスを主人公にした、なんとも悲惨な、しかしコミカルな物語。

 SFでは今まで数多くのファーストコンタクトものがつくられた。
 コンタクトの相手は、恒星間航空が出来るくらいの超文明の持ち主であるから、やってくる宇宙人が友好的な存在であれ残酷な敵役であれ、高度な知性体であることは、一応の大前提となっていた。しかしこの映画ではやってきた宇宙人はまったく知性の高い存在ではなく、その点で新鮮であった。
 それで、いったい何故その程度の宇宙人が、超高度な文明の産物である宇宙船の持ち主であり、運転者であったかというのが大きな謎となり、映画を観ながらその謎について観客は考えざるをえない。

 移住計画を進めていく組織の一員ヴィカスが特殊な液を浴びたことからエビ星人に変容していき、話が急激に進行していく。このエピソードから、「エビ星人はじつは食用の家畜であり、宇宙船の持ち主は他惑星の住民に液体を振りかけてエビ星人に変化させて、家畜を集めて食糧用に乗せていた。しかしなんかの事故で自分たちがその液体を浴びてしまい、全部がエビ星人化してしまい円盤を運転できなくなった」というふうな話なのかなあとは私は思った。しかしエビ星人は、エビ星人でないと円盤に積んでいた高度な武器を扱えないことがすでに作中で示されており、エビ星人が宇宙船の本来の持ち主であることは間違いなく、そういうわけでもないようだ。

 結局はエビ星人は、「頭となって働く者」「手足となって働く者」の階層がはっきりと分けられており、宇宙船で生き残っていたのがほとんど「手足となって働く者」ばかりであり、それで知性が低かった、というのが正解であったようだ。他の映画で例えればアリ星人との戦いを描いた「スターシップ・トゥルーパーズ」で、頭脳アリ抜きで兵隊アリだけが宇宙船に乗りこんで地球にやってきたようなものか。(それじゃ宇宙船飛ばんけど)

  しかし労働階級のみと思えたエビ星人のなかに、じつはただ一人知識階級が生き残っており、そのエビ星人クリストファーは、望郷の思いから20年以上もかけて燃料を集め宇宙船を再起動させるべき努力を行っていた。けれどその燃料は、主人公のヴィカスの邪魔により奪われ、帰還の望みを失ってしまう。
 息子のエビ星人に「ぼくらは二つの衛星を持つ故郷の星にいつ帰れるの?」と聞かれ、「燃料が失われてしまいもう無理になってしまった。私たちは次のゲットーに行くしかないんだ」と答えるクリストファーの嘆きのシーンは劇中最大の胸をうつところ。

 強制移住担当官ヴィカスは、やがてクリストファーが高い知性を持つエビということを知り、それから交渉を行う。本来ならここから異星間の知的生物の出会いという真のファーストコンタクト劇が始まるはずだが、ヴィカスは己がエビ星人に変化しつつあるという恐怖から錯乱状態に陥っており、(まあ、味方から人体実験されたり、バラバラに解剖されようとされればそうなるのは仕方ないけど)、高度知性体どうしの情報交換などせず、ただ自分が人間に戻る方法を懸命に要求するのみ。

 その後、燃料奪取、司令船浮上、パワードスーツ活躍などの活劇があり、物語はスピードを増す。
 この過程で、クリストファーはヴィカスが他の人間に危害を加えることを非難し、思いやりがあり、ヴィカスに裏切られても彼を守り、…結局この映画のなかで、最もまともで知的で情が篤く気高い存在が、奇矯な形態をしたエビ星人クリストファーであることが分かる。
 ヴィカスもクリストファーとの付き合いのなかで、だんだんと成長していくのが、人類にとっては救いなのではあるが。

 物語は20年以上動いていなかった巨大宇宙船が動きだして宇宙に去り、そしてヴィカスの最後の姿を映して幕となる。
 ヴィカスが造花をつくるシーン、「エビになっても妻のことは忘れませんでした」との、まるで「アルジャーノンに花束を」を思い起こさせる、なかなか感動的な場面であり、観客がほろっとしたところでエンドロールに入る。


 「第9地区」、だらだらとあらすじを書いたけど、なんだかよく分からん映画であった。だが、この映画には、妙に後味を悪くさせるような仕掛けがいくつもほどこしており、それが心にひっかっかって、なにか忘れがたく、ただものでない映画という印象を受けてしまう。
 再度映画館で観る気もしないが、DVDが出たら、いろいろ気になったところを再チェックしてみようかな。

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 第9地区 公式サイト


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April 17, 2010

行縢山(雌岳)のアケボノツツジ

 祖母大崩山系の春を代表する花、アケボノツツジが咲き始めたというニュースがTVでも伝えられだした。
 延岡からすぐの行縢山でも咲いているというので、出かけてみる。

【崖下コース入り口】
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 前回雄岳に登るときに使った崖下コースは立ち入り禁止となっている。落石があるからとの理由らしいが、ここは崖下コースの名の通り岩壁に沿って進むコースなので落石はあって当たり前のはずなのに、なんか妙だ。大規模な崩落でもあったのだろうか。
 今日は雌岳に登るつもりなので、こちらは最初から使う予定はなかったので、どうでもいいのであるけど。

【渓流】
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 行縢山は稜線まで登りつめてしまうと、平地が広がりそこに渓流が流れている。静かな山のなかでの清らかな渓流であり、ここは十分に名所になりうる。
 行縢山は正面からの屏風みたいな姿からは想像しにくいが、台状の大きな山がいくつも尾根を伸ばして峰を造っている形態の山なのである。

【雌岳入り口】
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 渓流に沿っての散策道を歩くうち、大きな案内板が出現し、そこを東側に曲がり沢に沿って歩くとやがて雌岳への登りの入り口の標識がみえる。ここが雌岳の尾根の取り付きで、しばらくは杉の植林のなかを登っていく。

【雌岳】
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 尾根を登りつめれば雌岳山頂である。展望はよくない。ここを真っすぐ行くと、hardなvariation rootになってしまうので、引き返して一つ違う尾根に入って、その尾根の稜線を下っていく。

【アケボノツツジ】
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 今回のお目当ては、ここの稜線のアケボノツツジ。
 さっそく一輪咲いていた。
 アケボノツツジの花は、じつにsimpleな形であって、幼稚園とかで「よく出来ました」ときに使われる花丸マークそのものである。そして花の色は名前の通り曙色のピンクであり、花の形の単純さもあって、ピンクの色の印象がとても強く出てくる。

【アケボノツツジ2】
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 稜線の岩場には、花の盛りのアケボノツツジが何本もあった。
 アケボノツツジがこのようにたくさん花を咲かせると、多くの燭台を灯した、巨大なシャンデリアのように、とても華やかだ。
 アケボノツツジという樹は、高山の、やたらに険しいところを好み、人訪れること稀なところに生えるという特徴を持つ。こんな観賞用としか思えないような美しい花を咲かす樹が、庭園や公園に植えられているならまったく不思議はないが、こういう本来なら人が来ることもない厳しい地で大輪の美しい花を咲かせている姿をみると、なにか基本的なところで間違いがあるような気がする。
 なぜ見る人もいないような地で、かくも美しい花が咲き誇っているのだろう? 

【行縢の滝】
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 先ほど歩いた渓流は、遠くに見える行縢の滝になって、大地に落ち込んでいる。
 雌岳に至る稜線上で、行縢の滝が見えるview pointが一ヶ所だけあり、ここにアケボノツツジが咲いていれば、いい構図の写真が撮れるなあと期待していたが、残念ながら画面に入るところには一本もなし。
 それでも大崩山を背景にした行縢の滝は、なかなかの絶景なのであった。


 天気もよく、ピンクの光を放っているような、花の盛りのアケボノツツジが見られて、満足の山行であった。

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April 11, 2010

風車小屋はなくなってしまうのが世の習いとはいえ。

 中部国際空港から名古屋へ行くまでの沿線の風景は桜が満開であり、名古屋も桜の美しい景色が楽しめたはずだが、今回は仕事で名古屋に訪れたので、観光名所を訪ねることもなく、仕事に(それに夜の食べ歩きに)専念していた。

 とりあえず、仕事関連の会議で仕入れた話などを紹介。

【グラフ1】
1

 これは我が業界の以前の人口構成図。
 当業界はその他の業界部門で活躍していた人が中途で入っていることはあまりないので、人材の供給は新人の入会にかかっている。
 以前は若い人がコンスタントに入ってきて、40才過ぎまでずっと活躍し、50過ぎて体力気力が限界になり、リタイヤしていく人が増えていく、という図のごとき人口曲線を描いていた。

【グラフ2】
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 これが現在の当業界の人口グラフ。
 当業界は10年くらい前から若い人にとんと人気がなくなり、入会者は減り続け、今はこのような山型のグラフとなり、中央ピークの50歳前後の人たちが業界を支えている。
 この年代の人たちは今後どんどん引退するので、このピークはあと20年すると今の30代の人たちに置き換わるわけであり、20年後にはピークの数は、矢印のごとく右に移動し、ぐんと減ってしまう。

【グラフ3】
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 そういうわけで20年後には確実にこのようなグラフになる。
 外国の同業者に我が国の現状の惨状をグラフで示すと、「おお、mountainがhillになるのですね」とか言われたそうであるが、man powerで持っている当業界は、この人間の総数では、全体を支えることは不可能である。もはや、我が業界は滅びを待つのみ。


 ドーデの名作「風車小屋便り」では、産業革命の社会の激変のなか、小麦製粉の仕事が、次々と蒸気機関による機械製粉に奪われ、営みを終えていく風車の姿を哀愁をもって書かれていた。風車同様、わが国でも、炭鉱,養蚕,捕鯨等々、世の流れとともに衰退していった産業はいろいろあるのだが、それと同様に、我が業界も滅びの道にいっしんに進んでいるようである。
 需要はそれなりにあるんだから、滅びる理由はなさそうだが、滅びが「社会の意思」ならそれも仕方ないのでしょうねえ。…しかしほんとにそれでいいのか? どうなっても、おれは知らんぞ。


 さて、人が減り続けているのに、我が業界は本来の業務に加え、雑用が加速度的に増加している。
 その雑用にどう対処するかのシンポが開かれていた。
 ある施設の対応策。
「私たちはみんなが雑用をするのでなく、一人の者を雑用担当に専任させ、彼がすべて対応するようにしました。これで、我々の雑用の量が減りました」
 それに対して司会者が、「なるほど。しかし一人が専任になったということは、その人の本来の業務を他の人が分担しないといけなくなり、結局は全体の仕事量は一緒ですよね。あ、一人人員を増員したのでしょうか」と突っ込む。
 演者は、「いいえ、増員はありません。ご指摘の通り、やっぱり忙しいです」とのこと。なんなんだ、いったい。

 また、ある施設の対応策。
 「当施設でも雑用が増え続け、本来の業務に支障を来している。しかし人も金もないからとの理由で、何もサポートを受けることができない。人も金もない以上、頭を使うしかない。当施設では、このように雑用に対してその操作のステップを改良することにより一件にかける時間数を30分から15分に減らすことができた」
 …はあ、ため息のでる解決策だ。

 人もない、金もない。
 何の援助もサポートもないなか、しょうがないので、当時者がボランティア精神で、よれよれになりながら、けなげに仕事をこなしていく。

 こんなことやっている業界に、若い人が来るわけないよなあ。
 私もこのシンポを聞いていて、まじにこの業界から足を洗いたくなってきた。

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April 10, 2010

和食:八泉@名古屋市千種区

 このブログに時々コメントを寄せていただいている旅館・食事の達人あびたろうさんは名古屋在住の方で、名古屋一番のお勧めの和食店が八泉であり、今回の名古屋訪問で八泉を訪れるのを私は楽しみにしていた。
 地下鉄本山駅を降り、猫洞通という名の通りをずっと進む。化け猫か猫又などが出そうな面白い名の通りではあるが、残念ながら猫一匹とも出会わず八泉に着。

 先付けは百合根と筍の木の芽合え。木の芽の鮮やかな香り、百合根のほこほこした食感と筍のシャッキリした食感、どれもよい。最初からこの店はいいと確信できる、そういう料理。

 造りは桜鯛に雲丹。雲丹はたぶん北海道のものだろうけど、この時期の雲丹としては最良のもの。桜鯛の切りつけもたいへん美しい。

 そういう感じで美味しい料理が次々に出されてくる。そのうちのいくつかを写真で紹介。

【蓬饅頭】
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 一目見ると、なんだか腹にたまりそうな料理だなあと思ったけど、甘さを抑え、蓬や小豆の香りや味をうまく整えながら、上品に葛餡に合わせている。全体としてのまとまりがよく、料理の奥の深さを感じる逸品。
 店主によれば、この小豆の素材そのものからして自慢の名品だそうだ。


【八寸】
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 八寸は出来あいの酒肴ではなく、出来たての一番美味い状態で出されてくる。
 蛤のゼリー寄せ、鯛の卵子、海老のコノワタ焼き、蒸しアワビ、錦玉子などなど。
 和食の華の八寸であるが、色とりどりで見た目じつに華やか。調理、味付けもそれぞれ変化に富んでいて、味も華やかであり、食べる人すべてが幸せを感じる素晴らしいもの。

【椀物】
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 アイナメの爽やかな味、うすい豆腐の玄妙な豆の歯触りと香り、菜の花の鮮やかな春の味。それをまとめあげる見事な澄んだ出汁。
 京料理の出汁は薄いといわれるが、良い食材、良い水を使ったら、このような出汁でないと食材の美味さ、水の美味さは真の姿を味わうことができない、それゆえこの薄さは、薄いのでなく、必然の味付けであるということがじつによく分かる。そのような、技術の粋を極めた料理。感服いたしました。

 〆は生姜御飯にて。相当酒を飲んで腹が満たされていたが、これもあまりに美味く、おかわりまでした。

 さすが、あびたろうさん推薦の店。素材の良さ、技術の高さ、紛うことなき和食の名店でした。
 季節の描出からして素晴らしく、近くにあれば毎月通いたくなる店であります。


 あびたろうさんの紹介ということで店の予約をしたのであるが、あびたろうさんが店にこのような客が来ますよと連絡をしてくれていたそうで、店はゴツい山男がやって来ることを予想していたとのこと。…でも、当方ひょろっとした一般人でありました。
 見かけはともかくとして、私は山ヤのはしくれなので、歩くのが好きであり、帰りは名古屋駅近くの宿まで歩いていく。いい気分で酔っぱらって、適当に歩くうち名古屋駅のツインタワーが見えてくる。このツインタワー、二つのタワーの形が違うので、その見え方の違いで自分がだいたいどこに居るかが分かるので大変便利だ。このタワーのおかげで地図なしに名古屋は歩けるわけで、これを設計した人は偉いなと思った。

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April 09, 2010

寿司:浜源@名古屋市昭和区

 名古屋市の繁華街から離れた住宅街のなかに、ひっそりとたたずむ「浜源」。
 5年ぶりに訪れるが、やはり分かりにくい場所にある店だな。
 しかし店が見えれば、店の構えをみるだけで、「ここは美味い鮨を出すに違いない」と確信できる、そんなつくりである。

 カウンターに座ると、目の前のネタ箱のなかには、つやつやした美しいネタがいくつも並んでいる。この店のネタの多くは地元の三河湾産のものを使っており、そこで獲れる最良のものを仕入れている。日本の魚のたぐいは良いものはいったん築地に行ってしまうことが多いが、なかには努力して良いものを地元に留めている店があり、「浜源」はそういう店である。

 肴は、マコガレイにホシガレイの刺身から。鮮烈な香りと、弾力ある歯応えがたまらない。アワビの酒蒸しもアワビの味がよく凝集している。タイラギの炙りは食感も香りもよし。子持ちシャコや、アカイカもまた滋味豊かなもの。渡りガニのカニ味噌和えもまた旨み十分。珍味のバチコは、太めのためもっちりした面白い食感のもの。ウニは三重のもので、これは旬にはまだ少し早いか。海老を擦りこんだ厚焼き玉子は上品な甘さがよろしい。

 握りは和歌山の本マグロに、赤貝、鳥貝、ミル貝、コハダにアジに、アカイカ、サヨリ、穴子などなど。
 〆ものは優しい〆方で、貝はいずれもfreshそのもの、アジのねっとり感は素晴らしく、穴子はふんわりと口の中で溶けていく。
 シャリは酢と塩を利かせて味わいよし。はらりとほどける握り具合も見事なもの。いずれもじつに美味い鮨である。

【アジ】
Aji

 店主は東京で修行したのち、30年以上も前に名古屋のこの地で開店。
 名古屋でも本場に負けぬ江戸前寿司を出してやるとの店主の意気込みは、最初のうちは地元の人に理解できず、酒蒸ししたアワビ、青魚の〆もの、白身の昆布〆などは、「素材が痛んだからそういう細工をしているのだろう」と思われていたそうである。しかしやがては江戸前寿司の魅力が伝わりだし、こういう辺鄙なところにある店なのに、客の次々に訪れる人気店となっております。

 名古屋で本格的な江戸前寿司を食いたいと思った時、というより美味い寿司を食いたいと思ったとき、この店は決してはずすことのできない名店でありましょう。

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April 08, 2010

寿司:鮨処成田@名古屋市中区

 名古屋の老舗寿司店「成田」は早瀬圭一氏著の「鮨を極める」に載っていたことから、5年ほど前に訪れたことがあり、名古屋出張のついでに再訪してみた。
 カウンターに着くと、「おひさしぶりです。遠いところからありがとうございます」と二代目から挨拶される。…いつものことながら、こういう客商売の人たちの記憶力ってすごいなあと感心する。人の顔と名前をまったく覚える能力あるいは意思のない私としては、学ばねばとか思ってしまう。

 適当に肴、鮨を頼む。
 白身は平目にサヨリ、それに鯛。子持ちシャコに車海老、赤貝等々。

【茶碗蒸し】
1

 「成田」の名物は、まずはこのコノワタの茶碗蒸し。
 コノワタは下手に蒸すなり煮るなりするとやたらにコノワタ臭くなってしまうのだけど、この茶碗蒸しはコノワタの個性を出しながらも、香りを上品にまとめ、全体として澄んだ潮の香りを感じさせる逸品である。

 もうひとつの名物は、穴子の蒸し鮨。
 ほっかほっかに蒸された穴子の鮨は、すぐに食べると口のなかで湯気を上げながら美味さを広げていく、面白い食味の鮨。

 鮨はネタによって店主と二代目が握りわける。
 店主の握りは名古屋流(?)で丸みのある俵型であり、二代目は江戸前流の地紙型。いずれも上手な握り方で、口のなかにいれるとふんわりとほどけていく。

【コハダ】
2

 このコハダは二代目の握り。流れるような形が美しい。コハダはきっちりとしまっており酢と塩の加減がいい塩梅。

 二代目は「すきやばし次郎」で修業をして、その途中で家を手伝うことになり、店主のもとでさらに精進を続けている。寿司職人して、既にいっぱしの腕前となっているが、「親父には学ぶことが多いです。親父にはまだまだ頑張ってもらわねば困ります」とのこと。

 「成田」は名古屋と東京の良いところを組みわせた美味しい鮨を楽しめる店です。

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名古屋の名物

 名古屋は日本のミステリースポットみたいなところであり、古くから栄えており、人口も多いわりには、知られていること少なき地である。東京と大阪の二大都市の間にあるために、ただの通過点になってしまいがちだという地理的条件と、元々豊かな地であったため、他の地域に自らを宣伝する必要が乏しかったからなどの理由なんだろうけど、それゆえ名古屋を語るときは、「よくは知らないのだけど、そうらしい」とかの伝説的な語り方になってしまいがちだ。

 名古屋の食文化についてもそうであり、以前にタモリが「海老フライ伝説」「マヨネーズ伝説」などを吹聴したように、本邦では名古屋では何やら独特の食文化が築かれているらしい、との伝説が広まっていた。

 名古屋の食の名物といえば、「味噌煮込みウドン」「きしめん」「味噌カツ」「天ムス」「ひつまぶし」「ういろう」などなど、ずいぶんとある。
 このなかでも特に有名なものは「味噌カツ」であり、20~30年以上も前、それこそタモリが名古屋伝説を発信していた時代、すなわち情報というものの精度が低かった時代には、名古屋以外では「味噌カツ」は広くゲテモノ料理として認識されていた。
 「味噌カツ」の字面からは、「味噌を丸めて衣をつけて揚げた、やたらに味の濃さそうな食い物」という、ゲテモノとしか言いようのない食い物しか思い浮かべることはできず、そのようなものを好物としているらしい名古屋の人について、その味覚の強靭さというか、アナーキーさに、我々は畏敬の念を覚えざるをえなかった。

 その後時代の流れとともに、情報というものの精度が増し、海老フライ伝説もマヨネーズ伝説もただの笑い話となり、味噌カツも「味噌ダレをつけた豚カツ」という、いちおう真っ当らしい料理ということが分りだした。
 私も初めて名古屋を訪れたとき、それではと、名古屋名物味噌カツというものを食べてはみた。…たしかにゲテモノではなかったが、ワラジサイズのどでかい豚カツに妙に甘ったるい味噌ダレがたっぷりとかかった味噌カツを食ったときは、このディープな料理から、結局は名古屋の人の味覚のアナーキーさに感心してしまった。


 今回、五年ぶりくらいに名古屋を訪れた。夕食はいろいろと美味そうな店に予約を入れているが、どの店も名古屋独自のものが出るというわけではない。
 せっかく名古屋に来たからには、名古屋名物のひとつくらいは食ってみようかと思う。しかしさすがに味噌カツはもう結構。味噌煮込みウドンも、似たような路線の料理の気がする。ひつまぶしは昼には重すぎる。無難なところで、きしめんを食うことにする。

【天ぷらきしめん】
Kisimen

 テルミナの「きしめんの吉田」にて、天ぷらきしめんを頼んだ。
 あんまり歯応えはないが、つるつるぬるぬるとした柔らかな食感の麺は、これはこれでいい感じ。出汁も中庸で、妙な甘さも辛さもなく、麺によく合っている。
 ほどほどに美味しい料理。
 「味噌カツ」のようにカルチャーショックを受けるような料理ではなく、名古屋初心者は、まずはこれから始めればいいのではなどと、どうでもいいことを思った。

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April 04, 2010

和食:要庵西富家

 春の京都の宿は「要庵西富家」にしてみた。
 要庵は、あのミシュランの料理部門で、京都の宿でただ一軒二つ星をとった宿である。柊家でさえ一つ星なのに、それよりミシュラン審査員が美味いと判断しているわけだから、その実力にはついつい期待してしまうではないか。まあ、ミシュランが示している他の星付き料理店を見ると、ミシュランがどこまで信用できるかは、はなはだ心もとない気もしないでもないが、要庵はじつは食通の人達の評価が以前から高かった宿であり、ミシュランは信用できなくとも、その人達は信用できる。
 旅館の価値の第一を料理とする私としては、一度は訪れたい宿であり、桜の京都を愉しむついでに訪れることにした。

 料理の全体としての評価は、たしかに高いレベルのものだったと思う。
 本格的な京料理であり、華やかさも、繊細さも兼ね備えたものであった。
 そのうちのいくつかを写真で紹介。

【鯛の薄造り】
1

 京都の定番というわけでもないのだろうけど、京都では白身魚の薄造りをよくみる。
 さくら鯛特有のよく締まった身が形よく並べられている。かみしめれば爽やかな旨味が広がる。

【八寸】
2

 八寸は大根の薄切りをぼんぼりに仕立てあげ、玉子、菜の花、海老、鴨、蛸と、色とりどりの食材を照らして、艶やかな料理を演出。味付けはいずれも京風で滋味豊か。

【鯛飯】
3

 少し固めに炊かれた鯛ご飯は、鯛の味がよくしみて、力強い料理となっている。
 味噌汁は京都の白味噌に生麩をあわせたもの。これもまた上品な甘さと旨さが印象的な逸品であった。

 コース全てが丁寧に作られた、立派な和料理であった。
 ただ、一つ星の柊家を凌駕するほどのものかと言えば、微妙なところであり、甲乙については人の好みによりけりとしか言いようがない。


 要庵西富家は、しかし料理というよりも宿のキャラクターのほうが印象的ではあったな。京都にもこんな宿があったのか、という感じの。
 主人も女将も、客をもてなすことに一所懸命という姿勢がよく伝わり、暑さまで感じてしまう。(暑苦しいとまでは言わない)
 これは京都の他の宿で感じる洗練された、ある意味少々の冷たさをもつ客あしらいとはかなり異なるもので、田舎的、家族的とでも称すべきものであろう。
 ま、その懸命さには、ちょっとした抜けとか、空回りとかがあり、どうしてもこの旅館は「緩めの旅館」と感じてしまった。
 旅館の成熟度として、俵屋を社会人とすると、要庵は高校生くらいであろう。ただそれを未熟ととらえるのでなく、違う目でみれば、若々しいとか、伸びしろがあるとか肯定的にとらえることも可能であり、私もそちらのほうに考えたい。
 数年後訪ねれば、どのように伸びていっているのか、楽しみにできる宿と思う。

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April 03, 2010

桜色の京都

 今年の3月は暖かく、3月中旬から桜の開花便りが届いていたから4月にはもう葉桜になっているかなと思っていたが、3月下旬に強い寒気が来たおかげで花の開花は停滞し、そして4月上旬になって花がまた開き出し、訪れたときには桜はどこでも満開、爛漫たる京都の桜を楽しむことができた。

【醍醐寺】
Daigo

 「醍醐の花見」というくらいの花の名所。桜は美しい寺の建物に彩りを添えていて、一服の絵のごとき風景。

【疏水】
Sosui

 琵琶湖から京都に流れる小運河である疏水にはその岸部に桜がたくさん植えられており、花の時期には散った花びらが運河を流れる風情ある情景を見ることができる。

【南禅寺への山道】
Sosui3

 観光地図を見ると、疏水から次の目的地への南禅寺へは、疏水をいったん離れ舗装路を歩くことになっている。しかしトンネル前には小さな標識があり、「けわしいけど山道を行けば南禅寺に着く」みたいなことを書いてあった。
 たしかにその道は険しそうだが先行していた観光者もどんどん山道を登っていたので、それなりにポピュラーな道なのであろう。どうせ歩くなら舗装路を歩くより、山道を歩いたほうが面白いに決まっている。私もこの山道を行くことにした。

【京都一周トレイル】
Yamamiti

 登り始めのところは難路であったが、やがては快適な松林のなかの道となる。この道は標識によれば「京都一周トレイル」と名付けられたハイキングコースとのことだ。
 京都市は山に囲まれた地だけど、今通っている道は、市内から東に見えている山を越えるルートのようである。

【日向大神宮】
Hyuuga

 疏水から一つ山を越えて下りれば、日向大神宮なる神社へと出る。
 ここを過ぎてしばらくすれば、また疏水に合流する。

【南禅寺】
Nanzennji

 疏水の水路をたどって行くと、やがて南禅寺の水路閣へと出て、南禅寺に到着。石川五右衛門と湯豆腐で有名な南禅寺ではあるが、それ以外にも南禅寺は周囲が桜の名所だらけということでも有名である。
 ただし南禅寺そのものでは、あんまり桜は咲いていなかった。

【蹴上インクライン】
Trail

 かつては疏水を行く船の陸上輸送路であった蹴上インクライン、ここは今が桜の盛りであり、花のトンネルをつくっていた。絢爛豪華な桜の列である。

【東寺】
Touji

 京都駅周囲では、東寺に寄ってみた。
 紅の色濃き枝垂れ桜は満開であり、大きな樹が桜色の滝のごとくなっている姿が見事である。

【高台寺夜景】
Koudaiji

 夜桜のライトアップは京都のいろいろな所でやっているのだけど、高台寺を選んでみる。
 境内庭園の枝垂れ桜には、刻々と光の量が変わってライトアップされる面白い趣向が取り入れられ、その都度姿を変える桜は趣がある。

【高台寺夜景2 臥龍池】
Koudaiji2

 高台寺の夜景といえば、やはり臥龍池。鏡のような水面に周りの樹々が映る姿は幻想的なまでに美しい。ただし桜の花はなく、…ここの風景は紅葉の時期のほうがより美しいであろう。

【円山公園】
Maruyama

 高台寺を出てすぐのところに円山公園はあり、名物の枝垂れ桜もライトアップされている。これも幻想的な美しさ。この桜には少々非現実的なところがあり、いきなり見たら桜のお化けのように思えそう。

【高瀬川沿い】
Takase

 市内に戻り高瀬川のほとりを歩いてみると、ここも桜が盛りであり、夜の明かりに映えていて、街中の夜桜もまた美しいものであった。


 桜は盛りの時期が短く、うまくその時期に訪れるのは難しいのであるが、今回はドンピシャでタイミングが合い、桜色に染まったような京都を愉しむことができた。
 これも3月下旬に到来した大寒波のおかげである。この大寒波には、祖母山登山のときに痛い目にあったのだが、京都では花の盛りという恩恵を与えてくれたわけで、…いろいろと面白いものである。

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April 01, 2010

和食:ふじ木@宮崎市

 宮崎市の食通W氏のお気に入りの店「ふじ木」にて、W氏主宰の食事会に参加。
 店は一見居酒屋風あるいは一品料理店風であるが、出てくる料理はなんのなんのじつに本格的なものであった。

 料理は旬の食材を使って春を演出する芸の細かいもの。
 先付けは、ツワブキとミズブキを軽くワサビや出汁で和えたもので、まずは爽やかさな春の息吹を感じるものから始まる。

【春のサラダ】
Salada

 次はふじ木流の春のサラダ。
 筍、コゴミ、ウド、セリ、ソラマメ、ワラビにゴマなどなど。
 香り強く、クセの強い食材が、うまくまとまって、春そのものという感じのサラダである。

【甘鯛兜焼き】
Amadai

 甘鯛はやはり頭が一番おいしいのであって、ほどよい焼き加減で焼かれた甘鯛は、しっとりほっくりした食感を感じながら、口の中に旨さが広がっていく。

【宮崎牛の鍋】
Miyazakigu

 メイン料理は宮崎牛、新ワカメ、筍の鍋物。
 味付けは宮崎流にやや強めであるが、甘ったるいようなことはなく、牛の豊かな味を支えている。


 地元品質のよい食材を使って、たしかな技術で、地方独自の和食を供してくれます。
 地方の良さをしっかりと伝える、いい店だと思います。

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