元々は地域の問題であったはずの普天間基地問題が、今や日米の深刻な国際問題となっている。
普天間基地は周りに住宅が増えてきたことから、住民に危険を及ぼす存在になったので、日米の合意により辺野古地区に移転するはずであった。そのせっかくの合意をぶち壊し、首相は新たな移転案を模索している。
首相は実現可能な「腹案」なるものを持っているそうだが、わが国の誰ひとりとして5月末までに、新たな移転計画が合意に到ることができるなど思っていない。それなのに、首相は奇怪なまでの自信に満ちた態度で、現行案に代わる案での5月末までの決着を頑なに主張している。
核サミットでオバマ大統領とも公式対談の場も持つことができず、基地問題でも具体的な進展案も提示できなかったことから、ワシントンポスト誌のコラムで、鳩山氏は「increasing loopyな首相」と称された。この言葉、日本では「愚かな首相」と訳されたけど、それは意訳のしすぎで、普通に訳せば「どんどんわけが分からなくなっている首相」くらいの意味であろう。
たしかにアメリカから見れば鳩山首相はincreasing loopyな人物であろう。
アメリカの対アジア戦略から考えて海兵隊基地は地政学的に沖縄に置くしかない。県外移設なんて最初からありえない案である。だから野党のうちは野党の気楽さで県外移設を主張していた首相も、与党として政務を担当する者となり、実情をレクチャーされればその主張を引っ込めるにちがいない。
じっさいそれはその通りで、民主党の他の閣僚たちはそのように意見を変えていったのだが、肝心の首相のみはぜんぜんその方向には進ます、「腹案」などと称し、実現不可能な案を進めていってしまっている。
いったいこの男は何を考えているであろうとアメリカは対応に困り、こいつはincreasing loopyな人物と嘆かざるをえなくなった。
ただし、この点に関してはアメリカが間違っている。
日本においては政策で迷走の限りをつくし、やればやるほど混乱をもたらし、言うことのころころ変わる首相はたしかにincreasing loopyな人物であるが、首相は基地問題に対しては一貫している。これに関してのみは、首相は天晴れなほどぶれていない。
鳩山氏には信念がある。鳩山首相はアメリカ軍が嫌いなのである。アメリカ軍は沖縄から、ひいては日本から出て行ってほしいと本気で願っている。旧民主党時代から鳩山氏はその考えを公言しているし、報道の通り今もその考えは変わっていない。
だからいかに理詰めで、理論正しく、沖縄基地の意義を説明されたところで、首相の真意は「沖縄から米軍基地を追い出すこと」にあるのだから、言うことを聞くはずがない。
日本外交史上、アメリカにとってこのような人物は初めて経験する為政者である。
昨日の書評「世界クジラ戦争」で示したように、アメリカという国は自国の論理を押しつけることについては、ほとんどギャング同然の存在であり、威嚇、恫喝、恐喝、全てを用いて無理にでも言うことをきかせる。今回の件でも同様に外務省にすごい圧力がかかっているはずである。岡田外相の気の毒なくらいのやつれぶりをみても、それは明らかだ。
それで今までの政治家は交渉時にアメリカに文句を言いたいことがあっても、外務省なり関係省庁なりからアメリカ経由の圧力がかかり、結局はアメリカの言いなりになる、ということを連綿と続けてきた。
しかし鳩山首相は臆さない。
元の合意案など見向きもせず、現実的解決策を求める米国に対してはのらりくらりと言い逃れ、日本では「普天間の危険の除去は行う」「県外という思いで頑張っている」「辺野古の海の埋め立てなどさせない」「5月末までに決着する」等々、…日本語に訳せば「移転など実行する気はさらさらない」、もう少しそのあとを訳せば「だから海兵隊は沖縄から出ていけ」ということを言い続けている。
そしてこういうことをやっていたら日米関係は深刻に悪化していき、ついには日米安保条約廃棄に行きつくでしょうなあ。
じつは今アメリカは恐怖しているのでないだろうか?
日本など属国くらいに思っており、首相といえど州知事より下くらに思っていたのに、突如として敢然と逆らう為政者が現れたのだ。
しかもそれが例えば水産庁の小松氏のように理論武装した手強いインテリではなく、前政権での国家間合意を反故にするなどおよそ近代国家のルールを無視する、理論も理屈も通じない、近代国トップとしてはあるまじき野蛮人であるわけだから。
この野蛮人にまかせておくと、必然的に移設案として、政府は腹案なる「キャンプシュワブ+徳之島+グァム」案をアメリカに提示する。そんな海兵隊を三つ叉裂きにするような案をアメリカが飲むわけはない。そして実現不可能な要求を他国に突きつけるという行為は、ふつうは宣戦布告とみなされる。昔アメリカは「ハルノート」なる実現不可能な要求を我が国に突きつけ、それが実質上の宣戦布告となり大東亜戦争は始まった。
今回我が国は逆の立場に立つわけだ。さすがにアメリカが戦争を仕掛けてくることはないとは思うが、日米関係については重大な決意をもって反撃を行うことになろう。
普天間基地問題は一歩間違うと日米安保条約の破棄につながる案件であり、どうやらその方向に話は進んでいる。
アメリカは安保条約により、占領が平和条約締結により終了したのちも、日本にいまだに軍隊を駐留させており、それはそれでけしからん話なのだが、残念ながら日本の自衛隊は独自にシーレーンを防衛する能力はないので、米軍のバックアップがあることで日本の平和が保たれているのは否定できない事実である。そのため、我が国は否応なしに安保条約を支持している。
現在の時点で安保条約破棄は我が国の防衛能力を著しく低下させるため、一国の行政の責任者である首相が、それにつながるような行為を行うことはあり得ないはずである。
しかし鳩山首相はあの恐るべき大国アメリカに対して頑強に抵抗を続け、少なくとも現時点では、かつてないまでに日米関係を悪化させることに成功している。このままいけば、鳩山首相の夢「米軍の日本撤退」は実現するかもしれない。
自国の安全を犠牲にしてまで自分の信念を貫くこの行為は、自分の好き嫌いの感情のみから行っているなら、それは単なる馬鹿である。しかし、自衛隊の戦力増強、東アジア新秩序の構成までを「腹案」として含めて行っているのなら、日本に真の独立をもたらしたということで、とんでもない策士ということになる。
鳩山首相は、ただの馬鹿なのか、それともとんでもない策士なのか。国民の多くは、そしてもちろん私も前者と思ってはいるが、しかし後者の可能性もゼロではない。
「馬鹿なのか、策士なのか」この日本にとって深刻な問いの解答は、あとひと月もすれば知ることができる。