【ユリウス・カエサル】

ヨーロッパにはその歴史を決定づけた者が二人いて、一人は亡くなった日、一人は生まれた日が固有名詞のような存在になっており、ヨーロッパに住む人なら誰もがその日の意味を知っている。
Idus Martiae、日本語にすれば3月15日は、そのうちの一つである。
ヨーロッパをつくった男、ユリウス・カエサルの暗殺された日、すなわち命日である。
カエサルはヨーロッパの歴史の中でも最大級の大物であるからして、数多くの伝記や史伝が書かれている。本邦では塩野七生氏の力作「ユリウス・カエサル」が有名であり、よく読まれている。塩野氏はカエサルの最も好きな言葉として、「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」という言葉を「パクス・ロマーナ」で紹介している。この言葉を引用することにより、塩野氏は「多くの人はそうであるが、カエサルには現実そのものが見えていた」という、カエサルの聡明さを示そうとしているように思える。
たしかにカエサルが聡明であったことは事実であるけど、…なにかおかしい。この言葉は、私にはカエサルが実際に言ったとは思えない。
この言葉は、要約すれば「自分とごく少数の人間を除いては、大多数の者はバカである」という意味であろう。そして政治家とは、大多数のバカを制御し統制するというたいへんな仕事であるからして、有能な政治家はそういうリアリズムとペシミズムが必需品であることはよく理解できる。
じっさい、この言葉はカエサルの後継者オクタヴィアヌスが語ったとすれば、じつにピッタリとはまる。
しかしカエサルには、ただ「大多数は見たいと欲する現実しかみない。世の中はそういうバカばかりだ」と言い切るペシミズムはついに無かったと思う。カエサルこそ「見たいと欲する現実」を追い続け、命をかけてまでそれを求めた人物であるからだ。
カエサルは多才な人物であったが、その能力のうち、文人、軍事家としての能力は超一流であることを疑う者はいない。しかし政治家としての能力については、疑問符がつけられて評価されている。その疑問符が付く最大の理由は、「ローマ帝国を建設中なのに、その半ばで暗殺されてしまったから」である。
優れた政治家と評価される条件の第一は、まず己の仕事をきちんとやり遂げることにある。カエサルは、500年以上続いた共和制ローマを帝政ローマに再建するという困難な大事業を、たった一人で行っていた。カエサルは帝国建設のために数々の難問を解決していっていたわけだが、その多岐にわたる仕事のうち、最も重要なことは、「事業の目途が着くまで、ともかく生きていること」である。
今だってそういう国はいくらでもあるけど、昔のローマはそれに輪をかけて粛清や暗殺が当たり前であった。政治・社会の仕組みを劇的に変えるような事業を行っていれば軋轢は必須、命が狙われるのは必然である。ゆえに、帝国建設という目的を達成するためには、なによりも暗殺や粛清されないように身を守ることが優先された。
身を守るためにはどうすればいいか。
第一は武装するなり護衛をつけるなり物理的に身を守ることである。第二は、自分に敵対する相手を先手を打って粛清してしまうことである。そしてカエサルは敵の多い人であるからして、暗殺の危険が常にあるので、己の絶大なる権力を利用して、敵対勢力を粛清するのは、理にかなった行為と言えた。
しかし、カエサルは粛清を絶対に行わなかった。
カエサルは権力闘争を勝ち抜いてローマのトップに登りつめたが、勝ったのちは敵対勢力に対してはただちに許し、そのままの身分と仕事を保障した。カエサルは、いかなる戦争においても捕虜は許し、政敵も投獄したり命を奪うようなことは絶対にしなかった。カエサルは敵に対して寛容な男であり、「寛容(クレメンテ)」はカエサルの代名詞となっている。そして、代名詞となっていることから分かるように、こういうことをする政治家は古今東西カエサルしかいなかった。
カエサルは粛清を憎んでいた。
カエサル自体が若いころに粛清のリストになり、殺されかかった過去があり、亡命まで経験している。その粛清されかけた経験として、カエサルは粛清を唾棄すべき行為と認識したのであろう。相手が自分に害を及ぼす可能性だけで、相手の都合も考えずにその命を奪うという行為を、カエサルという誇り高い男は心底軽蔑したに違いない。それで、カエサルは敵に対して粛清は絶対に行わなかった。
ただ粛清が嫌といっても、せねばならないこともあるだろう、と普通は思う。
世の中には言っても分からない度し難い者がいて、そういう輩は、許されたことを恩義に感じず、かえって侮辱に感じ、また刃向かってくる可能性が高い。命だって平気で狙ってくるであろう。それを阻止するためには、先立って命を奪うのが一番よい。誰だってそうする。これこそものの道理というものだ。
ただそれはやはり粛清というものであり、「正しい粛清」といえど、カエサルにとっては卑しい行為である。刃向かう可能性があるからと言って問答無用に命を奪うのは誰でもできる。カエサルなら、刃向かって来れば容易にそれを倒せる。自分はいくらでも許してやる。また刃向かえば同じことをすればよい。
度し難い政敵に対する粛清は当然の行為であり、それこそ「現実」であるが、カエサルにだって、「見たいと思いたい現実」がある。粛清という行為はカエサルにとって、「見たい現実」ではなかった。粛清など卑しい行為である、だから政敵もいつかはそれが卑しい行為であることを自分同様に理解してほしい。人間とはそのような賢明な存在であるべきだからだ。カエサルはそう願っていた。
カエサルはリアリストであったが、ペシミストではなかった。どころか筋金入りのロマンチストであった。
カエサルは元老院に政敵が多かったことから、元老院に出席するときには護衛を連れていた。しかし元老院議員に「カエサルの身の安全を保障する」との誓約を書かせたあとは、その後は護衛なしに登院するようになった。
政敵にとっては、「暗殺してくれ」と言わんばかりの行為である。
しかし、その行為はカエサルにとっての「人間はこうあるべきだ」「誓ったからにはそれを守るのが人間だ」との、身をかけた自らの理想主義の表現であった。自分が寛容をもって許した相手は、自分に対しても同様に寛容をもって処して然るべき。人間とはそういう気高い存在であってほしい。これはカエサルの理想であり、願いだ。
しかし政敵にはそのようなロマンチシズムは、まったくなかった。権力を一手に集めていくカエサルに憎しみと嫉妬をもった元老院議員たちは、マルクス・ブルータスを首領として14名が同志となり、紀元前44年3月15日、元老院においてカエサルを襲撃、カエサルはめった刺しにされ絶命した。
その時点で、カエサルによるローマ帝国建設はまだ事業半ばであった。
馬鹿である。
まったくもってカエサルは馬鹿だ。
元老院議員の保守派がカエサルを嫌い、恐れていたのは誰でも知っていたことである。旭日の勢いのカエサルを排除しようと、元老院議員がカエサルと大戦争をやったのはまだ5年前のことであり、そのときの敵がまだいっぱい元老院に残っているのだ。そういう連中に誓約書提出させてところで、何の役に立つというのだろう。
そりゃ、まともな人間なら、ここでカエサルを殺してしまっては、また大きな内乱が起きて死者がいっぱい出てしまうことが必定なので、暗殺などするわけはないのだが、世の中の多くの人は「見たいと思わない現実はみない」のである。
聡明なカエサルならそんなことは百も承知であろうから、暗殺の危険は誰よりも知っていたことは疑いの余地はない。それでも、カエサルは自分の理想のほうが大事だったのである。だがたしかに理想は大事だろうが、殺されては話にならない。
この点でカエサルは大馬鹿だし、なにより無責任だ。
護衛をなくすというカエサルの愚かな行為により、導かれたカエサル暗殺によって、ローマ市民、それに当の暗殺者自身が、大迷惑を被ることになった。
カエサル暗殺後、当然のことながらローマは大混乱に陥り、内乱に突入した。カエサルが殺されたことに怒り狂ったローマ市民は、暗殺者たちをローマ市から追い出した。そしてカエサルの後継者オクタヴィアヌスとカエサルの部下アントニウスにより、2年以内に暗殺者全員が殺された。それで話が一件落着に治まるわけはなく、次はローマの第一人者を目指して、両者が戦いを繰り広げ、多くの死者が出た。
内乱が治まり、オクタヴィアヌが最終的な勝者になるまで、14年間の戦いの月日が必要となり、無駄な血が大量に流された。
これももとはといえば、カエサルの身勝手な理想に責任がある。
全権を握ったオクタヴィアヌスにより、カエサルの暗殺でいったん中断となったローマ帝国の建設が再開され、帝国完成により平安と繁栄の「ローマの平和」が始まる。
オクタヴィアヌスは政治家として極めて優秀な人間であり、また徹底したリアリストであったから、建国の政治家にはなによりも「殺されないこと」が大事であることを知っていた。彼は私設軍隊まで作って自身の警備隊とし、元老院登院のさいには、がちがちに護衛を固めて身の安全を確保していた。立派なものだ。
…ただ、私設軍隊をつくり、護衛で身を固める姿は、オクタヴィアヌスにはよく似合うが、たしかにカエサルにはまったく似合わない。
カエサルには「人間はこうあってほしい」「人間はこうあるべきだ」という理想があり、それを一生を通して貫いた。
暗殺されるという大失態を演じはしたが、己が理想に殉じたその姿は、人類とはこのように誇り高くなれるものだということを示している。
カエサルは馬鹿であったが、誰よりも魅力があり、偉大であった。
3月15日は、そういう人物の命日である。