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February 11, 2010

読書:自省録 マルクス アウレリウス(著) 元祖Twitter

 鳩山首相までがやり始めたことで有名ともなった、Twitter。
 140字以内で、あれこれ考えたことを好きなときにつぶやいてwebに乗せるという、何の役に立つのか、あるいはどういう意味があるのか、いまだによくわからんwebサービスであるが、現在大流行である。

 私もだいたいはロム専でTwitterを利用させてもらっているが、世の中には、個性豊かなつぶやきがいくらでもTwitter上に流れていて、読んでいてたしかに面白い。
 その一日中流れ続けるつぶやきの数の多さからして、人というものは己の思考を、つぶやきたい存在であることが分かる。
 人間にとって、つぶやきとは自然な行為であり、今までは己の頭の中のみでつぶやかれていた思考が、それを世界に流すことのできるツールが登場したことによって、世界は一挙につぶやきで満ちることになったわけだ。

 ところで、ブログをしている人がブロガーというが、Twitterのユーザーは何というのだろう? そのままTwitterとしか言いようのない気もするので、つぶやき者をTwitterと名付けるとして、己のつぶやきを書きとどめ、やがてそれは世界中に発信されることになった元祖Twitterと言うべき人が1800年ほど前にローマ帝国にいたことを思い出した。
 もちろん皇帝マルクス・アウレリウスのことである。

 紀元2世紀の100年間に及ぶローマ帝国の円熟期を称して五賢帝時代とは言うが、この時代を治めた五人の皇帝のうち、本当の賢帝はハドリアヌス帝だけだと私などは思っている。
 トラヤヌス帝の無謀な領土拡大政策をうまく収集し、その後にローマ帝国に鉄壁の防衛線を築きあげ、ローマの平和と繁栄をもたらしたのがハドリアヌス帝であるが、彼の後継のアントニヌス・ピウス帝は怠慢としかいいようのない無策さでその防衛線を弱体化させていき、結果次の皇帝マルクス・アウレリウス帝は防衛線を突破して帝国に侵入してくる蛮族との戦いにその治世中明け暮れる羽目になる。

 マルクス・アウレリウスは幼少より有能であったため、ハドリアヌス帝から将来の皇帝と指名された。マルクスは、アントニヌス・ピウス帝の養子となり、高度な教育を与えられ、また帝王学を幼いときより学ばされ、将来の帝位に備えた。しかし、困ったことにアントニヌス・ピウス帝は軍事に全く興味もない人だったので、マルクスは軍事についてはまったくキャリアを積まないまま皇帝になってしまった。
 ローマ皇帝は政治家であるとともに軍人であることが求められる職業なのだが、そのような教育を受けたため、マルクスは軍事についての能力が低かった。
 マルクスの治世は、北方から次々にゲルマン人が領国内に侵略してくる時代であった。誠実なるマルクス帝は自ら前線に赴き、そこで戦役の指揮をとったのだが、マルクス帝の軍事能力から、有効な撃退はできず、防衛線を維持するのが精一杯であった。
 マルクスの自省録はこの困難な戦役、幕営地のなかで書きつづられた言葉である。
その何章かを引用してみる。

 ・善い人間の在り方がいかなるものかについて論ずるのはもういい加減に切り上げよう。それよりも善い人間になろうではないか。 (10巻16章)

 ・私はなにか社会に有益なことを行ったか? もしそうなら自分が利益を得たのである。この真理を常に手近なところにおき、けっして善への努力をやめるな。(11巻4章)

 ・有益なものは、そのために働かざるを得ない。有益というものはそうあるべきものなのだ。(4巻9章)

 自省録をただ読むだけでは、あまりに正論すぎて偽善的な言葉が並ぶ、ただの奇書のように思えるかもしれない。しかし自省録の真の価値は、善き人であること、倫理、論理を重んじることを誓った言葉、それを本当に実践したマルクス・アウレリウスという人間が現実に存在したことにある。それにより、同書は不滅の価値を持っている。

 「善人」というものがはたして存在するのかという問いには、マルクス・アウレリウスがいる、というのが答えの一つになる。「自省録」や同時代の歴史書を読む限り、マルクス帝が善人であることは疑う余地はない。
 マルクス帝は高度な教育を受け、スコラ哲学に傾倒し、自らを律し、理性的存在であることに努め、人を正しい道へ導く、このことを一生かけて実践した人であった。そういう人が皇帝になったため、彼は誠心誠意をこめて、ローマ帝国において善政を行った。ローマ帝国ではこのような政治家は稀であったが、他のいかなる国の政治史においても稀な存在である。

 ただし人間がマルクスの求めるように理性的で合理的な存在であれば、人々は調和と共栄を重んじ、世界は平和であり続けたはずだ。残念ながら、人間は必ずしも理性的ではなく、また合理的でもない。
 とりわけ、人間が生の姿でぶつかる戦争という場面では、人間とは強いものが勝ち、勝ったものが全てを持っていくという、獣でも知っているような、単純にして明快な真理のもとに、全ては敢行される。

 マルクス帝の治世のほとんどは戦役に明け暮れたわけであり、マルクス帝の晩年はゲルマン族の進行に対抗するために、美しきローマを遠く離れて、北方のドナウ川戦線に張り付いて、陣頭指揮を執っていた。
 理性と知性の人、マルクス帝にとって、戦争とは人間の行為のなかで最も忌むべきものであったろう。しかしマルクス帝の求めていた、スコラ哲学のもとで安定した社会などついには夢の夢であり、北の厳しい自然のなかで、押し寄せてくる蛮族の群れへの対応に、日々明け暮れる、それが現実であった。

 マルクス帝の眼前に広がる現実は、彼が幼き頃より教育を理想としていた世界とかけ離れており、「世界はかくあるべきなのに」、「世界はなぜこうなってしまうのか」、彼はそれをずっとローマ帝国の北の果ての地で思考せざるを得なかった。
 幕営地の皇帝用のテントで、マルクス帝はその孤独で真摯な思いを、聞く人もいないままつぶやき続けた。そのつぶやきを書き留めたものが、今に残る名著「自省録」である。

 マルクス帝が「自省録」でつぶやきを留め続けたとき、彼はもしかしたら将来の読者を想定していたかもしれないが、当時としては読者は彼一人で、そのつぶやきはとても孤独な作業であった。
 北の果ての地、蛮族が外で群れているなか、理性と知性を重んじながらも、忌むべき戦争の指揮をとらざるをえなかった、誠実なる皇帝の、絶望的なつぶやきは、今それを読む私たちの心をつらくさせるものがある。


 さて、ここで私は妄想する。
 マルクス・アウレリウス帝の時代にもしTwitterがあったら。
 当然マルクス帝はTwitterでつぶやき続けるであろう。マルクス帝のような当時の超有名人には当然フォロアーが山ほどつき、帝のつぶやきにはたくさんのレスポンスがつくに違いない。そして、苦悩と絶望の思いをつぶやき続ける帝に対し、多くの者は、励ましと、慰謝の言葉を返すであろう。
 それは、孤独な皇帝に対して、世の中捨てたものではないよとの思いを浮かばせるかもしれない。
 57歳の人生を、強い責任感と、高い理性心で送り、しかしその結果、厳しくも寂しい人生を送らねばならなかった高潔なる皇帝に、そのような温かな声をかけるツールがあったならば、などと、「自省録」を読んで、どうしても痛ましいものを感じざるをえない現在の読者としては思ってしまう。


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自省録 マルクス・アウレリアヌス(著)

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