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February 2010の記事

February 28, 2010

オリンピック雑感(4) 偉大なり、プルシェンコ

 冬季オリンピックの華であるフィギュアスケートは、スポーツなのかアートなのかという議論は昔からあり、今大会でも問題になった。そして今回は4回転ジャンプを決めながら銀メダルに終わったプルシェンコが、なんだかスポーツを代表するサイドのように思われていたようだが、…とんでもない話である。

 プルシェンコこそ、スポーツとアートを最高度のレベルで融合させた不世出のスケーターである。彼は偉大なアスリートであると同時に、偉大なアーティストでもある、稀有の存在なのだ。スポーツ、アートで、ここまでの高みに達したフィギュアスケーターは、プルシェンコの前にいなかったし、プルシェンコの後にもいない。

 論より証拠。
 プルシェンコの演技はYoutube上にいくらでもころがっており、そのなかから芸術点で満点を取った伝説の演技「ニジンスキーに捧ぐ」を引用する。

 ニジンスキーに捧ぐ
http://www.youtube.com/watch?v=kkhn4KbisJc

 バレエの神ニジンスキーが氷上で舞ったなら、かくもあらんという神韻縹渺たる演技。ステップ、スパイラル、スピン、ジャンプ、全てが神業といってよい完成度を誇り、流れるような演技は悲愴なまでに崇高な美しさ。観ていて涙が出てくる。
 今にいたるまで、これを越える演技は、フィギアスケート史上存在しない。


 ついでながら以下のwebを観ると、プルシェンコが偉大なエンターティナーでもあることが分かる。

(1)http://www.youtube.com/watch?v=9jgInqv4pgE&feature=related
 プルシェンコが筋肉隆々のコスチュームをつけて、ボディビルダーの筋肉体操をしながら滑り、それからタイツを脱いで男性ストリッパーみたいな踊りをしている。十代で演じたこの爆笑必至のエキシビジョンで若き日のプルシェンコは偉大な変態スケーターと称賛された。
 …さすがに今はやってないみたいだが。

(2)http://www.youtube.com/watch?v=z8CwKGUjBwY&feature=related
 近未来的な、頭の痛くなりそうな妙ちくりんな音楽にのせて、男女早変わり用の衣装を使い、プルシェンコがプル男とプル子の一人二役で、男女の痴話げんか(?)を演じている。観ていて笑い死にそうになるくらいの快(怪)演。演技中に、観客席に乗りこんで、プル男は女性客と、プル子は男性客と抱き合ったりもして、サービス精神旺盛な人ということがわかる。

(3)http://www.youtube.com/watch?v=ghKRIvwGrrA
 金ピカの衣装でマイケルダンスを氷上で踊っている。ムーンウォークも氷の上なので速いこと速いこと。
 マイケルジャクソンよりもマイケルダンスを上手く踊れる者がこの世にいるのも驚きだが、これがエキシビジョンでなくオリンピックでも採用された正規のショートプラグラムというのがさらに驚き。


 プルシェンコは幼いときからの過酷なトレーニングの積み重ねから満身創痍の身なのであり、バンクーバーでもあちこちに故障と痛みを抱えていたのであるが、最近のジャッジのスコア目当ての演技が評価されるフィギア界に不満を感じ、プロから復活して五輪に登場した。フィギュアというものがいかにすごくて素晴らしいものであるかを、この世に示すためである。
 バンクーバーでのプルシェンコは、さすがに全盛期と比べると衰えを感じさせられはしたが、それでも十分にその卓越した実力を観客に見せつけた。

 この世にプルシェンコがいることに感謝。

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February 27, 2010

サイクリング: 国道218号線→ETOランド

 以前218号線からETOランドに登ろうと思ったものの、入り口を間違えてしまい、山の中をさまよったあげく、別のところから大周りして登るはめになった。地図をよく調べると、入り口はきちんとしたのが別のところにあることが判明。今回はそこから改めて登ることにした。

【ETOランド入り口】
1

 前回はよっちみろ屋のすぐ横の道から曲がってしまったので迷走したのだが、本当の入り口はよっちみろ屋から熊本方向へ50mほど進んだところにある。このように大きな看板があるので、…本来なら間違えるはずもなかったんだが。

【ここからETOランド】
2

 ETOランドへの道は、最初から傾斜10%を越えるけっこうな坂が続く。
 この斜度のまま300mほど進むと、「ETOランドまであと8km」という標識が現れる。え、こんな坂をあと8kmも漕がないといけないのか?と思ってしまう。自転車を走らせながら頭のなかで計算すると、この斜度の坂では4kmも漕げばETOランドの高さまでは達するはずなので、なんかおかしいなと思う。

【入り口から2.5kmほど進んだところ】
3

 ハードな坂を2.5kmほど進み、「あと6km」という標識を越えたあたりから、道は稜線上に入るみたいで、傾斜がゆるくなる。この後の残りの6kmの道はたいした坂はなく、だらだらした登りと、下り道の組み合わさった林道であり、体力は要さなくなる。
 218号線からETOランドへの道は、入り口から2.5kmくらいが核心部である。
 なお本日は天候は曇りであり、高度500mを越えたところからは霧が立ち込め、視界が悪くなる。

【分岐点】
4

 やがて坂道は六峰街道に合流。「ここを曲がればよっちみろ屋」の標識がある。
それにしても霧が濃い。
 ここからETOランドまでは、また劇坂が続くが、もうたいした距離はない。
 濃くなるいっぽうの霧のなかをETOランド到着。

【ETOランド】
5

 本当はこの奥に大きな風車が回っているのであるが、霧のせいで何も見えない。
 風景を楽しむこともできないので、初めてETOランドの店に入ってみる。ETOランドは北方町の町名に干支がそれぞれつけられていることから名づけられたので、その関連で干支にちなんだお土産がいろいろと売っていた。
 また店の奥には展望レストランがあり、二階には展望風呂まである。設備の整った立派な娯楽施設である。
 …しかし、客がいない。もともと閑古鳥の鳴いている施設ではあるが、この天候なのでそれに輪をかけて人がいない。
 九州のテーマパークは、阿蘇のファームランドを例外として、残りは全て惨敗という状況だが、ここも例にもれず厳しいですなあ。

 従業員の方に、「自転車で登られたんですか。すごいですねえ」と声をかけられるが、「今の自転車は性能いいですからなんちゃないですよ」などと答えておく。

 帰りは霧でびっしょりに濡れた道を、気をつけながら下って行った。

………………………………………
 よっちみろ屋

 ETOランド

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February 26, 2010

飲食店全面禁煙の通達が出たそうだが

 厚生労働省が2月25日に、公共空間ひいては飲食店を全面禁煙にするように通達を出したそうである。これについては、平成14年に既に健康増進法というものが出ており、不特定多数の人の受動喫煙を阻止するために、飲食店等では店主が努力しなければならないという法律が成立はしていたので、べつだん新たな法律ができた、というわけではない。
 しかしなにしろ日本という国は、法治国家のくせして遵法精神には問題のある国で、罰則がなければその法律は無視していいと平気で思っている人が多いため、健康増進法はザル法のまま放置されていた。
 けれども今の世の中、海外の先進国は公共の場の禁煙は標準となっているのに、この状況を放置しておいてはさすがにWHOから絶対何かの指導を受けると思った厚生労働省が、何かしなければといけないと、とりあえずあんまり役に立ちそうもない通達を焦って出したということか。

 煙草の問題点は、もちろん受動喫煙による健康被害もあるのだろうが、第一に挙げるべきは、なんといってもひどい悪臭がすることである。とくに食事をとることが目的の飲食店で、そういう悪臭を振り撒く喫煙は、迷惑きわまりない行為である。
 なかでも困るのは、カウンターの店、なかんずく寿司店における喫煙である。
 繊細な香りと味を愉しむ寿司において、店内で煙草を吸うという行為は、まさに毒ガスを撒くに等しいテロ攻撃であり、(本人が煙草まみれの不味い寿司を食うわけで自爆テロ攻撃というのが正しい表現か)、まったくたまったものではない。煙草の煙が満ちた店では、せっかくの美味い寿司も価値が半減どころか4分の1以下になってしまい、たいそう納得いかない思いは、何度もしたことがある。

 もっとも地方においては、真っ当な鮨を出す店は、自分の精魂を込めて握った鮨を煙草で燻されてはかなわないという常識的な判断を行うみたいで、たいていはカウンター禁煙である。熊本、宮崎、鹿児島…美味い鮨を出す店は例外なく禁煙だ。

 ところで、地方と違い都市部では美味い鮨を出す店は接待に用いられることが多い。接待族って、する方もされる方もスモーカーの確率がなぜか高く、接待に使うときの条件に「煙草が吸える」ということが必須になりがちとなる。ゆえにそういう店では禁煙はなかなか実施することはできず、喫煙可の店が多い。


 東京は当然そうであり、有名な寿司店でも喫煙可の店が多い。それゆえ東京で鮨を食うときは、煙が漂うことへの覚悟が必要なのだが、それでも禁煙の店もある。

 その貴重な禁煙の店で、店主より聞いた話を紹介。
 銀座の某寿司店は極上といってよい質の肴と鮨を出すことで有名な店であるが、開店してからずっと喫煙可であった。ある日、常連の人が一人、隣で煙草を吸おうとしている人にこう言った。
 「自分もヘビースモーカーで煙草の美味しさは誰よりも知っている。しかし、この店の鮨は自分がこの世で最も好きなものであり、それを食べることをなによりも楽しみにしている。でもこの素晴らしい鮨に煙草の臭いがあっては価値が台無しになってしまう。だからここでは自分は煙草を我慢している。すまないけどあなたも煙草を吸うのは控えてくれないか」
 これを聞いたとき、スキンヘッドの店主は、「ああ、これは自分が言わねばならないことであった。自分の鮨を楽しみに来てくれた人に対して、そういうことを言わせてしまって、すまなかった」と、おおいに反省したそうである。
 それ以来、その店は禁煙となった。

 喫煙者というものはいったいに想像力が不足している人が多いように思える。
 店では客は大事な存在だろうが、大事な客といえども煙草を吸われて嬉しい店主がいるはずもない。店は汚れるし、灰皿は掃除しないといけないし、ネタにも臭いがつきかねないし、だいたい丹精込めて握った鮨が、煙草の臭いと味とともに食われては、料理人として忸怩たるものを感じざるをえないだろう。

 某寿司店で客が言った「煙草は料理の邪魔をする」との言葉を、喫煙客に言いたい寿司屋の店主は、いくらでもいると思う。
 健康増進法の施行にもかかわらず、客商売の難しさで禁煙に踏み切れない店は多く、今も多数の寿司店は喫煙可なわけだが、自分のつくった料理をわざわざ不味くして食べている客を店主がどう見ているのか、それについて喫煙者は少しは想像力を働かせてみてはいかがなものか。ついでに、その煙に閉口しながら鮨を食べている他の客の思いについても。

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February 25, 2010

オリンピック雑感(3) トリプルアクセル

 オリンピック女子フィギュアは、キム・ヨナと浅田真央という二人の天才スケーターが対決した名勝負が演じられた。ジャンプの安定性、演技の構成力、曲の解釈等にてキム・ヨナに一日の長があり、勝負はキム・ヨナに軍配があがったが、たがいに己の精神力、体力の限りを尽くした対決は、今回のオリンピックの白眉といえるほど素晴らしいものであった。そして、キム・ヨナは歴代最高点の優勝、浅田真央は初めてトリプルアクセルを3回成功させたことにより、フィギュアの歴史に永遠に刻まれることになった。


 さてそのトリプルアクセルであるが、女子フィギュアのジャンプと言えば、私は(そして私の世代の多くはたぶんそう思っているであろうが)伊藤みどりのジャンプをどうしても最高のものと認識しており、今の選手の演技を観ると、なにかが違う、なにかがおかしいと常に思ってしまう。
 それほどまでに伊藤みどりのジャンプはすごかった。

 元祖天才スケート少女伊藤みどりは国内で無敵の時代が長く続いた。なにしろ他の選手とはレベルが違いすぎるので、国内のフィギュア大会では、伊藤みどりだけが別のことをやっているとずっと言われていたくらいだから。ジャンプの天才とも呼ばれた伊藤みどりのジャンプは、高さといい、回転の速さといい、跳躍の幅といい、傑出したものがあり、まさにflying womanであった。
 伊藤みどりのジャンプは国外でも無敵であり、国外の大会で伊藤みどりが滑るときなどは、他の選手が「みどりが飛ぶ。是非ともみなくては」と、わらわらと見物に出てきた。それくらい、他の一流選手からしても、伊藤みどりのジャンプは抜きんでたものだったのである。
 カルガリーオリンピックでは、伊藤みどりの3回転ジャンプを7回飛んだ演技は、観衆を熱狂させ、演技が終わったのち総立ちで拍手し彼女を讃えた。金メダルを取ったカタリナ・ビットは、自分の演技よりはるかに受けた伊藤みどりの演技を称し、「観客はゴム毬が跳ねるのを観に来ているのではない」と嫌味を言ったが、観客の反応が示した通り、観客はそんな演技をこそ支持し、そして感動したのであった。伊藤みどりはフィギュア界に革命を起こしたのである。

 伊藤みどりの頂点は、その1988年のカルガリーオリンピックから翌年の選手権にかけてであろうが、その時代の伊藤みどりの演技は、他と一線も二線も画した別格のものであった。他の選手のジャンプが高く飛んでくるくる回るものであったのに対し、伊藤みどりのジャンプはなんというか、竜巻がスケートリンクを駆け抜ける、そのようなものであった。並外れた筋力と、絶妙のバランス感覚を備えたものにのみ出来る、卓越した芸であった。
 あの伊藤みどりのジャンプを観て以来、あれに匹敵するものなど、私は20年以上たった今でも観たことはない。あれを、生の時代に観られたことは幸運なことであったとも思う。

 ただ、私が伊藤みどりのジャンプを褒めたところで、それは20年以上も昔の思い出であるから、記憶の薄れとともに美化された、虚の姿であろうかという意見もあるであろう。
 じつは私も少々そういう危惧を覚えた。
 しかし、今はYoutubeという便利なものがあり、伊藤みどりの全盛期の演技はネットを検索すればいくらでも映像として観ることができる。
 私もまた念のために、この記事を書くにあたって、伊藤みどりの演技をチェックしてみた。
 例えば、伊藤みどりのトリプルアクセルを集めた、以下のような映像がある。

 Midori Ito Triple Axel
 http://www.youtube.com/watch?v=RA9O8DRvgmU


 ここに記録された伊藤みどりのジャンプをみて、呆然とした。
 現在のフィギュア界はあらゆる技術が進歩したはずなのに、そのジャンプと比べても、高さ、幅、迫力、ダイナミズム、全てにおいて凌駕している。
 記憶の美化どころではない。現在と比べても、はるかに素晴らしいジャンプが、夢でも幻でもなく、20年以上も前に実在していたのだ。この映像を観て、改めて伊藤みどりのすごさを思い知った次第。

 ああいうジャンプを再現できるスケーターが現れ、それをいつの日か観てみたいものだ。

………………………………………

 他にも紹介
 伊藤みどり カリガリーオリンピックの演技
 http://www.youtube.com/watch?v=PmgW8UKxhg0&feature=related

 伊藤みどりが国際大会で初めてトリプルアクセルを決めたときの演技
 http://www.youtube.com/watch?v=kEqxigccU1s

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February 24, 2010

オリンピック雑感(2) 国母選手の服装騒動に思う

 今回のオリンピックでは国母選手の服装が大きな話題になったわけだが、あれほどの話題になるとは、世の中にはスキー場にでかけたことのない人が多いんだなあと私は思った。

 ここで簡単にスキー場の歴史を述べる。
 バブル時代はわが世の春を誇ったスキー場であるが、10年くらい前にスキーヤーがどんどん減って、あらゆるスキー場では閑古鳥が鳴き、存亡の危機に立たされた。それを救ったのがボーダー達であった。
 あらゆるスポーツは若い人がやらないと競技人口は減る一方なのだが、スキーはあの防寒防風ウェアが格好悪いと若い人に不評であり、敬遠されていた。しかし、スノーボードは、元々ファッション感覚に富んだサーファー達が始めた競技ゆえ、独特の文化を持つウェァを創設し、あれが格好いいということになり、若者たちがきそってスノーボードをやることになった。それでスキー場は息を吹き返した。

 そのスノーボードのファッションが、あのずれずれゆるゆるサイズの衣装である。スキー場でのフリースタイルのボーダー達って、国母選手のような格好でスキー場に現れるし、またああいう格好でボードを滑っている。
 あの格好は、スキー場に行ったことのある人なら、珍しくも、変にも何にも思わない格好なのである。

 国母選手としては、スノーボードの文化の流れで公式スーツを着崩して着たわけであり、本人としても非難される言われはないと思ったろうし、また非難されて心外だったのは間違いない。

 今回の服装騒動でもし国母選手が非難されることがあるとしたら、それは記者会見の際に、自分の服装の正当性をきちんと説明できなかったことであるが、スノーボード選手にそんな説明をする義理も義務もないであろう。

 世の中には、杓子定規に自分の規範が正しいと信じ、一般的なドレスコードを破ったことを、鬼の首をとったようにして非難しまくるという人種がけっこういるということはよく分かったが、人を非難する際には、いったんは引いてその自分の信じていた規範が本当に正しいのかどうかを調べて、それから非難をしよう。
 この騒動を他山の石として、私もそれを習慣づけたい。

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February 23, 2010

オリンピック雑感(1) スキージャンプ シモン・アマン賛

 オリンピックは超一流のアスリートたちがこの日のためにコンディションを整え、最高の技量を発揮する舞台である。世界各国から選ばれた彼らのレベルは紙一重の差しかなく、メダルの色は運も加味されて決まることになるのだが、まれには競技のなかに圧倒的な力を持つ者がいて、競技はその者の力を見せつけるだけの舞台になってしまうことがある。

 今回のオリンピックでその圧倒的な存在の一人が、ジャンプのシモン・アマンであった。


 スキーのジャンプという競技は、極めて特殊な競技である。
 スキーのジャンプは、なんとなく「飛ぶ」競技と誤解されているところがあるが、もちろん間違いである。坂を使って浮力を得るスポーツとして、ハンググライダーやパラグライダーがあり、あれらは坂を駆け下りて得た浮力を使って浮上して空を飛ぶわけで、たしかに「飛ぶ」スポーツであるが、スキーのジャンプはジャンプ台から踏み切った後、選手はまったく浮上していない。そこからはひたすら激しい速度で落下するのみなのであり、スキーのジャンプは何より「落下」のスポーツなのである。
 人間というものは、「速さ」や「高さ」には憧れがあり、それを追求する本能があるのはいいとして、「落下」に対してはそのような本能はなく、どころか恐怖を感じるのみなのであり、「落下」を究めるスポーツは、人間の本能に反している。
 それがゆえに、スキージャンプという競技は元は刑罰から始まった、という有名な説がある。「北欧のある国では、罪人を裁くためにスキー板を履かせて、ジャンプ台から落下させた。多くの者は着地に失敗し、死ぬか大怪我をするかであった。しかしなかには見事な着地をする者がいて、彼は罪を許された。そのうち見物人のなかから、あれはやって楽しそうだと思う者が現れ、彼らによってスキーのジャンプ競技が始められた」てな話であり、じつは私も以前は信じていたのであるが、完全なヨタ話である。しかしこんなヨタ話が広まったのは、ジャンプという競技が、恐怖を必然的に伴うものであり、一種のクレージーな競技といえるので、そんな競技は刑罰から始まったといえば、誰しも納得するゆえからであろう。

 まさにジャンプという競技のキモは、「恐怖の克服」にある。
 より長い距離を飛ぶということは、じつはより長い距離を落ちることを意味する。完璧な助走、完璧な踏み切り、完璧な飛行態勢は、より長い距離を落ちるための技術であり、もし着地に失敗すれば、その技術が完璧であればあるほど、ひどいダメージを受けることになる。

 シモン・アマンのジャンプは他のジャンパーのなかで明らかに一人だけ違うジャンプをしている。他のジャンパーは、空気に乗って、空気の抵抗を受けながら、ふんわりと着地をしようとしているのに(まあ、それが標準的なジャンプなのだが)、シモン・アマンはすごい速さでジャンプ台を発したのち、さらに加速を続けながら、スキー板と一体化して空気を切り裂いて進み、やがて雪面にぶつかるようにして着地する。(だから、着地が変だ)

 他のジャンパーがジャンプ台から放たれた紙飛行機のようなものなら、シモン・アマンはジャンプ台から発射された弾丸だ。
 これでは、シモン・アマンが圧勝するのは当たり前であろう。

 しかし、シモン・アマンの独自のジャンプスタイルは、先に述べた完璧な助走、完璧な踏み切り、完璧な飛行態勢に基づくのは明らかとして、それらにより人間離れした速度を得られるがゆえ、誰よりも失敗したときのダメージは大きくなることになる。一歩間違えば、死んでしまう世界だ。
 ジャンプするとき、そのダメージが脳裏に浮かばぬわけもなく、彼がいかにしてその恐怖を克服したのか、あるいは克服しているのか。シモン・アマンのジャンプの技術よりも、私はそのほうに深い興味をいだく。

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February 22, 2010

山旅人さんを悼む

 山情報をネットで探っていると、山旅人さんの訃報を知りたいへん驚く。

 山旅人さんは、10年以上も前からネットで九州の山の情報を発信していた人で、山情報のネット発信者として草分け的存在な人であり、有名な人であった。
 山の活字情報というものは以前は雑誌やガイド本で得るしかなかったのだが、それらの情報は登る人の多い日本アルプスや百名山関連のものが大半であり、九州のものは少なかった。
 それが山旅人さんのHPをみると、九州のいろいろな山の一般登山道のみならず、ヴァリエーションルートの記事も載っていて、それを写真とともに丁寧な解説入りで報告してくれていた。それらの多くの記事を読み、このルートは面白そうだと思ったら、私もそれを参考にして、プリントアウトした記事を持って山行したこともあり、愉しい思いをさせてもらった。そういう貴重なHPだったのである。

 私は山旅人さんとは山行での接点はないのだが、「祖母山ボランティア登山」なるイベントで何度かお会いしたことがある。祖母山は九合目に山小屋があって、建て替えした際に以前の小屋の廃材やゴミをそのままにしてひどい状態になっていた。これはいかんだろう、名峰祖母の環境をなんとかしようと、山旅人さんが音頭をとって、九州の各種の山岳会に連絡をして有志を集い、みなでゴミを集めて、そして夜に宴会を行い、翌日は登山道の整備を行いつつ、ゴミを担いで下山するという、イベントを定期的に行うことにした。
 私は山岳会とは関係なかったのだが、その頃はよく祖母山に登っていて、小屋の管理人の快人であり怪人でもあるKさんと、祖母山山稜周囲のあやしげな岩場のルートの開拓を行っていたこともあり、そのボランティアの話を聞いて幾度か参加させていただいた。

 そのときの山旅人さんの印象は、本当の「山登り人」だなあということである。山が好きで、知識をたくわえ、そして屈強な身体をつくり上げた、真に山を楽しむことのできる人であった。リーダーシップもしっかりした人であり、それはこの会を主催できたことや、それにHPでみる山行ツアーでもよく理解できる。

 転勤とかで祖母山が遠くなり、訪れることもなくなったのだが、年に一度のボランティアはまだ続けられていると聞いており、山旅人さんもそこで活発に指揮をとっているものと漠然と思っていた。
 それが今度の突然の訃報である。まだ61歳、早すぎる死であろう。健康そのものという当時の印象が強すぎて、あまりに意外に感じられた。


 山旅人さんのHPはまだ残っており、その素晴らしい内容から、これからも人々を山に誘い続けるにちがいない。
 ただし、今後そのHPに新しい登山ルートの紹介が綴られることはなく、そのことをさびしく思う。

………………………………………
山旅人さんのHP 自然派マガジン山旅人の雑記帳

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February 21, 2010

鮨@近松

 日曜の昼は近松で寿司を。
 突き出しは、のれそれ。つるつるコリコリした食感が愉しい。ポン酢ともよくあっている。
 ツマミはそれだけで、その後はずらりと寿司が出てくる。
 アオリイカは薄く削いでそれを重ねてふわふわした食感に仕立てている。アオリイカの甘さが薄く切ったことにより更に甘みを増している。サヨリは肉厚の歯応えのよいもの。これに山椒がうまく効いている。ヒラメは昆布〆にしてそれに縁側を乗せて複雑な食感を演出。虎フグは昆布〆にしてそれに余市のアンキモを乗せて。旨みが濃厚な鮨種を二層重ねるという大胆にして華やかな鮨。コハダは浅めに〆てコハダの味をよく演出。フグの白子は焼き立てのものをふわふわに握ったシャリに乗せて、まさに全体がとろける鮨。春子は薄昆布を巻いて、上方風の鮨。海老は殻を剥き立てのもので海老の味がより濃くなっている。マグロは壱岐のヨコワを軽めにヅケて。ヨコワの爽やかな食感と香り、それにヅケることにより増した旨みが楽しめる。タイラギは炙ったもので香りと食感が素晴らしい。ウニは軍艦巻き。穴子はいつものごとくとろけるような食感が見事。これに追加で干瓢巻きと、煮ダコを頼んだ。

 繊細さと大胆さを兼ね備えた見事な鮨ばかりであり、なんだかメニューを思い起こして書くだけで、また近松に行きたくなった。
 近松さんの鮨は、近年じつに独自のものになっており、一工夫も、二工夫も凝らした鮨が出てくる。これらの鮨は、一つの鮨で、和料理の一膳に匹敵するような広がりと複雑さがあり、とても完成度の高いものだ。しかも訪れるたびに、新たな工夫が付け加えられており、わくわくするような期待感も得られる。

 九州に近松あり。ここに来れば必ず満足する鮨を経験できる。

 …ところで、近松さんの昼ってみなさんあんまり酒を飲みませんなあ。美味い鮨を肴に、私らだけガンガン飲んでると、なんとかなく肩身の狭い気分になってしまうのは、いちおうまだ私に真っ当な社会人の感覚があるということか。

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February 20, 2010

2月のサーラ・カリーナ

 サーラ・カリーナでディナーを。
 前菜、パスタ3種、メインに肉料理というコースを組み立ててもらう。

【パスタ1】
1

 トマトに、春野菜を添えて。
 トマトのフレッシュな酸味がいいインパクトになっていて、イタリア料理におけるトマトの重要さがよく分かる。野菜はいずれも生き生きとした食感で、春を感じさせるもの。

【パスタ2】
2

 白アスパラのパスタは、まずアスパラの香りが素晴らしい。その香りのもと、アスパラの柔らかく、豊かな味が、パスタとからめて食べるとことによりさらに広がりを増す。

【パスタ3】
3

 鴨肉とアーティチョークのパスタ。
 こういう力強い味のものには、しっかりした手打ちパスタがよく合っており、確かなる食味が楽しめる。

【子鳩焼き】
Dove

 赤ワインに合わせて肉料理を頼む。
 茨城産の子鳩は、あっさりした味であるが、噛みしめるごとに、鳩独自の香りと旨みがしみだしてくる。ソースも繊細なもので、うまく鳩の味の魅力を生かしている。


 ひさしぶりのサーラ・カリーナであるが、相変わらずの高いレベルのイタリア料理を楽しめた。ミシュラン風にいえば「その店に行くためだけに旅行する価値がある」店であるのは間違いない。
 イタリア料理を真に楽しむこととは、福岡サーラ・カリーナの、今井シェフのアートと称すべき料理を食べることと同意味であろう、と私は思う。

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February 18, 2010

和食:無量塔の春

 九重登山を終えて、ワンパターンのごとく無量塔へと。
 本日宿泊した部屋は、「西の別荘」。一軒の古民家を東と西に分けた別荘のうちの一つ。

【西の別荘】
Room

 無量塔では「別荘」と名付けられた部屋は、無駄とまで言える広さが特徴なのだが、「西の別荘」は、主室はこのこじんまりとした部屋が一つのみという例外的なもの。ただし二階が広々と、また丈の高いつくりになっており、2つの寝台を置いた大きな寝室が二つある。寝室のほうが、主室より豪華であり、また特徴的という面白いつくり。
 オーナーは無量塔という宿をつくるとき、最初にできたこの二つの別荘に泊まり、延々と構想を練っていたそうだが、こういう妙な部屋にこもって立てた構想ゆえ、唯一無二のユニークな宿が出来上がったのであろうか。

 夕食は紫扉洞と名付けられた食事処にて。
 2月の料理は、「無量塔の春」と名付けられた早春をイメージしたもの。

【先付】
Rkyu

 地鶏とタラの芽を利休揚げにしたものをメインに、春の野菜を添えて。
 利休揚げのゴマの鮮烈な香りが印象的。ゴマが良すぎて、なんだかゴマ料理を食っている気分になってしまった。

【椀物】
Wann

 椀物はアワビと根菜の、のっぺ汁。
 出汁は田舎風であり、いかにも由布院の鄙びた感じがして、のどかな、春を告げる料理という感じがするところが面白い。

【八寸】
Hassunn

 八寸の造りは、関サバ。こういうプリプリモチモチ系のサバは、「鮨匠のむら」の屋久島首折サバにかなうものはないと思っていたが、それに匹敵する旨さ。さすが無量塔の関サバ。それに、芽キャベツ、蓮根揚げ、水仙大根、花トマト、水イカ、等々、色とりどりの肴が添えられ、色彩的にも美しい。

 美味い料理を肴に、酒を飲み、登山で疲れた身体を癒しつつ、無量塔の夜を楽しむ。
 そして、柔らかな湯質の温泉にたっぷりつかったのち、ぐっすり眠って、体力を回復させて翌朝をむかえる。

【由布岳】
Yuhu

 由布岳は海が近いために湿気の多い風が吹きつけるので、寒い時期には山頂付近は、霧氷で真っ白に染まり、登山道はその氷で満ちるのであるが、本日は寒さが足りないようで、霧氷はほとんどなし。
 昨日欲求不満気味の登山をした身としては、霧氷があれば由布岳に登ろうと思っていたが、残念ながらこれでは登る気が起きない。

 2月にしては、なんともしまらない週末の日々であった。

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February 13, 2010

寒いだけの大船山

 今年の冬はひさしぶりに寒波の襲来が続き、日本全国どこでも雪が降っているのだが、九州は2月に入り、その寒波がそれてしまい、ずっと春なみの暖かい日が続いている。
 本日雪山を目当てに久住山を登る予定を入れていたのだが、これはろくでもないことになってそうだ。
 とりあえず九重に行ってみる。

【牧の戸峠】
Makinoto

 標高1400mの牧の戸峠は、九州で最も雪の積もる峠であるが、見事なくらいに雪がない。12月末から1月にかけて九重の山は雪がどっさりと積もったはずだが、ここ2週間の暖かさのせいで雪は全て溶けてしまったみたいだ。これでは久住山に雪はまったく期待できない。
 しかし幸か不幸か本日は久々の寒波がやってきているので、冷たい風に吹きつけられて霧氷は育っている。霧氷なら楽しめそうだ。しかし久住山には樹は生えていないので霧氷はない。予定を変更して、霧氷目当てに大船山に登ることにする。

【坊がつる】
Bougaturu

 長者原から雨ヶ池経由でまずは坊がつるへと行く。予想はしていたが、坊がつるには全く雪はなく、枯れ草のみ広がる枯淡の風景。
 坊がつるから見上げる大船山は、稜線上に美しい霧氷が見える。

【稜線から見る大船山】
Oohune

 坊がつるに居たときには空は晴れていたが、登るにつれガスが湧いてきて視界が悪くなる。このガスは寒波のせいで非常に冷たく、稜線上は氷点下10度以下の世界。風が顔に当たると痛くなる。

【大船山山頂】
Sumitt

 大船山は標高1786m。この高さでも雪は残っておりません。
 大船山山頂に着くと、ちょうど東稜線から上がってきたばかりの人と会った。
 「どうでしたか」と私は尋ねる。
 「だめです。少しだけです」
 「2月というのに残念ですね」
 「ここでこれなら、あっちはもっとも駄目でしょう」
 「そりゃそうでしょう」
 と、九重の山のことを知っている者しか分からない会話を交わす。

 とりあえずその「少しだけ」の風景を見に、東稜線を降りてみる。

【大船御池】
Miike

 寒い日が続くと、大船山の山頂湖である御池は全面的に結氷して美しいのであるが、本日は5分の1くらいしか氷が張っていない、半端な姿。
 氷の端に足を乗せると、とても薄い氷であり、パリンと割れてしまった。
 これではスケートは無理です。まあ元々する気はないのだが。
 ちなみに久住中岳の下にも同じ名前の火口湖の「御池」があり、紛らわしい。そちらの御池はこっちの御池より標高が低いので、結氷した池を見たいときは大船山に登ったほうがよい。

 山頂に戻ると、先にもましてガスがどんどん湧いてきて視界がまったく効かず、なにがなんやら分からん状態になっていた。稜線をたどって北大船山に行く気も起きず、さっさと下山することにした。
 なにやら寒い目にあっただけの大船山登山であった。

【北千里ヶ浜】
Kitasennri

 北大船に寄らずに坊がつるにそのまま下ったので、だいぶ時間が余ってしまった。
 またも予定を変更し、法華院温泉経由で北千里ヶ浜に寄る。ここは山に囲まれた広い窪地なので、吹き溜まりの雪が残っているのではと淡い期待をしたのだが、着いてみれば霜柱だらけの凍った荒れ地であった。
 ここからすがもり峠を越えて、長者原へと下山。

 今年の冬は凍った大崩山、霧氷の大船山と、まったく雪のなかの登山を経験できていない。
 3月に寒波が来るのを期待して、リベンジの予定でも組んでみようかな。

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February 12, 2010

洋食:Brosよしむら@熊本市

 Brosよしむらは、30年近く前から熊本市で営業しているカウンター式の洋食店である。「chopped beef steak」と名付けられたハンバーグが名物であり、たいそう美味しいのであるが、フレンチ出身の店主のつくる料理は、ハンバーグ以外のものも勿論レベルが高く、素材の良さを生かした、繊細系の洋食が楽しめる。
 ディナーはハンバーグをメインとしたコース料理、それにアラカルトを加えて。その数点を。

【カニのパート包み】
Club

 カニをパートフィレで包み、からりと揚げたもの。
 カニの旨みが濃厚になっているのに加え、パリパリしたパートの食感と、カニのしっとりした食感がうまく合っている。

【グリーンアスパラのスープ】
Soup

 アスパラの豊かな香りがまずよろしい。
 味付けもアスパラの味をうまく広がらせ、アスパラの魅力をよく出している。

【フレッシュフォアグラのソテー】
Liver

 この店のフォアグラはフランス料理でよく出てくる濃厚系のフォアグラでなく、あっさりした、でも旨みは十分なフレッシュフォアグラ。これを控えめの味付けでソテーにして、柔らかでジューシー、そして香ばしい逸品となっている。
 ハンバーグと並ぶ看板料理。

【アワビのステーキ】
Abalon

 アワビのステーキは、素材もいいけど、オイルも大変よい。
 オイルとアワビがうまく調和して、たがいに味を高めあっている。これをパンにつけて食べるといくらでもワインが進む。

【チョップド ビーフ ステーキ】
Hamberger

 Brosよしむらの名物料理、チョップド ビーフ ステーキ。この店はいい牛肉を仕入れており、ステーキがメインで出るコースもあるのだが、やはりこちらを選びたい。
 牛肉を刻んで叩いて、それをつなぎ無しで形を整えて、ミディアムに焼かれて出される。少しばかり歯ごたえのある食感ののち、肉汁と旨みが溢れてくる、私たちが今まで食っていたハンバーグは何であったのだろうかと思うくらいに、新次元の食の愉しみを与えてくれる名品。

 どの料理のレベルも高く、洋食店としてのBrosよしむらの貴重さを改めて知った。

【Brosよしむら】
Brother

 ところで「Brosよしむら」という店名は、「よしむら兄弟」からきている。
 以前はオープンキッチンで弟さんが黙々と調理にいそしみ、お兄さんがワイン片手にほろ酔い加減で軽妙に給仕をするという、なかなかの絶妙なコンビで店をやっていたのであるが、今回はお兄さんの姿が見えない。代わりに弟さんお奥さんが給仕をされている。お兄さんは今日はどうされたのでしょうと尋ねたら、「残念ながら一昨年に亡くなりました」とのこと。ええ~と絶句してしまった。そういえばこの店に来たのもずいぶん久しぶりだもんなあ。

 店に置かれている二人の人形像は、この店の兄弟二人をモデルにしたもの。亡くなった今も、お兄さんは店の象徴として在り続けるのだろうが、やはり訃報を聞くと、しんみりしたものを感じざるを得なかった。

………………………………………
Brosよしむら 熊本市下通り 1-4-19
       TEL 096-322-7900

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February 11, 2010

読書:自省録 マルクス アウレリウス(著) 元祖Twitter

 鳩山首相までがやり始めたことで有名ともなった、Twitter。
 140字以内で、あれこれ考えたことを好きなときにつぶやいてwebに乗せるという、何の役に立つのか、あるいはどういう意味があるのか、いまだによくわからんwebサービスであるが、現在大流行である。

 私もだいたいはロム専でTwitterを利用させてもらっているが、世の中には、個性豊かなつぶやきがいくらでもTwitter上に流れていて、読んでいてたしかに面白い。
 その一日中流れ続けるつぶやきの数の多さからして、人というものは己の思考を、つぶやきたい存在であることが分かる。
 人間にとって、つぶやきとは自然な行為であり、今までは己の頭の中のみでつぶやかれていた思考が、それを世界に流すことのできるツールが登場したことによって、世界は一挙につぶやきで満ちることになったわけだ。

 ところで、ブログをしている人がブロガーというが、Twitterのユーザーは何というのだろう? そのままTwitterとしか言いようのない気もするので、つぶやき者をTwitterと名付けるとして、己のつぶやきを書きとどめ、やがてそれは世界中に発信されることになった元祖Twitterと言うべき人が1800年ほど前にローマ帝国にいたことを思い出した。
 もちろん皇帝マルクス・アウレリウスのことである。

 紀元2世紀の100年間に及ぶローマ帝国の円熟期を称して五賢帝時代とは言うが、この時代を治めた五人の皇帝のうち、本当の賢帝はハドリアヌス帝だけだと私などは思っている。
 トラヤヌス帝の無謀な領土拡大政策をうまく収集し、その後にローマ帝国に鉄壁の防衛線を築きあげ、ローマの平和と繁栄をもたらしたのがハドリアヌス帝であるが、彼の後継のアントニヌス・ピウス帝は怠慢としかいいようのない無策さでその防衛線を弱体化させていき、結果次の皇帝マルクス・アウレリウス帝は防衛線を突破して帝国に侵入してくる蛮族との戦いにその治世中明け暮れる羽目になる。

 マルクス・アウレリウスは幼少より有能であったため、ハドリアヌス帝から将来の皇帝と指名された。マルクスは、アントニヌス・ピウス帝の養子となり、高度な教育を与えられ、また帝王学を幼いときより学ばされ、将来の帝位に備えた。しかし、困ったことにアントニヌス・ピウス帝は軍事に全く興味もない人だったので、マルクスは軍事についてはまったくキャリアを積まないまま皇帝になってしまった。
 ローマ皇帝は政治家であるとともに軍人であることが求められる職業なのだが、そのような教育を受けたため、マルクスは軍事についての能力が低かった。
 マルクスの治世は、北方から次々にゲルマン人が領国内に侵略してくる時代であった。誠実なるマルクス帝は自ら前線に赴き、そこで戦役の指揮をとったのだが、マルクス帝の軍事能力から、有効な撃退はできず、防衛線を維持するのが精一杯であった。
 マルクスの自省録はこの困難な戦役、幕営地のなかで書きつづられた言葉である。
その何章かを引用してみる。

 ・善い人間の在り方がいかなるものかについて論ずるのはもういい加減に切り上げよう。それよりも善い人間になろうではないか。 (10巻16章)

 ・私はなにか社会に有益なことを行ったか? もしそうなら自分が利益を得たのである。この真理を常に手近なところにおき、けっして善への努力をやめるな。(11巻4章)

 ・有益なものは、そのために働かざるを得ない。有益というものはそうあるべきものなのだ。(4巻9章)

 自省録をただ読むだけでは、あまりに正論すぎて偽善的な言葉が並ぶ、ただの奇書のように思えるかもしれない。しかし自省録の真の価値は、善き人であること、倫理、論理を重んじることを誓った言葉、それを本当に実践したマルクス・アウレリウスという人間が現実に存在したことにある。それにより、同書は不滅の価値を持っている。

 「善人」というものがはたして存在するのかという問いには、マルクス・アウレリウスがいる、というのが答えの一つになる。「自省録」や同時代の歴史書を読む限り、マルクス帝が善人であることは疑う余地はない。
 マルクス帝は高度な教育を受け、スコラ哲学に傾倒し、自らを律し、理性的存在であることに努め、人を正しい道へ導く、このことを一生かけて実践した人であった。そういう人が皇帝になったため、彼は誠心誠意をこめて、ローマ帝国において善政を行った。ローマ帝国ではこのような政治家は稀であったが、他のいかなる国の政治史においても稀な存在である。

 ただし人間がマルクスの求めるように理性的で合理的な存在であれば、人々は調和と共栄を重んじ、世界は平和であり続けたはずだ。残念ながら、人間は必ずしも理性的ではなく、また合理的でもない。
 とりわけ、人間が生の姿でぶつかる戦争という場面では、人間とは強いものが勝ち、勝ったものが全てを持っていくという、獣でも知っているような、単純にして明快な真理のもとに、全ては敢行される。

 マルクス帝の治世のほとんどは戦役に明け暮れたわけであり、マルクス帝の晩年はゲルマン族の進行に対抗するために、美しきローマを遠く離れて、北方のドナウ川戦線に張り付いて、陣頭指揮を執っていた。
 理性と知性の人、マルクス帝にとって、戦争とは人間の行為のなかで最も忌むべきものであったろう。しかしマルクス帝の求めていた、スコラ哲学のもとで安定した社会などついには夢の夢であり、北の厳しい自然のなかで、押し寄せてくる蛮族の群れへの対応に、日々明け暮れる、それが現実であった。

 マルクス帝の眼前に広がる現実は、彼が幼き頃より教育を理想としていた世界とかけ離れており、「世界はかくあるべきなのに」、「世界はなぜこうなってしまうのか」、彼はそれをずっとローマ帝国の北の果ての地で思考せざるを得なかった。
 幕営地の皇帝用のテントで、マルクス帝はその孤独で真摯な思いを、聞く人もいないままつぶやき続けた。そのつぶやきを書き留めたものが、今に残る名著「自省録」である。

 マルクス帝が「自省録」でつぶやきを留め続けたとき、彼はもしかしたら将来の読者を想定していたかもしれないが、当時としては読者は彼一人で、そのつぶやきはとても孤独な作業であった。
 北の果ての地、蛮族が外で群れているなか、理性と知性を重んじながらも、忌むべき戦争の指揮をとらざるをえなかった、誠実なる皇帝の、絶望的なつぶやきは、今それを読む私たちの心をつらくさせるものがある。


 さて、ここで私は妄想する。
 マルクス・アウレリウス帝の時代にもしTwitterがあったら。
 当然マルクス帝はTwitterでつぶやき続けるであろう。マルクス帝のような当時の超有名人には当然フォロアーが山ほどつき、帝のつぶやきにはたくさんのレスポンスがつくに違いない。そして、苦悩と絶望の思いをつぶやき続ける帝に対し、多くの者は、励ましと、慰謝の言葉を返すであろう。
 それは、孤独な皇帝に対して、世の中捨てたものではないよとの思いを浮かばせるかもしれない。
 57歳の人生を、強い責任感と、高い理性心で送り、しかしその結果、厳しくも寂しい人生を送らねばならなかった高潔なる皇帝に、そのような温かな声をかけるツールがあったならば、などと、「自省録」を読んで、どうしても痛ましいものを感じざるをえない現在の読者としては思ってしまう。


………………………………………
自省録 マルクス・アウレリアヌス(著)

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February 10, 2010

遥かなるウィスラー

 今年の冬のオリンピックは、カナダのウィスラーをメイン会場として行われる。
 ウィスラー(+ブロッコム)は二つの大きな連山から成るスキーエリアであり、その規模の広さとコースの豊かさから、世界のスキーヤーの憧れの地となっていて、世界中のスキーヤーが集まるスキーの聖地とされている。

 不詳私もスキーヤーの末席の一員として、8年前にウィスラーに滞在したことがある。
 オリンピックイヤーを記念して、その時の思い出でもUPしてみる。

【ウィスラーのスキー場】
Mountain

 カナダの山はなにしろ規模が大きい。それを丸々スキー場にしているわけだから、広いのなんのって。
 ここから見える山々、すべてがスキーコースである。どこを滑ろうが自由だ。

 なお、カナダは自己責任の国なので、いかに危険そうなコースでも己の責任において滑ることが可能となる。一応難しさの目安として各コースの入り口には標識が付けられており、己の技量に適したコースを滑るようにアドバイスされている。
 最も難しいコースでは黒ダイヤが二つ付けられており、そのコースは、たいていは90度近い傾斜の、ほとんど「垂直の崖」と称すべきコースである。最初に見たときなど、私は立ち止まって見おろしながら、ほんとにこれはスキーコースなのだろうかと不審に思った。そのうち後ろから来た外人のあんちゃんが、お前が行かないのなら俺が先に行くとばかり、颯爽と崖に飛び出して、落ちるよりも早いスピードで滑走していったので、なるほどほんとにスキーコースだったんだなと納得した。過保護の日本のスキー場ではあり得ないコースがウィスラーにはいくらでもあり、これもウィスラーの魅力である。


【ウィスラーボウル Whistler Bowl】
Bowl

 ここがウィスラーの名物、山頂近くの広大なカール地形を生かした、ボウルと名付けられたスキーコース。雪質が良く、自在にコースをとれるために、立派なコブがいっぱい育っている。
 滑っていて楽しいコースだが、なにしろ人気のあるコースゆえ、人が多いこと。写真に写っている人の群れは全てリフト待ちの人である。私も結局1時間近く待たされることになった。これ、休日ではなくて、普通の日のこと。休日ならもっとすごい待ち時間になるんでしょうな。
 ウィスラースキー場は、全体的にいつでもどこでも人が多かった。

【ブロッコム氷河】
Ice_river

 ウィスラスキー場は、ウィスラー山とブロッコム山の二つの峰から成るコースであるが、ブロッコム山には氷河がある。
 氷河というのは、これこそそのまま天然のスキーコースなのであり、ここを滑ると大自然を滑走しているという気分にひたれる。なにしろ、氷河そのものだけあって、コースは雄大であるし、また滑走面は凹凸不整であり、雪質もどんどん変わるため、まさに自然を相手にした滑走を楽しめることになる。
 氷と雪の国カナダならではの、魅力あふれるコースである。

 ウィスラーのスキー場はあまりにコースが多すぎ、1週間程度の滞在ではとても全部は回れない。ただ面白いコースはだいたい山の上のほうに固まっているので、そこを中心に回れば十分にウィスラーの魅力を堪能できると思う。

【ウィスラー村 Whistler Village】
Village

 ウィスラー山の麓には、ウィスラーヴィレッジと名付けられた、リゾート村がある。山荘風な建物や、古式なホテルが立ち並ぶ、いかにも洒落たリゾート地らしいつくりだ。
 ウィスラーには長期滞在のスキー客が多いので、そういう人たちを対象とした貸し別荘も多くある。そこでは当然自炊であり、そのために食品の品ぞろえの多いスーパーが数軒あり、また大きな酒販売店もある。
 私も訪れたときは貸し別荘(コンドミニアム)を利用し、さんざん滑ったあとは、さんざん飲んで食った。

 日本のスキーリゾート地は、だいたいはプリンスが造っており、また利用者が国内客ばかりということもあり、どうしてもこじんまりとしている。
 ウィスラーに行って、スキー場の広さにはもちろん感心したが、それとともにこのウィスラーヴィレッジの広さと使いやすさ、そして心地よさにも感心した。


 今年のバンクーバーオリンピック、選手達の活躍とともに、かつて訪れたウィスラーの素晴らしい風景を眺めることができることも楽しみである。
 遥かなるウィスラーに、もうしばらくすればまた会える。

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February 07, 2010

登山:桑原山

 本日は午後が暇だったので、以前からの課題であった桑原山登山をすることにする。
 国道10号線で北の県境へ向かう。途中「道の駅北川はまゆ」で腹ごしらえをする。ここの名物は北川の特産品のシイタケを使ったシイタケカレー。

【シイタケカレー】
Curry_2

 シイタケの唐揚げが6片入っている。
 美味いというわけでもないが、不味いというわけでもない、中庸のカレー。登山前にはあんまりきついものを食べると、登山中に胃がもたれるので、これくらいの普通の味のものがよろしい。

【登山口】
Entrance_2

 県境の黒内から林道に入り、桑原山登山口への分岐点へ着。左手に見える細い林道を登りつめていったら登山道の入り口があるとのことである。
 こういう怪しい道は車で行く気はしないので、ここからは自転車で行くことにして、自転車を車から降ろす。
 林道は相当に荒れており路肩の崩れているところもある。四駆なら行けないことはないが、自転車のほうがストレスなく行けるので、自転車を使って正解であった。

【桑原山登山口】
Gate_2

 2.5kmほど進んだところに目的の登山口があったのだが、なんとネット柵で閉ざされている。
 立入り禁止との標識があるわけでもなく、ネットをくぐってこの登山口から登山道に入ればいいようにも思うが、地図から判断するに登山道は右手の植林地に入るはずなのに、その途中の部分がごっそりと崩壊している。おそらく土石流により登山道が山肌ごと流されてしまい、登山道が消滅したのであろう。
 これには参ったが、地図を見れば林道をさらに登って行けば、登山道のある尾根に突き当たっているので、そこらで登山道を探せば見つかるであろうと気を取り直し、さらに自転車を進める。

【鳥瞰図】
View_2

 林道を進んでいったところで稜線に出て見晴らしがよくなり、桑原山の登山道のだいたいの概要が分かる。
 登山道は正面の造成林を抜けていって、桑原山の尾根に入っているはずなので、林道を右方向に行って、林道がなくなったところでもさらに林間を右に歩いて行けば登山道に合流するはず。そういうプランで登山道を探すことにする。

【林道分岐点】
Way1_2

 林道は稜線上に続いているのだが、やがて二方向に分かれる。予定通り右方向へ進めるが、道はどんどん悪路になっていき、自転車の走行さえ困難になる。

【2番目の登山道入り口】
True_gate_2

 林道を進むと左手の崖が時々崩れていて路面は石ころだらけとなっておりこれ以上自転車で行くのはあきらめ、そこらで停車。しばらく歩いて行くうち林道の左手に案内標識らしきものが現れる。ここが桑原山登山口のようだが、…本当かいなと思ってしまう。

【登山道入り口】
True_gate2_2

 桑原山って一応登山本にも載っている、一般の登山者が訪れる山であり、登山道はそれなりに整備されているはずだ。しかしこの崖に刻まれた入り口はすごい。登り始めはほとんど崩壊しており、幅が30cmもない。荷物多い人とかバランスくずして落ちてしまいそうな、とんでもない道だ。
 標識がなければ絶対に登山道入り口とはだれも思わない道ですな。

 これは、この後面白い道が続くかも、などと余計な期待をする。

【矢立峠からの急登】
Slope_2

 杉林を進んでいくと、やがて矢立峠に着く。ここが桑原山の取りつき点であり、ここから桑原山に向けての急登が始まる。最初のほうは崖に近い角度の急坂であり、ぐんぐんと高度を稼ぐことができる。周囲はいつしか自然林だけになっており、植生が豊かだ。

【小ピーク】
Peek_2

 急坂は登るにつれだんだんと勾配が緩くなり、やがて1330mピークに到達。
 ここから桑原山山頂までの稜線歩きが、この山の登山のハイライト。日向灘、延岡市街などの眺めを楽しんだのち、道は西側に面するようになり、樹々の間より大崩山の岩峰群を望むことができる。

【林間から望む大崩山】
Ntokue

 大崩山を左手に見ながら、山道を登りつめれば山頂である。

【桑原山山頂】
Submitt_2

 桑原山山頂は標高1407m。ここからは日向灘、延岡市への眺めが素晴らしい。
 少しばかり西に離れたところには祠が祭ってある。半ば崩れており、風雪に耐えた年月が感じさせられる。
 西にはまだ登山道があり、地図からは木山内岳に続いているようだが、今回はそこに寄る時間がなく、元来たコースをたどって下山した。


 桑原山、山の形からは気楽に登れる山と思っていたが、坂がきつくて結構ハードな山であった。大崩山系の山は、いずれも手強いことを改めて認識した。

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February 06, 2010

サイクリング:高平山(延岡市)

 延岡市を眺めることができる山としては愛宕山が有名であるが、個人的には高平山から見る延岡の風景のほうが、山々と川に取り囲まれた市街地の全体像が一望できることから、こちらのほうが見応えがあると思っている。

 本日は好天なので、その延岡市の風景を目的に高平山に行くことにした。

【高平山への入口】
1

 延岡から県道207号線を祝子に向けて行き、佐藤商店の交差点を左折する。しばらくしての最初の三叉路を左に曲がれば高平山へ向かうことになるが、この三叉路には何の標識もないので注意が必要。真っすぐ行くと行縢山の登山口に着いてしまいます。
 この道を数分ほど走ると犬を放し飼いにしている家があり、自転車で行くと必ず追いかけられる。歩いている人には何のリアクションも示さないので、よほど自転車の好きな犬なのか、あるいは嫌いな犬なのか。

 やがて道は坂になり、ヒルクライムの始まり。

【林道終点】
7

 この山道には行縢山方向から延びている小峰林道が交わっており、その林道の終点となっている。帰りにはこちらを使うことにする。

【山道からの眺め】
2

 山道からは行縢山が木の合間から眺めることができる。
 傾斜はだいたい10%以下であり、それほどきついコースではない。

【舗装路終点】
3

 舗装路を登りつめると、小さな広場があり、車で来たなら駐車できるスペースがある。ここから先は未舗装の林道となっている。四駆なら行けないことはないだろうが、轍がけっこう非対称になっており車輪をとられる危険もあるであろうから、歩いていくのが無難でしょうな。

【公衆便所案内板】
5

 やがて道はこの案内板に突き当たる。
 この案内板は一種の不思議物件である。普通はここにあるのは山頂への案内図であるべきなのだが、山頂は絵に載ってはいるものの、名称は堂々と「公衆便所案内板」であり、またトイレの絵のほうがよりでかい。
 それでは、この案内板がトイレを本当に案内しているかといえば、左に進んだところでそんな建物はなく、草を刈りこんだ広々として広場があるのみである。もしかして、そこが青空トイレ? などとも思ってしまう。広場をよくよく観察すると、ず~と下の方に向けて細々とした道がつけられているので、その終点にトイレがあるんだろうけど、…誰が使うんだろう。

【延岡展望】
4

 とりあえず案内板でトイレがあると示されている方向にいけば、ここは素晴らしい展望所。
 五ヶ瀬川と愛宕山に挟まれて、ランドマークの旭化成の煙突を突き立てた延岡市の市街地が、広々とした光景となって一望できる。東には日向灘が輝いている。

【高平山山頂】
6_2

 高平山山頂は標高407m。山頂は樹が茂っており、展望はあまりよくない。
 御影石の方位盤が置かれていて、周りに石の椅子が並べられており、休憩するにはいいところであろう。

【小峰林道の峠】
8

 元来た道を引き返し、林道分岐点で今度は林道を走ることにする。ここからはずっと登りであり、峠はこのように道が二方向に分かれている。右へ行くとやがて道は未舗装の悪路となり、行縢山へと出る。この道は自転車で行くならマウンテンバイクでないと無理。まっすぐ行けば広域農道に突き当たる。この広域農道は右に行っても左に行っても国道218号線に最終的には合流する。この農道はじつによく整備された道ではある。…農道の方が国道よりも立派な道路なのはいつものことであるが、なにか納得いかないものも感じるなあ。


 本日の走行距離:31.5km

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February 02, 2010

土産:恵方巻き

 寒いので熱燗でも飲みながら「やぐら寿司」で鮨をつまんでいると、ツケ場のなかで何やら太巻きを何本も巻きだした。
 ああ、そういえば明日は節分だ、気の早い人が前日なのに恵方巻きを頼んでいるんだなと思いつく。
 しかし明日が節分とはいえ、今は10時半。あと1時間半もすれば節分なので、今頼むのはべつにおかしくもないとも思った。

 当方、九州人ゆえ恵方巻きには何の縁もなく、興味もないが、恵方巻きはいつしか全国的風習になっているので、季節の風物詩の土産としては、いいものであろう。
 私は酒が入ると土産を持ち帰りたくなる人間なので、店主らが懸命にこしらえている恵方巻きを、私の分も頼む。

 恵方巻きは一本丸ごと食うのが通の技というが、一般人には無理に決まっているので、一本を3つに切ってもらって二本を土産にする。

【恵方巻き@やぐら寿司】
Ehomaki

 なかなかに迫力のある恵方巻きである。
 職場に土産に持って帰り、礼を言われるが、「どちらを向いて食ったらいいのでしょう」と聞かれて、困った。
 恵方だよ、と答えればいいのだろうけど、恵方の方角って確か毎年向きが変わるんだよなあ。そんなもん、知るわけない。しかたなしに、ここは関西じゃないので、向きは気にしなくてよいよと、適当なことを言ってお茶をにごす。

 あとでネットで調べると、今年の恵方の向きは、西南西であることが判明。しかし判明したからといって、わざわざ電話で知らせるようなことではないので、そのままにしておいた。
 さて、彼らはどこを向いて、あるいはどこも向かずに食べたのであろうか。

 とりあえず、恵方巻きをお土産に持って帰る場合、恵方の向きも知っていたほうが親切であることを、今回の教訓としてこの記事を終えよう。

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