私の好きな絵(2):街の神秘と憂愁 (作)デ・キリコ
とある街の夕暮れの情景を描いた絵。
夕日に大地は黄色く染まり、夕暮れの日に影が長く延びた建物が並ぶなか、輪回しをして少女が遊んでいる。
この絵は、「既視感」を感じることで有名な絵である。
左右の建物の遠近法は交わることがない、この世に存在するはずもない光景なのに、なぜかこの絵はいつか見たことがあるという感想を誰しも持ってしまう。
この「既視感」が生じる理由として、この絵は我々が全般的に持っている、一度は見た、あるいは一度は見るであろうという光景を、絵画的な表現法で示し得たものであることが考えられる。
しかし「共同的な既視感」といっても、我々は住むところの時も環境もそれぞれ違うのであり、みなが共通して見るはずのものなど、そうはない。というより、もしあるとしたら、我々が共通して持っているはずの記憶とはただ一つしかなく、それは「死」の記憶しかない。
死は未来にあるものなので、その記憶というのも変な話だが、たぶん私たちの遺伝子のなかには、今までずっと受け継がれてきた死は、記憶として刻まれている。
我々は誰しも必ず死ぬのであり、死は誰にでも平等に訪れる。そして死ぬときに、その目の前に広がる光景は、死と同様に共通していてもおかしくない。そして、その光景は、おそらくはこの絵に似ているのではないだろうか? だからこそ、人々はこの奇妙な絵に、ひきつけられる、既視感を得るのではないだろうか。
そうやってこの絵を見直すと、絵には死を示すものばかりが置かれていることが分かる。左手の回廊を持つ建物は霊廟のようでもあり、右手の扉の開いた荷車は霊柩車のようにもみえる。遠くにへんぽんと翻る旗は弔旗のようにも見え、長く影を曳く彫像は墓碑にも見える。
すべてが死の匂いを濃厚に漂わせている。
この絵の中で、生を示しているものは、輪回しをしている少女のみである。
この絵は「既視感」とともに、「不安感」を感じることでも有名だ。
この絵で感じる漠然とした不安感。
それは絵に描かれた不思議なモニュメント群や、あるいは遠近法が狂っている非現実的な構図から来ているのではない。
その不安はひとえに輪回しをする少女から発散されている。
輪回しで遊ぶ少女は、絵のなかで唯一、生の象徴として存在している。
「遊んでいる」と書いたが、輪回し自体は遊戯なのに、それを行っている少女はまったく楽しそうにはみえない。彼女にとって輪回しは、強いられた行為のようであり、宿命のようにも思える。
少女の行っている行為、輪回しが絵の中でなにを示すかといえば、絵全体を覆っているモチーフが「死」である以上、それは「生」になる。
そして「生」が、そのままの形で示された場合、いかにそれが不安をもたらすかについて示してみる。
ここで、けっこう顰蹙モノの行為であるが、元絵をペイントでいじって、モニュメント群を取り払い、輪回しをする少女だけにしてみよう。
夕暮れの空と、夕日に照らされ黄色く染まる大地だけの、広々とした世界のなかで、一人輪回しをする少女の絵。
ここでは輪回しは、茫々と果てしなく広がる非情の大地で、永劫に続く責苦のようにも見える。その終了点もあろうはずもない行為を行う少女の姿に、我々は耐えがたい不安と寂寥感を感じざるを得ない。
そして普通に考えれば、少女の輪回しは、我々の人生そのものの象徴であることは自明であり、「人生」が生々しく絵に描かれた姿に、我々は不安と寂寥感を覚えるわけである。
そこで、元の絵を再掲する。
そうすると奇妙に思われていたモニュメントたちは、きちんと意味があることが分かる。
左右に置かれた建物は極端な遠近法を用いて少女の行くべき方向を示しているし、彼方にある旗や、彫像の影は行くべき目標とも見える。
これらがあるおかげで、少女の輪回しは、行くべき道を得ることができ、そのことが絵全体に不思議な安堵感を与えている。その行くべき道は、もちろん「死」へ進んでいるのであるが、先の少女のみの絵と比べると、いかに「死」の世界が不安を脱した、安定感のある世界であることが分かる。
「街の神秘と憂愁」は、いつか私たちが必ず見ることになる死の世界について、その秘密の一角を明かした、題名通りの神秘的な絵であろう。
優れた画家とは、我々が知ることはない、天が握っているたくさんの秘密のうちのいくつかを、絵にすることのできる才能を持っている存在なのである。
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