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January 22, 2010

正義の味方は社会を滅ぼす 

 現在日本では出産を扱う医療機関の数が減ってきており、妊婦はいざ妊娠が分かったときに、出産機関を予約しようとしてもすでに枠が埋まっており、出産施設を探すのに四苦八苦するという事態が日常化している。関係機関も、産科医療に対して補助金を出すなど、出産可の施設を増やそうと努力はしているものの、それらは減る一方であって、この傾向は改善することはない。産科という領域は遠からず日本では消滅することがほぼ確実とされている。
 産科医の減少、産科施設の減少は、だいぶ以前から起きていたのだが、その減少が一挙に増えたのにはある事件が契機となっており、その事件を分水嶺として産科医療は絶滅の道へまっしぐらに進むことになった。
 今回は、その事件「福島県大野町立病院産科医師逮捕事件」について書いてみる。

 平成18年2月18日、福島県の大野町立病院に勤めていた産科医が突如逮捕された。容疑は無理な治療を行った結果、担当患者を死に至らしめた、業務上過失致死である。
 事故の概要を述べると、被告人医師は妊婦に対し帝王切開を行っていたところ、胎盤が子宮に癒着している「癒着胎盤」であることが分かった。子宮は胎盤を外さないと出血が止まらない。医師は輸血を十分に用意し胎盤の剥離を試みるも出血がコントロールできず、結局子宮を摘出した。患者は手術中に致命的な不整脈を起こし死亡した。
 検察は、癒着胎盤に対して剥離を行ったのは医療常識に反し、誤った医療行為を行ったことにより患者を死なしめたと、医師を告発した。

 私は産科医ではないので、癒着胎盤も、その治療法も詳しいことは知らないが、専門家によれば、被告医師の行った医療行為は最善を尽くしたといってよい極めてまともなものであり、何ら問題のあることではなかったそうだ。
 それなのに検察が告発した理由とは、つまり「患者が死んだ以上、医師の手技に何らかの問題があったに決まっている。これを見逃すのは、社会正義に反する」とのことだった。
 そして専門家が何も問題ないと考えているのに、検察が問題ありと告発するからには、検察には何か他に重大な証拠を持っているのではと思われた。

 被告医師の取り調べの状況については、けっこう詳しい報道がなされたのだが、まず被告医師は、検察側から「子宮から胎盤の癒着を剥離するのに、クーパー(剪刀)を使うとは何事だ。それは殺人行為に等しい」と責められた。
 これを知って、医療者は愕然とした。

【クーパー(剪刀)】
Cooper

 クーパーは見ての通りハサミの格好をしており、じっさいに糸や組織を切るのにも使うが、その一番活躍する機能は「剥離」である。クーパーは外科系の医師にとって、何よりも剥離の道具であり、剥離にクーパーを使ったことが逮捕の理由になるのでは、外科系医師はみんな逮捕されてしまう。
 医療のいの字も知らない素人により、医療の専門家が、逮捕、起訴されたことが明らかとなり、医療業界に衝撃が走った。
 医師が逮捕された原因となった癒着胎盤という病気自体が、死亡率の高い病気なのであるが、産科手術には他にも死亡の確率が高い病気、手術術式はいくらでもある。手術を行い、運悪く死亡となったところで、それをド素人に告発され、逮捕されてはたまったものではない。産科医療業界はやむなく防衛に走った。まずは開業医レベルでは少しでも危険が予想されるお産は一切扱わなくなった。わずかでも異常を認めた患者は基幹病院にすぐ送るようになった。基幹病院はマンパワーが必要となり、今まで地方医療を支えてきた産科医一人が産科業務を行う一人医長の病院は存在できなくなり、その形態の産科は日本全国から姿を消し、産科施設は数を減らしていった。今にいたる「出産難民」時代の幕開けである。

 産科医療業界は防衛に走るのみならず、この理不尽な検挙を行った検察への抗議を開始した。それが、「検察庁の役人の関係者のお産はいっさい扱わない」というふうな、いかにも専門家的攻撃なら面白かっただろうにとか私などは思うのであるが、彼らは紳士だったからそのようなことはつゆも考えず、「産科医が全体一丸となって被告人を守る」「産科医学会から検察に正式な抗議文書を出す」というふうな、きわめて真っ当な方法で検察に対抗した。
 マスコミに言わせれば、これも「検察への圧力」とかになるのだろうけど。

 これには検察も困った。
 被告人医師が誤った医療を行ったと検察が主張するからには、それを支えるために産科専門医からも同様の証言がないと、ただの素人の妄言であり、なんの証拠にもならない。
 そして普通には、「俺ならこうやれば助けられた。被告人医師は検察の言う通り間違っていた」というふうなことを言う、後ろから鉄砲を打つような「専門家」は探せば必ず一人くらいはいるのだが、今回ばかりは産科医療界全体が一致団結して被告人医師を擁護すると決めているのだから、探しようがない。仕方がないので検察は畑違いの婦人科医師をひっぱり出してきて、「癒着胎盤の症例はただちに子宮摘出すべし。被告人医師の手術は誤りであった」と証言させたが、その医師は出産の専門家ではなく、また癒着胎盤の手術も行ったことがないことから、何の証拠力もないと裁判官に喝破され、いらぬ恥をかいただけで終わってしまった。新潟大学産婦人科の教授様ともあろう人が、経歴を汚すに決まっていることをなぜ行ったのか、いまだに謎とされている。

 かえって被告人医師の無謬を訴える弁護側証人は、言っては悪いがたかが東北の田舎町の刑事事件にしては、不相応と思えるくらいのその業界の権威といえる大物が続々と登場した。被告人医師は雲の上の人たちの登場に恐縮したらしいのだが、「これはもはや君一個人の事件ではない。産科医療界全体の事件なのだ」と言われた。

 検察対産科医療界全体の戦いは、検察の「癒着胎盤に対してはただちに子宮摘出するのが標準治療だ」という主張が、裁判官に何の根拠もない妄論だと判断され、被告人医師は無罪となり、検察も上告を断念、産科医療界の全面勝利に終わった。

 しかしこの事件は日本産科医療界に取り返しのつかない深い傷を与えた。
 この事件以後、手術は逮捕の危険があるリスキーな行為ということが周知され、お産を扱うことは冒険家に等しい危険な職業と認識されるようになった。そのため、産科医、産科施設は右肩下がりに減り続け、その結果が今の出産難民続出の産科医療崩壊である。

 このような甚大な被害を社会と国民に与えた検察であるが、彼らはなんの責任もとっていない。この事件で陣頭指揮をとった片岡康夫氏という検事は、結果責任をくらうこともなく、今は千葉県で交通部長として職に従事している。

 さて、この事件で検察は何をしたかったといえば、正義の心から「医療を良くしたかった」のである。
 10年ほど前に医療事故が連続してマスコミを賑わせたことがあり、国民は医療界に不信感をいだき、それが国民の声となり、医療を改善させねばとの声が全国的にあがった。検察はその声に押され、「医療事故は医師に問題がある」との信念のもと、本来は刑事事件としにくい案件であるはずの医療事故を次々に摘発し、医師を起訴していって、有罪を勝ち取っていった。
 その流れのなかにこの福島事件は現れた。そして、それはお誂えむきに産科領域の事件であった。産科医療は安全性が高まったとはいえ、いまだに母体が出産の時に命をなくす事故はなくならない。出産時の母の死亡は、年齢も若く、また子供出産という喜びの時期なだけに、たいへん悲惨な出来事ではある。
 これを少しでもなくしたいと正義の味方は考えていた。母体が亡くなるのは何が悪いのか、それは産科医の能力が低かったせいだ。能力の低い産科医を我々が摘発し、犯罪者にしてしまえば、それに恐れをなした能力の低い産科医たちは自省し、猛勉強をして、レベルをあげるであろう。その結果お産で亡くなる母親は減り、世の中は良くなる。これぞ一罰百戒というやつだ。そういう思考で、彼らはこれこそ産科医療を良くするための象徴的事件だと、福島で誠実な産科医療を行っていた一産科医師を逮捕起訴した。
 しかしその思考は前提が誤っているのであり、能力が低かろうが高かろうが、産科医療というものが生死を扱っている以上、母体の死は一定の確率で遭遇してしまう。それをいちいち起訴されたのでは産科医療が成り立たない。それでも起訴するというなら、お産は扱えなくなるし、また産科医になる者もいなくなる。実際産科医、医学生はそう考え、こうして産科医療は崩壊した。これぞ一罰百戒ならぬ、一罰百壊というやつである。

 ただし、「医療事故は医師に問題がある」との検察の信念は一面的には正しかったのかもしれない。検察の攻撃に恐れをなした医師達は次々に生命に関わる職場から離れ、それにより医師のいない地域が増え、そこでは当然医療事故は起こらなくなったからだ。ただしその土地を「医療事故のないパラダイス」と呼ぶのは、疑問の余地なしとはいえない。


 正義とは、本来は悪いものではない。正義は宗教と同様に個人の裡にとどまっているうちは、かえってよいものなのである。正義感あふれる人、宗教心篤い人とかは個人的には尊敬に値する人が多いであろう。しかし、正義と宗教には本質的に重大な欠陥がある。それは正義と宗教は、個人の数だけ種類があるのに、なぜかそれが一つしかないと思い込む人や組織が必ず現れ、そうなると「それを他にも広めたくなる」という運動が起きてしまうことだ。この性質により正義と宗教は社会にとって迷惑極まりない存在にすぐに化けてしまう。私が思うに、世界を混乱させ疲弊させる原因は正義と宗教がその多くを担っている。

 ある宗教心篤い人が布教を思い立ったとして、その宗教が世の人に受けいれられずに布教に失敗したとする。その時その人はどう考えるであろうか。彼は自分の宗教が間違っていたとは絶対に考えない。布教に失敗したのは、布教のやり方が悪かったと思い、布教の方法を変えるのみであろう。
 今回の福島事件でも検察はその「正義」が間違っていたとは考えていない。正義は間違っていないのに、なぜそれが受け入れられずに起訴は退けられたのか? それは方法が稚拙であったからであろう。次回はもう少し用意周到な方法を用いて、裁判官も納得させて、医療側に罪を科してやる。そうしなければ、自浄能力を持たぬ医療界はいつまでたっても良くならない。起訴のネタはいくらでもあることだし、そういう思いで検察側は虎視眈々と、次のターゲットを探していることであろう。

 このような検察に睨まれていることを分かっていて、人の生死を扱う外科系の医師になろうと思う者などいようはずがない。もしいるなら、己のリスクマネージメント能力に致命的な欠陥があると判断されざるをえない。


 このブログの記事を読んで、産科医療が崩壊しようが、妊婦なんてほんの一部の存在、我々には関係ないと思う人がいるかもしれない。
 しかし、この事件のとばっちりを一番食ったのは、じつは産科医療界でなく、外科医療界なのである。産科の手術に比べれば、外科の手術はさらに危険度が高く、特に緊急手術では術死率50%なんて手術はざらにある。そういう生死ギリギリのところで仕事を行っているのに、患者が死亡すれば逮捕ということになれば、外科という職業が成りたたなくなる。
 じっさいにそう思う外科医、あるいは学生が多かったらしく、今の日本は産科・小児科の医師減少が社会問題になっているけど、じつは一番医者の数が減っているのは外科なのである。福島事件では危機感を覚えた外科学会も産科学会に連動して、抗議の正式な声明を出したが、その危機感通り、外科医師はどんどん減り、近頃の外科系の学会では最初に出てくる重大な演題は新しい治療法と手術手技とかではなく、「いかにして外科の消滅を防ぐか」というふうなものばかりである。
 とりあえず、今のままではあと10年後には外科という職業は消滅しているそうだ。

 外科というものは癌が本業であり、日本では消化管の癌は内科は扱っていないので、そうなるとあと10年すれば、我々が胃癌や大腸癌になったところで、治療する者は誰もいなくなってしまう。とんだ正義の味方の御尽力のおかげで、我々はそういう悲惨な時代を迎えるわけになるのだ。

 検察のもたらした災厄のなんと大きことかな。
 これも検察の誤った正義感のなした故である。

 正義の味方は社会を滅ぼす。

 我々は正義の味方に対し、なにもよりも猜疑心と、探求心をもって接するべきである。そうでなければ、いつかは我が身も滅ぼされてしまうであろう。


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福島県大野町立病院産科医師逮捕事件についての参考webURL

ウィキペディア 
福島大野事件 公判記事
新小児科のつぶやき
ある産婦人科のひとりごと
医療事件を注視しる 福島大野事件

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Comments

何とも殺伐とした世の中にしたのは、実は法を恣意的に適用し
取り締まってきた警察・検察です。

篠山紀信氏が書類送検された一件も、彼らの一罰百戒の悪例で、
彼らにすれば胸のすく行為なんでしょう。

Posted by: 輝ける黄昏を目指して | January 28, 2010 03:31 PM

彼らも社会を悪くしようとは毛頭考えていないとは思いますが、妙なやる気を出したとき、たいていは社会を壊してしまうのは、歴史の教える事実です。

そういう妙なやる気を出させない方法って、ないものなんでしょうかねえ。

…「権力」というものが、そういう「妙なやる気」を出させる魔力を持っているから仕方ないのでしょうか。

Posted by: 管理人 | January 28, 2010 08:35 PM

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