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January 2010の記事

January 31, 2010

北森鴻氏を悼む

 新聞に北森鴻氏の訃報が載っていて、たいへん驚く。
 亡くなったのが48歳ということで、これは書き盛りの作家としては早すぎる死であろう。

 北森鴻氏のミステリは、面白いのは当たり前として、一番の特徴は文章が美しいことであった。
 ミステリ作家というものはいったい、内容の面白さを追求するあまり、文章に対してはあまり力を入れない傾向があり、文章の達人というのは少数派である。まあ、ミステリを読むとき、「面白いが文章が下手なミステリ」と、「文章は上手いが面白くないミステリ」のどちらかを選ぶかといえば、前者に決まっているわけで、ミステリ作家に文章力を求めるのは筋違いなのかもしれないが、北森鴻氏のミステリを読めば、「面白いし文章も上手なミステリ」がやはり読んでいて充実した読書の時間を得られることが分かる。

 北森鴻氏の作品は蓮丈那智もの、冬狐堂もの、香采里屋もの等、シリーズものが多く、それらはキャラも立っていて、読み終わるとすぐに次のシリーズのものが読みたくなる、魅力に富んだものであった。
 私にとって、北森鴻氏は新刊の刊行を楽しみながら待ちわびる作家であった。


 ところで愛読していた作家が亡くなったことは今までいくらでもあった。ただし、それらは現役で活動していたとしても、活動のピークはすでに終わっている人たちばかりであり、新刊を待ちわびるということもなかったので、その死を知っても、哀悼の念は持つものの、来るべきときが来たという印象を受けることが多かった。

 しかし、北森鴻氏は活動のピークで亡くなってしまったわけで、同時代に生きて、次の書物を楽しみにしていた身としては、大変にこたえるものであった。
 これは私の読書人生初めての経験である。


 ただ、48歳での死亡は早すぎるとはいえ、とんでもなく意外というものでもない。40過ぎになって、似たような年齢で亡くなる人はちらほら私の周りにも出てきた。
 つまり私も、同世代を生きている人の死に向き合わないといけない歳になったわけであり、北森鴻氏の死去も、その経験せざるを得ないイベントの一つなのであろう。
 歳をとるというのはそういうことであり、これは歳をとってみないと実感できないことであり、そうしてこれからもいろいろなことを実感していくのであろう。

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January 29, 2010

光洋、鰤、フィアット500

 宮崎市に用事があって出たついでに、光洋に寄って鮨を食うことにする。
 金曜日の夜であり、さすがにカウンターは大賑わいであった。
 肴は、海鼠、蒸し鮑、鮑の肝、コノワタ、切り身、牡蠣オイル漬けなど。それから鮨に。

【熟成した鰤】
Yellowtail1

 本日の店主の自慢の肴は、10日寝かせて熟成させた鰤。普通に考えると、こういう青魚を寝かせると、独特のにおいが強くなり下品な味になりそうな気はするが、なんのなんの、熟成により鰤の旨さが純化され、これぞ鰤そのものというべき味になっている。これは美味い。


【鰤の鮨】
Yelllowtail

 光洋ではまたシャリを変えており、米の食感を高めたものに。米の一粒一粒がくっきりと口の中で姿を表すもので、シャリがより個性を強めている。
 こういうシャリには、熟成させることにより旨みを高めた鮨ダネがよくあっている。先の熟成鰤を握ったものは、口に入れるとシャリと鮨ダネがいい感じで調和しており、たしかに逸品。他の鮨もなかなか良かったが、この鰤は光洋の名物としてよいくらいのものであった。

【チラシ寿司】
Chirasi

 土産はいつものチラシ寿司。
 今回は作成中のものを撮影。

【フィアット500】
Fiat

 私が最後の客だったので、駅まで車で送ってくれることに。
 今度の車はすごいですよとの言葉通りに、現れたのはフィアット500、しかもイエローカラー。
 私の世代では「ルパンの乗っていた車」とすぐピンと来るのだが、この車のオーナーの三男氏はそういう世代でもあるまいし、今はこういうレトロな車が流行っているんかいなと思いもしたが、やはりカリオストロの城に影響されて購入したとのこと。
 名作アニメは世代を越えて、受け継がれていくんだなあ。…30年くらい前のアニメなのではあるが。
 カリオストロの城に影響されたのなら、ついでにスーパーチャージャーをつけてパワーアップしたらと私はアドバイスをする。いや、マジな話、さすがに20馬力じゃ今の日本の交通事情では走っていてつらいに決まっているし。ただ、パワーアップしたらシャーシが持たないか。

 それにしても、昔はこういうヨーロッパの小型車は粋なスタイルのものが多かったなあ。20年ほど前に初めてヨーロッパに行ったとき、日本ではよほどの趣味人しか乗らなかったフィアット500や、ルノー5や、シトロエン2CVがうじゃうじゃ走っていることに感心したことがある。
 今はどのメーカーも、機能とコストと安全重視で、どれも似たような車ばかりつくっている。世の流れとはいえ、すこしかなしきかな。

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January 26, 2010

小野二郎 「プロフェッショナル仕事の流儀」

 NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で日本で最高の鮨職人と称される小野二郎氏を扱ったものが放送されていたので観てみた。
 次郎氏の鮨ダネに対する仕込みのやりかたやそのレベルへのこだわり、シャリの握り方の工夫などが映像でうまく示されており、いい内容のものだったと思う。
 番組はミシュランで三つ星をとったときに作成されたものの再放送らしく、平成19年に82歳で鮨を握られていた小野二郎氏は、2年たった今でも元気に現役を続けておられるそうだ。

 私も一度「すきやばし次郎」を訪れたことがある。その時の印象は鮮烈であり、その思い出でも書いてみる。

 すきやばし次郎は銀座の年季の入ったビルの地階にあり、予約の時間ちょうどに店の戸を開けた。
 ヅケ場のなかには小柄な老人が椅子に座っており、ああこの人がかの有名な小野二郎氏なのだなあ、と鮨マニアとして感慨にふける。
 最初の応対は息子さんの禎一氏がされ、飲み物と苦手のものを聞かれる。ビールを頼み、苦手のものはないことを告げると、禎一氏は後の親父を振りかえる。そうすると、二郎氏はゆっくりと立ち上がり、私の前に来て、魚をとり出してからネタを切り始めた。
 「え、二郎さんが握ってくれるの?」と私は驚く。「小野二郎は常連にしか握らない」というのが当時伝説として広まっており、それを私も信じていたからだ。今はネット情報でいくらでも本当の情報が伝わっているので、一見の客でも二郎氏はなるべく握るようにしているとのことは分かるが、当時はそこまで情報はなかったのである。

 さて、その正面で見る生の小野二郎。
 高齢なのに背筋はしゃんとして伸びきっており、小柄ながらも迫力満点である。眼光は鋭く、店のすべてを睥睨し、時にギラリと厳しい視線を飛ばし、調理の指揮もとっている。
 その威厳に満ちた姿を前にすると、客としては、鮨が出てくるのを何かの神事が始まるかのごとく、畏まって待つ存在となってしまう。

 その小野二郎氏の握る鮨。
 鮨タネはすべて二郎氏が切りつけ、それから握りに入る。握りは手数が少なく、最小限の手の返しのうちに握りの形が整っていく。簡潔にして、リズムよく、姿美し、まさに熟練の技である。
 鮨はすべてが美味い。白身はどれも豊かな味が広がり、マグロも最高級に近い見事なもの。ジャンボ海老は茹で立てのものであり、濃厚な甘さがたまらない。炙り鰹はスモーキーな香りが旨さを十分に引き立ている。また貝もすごい。赤貝やトリ貝は今まで見たことのない分厚いもの。穴子はほんとうにとろけるような食感が楽しめる。
 どの鮨もレベルの高いものであった。

 そして次郎の鮨はやはり二郎氏の握るシャリにある。
 次郎の鮨はじつは私の苦手な「デカネタ、デカシャリ系統」なのであり、けっこう大きい。しかしでかいネタは要は素晴らしいネタを十分に客に味あわせるための次郎の流儀であり、そしてそのネタをきちんと支えるシャリが次郎の鮨のすごいところだ。シャリは口の中に入れと、一瞬の歯応えを感じたのち、それからぼ~んと広がる、いわゆる「口の中でほぐれる」でなく、口の中で炸裂するようなシャリ。これを私は勝手に「ぼよよん鮨」と名付けたが、このぼよよんたる食感は、個性強いネタにまったく負けることなく、見事に調和しており、このネタにはこのシャリだなということがよく分かる。

 そのように素晴らしい鮨が次々と出てくるわけだが、…二郎氏は一人で刺身を切り、それを一人で握るのに、そのテンポが非常に速い。
 ひとたび鮨を握り始めれば、二郎氏は全ての情熱を鮨を握ることに捧げるかのように、小気味よく、快適な、おそらく鮨を握るのに最適と二郎氏が信じるペースで、際限なしのように、怒涛の勢いで鮨が握られ続ける。客としては、その二郎氏の最適のペースに振り落とされないように、懸命についていかねばならず、ゆったりと酒を飲んでいる暇などない。
 結局私はデカネタデカシャリの次郎の鮨を二十数貫、30分で食べたわけで、さすがに腹がきつかった。

 次郎氏は握りを終えたのちは、すっと雰囲気が異なり、番組でよく表れていた柔和な表情となり、「やさしいお爺さん」という感じとなる。私が退店するときは、店の外まで出て見送ってくれもした。(これも一見の客に対する次郎氏の流儀だそうである)

 それにしてもあの30分間。
 あれは不思議な時間であったなあ。
 小野二郎氏は、鮨に対して狂気といっていいまでの思い込みを持ち、それを何十年間も持ち続け精進してきた修道者のような人と思われるが、そのため独自の高みまで達しているのであろう。だから鮨を握るときの二郎氏は、まさに鮨の神様が降りてきたかのような、「美味い鮨」をただひたすら握る、鮨の神の化身のような存在と化す。客は神事に臨む神徒のように、ただただ鮨の神様が供する鮨を食するのみである。

 「すきやばし次郎」は、普通の寿司屋に求められる「くつろぎ」とか「おちつき」とかは、薬にしたくともない店であるが、そのようなものを元々求めるべき寿司店ではないのであろう。
 すきやばし次郎という店は、小野二郎という鮨の神様が存在する、その稀なる時間を味わうことがなによりも素晴らしい、そういう店に思えた。

 東京にはいい寿司店が多く、その後次郎に行く機会もなかったが、番組を観て二郎氏が健在のうちにまた行きたくなった。

……………………………………………
NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

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January 24, 2010

サイクリング:オリンピアロード→長野峠→桑ノ原

 延岡市から上祝子に向けて祝子川沿いに進む県道207号線は別名オリンピアロードと名付けられている。これは旭化成のマラソン選手がここで練習しながら、オリンピックに出場できることを目指したことに由来しており、じっさいランニングに使うには勾配が強く、ハードな道であり、ここで毎日走ると相当に鍛えられそうだ。

 ランニングには根性がいる道であるが、自転車にはちょうどよいくらいの勾配が続く道なので、快適なサイクリングロードである。今日はここを通って、長野峠を目指すことにする。

【祝子川ダム】
Okue

 祝子川ダムまで来ればいったんはオリンピアロードの坂は終わりで、ダム周囲をめぐる平坦な道となる。
 背後には大崩山がすっくと立っている。昨日はあそこに登ったわけであり、その秀麗な姿を見ていると今日も登りたくなるが、本日はサイクリングである。

【下赤への分岐】
1

 ダムに来てすぐに下赤への分岐が現れる。長野峠に向けて、祝子川と別れて、ここを進んでいく。ちなみにここからしばらくは15%を超える劇坂が続く。

【黒滝トンネルへの長い坂】
Slope_2

 本日のサイクリングの一番の目的は、この山肌に沿ってまっすぐスカイラインに伸びている坂。以前にここを車で通ったとき、あまりに姿の良い坂だったので、次回は自転車で登りたいと思ったのだ。
 山の坂はたいていはくねくねと曲がっており、いったい全体がどうなっているかもわからず登ることが多いが、こういうふうにまっすぐに長く伸びて、空と交わる終点を見ながら登れる坂道は案外珍しいのである。
 そういう坂は歩いて登るならきついだけだし、車なら何の感慨もわかないだろうけど、これが自転車で行くのならば、こいだ分だけ終点が近づいてくるのが分かる、やる気を起こさせてくれる、いい坂なのだ。
 まあ、自転車乗りにしか分からない感覚だろうな。

【坂終点地】
Slope2

 その姿よき坂を登りつめると、ちょっとした広場となっており、資材置き場となっていた。振り返れば、大崩山の美しい山容を望むことができる。

【長野トンネル】
Nagano_tunnel

 このあとは、軽いアップダウンがあるくらいで、やがてこのルートの最高点の長野トンネルにたどりつく。ここからはずっと下りだ。

【祝子・桑ノ原分岐】
Way1_2

【桑原山登山口】
Entrance

 長野トンネルから道なりに下れば下赤橋に出るのだが、以前ここを通ったとき見つけることのできなかった「桑原山登山口」を探しに、途中で左に曲がり、桑ノ原へと向かう。
 以前は祝子・桑ノ原分岐点で祝子方面に向かってしまい、その結果登山口を見つけられなかったわけだが(なにしろその方向に桑原山が見えているので、つい行ってしまう)、今回は桑ノ原へと向かう。途中で登山口を無事発見。いずれ、ここから桑原山に登ってみよう。

【桑ノ原交差点】
Endpoint

 林道を降りた終点は桑ノ原交差点。ここは宮崎大分の県境である。
 ここで国道326号線に合流し、あとは延岡に向かって国道を走るのみ。

本日の走行距離:77.6km

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January 23, 2010

シャンパンの会@光洋

 アンリ・ジローというシャンパンの名品を鮨とともに味わうという会が光洋で催されるとのことなので、行ってみることにした。
 鮨にシャンパンが合うわけもないので、その組み合わせには興味はなかったが、とりあえずは光洋ならば、美味いシャンパンが出るのは確実であろうから、シャンパン好きの私としてはそれを期待しての参加である。

 さて、シャンパンについては、広島市の吉長酒店の店主が、選りすぐりのシャンパンを持ってきただけあって、どれも複雑にして奥行のあるものばかりであった。そのへんで簡単に手に入る「爽やかで飲みやすいだけのシャンパン」とは全く異なる、シャンパンに対して新たな見方が広がってくる逸品ばかりであったと思う。

 ただし予想通りに、鮨にはどうかなというのが正直な感想。
 私は思ったのであるが、まず鮨においてはシャリが主役なのであり、いい鮨を食べたときは必ず口の中にシャリの余韻というものが響く。シャンパンも同様に余韻というものがあるが、とくにシャンパンは良いものであればあるほど独自の深い余韻というものがあり、そして料理と酒のマリアージュというものは結局はその余韻の響きあいを楽しむものであろう。
 ところが、鮨のシャリと、シャンパンの余韻は、残念ながら私には互いの余韻を消しあうような、あるいは邪魔しあうような、collaborationにほど遠い関係に思え、どうにも口の中が落ち着かなかった。

 鮨をシャンパンに合わせようとするなら、今までとはまったく異なるシャリを使わねばならないのではなかろうか。例えば酢をワインビネガーにするとか、バージンオイルを隠し味に使うとか。まあ、そんなことをすればそれはもはや鮨ではなくなってしまうし、美味いはずもない失笑ものになるに違いないのだが。

 そういう感想はともかくとして、シャンパンはどれも美味かったし、鮨ももちろん美味かった。

【コハダ】
1

 コハダの鮨は流線形の美しいもの。〆方もしっかりした〆方。
 ただしこの時点でシャンパンはデザートワインとなり、いくらなんでもコハダとその組み合わせは勘弁願いたく、シャンパングラスに日本酒をこっそりついでもらったのは内緒の話だ。


 会が終わったのちは、会に参加していた食通W氏一行とともに橘通りのBar麦屋へ。ここではW氏秘蔵の自慢のワインが出てくる。香りをかぐだけで名品と分かるワインを飲みながら、ツマミはいわゆる普通の洋食。
 やはり美味しいワインはこのような料理とともに飲みたいものだと思いました。

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冬の大崩山

 先週末には寒波が九州にも来て、山間部に雪を降らせた。大崩山にも雪が積もっていることを期待し、冬の大崩山に登ることにした。
 午前中さっさと仕事を終わらせて、大崩山祝子川登山口に着いたのは午前11時。車は私をふくめて4台が駐車している。11時から大崩山に登ろうとする者なんて私くらいであろうから、これが本日の入山者の全てであろう。九州を代表する名山のわりには、いくらオフシーズンとはいえ入山者の少な過ぎるなあ。ま、とりあえず本日は静かな山行が楽しめそうだ。

【小積ダキとワク塚】
Ozumizeki

 三里河原から見上げる、大崩山の山群の威容。
 突兀と空に尖塔を突き立てる小積ダキと、その隣の威圧感あふれるワク塚の岩群は、迫力と美しさを兼ね備え、おそらくは九州本土の山々で随一の景観を誇る。
 登山口から30分間歩いて来た者のみが観ることを許される真の絶景である。

【袖ダキ展望台から見る下ワク塚】
Sodedaki

 山にとりついて急坂を登りあげ、袖ダキ展望台に着くと、このワク塚の素晴らしい眺めを楽しむことができる。
 美しい花崗岩の岩峰が、いくつも連なり、積み重なり、岩の塔を造っている。

【中ワク塚】
Nakawaku

 下・中・上と続くワク塚は基本的には岩の上の稜線を進んでいくのだが、中ワク塚では最後の岩(黄矢印付き)が急峻に切れ落ちており、キレットになっているので、ここでいったん綾線を離れて岩を巻かねばならない。
 ロープ張れとはいわないが、支点でもつくってあれば、ロープ持参して懸垂で降りてそのまま上ワク塚まで行けるのに、といつも思ってしまう。

【巻き道】
Way

 というわけで中ワク塚からは岩を巻くために、うんざりするほど山道を下降して、それから岩に掛けられた金属製の橋を渡り、上ワク塚に登り返さねばならない。
 爽快な綾線歩きを離れての巻き道行だけに、あんまり面白いところではない。

【七日巡り岩】
Seven_days

 山道を登り返して、上ワク塚へと登る。
 ここからは奇岩「七日巡りの岩」を眺めることができる。いつ見ても、へんな岩峰である。

 上ワク塚に登ったあとは、山頂への道はパスして、りんどうの丘経由で下山することにする。
 りんどうの丘にはテントが一つ張ってあり、登山者が2名いた。挨拶をかわすうち、次の沢は凍っていてアイゼンがなければ通過できないよと忠告される。

【りんどうの丘傍の沢(1) (矢印が本来の登山道)】
Ice_way

【りんどうの丘傍の沢(2) 見下ろしの図】
Ice_way2

 りんどうの丘からすぐの沢。本来は大崩山綾線の数少ない水場として有名なところだが、見事に凍っておりました。ほとんどice fallですな。
 いつもは矢印をつけたところが登山道となっているのだが、そのすぐ下は凍れる滝であり、さらにその下は滑り台のごとく凍った沢がずっと下まで続いている。これはいったん滑って足を踏み外してしまったら、数百メートルの氷の道を一挙に滑り落ちること必定である。
 こんなところ、持参した6本爪アイゼンをつけたところで、まともに渡った日には命がいくつあっても足りんわい。私は凍った登山道をダイレクトに渡るのは諦め、滑り落ちても死なないところを探してそこを渡り、それから藪道を登りつめて、元の登山道に合流した。

 ワク塚からは小積ダキ側の沢が何本も雪に埋もれているのが見えたので、同じような凍った沢をいくつかトラバースしないといけないのかなと思っていたが、結局凍った沢はこの一本だけであり、なにごともなしに小積ダキを過ぎて、坊主尾根へと入った。

【象岩】
Elephant_rock

 坊主尾根登山道で一番のdangerous pointである象岩のトラバース。ここが凍っていると、けっこう怖いなあと思っていたが、そういうこともなく一安心。

【祝子川渓谷から大崩山】
Kawara

 何度来ても、その急峻さにあきれる坊主尾根を注意深く下りて行き、やがて祝子川に出る。ここが坊主尾根登山道の終点地。振り返れば、大崩山がその岩峰を輝かせていた。
 登山口に着いたのは午後4時。ちょうど5時間の山行であった。
 山道よし、岩よし、川よし、眺めよし。いつもながらの充実した山登りを楽しめる大崩山であった。
 宮崎の宝というより、九州の宝のような山である。

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January 22, 2010

正義の味方は社会を滅ぼす 

 現在日本では出産を扱う医療機関の数が減ってきており、妊婦はいざ妊娠が分かったときに、出産機関を予約しようとしてもすでに枠が埋まっており、出産施設を探すのに四苦八苦するという事態が日常化している。関係機関も、産科医療に対して補助金を出すなど、出産可の施設を増やそうと努力はしているものの、それらは減る一方であって、この傾向は改善することはない。産科という領域は遠からず日本では消滅することがほぼ確実とされている。
 産科医の減少、産科施設の減少は、だいぶ以前から起きていたのだが、その減少が一挙に増えたのにはある事件が契機となっており、その事件を分水嶺として産科医療は絶滅の道へまっしぐらに進むことになった。
 今回は、その事件「福島県大野町立病院産科医師逮捕事件」について書いてみる。

 平成18年2月18日、福島県の大野町立病院に勤めていた産科医が突如逮捕された。容疑は無理な治療を行った結果、担当患者を死に至らしめた、業務上過失致死である。
 事故の概要を述べると、被告人医師は妊婦に対し帝王切開を行っていたところ、胎盤が子宮に癒着している「癒着胎盤」であることが分かった。子宮は胎盤を外さないと出血が止まらない。医師は輸血を十分に用意し胎盤の剥離を試みるも出血がコントロールできず、結局子宮を摘出した。患者は手術中に致命的な不整脈を起こし死亡した。
 検察は、癒着胎盤に対して剥離を行ったのは医療常識に反し、誤った医療行為を行ったことにより患者を死なしめたと、医師を告発した。

 私は産科医ではないので、癒着胎盤も、その治療法も詳しいことは知らないが、専門家によれば、被告医師の行った医療行為は最善を尽くしたといってよい極めてまともなものであり、何ら問題のあることではなかったそうだ。
 それなのに検察が告発した理由とは、つまり「患者が死んだ以上、医師の手技に何らかの問題があったに決まっている。これを見逃すのは、社会正義に反する」とのことだった。
 そして専門家が何も問題ないと考えているのに、検察が問題ありと告発するからには、検察には何か他に重大な証拠を持っているのではと思われた。

 被告医師の取り調べの状況については、けっこう詳しい報道がなされたのだが、まず被告医師は、検察側から「子宮から胎盤の癒着を剥離するのに、クーパー(剪刀)を使うとは何事だ。それは殺人行為に等しい」と責められた。
 これを知って、医療者は愕然とした。

【クーパー(剪刀)】
Cooper

 クーパーは見ての通りハサミの格好をしており、じっさいに糸や組織を切るのにも使うが、その一番活躍する機能は「剥離」である。クーパーは外科系の医師にとって、何よりも剥離の道具であり、剥離にクーパーを使ったことが逮捕の理由になるのでは、外科系医師はみんな逮捕されてしまう。
 医療のいの字も知らない素人により、医療の専門家が、逮捕、起訴されたことが明らかとなり、医療業界に衝撃が走った。
 医師が逮捕された原因となった癒着胎盤という病気自体が、死亡率の高い病気なのであるが、産科手術には他にも死亡の確率が高い病気、手術術式はいくらでもある。手術を行い、運悪く死亡となったところで、それをド素人に告発され、逮捕されてはたまったものではない。産科医療業界はやむなく防衛に走った。まずは開業医レベルでは少しでも危険が予想されるお産は一切扱わなくなった。わずかでも異常を認めた患者は基幹病院にすぐ送るようになった。基幹病院はマンパワーが必要となり、今まで地方医療を支えてきた産科医一人が産科業務を行う一人医長の病院は存在できなくなり、その形態の産科は日本全国から姿を消し、産科施設は数を減らしていった。今にいたる「出産難民」時代の幕開けである。

 産科医療業界は防衛に走るのみならず、この理不尽な検挙を行った検察への抗議を開始した。それが、「検察庁の役人の関係者のお産はいっさい扱わない」というふうな、いかにも専門家的攻撃なら面白かっただろうにとか私などは思うのであるが、彼らは紳士だったからそのようなことはつゆも考えず、「産科医が全体一丸となって被告人を守る」「産科医学会から検察に正式な抗議文書を出す」というふうな、きわめて真っ当な方法で検察に対抗した。
 マスコミに言わせれば、これも「検察への圧力」とかになるのだろうけど。

 これには検察も困った。
 被告人医師が誤った医療を行ったと検察が主張するからには、それを支えるために産科専門医からも同様の証言がないと、ただの素人の妄言であり、なんの証拠にもならない。
 そして普通には、「俺ならこうやれば助けられた。被告人医師は検察の言う通り間違っていた」というふうなことを言う、後ろから鉄砲を打つような「専門家」は探せば必ず一人くらいはいるのだが、今回ばかりは産科医療界全体が一致団結して被告人医師を擁護すると決めているのだから、探しようがない。仕方がないので検察は畑違いの婦人科医師をひっぱり出してきて、「癒着胎盤の症例はただちに子宮摘出すべし。被告人医師の手術は誤りであった」と証言させたが、その医師は出産の専門家ではなく、また癒着胎盤の手術も行ったことがないことから、何の証拠力もないと裁判官に喝破され、いらぬ恥をかいただけで終わってしまった。新潟大学産婦人科の教授様ともあろう人が、経歴を汚すに決まっていることをなぜ行ったのか、いまだに謎とされている。

 かえって被告人医師の無謬を訴える弁護側証人は、言っては悪いがたかが東北の田舎町の刑事事件にしては、不相応と思えるくらいのその業界の権威といえる大物が続々と登場した。被告人医師は雲の上の人たちの登場に恐縮したらしいのだが、「これはもはや君一個人の事件ではない。産科医療界全体の事件なのだ」と言われた。

 検察対産科医療界全体の戦いは、検察の「癒着胎盤に対してはただちに子宮摘出するのが標準治療だ」という主張が、裁判官に何の根拠もない妄論だと判断され、被告人医師は無罪となり、検察も上告を断念、産科医療界の全面勝利に終わった。

 しかしこの事件は日本産科医療界に取り返しのつかない深い傷を与えた。
 この事件以後、手術は逮捕の危険があるリスキーな行為ということが周知され、お産を扱うことは冒険家に等しい危険な職業と認識されるようになった。そのため、産科医、産科施設は右肩下がりに減り続け、その結果が今の出産難民続出の産科医療崩壊である。

 このような甚大な被害を社会と国民に与えた検察であるが、彼らはなんの責任もとっていない。この事件で陣頭指揮をとった片岡康夫氏という検事は、結果責任をくらうこともなく、今は千葉県で交通部長として職に従事している。

 さて、この事件で検察は何をしたかったといえば、正義の心から「医療を良くしたかった」のである。
 10年ほど前に医療事故が連続してマスコミを賑わせたことがあり、国民は医療界に不信感をいだき、それが国民の声となり、医療を改善させねばとの声が全国的にあがった。検察はその声に押され、「医療事故は医師に問題がある」との信念のもと、本来は刑事事件としにくい案件であるはずの医療事故を次々に摘発し、医師を起訴していって、有罪を勝ち取っていった。
 その流れのなかにこの福島事件は現れた。そして、それはお誂えむきに産科領域の事件であった。産科医療は安全性が高まったとはいえ、いまだに母体が出産の時に命をなくす事故はなくならない。出産時の母の死亡は、年齢も若く、また子供出産という喜びの時期なだけに、たいへん悲惨な出来事ではある。
 これを少しでもなくしたいと正義の味方は考えていた。母体が亡くなるのは何が悪いのか、それは産科医の能力が低かったせいだ。能力の低い産科医を我々が摘発し、犯罪者にしてしまえば、それに恐れをなした能力の低い産科医たちは自省し、猛勉強をして、レベルをあげるであろう。その結果お産で亡くなる母親は減り、世の中は良くなる。これぞ一罰百戒というやつだ。そういう思考で、彼らはこれこそ産科医療を良くするための象徴的事件だと、福島で誠実な産科医療を行っていた一産科医師を逮捕起訴した。
 しかしその思考は前提が誤っているのであり、能力が低かろうが高かろうが、産科医療というものが生死を扱っている以上、母体の死は一定の確率で遭遇してしまう。それをいちいち起訴されたのでは産科医療が成り立たない。それでも起訴するというなら、お産は扱えなくなるし、また産科医になる者もいなくなる。実際産科医、医学生はそう考え、こうして産科医療は崩壊した。これぞ一罰百戒ならぬ、一罰百壊というやつである。

 ただし、「医療事故は医師に問題がある」との検察の信念は一面的には正しかったのかもしれない。検察の攻撃に恐れをなした医師達は次々に生命に関わる職場から離れ、それにより医師のいない地域が増え、そこでは当然医療事故は起こらなくなったからだ。ただしその土地を「医療事故のないパラダイス」と呼ぶのは、疑問の余地なしとはいえない。


 正義とは、本来は悪いものではない。正義は宗教と同様に個人の裡にとどまっているうちは、かえってよいものなのである。正義感あふれる人、宗教心篤い人とかは個人的には尊敬に値する人が多いであろう。しかし、正義と宗教には本質的に重大な欠陥がある。それは正義と宗教は、個人の数だけ種類があるのに、なぜかそれが一つしかないと思い込む人や組織が必ず現れ、そうなると「それを他にも広めたくなる」という運動が起きてしまうことだ。この性質により正義と宗教は社会にとって迷惑極まりない存在にすぐに化けてしまう。私が思うに、世界を混乱させ疲弊させる原因は正義と宗教がその多くを担っている。

 ある宗教心篤い人が布教を思い立ったとして、その宗教が世の人に受けいれられずに布教に失敗したとする。その時その人はどう考えるであろうか。彼は自分の宗教が間違っていたとは絶対に考えない。布教に失敗したのは、布教のやり方が悪かったと思い、布教の方法を変えるのみであろう。
 今回の福島事件でも検察はその「正義」が間違っていたとは考えていない。正義は間違っていないのに、なぜそれが受け入れられずに起訴は退けられたのか? それは方法が稚拙であったからであろう。次回はもう少し用意周到な方法を用いて、裁判官も納得させて、医療側に罪を科してやる。そうしなければ、自浄能力を持たぬ医療界はいつまでたっても良くならない。起訴のネタはいくらでもあることだし、そういう思いで検察側は虎視眈々と、次のターゲットを探していることであろう。

 このような検察に睨まれていることを分かっていて、人の生死を扱う外科系の医師になろうと思う者などいようはずがない。もしいるなら、己のリスクマネージメント能力に致命的な欠陥があると判断されざるをえない。


 このブログの記事を読んで、産科医療が崩壊しようが、妊婦なんてほんの一部の存在、我々には関係ないと思う人がいるかもしれない。
 しかし、この事件のとばっちりを一番食ったのは、じつは産科医療界でなく、外科医療界なのである。産科の手術に比べれば、外科の手術はさらに危険度が高く、特に緊急手術では術死率50%なんて手術はざらにある。そういう生死ギリギリのところで仕事を行っているのに、患者が死亡すれば逮捕ということになれば、外科という職業が成りたたなくなる。
 じっさいにそう思う外科医、あるいは学生が多かったらしく、今の日本は産科・小児科の医師減少が社会問題になっているけど、じつは一番医者の数が減っているのは外科なのである。福島事件では危機感を覚えた外科学会も産科学会に連動して、抗議の正式な声明を出したが、その危機感通り、外科医師はどんどん減り、近頃の外科系の学会では最初に出てくる重大な演題は新しい治療法と手術手技とかではなく、「いかにして外科の消滅を防ぐか」というふうなものばかりである。
 とりあえず、今のままではあと10年後には外科という職業は消滅しているそうだ。

 外科というものは癌が本業であり、日本では消化管の癌は内科は扱っていないので、そうなるとあと10年すれば、我々が胃癌や大腸癌になったところで、治療する者は誰もいなくなってしまう。とんだ正義の味方の御尽力のおかげで、我々はそういう悲惨な時代を迎えるわけになるのだ。

 検察のもたらした災厄のなんと大きことかな。
 これも検察の誤った正義感のなした故である。

 正義の味方は社会を滅ぼす。

 我々は正義の味方に対し、なにもよりも猜疑心と、探求心をもって接するべきである。そうでなければ、いつかは我が身も滅ぼされてしまうであろう。


……………………………………………
福島県大野町立病院産科医師逮捕事件についての参考webURL

ウィキペディア 
福島大野事件 公判記事
新小児科のつぶやき
ある産婦人科のひとりごと
医療事件を注視しる 福島大野事件

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正義の味方登場…というわけですか

 私は小沢一郎氏という政治家が嫌いである。
 20年近く前日本という国が袋小路に入り行先が見えなくなったとき、小沢一郎はそれまでの慣習慣例を吹き飛ばして日本を「普通の国」にすると主張し、政界再編を先頭に立って行う、まさに「改革者」として登場した。
 私は小沢一郎に期待し、彼の改革をwatchしてきたわけだが、その期待はすべて裏切られた。

 小沢一郎の行っていたことは、ともかく票を得て、自分に権力を得ることという古典的政治劇であり、それは「目的を持たないマキャベリスト」というものが、いかに国民にとって迷惑な存在であることを立証しただけであった。
 こういう人物は、さっさと政治の舞台から消えてもらってほしいというのが私の実感であったが、…どうやらその日は思いのほか近いようである。
 今年になって、検察が小沢一郎をターゲットに全力攻撃を開始したからである。

 しかし、私は小沢一郎氏は大嫌いであるが、このようなことにより小沢一郎氏の政治生命が断たれることには断固反対する。

 マスコミの報じるところによると、小沢一郎氏一派の代議士、秘書を逮捕してきた理由は、秘書住宅の土地を購入する時の資金の記載ミスだそうである。そしてその資金が、賄賂の可能性があるからだそうだ。

 そうですか。
 記載ミスについては、事後修正すればいいだけの話である。修正も許さずに逮捕って、どんな警察国家ですか。
 賄賂の可能性については、当時野党暮らしの小沢氏に職務権限があるわけなく、立件できるわけもない。

 検察の狙いとしては、それを口実に資料をたっぷり仕入れて、そこで犯罪として起訴できる案件を見つけることであろう。

 我々の住む日本は法治国家であり、法に違反することは罰せられる。
 ただし、その法律は相当に広範であり、その結果曖昧であり、恣意的に運用すれば、日本人のほとんどが罪人になってしまうという法律だ。
 その法律の代表が「公職選挙法」と「道路交通法」であり、普通に生活している人がこれに関わってしまうと、誰もが法律に違反してしまう。
 一番分かりやすい例で、運転免許を持って車を運転している人で、道路交通法に違反しなかった人っているのでしょうか。

 日本においては法律は元々守れないことを原則に作られている。残念ながらこれは社会人になったら否応なく思い知らされる事実だ。
 ならばその法律を、一般人が守れるように修正すればいいといえば、そういうことは絶対に役人はしない。役人は法律を恣意的に運用することにより、自らの権益を維持するからだ。

 その法律を運用する役人の代表である検察は、だから自分たちの思い通りに法律を運用する。
 小沢一郎氏を政界から除去したいと決断したからには、彼らはそれに全力を使うであろう。その決断により、今のところ少なくとも小沢氏の弟子の国会議員は政治生命を断たれた。


 ところで、民主党は党を挙げて、検察の横暴を非難している。
 これについてマスコミは、政治家のような強者が司法を弾圧するのは問題がある、みたいなことを言っている。
 それは、とんでもない間違いだ。

 日本においては、検察が圧倒的に強者なのである。政治家は、検察に比べればはるかに弱者だ。現実に、逮捕された石川議員は、有罪であることも決まっていないのに、すでに政治生命は断たれている。
 そして、この事件で、小沢氏側が無罪になったところで、検察側はその責任を一切問われない。石川氏が抗議すれば、逮捕抑留された時間の損害賠償は払われるが、その金は検察官の私費でなく、国の、つまり我々の税金である。

 検察官、それに裁判官は、人を罪人呼ばわりし、そして人を罪人にするのが仕事である。しかし、その宣告が後で誤ちと分かったとき、彼らは何も責任を取らない。それは、そう法律で決まっているからである。
 ある被告人を死刑と決め、それが執行されたのち、完全に無罪と分かったなら、裁判官も検察官も、いくらなんでも責任を負わねばならないと一般人は思うが、法律では彼らに責任を求めることはできない。代わりに国がその責任を果たすことになる。なぜそういうことになっているかといえば、「検察官裁判官の仕事は人の生死に関わる重大な仕事だが、自分の仕事が間違ったことで罰を科せられるなら、誰も裁判官や検察官になってくれないから」だそうだ。
 ああそうですか。
 それなら検察官同様に人の生死に関わる職業として、医師とかパイロットとか航空管制官とかがあるわけだが、彼らのミスはあなた方は堂々と罪に処していますねえ。
 まさに彼らは特権階級である。

 このように何をやろうが法律に身分が守られている検察官は、「何でもあり」である。
 小沢氏一派が巨額の金を使って有能な弁護士を雇い、例え無罪となったところで、検察官達は誰も傷つかない。今回の戦略は失敗だった、新しい戦略で戦おうなんて反省会を開くのみである。

 日本で最強の権力を握っていると思われる小沢氏でも、検察を前にしては、不死身のスーパーマンを相手にしているようなもので勝てるわけもない。向こうは圧倒的強者なのである。

 今回小沢氏に向かって検察が戦いを仕掛けたのは、政治を良くしようとする「正義感」からではあろう。なんのかんの言っても、政治の闇を代表する人物が小沢氏であるのは間違いないから。
 しかしその正義感を発揮する材料として、土地取引を出してきたのはあまりに筋が悪い。検察の主張としては、土地の資金としての小沢氏の資産が、不正に得られたものであるとのことなのだろうが、…小沢氏って鳩山氏には負けるが、元々大資産家なんだから4億円くらい簡単に出せるであろう。企業の賄賂による不正蓄財と立証したいのかもしれないが、野党暮らしの小沢氏に賄賂は成立しない。狙いは別件にあるにせよ、やっぱり変だ。

 検察は、正義の味方気取りで小沢氏退治に出てきたわけだが、正義の味方なんて小学生の妄想の中にしか存在しないのである。

 日本の政治の闇とは、税金を地元に注ぎこみ、そこから票と資金を得て、党の人脈を育て、実力者となっていく、その過程にあるのだが、それを代表する小沢氏を葬りたいという検察の気持ちは分かる。しかし、その仕事は第一に選挙区の人達、次に民主党、それから国民に任せるべきものであり、検察が法律を恣意的に運用して個人の政治家を罪人にすることは、何ら政治を改善させない。それは今までの検察の政治家検挙の歴史が示すことである。

 民主党は、検察の横暴に対して、党を挙げての反撃を行おうとしている。
 このことについては私は、民主党を支持する。
 検察が正義の味方を気取るのは勝手だが、正義の味方は、実際には社会の敵であるに決まっているから。
 私たちはこのことを、痛いまでに、歴史から学んできた。
 もうこんなことはやめてほしいんだけど。

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January 21, 2010

読書:寿司店のカラクリ 大久保一彦(著)

 本の題名からは、「回転寿司屋はじつはとんでもないネタを使って鮨を安く仕上げているんだぞ」というふうな暴露風な記事が並んでいることが想像されるが、そういうことはなく、日本の寿司店が各自いかに努力して、良いネタを仕入れ仕込んで、美味い寿司を握っているかについて広範に調べて書いている、まっとうな本。

 寿司店は、回転寿司店、大衆店、高級店、などいろいろに分類されるわけであるが、その店によって、何に重きを置くかによって違いが分かれる。安さが追及されるものもあれば、ネタの良さを追求するものもあり、仕込みの良さ、味の濃さ、面白さ、等々客層にあわせて店のスタイルがあり、さまざまな形態の寿司店が存在することになる。
 それでもいかなる店でも大事なのは、「美味い寿司」を出すことであり、じっさい「美味い寿司」を出さねば、いかなる店でもすぐに潰れてしまうわけで、今まで生き残っている店はその美味い寿司を出すために、多大な努力を払っているのである。

 例えば120円均一の寿司を出す「寿し常」という店は、漁業者から直接仕入れることにより魚の原価を抑え、かつ活きたまま現地から魚を運んでくるシステムを作り上げ、そのことにより多彩な寿司を出すことに成功した。
 ある回転寿司屋では大きなネタを特徴としているが、これは冷凍解凍技術を発達させることにより、素材が安いときに大量に仕入れることが可能になったことから、ネタを大きくできたのであり、それで大きなネタを好む客層を獲得できた。
 ある高級鮨店では、漁師に獲ったときの魚の締め方を指導してまでして、いい素材を得ることにこだわっている。

 などなど、美味い寿司を出すべくあらゆる寿司店がおのおのの工夫をこらし、懸命な努力を払っている。
 それらの努力により、日本の層の厚い寿司文化が築かれていることを知らせてくれる本である。


 ところで、この本にはいろいろな寿司店が紹介されているわけだが、そのなかで佐伯の寿司店も紹介されている。
 佐伯市は豊後水道に面しており、海産物が豊富に獲れることから、「世界一佐伯市寿司の街」と称して、寿司を市全体でアピールしている。
 ふぐの臼杵、すっぽんの安心院、といった具合に食材をアピールしている土地は、その食材の良店が多いことがあり、それなら佐伯の寿司店には良店が多いかもと思い、寿司好きの私は佐伯市を訪れたことがある。(物見高い男なのです)
 本でも紹介されているように、佐伯の数多き寿司店でも有名なのは、デカネタが名物の「錦寿司」と、細工寿司が名物の「寿司源」。デカネタは勘弁ということで、「寿司源」を訪れてみた。

【世界一寿司佐伯】
1

【寿司源の寿司】
2

 その世界一佐伯の、寿司源の寿司。
 真ん中のサーモンは、牡丹の花に摸している。その隣の太刀魚は切れ込みに鮪を入れて、指輪を模している。なかなか面白い趣向の寿司ではある。
 食べた感じは、見ためそのままというところか。

 おそらく佐伯市の数多き寿司店は、各寿司店でいろいろな趣向をこらして、独自の寿司を供しているものと思われる。世界一との看板もあることだし、他店も訪れてみたいとの気はあるが、結局どうでもよくなってしまい、以後佐伯市は訪れていないなあ。

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寿司店のカラクリ 大久保一彦(著)

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January 17, 2010

広島でスキー(恐羅漢、大佐)

 広島の恐羅漢スキー場は、雪さえあれば変化に富んだ面白いコースをいくつも滑ることのできる魅力的なスキー場である。今年のドカ雪のおかげで、恐羅漢は全コースオープンとなり、これは楽しめそうだ。
 熊本市のスキー道具店から、広島恐羅漢行きの有志を集めるメールが届いたので、それではと行くことにする。

 広島行は、メンバー4名。店のワゴン車で行く。
 今年は雪が多いので、スキー場に遊びに行く人が増えており、店主は板のメンテナンスに追われ、夜遅くまで仕事をしている。私が店に着いたのが夜の12時近くであったが、まだ預かった板を磨いていた。これに加え、週末は九州のスキー場に道具のレンタルおよびレッスンに出るわけで、この時期大忙しで大変である。
 さて、夜1時に広島に向けてGoということになるが、…おや店主もメンバーに加わっており、広島にスキーに行くとのこと。せっかくの稼ぎ時なのに、店主仕事せんかいとか言いたくなるが、これほどまでにドカ雪が降ったならば、なにはともあれ滑らねばならないというスキーヤーの魂が、仕事などさせないのでしょうな。

【恐羅漢スキー場】
1

 恐羅漢スキー場は見事な雪の積もり方。
 ちゃんと樹氷も出来ている。

【カヤ畑コース】
2

 恐羅漢名物は、やはりカヤ畑コース。右側のコースは中ほどが崖になっており、マジに垂直に切り落ちている。
 ここをスキー板を真下に向け、重力に身をまかせて飛び出し、雪を切り裂きながら一気に滑り下りると、その快感から誰しもカヤ畑コースの魅力にとりつかれてしまう。まあ、たいていは途中で転んで、雪まみれになってしまい、快感もへったくれもなくなるのだが。

【カヤ畑コース】
3

 上から見るとこんな感じ。
 コースがスパっと切り落ちています。

 恐羅漢スキー場は、非圧雪のコースが多く、コブがよく育っている。
 コブとの果たしなき格闘が、また恐羅漢の魅力でもある。

【びっくり海老カレー】
Curry

 昼食はレストハウスにて。
 店主によれば恐羅漢の名物は、「びっくり海老カレー」だそうで、それにする。
 大きな有頭の海老が3つ。カリカリに揚げられて、カレーに乗っている。
 ビールによく合いそうな料理であるが、午後も滑るのでビールはぐっと我慢する。

【鴨鍋】
Nabe

 午後いっぱい滑ったのちは、民宿「あるぺん屋」に宿泊。
 芸北エリアの民宿を熟知しているスキー店店主は、料理の美味い民宿を宿に選ぶことにしている。
 「あるぺん屋」は、たしかに料理がなかなか良かった。鴨鍋や、自家製チーズなどが名物。

【どぶろく】
Doburoku

 名物には、さらにどぶろくがある。
 自家製であるが、密造酒というわけではなく、ちゃんと酒造の免許を持っているそうだ。


【大佐スキー場(矢印が頂上)】
Oosa

 翌日は大佐スキー場へと行く。
 大佐スキー場は、大佐山頂上まで圧雪車が入っており、頂上までスキーコースがある。
 ただし予算の関係か、リフトは途中までしかかかっていず、頂上までは通じていない。それゆえ頂上までは途中から歩いて登らねばならない。
 山登りじゃないんだから、べつだん頂上まで登らねばならない理由もないのだが、ついつい登ってしまう。

【大佐山頂上】
Summit

 頂上まで来ればさすがに眺めがよい。北は日本海側まで見渡すことができます。

【チャンピオンコース】
Osa2

 大佐の名物は、やはりチャンピオンコース。
 傾斜30度の幅広い圧雪コースは、高速で大回りターンをしながら滑ると、爽快感みなぎります。

 二日間さんざん滑りまくり、さすがにもう結構となったところで終了。
 広く長いゲレンデはさすがに滑り甲斐があります。

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スキー用具店 マックスポーツバー 
民宿アルペン屋 

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January 14, 2010

私の好きな絵(2):街の神秘と憂愁 (作)デ・キリコ

Kiriko_3

 とある街の夕暮れの情景を描いた絵。
 夕日に大地は黄色く染まり、夕暮れの日に影が長く延びた建物が並ぶなか、輪回しをして少女が遊んでいる。

 この絵は、「既視感」を感じることで有名な絵である。
 左右の建物の遠近法は交わることがない、この世に存在するはずもない光景なのに、なぜかこの絵はいつか見たことがあるという感想を誰しも持ってしまう。

 この「既視感」が生じる理由として、この絵は我々が全般的に持っている、一度は見た、あるいは一度は見るであろうという光景を、絵画的な表現法で示し得たものであることが考えられる。

 しかし「共同的な既視感」といっても、我々は住むところの時も環境もそれぞれ違うのであり、みなが共通して見るはずのものなど、そうはない。というより、もしあるとしたら、我々が共通して持っているはずの記憶とはただ一つしかなく、それは「死」の記憶しかない。
 死は未来にあるものなので、その記憶というのも変な話だが、たぶん私たちの遺伝子のなかには、今までずっと受け継がれてきた死は、記憶として刻まれている。
 我々は誰しも必ず死ぬのであり、死は誰にでも平等に訪れる。そして死ぬときに、その目の前に広がる光景は、死と同様に共通していてもおかしくない。そして、その光景は、おそらくはこの絵に似ているのではないだろうか? だからこそ、人々はこの奇妙な絵に、ひきつけられる、既視感を得るのではないだろうか。

 そうやってこの絵を見直すと、絵には死を示すものばかりが置かれていることが分かる。左手の回廊を持つ建物は霊廟のようでもあり、右手の扉の開いた荷車は霊柩車のようにもみえる。遠くにへんぽんと翻る旗は弔旗のようにも見え、長く影を曳く彫像は墓碑にも見える。
 すべてが死の匂いを濃厚に漂わせている。
 この絵の中で、生を示しているものは、輪回しをしている少女のみである。

 この絵は「既視感」とともに、「不安感」を感じることでも有名だ。
 この絵で感じる漠然とした不安感。
 それは絵に描かれた不思議なモニュメント群や、あるいは遠近法が狂っている非現実的な構図から来ているのではない。
 その不安はひとえに輪回しをする少女から発散されている。

 輪回しで遊ぶ少女は、絵のなかで唯一、生の象徴として存在している。
 「遊んでいる」と書いたが、輪回し自体は遊戯なのに、それを行っている少女はまったく楽しそうにはみえない。彼女にとって輪回しは、強いられた行為のようであり、宿命のようにも思える。
 少女の行っている行為、輪回しが絵の中でなにを示すかといえば、絵全体を覆っているモチーフが「死」である以上、それは「生」になる。
 そして「生」が、そのままの形で示された場合、いかにそれが不安をもたらすかについて示してみる。

 ここで、けっこう顰蹙モノの行為であるが、元絵をペイントでいじって、モニュメント群を取り払い、輪回しをする少女だけにしてみよう。

【輪回しする少女】
Kiriko_another_2

 夕暮れの空と、夕日に照らされ黄色く染まる大地だけの、広々とした世界のなかで、一人輪回しをする少女の絵。
 ここでは輪回しは、茫々と果てしなく広がる非情の大地で、永劫に続く責苦のようにも見える。その終了点もあろうはずもない行為を行う少女の姿に、我々は耐えがたい不安と寂寥感を感じざるを得ない。
 そして普通に考えれば、少女の輪回しは、我々の人生そのものの象徴であることは自明であり、「人生」が生々しく絵に描かれた姿に、我々は不安と寂寥感を覚えるわけである。

【元絵】
Kiriko_4

 そこで、元の絵を再掲する。
 そうすると奇妙に思われていたモニュメントたちは、きちんと意味があることが分かる。
 左右に置かれた建物は極端な遠近法を用いて少女の行くべき方向を示しているし、彼方にある旗や、彫像の影は行くべき目標とも見える。
 これらがあるおかげで、少女の輪回しは、行くべき道を得ることができ、そのことが絵全体に不思議な安堵感を与えている。その行くべき道は、もちろん「死」へ進んでいるのであるが、先の少女のみの絵と比べると、いかに「死」の世界が不安を脱した、安定感のある世界であることが分かる。

 「街の神秘と憂愁」は、いつか私たちが必ず見ることになる死の世界について、その秘密の一角を明かした、題名通りの神秘的な絵であろう。
 優れた画家とは、我々が知ることはない、天が握っているたくさんの秘密のうちのいくつかを、絵にすることのできる才能を持っている存在なのである。

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January 13, 2010

株主にも責任があるとはいうけれど (JAL上場廃止報道についての雑感)

 昨年からずっと日航が危ない、倒産寸前という話は出てはいたが、日本のナショナルフラッグシップである大企業が、まさか倒産する羽目にはならぬまい、必ず国が支援するに決まっている、というふうに私は思っていた。
 世間一般の考え方もそうであり、昨年末にはいったん暴落した日航株はのちに持ち直している。

 ところが年が明けて事態は急転回し、日航は法的整理に入り、そのまさかの上場廃止に追い込まれ、株が紙くずになろうとしている。

 企業の経営には株主にも責任があるのであり、日航経営がここまでの惨状に到る経過を株主は黙視していたわけだから、当然その責任をとって、株が無価値になるのも受容しないといけない、というわけなのだが、…日航については、それってちょっと違うんでないという気がする。

 人が株を買う理由はいろいろあり、例えば企業支援のためという志の高い人もいれば、普通に株値上昇を期しての金儲け目的の人もいるし、定期預金代わりの配当目当ての人もいて、…じつにあらゆる目的で人は株を買っている。

 そのなかで日航の株って、配当は長年ゼロだったし、爆上げが期待できるような企業でもなく、お金に関しては魅力はあんまりない株であった。にも関わらず、日航の株を買った人が何を目的としていたといえば、航空券が半額になる株主優待券であるに決まっており、実際に38万人の個人株主がこれを目当てに日航株を保持していたという。

 優待券は使わねば役に立たず、そして使うことは航空券を購入することであり、ゆえに日航株主は、日航の経営を支える優良な顧客であったことは間違いない。たとえ株主総会には出席しなくとも、日航の経営をサポートし続けた立派な株主であり、経営責任をとらせるのは、どう考えてもおかしく思うなあ。

 私は日航株は保有していないけど、とても他人事には思えない。
 というのは旅行好きの人は、優待券目当てに航空会社や鉄道会社の株を保持していることが多く、私もそれ目当てでANAの株を保有しているからだ。

 JALもANAも日本全国似たような路線の飛行機を飛ばしているので、どちらの株を買ってもいいのだろうけど、(ANAはだいたいJALの2倍の値段をしていた違いはあるが)、私がANAの株を買ったのは、ただ単に北アルプスの立山・後立山連峰に登るときに使っていた「福岡・富山便」が、ANAしかなかったからという理由による。この路線がなかったら同じ値段でより多くの株を買えるJALの株を買ってしまっていた可能性が高い。危ないところであった。
 「福岡・富山便」は不採算路線であったらしく、数年前に廃止になってしまったが、この路線があったことで私は数百万円の損をせずに済んだわけで、私にとっては紛うことなき「幸運の便」であった。

 今はなき「福岡・富山便」に満腔の感謝を捧げ、この項を終えることにする。

 (…しかしこの航空界大不況のなか、いつまでもANAが健在とも思えないんだよなあ。といって敢えて売る気もしないし。株ってじつに難しい)

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January 09, 2010

イタリア創作料理 KANAYA (延岡市土々呂町)

 午後に仕事が終わって、美味しいパスタ料理が食べたいなあなどとの話をしていると、同僚が「日向市にすごく美味い『たけしま』というパスタ屋がある。何年か前に行ったが抜群の美味さであった。あれは食べると絶対に満足する」と言う。
 本日は快晴であり、ドライブ日和でもある。それではドライブがてら、その美味いパスタ屋へ行ってみることにしよう。その前に、その「たけしま」という名のパスタ屋の正確な場所を知るためにネット検索すると、…あれ、もう閉店しているみたいだ。どうやら宮崎市に移ったみたい。場所からするとずいぶんと辺鄙なところにあり、いくら美味い店とはいっても場所的に集客が難しかったのであろうか。

 では近場で昼飯を、とも思ったのだが、すでに頭がパスタ+ドライブモードに入っており、少しばかり遠出をしてパスタを食べねばどうにも気がおさまらぬ。引き続きネットで、パスタ+県北で検索してみると、土々呂町にある「KANAYA」というイタリア料理店がなかなか良さそうである。

 で、当初の予定通り職場の四名、車でGo。

【スパゲティーニ】
Spaghettini

【コンキリエ】
Conchiglie

 パスタランチは、2種類のパスタのうち一つを選ぶ。
 スパゲティーニは、ムール貝と蕪のソースに小松菜添え。
 コンキリエはベーコンと豆にトマトソース。それにパルミジャーノチーズを乗せて。

 このスパゲティーニ、ソースは一見濃厚そうだけど、決して油っこくなく、爽やかな味付けであり、素材の旨さをよく出している。パスタの茹で加減もちょうどよく、上手なパスタ料理である。
 このパスタは当たりだ。
 KANAYAも「たけしま」ほどではないにしろ、決して便利なところにあるとはいえぬ所にあるが、店にはけっこう人が入ってきており、人気のある店のようである。地方にこのような実力のある店があるのはありがたいことだ。また、この店は終日禁煙であり、地方の店にしては珍しく、これは素晴らしいことである。

 店の名物の手作りデザートまで食べて腹を満たしたのち、ついでに日向市まで足を伸ばす。
 細島港の手前で、「たけしま」のあったところを見つけたが、たしかに閉店しており、「貸店舗」となっていた。交差点に「竹島」と書いていたことから、地名を由来につけた店名らしく、さて宮崎市ではなんという店名になっているのであろう。

【クルスの海】
Cross_sea

 日向市の観光名所、日向岬を訪れる。第一の名所「馬ヶ背」はなんと歩道の改修中であり、立ち入り禁止となっていた。2月26日までだそうだ。
 第二の名所「クルスの海」は、陽光が海にふりそそぎ、海の十字が美しく光輝いていた。

……………………………………………
イタリア創作料理KANAYA 延岡市土々呂町6丁目1734
TEL 0982・37・3911

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January 03, 2010

光洋@正月

 今年の正月休みは3日までなので(って、来年もそうなんだよなあ)、3日には戻らねばならない。短い休みであった。
 帰りは新幹線の中で窓の外を流れる風景を眺めながら、京都名物の鯖鮨などを肴にして酒を飲みつつ、九州に着くというパターンが多かったのだが、今年は趣向を変えて伊丹空港より宮崎空港へと、ひとっ飛び。
 というのは、光洋が元日より店を開けており、店でつくった御節料理も肴に出してくれるとのことなので、それならば帰りに寄ってみようと思い、それには宮崎空港経由のほうが便利であったからだ。

【雑煮】
Zouni

 正月なので、まずは雑煮から。
 宮崎は特に「宮崎流の雑煮」というものはないそうで、これは光洋家の雑煮らしい。
 福岡風の、澄まし汁に、ブリが入ったもの。
 食すと、うん九州だなあなどと思う。

【御節】
Osechi

 御節料理は、黒豆、卵、慈姑、蓮根、数の子、人参、筍、昆布巻きなどなど。
 京都の派手目の御節に比べると、素朴にして家庭的な温かさを感じるもの。
 こういうものも、なかなかよろしい。

【鮪】
Maguro

 鮨は魚市場の関係で、じっくり寝かしたネタが多い。
 年末から年始にかけて大変だったでしょうなあ。
 どれもきちんとした仕事を加えており、しっかりした鮨を楽しめた。


 正月というのに、店はいつしか人がどんどん入ってきて、大賑わい。
 年明け早々から鮨を食べたがる人の多さと、またこの店の人気の高さに感心した。
 私の隣には、鮨マニアの常連H氏が座り、本年度の挨拶を交わす。
 今年もまた、たくさん鮨を食いましょう。

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January 02, 2010

和食:俵屋(泉)

【泉】
Room1

 正月の俵屋旅館の二日目は部屋をかわって、「泉」の間にて。
 この部屋、とにかく広い。俵屋の部屋って、茶室を居住用に改造したようなものばかりだと勝手に思っていたけど、泉は、主間と次の間がまっすぐひと続きになって、その方向に大きな一枚ガラスで隔てられた庭があるので、全体としての空間の容量がかなり大きく感じられる。
 部屋は、柱、調度品、障子、桟、室礼、小窓、細部まで練りに練られた構想で設計されており、例のごとく完璧なのであるが、ただしそれらが設置された空間が広いので、その繊細さ緻密さが部屋一体に凝集せず、空間に漂ってしまい、なんだかしっくりこない。
 次の間も「空間の広さ」の表現としてしか存在の意味がないように思え、どうも「泉」は居て落ち着かない。まあ、次の間は寝室として使うので、じつは十二分に存在意義があり、また布団の上げ下げで主室がドタバタしなくてすむので、こういう部屋にいて落ち着かない者のほうが、どうかしているわけではあるが。

【泉:部屋と庭】
Room3

 庭は本格的な日本庭園。竹垣で隣の庭と仕切られ、苔むした土に樹々が植えられ、そこに石灯篭、柄杓に手水鉢、踏み石がバランスよく設置され、京都の宿の粋といえる美しい庭がガラスを通して広がっている。

 
 正月二日目の夕食。

【祝肴】
1

 柚子釜にはいろいろとたくさんの料理が入っていた。
 笹巻きの中には粟麩の松の実和え。ワラビ烏賊に、蓮根、人参、慈姑と、祝肴の通り、めでたい膳。

【造り】
2

 造りは平目に雲丹。
 雲丹はミョウバンなしで、板の上で形を整えている。

【椀もの】
3

 椀ものは鯛と蕪を煮込んだもの。
 上品な出汁であり、俵屋の得意とするもの。

【焼き物】
4

 真魚鰹の西京焼き。
 西京味噌はほんの香りつけ程度の漬け方であり、でもそれで真魚鰹の味がぐっと引き締まり、味も濃厚になっている。ありふれた料理ながら、ここまで美味い真魚鰹の西京焼きは初めて食べた。夕食はどれも美味かったけど、そのなかの白眉。

【お凌ぎ】
5

 俵屋の名物(と私が勝手に思っている)海老芋料理。
 これも尋常でない美味さ。海老芋って、料理のやりかたではここまで美味さが広がるのだと感心する。

【温もの】
6

 〆は正月らしく、まためでたい料理。
 伊勢海老の天麩羅に、信田巻き、菜の花を煮物にて。
 すこし控えめな華やかさが、また俵屋らしい。


 正月二日間、美味いものをいっぱい食うことができた。
 これで元気をつけて、平成22年を乗り切ってみよう。

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御節料理@俵屋旅館

 元日の俵屋の楽しみはなんといっても御節料理である。
 華やかで、美しく、新年を迎えることの喜びをとてもうまく表現している、そういう料理である。

【御屠蘇】
Otoso

 御屠蘇はこういう目出度い器で。

【焼き物】
Tai

 俵屋の御節の焼き物の定番、大きな鯛を尾頭付きで。
 緑鮮やかな松の葉を添えて、これも目出度さいっぱいである。
 今回は連泊ゆえ、明日は別のものが出るのだろうが、さて何であろうか。

【御節料理(1日目)】
1

 蒲鉾、卵、蓮根、数の子、鱈子、果物練り、昆布巻き、鰤、などなど。
 赤白黄色に、緑、茶色と色とりどりで、見た目はじつに鮮やか。
 それぞれの味付けも、繊細にして、味わい深いもの。
 俵屋旅館ならではの素晴らしい御節料理である。

【雑煮 白味噌】
Souni1

 雑煮はまずは京都の雑煮で、白味噌仕立て。
 上品な甘さが印象的。

【雑煮 澄まし汁】
Zouni2

 雑煮は重ねて食うのが縁起がよいのであり、おかわりを頼む。おかわりは、別versionの澄まし汁仕立ても用意されており、そちらを頼む。澄まし汁は九州のように魚の出汁を強くとったものではなく、やさしい感じの出汁であり、これも京風ではある。


【御節料理(2日目)】
2

 2日目の御節料理。
 興味を持っていた鯛の代わりの焼き物は、一品料理では出てなくて、この中の、甘鯛若狭焼きがそれに当たるみたい。
 昨日の御節に比べ、かなり濃厚系統になっている。
 白身を練りこんだ厚焼き卵に、大きなタコ、鴨のロースト、穴子の牛蒡巻き、肉巻き牛蒡、イクラ、サーモン、焼き蒲鉾など。
 鮮やかで、かつ力強い御節料理だな。

 昨日の御節料理とは一品もかぶっていない。
 俵屋の御節料理って、何種類作っているのだろう?
 俵屋旅館の正月は連泊する人が多いことでも有名であり、なかには1週間も泊まる人もいるそうだから、それに備えてのことなのだろうか。いずれにせよ、御節料理を作ることはそれだけですごく手間のかかることであり、それを高いレベルで、幾種類もつくりあげているわけだから、この旅館の底力というものがよく分かります。

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January 01, 2010

京都初詣

 今年は暖冬ということだが、12月31日には大寒波が到来し、日本海側は九州も含め雪が降った。京都の天気図を見ると、京都市も雪が降っている。これはもしかして京都で最も美しい光景とされる「雪の金閣寺」が見られるのでは、と期待した。
 しかし元日に京都市に着いてみると、京都駅周囲には雪など全く積もっていない。タクシーに乗って運転手さんに聞いてみるが、北山方面も雪は積もっていないとのこと。その時点で金閣寺に行く理由もなくなってしまったのだが、頭が金閣寺モードになっていたので、初詣とは関係ないけど、金閣寺をまず訪れた。

【金閣寺】
Kinkaku

 午後の斜めの柔らかい日差しを受けた金閣寺は、これはこれで美しいのであった。
 さすが世界遺産。

 さて、次は初詣。
 金閣寺の近くといえば下鴨神社か天満宮。気分の問題で、下鴨神社へ歩いていく。
 …寒い。雪もちらほら降っていた。

【下鴨神社】
Shimogamo

 下鴨神社は京都の中でも有数の歴史を誇る、古い歴史を持つ神社。神社自体の格も、上鴨神社とならんで、京都で一番高いことになっている。
 境内には干支ごとにお参りする社があり、自分の干支の社を探して、本年度の無病息災などを祈る。

【伏見稲荷大社】
Fushimi

 伏見稲荷大社は、全国に数万もある稲荷神社の総本営である。
 参道には狛犬の代わりに、稲荷狐が置かれていたりする。
 なお、稲荷神社を「狐を祭っている神社」と勘違いしている人が多いけど、稲荷神は字がそのまま示すように穀物・農業の神様であり、稲荷狐は、その神様の使いである。

 理由はよく知らないのだけど、伏見稲荷大社は京都で最も初詣に来る人が多い神社であり、そのとおりにすごい人出だ。
 名物の千本鳥居でもくぐってみようかと思っていたのだが、着くまでが大渋滞だし、千本鳥居はさらに大渋滞であろうから、断念。

 JR伏見駅は宇治に直通しているので、これも初詣とは関係ないながら平等院に行ってみる。

【宇治平等院 庭園と鳳凰堂】
Byoudou

【円窓からのぞく阿弥陀如来像】
Amidanyorai

 古い建築物はあらかた焼かれてしまっている京都において、鳳凰堂は奇跡的に残っている建築物の一つ。鳳凰堂内部は、国宝阿弥陀如来像を中心に置き、細密な透し彫りで作られた天蓋、装飾豊かな須弥壇、四方の絵画、壁に掛けられた楽器を奏でる菩薩たちなどで、浄土というものを表現している。阿弥陀堂が作られた当時そのままの鮮やかな色彩を再現したCGが平等院の宝物館で見られるが、当時の人の考えていた浄土とは、ずいぶんと豪華絢爛なところであったようだ。

【宇治上神社】
Kamiuji

 平等院の近くにある宇治上神社に初詣に行く。
 宇治上神社は平等院と同じくらいの時期に建てられて、焼かれることなく現存している、日本最古の神社建築である。ゆえに国宝だ。
 平等院、宇治上神社と、1000年もの間焼亡を免れている建築物があることから、宇治とは平和な地であったのだなと思う人もいるかもしれないが、宇治は交通の要所であり、戦乱のよく起きた地である。焼けなかったのは、だから奇跡といえる。

【八坂神社】
Yasaka

 京都市内中心部の神社は八坂神社へと初詣に行った。
 宵山、山鉾巡行の祇園祭を祭る神社であることで有名だ。
 幕末歴史マニアの私としては、八坂神社とは「新撰組が池田屋を襲撃する前に集合した場所」のイメージが強い。

 京都の神社はどこに参っても、人でいっぱいであった。
 観光地とかなら、「人がいっぱい」ということは、それだけで訪れる価値を下げるものなのだが、初詣ばかりは人が多くないと有難味がない。
 不景気の平成22年であるが、京都の初詣はどこも活気があり、こちらもなんだか元気を分けてもらったような気になった。

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和食:俵屋(招月)

【招月の部屋】
Room1

 平成22年の元旦は俵屋旅館の招月の間で過ごすことにする。
 大きなガラス窓から見える庭の樹々は紅葉の盛りである。1月になったというのに、なんたるサプライズ。枯木の枝だけが窓からのぞくよりは、よほどいい風景であり、これは幸運であった。
 招月は2階にある部屋で、庭の樹々の葉が最も多い高さにあり、空中庭園といった感じの面白い浮遊感がある。

【招月の部屋2】
Room2

 主部屋のほうには、招月専用の庭があり、椿が主役。椿は時期には少し早く、白赤二輪の花が咲いているのみであった。
 部屋については、相変わらず完璧である。
 室町時代に成立した日本建築の美学を直かに受け継ぎ、それに改善、改変、改良を重ね続け、「こうあるべき日本の空間美」というものを、現実のものとしてここに存在している。
 いかなる苦労、いかなる努力を払えば、ここまでのものを具象化できるか。ただただ頭が下がる思いである。

【蕨餅、大福茶】
Tea

 お着きの菓子は名物の蕨餅。(ちなみに翌日は羊羹であった)
 お茶はいつもの煎茶ではなく、正月ゆえに大福茶。京都の宿ならではもてなしです。

 初詣をなぜか金閣寺、それから下鴨神社に行ったのち、宿に戻って夕食となる。

【先附け】
Iseebi

 正月らしい料理ということで伊勢海老。ただ茹でたものではなく、身をほぐして野菜や椎茸と和えて、味付けしている。はなやかな味わい。
 それにカラスミにムカゴの塩ゆで。俵屋自家製のカラスミはねっとりとしたなか、小さな粒々の食感も残っており、見事な出来である。

【造り】
Tukuri

 造りは河豚の薄造り。穂紫蘇を散らして、美しい絵皿のような料理となっている。
 もう一皿は筍で、京都ではもう筍が出ているんだ。

【椀もの】
Wan

 蛤の真蒸は、ストレートに蛤の味を強く出しているもの。いつもの俵屋の出汁とはちょっと異なり、新鮮な印象を受けた。

【焼き物】
Buri

 寒鰤に下仁田葱の焼物。
 こういうものは何よりも素材の良さがじかに伝わってくる。

【お凌ぎ】
Yuba

 俵屋の湯葉は、大豆の味が濃厚にして豊かに広がる絶品もの。出汁も上品であり、湯葉の旨さをより高めている。

【煮物】
Kabu

 オコゼでとった甘辛い出汁が、柔らかく煮られた聖護院大根にたっぷりと浸みて、別次元の旨さに昇華する、本日で一番すごいと思った一品。

【赤飯】
Sekihan

 白飯の前に、正月らしく赤飯が。
 なにはともあれ、無事に平成22年を迎え、俵屋で元旦の夕食を食べられることは、めでたいことである。


 正月だから、豪華,豪奢系の料理が出るかなとも思ったが、いつものごとき料理に少しばかり正月の演出を加えている、正統的・本道的の俵屋の料理であった。
 素材の良さ、料理の技術の高さ、器の美しさ。京料理として、最高の水準に近きものであることを改めて認識した。

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Heil die Sonne

 夜は少し寝たと思ったら早朝叩き起こされて、仕事開始。
 3時間ほどは寝られたか。
 見習君は夜通し働き、完徹状態。いくらなんでも24時間ぶっ続けで働くのは、労働基準法的にも問題あり過ぎ。だいたい、当職場は半年ほど前に労働基準局から監査が入り、改善を勧告されたはずなんだが、いっこうに改善の気配がないなあ。
 この前所長にどうにかしないと職場からまた人がいなくなりますよと上伸しに行ったのだが、「改善に前向きに努力はしています」みたいな回答を得たのみであった。
 働く人を大事にしない職場は衰退せざるをえないと思うんだけど。

【初日の出】
Sun

 早起きついでに、初日の出を見物。
 本日は宮崎は晴れであり、荘厳な初日の出を見ることができた。

 平成21年年末は、平成20年同様にハードに働いた。というか、働かせられた。
 仕事を後任に引き継ぎ、さて年始は京都で過ごすことにする。

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