京都雑景
京都はちょっと意外だけど古い建築物というものは少ない。平安時代に築かれた寺社仏閣のたぐいは、その多くが応仁の乱で焼かれてしまい、今建っているものは古いものでも、せいぜい秀吉、家康の時代、平和になってから再建されたものばかりである。しかもその時代のものでも、中心部にあったものは、天明の大火、あるいは禁門の変であらかた焼けてしまい、その後に再建された。
京都は、古きものをうまく近代にあわせて再建させて、特徴ある景観をつくっていった、リニューアルの達人の地なのである。
そのリニューアルの地にて、ぶらぶら歩いているなかで発見したいくつかの物件。
京都で最も有名な旅館は「池田屋」であろうと思われる。
新撰組と勤皇志士たちの激闘の舞台であり、明治維新に深く関与した事件のあったところなので、残っていたら京都有数の名物となっていたはずだが、残念ながら旅館は騒動とともに営業停止となり、そのうちなくなってしまった。池田屋の跡地は、100数10年を経て、小さなパチンコ屋となっていた。池田屋騒動を偲ぶよすがは、パチンコ屋の前に建てられた「池田屋騒擾跡」の石碑のみであった。
…のだが、いつのまにか「池田屋」という居酒屋になっている。
建て変えるのなら、資料館みたいなものにしてほしかった気もしないではないが、パチンコ屋よりは居酒屋のほうがよほど気はきいている。店のHPで調べると、店内にはあの階段落ちの大階段があり、店長はだんだら模様の制服を羽織っているという凝りよう。これは幕末マニアには、ちょっとした名所になれそうだ。
京都麩屋町通には、老舗旅館が柊家,俵屋,炭屋とあり「御三家」と呼ばれている。
炭屋には新館に一回泊まったことはあるけど、まあなんとも独特の部屋であって、どうにもその表現は難しいのだが、とりあえず独特の部屋であった。
今回、前を通りかかると改築中である。その改革中のところは、前に私が止まった新館の部分だな。たぶんは上手くリフォームされるであろう。
良い料理を出す旅館でもあったので、老舗旅館のリニューアルにエールを送っておく。
武蔵坊弁慶は石のコレクションが趣味であり、京都で見つけて気に入ったこの石をずっと持ち歩いていた。弁慶は奥州高館で亡くなったので、石もその終焉地の地に置かれたのだが、主人が亡くなると「奥州はイヤ、京都に帰りたい」とわんわん泣きわめき、その喚き声を聞いた周囲の人は熱病におかされてしまった。こりゃたまらんと石は京都に戻され、弁慶石と名付けられて、三条京極に設置されたとの伝説を持つ。
けっこう危なくて怪しい石なのだ。
その危険な石の奥に、「よーじや」経営のお洒落なカフェが出来て、若い人たちでにぎわっている。
どうにもミスマッチな風景。
弁慶石が気分を変えて、「今度は主人の弔いのために奥州に帰りたい」と泣き出したら、どういうことになるだろうなどと物騒なことも考えてしまったりして。
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