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December 2009の記事

December 31, 2009

年越し蕎麦は「どん兵衛鴨だしそば」にて

 大晦日といえど朝から仕事。
 朝の9時から夜の9時まで食事も満足に取れずにぶっ続けで仕事を行う。
 べつだん仕事がしたくてやってるわけではないが、世間さまがいくらでも仕事を持ってくるので仕方ない。世は不況というのに、なんで我々だけいくらでも仕事が湧いてくるのであろう。

 本日は見習君も一緒に働いているのだが、「こんなことやってると、ぜったいに長生きできませんね」とか言う。まあ、それが嫌になってみんなそのうち辞めてしまうわけだが。

 11時過ぎてようやく一息つけるようになり、紅白でも観てみるうち、年越しが迫ってきたので蕎麦の用意。いつもは「どん兵衛てんぷらそば」なのだが、某グルメ系MLで「どん兵衛鴨だしそば」がかなりの傑作という話題をみて、ならば試してみるかと思ったのだ。

【日清どん兵衛鴨だしそば】
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【中はこんな感じ】
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 具のつみれも、南蛮も自然な感じであり、フェイクの食品が実物に近付いている。蕎麦も、そこらの蕎麦よりもいい香りがして、出汁もたしかに鴨の味が広がっている。
 たしかにこれはいい出来のインスタント食品だ。
 というか、日清のインスタント食品って、どれも優れものばかりだからなあ。
 とくに「きつねどん兵衛」は名作だと思う。


 それやこれやで、年越し蕎麦をテレビの除夜の鐘を聞きながら食べる。
 日本人の代表的大晦日の過ごし方だな。(て、ほんとか?)

 さて、朝までまだまだ仕事だ。気を抜くことなくがむばらねば。

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December 30, 2009

読書:世界は分けてもわからない 福岡伸一(著)

 福岡氏は現役バリバリの生物科学者であり、文章も達者なことからその著作は面白いものが多い。
 しかし今回の著作は構成を複雑にしすぎているようで、個々の章はよく出来ているものの、全体のまとまりが悪く、どうにも散漫な印象を受ける。まあ、著者は全体に一本の芯を通す努力はしているようなので、それを読み切れない私の読解力に問題があるのだろうけど。

 それはともかく、12章あるうち、8章から12章までの最後の5章がここだけでも読む価値があるくらい、抜群に面白い。
 1980年代、E・ラッカーという高名な生化学者が、癌化におけるリン酸化カスケード理論、「まず司令塔の酵素があり、それにより酵素が次々にリン酸化し、最後に細胞のリン酸化が起きて、細胞が癌化する」を提唱した。ラッカーの研究室はその仮説を実証すべく、蛋白生成、酵素反応、電気泳動の実験を膨大な数行うのだが、誰もその理論を立証できなかった。
 ある時、大学を卒業したばかりのマーク・スペクターという若い研究者が研究室に入り、彼が実験をすると、今まで誰も証明できなかったカスケード理論を立証するデータを次々に生み出していく。スペクターの実験は彼のみしか成功しないものが多く、彼は「神の手を持つ実験者」と皆からみなされるようになる。
 スペクターの努力により、ラッカー教授のリン酸化カスケード理論は完璧に近いものに完成し、あの超一流学会誌「cell」にも論文が載った。

 …しかし、ひょんなことから、彼の実験はすべて捏造ということがばれ、スペクターは遁走して、いまだに行方不明である。
 スペクターは天才的実験者ではなく、天才的詐欺師であったのだ。

 ところで、リン酸化カスケード理論は1990年代には完成しており、分子生物学上の大発見とされていた。そのなかでも司令塔蛋白であるチロシン・キナーゼの研究は、新薬開発の宝の山であり、2000年代にはどんどんその阻害薬が実用化され、たぶん本邦ではそれらの薬は何百億から何千億円の規模で使われている。10年ほど前も、私がいた教室ではチロシン・キナーゼの生物活性の研究はいつも誰かがやっているくらいポピュラーな研究であった。

 そのため、この章を読んでいてリン酸化カスケード理論が誤りであったことを知り、???と不思議に思った。
 正確にいえば、リン酸化カスケード理論は、ラッカー教授の予想通りであった。ラッカー教授の予想した通りの分子量の酵素がリン酸化のために列を並んで存在していた。しかしながら、その酵素はカーク教授の研究室でマーク・スペクターの「発見」したものとはまったく別のものであり、また司令塔の蛋白も、スペクターが示した「src」でなく「ras」であった。
 ラッカー教授は自分の考え出した理論だけ発表していたら、いつかはどこかの研究者がそれを立証し、その理論を考え出した大科学者としての名誉をほしいままにしていたはずだが、天才的詐欺師の弟子にだまされたせいで、名声は地に落ちることになった。

 リン酸化カスケード理論は、この発見により新しい抗癌剤が続々と生み出されたくらいの、ノーベル賞級の大発明なのであって、誰もが追試をするのは当然で、スペクターの捏造はいつかはばれるに決まっていたのだが、スペクターは奈落に至る捏造の道をひた走り続けた。
 スペクターも最初のほうはちゃんと実験をして、そしてリン酸化カスケード理論を証明するdataを得られず、出てくるのは否定的なnegative dataばかりであった。negative dataを量産する研究者とは、じつはあまりに当たり前の存在なのであり、これをpositive dataに化けさせる捏造の誘惑は誰にも生じるのであるが、その誘惑にここまで見事に負け、荘大なホラをふいた研究者もまれなる存在であろう。

 スペクターは、必然的に訪れる破滅よりも、捏造のdataを発表して得られる一時の偽りの栄光のほうを、大事に思い、わが喜びとした。
 この暗くとも激しい情熱には、心うたれるものがある。

 失踪したスペクターが、今なにをやっているのか。
 実験の腕は確かだったのでどこかで研究者をしているのか。それとも天性の詐欺師の才能を生かしてその道を進んでいるのか。それとも、普通の生活人となっているのか。あるいは、もはやこの世の人ではないのか。
 非常に興味がある。

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世界は分けてもわからない

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December 29, 2009

五ヶ瀬スキー場

 五ヶ瀬スキー場がオープンとなったので行くことにする。
 日本最南端にあるこのスキー場はコースが変化に富んでおり、距離は1km程度なのにけっこう滑り甲斐がある、いいスキー場だ。

【五ヶ瀬スキー場】
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 12月中旬に寒波が来たので、上から下までフルオープンである。人も少なめだったので、全長気持ちよく滑ることができる。

【ダイナミックコースの紹介】
Dynamic

 五ヶ瀬スキー場にはコースが2本あり、赤矢印で示したコースが、五ヶ瀬名物「ダイナミックコース」。このスキー場は風が強いので、急傾斜のダイナミックコースには雪が積もらず、このコースが滑られるようになるのは、霧を含んだ強風が吹き付けそれが凍り、巨大な氷の壁となったときだけである。傾斜30度の一枚の大氷壁は、一度転べば一挙にコースの底まで滑り落ちて行ってしまう過激なコースであり、日本でも有数の難易度を誇るコースだ。
 ただし、そのコースを楽しめるのは、気象条件のよいときだけで、年間10日程度。本日も当然のことながら、氷のつきは悪く、closeであった。


 さて、今回は職場の若手2名も一緒に来たのだが、ボードの練習している風景をみていると、まったくボードの上に立てない。立った瞬間にボードが滑り、こてんと転んでいる。初心者とか言っていたが、ほんとうに本格的な初心者だったんだ。
 しょうがないので私が立ち方を教える。もっとも私もボードはやったことがないので、教科書的に体重移動のやり方をあれこれ傍で言うだけである。
 そうこうしているうちに二名とも立てるようになり、よれよれながらリフト乗り場までは下っていけた。なんとかなるもんだ。


 五ヶ瀬スキー場は、スキー場の端にモーグルコースが刻まれており、これも魅力の一つである。島根から西はモーグルが流行らないところであり、スキー場は多かれど、モーグルコースがあるのはここと広島の八幡高原191スキー場くらいしか私は知らない。
 本日は膝の調子が悪いのでモーグルコースは滑らない予定だったのだが、モーグルコースを実際に見てみると、滑りたくてたまらなくなり、やっぱり滑ってしまった。ストックのタイミングとコブのリズムが合うと、ひょいひょいとコブを越えていくことができ、これは快感である。まあだいたいはどこかでリズムが崩れてしまうのだが。

 モーグルコースはけっこうな本数を滑り、大いに満足。
 でも帰ると、また膝の痛みがぶり返してきた。
 …バカである。

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December 27, 2009

宮崎市、忘年会、光洋の土産

 宮崎市には映画を観に出たのだが、本日は「りんりん館」の忘年会があったのでそれにも参加。
 りんりん館忘年会は年忘れサイクリングも兼ねていたのだけど、サイクリングは膝の調子が悪いのでそれには参加せず。しかしあとでコースを聞いてみると、宮崎市から椿山を越えてそれから南郷へ抜ける110kmの面白そうなコースである。こういうコースを隊列組んで走ると楽しいだろうなあ。

 忘年会は郊外の居酒屋で、アラを持ちこんでのアラ鍋。宮崎では珍しい鍋である。この会は食通のA氏が仕切っているので、なかなか食事のレベルが高い。
 集まった人は皆同じような体型で、かつスモーカーが全くいない。自転車愛好者の特徴であろう。

 愉快に食べて、愉快に飲んでお開きとなる。
 宮崎駅に着くと、列車の時間がまだまだ先なので、光洋に寄って鮨を少しばかりつまんで、職場への土産を買って帰る。

【太巻き】
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 この前がちらし寿司だったので、今回は太巻きにする。具がたっぷりとつまった大きな寿司で、食いでがあり、これも好評である。

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映画:The 4th kind フォース カインド

 小説でのミステリ部門では、「ノックスの十戒」という作者の守るべき掟のようなものがあり、その十戒の中の一つに「中国人を登場させてはいけない」というのがある。今となっては、?というべきものなのであるが、「ノックスの十戒」が書かれた1920年代には、「中国人というのは怪しい魔法のようなものを使う人種である」てな共通的な一般認識があり、そんなものを作中に登場させてはミステリは何でもありの世界になってしまうので、中国人登場禁止となっていたわけだ。

 フォース カインドは、基本的にはミステリものである。

 簡単なあらすじを述べる。
 アラスカのノーマという小都市では、不眠症に悩む人が増えていた。彼らを治療していた心理学者タイラー博士は催眠療法で不眠の原因を探るが、複数の患者が「白いフクロウが自分を見ているので眠れない」と同じことを言うのを不思議に思っていた。そして「フクロウが見えなくなった」と言った患者が怪死を遂げ、その後に「フクロウが見えなくなった」という患者が現れたので不安を感じ、その患者に催眠療法を行いフクロウが見えなくなった時の記憶の再生を試みる。眠りに入りその時の記憶を述べようとした患者は突然絶叫し、物理法則に反してベッドから浮き上がり、身体がねじれて脊椎が折れてしまう。
 それは傷害事件なので、警察が現れ「お前はいったい何をしているんだ」と博士を詰問するが、博士も答えようがない。
 謎の探求を進める博士が自分の口述テープの文字起こしを助手に頼む。その作業を行っている助手が、博士にテープを持ってきて、青ざめた表情で自分はこれを理解できないと言う。テープを再生すると、そこに博士が自分が言ったことの覚えのない言葉と、それに答える人間とは思えない者の奇怪な言語が録音されていた。

 …という具合の、けっこう魅力的な謎が満ちている物語である。
 この謎への謎解きに、「怪しい中国人が超能力を使ってそんな不思議なことを行っていた」という解答はしてはいけないというのが「ノックスの十戒」だ。しかし中国人は掟で使ってはいけないが、「宇宙人」はノックスの十戒に載っていないこともあり、「宇宙人犯人説」はミステリでも使用可能である。(よくは知らんが)
 そしてこの映画は、題名からしてはっきりと宇宙人モノなのであり、解答に「宇宙人がしたから」となるのは、非常に高い確率であり得ることとなる。そして残念ながら、解答はそうだ。


 不可解で非現実的で、それがゆえに魅力的な謎を、「宇宙人がしたから」との解答を用いて解決し、観客を呆然唖然とさせた映画として、我々は既に「フォーゴットン」という怪作を持っているが、「フォース カインド」も張り込み刑事に宇宙人(あるいは宇宙船)を見させたことで、一挙に駄作になっている感は否めない。

 もったいないと思う。
 映画のミステリ部のいろいろな伏線は、宇宙人を登場させなくても、例えば島田荘司とか綾辻行人とかだったら、きれいに収束する脚本を書けたと思う。(特に島田荘司とか、そういうのを生きがいにミステリ書いているような人だし)
 とりわけ、タイラー博士の夫の死亡の真相を警察が明らかにするところでは、ここで今までの博士の行動の意味が反転するような衝撃があるわけで、そこで博士こそすべての奇怪な事件の中心人物である(と、警察も疑っていたわけだが)との解決に向かっていったほうが、より怖く、衝撃的であったと思う。

 あ、本当に怖く、衝撃的だったのは、ミラ・ジョボヴィッチでないタイラー博士の本物の方の最初の登場シーン。
 あれはまじに怖い。映画で、あんなに怖かったのは、ハリウッド版の「リング」でどこかの家の中にびしょ濡れのサマラちゃんが立っていた一瞬のシーンを観たとき以来だな。
 怖い映画が好きな人は、フォース カインドの、博士へのインタビューシーン観るだけでも、この映画を観る価値あり。

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The 4th kind フォース カインド 公式サイト

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映画:アバター

 予告編でここまで詳細にネタバレをやっている映画も珍しいとは思う。
 予告編観ながら、これは「ダンス・ウィズ・ウルブス」のSF版なんだろうなあ、あんまり面白くもなさそうな話だなと思いはしたが、何しろ巨額の製作費をかけて作られた世界初の本格的3D映画であり、映画の歴史において革命的変革をもたらす可能性のある映画であることから、やはり観るべきであろうと思い、3Dバージョンを観ることにした。

 3Dそのものの感想はといえば、私が想像していた「物が立体的に見える」という見え方でなく、「平面な絵が遠近感をもって並ぶ」という見え方で、奥ゆきは感じるものの、あまり迫力は感じなかった。
 しかし3Dの効果はたしかに著明で、物語中重要な存在である「神の樹」が飛ばす種のふわふわした浮遊感は、3Dでないと表わせないものであり、たしかにこれからは画像に凝った映画は3Dが標準ということになるであろう。

 物語の筋については予告編通りであり、だいたいの想定内の進行と結末に到るわけであるが、物語の世界観についてはけっこう雄大かつ複雑なものがあり、「ダンス・ウィズ・ウルブス」に、「エイリアン2」+「もののけ姫」+「惑星ソラリス」などの要素が加わっている感じで、けっこう深い内容のものになっており、観ていて飽きることはない。

 個人的には、ヘリのパイロットを演じたミシェル・ロドリゲスが一番格好よかった気がする。彼女は常に勇敢で賢く、またタフであった。
 …それにしても、ミシェル・ロドリゲスっていつもいつも似たような役をやっているなあ。たぶん本人その人がすごく「強い女」なんだろう。

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アバター 公式サイト

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December 22, 2009

熊本出張、「銀杏釜めし」でワタリガニを食う

 本日は年に一回の定例である、本社での社長面談があり、熊本市まで出ることになった。
 当社は従業員100名ほどの中規模企業であるが、社長は毎年末、従業員全員に面談をしているので、私のような下っ端でもはるばる出て行かねばならないのである。
 このときばかりはフォーマルな格好をしないといけないので、押入れからスーツを引きずり出して着、ネクタイもしめ、靴もちゃんとしたのを履く。一年に一度しかそれらは使わないので、スーツも靴もまったくよれていないなあ。あと20年くらいは使えそう。

 本社に着き、遠いところから集まった面々から各職場の状況などを聞くが、どこもとんでもないことになっている。ここまで人手不足が進行してしまうと、各地区の職場の立て直しなんてとても不可能に思えてしまうなあ。本社でも人は減る一方だし。もちろん当職場も危機的状況である。

 面談では、業績報告、当職場の状況報告など行い、なにごともなく無事終了。

 面談ののちはせっかく熊本市に出ているので、久し振りに会う元同僚と熊本市繁華街まで飲みに出かける。本日は忘年会シーズン真っ盛りゆえ、街はにぎわっていた。

【ワタリガニ】
Club

 私は九州人なので、蟹といえば「ワタリガニ」のことだと思っている。
 蟹の味の濃厚さにかけては、ワタリガニは他の蟹よりも一頭地を抜いた存在であろう。ワタリガニに比べると、タラバガニは大雑把な味に、ズワイガニは繊細すぎる味に思える。そしてワタリガニは身に加え、内子がたいそう美味であり、今の時期だとこれがびっちりと甲羅につまっていて、絶品の存在となる。ただし、なかにはこれがきちんと甲羅に詰まっていないワタリガニもあり、そういうのに当たると一匹分無駄にしたようなもので、ワタリガニの魅力が半減してしまう。そしてワタリガニはサイズが大きくなると内子がスカスカになる確率が高くなり、そういうスカスカのワタリガニに出くわすことは、じつは決してまれなことではない。
 本日訪れた居酒屋「銀杏釜めし」は、このワタリガニの仕入れは精度が高く、今まで食ったなかで外れたことがない。それゆえ、ワタリガニを当然頼む。生簀から運ばれたワタリガニのサイズを確認し、それから茹でに入る。
 その後でてきたワタリガニは、期待通りに甲羅中に内子がぎっしりと詰まった素晴らしいワタリガニであり、それに身も蟹の味が濃厚であり、とてもよい「旬のワタリガニ」であった。

 他に頼んだメニュー、刺身、馬肉コロッケ、下足天麩羅もいい素材を使っていて、居酒屋的に美味い。いくらでも酒が進む。

 と、同僚も私に負けず劣らずにガンガンと飲み、…そういえば彼が私同様にいくらでも飲む男であったことを思い出した。
 明日は祝日であることもあり、馬鹿話に笑いころげながら、際限なしに酒を飲むのでありました。

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銀杏釜めし 熊本県熊本市花畑町12-16
TEL:096-356-7788

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映画:This is It : Everybody loves Michael Jackson

 この映画は泣ける。
 誰しも観終わったとき、泣かざるをえない。それほど感動的で、かつ悲劇的な映画である。

 This is itはロンドンで行われる予定であったマイケル・ジャクソンの公演のリハーサル風景を記録したものを映画化したものだ。
 世界中から選ばれた、ダンサー、ミュージシャン、ミキサー、振付師、衣装係、演出家、CGグラファー…たち超一流のスタッフをマイケル・ジャクソンは統率して、ロンドン公演の各演目の演奏を完成に近づけていく。
 スタッフたちはみなマイケルを尊敬し「マイケルと仕事をしたい」思いで集まった人たちであり、マイケルは圧倒的力を持つ存在なのだが、マイケルは誰にも親切であり、また心優しい。マイケルはほんとうにgentleな人なのだ。
 そして、ミュージシャンの指示とかで、マイケルは楽器は弾けないのだが、口で楽器の真似をして自分のやりたい音楽を伝えていく。そのフレーズやリズムはまさに完璧であり、マイケルの音楽家の才能の凄さが分かる。ダンスにいたっては言わずもがな。ダンサーを引き連れ踊るとき、若く体力豊かな若者にまじっての踊りで、マイケル・ジャクソンのダンスは、結局はマイケル・ジャクソンにしか踊れないのだなあということがよく分かる。
 音楽、ダンス、これを舞台で演じるときのマイケルは、まさにミューズの申し子のような人であり、いや「神が人に喜びを与えるために使わした」ミューズの化身そのものに思える。

 マイケル・ジャクソンは、神から作曲、ダンス、歌、これらを扱う最高級の才能を与えられた。マイケルはその才能をただただ発揮してきた。マイケルは歌を歌い、踊ることが、人を喜ばせ、かつ自分も喜ぶということを幼いときから知り、それを行うことが人と自分の幸せになると信じて人生を邁進してきた。

 マイケルは、文学的意味で、永遠の少年だったと思う。
 少年というものはじつは形而下的存在であり、大人同様に、世知辛く、狡猾で、損得だけで動くような存在なのだが、しかし稀に自分には他の人を喜ばすこと才能があることに気付き、それを磨きあげることが自分の幸せと思う少年がいる。
 私たちは歴史で、例えばモーツァルトという「永遠の少年」をすでに得ている。音楽の至高の才能を持ったモーツァルトは、人を喜ばすことに幼少の時から懸命の努力を費やしてきた。そして彼の音楽はたしかに成功したが、それによる世俗の成功は、彼を利用する人々により食い荒らされて、芸術ではあれほどの成功をおさめたモーツァルトも、実生活では惨めとしかいいようのない生活を送らざるを得なかった。しかしそんな生活のなかでも、モーツァルトは、少年の純粋な探求心と好奇心で、作曲を続けていき、晩年の作品は聞く人誰もが深い感動を覚える、芸術史の中でも最高の部類のものとなっている。


 マイケル・ジャクソンをあのモーツァルトと同様に述べるのはおかしいでしょうか?

 しかし私には、もしモーツァルトが現代に居たとしたら、それが誰に近いかと言えば、マイケル・ジャクソン以外思いつかない。
 誰よりも美しい音楽を作り、誰よりも人を楽しませ、でも誰よりも傷つき、しかし誰よりも優しかった。


 映画の終わりで、公演のリハーサルが完成に近付き、打ち上げのような形でマイケルをスタッフ皆が囲むシーンがある。
 マイケルを愛し、マイケルを尊敬し、マイケルと仕事をすることに至上の喜びを感じていた者たちが、目前に迫ったコンサートを前に高揚しながら、マイケルと手を触れ合う。
 マイケルというミューズの化身と一緒に仕事をした喜びが画面いっぱいに伝わってくる。

 みんな、マイケルを愛していた。

 そして、それは私たちも。

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This is it 公式サイト

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December 20, 2009

寿司:やぐら寿司@延岡市

 延岡は近くにいくつも漁港があり、新鮮な魚が手に入りやすいことから、寿司屋や居酒屋ではいい素材が用意されていることが多い。
 そのなかでもとくに地の素材にこだわった寿司を出す寿司店が、やぐら寿司であろう。

 ここの名物は、近くの北浦漁港で養殖されている「ひむか本サバ」。養殖といっても、きちんとした管理がされており、養殖特有の変な脂のにおいとかはなく、夏とかは天然モノよりも脂の乗りがよく、こちらのほうが美味だったりします。
 ひむか本サバは、生でももちろん美味く、〆てもさらによし。

【〆鯖握り 生と炙り】
Saba

【鯖のツマミ】
Saba2

 近くの漁場で獲れた養殖のサバゆえ、活きたまま市場に運ばれるため、ここではツマミに鯖の内臓が出てくる。生きてる鯖は、寄生虫は腸の中にしかいないので、内臓も身も生で食べて大丈夫という教科書的知識は持っているが、最初はすこしびびってしまった。
 今はオツな酒の肴として、私の好物になっている。

【カワハギ】
Kawahagi

 カワハギは肝を載せて。
 新鮮そのもののカワハギのコリコリとした食感と、肝の豊かな味を楽しめる寿司。

【車海老】
Kurumaebi

 車海老は大分のほうが良いものがあるので、大分細島から直接仕入れて、それを水槽に入れて、踊りで寿司になる。活きつくりの、強い弾力の身と、そのほんのりした甘さが印象的。

【けっとばし】
Ketobashi

 宮崎ならではの握りといえば、牛肉の握りの「つきとばし」と、馬肉の握りの「けっとばし」。その名前の由来は、肉の材料になった動物の行動様式を考えれば容易に理解できる。
 まあ、話のネタにはなる。

 握りはシャリとネタのバランスもよい。
 地方の寿司って、妙にネタだけ大きいとか、あるいは両方大きすぎるとか、バランスの取れていない寿司が多いのだけど、ここの寿司にはそういうことはありません。
 店主は東京とか関西とかで修業したというわけではなく、延岡で40数年間ずっと寿司を握り続けていた人です。一度は修行に出たかったのだけど、延岡が好きで、ついついずっと地元で居続けていたという、生粋の延岡寿司職人。
 地元の素材を大事にすることと、その経歴から、やぐら寿司は延岡を代表する寿司屋に思えます。

 また、この店は地方の寿司店には珍しく、カウンター禁煙です。それだけでも、ポイントアップなうえ、寿司もうまいので、寿司好きの人が延岡を訪れたときなど、お勧めの店です。

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やぐら寿司 延岡市船倉町2丁目5−4
        TEL 0982-35-6963

ひむか本サバ

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December 19, 2009

読書:リーマン予想は解決するのか 黒川信重 小島寛之 著

 素数とは1とそれ自身の数でしか割り切れない数のことで、具体的には1,2,3,5,7,11,13…と続いていく。素数は無限にあるのだが、素数の出現には法則性がなく、いかなる数が素数となるかを予測する手法がない。そのため、いまだに素数とは、根性で計算して、それが『1とそれ自身の数でしか割り切れない』ことを証明したのち初めて素数として認定される数となっている。そのように素数に関してはその存在の証明がすごく手間がかかるため、それを利用して現在のインターネットのセキュリティに関しては素数を暗号として用いて、安全性を確保している。

 しかし素数の出現に関しては、じつは法則性があると予想したのがリーマン予想であり、これが証明されれば、現在のネット世界は甚大な影響を受けてしまうそうだ。
 数学会上の最大級の難問であるリーマン予想が我々の生活に、直接な関わりがあるそうで、最近もっとも注目を浴びている

 この「リーマン予想は解決するのか」は、書評によれば「数式をほとんど使わず、言葉によるイメージで数学を解説する」という趣旨で書かれたものだそうだ。大学卒業以来とんと数学に縁のない私のようなものでも、リーマン予想についてそれなりに理解できるよういなるのではと思い、アマゾンで購入した。

 読んで驚いた。

 なにがなんだかさっぱり分からない。

 著者らがリーマン予想の誕生や歴史、すごさについて熱く語っているのだが、その前提の関数の定義がこちらに何の知識もないものだから、日本語で書いていながら、知らない異国語を読んでいるようなもので、著者らが語っているものがいったい何なのかまったく理解できない。

 とりあえず、著者らのリーマン予想に対する熱い情熱が分かっただけで、半分以上読了。
 半分過ぎたところで、数学をあまり知らない人の初級講座として数式入りの解説章が始まるのだが、…ここからが俄然面白くなる。
 (著者らは数学をよく知らない人はそこから読めと巻頭に書いているので、それに従うべきであった)

 リーマン予想とは、もともとはオスラーのゼータ関数のゼロ点は一線に並ぶことの予想なのであるが、このゼータ関数が美しい。具体的には、

【ゼータ関数】
Zeta07

 これがまずsが2のとき、
000f9d03_3

 というため息が出るほど美しい式に収斂する。
 ちなみにここでなんでπが出てくるんだいと誰もが思う(私も思った)疑問は、著者は以下の三角関数における無限次の多項式の因数分解の方法を紹介し、鮮やかに解決している。
Maclaurin2_05

 そしてゼータ関数は、素数に関しても数式が成り立ち、オイラー積として表現される。

【オイラー積 :pは素数】
88937d052e5affdf5bc53c549c35da3b_2


 ゼータ関数の1,2,3,4,5…と整数が規則正しく続いていく式が、あの無秩序に並んでいるような素数ときちんと対応して、その総和が等記号で結ばれること自体が、素数の秩序性を示しているような気が、数学の素人としてはしてしまうのだが、この式からリーマン予想までの道程がまた面白い。

 人類は数学を思考するためにまず数字というものを発明した。次いで、0、小数、虚数というものが発見され、その大発見ごとに数学は飛躍的に発展した。とくに虚数の発見は重要であり、これにより今まで一次元上に表していた数というものが、二次元的に平面上に存在するまでに範囲が広がった。数学の研究はさらに進み、今では数は特性を持つ集合体として理解されるようになり、立体的な次元に存在するまでにその定義を広げている。これが「イデアル理論」というもので、現代の数学の主流の考えとなっている。
 リーマン予想は、オイラー積をこのレベルまで数を定義し直さないと、全体像が見えてこないそうで、そうなるともはやリーマン予想の理解というものは、とりかかりのところでさえ私のごとき素人には手も足も出ない領域に入っている。本書では123頁から「イデアル理論」のアイデアについて、丁寧に解説しているが、なにしろ数の概念が変わってしまうわけで、私には何度読んでも理解できなかった。

 それでも全体としてこの書はexcitingでfantasticなものであった。
 なによりも出てくる数式が美しい。それらは簡素にして完璧である。おそらくは真理というものは、すべてそういう形で現れるからであろうし、また数学というものは何よりも真理を明らかにする学問であるから。


 クレイ数学研究所が数学の7つの難題についてそれぞれ100万ドルの賞金を出しており、その難題を解けたものには賞金が贈られることになっている。リーマン予想の証明はその7つの難題のうちの一つであり、著者らに言わせれば「リーマン予想の完全な証明は、タイムマシンの完成くらいの超難度である」とのことだ。
 それくらいの超絶的難問が並ぶクレイ社の懸賞問題であるが、なんとそのうちの一つ「ポアンカレ予想」がロシアの数学者によって証明されたとのこと。これがまた小説的にも面白い話のようで、さっそくそれを書いた「完全なる証明」をアマゾンに注文した。

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リーマン予想は解決するのか

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December 18, 2009

寿司:光洋@12月

 昨日くらいから今年初の本格的な寒波が九州に到来し、真冬の冷え込みとなっている。
 都城に居たころは、こういうときは霧島を見ると白い雪を被っていてたいそうきれいだったのだが、延岡から眺める山々は標高が低いせいか、冠雪はしていない。それでも空気がぐんと澄んでいるので、いつもより、山が近く、鮮やかに見ることができ、これはこれできれいだ。

 本日は仕事が早く終わったこともあり、宮崎に出て光洋で寿司を食うことにする。ひと月ほど訪れていないので久しぶりだな。
 肴は鯛、青柳、藁焼き鯖、サヨリの炙り、河豚の白子、茶ぶり海鼠、鱸の兜煮などが出てきて、いずれも美味。特によく太った鯛は絶品であり、旨味の広がり、身の弾力、申し分なし。

【河豚の白子焼き】
Soft_roe

 昨日も白子焼きを食ったわけであるが、その時は12月は白子もまだ時期ではないなあとか書いたが、これは立派な白子。味も豊かであり、まろやかな食感もよろしい。ようするに旬うんぬんよりも仕入の問題であったか。

【鮪】
Tsuna

 鮨を食うと、いつもとシャリの食感が変わっている。米粒が口のなかで形をくっきりと主張し、それから崩れ、ネタとともに一体化していく。前はふんわりとした繊細系のシャリだったけど、力強い系統に変わっている。うん、私はこっちのほうが好みだ。
 店主によれば米の種類を変え、かつブレンドにしたとのことで、いろんなことを考えつく人だなあと感心。

【ちらし寿司】
Tirasi

 さんざん食っては飲んで、自分だけいい思いをするのもなんなので、職場にお土産を持って帰ることにする。いつものちらし寿司であり、やはりいつものごとくに美しい。
 このお土産は私の職場では伝説の存在になっており、たまたまその日に夜勤をしている人しか味わうことができないので、いつかそれに当たることを待ちわびている人も多いとか。

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December 17, 2009

今年の初河豚を彌作(@延岡市)で味わう

 12月も中旬を過ぎるとさすがに寒くなってきた。
 寒くなると河豚が食いたくなる。
 (どうせ同じようなことを昨年も書いているであろうと思ったら、やはり書いていた
 延岡では彌作という店が河豚の料理が上手だという話を聞いていたので、職場の新人を2名連れて本年度の初河豚を食いに行くことにする。ちなみに彼らにとって本日の河豚のコース料理は人生で初めての河豚体験だそうだ。

【刺身】
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 大皿を透かしてずら~りと並ぶ河豚刺し。美しきかな。これこそ冬の代表的風物詩。
 寝かして熟成させた河豚を一枚引きで薄切りにした刺身は、旨味十分、また弾力もほどよく、河豚の本場大分で鍛えた主人の実力をよく示している。
 河豚初体験の見習たちは「これどうやって食うんですか」とたずねる。適当に食っておいていいんだよと答えて、彼らがどうやって食うかを観察してみようかなとも思ったが、そういう意地悪はせずに、最初は一枚を何もつけずに、次はポン酢をちょっとつけて、その他葱を巻いたり、それから紅葉おろしを使ったりと段階的にいろいろな味を楽しむんだよとか、一般的な河豚の食い方をレクチャーしておく。

【唐揚げ】
2

 揚げたての唐揚げは、ほくほくぷりぷりの、楽しい食感。
 河豚の唐揚げは箸で持つのでなく、手で持って食べるんだよ、とかの基礎知識も見習いたちに教えておいた。

【白子焼き】
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 日本の海産物中、これこそ最高の美味と私が信じている「河豚の白子」であるが、さすがに12月ではまだサイズが小さいか。旨味も旬のものに比べると、まだまだ弱い。白子については、1月過ぎに期待。

【河豚雑炊】
4

 河豚鍋のあとの〆は、当然雑炊。
 雑炊のなかでも王者とでもいうべき河豚の雑炊は、河豚の香り高し。今までのコースで腹いっぱいになったあとでも、雑炊だけは入っていく。

 冬に河豚のコース料理を食う。
 冬を迎えての、大いなる食の喜び。
 見習君たちも「こんな美味いものは初めて食った」とか言っていたが、そうやって旬の食を知る喜びというものを学んでいってもらいたいものだ。

……………………………………………
料理工房 彌作 延岡市愛宕町2丁目2292−3
TEL 0982-34-7350

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December 16, 2009

絶品の生ハム「クラテッロ・ディ・ジベッロ」

 クラテッロ・ディ・ジベッロ(culatello di Zibello)は、イタリアのジベッロ村で作られる生ハムである。
 秋によく育った豚の大腿の肉を塩漬けにしたのちその豚の膀胱に詰め込み、じっくりと熟成させる。そして1年ほどたって、味が頂点に近付いたころに商品として市場に出てくる。その時期がちょうど今頃である。
 福岡では天神岩田屋の加工肉食品店の「阿蘇の逸品」がクラテッロ・ディ・ジベッロの取扱をしており、11月を過ぎて店頭にこの生ハムが並ぶことになる。ちなみにクラテッロ・ディ・ジベッロも質はピンからキリまであるのだが、「阿蘇の逸品」ではそのなかのピンの部類が来ることになっているそうだ。

【クラテッロ・ディ・ジベッロのブロック】
1

 クラテッロ・ディ・ジベッロ、この生ハムは美味い。
 尋常でなく美味い。
 初めて食ったときは、私は今まで自分が食っていた生ハムはなんであったのかと思ったくらいのカルチャーショックを受けた。
 いい肉と塩だけを使って、時間をかけて熟成してつくりあげられたこの生ハムは、食べてみれば、肉と脂がそれ自体の旨さのみを凝集、成熟させ、生肉とはまったく異なる次元の食味と食感を表現する食品に育っていることがよく分かる。
 日本でも地産のいい豚を使って生ハムを作る工房が増えてきたが、それでも、クラテッロ・ディ・ジベッロを食せば、そういった国産の生ハムは、ひどい言い方になるが、豚肉をちょいと乾かせて調味料で適当に味付けしたハムもどきにしか思えなくなってしまう。それらは、豚肉を加工する過程において、あまりに余計なものをはさみすぎている。
 国産の生ハムと比べると、やはりイタリアは、肉を美味く加工することにおいて、日本よりも一日の長どころか、二日三日以上の長があることを認めざるを得ない。

 そのクラテッロ・ディ・ジベッロであるが、一番美味い食い方は、(これは生ハム一般に言えることだが)、原木から薄く切りだしたものをその日にすぐ食べることだ。生ハムは劣化が早く、一日置くだけで艶やかな食味と食感が相当に失われてしまう。
 ただし生ハムというものは薄く切るのは高度な技術を要し、特にクラテッロ・ディ・ジベッロのような大きな塊の生ハムを包丁ですらりと薄く削ぎ切るのは、素人にはほとんど不可能である。そのため生ハムを薄く切るには、業務用のスライサーが必要になるのだが、これってすごく大きな機械であり、一般家庭の台所に置くのはまず無理だ。
 というわけで私は仕方なく、生ハムを食べるときには、その都度ブロックから自分で柳刃包丁で切りだしていたのだが、あたり前のことながら、店で買う生ハムよりもずっと分厚いサイズになってしまい、妙に固い食感の生ハムとならざるを得ず、そのことに不満を感じていた。

 それで今回は作戦を変更。
 今まではブロックごと買っていたが、今回は最初からブロックを全部店で薄切のハムに切りだしてもらう。そのままにしておくとすぐ劣化するが、それを真空パック保存にしてもらえば長持ちするはず。
 というわけで、購入したブロックは大量の生ハム真空パックに化けることとなった。
 真空パックといえど、これもそのままでは10日間くらいで劣化が始まるとのことで、冷凍保存が必要であり、食べたくなった日に冷蔵庫で解凍するのが基本とのことであった。

【真空パック】
2

 さてその手法で、どの期間、どのレベルまで元の味が保たれるのか。
 この生ハムはワインの最良の友なのであり、量的には半年は持つので、ワインをちびちび傾けて、クラテッロ・ディ・ジベッロをつまみながら、半年間その経過を試してみたいと思う。

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December 15, 2009

映画:カールじいさんの空飛ぶ家

 冒険家を夢見る内気な少年カールが、これも冒険に憧れる活発な少女エリーに出会い、やがて二人は恋に陥り結婚する。二人は仲良く楽しく、少しは悲しく、幸せな家庭生活を築いていく。しかし二人が好きだった冒険は、日々の忙しく、そして金のかかる生活のなかではなかなか実行できない。老齢になりようやく生活に余裕が出来て、エリーが行くことを夢見ていた冒険の地「パラダイスの滝」へ夫婦で飛行機で出かけようとしたとき、エリーは病に倒れ、そのまま亡くなってしまう。

 オープニングはこの愛すべき冒険家(を夢見る)夫婦の物語を、セリフなしのモンタージュで語り、たいへんできがよい。ここだけでも、映画料金払う価値のあるほどの掌編である。

 …ただ、これは私のまったくの雑感なのであるが、冒険家夫婦というのは本当に冒険が好きならば生活にいくら困窮しようが、冒険に出ていくものなんだよなあ。
 それこそ日本には山野井泰史・妙子という世界最強の冒険家夫婦がいるが、彼らは奥多摩のさらに奥の僻地で安い家賃の家に住み、自分で畑を耕す自給自足の生活を行いながら、バイトでお金をため、そのお金で海外に出かけ、山岳会を驚愕させるような尖鋭的冒険的登山を行っている。山野井さんといえば、「天国に一番近い男」とか「最強のクライマー」とか称されているが、また「最強の貧乏人」であることでも有名だ。(自伝とか、山野井さんを書いた本でそういうことがいくでも載っている)
 というわけで、そういう雑感が映画のこの部分をみているとき湧いてしまい、ちょっと集中できなかった。

 さて、愛する妻を冒険の地に連れて行くことができなかったカールじいさんはそれを心から悔み、偏屈な老人として日々を過ごしている。やがて彼はその地に住むことを諦め、エリーの思い出のつまった家を、家ごと風船で飛ばし、かつてエリーとともに行くことを望んでいた、ギアナ高原のパラダイスの滝へと冒険の旅に出る。

 彼にとってはじつは初めて経験する冒険の日々。彼はその冒険の日々で、人の心を思いやること、人のために行動することを学んでいく。一種の老人成長物語。
 そして彼はその過程で亡き妻エリーの望んでいた冒険が何で、その冒険が彼女にとってどういうものであったかを知る。

以下ネタバレ


 カールはエリーに冒険を連れて行くことが出来なかったことを一生の後悔としていたが、じつはそうでなかった。エリーにとってカールとの生活すべてが冒険であり、その冒険を心から楽しんでいた。彼女の冒険日記にはカールとの日々の写真が貼られ、最後に書かれた言葉は「冒険をありがとう」であった。

 ピクサーのアニメCGの技術はとても高いものであり、アニメを観るだけでも映画を観る価値があるが、脚本もいつもと同様にいいものであった。
 ピクサーという会社の総合力はたいしたものだと、またも思った次第。

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カールじいさんの空飛ぶ家 公式サイト

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December 14, 2009

読書:アフガン、たった一人の生還 マーカス・ラトレル著

 アフガン戦争の実話。
 アフガンで任務を遂行中の海兵隊精鋭選抜の4人のメンバーが、タリバンの反撃を受け、救援部隊もヘリコプターを撃墜され全滅するなか、たった一人が生還した。その生還者の凄絶な闘いと奇跡的な帰還の記録物語である。

 物語の前半は、海軍の精鋭SEALSの訓練の場面が続く。映画「フルメタルジャケット」で既に有名なものとなっている米軍精鋭部隊の常軌を逸した訓練。この身も心も徹底期的に叩きつぶすような過酷な訓練を経て、そこから蘇った隊員たちは、卒業するころには鋼の精神と肉体を持つ、最強の戦士に成長する。
 彼らはいかなる戦地でも最も有能で最も強い戦士として活躍するのであるが、4人の選抜チームにアフガンで任務が命じられる。タリバンのリーダー、シャーマックの抹殺あるいは捕獲である。

 4名は作戦中に地元の羊飼い達に遭遇し、彼らをそのまま逃したことから、タリバン兵へ報告がなされ、タリバンの総攻撃をくらう。
 SEALSのメンバーは一騎当千の勇士であり、200名を越すタリバン兵に対しても、退却を行いながら積極的な攻撃を続け、次々にタリバン兵を斃していく。しかしタリバン兵は烏合の衆ではなく、シャーマックの率いる統制のとれた勇敢な兵士たちであり、SEALSメンバーの強烈な反撃にひるむことなく、SEALSをじわじわと追い詰め、一人一人と葬っていく。最後に残った兵士マーカスは懸命の退却劇を行い、いくつもの銃創をかかえながら、なんとか戦地を脱出する。

 半死半生の状態で倒れていたマーカスは、戦場近くの村人に見つけられる。村人は村の者たちと協議し、弱い立場の者を守ることは村の掟であるから、この傷だらけのアメリカ人は村全体で守ることを決意する。
 この掟(アフガン語で「ロクハイ」と言うそうだ)はタリバンも含めてのアフガン全体のものなので、タリバンが敗残兵がこの村にいることを知り、偵察に来ても村は毅然として引き渡しを拒否し、それをタリバンは承服せざるを得ない。

 この物語に登場するタリバンは決して、アメリカ政府が主張するような悪の組織の使いなどではなく、強い信念を持ち、互いの仲間を助けあい、そして戦いの場でも有機的に機能できる、有能でそして勇敢な人たちである。それは主人公も認めている。
 主人公が悪の権化,悪の化身のように口を極めて罵るビン・ラディン、オマール師にしても、それは抽象的な存在であり、実際の人物像は、それこそ主人公が現実に遭遇するタリバンのリーダー、シャーマックのように、誇り高い、カリスマ性のある人物であることは間違いなかろう。そうでないと、あれほどの組織はつくりあげられない。

 アフガンの住民もまた誇り高く、義侠心に富んだ人たちである。通信手段をなくした主人公をアメリカ軍に戻すため、村から30マイル離れたアメリカ軍の基地へ、荒涼たる山を徒歩で連絡に出る村の老人の姿は、主人公と同様に我々の胸も強く打つ。

 アメリカ側では、主人公を含めたSEALSのメンバーは誰も有能で勇敢で、そして愛国心に富んだ、作中言うところのまさに「テキサス魂」を具象する、立派なアメリカ人である。このような人たちから組織されるアメリカ軍が、圧倒的に強い、世界最強の軍隊であることは当たり前に思える。

 作中登場する人物は、誰しも魅力的であり、悪しき人物、無能な人物はどこにもいない。しかし彼らがそこに登場し活動を行っているアフガン戦争というものは、主人公はその意義を肯定しているもの、作中の描写から読者が判断するかぎり、どこにも出口がない、誰も幸せにならない、何の得にもならない、愚かしい戦争に思えてならない。
 たぶん、「タリバンという悪党がアフガニスタンという国を乗っ取って、テロを世界中に輸出している」という、戦争発端でのアメリカ政府の定義が根本的に間違っているのだろう。

 誤解されては困るから繰り返して言うが、主人公はアフガン戦争に疑問は持っていないし、世界の敵として全力をかけてタリバンと戦っている。彼の愛国心は純粋で、自分の戦いが母国のため、世界のためと信じている。

 しかし読者としては、どうしてもその戦っている敵のタリバンが悪役には思えないのだなあ。だいたい作中のタリバンの反撃にしろ、どう考えても祖国に侵入してきた敵軍に対しての防衛の戦争だし。

 私はテロは憎んでいるし、情報として伝わるタリバンの麻薬販売、少年兵強制徴兵とかからは、タリバンはとんでもない集団とか思っているけど、本書を読んで、いろいろと考えさせられること多かった。

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アフガン、たった一人の生還  マーカス・ラトレル著

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December 13, 2009

青島太平洋マラソン大会でハーフマラソンを走ってみた

【快晴のもとの運動公園】
Blue_sky

 12月13日の午前は素晴らしい好天で、まさに「絶好のマラソン日和」。
 職場の小イベントである「青島太平洋マラソンを走ってみようの会」にとりあえず参加した私であるが、本日のハーフマラソンランニングはどうにも気がのらないものであった。
 私は2週間前に20kmがどれくらいの時間で走れるかどうか調べるために、実際に20kmを走り、それで膝に負担がかかったらしく、その後ずっと膝に違和感を感じていたのである。まあだいたい10kmくらいしか走ったことがないものが、いきなり20kmを走ることに無理があったわけだが。
 それゆえこの違和感を抱えたまま走っても20kmの完走は厳しいものに思え、また無理して完走すれば身体にいいわけはないので、膝の違和感が痛みに変わったらそこでリタイヤしようと思っていた。
 というわけで、本日は私は完走は難しいよと皆に宣言しておいた。


 9時にまずフルマラソンの選手がスタート。
 人、すごく多い。参加者はなんと8000人超え。
 42.195kmを走る非日常的スポーツ、フルマラソンを行うには、相当な鍛練がいるはずだが、その鍛練を行っている人がこれほどの数がいることにおどろきを覚えた。

 長い時間をかけてフルマラソン参加者がすべてはけたあと、ハーフマラソン隊出発。
 運動公園を出たあとは、フェニックスが茂る有名な220号線を走る。幹線道路を通行止めにして、風光明媚ななかを走るのはたいへん気持ちよい。これはマラソンにはまる人が多い理由が分かるなあ。
 心配していた膝の違和感は5kmを超えたところくらいから、鈍い痛みとなる。ほんとはここで止めるべきなのだろうが、こう気持ちいい道だとやめるわけにもいかない。まだいいだろう、まだいいだろうという感じで、8km、10kmと過ぎてしまった。12kmくらい過ぎたところでトロピカルロードに入り、日向灘と青島を望むこれも風景の素晴らしい道。ここらで折り返しの道でトップを走るフルマラソンランナーとすれ違ったが、…とても人間とは思えない走りをしていた。すごいものを見てしまった。
 運動公園に戻るくらいで17kmの地点。膝は痛むが、それでもついついスパートをかけてしまう。スパートかけたまま、20km地点に到着したのだが、私がここですごい勘違いをしていたことを発見。私はなんの根拠もなしにハーフマラソンって20kmとばかり思っていたのだが、ハーフマラソンって本当にマラソンのハーフサイズで、21.098km走らねばならないのだ。それで終わりと思っていたのに、あと1km残っていることを知り、心が折れそうになったが、それでもなんとか普段出さない根性を振り絞り、ようやくゴールへと。
 タイムは2時間7分。初めての大会参加としては、上出来の部類でしょう。

 完走証明書をもらったあとストレッチして、ぶらぶら歩くが、膝の痛みが本格的となってきた。曲げると痛いので、伸ばしたまま歩くという歩き方でないと歩けない。膝の痛みってけっこう長引くから、年内は山登りもモーグルも自粛だな。馬鹿なことをしてしまった、とは思わぬものの、やはりランニングの素人が2週間で2回も20kmを走ることは無茶であった。なんかの教訓にしておこう。

 その後、走り終えたものたちとレストランに行き完走を祝して生ビールで乾杯。
 これなんですよね、これ。
 走りの爽快感と、ゴールの達成感、これだけでもランニングは楽しいが、完走後の生ビール、これもセットにすると、ランニングは病みつきになりそうに素晴らしいスポーツに思えてきた。

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December 07, 2009

りんりん館忘年会

Bicycle

 宮崎市の自転車店「りんりん館」でバイクの購入・メンテナンスを行っているサイクリストを集めての忘年会に私も参加してみた。
 会場の小料理店の床の間には、イタリアの名バイクDerosa neoprimatoが飾られており、いかにもという雰囲気である。この自転車は、忘年会の幹事「輝ける黄昏を目指して」氏の愛車であり、ブログの写真では見ていたが、実物をみると本当にきれいな自転車であった。

 自転車好きの参加者たちは、レースに打ち込んでいる人もいれば、一年間に2万キロを走るとか、あるいは1カ月1000kmを走るとか、まるで自転車の上で生活しているとしか思えない人もいれば、自転車は主に通勤に使っているけど乗るのが楽しいのでわざと遠回りして通勤している人とか、それぞれに自分にあった自転車ライフを楽しんでいて、自転車というのが「大人の趣味」ということがよく分かる。

 幹事の用意した日本酒は、どれも「芳醇にして華麗」とでもいうべき、味の豊かなものばかり。これらは河野酒店から取り寄せたそうだが、焼酎の地宮崎で、これほどの日本酒を揃える酒店があるとはたいしたものである。

 美味い酒と、美味い料理と、楽しい会話の夜でした。

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December 06, 2009

寿司:松鮨@京都市

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 京都で寿司屋といえば誰もがまずはこの店の名をあげる名店、松鮨。
 松鮨は早瀬圭一氏の著作「鮨を極める」のなかで、著者の若いころの思い出の場面に少しばかり登場している。昭和30年代、早瀬氏は同志社大学へ通う大学生であった。氏は学生時代から鮨マニアであり、美味い寿司屋を食べ歩くことを生きがいとしていたが、学校へ通う道の途中にある「松鮨」だけは、訪れる決心がつかないでいた。松鮨は当時から名店の誉れ高く、食通な人の専用の店との評判があり、また鮨の美味さに比例してお金もたいそうかかるということでも知られていた。
 それゆえ一介の学生である早瀬氏は、毎日この店の前を通りながら入ることができなかった。しかし鮨への情熱高き氏は、我慢できなくなり、ある日親から振り込まれた1年分の学費を懐に入れ、いざとなればこれを全部使ってもかまわない、でないと今日のこの日を逃しては一生松鮨の鮨は食えないと決心を固め、ついに松鮨の戸を開けた。
 …この後の顛末については、「鮨を極める」を読んでいただくことにして、それを以前に読んだ私の感想としては、なんだかおっかない店だなあ、というものであった。まだおれは行けるような身でもないなあ、とか思っていたのだが、よく考えればそれは50年前の話、店主も二代目になったこともあり、雰囲気もそうとう変わっているであろう、それに私も40過ぎのいい中年である。私が行ってなにが悪いというわけとも思えず、今回初めて松鮨を訪れることにした。

 松鮨の開店は午後1時半からという妙な時間からであり、その時間に暖簾をくぐって戸を開ける。
 そこで見る店内。作務衣にエプロンがけの店主は、なんとも雅びな雰囲気をまとった人。生粋の京都人ってなにか浮世離れしたものを私は感じるが、松鮨の店主もそういう「京都人」を感じさせる人であった。

【松前鮨の炙り】
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 煮蛸とモロキュウのアテの後は、さっそく鮨が出てくる。
 松前鮨は棒寿司として最初からツケ場にあるのだが、これを店主が切ったのち奥に運ばれる。「寿司は最初は熱いものから出てきます」とのことで、なんのことかいなと思っていたら、炙りで出てきた。昆布を炙るのはどうかとも思ったが、これが食べればなかなか乙な感触。そのなかの鯖鮨も香り豊かで、鯖鮨の新たな魅力が分かりました。

【鮪】
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 鮪や白身は店主が柵から切り出すが、その素材は見るだけで分かる尋常でない質の良さ。
 料理する姿を眺めるだけで、美味い寿司が出てくるのが確信でき、わくわくしながら寿司が出されるのを待つ。
 「お酒に会う鮨をどんどん出しますから」というふうなことを、店主は柔らかな京都弁で話され、そして確かにこれからは「酒の極上のツマミの寿司」のオンパレード。
 鮪は西日本における最高レベルの品質。これが鉄火巻き風に握られ、それを2分にして酒に合いやすいようにして出てきます。

【雲丹】
3urchin

 雲丹の軍艦巻き、というわけでしょうけど、こういうふうに軍艦巻きをスパっと切る鮨は初めて見た。見た目に美しく、そして食べても当然美味い。

【海老】
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 海老は、じつは車海老ではないそうだ。車海老の一番美味しいサイズは、寿司ダネにするには大きすぎるので、(「次郎」の車海老がそんな感じだな。あれは寿司というより「シャリ付き茹で車海老」。でもとんでもなく美味い。)、それの近種の海老を使っているとのこと。たしかに甘く旨い、見事な海老。

【車海老巻き】
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 それで寿司の主役の一つである車海老はこちらの巻物に出てくる。
 裏巻きの寿司に、厚い車海老にオボロをかまして。
 なんとも美しく、その見た目とおりの豊かな味の寿司でした。

【鯵巻き】
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 先の海老巻きでわかるように、松鮨は関西の押寿司の流れも取り入れている。
 それはこの鯵の寿司でも同様で、さらにその技法が発揮されている。裏巻き寿司に、紫蘇に、鯵の切り身。食べるのが勿体なくなるほどの美しさ。まあ、すぐ食いますけど。

【コハダ】
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 江戸前の技法も、また松鮨の特徴です。
 上品に〆られたコハダは旨み十分。
 松鮨のシャリは、またこれが独特のもので、江戸前風のきつさは全くなく、ほんのりした甘さと、ねっとりとした柔らかさが特徴。
 これが柔らかめに仕込んだ寿司種とよく調和して、松鮨にしかない寿司を形つくっています。これは松鮨でしか食えない寿司でありましょう。

【ひよこ】
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   ↓  ↓
9egg2

 「手間暇かかる寿司なんで、近頃の寿司屋はこれをつくってくれませんなあ」と店主が嘆く寿司「ひよこ」。ツケ台に出されたときは、茹で卵しか見えなかったが、ひっくり返せば卵の白身にオボロとシャリをかませたもの。これ、面白い食感の寿司で、たしかにたいへんな手間がかかるだろうな。

 この他にもいろいろ出てきたが、〆のほうは穴子に穴キュウなどを食べて、腹いっぱいになり終了。

 松鮨の寿司は、ひさしぶりに独創性のある素晴らしい寿司を食ったとの感想をもった。近頃では、鹿児島の「鮨匠のむら」以来である。
 松鮨では、素材が素晴らしいのは当然として、江戸前の技法を基本として、それを関西寿司の技法と融合させて、高い技術で独自の寿司をつくりあげていることに、食べているあいだ、ずっと凄さを感じていた。

 和食の宝庫京都は、和食料理についつい関心が寄りがちだが、京都でしか食べられない寿司が厳としてここに存在している。
 寿司好きの人は、京都に訪れたときは、是非とも経験すべき店だと思う。

……………………………………………
 松鮨 京都市中京区蛸薬師柳馬場西入十文字町432-1
     TEL. 075-221-2946

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京都雑景

 京都はちょっと意外だけど古い建築物というものは少ない。平安時代に築かれた寺社仏閣のたぐいは、その多くが応仁の乱で焼かれてしまい、今建っているものは古いものでも、せいぜい秀吉、家康の時代、平和になってから再建されたものばかりである。しかもその時代のものでも、中心部にあったものは、天明の大火、あるいは禁門の変であらかた焼けてしまい、その後に再建された。

 京都は、古きものをうまく近代にあわせて再建させて、特徴ある景観をつくっていった、リニューアルの達人の地なのである。

 そのリニューアルの地にて、ぶらぶら歩いているなかで発見したいくつかの物件。

【池田屋】
Ikedaya

 京都で最も有名な旅館は「池田屋」であろうと思われる。
 新撰組と勤皇志士たちの激闘の舞台であり、明治維新に深く関与した事件のあったところなので、残っていたら京都有数の名物となっていたはずだが、残念ながら旅館は騒動とともに営業停止となり、そのうちなくなってしまった。池田屋の跡地は、100数10年を経て、小さなパチンコ屋となっていた。池田屋騒動を偲ぶよすがは、パチンコ屋の前に建てられた「池田屋騒擾跡」の石碑のみであった。
 …のだが、いつのまにか「池田屋」という居酒屋になっている。
 建て変えるのなら、資料館みたいなものにしてほしかった気もしないではないが、パチンコ屋よりは居酒屋のほうがよほど気はきいている。店のHPで調べると、店内にはあの階段落ちの大階段があり、店長はだんだら模様の制服を羽織っているという凝りよう。これは幕末マニアには、ちょっとした名所になれそうだ。

【炭屋】
Sumiya

 京都麩屋町通には、老舗旅館が柊家,俵屋,炭屋とあり「御三家」と呼ばれている。
 炭屋には新館に一回泊まったことはあるけど、まあなんとも独特の部屋であって、どうにもその表現は難しいのだが、とりあえず独特の部屋であった。
 今回、前を通りかかると改築中である。その改革中のところは、前に私が止まった新館の部分だな。たぶんは上手くリフォームされるであろう。
 良い料理を出す旅館でもあったので、老舗旅館のリニューアルにエールを送っておく。

【弁慶石】
Stone

 武蔵坊弁慶は石のコレクションが趣味であり、京都で見つけて気に入ったこの石をずっと持ち歩いていた。弁慶は奥州高館で亡くなったので、石もその終焉地の地に置かれたのだが、主人が亡くなると「奥州はイヤ、京都に帰りたい」とわんわん泣きわめき、その喚き声を聞いた周囲の人は熱病におかされてしまった。こりゃたまらんと石は京都に戻され、弁慶石と名付けられて、三条京極に設置されたとの伝説を持つ。
 けっこう危なくて怪しい石なのだ。
 その危険な石の奥に、「よーじや」経営のお洒落なカフェが出来て、若い人たちでにぎわっている。
 どうにもミスマッチな風景。
 弁慶石が気分を変えて、「今度は主人の弔いのために奥州に帰りたい」と泣き出したら、どういうことになるだろうなどと物騒なことも考えてしまったりして。

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December 05, 2009

和食:俵屋@12月

【坪庭】
Garden

 俵屋「竹泉」の間は、庭が大きな窓枠を額縁とした絵のようなつくりとなっている。植えられているのは、盆栽のごとくに形の整った紅葉が二本。俵屋は葉の色づくのが遅いので、京都の紅葉の終わりの時期なら、ここはちょうど紅葉の盛りであろう。
 さぞかし良い庭の景色が楽しめるであろうと期待していたら、…外の紅葉はあんなに散っていたのに、ここはまだ青々としていて、ぜんぜん赤く染まっていない。
 なにごとも目論見どおりにはいくとはかぎらない。

 それはともかくとして、12月の俵屋の食事の紹介。

【先附】
1

 蕪の蒸しもの、茹で立ての蛤と温野菜の味噌和え、小茶碗蒸しは生姜を利かせて。
 どれも温かいものが出てくる。12月の寒さのなかを訪れて来た客に、まずは暖まってほしいという、茶道でいうところのおもてなし精神の料理であろう。

【向付】
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 造りは平目にオコゼ。
 新鮮にして歯ごたえよし。甘みも十分。

【椀物】
Wan

 椀は穴子に租穀蒸し。それにシメジ、芽葱、人参、柚子を散らして。
 出汁の出来は相変らす見事なものであり、また視覚的にも美しい。
 俵屋の料理の技術の高さがよく分かります。

【焼物】
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 焼物は旬の寒ブリに河豚。河豚は柚庵焼きで変化をつけている。
 青味大根と慈姑を添えて、色彩も鮮やか。

【温物】
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 鍋は鴨鍋。これに焼麩と白葱と水菜がたっぷり入っている。
 汁には鴨の豊かな味が広がっていて美味。すべて飲み干してしまう。

 料理はいつも通りの俵屋流の京料理。
 驚きや斬新さは感じることはないけど、安心できる、落ち着いた、丁寧につくられた、和食の粋のような料理。京都、俵屋では、やはりこういう料理でなくてはと思う。


【朝食】
6

 朝食の和食の焼き魚はいろいろと選べられるのだけど、今回は甘鯛の若狭焼きを注文。
 …甘鯛の質も、また焼き方もたいへん良いのだけど、朝から食べるとすると、ちょっとヘビーか。どちらかというと夜に酒の肴にすべき料理だったな。
 とか言いながら、結局これを肴に朝から酒を飲んでしまったわけだが。

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晩秋の京都

 日本で最も観光客の訪れる地京都の秋のオンシーズンは終了間際。
 多くの名勝地の大半で紅葉は散っており、樹々は初冬の装いとなっている。しかし、京都とは広いところであり、そんななかでもまだ紅葉の見頃の地がいくつか残っており、今回はそういうところを訪れた。
 京都といえば、どうしても嵐山や東山などの有名どころを訪れることが多かったが、今回はそういう事情なのでややマイナー系統の地をまわることになった。その結果今まで行ったことのなかった地を初めて訪れることになり、改めて京都の深い魅力を知ることができた。

【城南宮】
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 城南宮は平安時代に鳥羽離宮があったところ。
 蕪村の名句「鳥羽殿へ五六駒いそぐ野分かな」の鳥羽殿である。静かな境内の風景も、かつてここに承久の変の時に数千騎の武士が集まった歴史を思うと、また違ったものに感じられてくる。

【醍醐寺】
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 豊臣秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺。
 花見のころの桜はさぞかしきれいだろうけど、紅葉もまたきれいであった。
 朱塗りの橋と弁天堂に紅葉、それが池に姿を映し、あざといくらいに見事に決まった風景である。

【青蓮院】
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 今回の京都行きは紅葉とともに、青蓮院の青不動を観ることが目的であった。
造形の見事さと色の美しさで圧倒的魅力を誇る国宝青不動。この傑作は青蓮院の秘宝であり、寺の創建以来今まで開帳したことはなかったのだが、なぜかは知らぬがこの秋に一般公開することになり、そうなるとこれを逃すともう観ることができなくなる可能性が高く、是非とも観ねばならない。
 …青不動はたしかに素晴らしい仏画であった。ただし人が多すぎ、もっとじっくり観たかったなあ。
 紅葉見物は青不動のおまけであったが、予想していたよりは紅葉は残っていて、これはこれで十分に訪れる価値のあるものであった。

【曼殊院】
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 左京区では紅葉の残っているのは曼殊院のみということで訪れたが、あんまり紅葉は残っていなかった。
 この美しい庭は小堀遠州作と伝えられている。廊下に腰をおろしてじっくり見たくなる名庭であるが、そう思う人は多いようで、座ってはダメとの張り紙があった。
 曼殊院は、全然知らなかったのだけど、黄不動(レプリカ)があった。有名な赤・青・黄の三不動のうち、二つを観てしまったわけで、ならば赤不動もついでに観に行こうかなとふと思ったが、残念ながら赤不動は高野山にあるので、あまりに遠い。

【清水寺】
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 マイナーなところばかり訪れたが、夜の紅葉ライトアップは、超ビッグネームの清水寺へと行く。
 産寧坂を登りきると、一条の太いビームが夜空を突っ切っており、そのもとに三重の塔が鮮やかな朱色に輝いている。ド派手な演出。

【清水寺本堂】
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 清水寺といえば、この「清水の舞台」。
 ライトアップされた紅葉、闇に浮かび上がる巨大な本堂、その背後の京都の街の夜景。
 なんとも荘厳なものを感じる光景である。

【参考:高台寺のライトアップ】
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 昨年の秋の京都のライトアップは、高台寺を訪れた。
 清水寺の雄大な夜景に比べ、高台寺は繊細にして精密な夜景をつくっており、とりわけ輝く紅葉が池に映る幻想的な風景はたいそう美しくて、強い印象を受けた。
 京都は観光地の本家本元であって、自分たちの魅力を演出する術に長けている。
 ライトアップは幾つもの寺社で行っており、主だったものを観るためには、数日の宿泊が必要であろう。いつか、じっくりと時間をとって、秋の盛りの京都を訪れてみたいものだ。

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December 04, 2009

寿司:12月の安春計

 12月の安春計に行ってきた。

【店内】
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 前まではカウンターの端に置いてあった、ロイヤルコペンハーゲンの陶土で焼いた壺が正面に位置が変更。侘助が生けられ、凛とした白い花が、艶々といた深青の陶器の色によくあっている。店主はちかごろ花の生け方に凝りだしたみたいで、このうまく決まった図を自慢していた。

【造り】
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 造り3点。いつもの中トロに、旬の素材はほどよく熟成したアラに、脂のよく乗ったスマガツオ。スマガツオは尋常でなく脂の乗ったものが出てきて、それが炙ることによって香りも旨みもより高まっている。この時期の安春計の自慢の定番品。

【カマスの一夜干し】
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 秋に比べ、さらに脂が乗ってきたカマスの一夜干しを炙りで。
 一夜干しにすることによって旨みが凝集されたカマスは、口に入れると、ほくほくした食感とともに、旨さが広がってくる。

【アンコウの肝】
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 冬の時期の安春計のアンコウの肝はまさに絶品である。アンコウの肝の旨さが、なんの雑味もなく、純粋に旨みだけで構成される、肝のなかの肝とでもいうべき肝。
 …読んでてなんのことやら分からないであろうけど、食べてみれば瞬時に私の言おうとすることは理解できると思う。
 このような絶品のアン肝をなぜ安春計が出せるかというと、店主が築地の業者に、「九州でも美味いアンコウの肝はないといけない。少々値は張っても、需要は必ずある。おれのところでその半分は必ず仕入れるから九州に卸してくれ」と言い、それに乗った業者が安定的に供給しているそうだ。ただし、店主が半分買っても、残りが売れ残っていることがままあり、忸怩たるものを感じざるをえないこともあるとのこと。
 アン肝に和えているのはポン酢であり、このポン酢もまた素晴らしいです。

【蕪のスッポン椀】
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 2年ほど前から定番メニューになった、スッポン椀。
 店主は以前有名なラーメン屋の一風堂からの依頼で「究極のラーメン」をつくったとき、そのラーメンのスープの出汁をスッポンでとったそうで、スッポンを使う料理には自信があるみたい。
 スッポンを日本酒だけで煮あげて出汁をとったスッポン椀は、清澄にして豊潤な味。これほどまでに完成度の高い椀物は、九州ではなかなかお目にかかれない。
 和料理出身の店主の面目躍如たる逸品である。

【握り マグロ】
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 握りは、白身、コハダ、マグロ、イカ、ウニ、海老、穴子等々。どれも美味。
 マグロは松前で獲れたもの。マグロの味が濃厚で、特にヅケにしたものがより旨さが強調されている。

 安春計のシャリは季節ごとに魚に合わせて、酢や塩の利かせかたを変化させている。
 魚の旨みが強くなってきた今の時期は、塩は抑えめにして、旨味を強めにしたシャリを使っている。そのため、夏の頃のシャープな鮨とは異なり、旨みが広がっていく、柔らかい感じの鮨であり、この鮨を食うと、「ああ、そろそろ冬だなあ」とも思う。
 季節を感じることは、鮨屋の鮨を食うことでもある、ということがよく分かる。

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