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November 12, 2009

雑感:未完の傑作

 昨日に「ガラスの仮面」は「紅天女」を書くことにより、傑作の座からすべりおちてしまうことになるかもしれないというような危惧を述べた。じっさいのところ、ガラスの仮面は今のままでも十分に傑作なのであり、「紅天女」をあえて描かずに、「未完の傑作」として、そのままにしておくという選択肢は当然ありえたはずなのだし、じつはそうするつもりであったと思っていたのだが、著者は急にガラスの仮面を完結させる気になったみたいで、…さてどうなるのであろう。

 ところで、美術史には「未完の傑作」が現実に数多く存在している。そのパターンとしては、以下の3つのパターンが主なものであろう。
(1)完成が不可能だったが、それでも傑作ゆえ「未完の傑作」となった。 
(2)完成品が損傷を受けることによりその元の姿を失ったのに、それゆえかえって魅力が増し「未完の傑作」となった。
(3)わざと未完の部分を残すことにより完成度が増し、「未完の傑作」となった。

 (1)の代表的なものはダヴィンチの「最後の晩餐」か。
 「最後の晩餐」はじつは未完成の作品である。十二使徒と師キリストの晩餐、キリストが「このなかに私を裏切る者がいる」と語ったときの、使途たちの動揺する瞬間を描いたこの絵では、ダヴィンチは使徒の姿から描き始めたのであるが、十二人全員描いたところで大変な困難に面した。使徒の顔をあまりに気高く描きすぎたために、ダヴィンチはこれ以上気高い存在を描けないことに気付いてしまったのだ。ゆえにダヴィンチはキリストの顔を描くことができず、結局キリストの顔は空白となってしまった。超絶的天才ダヴィンチに描けないのなら、人類の他の誰が描けるというわけもないので、「最後の晩餐」はここで作成が終了し、未完の作品となった。しかし、未完という大変な欠陥があるにもかかわらず、構図の斬新さ、絵そのものの美しさ、ドラマチックな表現等々にて、この絵は偉大なものであり、現在にいたるまで傑作中の傑作として称賛されている。

 (2)これはルーブル美術館が所蔵する2つの人類の至宝「サモトラケのニケ」「ミロのビーナス」が代表。
 ミロのビーナス像は、両腕を失ったことゆえに、不思議な安定感とともに、自由な空間の広がりをも得て、魅力を増している。それこそこの像はかえって腕があったときのほうが未完成品なのではないだろうかといえるほど、今の姿は高い完成度を示している。
 ニケも顔と腕がないことによって、かえって躍動感が増した。ニケは勝利を告げるために天より降りてきたときの姿であり、その大きな翼が、まさに今そこではばたいているかのような臨場感を描出している。ルーブル美術館に入場したとき、真っ先に現れるのがこの像であって、誰もが、見た瞬間そこから風が吹いてくるような迫力を感じることができる。私もルーブルを訪れたとき、まずはこの彫刻のすごさに心底感心した。

(3)については、私がその最もな代表的作品と思っている、セザンヌの「大水浴」を次のエントリで紹介してみたい。 (続く

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