読書:ヒルクライマー 高千穂遥(著)
主人公は不摂生が災いしてメタボに悩む中年男であり、あるとき郷里で行われていた白馬栂池自転車ヒルクライムレースを見て、あれはメタボ対策になると思い自転車を購入して、サイクリングを始めた。するとたちまち自転車の魅力にはまってしまい、今までの不摂生な生活を捨てたのはよいとして、家族サービスもいっさい止め、仕事以外の生活の全てを自転車に捧げてしまうまでに熱中する。食事も、運動も、睡眠も、体格改造も、全ては、より速くより強く走るためのものになる。
この手の「はまってしまった」人は存外多いもので、主人公がレース出場のために参入した自転車クラブでは、同じような自転車バカばかりであり、他人には異常としか思えない生活が、彼らにとっては当たり前のものとなっている。
主人公は節制と努力の賜物で、みなから一目おかれる立派なヒルクライマーに成長する。しかし、その代償に家庭生活を切り捨てたことから、可愛がっていた一人娘からは離反され、口もきいてくれないまでに嫌われる。そりゃある日娘から「自転車と私とどちらが大事なの」みたいなことを言われ、「…察してくれ」というふうに答えるくらいだから、嫌われるのは当たり前に決まっているのだが。
一般に結婚をして家庭を持っている社会人にとっては、最も大事なものは家族のはずである。
その家族を失ってまではまってしまう「自転車」というものの素晴らしき魅力をこの小説は存分に伝えてくれる、…というわけもなく、普通人からすりゃどう読んでも、「プロでもないのに、そこまでやるなよ」との感想を持ちますな。
小説は、娘がたまたまヒルクライマーの若い男とつきあうことになり、そのことから「自転車に憑かれた人」の存在を、理解はしないまでも、実在することを納得せざるを得なくなり、父と和解するところで、感動的(?)に幕となる。
著者の高千穂遥はディープな自転車愛好家として知られており、小説中の主人公は、著者の等身大の人物なのであろう。そしておそらくは作中に示されるように、著者は家庭生活をずいぶんと犠牲にしたものと思われる。作中の自転車乗りの妙な自己弁護からするに、著者はこの作品を家族への贖罪のために書いたようにも邪推してしまうなあ。
ところで男というのは、「はまって」しまいやすい種族のようであり、自転車はともかくとして、スキー、ゴルフ、ロッククライミング、カヌー、マラソン等々、はまってしまった人は多く、その実物例を何人も私は知っている。
小説「ヒルライマー」の主人公はまだ定職を持っているからましなほうで、私の知っているスキー愛好家たちは、夏と秋は非常勤でバイト生活で金をため、冬から春へのオンシーズン中はゲレンデにこもってひたすらスキーに明け暮れる。そしてそういう人はスキー界ではまったく珍しくない存在だ。彼らの生活はうらやましいようであり、うらやましくないようでもある。
なんにせよ、「はまることなく」人生を過ごしている自分は、幸運であるのか、不運であるのか。いろいろ考えさせられる小説ではあった。
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ヒルクライマー 高千穂遥(著)
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