読書:巨匠(マエストロ)たちの録音現場 井阪紘(著)
レコード(or CD)というものを作成するときに、いかにプロデューサーという存在が大事なものであるかということを私は本書を読んで初めて知った。
本書は著者がプロデュース業をやっていることもあり、説得力がある。
ここに登場する大演奏家は、カラヤン、グールド、チェリビタッケの3人。それに番外編として、名プロデューサーのカルショーについて一章が設けられている。
カラヤンについては、カラヤンの活動の初期にレコードが非常に重要であったことはよく知られている。敗戦国ドイツの音楽家であったカラヤンは公演活動に制限があり、そのため、レコード製作に力を向けざるをえなかった。この時期、カラヤンにはウォルター・レッゲという名プロデューサーが支援を行い、二人の見事な二人三脚で優れたレコードが次々に作られ、それらはカラヤンの名声を高めるのにおおいに役立った。
ただしカラヤンは次第に増長していき、全てを自分一人でやらねば気がすまなくなり、レッゲとは袂を分かち、プロデューサーはイエスマンのみを雇いレコードを作っていくことになる。
著者はこれをカラヤンの堕落ととらえている。これ以後、カラヤンの演奏は一人よがりとなり、俗なものになっていったと。
俗性はカラヤンの本質であり、俗性もカラヤンくらいに最高級にまで俗性を磨けば、それはそれで立派な芸と、私などは思うのだが、著者として我慢ができないものであるみたい。
奇才グールドもプロデューサーを拒否した音楽家。
彼の場合はカラヤンよりももっと徹底していて、録音機材から自分用に購入し、編集作業も行っていた。著者はそういうグールドに対して批判的であり、グールドの残したいくつかの「怪演」は、プロデューサーがしっかりしていたらまだまともなものになっていただろうと、言外に語っている。
しかし、あのグールドを制御できる者などこの世にいるとも思えず、どんなしっかりしたプロデューサーがついていようと、グールドの演奏は、ああいう演奏ばかりであったように思えるが。
なにはともあれ、プロデューサーという職業が巷間で誤解されているような華やかなものではなく、我慢と忍耐が何よりも必要な職業であることがわかった。でも、耐え忍びながらも、個性豊かな芸術家との共同作業を成し遂げたときは、素晴らしい作品を生み出すことができるという、創作者としての栄光も得られるわけで、とてもやりがいのある職業といえる。
さて、終章のカルショーの部。
私もカルショーのLPはけっこう持っていて、その偉大さはそれなりに理解している。
しかし、カルショーのデッカ社での重要な仕事、「ラインの黄金」のプロデュースの模様が本書にて書かれているのだが、そこでカルショーは指揮者としてクナッパーツブッシュを採用していたのに、クナッパーツブッシュのわがままに耐えきれずに、計画は放棄されてしまった。
耐えんかい!!!!!!!
クナッパーツブッシュの「ラインの黄金」ステレオ盤が完成していたら、それは間違いなく人類の宝だっただろうに。ああ、クナッパーツブッシュのラインゴルト!
一プロデューサーの怠慢で、人類の持つべき至宝が闇に葬られてしまったわけで、この一件だけでも、私はカルショーを駄目プロデューサーと断定する。
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巨匠たちの録音現場 カラヤン、グールドとレコード・プロデューサー
井阪紘 (著)
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