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November 2009の記事

November 30, 2009

映画:2012(2) 巨大建造物の魅力 ※ネタバレあり 

 映画2012の後半は、主人公一家の脱出劇となり、地球滅亡の壮大な物語から、単なる家庭喜劇に変換するわけで、退屈といえば退屈だ。なにしろ主人公一家は不死身なので、あらゆる危機はただの盛り上げの道具にしかなっていない。
 その退屈な後半で、物語が急に面白味を増すのは、中国製巨大箱船の登場からである。

 不詳私は、地球が壊滅することが判明したのち、G8の国々が極秘裏に総力をかけて造りあげる、選ばれた人類の救済装置は、てっきり「巨大宇宙船」だと思っていた。
 そのため、チベットの山奥で製造された巨大な建造物が、ドックの中で並んでいる姿、わざわざ劇中人物が、「碇がある」と騒いでこれは船以外の何物でもないということをしめしているところをみても、「碇がある宇宙船とは、宇宙戦艦ヤマトなみだなあ」としか思っていなかった。そして、この全長4キロに及び巨大宇宙船が、たぶん巨大カタパルトを用いて宇宙に飛び出す姿を、わくわくしながら期待して観ていたのだが、…それはまじに箱船であって、地表が崩壊したのちの海に乗り出す巨大な船にすぎなかった。

 海が安全と分かっていたのなら、そんな巨大な箱船作らずとも、現在あるタンカー船とかフェリーとかを強度高く改造すれば、たくさんの人類救えたんじゃねえの、とかの突っ込みはたぶん誰でも入れるし、じっさい山ほどあったであろう。ここは映画の脚本の弱点に思える。

 しかし、私はあえて、あの巨大な箱船を登場させたエメリッヒ監督を支持する。

 なぜなら、エメリッヒ監督の映画は、彼が滅亡オタクであるとともに、巨大建造物オタクであることにより、その魅力を高めているからだ。
 巨大建造物が、人に強い印象を与えるのは、巨大建造物はその存在だけで、圧倒的な力の誇示を表現できるからだ。それにより人はその建造物に、いかなる感情であれ、強い印象を持たざるを得ない。
 エメリッヒ監督は、冷酷残虐な宇宙人侵略の物語ID4で、「こいつらには絶対勝てない」と人類に感じさせるために、各国首都の上空に超絶的に巨大な宇宙船を登場させている。建造物かどうかは少々疑問として、これも人類の危機の物語「デイ・アフター・トゥモロー」でも、人々に最も絶望感を与えたのは、あの途方もなく巨大な竜巻であった。

 2012の後半部、チベットの山奥の極秘に作られたドックで、途方もなく巨大な箱舟が出現するシーン。そして、これが津波に打ち勝ち、海に出港し、曳航を行っているシーン。
 このシーンで観客は、災厄続きの物語の筋のなかで、ようやく安心感、安堵感を得ることができるのだが、それはなによりも、この箱船が「巨大である」ということに依っている。
 巨大であることは、それだけで、なによりも人に確かな存在感を強い説得力をもって示しているからだ。

 巨大建造物の存在感と、それによる人々の感銘、安堵感の見事な表現。
 巨大建造物オタクのエメリッヒ監督の面目躍如たるシーンが、箱船の登場からは続き、ここも前半の世界壊滅シーンと同様に見ものである。


……………………………………………

【ノルマンディ号】
Ship_2


 ところで、巨大な船を描き、その巨大な船の圧倒的存在感をもって、旅への憧れ、旅の喜びがひしひしと迫ってくる、秀逸なるポスターがある。
 アールデコ時代の巨匠カッサンドルの作品である。この名作を紹介。

 画面のほとんどをつかって船を描くという大胆な構図、喫水線の位置を現実離れしたものにして船の高さを誇張する手法、真正面から船を描く単純にして力強いデザイン、これらにより、豪華客船ノルマンディ号の巨大さがポスターから迫力をもって伝わってくる。

 この非現実的なまでに巨大な船に乗って、旅に出たいと思いませんか?
 そして、そうすれば、いつもの日々と違う、新しいレベル、新しい感覚で、旅に出られるのではないだろうか。
 巨大なものへの人々の憧れと畏敬が、遥かなる素敵な旅への誘いとなる。
 1930年代に描かれたこのポスターは、今も、人々の心を魅了している。

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November 29, 2009

映画:2012

 映画界において、毎年何本は必ず作られる「地球滅亡もの」。それは、このジャンルの映画を好む人が多いということだろう。もちろん私も好きである。
 その滅亡ものを、あのエメリッヒ監督が撮ったからにはぜひとも観らねばならない。それはもちろん大画面で観るべきであり、映画館へと行った。

 それで感想だが、滅亡ものの映像に関しては、この映画で終止符がうたれたのでないだろうか。
 滅亡ものは、要するに私たちが今暮らしている地球の文明が壊滅していく姿、その迫力がウリなのだが、これほどの大迫力ある壊滅の画面を、今後上回る映画がつくられることは、到底無理に思える。
 ロスアンジェルスの街の地面が崩れ、建物が、道路が、街路樹が次々に倒れ、粉々になっていくリアルな映像。そしてロスアンジェルス全体の地盤が傾き、そのまま街が海になだれ込んで、沈んでいく、絶望的なまでに悲愴で、しかし美しい光景。
 これらの凄いVFXの作成には、いったいいくら費用がかかったのだろう? 途方もない額であることは間違いない。

 物語の前半は、その地球崩壊の姿をこれでもかこれでもかと連ねていく。ブラジルのキリスト像の倒壊、サンピエトロ寺院の崩壊、等々。

 人々は突然訪れた世の終末に狼狽し、右往左往するのみなのであるが、そのなかでただ一人、世の終わりを歓喜して迎える男がいる。
 彼、チャーリーは独自のルートで極秘情報にされていた地球の崩壊を知り、その情報を私設のアングララジオ局を使って世界に発信している。彼は世界が終わる日、その終末がいよいよ始まる場所、世界最大の火山イエローストーンへ行き、火山の大爆発に大地が焼かれていく姿を、リアルタイムで実況中継する。「こんなすごいものを見て、それを最初に実況するのが俺だ。俺の名前、チャーリーを記憶してくれ」てなことをマイクに叫びながら、やがて溶岩の激流に飲み込まれていく。

 この地球の滅亡を狂喜して迎え、滅亡の魅力を発信していく滅亡オタク、彼こそエメリッヒ監督その人であろう。

 じっさいのところ、いつかは必ず地球が迎える地球崩壊、それは地球の歴史のなかで最大のイベントであり、それを見ることができるのは、貴重な機会であり、大きな感慨をもたらすことは間違いない。
 この映画を観て、そう思った。
 そして、私とて、明日地球が滅びるのなら、わけもわからず倒壊していく建物に飲まれるよりは、地球が崩壊していく大悲劇を俯瞰できるようなところで、地球とともに滅びたい。
 もしその日が来たら、チャーリーの尻馬に乗って、一緒に騒ぎながら、愉快(?)に、そして厳粛に、母なる地球との滅亡の時を迎えたいものだ。

  2012(2)へ続く


2012年 公式サイト

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新蕎麦@しみず

【しみず】
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 宮崎市に映画を観に出かけたついで、昼飯に蕎麦を食べたくなったので、しみずに行ってみる。
 すると店の前には「新蕎麦」の表示が。

 私は蕎麦は好きだけど、自慢じゃないが、新蕎麦と普通の時期の蕎麦の食べ比べをして、分かる自信はない。蕎麦って、年中いつも美味しいものと思っているし、じっさいにそうだ。
 それでも、新米,新子等々、「新」のつくものはそれはそれで有難いことであり、「新蕎麦」の表示をみて、これはラッキーなどと思いつつ、店に入り冷酒と生粉打ち蕎麦を頼む。

【蕎麦】
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 蕎麦はいつものごとく、端正な形に切られ、美しい。そしていつもよりも艶々として見えたのは、新蕎麦効果か、それとも気のせいか。
 高い技術で作られたしみずの蕎麦は、見るだけで背筋がシャキっと伸びるくらいに、しっかりとした姿であり、そして食べれば丁度よい長さで、丁度よい硬さ。咽越しの食感も、咽をくぐるときに広がる蕎麦の香りも、じつによい。
 見てよし、食べてよし、香りよし、蕎麦を食べる楽しさをあらためて教えてくれる、すばらしい蕎麦である。

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November 28, 2009

20km走ってみる

 延岡はかの宗兄弟、谷口 浩美氏らの在籍した旭化成マラソン部があることからか、ランニングの盛んなところであり、夜になれば街なかをいろんな人が走っている。相当に気合の入った走りをしている人が多く、たぶん競技に備えて練習しているのではないかと思われる。

 私の職場でも年に一度、マラソン大会に多くの者が参加するのが恒例になっており、それに誘われた。長距離走に興味はないが、せっかく日本でも有数のマラソンの盛んな地に住んでいるので、一回くらいは話のネタに参加してみようかと思った。ただしフルマラソンはぜったいに素人の私には無理なので、それ以外の10kmとハーフマラソンのどちらかを選ぶことにする。せっかく参加するには、10kmは物足りない気がするので、ハーフマラソンにエントリーすることにした。
 ものの本によれば、マラソンは素人には絶対無理だが、ハーフは根性があればなんとかなると書いていたことだし、素人の私でもまあ大丈夫であろう。

 その大会は青島マラソン大会であり、参加通知書が送ってきた。それには出発の順番を決めるので、20kmをどれくらいの時間で走られるか自己申告するようになっている。

 さて、困った。
 10kmは1時間くらいで走れることは経験上分かっているが、20kmなど走ったことがない。10km1時間だから、それを2倍にして2時間にすればいいというような単純な話ではないに決まっているし、これは一回は実際に走ってみねば時間は分からないな。

 とりあえず20km走ってみることにする。
 20kmの長距離を快適に走ることのできる場所の確保はけっこう難しく思えるが、私は近くに適したところがあることを知っている。
 それは以前サイクリングで訪れた沖田ダムで、ここは全周8.16kmであり、親切なことに1kmごとに標識を持つ周回道路がある。マラソンの盛んな地延岡ならではのコースであり、車も少なく、時々ランナーが練習を行っている。

 そういうわけで、沖田ダムに行ってきた。

【沖田ダム スタート地点】
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【このように標識が点々とある】
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【マラソンやる人には感激のゴール地点】
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 20kmは2周半ほど。
 最初の10kmは長距離が走られるように身体がきつさを感じない程度で走る。10km地点でちょうど計ったように1時間であった。残りの10kmは、始めは少しペースを上げたが、そのペースではとてももたないことが分かりすぐ元のペースに戻す。
 15kmを超えたところで、未体験のゾーンに突入。大腿の筋肉が痛くなってきた。大腿四頭筋はふだん鍛えているのでそこはなんともないのだが、斜めに走る筋肉-たぶん縫工筋が足を動かすたびに痛みが走る。そうなると足が上げにくくなり、下肢全体が重く感じ、当然走ることがきつくなってきた。
 ここからが本に書いていた「根性」の領域になったのだろう。きついし、痛いし、苦しい。ここでやめてもいいのだが、ここでやめるような人間は最初から20km走ろうなどとはしない。
 まさに根性で残りを走りあげ、20kmの地点にゴール。さすがにうれしかった。

 10km走った時点では、このペースでいいのならひょっとして42.195kmも走れるんじゃない?とか不遜なことも思ったが、とんでもない思いあがりであった。フルマラソンを走る人たちはすごい人たちであることが身にしみてわかった。

 なにはともあれ、20kmは2時間8分が自己タイムであることがわかった。この値を参加書に書いておくことにしよう。
 本番では2時間を切るのを目標にしてみるか。

……………………………………………
青島太平洋マラソン 公式ページ

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November 27, 2009

必殺仕分け人

Dio

 名作「JoJoの奇妙な冒険」に登場するラスボス的存在ディオは最強のスタンド(超能力みたいなもの)を持ち、あらゆる敵の攻撃を「無駄無駄無駄…」と罵り、嵐のようなパンチをみまって敵を退ける。

 この一週間、ニュースでよく流れていた政府の予算仕分け作業。
 各省庁の要求する概算要求に対して、経費削減を至上命題とする仕分け人たちは、役人がなにを言おうが、そんな事業は無駄だと言い放ち、その要求をバッタバッタと切り捨てていく。
 この姿、あの悪の権化にして、華麗なる悪の華であるディオ様のスタンド攻撃によく似ているなあ~とか思い、政府仕分け作業を取り上げたwebページにて、この有名なるディオの「無駄無駄無駄」攻撃を引用した記事があるだろうなあと思っていたが、今のところ見つからない。
 しょうがないので、私がとりあえずUPしておこう。なにがしょうがないのかよく分からんが。

 さて今回の仕分け作業、ネットで中継され、TVでもよく取り上げられたことから、ずいぶんと世間の注目を浴びた。
 日本が未曽有の不況に陥り、税収が激減するなか、なんとか本当に必要な事業にのみ予算を回せねば日本経済は破綻するという危機的状況で、省庁の要求する予算を削減せねばならないという、強い意志をもった「仕分け人集団」の体育館のなかでの、削減攻撃はたしかに見ものであった。特に蓮舫女史はテレビ映えする人物だったので、その舌鋒鋭い追及は、妙な説得力をもって迫るものがあった。

 迫るものはあったし、たしかに世のなかが変わるときにはこのような乱暴な手法も必要ではあろうかと思ったが、…この政治家と民間人と役人がチームを組んだ「仕分け人」チーム、国家の重要な予算作成に、決定的関与をもてるほどの能力のある集団だったんでしょうかね?

 私が興味をもってみていた仕分けは科研費分野だが、私が教育機関やそれに準じるところに勤めていたところ、我が国の研究費ってほんとうに少ないんだなあと思うこと多かった。元からある研究費ではとてもまともな研究はできないので、秋の時期になると、研究チームのチーフたちは懸命に科研費獲得のための書類を作成し、なんとかGETした科研費で研究を続けていった。日本の教育・研究機関はどこも貧乏であり、研究を続けるためには、科研費GETは必須であり、よい研究者とは研究のデザインを描けることのみならず、研費をGETする能力がある人のことをいっていた。
 その科研費が今度の仕分けで、成果のすぐに出ないような研究など無駄だと断じられて、ばったばったと切られ、どこもかしこもパニック状態になりつつある。

 いや、べつに日本は貧乏国になったから、研究なんかに金は出せないという政府の方針がちゃんとあるならそれはそれでいいですよ。そういうことなら、科研費もらうような研究チームのチーフって、だいたい留学経験ある人ばっかりだから、その人たちは海外に戻って、そこで立派な研究を続けるでしょうから世界全体としては損はない。
 ただ、民主党は技術立国日本の発展みたいなことを言っていたし、一般的な認識として、日本の未来って科学技術を高めていくしか生き残る方法はないでしょうに。
 科研費減らして、日本の技術の発展をあきらめ、ゆるやかに日本を衰退させていくという政府の方針があれば、それはそれでひとつの考えで、間違っているとは断言できない。ただし、そういう方針があるなら、それはきちんと政府が政策で決定し、仕分け人も、「そういう決定があるから削るんです」と説明するべきであろう。

 仕分け人は経験知識ともけっこうレベルの高い人たちが集まっているとの話だが、その仕分けはどうも筋が通っていないものを感じる。これは、政府がきちんとした司令塔の役割を果たしていないからではないのだろうか。

 予算削れば、族議員が血相を変えて怒鳴り込んできてそれを阻止する、自民党時代の悪しき慣例がなくなったのはいいことと思うけど、族議員のかわりに、「この国をどうするのか」という方針ももたぬ(ように見える)仕分け人たちが跋扈して予算をいじりたおす、それは国家にとってよくないことに思える。

 とりあえず、このままじゃ日本はえらいことになりますな。
 総選挙のあとから私はそう思っているけど、それがますます確信になりつつある。

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November 26, 2009

@niftyの馬鹿

 私の利用しているプロバイダは@niftyであり、国内では最大規模のインターネット・サービスプロバイダであり、日本を代表するプロバイダといえる。

 このプロバイダは馬鹿である。

 馬鹿を馬鹿と言う者はそいつも馬鹿だというのが本邦の格言であり、意外とその格言は正しいことを知ってはいるが、それでもわが身を馬鹿と罵られてもそんなの無視できるくらい大声で叫びたいほどに、@niftyは馬鹿である。ついでに言う。@niftyは馬鹿である。馬鹿である。馬鹿である。(ちょっと疲れた)

 私はべつだん@niftyと契約したわけでなく、ネットの出始めの時期(たいがい昔だ)に、富士通のプロバイダと契約してネットを使っていたのだが、富士通がネット接続業から撤退し、その業務を@niftyが吸収したため、そのまま@niftyを使っている。
 その時点で@niftyは日本最大規模のプロバイダになったので、それならそれで使い勝手はいいだろうと思っていたが、このプロバイダは私が富士通で使っていたホームページを他のサーバで使うように要請してきた。昔のホームページって、フォルダの階層を変更するのに手間暇かかるのでそのままにしておいたら、結局はそのページはfile forbiddenとなってしまった。私のホームページは、九州の妖怪紹介サイトとしてなかなか希少価値のあるホームページだったと自負するが、プロバイダの傲慢と管理人のものぐさのせいで、無くなってしまったわい。(まあ、訪れる人が少ないページだったのでどうでもいいといえばどうでもよかったのだが)

 そういうことがあるので、@niftyに関しては不満を持っているのだが、しかし@niftyが気に食わないなら他のプロバイダと契約しなおせばいいようだけど、そうなると今まで使っていたmail addressが違うものになってしまい、それはそれで不便なので我慢して使い続けている。

 使い続けてきたついで、@niftyの管理ページをいろいろ見ていると、@niftyは個人のブログページがやたらに容量が多く使えることが分かり、それならと写真付きのブログを運営しているのが今の私の状況である。

 しかし、@niftyの供給するブログページのココログは、最初はプロバイダ割り振りのIDでなく、自分で設定したIDでブログを管理するという妙な形態だったのだが、半年前ほどにいきなり、プロバイダ提供のIDで管理しろと言ってきた。最初からなぜそうしない?
 その変更で妙に使いにくくなった新形式で使ってはいたが、今度は11月25日から、いきなりココログにエントリをUPすると、表示が概要表示になっていた。(数行しかブログに乗らなくて、全部読むには【続きを読む】をクリックする方式)
 Why?
 設定条件をみると、概要表示を@niftyが勝手にいじっている。
 なんでそんなことをするのだろう?

 @niftyの知らせの項をクリックすると、以下のこと書いていた。

 「先のお知らせでもご案内いたしましたとおり、今までは特にご自身で設定しない限り記事全文が表示される仕様となっておりましたが、記事をたたんで表示したいというお問い合わせも多いため、デフォルトの見え方を「概要表示+続きを読む」方式に変更いたしました。」

 おい、馬鹿のnifty。
 記事をそのまま表示したい人もいっぱいいるんだぞ。そしてそっちの人のほうが多いはずだ。
 彼らは今の条件で満足しているから、たたんで表示をしたいなんて思っていなく、とうぜん@niftyに問い合わせなどしない。
 たたんで表示したいと思っている人がいたなら、その人にたたんで表示をさせればいい話で、たたみたくないと思っている人まで巻き込みいきなり言語道断で全員をたたむ設定にするのは、無茶だぞ。
 じっさい、25日過ぎてココログでブログをUPしている人のブログをみると、まだたたみ表示をしている人が多い。彼らは設定が変わったことを知らないか、あるいは元に戻す方法を知らないかがほとんどだろう。


 本音を言おうよ。

 「たたんで表示したいというお問い合わせが多いから」という親切めいた理由にするから、今のままでいいという人のほうが多いに違いない!勝手に変えるな! というあたりまえの反撃をくらう。

 普通に考えれば、@niftyのサーバの転送量が多くなってきて、費用の負担が重くなってきたから、転送量の少ない方式に変えましたという理由で、そうしたのだろう。
 それならばそういう理由をきちんと述べて、改善策を利用者に聞くべきではないのかな。
 重いページを作っている人は料金を上げるとか、あるいは広告をつけるようにするとか。そうすれば利用者側もいろいろ考えるだろうに、いきなり、表示形式を勝手に変えては、利用者の反発を招くだけで、それから先になにも進まないだろうに。

 今私が述べた推測は全く間違ったものかもしれないが、それでも利用者不在で、ひとりよがりに、利用方法をまったく変える@niftyの手法はまったく感心しません。

 こういうやりかたは、将来的に@niftyを衰退させていくに違いないということは、断言できます。

 そうして話をちょっと移す。
 今週の政治のトピックであった、民主党の事業仕分け。あれも「本音を隠して、ただただ削りやすい経費を削る」という、きわめて、ひとりよがりで、安易なことをやっている。
 これは結局は、民主党を衰退させるどころか、国を衰退させる危険なことであると、この場で断言しておく。

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November 23, 2009

登山未満:桑原山の麓までは行ったのだが。

 延岡市は山と海に囲まれた地であり、三方向に山が見える。北方向が特に山々が高く連なっており、とりわけ行縢山と可愛岳が花崗岩の崖を突き立てた独自の峻嶮な姿から目立っている。その二つの山の合間に、三角錐の形のよい山が望むことができ、その山が桑原山だ。

 一度は登ってみたいと思っていたので、本日天気がよいことから、午後に登ってみることにする。
 山の地図とネットでの情報では、国道326号線を北川ダム下流の下赤から左に曲がり、しばらく走ったのち林道に入ればやがて桑原山の登山口にたどりつくことになっている。
 この林道、ネットに載っている写真で見る限り路肩が崩れていたり、離合も大変みたいで、けっこうハードそうである。それで林道入り口までは車(自転車を搭載)で行き、そこで駐車して、そこからは自転車で登山口まで行ってみることにする。

【桑原山】
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 逆光ですこし変な写真だが、向いにそびえるのが桑原山。
 じつは事前の知識では、この時点で林道は未舗装路のはずなのだが、なぜか舗装路である。車で突っ込んでもよかったのだろうけど、ひどい目にあう可能性もあるので、予定通りに自転車で進んだ。
 道は桑原山からどんどん離れていくので不安になり、畑仕事をしていた地元の人に道を聞くが、わかりにくいけどここを行けば桑原山の登山口に着くとのこと。

【分岐路】
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 やがて黒内と祝子への分岐点に着く。地図では、ここを祝子の方向へ行けば、しばらくすると登山口に着くことになっている。しかし、いろいろと標識はあるが、「桑原山」と書いているのは一つもなし。

【駐車場】
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 祝子への林道はずっと舗装されている。路面の状態はかなり悪く、デコボコはしているが、車で通れないことはない。じっさいに数台の車とすれ違った。
 林道脇に駐車場を見つける。登山口の前にはたいてい駐車場があるものであり、距離からしてもここらに登山口があると思ったが、自転車を止め、いくら登山口を探すも見つけることはできなかった。

【北川ダム遠景】
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【北川ダムと唄げんか大橋】
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 ここの林道はなかなか眺めがよい。
 晴天のもと、前のサイクリングで通った唄げんか大橋が見える。

【峠の祠】
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 坂はずっと続き、自転車で登っていくと、ついには峠に到着。桑原山と向かいにある黒原山の裏側に出てしまった。ずいぶん登ってしまったぞ。
 ここからは下りになり、そのまま行けば祝子川温泉まで行ってしまう。それはサイクリングとしては楽しいルートだが、今回は登山が目的だ。どう考えても、登山口は通り過ぎてしまっているので引き返す。元来た道を引き返しながら、登山口をていねいに探すが、結局見つけることができず元の分岐路に着いてしまった。

 しょうがないので車を置いているところまで戻り、もしかして峠の向こうに登山口がある可能性も考え、車でずっと先まで行ってみることにする。
 しかし、どこにも登山口は見つからず、祝子川温泉にまで出てしまった。やれやれ。
 本日は桑原山登山はあきらめる。

 帰りは祝子川に沿って車を走らせていった。

 途中にある祝子川小学校のイチョウがよかった。
 もう廃校になってしまった祝子川小学校であるが、人の通わぬ静かな学校で、イチョウは人の営みとは無関係に、季節とともに葉を黄色く染め上げ、そして葉を散らしていく。
 ものがなしくも、たくましい、自然の風景であった。

【祝子川小学校のイチョウ】
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 (追記)登山口が見つからなかった理由について、どうやら地図の読み方が間違っていたみたいだ。2番目の写真にある分岐点で、ここは祝子に行かず、黒内のほうへ行けばそのうち「桑原山」と書いた標識のある林道の入り口に到着することができたはず。桑原山から離れる道なので、登山口のある道とは思わなかった。
 確認のため、また訪れてみることにしてみよう。


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November 21, 2009

映画:イングロリアス・バスターズ (ネタバレあり)

 タランタィーノの新作。相変わらずの快作というか怪作というか。ま、どっちにせよ面白かった。

 物語はナチス親衛隊の将校ランダ大佐を主軸に進む。
 ランダ大佐は有能な人であり、その有能さを買われ、ドイツ占領下のフランスでのユダヤ人狩りの任務を任せられる。彼は他の親衛隊員がみつけることができなかったようなところでも、その捜査能力を発揮して、フランス人に匿い保護されていたユダヤ人を次々に発見し、殺すなり、強制収容所に送っていったりしている。
 ランダ大佐はその功績により評価を高めていくのであるが、彼は有能ゆえ世の中がよく見える人なので、じつは自分がたいへん困った位置にいるのを知っていた。
 ナチス・ドイツは今のところ威勢はいいものの、どうせそのうち戦争に負けるに決まっている。そうなると国家に命ぜられて仕事をしていたにすぎない自分は、連合軍に捕えられたのち、戦争犯罪人として厳しく処罰されるだろう。それはイヤだ。しかしだからといって今逃げてはこれも死刑だ。
 この八方ふさがりの困難な状況に苦しんでいたランダ大佐であるが、その彼に事態を打開する千載一遇のチャンスが訪れる。

 そのチャンスを運んできたのが、ブラッド・ピット演じるところのレイン中尉。
 ナチスの残虐性には、残虐性で対抗するに限ると、米軍上層部より対ナチテロ組織のリーダーに抜擢されたイカれた人物。思想・哲学等は関係なく、ともかく人間をいたぶり抜きたいという意志が行動の原則である異常人である。彼のもとに、同族を虐殺されたことに憤慨するユダヤ系アメリカ人を主とするチームが結成され、このチーム「イングロリアス・バスターズ」が、フランスでナチスの兵隊を相手に残虐のかぎりを尽くす。死人の頭の皮を剥ぐわ、無抵抗の捕虜の将校の頭をバットでたたき割るわ、戦時国際法無視の暴れっぷりだ。
 そのバスターズに重要な情報が入る。パリの映画館で戦意高揚の映画が初演されるため、そこのプレミアム上映会に、総統以下ナチスの高官が勢ぞろいすると。ドイツのレジスタンスおよび英国の諜報員の力を借りれば、その映画館で仕事ができ、ナチス首脳部を一挙にこの世から消し去ることができる。
 さっそくその壮大な暗殺計画が練られ、実行準備へと入った。

 結局のところ、バスターズのメンバーも、レジスタンスも、英国諜報員もみんな馬鹿だったので、計画は穴だらけのものになり、映画館では警護に訪れたランダ大佐により彼らの正体はあっさりバレるのであるが、ランダ大佐はなぜか彼らをからかうに止め、暗殺計画はそのまま進行していく。ちなみにこのランダ大佐(=イタリア語ペラペラ)がイタリア人に化けたバスターズのメンバーにイタリア語のレッスンをする場面は映画最高の笑わせどころであろう。

 ランダ大佐がなぜ暗殺計画を阻止させなかったといえば、自分がその功を横取りすれば、戦争を終結させたという功績を得ることができると判断したためで、そのすごい功績があれば、ユダヤ人迫害の罪は問われずに連合国側に亡命することができる。ランダ大佐はその好機を逃さない。
 暗殺実行部隊の監督役のレイン中尉をとらえたのち、ニタニタ笑いながら米国上層部への直接の連絡を要求し、それから暗殺計画の遂行と引き換えに、次々に過剰なほどの身分の保障の要求をするランダ大佐、この部分もブラックユーモアたっぷりの名場面であった。

 ランダ大佐とバスターズの話に、もう一つユダヤ人女性の復讐物語がからむ。
 ランダ大佐の摘発のときに、家族が惨殺されたなか、若い女性が一人だけ逃げることに成功した。彼女はパリで名前を変え、仕事と恋人を得ることができ幸せに暮らしていたのだが、ひょんなことからナチスの高官たちが自分の経営する映画館に集まるということになり、突如復讐心が燃え上がり、バスターズとは無関係のもう一つの暗殺計画を立てる。
 イカれた人物ばかりが登場する本作で、彼女は唯一まともな人であり、その残虐な行為もそれは正当性があるものである。

 この映画は、ユダヤ人狩りとテロ行為が横行するナチス占領下フランスという、極限の暴力と不条理がうずまく地で、正義も理想も倫理も関係なく、自分がやりたいことをただやりたいイカれた連中たちが、頭脳と腕力でバトルしあうという、タランティーノ流格闘劇である。
 そのなか、ただ一人まともなユダヤ人女性が、己の復讐心に我が心と我が身を焼きつくしていく哀しいサイドストーリーは、ついつい格闘劇のほうにばかり気を取られ、そのバカ部分に笑い転げている観劇者の心を、ふっとまともな方向に引き起こすはたらきがあり、映画全体としてよくバランスがとれていたと思う。

 タランティーノの映画は、映像と脚本の徹底して手のこんだ馬鹿らしさが売りなんだろうけど、今回はそのへんが新機軸だったな。

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イングロリアス バスターズ 公式サイト

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November 19, 2009

読書:巨匠(マエストロ)たちの録音現場 井阪紘(著)

 レコード(or CD)というものを作成するときに、いかにプロデューサーという存在が大事なものであるかということを私は本書を読んで初めて知った。
 本書は著者がプロデュース業をやっていることもあり、説得力がある。

 ここに登場する大演奏家は、カラヤン、グールド、チェリビタッケの3人。それに番外編として、名プロデューサーのカルショーについて一章が設けられている。

 カラヤンについては、カラヤンの活動の初期にレコードが非常に重要であったことはよく知られている。敗戦国ドイツの音楽家であったカラヤンは公演活動に制限があり、そのため、レコード製作に力を向けざるをえなかった。この時期、カラヤンにはウォルター・レッゲという名プロデューサーが支援を行い、二人の見事な二人三脚で優れたレコードが次々に作られ、それらはカラヤンの名声を高めるのにおおいに役立った。

 ただしカラヤンは次第に増長していき、全てを自分一人でやらねば気がすまなくなり、レッゲとは袂を分かち、プロデューサーはイエスマンのみを雇いレコードを作っていくことになる。
 著者はこれをカラヤンの堕落ととらえている。これ以後、カラヤンの演奏は一人よがりとなり、俗なものになっていったと。

 俗性はカラヤンの本質であり、俗性もカラヤンくらいに最高級にまで俗性を磨けば、それはそれで立派な芸と、私などは思うのだが、著者として我慢ができないものであるみたい。

 奇才グールドもプロデューサーを拒否した音楽家。
 彼の場合はカラヤンよりももっと徹底していて、録音機材から自分用に購入し、編集作業も行っていた。著者はそういうグールドに対して批判的であり、グールドの残したいくつかの「怪演」は、プロデューサーがしっかりしていたらまだまともなものになっていただろうと、言外に語っている。
 しかし、あのグールドを制御できる者などこの世にいるとも思えず、どんなしっかりしたプロデューサーがついていようと、グールドの演奏は、ああいう演奏ばかりであったように思えるが。

 なにはともあれ、プロデューサーという職業が巷間で誤解されているような華やかなものではなく、我慢と忍耐が何よりも必要な職業であることがわかった。でも、耐え忍びながらも、個性豊かな芸術家との共同作業を成し遂げたときは、素晴らしい作品を生み出すことができるという、創作者としての栄光も得られるわけで、とてもやりがいのある職業といえる。

 さて、終章のカルショーの部。
 私もカルショーのLPはけっこう持っていて、その偉大さはそれなりに理解している。
 しかし、カルショーのデッカ社での重要な仕事、「ラインの黄金」のプロデュースの模様が本書にて書かれているのだが、そこでカルショーは指揮者としてクナッパーツブッシュを採用していたのに、クナッパーツブッシュのわがままに耐えきれずに、計画は放棄されてしまった。

 耐えんかい!!!!!!!

 クナッパーツブッシュの「ラインの黄金」ステレオ盤が完成していたら、それは間違いなく人類の宝だっただろうに。ああ、クナッパーツブッシュのラインゴルト! 

 一プロデューサーの怠慢で、人類の持つべき至宝が闇に葬られてしまったわけで、この一件だけでも、私はカルショーを駄目プロデューサーと断定する。

……………………………………………
巨匠たちの録音現場 カラヤン、グールドとレコード・プロデューサー
井阪紘 (著)

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November 17, 2009

読書:身代わり 西澤保彦(著)

 タック・タカチシリーズの新刊。
 このシリーズの前作の「依存」が出たのが2000年だから、9年ぶりか。前作の内容って、もうほとんど忘れたぞ。

 内容は、「見たことも会ったこともない者が、ある手法でたがいの身分がばれないように連絡をとりながら交換殺人を行う」というミステリ。
 この連絡の方法、現代ではインターネットというものがあるので、めずらしくもなんともないのだが、物語の背景の時代は1990年なのでインターネットは使えない。その手法は、「どうしても人を殺したい」という情念を持つ人が人知れず集う場所が必要であり、…それからすると、たしかに1990年代にはここしかなかっただろうなあ、と納得してしまう。
 それにしても現代は、「人を殺したい」とか「自殺したい」とか、そういう負の情報が容易に得られ、そこでの連絡から事件が現実に起こっているわけで、妙ちくりんな時代になってしまったなあと、本書を読んで、本に書いてもいない別のことに感心してしまった。

 シリーズものなので、肝心なのは探偵役のタック・タカチの活躍ということになるのだが、べつだん彼らの妄想推理が爆発するようなシーンはなく、推理は淡々と進んで事件は解決し、あえてこのミステリをタック・タカチシリーズでやる理由もなさそう。

 タック、タカチは、両者とも飛びぬけて明晰な頭脳を持ちながら、社会に溶け込むことのできないアウトローであり、そのひねくれたアウトローが、大学の仲間の手助けをかりて、社会と和解していく物語がこのシリーズの主筋なのであるが、今回の新刊を読むに、彼らはもう社会と和解をすませて、落ち着くところに落ち着いているみたい。

 著者の西澤保彦からしてアウトローであるのは間違いなく、社会に確実に存在する悪意、憎悪をこれほどねちねちと現実的に書いてきた人はいないのだが(あ、宮部みゆきがいたか)、近頃の作風はずいぶんと柔らかなものになってきている。著者描くところのタック・タカチと同様に、著者もどこかで社会と和解していたんだろうなあと、その変遷に感慨を持ってしまう。

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身代わり 西澤保彦(著)

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November 15, 2009

旅館:無量塔 昭和の別荘

 毎年秋になると、無量塔では「昭和の別荘」の庭に植えられている紅葉が、ひときわ目立つ、鮮やかな深紅の色に染まるので、今回はその紅葉を目当てにこの部屋に泊まってみようと思った。

 しかし、本来なら無量塔周囲は今ごろが最も美しい紅色に染まっているはずなのに、先日の大雨と強風により、ここの紅葉は色褪せるかあるいは散ってしまい、黒岳同様に晩秋の装いとなってしまっていた。

【秋の無量塔】
0murata

 無量塔本館の紅葉の残りぐあいはこんな感じ。もう一雨ふれば、葉は全部散ってしまい、初冬の閑散とした風景になるのであろう。

【昭和別荘】
1showa_entrance

 昭和別荘の庭に植えられている紅葉は、時期さえよければ、樹全体が燃え上がるように、鮮やかな紅い色の紅葉がまとって、とてもきれいなんだけど、半分以上散ってしまっている。さびしい風景。でも、玄関前にはその紅葉の葉がいっぱい落ちていて、これはこれで味のある風景であった。

【リビング】
2room

 無量塔の旧館はいずれも、地方の古民家を移設して、独自の手を加えて旅館に改造したものである。それらは共通して、とんでもない広さとか高さとか、無茶な調度品の置き方とか、空間の無駄な使い方とか、個性の強いものばかりであり、「こんなところに住む者などいない」というような突き抜けた馬鹿馬鹿しさがあって、私はたいへん好きなのである。しかし、「昭和の別荘」は、めずらしくそのような遊びや破格はなく、「今まで人が住んで生活していた」と言われても納得しそうな、普通さが特徴となっている。
 まったく「昭和の別荘」は、その名前の通り、昭和のころの家を模したものであり、訪れた人は「おじいさんの家がこんなだった」との感想を持つ者も多いと思う。じっさい、私の祖父の家もこんな感じだったな。
 リビングはソファ、窓、暖炉の配置等は、まっとうで落ち着いたもの。壁にかけられた絵も、異様な抽象画ではなく、由布岳の絵というきわめて常識的なものだ。
 それゆえ、他の旧館で感じるような非日常感は弱いが、しかし、落ち着いた雰囲気からは、寛ぎやすいのはこちらかもしれない。

【和室】
3room

 広縁に、床の間、炬燵という、こちらもまっとうで正統的な和室。
 しかし、この和室は使い方が難しい。
 「吉」とか「藤」では、和室が食事処になるので、その空間が無駄になることはないが、「昭和の別荘」は厨房が遠いことから、食事は本館内の紫扉洞でとることになり、するとこの和室は食事には使えず、他の用途に使わねばならない。通常はこういう炬燵部屋はくつろぐための部屋なんだろうけど、ちゃんとしたリビングがある以上くつろぐにはたいていはそちらを使うだろうし、…では、この和室はなんに使うべきか?
 ま、普通に考えれば、多人数で泊まったときの、布団を敷くため用の部屋なんでしょうな。

【椅子】
5chair

 ところで昔の家は、広縁にこういう風な洋物の椅子が置いていることが多かった。今はこういう幅の広い、広縁がある家のほうが珍しくなり、それゆえ椅子も置いていない。
 昭和の別荘で、これを見て懐かしく思った。
 今思えば、昔は広縁がリビングの変わりになっていたんだな。

【風呂】
4huro

 昭和の別荘は、玄関から部屋に入ってすぐに「昭和」を感じることができるが、ここの風呂も入った瞬間に、「昭和」を感じることになる。
 わざと汚れている年期の入った小タイル、天井の白一色の漆喰塗り、微妙にゆがんだ楕円形の風呂、これらがいかにも「昭和の銭湯」という雰囲気を濃厚に漂わせている。「三丁目の夕日」とまではいかないまでも、妙に懐かしい気持ちをまずは感じながら、源泉かけ流しの、くせのない素直な温泉の湯につかっていると、なんとも平穏な気持が心を満たしてきて、ず~と風呂に入っていたいなあ、と、そう思ってしまいます。


 無量塔のような立派な部屋風呂がある宿は、いちいち外に出て大浴場に行かずとも、気兼ねなく容易にちゃんとした風呂に入られるのがよい。
 朝起きて、酔い明けのどんよりした頭を抱えながら、寒いなかでもうもうと湯気をあげる風呂場に入り、そして大きな湯槽で思いっきり身体を伸ばして、ゆったりと湯を楽しむ。無量塔での、極上の朝の楽しみ。
 そして、身体が湯で温まり満足したところで湯から上がり、浴衣を着て廊下に出る。しかし、湯布院の早朝は寒く、いきなり身体が冷える。寒い、寒いとつぶやきながら歩を進めると、すぐ炬燵の部屋がある。さっそく炬燵に入り、背を丸めて、広縁からの外の風景などを眺めていると、そのうち足から身体中までぽかぽか温まってくる。
 「ああ、日本の温泉宿っていいなあ」と、豊かな気分になってしまい、晩秋の無量塔を存分に楽しむことになる。

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November 14, 2009

Bar:Tan’s Bar@無量塔

Tans_bar

 夕食を終えたのちは、無量塔のBar、Tan’s Barにて酒を飲む。

 Tan’s Barは、無量塔の玄関であり、象徴である。
 空間の贅沢な使い方、奥ゆきある抽象画、調度品の細部へのこだわり、太い木材から伝わる重量感、それらが全体として、無量塔ワールドという独自の世界をわかりやすく形成している。
 たぶん無量塔の魅力を伝えるうえで、最もその実践的な力があるのは、宿のどの部屋よりもTan’s Barであろう。

 ただし、その広告的存在でもあるTan’s Barには問題点が一つあり。
 Tan’s Barは以前はopenなBarであったのだが、今は夜になるとこのBarを使えるのは宿泊客のみという、宿泊者専用のBarとなっている。おかげで以前に比べBarが静かで落ち着いた雰囲気になり、またsmokerが激減しており、居心地がたいへんよくなっていて、宿泊客にとってはいいことだらけなのだが、…書いていると、たしかにいいことだらけで、なにも問題ないな。

 いや、問題点があった。
 無量塔の周囲には「祥泉」や「泰葉」といった、評判のよい宿がいくつもある。そういう宿に泊まり、夜にBarに行きたくなったとき、せっかく近くに素晴らしいBarがあるのに、そこには入れず遠くの湯布院中心地まで出なければならない。
 これらの宿に泊まる人の客層と、無量塔の客層はかぶるところがあるであろうから、それらの人がTan’s Barに立ち寄ることにより、無量塔の魅力を知り、次は無量塔に泊まるようなこともけっこうあったのではと、宿の広告戦略的にはなにかもったいないものを感じてしまう。

 まあそういうことは百も承知で、宿側はそうしているのであろうから、客側がどうこういう話ではないのであろう。じっさいのところ、宿泊客にはメリットしかないわけだし。


 夜は宿泊客専用のTan’s Barであるが、昼はカフェとしてopenになっている。湯布院中心地から離れて場所であるが、人気スポットとなっており、いつもにぎわっているそうだ。
 無量塔の魅力は知りたいが、泊まるのはちょっと…という人には、是非ともお勧めの場所である。


 ところで、無量塔には一棟、Tan’s Barに負けないサロンを持っている宿がある。
 「明治の別荘」がそれで、すごく広いリビングには対面式のカウンターバーがあって、ソファもテーブルも立派なものがある。
 どう考えてもミニパーティを行うための宿であり、いつか人数を集め、楽器を持ちこみ、酒飲みながらどんちゃん騒ぎをやるのが、私のひそかな夢だ。(←やったらぜったい怒られるって)

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和食:無量塔の冬 

 黒岳から下山したあとは、毎度のごとく日が暮れたのちに湯布院に入り、「無量塔」へと到着。ひとっ風呂浴びて汗を流し、ついでにビールを飲んで水分を補給したのち、食事処「紫扉洞」で夕食をとる。

【先附】
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【先付をほぐして分かりやすくした図】
2

 ちかごろ凝ったものが出てくる傾向にある、無量塔の「先付」。
 今回は地鶏の八幡焼きに、焼きリンゴと焼きネギを添え、白髪ネギを散らしたもの。
 シャキっとした牛蒡にコリコリした地鶏を巻き、それにネギ、リンゴと似たようにシャキシャキした食感の素材ばかりを組み合わせ、全体としてやたらに音楽的というかスジ張った料理となっている。
 これは妙な食感をまずは楽しむ料理なんだろうなあ。

【椀】
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 白身魚を蕪ではさんだものを何度も蒸して、ふんわりと柔らかにし、それにメレンゲと山芋を擦ったものをあわせたものを載せて。人参の紅葉、銀杏、柚子、菊などを散らされ、椀のなかに、晩秋から冬への移ろいが表現されているようだ。
 先のコリコリシャキシャキした料理から、今度は一転して、とろけそうに柔らかい食感が楽しめる。

【八寸】
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 緑々とした檜の枝の束に載せて八寸が出てくる。一瞬、鏡餅の登場かと思ってしまった。
 八寸はずいぶんとにぎやかなものになっている。いつもの定番品は関鯖くらいのもので、あとは鯛の炙り、牛蒡揚げ、卵豆腐、辛子蓮根、餅銀杏、根菜等々。色とりどりで、形もそれぞれユニークであり、目で楽しみ、香りで楽しみ、そして当然舌で楽しむ、なんとも愉しい料理。

【鍋】
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【鍋の具】
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 煮物は、九州では珍しいアコウの鍋。アコウに九条ネギという関西風の食材の組み合わせであるが、味付けは無量塔独特の強めの田舎風。茸や大蒜もいい出汁をだしており、にぎやかな味である。淡泊なアコウは、この豊かな出汁に案外あっており、汁の味の良さがよく伝わってくる。

【揚げもの】
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 揚げものは、河豚の竜田揚げ。冬を迎える時期はまずは河豚からというわけか。
 これは、まあ普通においしい。

【焼き物】
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 〆の豊後牛は、豊後牛のローストビーフではなく、焼きたてで出てくる。
 紫扉洞のなか、すぐそばでジュージューと音を立てながら焼いていたわけで、まさに焼きたて。無量塔の豊後牛は無理にローストビーフにしなくとも、単純に焼くのが一番おいしいのではないだろうか。かみしめると、旨い肉汁が豊かにあふれてきます。


 先付、椀、八寸、煮物、焼き物、全コースに渡り、いずれも相当に手の入った、凝ったユニークな料理が供される。
 以前の無量塔は、剛直な高級田舎料理一本でぐいぐいと攻めてきたのだが、今は無量塔風会席としかいいようのない、華やぎと面白みのある料理となっている。料理長の懐の深さと、探求心のたまものなのだろうけど、このように季節ごとに、仕掛けの変わってくる、おいしい料理を味わえる旅館があることは、まことにありがたいことである。

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登山:晩秋の九重黒岳(男池~ソババッケ~黒岳)

 九重連山のなかで紅葉の最もきれいな山は黒岳である。
 この山は人の手の入り過ぎた感のある九重のうちでは例外的に自然林が豊富に残されており、四季ごとに美しい装いをみせてくれる。
 紅葉の時期となり、その黒岳に登ることにする。ただし、11月第2週は低気圧のせいで、大雨は降り、強風は吹き荒れ、全国的に紅葉は吹き飛ばされてしまった。おかげで、紅葉は期待できそうにないが、まあ名残くらいはあじわえるであろうと、めげずに黒岳へGo。

【男池登山口】
Entrance

 黒岳の登山口である男池からstart。見ての通り、紅葉は樹々にわずかに残っているのみ。一番標高の低いところでこの具合なら、ここより上は紅葉はまったくないであろうと思われる。

【登山道1】
1

 黒岳への登山道は自然林のなかである。葉はわずかに木の枝にまとったもの以外は、すべて地に落ち、積もっている。林の地は落ち葉だらけで、落ち葉の絨毯みたい。これはこれで、味のある光景だな。樹々の葉が落ちていることから、風景の見通しもよくなっていて、青空と晩秋のくすんだ色の山が鮮やかに見える。

【登山道2】
2

 歩くうち、とある林で風景が急に変化する。落ち葉がすべて黄葉であり、木漏れ日を浴びて、地が黄色く輝いて、あたりの空間も黄色に染まってみえる。なんともふしぎな雰囲気の林。

【登山道3】
3red_leaves

 落ち葉が山道に吹きだまりのように集まっていて、黄・茶・赤と色彩コントランス豊かな道となっている。この落ち葉もすぐに風に散らされ、そして土に還っていくのだな。

【ソババッケ】
5sobabakke

 登山道をいったん登りきったところが、湿地帯の山窪である「ソババッケ」。昨日までの雨のせいで、小さな池ができている。
 「ソババッケ」という妖怪のような変な名前は、じつはやはり妖怪から来ている。ソババッケは名前から想像つくように蕎麦から化けた妖怪で、人里離れた山間の平地で、蕎麦の種を撒いて、自分の仲間を増やすことを生業としている。その妖怪ソババッケが最もよくいるところが、なにを隠そうこの九重の山窪ソババッケで、いまでも運がよければ雨あがりのあとなど、樹々のあいまから現れ、ひょっこりひょっこりとはねながら、地に蕎麦の種を撒いているソババッケの姿を見ることができる。
 
 …と、ここでヨタ話を止めてしまうと、私のブログが、ソババッケ=妖怪説の発祥の地となってしまうなあ。
 今の検索エンジンは性能がいいので、ソババッケの意味を知ろうと検索したら、私のブログのような超マイナーなものでも容易にひろってしまう。そうなると、なかにはソババッケ=妖怪説を信じる人がいたりするかもしれない。いたとして、なにが困るというわけでもないが、まあ、いちおうソババッケの語源について、妖怪説以外のもっともらしい話も、ついでに書いておこう。

 南九州は、北海道や東北とならんで、縄文時代の言葉が地名に多く残っているところである。ソババッケもそのたぐいで、「ソバ」は山の中、「バッケ」は急傾斜くらいの意味。あわせて、山の中の急傾斜(に囲まれた)地という意味になる。
 この、人もたいして訪れることもないような、でも独特の雰囲気を持つ山間の小盆地が、何千年ものあいだ名前を持ち続けていたのは、感慨深いことに思える。
 なお地名から誰でも関連して考えるであろう「蕎麦」については、こんなじめじめしたところで蕎麦を育てるのは無理であろうから、まったく関係ないと思われる。

【黒岳への登山口】
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 ソババッケからは黒岳のほうへの道を行く。岩がごろごろした悪路を行きながら、徐々に高度をかせいでいく。途中で、トレーナーに運動靴、ザックなしという、山をなめているとしかいいようのない格好の5人組とすれ違う。こういう人たちって、じつはすごい達人か、あるいはド素人かのどちらか一つなんだろうけど、まあ後者でしょうな。
岩場がおちつき、ちょっとした広場に出ると、そこからが黒岳への取り付きとなる。
 この登山道は、なんでこんな直登ルートにしたんだろうと不思議に思うくらいに、急傾斜をまっすぐ登っていく。足場も岩と砂利だらけで悪く、山慣れしていない人は、ところどころに親切に設置してあるロープを使わねば、登るのは大変であろう。

【高塚山】
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 黒岳は複雑な形をしている山だが、いちおう高塚山と天狗の二つの峰から成り立っていうことになっている。
 高塚山はミヤマキリシマが生い茂っている灌木の多い山。ミヤマキリシマの咲くころはさぞかし美しい山となっているであろう。

【天狗遠景】
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 高塚山山頂より、黒岳のもう一つの峰である天狗を望む。
 天狗は高塚山とまったく異なり、岩を積み上げてできたような岩塔の峰である。

【天狗近景】
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 天狗は山頂まで登山道は続いているとはいえ、登るのに岩登りの感覚が要される。
 赤ペンキを見つけながら、ルートを確実に拾って登っていきましょう。

【天狗山頂】
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 山頂は岩だらけで、山頂とされている岩にたどりつくには、いくつもの岩を越えていかねばならない。
 さて、登頂を「その山の一番高いところに立つこと」と定義すると、黒岳の天狗は登頂がかなり困難な山である。まず第一にこの山頂の岩、まっ平というわけでなく、この岩に立つにはそれなりのバランス感覚が必要だ。しかもこの岩の向こうは断崖絶壁であり、落ちると確実に命がなくなるので、立つにはかなりの度胸がいる。というわけで、この天狗では登頂の記念写真は、たいていは岩の前に立った姿で撮ることになる。
 私とて、この岩の上に立ったことはない。
 Webで黒岳の登山記事を検索すると、天狗の岩に立った登頂記念写真がUPされたものがあるが、すなおにすごいと思う。

【天狗山頂2】
8tengu_sumitt

 なお、天狗の登頂が困難な、第二の理由。
 山頂とは「その山の最も高いところ」であるので、じつは天狗の岩は、真の山頂ではない。(はず)
 山頂部にあるいろいろな岩のうち、天狗の岩より高い岩が一個ある。写真で赤矢印をつけた岩であるが、左端に写っている天狗岩とくらべ、どうみても、どこからみても、こちらのほうが高い。しかしこの岩、見てのとおりとんがっており、これに立つのは、天狗の岩よりさらに困難と思われる。
 以上のような理由より、黒岳天狗は九州でも有数の登頂が困難な山といえる。

【男池】
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 高塚山、天狗とめぐり、黒岳登山を終え、もと来た登山道を戻って下山。
 帰りは男池によってみる。
 数年前に訪れたときに比べ、台風の災害の影響か、ずいぶんと姿・形・施設が変わっているようだが、湧き出る水はあいかわらずきれいなものであった。

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November 13, 2009

Bar八@熊本市

 鮨を食って酒を飲んだのちは、Barへと行く。時蔵と道をはさんで真ん前の長崎屋2階に、日本酒ショットバー八があるので、そこでさらにいい酒を飲む予定。

【メニュー】
Menu

 カウンターに座って酒の品書きを見ると、あれ、ずいぶんと日本酒の品数が減っている。というよりこの店はすごい種類の数の日本酒をそろえていることで有名なBarなのであって、そのメニューは巻紙であり、その巻紙をほどいて目当ての酒を探すというスタイルであったのだが、どうしたことやら。
 知らぬ間にこの店は置いている酒の種類を日本酒から洋酒に変換してきたそうで、そのぶんカクテル類は豊富になってきているとのことだ。
 それならと、マティーニから頼む。美味しいカクテルだが、なにか納得いかないなあ。

【外景】
Window

 ところでこの店の前の道は、熊本中心街の有名な通りであり、「オークス通り」と名付けられている。
 …じつは私は今の今まで漫然とこの通りはどこかに楢(oaks)が植えられているんだろうなあ、と思っていた。しかし、窓の外に街灯にライトアップされて美しく映える楠の木を見て、「楠の木がきれいなところだなあ」と言うと、「そりゃそうでしょ。外はオークス通りなんだから」との応答。ん? なんでオークスと楠の木が関係あるんだいと返すと、「オークスとは大クス、大きい楠の木のことだよ」との意外な答え。そ、そうだったのか。ぜんぜん知らなかったよ。もっとも熊本で育った人とかには常識的なことだったかも。

 そんなこんなで美しい夜景を眺めながら、カクテルを傾ける。
 雰囲気のとてもよいBarで、いい時間が流れていくけど、以前の日本酒を揃えたときから形態が変わってしまったことから、今の日本では日本酒は人気がなくなっていってることを知り、日本酒党としては、さびしいものを感じざるをえなかった。

 「八」の姉妹店には、焼酎の品揃えが豊富な「寿や」というBarがあり、焼酎は本邦ではいまだ人気高いから、こちらの店はたぶん以前同様に焼酎をたくさん置いているであろう。

……………………………………………
Bar八 熊本市上通町6-23 長崎書店ビル2F
     TEL 096-353-6767

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寿司:鮨屋時蔵@熊本市

 半年ぶりに熊本市に出たついでに、夜は時蔵にて鮨を。
 熊本の寿司屋はツマミが豊富で、鮨は料理の〆として出てくる寿司割烹的な店が多いのだけど、時蔵は鮨が主体のタイプの店である。鮨も独自の工夫に満ちたものばかりで、鮨にこだわりのある店だ。

【カンパチ】
1

【〆鯖】
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 鮨が主体とか書きながら、まずはツマミから紹介。
 時蔵ではツマミはたいてい寿司種に少しばかり手を加えたものが出される。
 活きのよいカンパチの刺身には香り豊かなアサツキを散らして、〆鯖は酢で〆たうえにさらに昆布で〆て。いずれも良い酒の肴となる。

【白身】
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 ツマミが数点出たのちに、鮨となる。
 時蔵の鮨は創作系のものであり、いずれもそれぞれに味がつけられ、醤油をつけて食べるものは原則出てこない。
 この白身は大葉をはさんで、煮キリを塗って。

【皮剥】
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 カワハギは肝を隠し味に使っています。カワハギの身の淡い味に、濃厚な肝の味がからみ、カワハギという魚の魅力を存分に引き出している。

【牡丹海老】
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 牡丹海老は、海老味噌を和えて。牡丹海老の甘い味がほろ苦い味噌が加わることにより、ずいぶんと賑やかな味わいとなり、面白い味の広がりが楽しめる。

【サザエ】
7turbo

 サザエは殻から出して、それを炙って。
 焼きサザエの香ばしさと、コリコリした食感が、うまくシャリにあっている。

【トロのヅケ炙り】
6toro

 時蔵の自慢の一品。脂のよくのったトロをヅケて味を整え、それを炙ることにより、さらに旨みを凝縮させて供される。マグロのトロの豊かな味を存分に楽しめる鮨。


 いずれの鮨も、素材がとびきっり良いというわけでもないのだが、ほどほどに良い素材を、店独自の工夫を重層的に加え、その結果、ここでしか食べられないようなユニークで愉しく、そして美味しい鮨が出されている。店主いわく時蔵の鮨は、江戸前ならぬ「肥後前の鮨」とのこと。
 そのとおりに、熊本を訪れた鮨好きの人で、熊本でしか食べられないような鮨を食べたいと思ったときは、この店は第一候補に挙げられるべき店であろう。

 なお、店の正式名称「二代目正六鮨屋時蔵」の「二代目」は、ロン毛の店主が二代目ということから付けられており、けっこう長い歴史のある店なのである。立地の良さと、コストパフォーマンスの良さから、熊本市内でも屈指の人気寿司店であり、だいたいいつも満員なので、予約は必須であります。

……………………………………………
二代目正六鮨屋時蔵:熊本市上通町4-11 
          TEL 096-326-7771

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November 12, 2009

私の好きな絵:セザンヌ「大水浴」

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 近代絵画の巨匠セザンヌの絵は、何よりも色が美しい。画面を見ると、それだけで目がひきつけられ、ひきこまれてしまう色の美しさは、セザンヌ特有のものである。それは色そのものの美しさに加え、色を構成するバランスが巧みだったからであろう。セザンヌは、色の構成のためには、構図にかなり無理をかけて絵を描くことが多く、その構図の破格さ(遠近法の狂い、解剖学無視、強引な立体形構成等々)が特有の魅力でもあったのだが、晩年になってそれらの実験的手法がようやく落ち着くところに落ち着き、円熟の極みのような作品を何点も残している。

 それら晩年の傑作のなかでも、特に私がセザンヌの最高傑作と思っているものが、フィラデルフィア美術館蔵の「大水浴」である。

 集団の人物が水浴をする姿を書いた水浴図は、セザンヌの若いころからの一貫したモチーフであり、多くの作図が残されている。その連綿と描かれてきた水浴図の最後の総決算のごとき大作がこの「大水浴」。

 美しい青色を基調に、生き生きとした樹々は画面中央でアーチをつくり、その元にたたずむ女性たちの群像。樹々の形も、女性たちの姿勢も、それ一つずつは不自然なものなのに、全体としてみると、一体の完成した伽藍のようでもあり、完璧としかいいようのない、圧倒的魅力あふれる造形をなしている。

 画面の構図から、絵を見る者の視線は自然と中央下部の女性たちの集まりにまず行き、次に青い川、対岸、対岸の村、そして空へと移っていく。
 最初に見る中央の女性たちは、大地の手をさしのべ、そこでなにかを触れようとしている。そのなにかは、今から大地から生まれ出るもののようでもあり、以前からそこに残されていたもののようでもあり、しかしいずれにせよ、非常に重要な、画面の芯となるものに違いない。その「なにか」としか言いようのないものを、セザンヌはあえて絵具で描くことはせず、キャンパスの白地をそのまま残すことにより表現している。描き残しの部分があることにより、この絵は未完成ともいえるのであるが、わざと描くことをしなかったせいで、この白地の部分は、それが「なにか」ということの解釈において「無限の可能性」を持つことになる。そして大水浴図での神話的な女性たちが触れようとしているものとして、それはもっとも適した表現法であり、それゆえに完成しているといえる。

 キャンパスの白地が残されたものとして、もう一つ、対岸の人物の顔がある。
 現実の事象ばかりを描きながら、しかし全体として、現実離れした、この世のものでもないような風景となっているこの絵で、対岸の人物だけは、この世に確固としてある存在に思える。神話的、あるいは彼岸的風景のなかで、対岸の人物だけは、絵を見る人に正面から対峙して立ち、絵に描かれたものと、そして我々を眺めている。この人物は、絵のなかの批評的存在であり、絵の精神の核と思える。その人物は、作者セザンヌ以外の誰でもないのだが、セザンヌはその自画像的人物を描写するとき、表情を描きこむことはせず、ここも同様に白地のままで残した。そのことにより、その人物は「セザンヌの魂」そのもののような表現を得ており、絵を引き締める確かな存在となっている。

 さてこの絵を見るものの視線は細部をめぐり、やがてまた全体へと戻る。
 褐色の優しげな大地、なめらかな樹々、風にさわぐ青い空、遠景の尖塔を立てた建物、そして先に述べた「未完成」の部、すべての細部がひとつに調和し、全体として完璧な安定を持つ、偉大な作品となっている。

 近代絵画の可能性をとことんまで追及したセザンヌの、晩年の、最大にして最高の達成がここにある。
 この絵の実物を見るためだけにもアメリカのフィラデルフィアに行きたい。せつにそう思う。

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雑感:未完の傑作

 昨日に「ガラスの仮面」は「紅天女」を書くことにより、傑作の座からすべりおちてしまうことになるかもしれないというような危惧を述べた。じっさいのところ、ガラスの仮面は今のままでも十分に傑作なのであり、「紅天女」をあえて描かずに、「未完の傑作」として、そのままにしておくという選択肢は当然ありえたはずなのだし、じつはそうするつもりであったと思っていたのだが、著者は急にガラスの仮面を完結させる気になったみたいで、…さてどうなるのであろう。

 ところで、美術史には「未完の傑作」が現実に数多く存在している。そのパターンとしては、以下の3つのパターンが主なものであろう。
(1)完成が不可能だったが、それでも傑作ゆえ「未完の傑作」となった。 
(2)完成品が損傷を受けることによりその元の姿を失ったのに、それゆえかえって魅力が増し「未完の傑作」となった。
(3)わざと未完の部分を残すことにより完成度が増し、「未完の傑作」となった。

 (1)の代表的なものはダヴィンチの「最後の晩餐」か。
 「最後の晩餐」はじつは未完成の作品である。十二使徒と師キリストの晩餐、キリストが「このなかに私を裏切る者がいる」と語ったときの、使途たちの動揺する瞬間を描いたこの絵では、ダヴィンチは使徒の姿から描き始めたのであるが、十二人全員描いたところで大変な困難に面した。使徒の顔をあまりに気高く描きすぎたために、ダヴィンチはこれ以上気高い存在を描けないことに気付いてしまったのだ。ゆえにダヴィンチはキリストの顔を描くことができず、結局キリストの顔は空白となってしまった。超絶的天才ダヴィンチに描けないのなら、人類の他の誰が描けるというわけもないので、「最後の晩餐」はここで作成が終了し、未完の作品となった。しかし、未完という大変な欠陥があるにもかかわらず、構図の斬新さ、絵そのものの美しさ、ドラマチックな表現等々にて、この絵は偉大なものであり、現在にいたるまで傑作中の傑作として称賛されている。

 (2)これはルーブル美術館が所蔵する2つの人類の至宝「サモトラケのニケ」「ミロのビーナス」が代表。
 ミロのビーナス像は、両腕を失ったことゆえに、不思議な安定感とともに、自由な空間の広がりをも得て、魅力を増している。それこそこの像はかえって腕があったときのほうが未完成品なのではないだろうかといえるほど、今の姿は高い完成度を示している。
 ニケも顔と腕がないことによって、かえって躍動感が増した。ニケは勝利を告げるために天より降りてきたときの姿であり、その大きな翼が、まさに今そこではばたいているかのような臨場感を描出している。ルーブル美術館に入場したとき、真っ先に現れるのがこの像であって、誰もが、見た瞬間そこから風が吹いてくるような迫力を感じることができる。私もルーブルを訪れたとき、まずはこの彫刻のすごさに心底感心した。

(3)については、私がその最もな代表的作品と思っている、セザンヌの「大水浴」を次のエントリで紹介してみたい。 (続く

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November 11, 2009

コミック:ガラスの仮面44巻 美内すずえ(著)

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 北島マヤの演劇の恐るべき才能を知った月影先生が放つ有名な名セリフ、「マヤ、恐ろしい子」。
 この言葉を放ったシーンは、「ガラスの仮面」有数の名場面であり、web上あちこちで引用されており、自然に私も「ガラスの仮面」の書評を書くとなると、UPせざるを得なくなる。
 やはりすごい迫力だ。でも、ひきつった顔で額に汗をたらして哄笑する月影先生の姿をみると、「恐ろしいのは月影先生、あなたです」とも言いたくなってしまうが、それはさておき「ガラスの仮面」の最新刊である第44巻。

 「ガラスの仮面」は30年近く前に始まった連載漫画であり、30年ほど前この漫画を読みだしたとき、私は「こんなに面白い漫画があっていいものだろうか」と思ってしまったのだが、そのハイテンションな面白さが持続したまま連載が続いていたのに、10年近く前に突然に休載となり、残念に思っていた。

 休載の理由については巷間伝わる話では、「美内みすずが宗教にはまってしまい、あっちの世界にいってしまった」ということになっていた。
 それもあろうが、ほんとの理由は作中劇「紅天女」にあると思っていたし、今でもそう思っている。

 「ガラスの仮面」の特徴は、作中に北島マヤや姫川亜弓演じるところの作中劇が入っているところである。その作中劇、それだけで一巻の別の作品にもなるようなよく出来たものばかりであり、そこにこれらの演劇を演じる主人公たちの成長がからんで、ガラスの仮面という作品をより奥行きの深いものとしていた。

 その素晴らしい劇中劇のラスボス的存在が、かつて月影先生が演じたところの「紅天女」であり、当代一の最高の役者しか演じることができない至高の作品ということになっている。北島マヤも姫川亜弓も、これを演じたくて懸命に努力を続けてきた、そういう劇だ。

 その「紅天女」であるが、ガラスの仮面では、今までの作中劇がよく出来たものであったため、当然「紅天女」はそれらをはるかに超えるレベルの劇であることが要求される。そういう劇を作者は果たして作ることができるのか? 普通に考えれば無理であり、それゆえ「紅天女」上演を前にして、ガラスの仮面が休載になってしまったのはやむをえないことと思っていた。そしてそのまま「未完の傑作」となるものと思っていた。

 しかし、今更ながらの連載再開である。
 これからの連載はラスボス「紅天女」がいかなる劇なのか、それをいかに主人公たちが舞台上で演じるのかが主筋となってくるのであり、肝心貫目の「紅天女」に魅力がなければ、今まで積み上げてきた「ガラスの仮面」の世界が全て崩れてしまう。
 美内すずえさん、すごい覚悟で書いているのだろうなあ、とこちらも正坐して読まねばならないかのような真剣味を感じてしまいます。
 今のところ、「紅天女」の造形に破綻はなく、「至高の劇」と称される片鱗は見せ始めているようである。このままうまく物語を盛り上げていけるかどうか、読者もハラハラして見守ることになろう。

 …ただ、姫川亜弓のアクシデントはどう考えても余計だなあ。これくらいの目にあわないと、北島マヤのレベルには達せないとかいうことかもしれないが、素人からすれば演技の支障になるとしか思えない。
 作者の嫌がらせ(?)に負けず、薄幸の少女姫川亜弓が幸せになれればいいのだが。

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ガラスの仮面44巻 美内すずえ(著)

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November 10, 2009

読書:ヒルクライマー 高千穂遥(著)

 主人公は不摂生が災いしてメタボに悩む中年男であり、あるとき郷里で行われていた白馬栂池自転車ヒルクライムレースを見て、あれはメタボ対策になると思い自転車を購入して、サイクリングを始めた。するとたちまち自転車の魅力にはまってしまい、今までの不摂生な生活を捨てたのはよいとして、家族サービスもいっさい止め、仕事以外の生活の全てを自転車に捧げてしまうまでに熱中する。食事も、運動も、睡眠も、体格改造も、全ては、より速くより強く走るためのものになる。
 この手の「はまってしまった」人は存外多いもので、主人公がレース出場のために参入した自転車クラブでは、同じような自転車バカばかりであり、他人には異常としか思えない生活が、彼らにとっては当たり前のものとなっている。

 主人公は節制と努力の賜物で、みなから一目おかれる立派なヒルクライマーに成長する。しかし、その代償に家庭生活を切り捨てたことから、可愛がっていた一人娘からは離反され、口もきいてくれないまでに嫌われる。そりゃある日娘から「自転車と私とどちらが大事なの」みたいなことを言われ、「…察してくれ」というふうに答えるくらいだから、嫌われるのは当たり前に決まっているのだが。

 一般に結婚をして家庭を持っている社会人にとっては、最も大事なものは家族のはずである。
 その家族を失ってまではまってしまう「自転車」というものの素晴らしき魅力をこの小説は存分に伝えてくれる、…というわけもなく、普通人からすりゃどう読んでも、「プロでもないのに、そこまでやるなよ」との感想を持ちますな。

 小説は、娘がたまたまヒルクライマーの若い男とつきあうことになり、そのことから「自転車に憑かれた人」の存在を、理解はしないまでも、実在することを納得せざるを得なくなり、父と和解するところで、感動的(?)に幕となる。

 著者の高千穂遥はディープな自転車愛好家として知られており、小説中の主人公は、著者の等身大の人物なのであろう。そしておそらくは作中に示されるように、著者は家庭生活をずいぶんと犠牲にしたものと思われる。作中の自転車乗りの妙な自己弁護からするに、著者はこの作品を家族への贖罪のために書いたようにも邪推してしまうなあ。


 ところで男というのは、「はまって」しまいやすい種族のようであり、自転車はともかくとして、スキー、ゴルフ、ロッククライミング、カヌー、マラソン等々、はまってしまった人は多く、その実物例を何人も私は知っている。
 小説「ヒルライマー」の主人公はまだ定職を持っているからましなほうで、私の知っているスキー愛好家たちは、夏と秋は非常勤でバイト生活で金をため、冬から春へのオンシーズン中はゲレンデにこもってひたすらスキーに明け暮れる。そしてそういう人はスキー界ではまったく珍しくない存在だ。彼らの生活はうらやましいようであり、うらやましくないようでもある。

 なんにせよ、「はまることなく」人生を過ごしている自分は、幸運であるのか、不運であるのか。いろいろ考えさせられる小説ではあった。

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ヒルクライマー 高千穂遥(著)

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November 08, 2009

サイクリング:五ヶ瀬川~見立渓谷~杉ヶ越~宇目(ととろ)~藤河内渓谷 

 宮崎県北で紅葉のきれいなところといえば、まずは祝子川上流の三里河原であろうけど、新聞の紅葉情報をみると、まだ3分程度のこと。それで今どこがみどころになっているかといえば、日之影町の日之影川上流の見立渓谷が紅葉の真っ盛りだという。それでは、そこを本日のサイクリングの目的地とする。日之影川は川沿いの道を登っていくと、傾山の尾根を貫く杉ヶ越に到達する。杉ヶ越は標高901mという高さなので、このルートはけっこう登り甲斐のある道だ。見立から杉ヶ越トンネルを超えて大分に抜け、そこから宇目を経由して延岡に戻るコースで走ってみよう。宇目から延岡にあいだに、これも紅葉の名所藤河内渓谷があるので、時間があればそこにも寄ってみることにし、いざ出発。

【上水流鮎やな】
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 国道218号線を五ヶ瀬川に沿って走るうち、五ヶ瀬川の秋の名物、鮎やなが見えてくる。
 川を竹や木材で堰き止め、真ん中の竹の簾のところで、産卵のために下流に向かっている落ち鮎をつかまえる仕組み。

【星山ダム】
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 五ヶ瀬川上流にある星山ダム。ここを今は廃線となった高千穂線の高架が渡っていて、なんとも哀しい風情がある。(暗いけど、写真の奥に高架が写っている)
 左手の岸壁上の道に、魚釣りをしている人がずらりと並んでいる。この人たちは何を狙っているかといえば、なんと鮎なのである。鮎って川で友釣りをして釣るものかと思っていたけど、ダム湖でも釣れるんだ。今の時期は群れて泳いでいるそうで、それを掛けバリで引っ掛けて釣りあげます。

【釣れた鮎】
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 ダム湖にいる鮎は、まだ落ちていってない鮎なので、流線形のすらりとした姿。
 卵を持つようになると、魚道を通って川を下って行き、そして鮎やなにひっかかるわけ。

【青雲橋】
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 旧218号線を川沿いに進むうち、家や店が現れてくると日之影町である。
 五ヶ瀬川に日之影川が合流するところで、見立方向を眺めると、そこにはとんでもなく大きなアーチ橋「青雲橋」がある。東洋一の高さを持つ巨大なアーチ橋であり、地方の小都市高千穂と延岡を結ぶ国道にしては明らかにオーバースペックな建築物。しかし218号線には、このレベルの橋がほかにいくつも架けられており、とんでもない金をかけてできた道路なのである。なお国道218号線を普通に走っていると、それらの橋の存在には気づきにくいが、川沿いの旧218号線を走ると、頭上にいくつもかかる壮大な橋々に度肝をぬかれたりします。橋だけで十分に観光資源になるな。

【石垣の村】
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 青雲橋のところで進行方向を90度変えて、日之影川に沿って進んでいく。途中に石造りの洋風な建築物があり、ここが「石垣の村」。観光名所なんだけど、本日は観光客は見かけず。

【民宿・白滝温泉】
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 祖母傾山系は火山活動期が古いため、温泉のほとんど出ないところであるが、その唯一の例外がこの白滝温泉。その温泉の出るところの渓谷沿いに民宿が一軒ある。
 15年くらい前に傾山登山のついでに泊まったことがあり、やわらかな温泉の湯に加え、山の幸をふんだんに使った料理が印象的で、いい民宿であった。懐かしく思い、また訪れてみようかなと思ったが、この奥に「当分のあいだ休業いたします」と、休業のお知らせの看板があった。マジックの書き跡が新しいことから、まだ休業して日が浅いみたいだけど、なんとか再開してもらいたいものだ。こういう「秘湯系の温泉」って、九州じゃ貴重だからなあ。

【見立渓谷駐車場】
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 日之影川沿いの色づいた樹々や、周囲の紅葉に彩られた山を眺めながら自転車を進めていくうち、見立渓谷到着。紅葉の時期のわりにはあんまり観光客はいない。
 ここまで延岡から60km。予定ではあと90km近く残っている。

【見立渓谷】
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 新聞では見立渓谷は紅葉の盛りということであったが、どう見ても5分程度である。今まで走ってきた風景でも、紅葉は山の上のほうがピークであり、まだこのくらいの標高には降りてきていない。
 当初の予定とおり、紅葉探してまだまだ上へ登っていく。

【杉ヶ越への道(広くなったところ)】
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 見立渓谷を過ぎてしばらくすると道が狭くなり、路面の状態も悪くなって「山道」ふうになる。この山道は10%を超える坂であり、けっこうきつい。疲れが足にたまり、だんだんとペダルを回すのが嫌になってくるころ、ぽんと眺望が開けたのちは道が広くなり、そこからは5%程度の緩やかな坂になり、漕いでいて楽になる。そのままの感じで、道は杉ヶ越へと続いていく。

【杉ヶ越トンネル】
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 ようやく着いたぜ、杉ヶ越。標高は901m。出発点の延岡がほぼ海抜0mであるからして、純粋に900mは登ったわけだ。
 ここは傾山への登山口であり、杉ヶ越から傾山山頂にいたるルートは、祖母傾山系の登山道のうち屈指のハードコースである。だからあんまり人気なく、登山日和というのに、たいして車は駐車していない。

【大分県へ】
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 傾山の尾根を貫く杉ヶ越トンネルは、そのまま宮崎・大分を貫いており、ここを越えれば大分県だ。
 県境の写真を撮っていると、後ろから轟音を響かせて大型バイクが通り過ぎていく。今日は天気が良かったので、このルートをツーリングしている集団がいくつもいた。その集団、いずれも中年族御用達の大型バイクか単コロのバイクばかりで、…今の時代、若い人ってモーターバイク乗らないんだなあ。スズキの社長がバイクが売れないと嘆いていたけど、たしかにモーターバイク業界の未来は暗そう。

【峠の紅葉】
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 川沿いで、山々の紅葉が上のほうがきれいであったので、山の上まで来れば紅葉は見事だろうと予測していたが、ぴたりと当たる。
 杉ヶ越を少し過ぎた展望所で見た、傾山東面の尾根の紅葉が、今日見た紅葉で一番美しかった。赤、黄、橙、紅、いくつもの鮮やかな色が山肌を錦のように染め、ひとときの秋の装いを存分に誇る、そんな風景が広がっていた。
 (写真ではその美しさを伝えきれていないが、実物はほんとに素晴らしかった)

【木浦小学校前】
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 杉ヶ越から宇目町に向かっては一本道の下り。
 せっかく苦労して稼いだ高度をただただはき出していく下り道というものの存在に、なにか理不尽なものを感じてしまうのは私だけであろうか。
 下りきったところが名水の産地である木浦鉱山区。過去には栄えていた地区みたいで、立派な小学校があったが、今は廃校になっている雰囲気であった。

【ととろのバス停】
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 宇目町名物といえば私は「ととろのバス停」しか私は知らず、とりあえずそこによってみる。
 地方の名もなき一バス停が、映画「となりのトトロ」のヒットとともに、全国から宮崎駿のアニメファンが訪れる名所となった。たまたま名前が「ととろ」であることから、このバス停にトトロや猫バスの看板を物好きな人が置いたところ、それを目当てにアニメファンが集まるようになったとのこと。これがディズニーのキャラクターなどではすぐにディズニーから撤去の警告が来るだろうけど、スタジオジブリはそのような野暮なことはしません。
 それにこのバス停は、とても鄙びたところにあり、アニメ「となりのトトロ」に出てくるバス停とよく似た雰囲気をまとっており、映画のモデルといわれても納得してしまいそうだ。夜に雨のなかバスを待っていると、ほんとに猫バスがやってきそう。
 だいたい、このバス亭、小川の上に丸太を渡してその上に作っているのであり、そのアバウトさも、トトロっぽくてよい。

【北川ダムと唄げんか大橋】
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 ととろを過ぎ、国道326号線に入ってから南下すると、特徴ある大きな橋が見えてくる。これが唄げんか大橋で、北川ダムにかかっている。この変な名前の由来は、地元の民謡からだそうだ。

【藤河内渓谷】
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 県境の桑原トンネルを超えてしばらくすると交差点があり、まっすぐ行けば延岡、西側は大崩山方面、東側は桑原川沿いの藤河内渓谷にいたる道となる。
 時間の余裕があったので、紅葉目当てに藤河内渓谷への道を行く。藤河内渓谷までは9kmの道をひたすら登っていく。途中、花崗岩の巨大な岩壁があり、これは見事な光景。紅葉もいい塩梅である。

【藤河内ダム】
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 桑原川のような小さな川でもダムはあるのであり、川の小ささに比例して小さなダムだ。渓谷沿いの道に水圧管があったので発電ダムなんだろうけど、どれほどの発電量なんだろう。あんまり役に立ってなさそうだけど。

【藤河内渓谷キャンプ場】
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【藤河内渓谷】
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 そうこうしているうちに藤河内渓谷キャンプ場に着。
 藤河内渓谷はまだ紅葉には早く、3分から5分といったところ。
 本日は紅葉よりも、迫力ある渓谷の姿に感心した。
 ここからは元来た道を戻り、あとは日の暮れる前に延岡に帰るだけ。

……………………………………………
本日の走行距離:146.2km

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November 04, 2009

読書:オイアウエ漂流記 荻原浩 著 

 この小説、2年ほど前に週刊新潮に連載されており毎週楽しみにしていたのだけど、話がそろそろ佳境に入ってあたりで唐突に終了となり、ひょっとして打ち切り?とか思っていたが、その週刊誌の発行元の新潮社にて大幅に改稿加筆を行っての発刊である。打ち切りじゃなかったみたい。

 ポリネシア諸島に観光地開発の下見に行ったリゾート開発会社の社員一行4名、スポンサー企業の御曹司1名、新婚旅行中の夫婦2名、あやしい外人1名、戦没者祈祷の旅の祖父・孫の2名の計10名が、悪天候による小型飛行機の墜落で小さな無人島に漂着する。外界との連絡手段もなく、救助の手はいつまでたっても差し伸べられず、彼らは孤島でサバイバル生活を送らざるを得なくなる。

 幸いなことに南の島なので、生きるのに必要なものは努力をすればなんとか得られる。どころか海や山に入れば、美味そうなものが次々に見つかり、ココナッツ、ミニリンゴ、マンゴー、キノコ、ヤシガニ、オオコウモリ、熱帯魚、貝、等々。
 とはいえ、それらを得て生活していくにはそれなりに技がいるのであり、遭難した者のなかに、木登りの達人、ココナッツ割の達人、火を起こす達人、など意外な能力を持つものがいることが判明し、かれらの力によりサバイバル生活は円滑にまわっていく。

 無人島での生活は、以前の文明社会での人間関係が成り立たなくなり、島に適した実力によって人間関係が再構築されそうなもので、当然そういう諍いが少々生じるが、しかし元の人間関係がなんとはなしに継続されていくのが、日本人社会のゆるいところか。

 捜索もまともにはされていないようで、孤立したサバイバル生活は半年以上続く。人々もその生活に慣れてきたころ、唐突に救出劇が始まり、あっという間に小説は幕となる。
 なんだか中途半端な終わり方で、これでは週刊誌に連載していたときと同様、欲求不満の残る終わり方だな。
まあ、ヴォリュームが大幅に増えたぶんだけ、読み応えはUPしていたけど。

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オイアウエ漂流記 

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November 03, 2009

登山&サイクリング:行縢山南面ルート(崖下コース)

 本日は素晴らしい好天である。紅葉の時期でもあり、これは山に登らねばならない。
 午前中に仕事を終え、延岡のランドマークの山、行縢山へと向かう。

 行縢山はそんなに遠いところにある山でもないので、自転車で登山口まで行くことにする。
 山登りのための自転車ということで、ひさびさにジャイアント・グライドの登場。CambiagoやEPSのほうが走るのに楽に決まっているが、さすがにこれらのバイクを登山口に置きっぱなしにするのは社会通念上無茶な行為ゆえ、グライドの選択となる。

【延岡市内からの眺め】
River_side

 延岡市内を流れる大瀬川は、落ち鮎漁のまっさかりである。
 青空を背景に、特徴ある花崗岩の崖を立てている行縢山を望む。

【行縢山近景】
Middle_point

 適度に涼しい快適な気温のなか自転車を進めていくうち、だいぶ行縢山に近付いてきた。
 左の峰が雄岳で、右の少し低いほうが雌岳。この二つの峰の分かれ目に、名滝「行縢の滝」が流れ落ちている。

【登山口(行縢神社)】
Entrance

 100mほどの高さを登ったところで、登山口に着。
 行縢山と滝を御神体とする行縢神社が、その登山口になる。鳥居から先が登山道となっている。

【行縢山南面ルート入り口】
Course1

 半年ほど前に行縢山に登ったとき、頂上から岩壁を伝わってのびているルートをみつけ、途中まで下った。このルートが気になっていたので、今回はこの南面ルート(別名崖下コース)を使って登ることにする。
 鳥居からのルートと、駐車場からのルートが合流する部が南面ルートへの入り口となっている。丸で囲んだ「むかばき青少年自然の家」作成の標識がある。この標識は頂上まで、No.1からNo.20まで番号順に設置されている。これに加え、過剰なほどの赤テープや、他の登山グループが設置した白い標識があるので、それらを確認しながら登れば道には迷わない。

【崖下コース】
Course2

 先で示した入り口からは一回涸沢に入り、対岸に赤テープが目印の登山道があるので、それを登っていく。そしてすぐに行縢山の雄大な崖に突き当たる。南面コースはこの壁に沿って、高度をかせいでいくコースである。

【水場】
Course5

 崖に沿った道を進むうちに、水の流れる音が聞こえると、そこが水場だ。崖を伝わって、水が滴り落ちている。
ここからは登りがきつくなっていき、また足場も悪くなってくる。浮いた石に注意しながら、登っていく。

【尾根上方】
Under_sumitt

 岩がゴロゴロの道を登っていくうち、南に伸びている尾根に入る。そこからは雑木林の中であり、踏み跡がしっかりしていない道となるので、赤テープや標識を確認しながら進んでいく。やがて尾根も相当に登ると、ようやく雄岳に連なる岩が見えてくる。
 ここで今まで西側に向かっていた登山道は、東に向きを変える。頂上への近道に思える岩を直登したくなる気持ちを抑え、標識に沿って進むと眺望が開けてくる。

【行縢山の紅葉】
Red_leaf

 今日は紅葉も楽しみにしていたのだが、まだ時期は早く、この程度の紅葉のぐあいである。
 来週くらいはもっと色づいてくるであろう。
 しばし進むうち、頂上直下の岩場へと出る。

【頂上直下の岩場】
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 この岩場はけっこう険しく、ロープが設置されている。落ちれば命が危ない箇所なので、注意深く登って行けば、ぽっかりと頂上に出る。

【行縢山雄岳頂上】
Course8

 そういうわけで、ようやく行縢山雄岳頂上に到着。1時間半かかってしまった。前に一般道で登ったときより時間がかかっているので、こちらのルートのほうが時間がかかるみたい。距離は短そうだけど。
 秋晴れのもと、東には延岡市、日向灘、南には脊梁山地の巨大な延々と山なみが連なっている。

【南面コース概略図】
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 南面コース地図を見るだけでは、概略があまり分からなかったが、登るとよく分かった。
 行縢山雄岳の南面は、巨大な崖に、尾根が南側からぶつかり、西側にせせり上がっていくような形しているのだが、登山道は、図の赤字で示すように、崖沿いのその尾根を登りつめていくコースなのである。

【雌岳への入り口】
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 雄岳に着いたのが午後3時だったので、あと行動できる時間は限られている。
 雄岳のついでに雌岳にも登りたかったが、ちょっと厳しいか。あと1時間行動できるところまで行動することにする。
 一般道に入り、鞍部をいったん下って、それから雌岳への分岐点に着いてから登り返すことにする。
 ここからの雌岳の道は南面ルートなみに荒れており、ルートファインディングが少々難しい。悪天候のときに登ってしまったら、たぶん迷ってしまうと思う。

【行縢の滝 展望所】
View_spot

 ある程度登ると稜線上に出る。基本的には木が茂っていて、あまり展望のきかない道であったが、ときどき眺めのよい岩場がある。そのなかでも一ヶ所、行縢の滝を眼下に望める場所は、絶好の展望所であった。

 雌岳のルートは、恐竜の背みたいなルートで、いくどもいくどもアップダウンを繰り返していく。あれが頂上だろうかと思ってピークに着くと、その奥にまたピークがあるという感じでいつまでたっても雌岳にたどりつく気配がない。
 そのうち午後四時になってしまったので、本日はここで進むのを中止して引き返す。べつだん、雌岳に登らねばならない理由はなにもない。

【行縢山駐車場】
Stop

 下山を急ぎ、登山口の駐車場に日の暮れる前に到着。
 登るときは4~5台の車が駐車していたが、さすがに午後5時に近い時間では、車が残っているはずもなかった。

【延岡市内夜景】
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 国道218号線を自転車で走るうち日はどんどん傾いていく。延岡市内についたときには、太陽ははるか西の彼方に沈み、とっぷりと日は暮れた。
 そして東にはまんまるの満月が。
 澄んだ夜空に、皓々と月の輝く、今日は素敵な満月の夜なのであった。

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