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October 2009の記事

October 30, 2009

食事:宮崎観光ホテル~光洋

 以前フェニックスリゾートのホテルに研修会に出かけ、その続きの懇親会にて料理の出来栄えにあまり感心はしなかったのだが、宮崎市ではそのたぐいは宮崎観光ホテルが一番レベルが高いと聞き、ならば宮崎観光ホテルで研修会があったなら、それにはぜひとも参加してみようと思った。
 …お前は研修会にいったい何を求めているのかと問われると、答えに困ってしまうが。

 その宮崎観光ホテルで研修会が開かれるとのことで、それではと行くことにした。
 研修会の中身は、中央で腕を磨いていた人を講師に迎えての現在の最先端の技術についてのもので、すごいものであった。宮崎でも数年経てば導入されるのであろうか?

 それが終わったのちは、本日目当ての懇親会のビュッフェ。(おいおい)

【テーブル上の料理】
1

 テーブルに並べられた料理はこんな感じ。たしかにフェニックスのホテルよりも、品数とも増えていたし、素材もよかった。

【ローストビーフ】
2

 ローストビーフも切り分けて出てくる。こういうのがあると、ポイントが高くなる。

 全体として、まあまあのレベルのものであったと思う。自分からわざわざ食う気はしないが、こういう会でなら十分満足できるもの。
 じつのところホテルのビュッフェは、東京大学が主催した帝国ホテルのものにたまげたことが一回あるきりで、あんな美味くて豪華なものは例外中の例外なんだろうなあ。

 適当に飲んで、適当に食ったのち、せっかく宮崎市に出たので、光洋に寿司をかるくつまみに行く。

【イクラ】
3

 イクラは先週にのむらで良いものを食ったが、このイクラもなかなかcharmingなもの。つやつやした輝きと、ぷちぷちした食感がよろしい。

【イクラ2】
4

 旬を迎えたイクラはたくさん仕入れており、明日の会席料理用へ仕込みをしているものが、ボールに満ちている。見ているだけで、おなかいっぱいになりそう。

 寿司のシャリもだいぶ安定してきた感じで、特に白身がその繊細な旨さがよく引き出されていた、そんな寿司であった。あとの課題は、藤田水産の「濃い系」のマグロと、今のシャリをいかに調和させるかだな。これからぐんぐんマグロが濃くなってくることだし。

 美味い寿司を食い、美味い酒を飲み、いい気分でJRに乗って帰る。

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October 28, 2009

寿司:一太郎(@延岡市)でコハダを食う

 寿司好きな私は週に1~2回は必ず寿司を食べるわけであるが、延岡市内では、「やぐら寿司」「一太郎」、それに「新茶屋」「一寸ぼうし」をその日の気分しだいで訪れることが多い。

 本日は「一太郎」にて寿司を食う。
 この店は店主が東京で修業を積んできただけあって、けっこう本格的な寿司が出てくる。地元の素材にこだわりながらも、ウニなどは北海道のいいものを仕入れており、それらの素材がややこぶりなシャリとバランスよく握られ、きちんとした寿司として供される。

 …この店、おしむらくは、まあこれは延岡全体の寿司店の問題点なのだが、ヒカリものが弱い。
 延岡では需要が少ないからしかたないといえばしかたないのだけど、私のような、ヒカリもの系を好む者にとっては、ヒカリものの品種の少なさがちょいとものたりない。

 しかし、今日はなんとコハダが入っているとのこと。延岡じゃ、初めての経験だな。
 コハダはべつに東京湾や三河湾の特産品というわけではなく、目の前の日向灘にいくらでも泳いでいるわけだが、漁師がそれが商売物になるという意識がなく、わざわざ獲ったりしないのである。けれど、数日前にたまたま網にかかったのか、市場に2キロほどのコハダが出ていたそうだ。珍しいことであり、店主はあるぶん全部仕入れ、仕込みのおえたものが出てきた次第。

 意外とはけるもので、もう半分以上出ましたよ、とのこと。それだけ需要があるのなら、漁師の尻をたたいて、できるかぎり市場に出すようにしてもらいたいもんだよなあ、とヒカリもの好きの私としては思うのであった。

 そうして、貴重なコハダを四貫も食ってしまった。
 うん、おいしかった。

……………………………………………
一太郎 宮崎県延岡市船倉町2丁目4−16−1F
TEL 0982-33-5018

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October 25, 2009

フランス料理:プティフール@都城市

 霧島登山ののちの翌日は、都城に寄ってみることにする。
 以前に訪れた大川原峡が紅葉の時期はさぞかし美しい景色が見られるであろうと思ったからであるが、…せっかく訪れた大川原峡は、樹々はまだぜんぜん色付いてなく、時期には早かった。残念。

 昼食は、都城市内のレストラン「プティフール」にて。

【プティフール・ホール】
Hall

 このフレンチレストランは、都城市の不思議物件である。
 ホールは内装、インテリア、ウェイテイングルーム、雰囲気、すべてグランメゾンのそれである。とても17万人程度の人口の地方都市に存在しているレストランとは思えない。
 これで料理が「なんちゃってフレンチ」とかなら、ハードとソフトのミスマッチングを愉しむ、通人(?)好みの店となるかもしれないが、料理もしっかりした本格的なフランス料理ゆえ、余計に「なんでこんな店が都城市に」と思ってしまう。
 もしかして私が知らぬだけで、都城はフレンチを愛好すること人が多いところなのかもしれない。しかし少ない回数ながらも私が訪れた時の客の数から考えるに、とてもそうは思えないのだがなあ。

【テリーヌ】
Terrine

 新鮮な海産物と野菜のテリーヌ。
 あっさりとした感じであるが、全体のバランスがとてもよい。素材も技術も一流のもの。

【アマダイのムニエル】
Tilefish

 アマダイの良さもいいし、またソースの味の豊かさもよい。
 ていねいにつくられた一品。
 地方都市のフレンチというわけではないのだろうけど、コテコテのフレンチではなく、素材をうまく生かした繊細系のフランス料理が全体として出てくる。


 地方都市に住んでいる人でフランス料理が好きな人なら、こういう店があることは僥倖に思えるような、そんな良店です。

……………………………………………
 プティフール:宮崎県都城市年見町22-4
         TEL 0986-23-4873

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October 24, 2009

寿司:10月の鮨匠のむら@鹿児島市

 霧島登山を終えたのちは、当然酒を飲めねばならぬ。
 鹿児島での定番「鮨匠のむら」へと、車でGO。

 いつものごとく、生きた季節を切り取ったような旬の素材が次々へと現れ、日本に生れ魚を食うという幸せを存分にあたえてくれる。

【済州島の本サバ】
Saisyutou

 五島のものよりこちらが上と店主が断言する済州島の真鯖。出始めの最初期のものなので、脂ののりは不十分なるも、身の清新で純粋な美味さはこの時期特有のものでしょう。これからどんどん脂がのってきます。
 いつもの定番首折れ鯖も同時に出てきて、こちらは旬の真っ盛りで、熟しきったむちむち、ねっとりした食感がすばらしい。この二つの鯖の食べ比べもおもしろかった。

【歯鰹のたたき】
Hagatuo

 素晴らしい歯鰹が入ったときのみ出てくる、「のむら」自慢の裏メニュー。じつは私も初めて食った。
 歯鰹のたたきをポン酢で和えて、それにニンニク、カイワレ、アサツキ、ショウガを添えている。あんまり鮨屋には出てこなさそうな、飲み屋の突き出しふう料理であるが、食べてみれば歯鰹の爽やかな脂と、薬味のたぐいが上品なレベルで調和しており、美味い冷酒にじつによくあっている。「九州最強の居酒屋」との異名を持つのむらの面目躍如の料理。

【バショウカジキの炙り】
Bayoukajiki

 バショウカジキってこの店でしか食べたことはないんだけど、これってすごく美味い魚である。よく乗った、しかしくどくない脂が、炙ることによって旨さが増し、なんとも豊かな味が広がってくる。

【イクラ】
Ikura

 南九州の魚を大事にしているのむらであるが、南九州で手に入らぬ美味い素材についても、しっかりと仕入れている。これこそ本場北海道でもなかなか食えないレベルの、極上のイクラ。仕入、仕込みがしっかりしているので、瑞々しい、生きのよいイクラを味わえる。

【ウニ・イクラ丼】
Uniikuradon

 のむらで食の主役を張る「ウニ」と「イクラ」をあわせて豪華なミニ丼で。
 ウニはもう終わりの時期で、ちょっとした雑味が混じってきている。これも季節のうつろいのあわれさを感じさせてくれます。これをかきまぜて、ウニとイクラの良いとこどりの、旨さたっぷりの丼を、はふはふと食う。

【海老の握り】
Kurumaebi

 握りももちろん美味いものばかり。
 とりわけこの茹でたてぷりぷりの海老はいつ食べても、味と食感の豊かさで、日本一の海老の握りだと思います。

 さんざんに飲んで、食って、充実感いっぱいの時間であった。
 季節の流れというのは、山登り以外でも、一流の料理店で存分に知ることができるという、いつもながらの感想を持ちます。


 ところで本日、やけに体格のよいアスリート系の人が隣に座っていた。ぜったいにただものではない雰囲気がただよっており、それも道理で、マリーンズの里崎選手であった。マリーンズの秋季キャンプが鹿児島で行われていて、店のファンである里崎選手がキャンプの合間に訪れてきたとのこと。
 店主と少しばかり雑談に加わらせていただき、春季キャンプの誘致を止めてしまった鹿児島市の不見識について私が愚痴ったりする。
 店主がせっかくなのでサインをもらいませんかと言うが、色紙とか持っていないので、といってそのへんの紙にサインしてもらうのも失礼な話なので、またの機会にでもと答えると、うちの店にはいくらでも色紙がありますよ、とのこと。(どういう店だい)
 というわけで、里崎選手のサインを、私の名前と日付入りでもらいました。
 「これはありがとうございます。ホークスのファンでしたが、マリーンズのファンになります」と言ったところ、「いえいえ、とんでもない。ホークスとともにこれからもパリーグを応援してください」と立派な答え。里崎選手、見ためとおりのナイスガイです。

 そういうわけで、こんどの日本シリーズは日本ハムを応援することにするが、…さすがに今年のジャアンツには勝てそうな気がしないなあ。

【里崎選手のサイン(私の名は画像修整にて消してます)】
Sign


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登山:秋の霧島(えびの高原→韓国岳→高千穂河原)

 そろそろ紅葉のシーズンの始まりなので、霧島に登ってみることにする。
 本日の天気予報では午前中は曇りで午後は晴れという中途半端な天気。着くのは午後なので、天気予報を信じて晴れた空のもとでの登山を期待する。

【えびの高原】
Ebino_tableland

 午後1時に韓国岳の登山口であるえびの高原に着くと、まだ天候は曇りであった。えびの高原いったいは濃い霧のなか。正面方向に今から登る韓国岳がそびえているはずだが、何も見えません。

【韓国岳山頂】
Mt_karakuni_sumitt

 午後から登り始めたので、登山道では登山を終え下りて来る人とばかりすれ違う。みな雨具を着ているところをみると、午前中はかなり悪条件の登山だったようだ。
 韓国岳山頂までは500mほどの高さを登る。登山道には道のりを10等分しての何合目という標識があるので、行程がわかりやすい。6合目を過ぎたあたりで急登は終わり、噴火口を巻くような道となって、それから頂上へと到着。頂上にはバンザイ三唱している数人の若者のグループがいたくらいで、シーズンなのに人少なき頂上であった。
 韓国岳登山の途中で、天気予報通り霧は晴れてきたが、それでも遠方の高千穂の峰にはまだ雲がかかっている。

【高千穂の峰】
Mttakachiho_view

 しばらく待つうち、霧がどんどん晴れていき、霧島の縦走路が現れてきた。
 見下ろす山肌の紅葉は3分~5分といったところ。来週くらいからが見ごろになりそうだ。

【雑木林】
Autumn_road

 韓国岳からの下りはガレ場が続き歩きにくい。注意しながら降りて行き、獅子戸岳へ至る鞍部の縦走路に入る。ここの雑木林の紅葉を期待していたけど、まだ早かった。でもここは植生は豊かで、静かな雰囲気のいい道である。霧島縦走路では、この道が私は一番好きだ。

【新燃岳】
Mt_shinmnoe

 獅子戸岳を越えた次は新燃岳である。
 ここの噴火口は、九州最大の露天風呂となっている。ただし底部は硫化水素ガスが満ちており、これに入浴しようと思ったら、ガスマスクなしには不可能。
 もっとも、火口内そのものが立ち入り禁止になっており、そのようなことをしていると絶対に通報されます。

【縦走路にて】
Mtshinmoe2

 人気の高い紅葉シーズンの霧島縦走路とはいえ、天候の悪いなか午後に縦走しているのは私だけであったが、新燃岳で登山者1名とすれ違う。普通の靴にザックもなしのラフな格好で、たぶん新燃岳山麓の温泉宿から散策がてら登ってきたのであろう。けっこうな高さを登らねばならないはずだが、たいしたものだ。

【自然歩道 もみじコース】
Red_leaves

 新燃岳から中岳経由で高千穂河原まで下りていく。
 中岳を過ぎたところで自然歩道が整備されており、もみじ林の植林のなかを歩いていくことになる。ここはそろそろ紅葉づいてきており、なかなかきれいであった。日がもっと照っていれば紅葉の色もより映えていたろうが、残念である。

 えびの高原より3時間半ほどで高千穂河原に着き、縦走終了。
 ここから舗装路を歩いてえびの高原に戻る根性はなく、うまいぐあいに駐車場にとまっていたタクシーに乗って出発地へと戻った。

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October 21, 2009

落ち鮎@延岡水郷やな

 落ち鮎というものは、美味しいといえば美味しいし、美味しくないといえば美味しくない、人によって好みの分かれる微妙な食材である。

 私の先輩に鮎の好きな人がいて、何年か前に鮎の名産地である球磨川沿いの地方都市に赴任することになった。当然、和食店で出る鮎を楽しみにしていたのだが、そこの店の人に「極上の鮎が入りました。どうですか」と言われ、それは是非ともと頼むと、一尺近い落ち鮎が出てきて、?と思った。なにはともあれ食べてみると、大味でパサパサの身の、香りも乏しい、自分が好きであった「鮎」とはまったく異なる魚であり、これが極上の鮎とはぜったいに何かの間違いだと思った。しかし、その後どの店に行っても、「いい鮎」がありますと言われたとき出てくるのは定番のごとく、妙に太った落ち鮎であって、閉口することしきりであった。どうやらその地では、いい鮎とは、大きな落ち鮎であるらしかった。
 以前会ったときに、そういうことを私に話し、あそこはこんなでかい鮎ばかり食わせるろくでもない所だぞ、と両手でサイズを示しながら力説していたが、まだそこに住んでいるのでそれなりに気にいってるのであろう。

 私も鮎は初夏の瑞々しい香り高いものが一番と思っているけど、落ち鮎のほうを好む人も多いみたいで、私の職場では10月に鮎やなが立ち、落ち鮎のシーズンになったのちに、鮎の宴会を開くことが定例となっている。

【延岡水郷やな】
Shop_2

 鮎やなは10月から12月まで立って、落ち鮎を収穫している。昨年まではこの店のすぐ前の瀬に鮎やながあり、そこで取れた鮎を出していたようだが、今年は採算の面から(鮎やなは架設するのに1千万円くらいかかるそうだ)鮎やなは立てられず、他のやなで取られた鮎を生簀に入れて、それを供している。
 落ち鮎のための期間限定の建物だけあって、こういうプレハブ仕立ての建物。味があります。

【落ち鮎】
Ayu

 これが出てきた落ち鮎。塩焼きと味噌焼き。それぞれオスメスがセットになっています。
 骨を抜いてかぶりついてみると、…卵がたっぷり入っており、大きなシシャモのような食感だな。鮎本来の繊細な味は失われてしまっているけど、このジャンキーなテイストは、ビールのツマミとしては、なかなかのものと言えよう。

 職場の宴会ゆえ、10月から延岡に異動してきた見習の新人が2名いる。
 鮎の名所延岡に来たからには、鮎の食い方は覚えておけと、鮎の骨の抜き方を教える。最初は途中で骨が折れていたけど、4匹もあるので、4匹目くらいにはきちんと抜けるようになった。これで彼らも立派な延岡人。

 6月の解禁から鮎を食ってきたけど、そろそろ今年度の鮎は食いおさめ。
 11月からは、…やっぱり河豚だな。

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October 18, 2009

サイクリング:六峰街道+鮎やな見物

 天気がよく、涼しいこともあり、絶好のサイクリング日和である。
 10月も半ばを過ぎ、鮎の名所五ヶ瀬川には鮎やなが立っている時期となった。鮎やな場の見物がてら、この前途中まで行った六峰街道へまた行ってみることにする。時間の余裕があれば終点まで行ってみよう。

【大瀬川】
Nobeoka

 延岡市を発し、まずは大瀬川に沿って山へ向かっていく。
 大瀬川にも鮎を求める人が漁を行っている。パワーショベルで魚道を作り、そこを通る鮎を転がし釣りでひっかけるという、けっこう乱暴な漁法にて鮎を収穫しているとのことである。

【ETOランド遠景】
Eto_land

 国道218号線に移り山方面に入っていくと、ETOランドの風車が遠景として見えてくる。
 案外近そうであるが、…これが近くなかった。

【上水流鮎やな】
Kawaduru

 本日の目的、上水流鮎やな。
 川全体に竹や木で組んだ柵を設営して川幅を狭め、その狭めたところに簾を設けて、産卵のために汽水域に川を下ってくる鮎をそこに集めて捕える仕組み。鮎が大量にいる川でのみ出来る漁法である。
 しかし、近年は不景気のせいか、観光名所である鮎やなを訪れる人が減ってきており、例年は3つのやなが五ヶ瀬川に立つというのに、今年はこの川水流の鮎やな一つのみが営業。鮎にとっては有難いことかもしれんが、少々さびしい話。

 この鮎やなのあるところに橋がかかっており、それを超えて道なりに進んでいくと北方町の六峰街道の入り口に到る。ただ、その入り口は以前に使ったので、今回は別のルートでETOランドに登る予定とする。

【天馬大橋】
218r

 218号線をさらに進んでいくと、山側に登っていくバイパスが現れる。
 今回は218号線沿いにある物産館「よっちみろ屋」の近くの道に入ってからETOランドへ向かう予定なのだが、川沿いの道と218号線バイパスは「よっちみろ屋」のあるところで合流することに地図上なっているので、そのまま川沿いの道を進んでいく。しかし進むうち、218号線が川を横切る天馬大橋が見えてきた。ありゃりゃ、あの天馬大橋を過ぎたすぐの所に「よっちみろ屋」はあるのだが、この川沿いの道はそこには着かないぞ。2次元の地図では、これらの道は交わるのに、いざ現実の3次元の世界ではそれは上下に並行して決して交わることはなし。…ということは、この道を行っても「よっちみろ屋」には着かないわけだ。地図に騙されたわい。

【よっちみろ屋】
Shop

 五ヶ瀬川を超える橋はなかなか見当たらず、結局218号線の干支大橋のあたりまで行ったところに五ヶ瀬川にかかる小さな橋があったので、それを渡って218号線まで登って、「よっちみろ屋」まで戻った。
 218号線はあんまり車の通行量の多い国道ではないのだが、「よっちみろ屋」周辺は渋滞しており、店の駐車場は満車状態であった。そんなに人気のある店だったのか。何売ってるんだろ。

【林道】
Road1

 「よっちみろ屋」を少し過ぎたところで林道に入り、ETOランドへ向かう。この道は、ずいぶんと狭く、車で行くなら軽自動車じゃないと離合も大変に思える。登ったり下ったりするうち、地図上でETOランド方向に伸びている道の分岐に着いたが、どうも変だ。

【分岐点】
Road2

【標識拡大図】
Board

 この道は地図上はETOランドに行くはずだが、標識にはそのようなことは何も書いていない。標識に書いてある目的地「清水峠集材場」って、ようするにこの山で伐採した木材を積み上げている所なんだろうけど、そこが終点で、そこで行き止まりになっては、そこまでの上り道4kmを行った体力が無駄使いになってしまう。
 こういう怪しい道を行く根性と勇気は出ず、ETOランドへ向かう道への標識のある枝道を探し、さらに林道を進んでいくが、枝道はいくらでもあるものの、どれも何の標識もなく、だらだら進むうちに元の上水流やなのところに戻ってしまった。
 やれやれである。
 そこから坂を登っていって、トンネルを超えるてすぐのところに六峰街道の入り口がある。

【六峰街道入口】
Entrance

 結局、無駄な大回りをしたのちここに来てしまった。
 前回走った道をただただ登って行くうち、ETOランドに到着。

【ETOランド】
Sumitt

 巨大な風車があり、ゴーカート乗り場もあり、バンガローもあり、芝スキー場もあるという立派なレジャーランドであるが、…人はいない。相変わらずの閑散ぶり。

【中小屋天文台】
Observatory

 六峰街道にはいくつかのランドマークがあり、ETOランドに続く2番目のランドマークがこの天文台。空気の澄んでいるところではあるので、星はよく見えるであろうが、あんまり使われている形跡のない天文台ではあった。

【真弓岳方面】
Sky_view

 天文台より西の方角を見る。六峰街道はいくつかの山をこれからも越えていくのだが、奥に見える山がたぶん3つ目のランドマークの真弓岳と思われる。
 六峰街道はまだまだ道の半ばであり、終点の五ヶ瀬町まではあと30数キロ残っている。今の時間がすでに午後3時なので、このまま進むと、五ヶ瀬に着くころには日が暮れるのは確実だな。「よっちみろ屋」あたりの時間のロスが痛かった。
 暗闇のなかの林道を無理に自転車で進むと、ろくでもない目に会う可能性が高く、(経験者は語る)、本日の六峰街道サイクリングはこのあたりで止めることにする。
帰りは210号線を使って北郷まで下りていった。

 さて、次はいつ六峰街道にトライするべきか。日はどんどん短くなっているので、早いうちに再トライする必要はあるのだが…


 本日の走行距離:112.3km

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October 13, 2009

和食:食事会@喜泉

Kisen

 秋になり和食がぐんぐん美味くなる時期だ。
 ならば、和食を食わねばならない。
 宮崎市の和食の名店「喜泉」で、食事会を行うことにする。

 メンバーは私に加え、「光洋」のキミヤ3兄弟に、宮崎市最強の食通W氏という、かなり濃い面々でのカウンター貸し切り。店主、同業者+食通W氏という面子を前にして、少々やりにくかったかもしれないが、料理のパフォーマンスは相変わらず素晴らしいものであった。

【アラの造り】
Ara

 福岡専門と思っていたアラも近頃は、南九州でも出てくるようになったのは時代の流れか。
 喜泉の造りはいつ見ても、エッジの立ち方の鋭さと、切りつけの面のつややかさが見事。この包丁さばきを店主がいかにして得たかといえば、料亭等での修行に加え、福岡柳橋市場の魚卸店に勤めていたことがあり、そこで大量の魚を捌くことによって技術を習得したとのこと。なるほど、技術の向上には、やはり量は必要ですな。

【ノドグロ西京焼き】
Nodoguro

 このノドグロは素材がたいへんよかった。脂の乗りがすごく、ちょっと前に夢膳で食べたものより上質のもの。
 しかし、こういう上質の高級魚ノドグロを西京焼きにするとは、バチあたりというか、もったいないというか、なんとも強引な料理。
 西京焼きは、魚を西京漬けにすることによって、魚の旨さを凝縮するところがポイントなのだろうけど、これだけ脂の乗ったノドグロだと、その旨さは凝集されることなどなく、西京味噌の味から飛び出そうとばかり、その旨さを主張する。ノドグロの美味い味と、そして西京味噌の味が、マリアージュなどせずに、互いにギシギシと競いあう、不思議な食味の料理。
 良いノドグロをただ塩焼きにするのは寿司屋の肴、和料理ではこのように調理するのです、といった店主の気迫と気合を感じさせる料理であった。

【蕪の蒸し物・湯葉あんかけ】
Turnip

 関西ではよくみかけるけど、九州ではあんまりみかけない蕪の料理。
 蕪の擦り方がとても丁寧で、蕪の持つ甘みと旨みが最大限表現されている。湯葉と出汁もまた蕪の美味さをよく支えている。
 和の技術の冴えを堪能する料理。

【穴子と海老芋の煮物】
Conger

 この穴子がまた絶品。じっくり煮られた柔らかな穴子は、ほんのりした上品な甘さで味が整えられ、鮨屋の穴子とはまたことなる穴子の魅力がよく出ている。海老芋煮もその淡い甘さによくあっている。

 〆はマツタケ御飯にて。
 全コース、間然するところなく、和食の凄さと愉しさを伝えてくれる。
 あらためて、宮崎市の貴重な和食店であることを認識いたしました。

 今回は、仕入と仕込の専門職が同席であったため、専門家からの素材・調理の評価、感想を現在進行形で聞くことが出来、「ただ美味いものが食うことが好きな素人」の私としてはたいへんためになることが多き食事会であった。
 また今後もこのような会を開こうという話となり、つぎはW氏お勧めの「妙見石原荘」か、あるいは「美山荘」(ミシュラン星獲得おめでとうございます)で、と。美山荘はちと遠すぎるような気はするが、すでにW氏+キミヤ家は一度美山荘で食事会を開催しているそうで、…すごい人たちである。

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October 12, 2009

読書:利休にたずねよ 山本兼一著

 骨董集めと女遊びにうつつをぬかし、家業が傾くまで蕩尽をつくした、魚屋の道楽息子が、いかにして美の世界を極めつくした巨人に変貌していったか、その謎をミステリ仕立ての形式で描いた小説。

 本書は、利休が秀吉から死を命じられ、それが実行される日の描写から始まり、それから一章ごとに時をさかのぼっていくことにより、ベールを一枚ずつはぐようにして、利休の茶の精神の「芯」を明らかにしていく。
 まず著者は利休の茶会を描き、そこで茶の本質というものを説明している。茶の本質は、もてなしの精神の発露であり、優れた茶の場とは、すなわち優れたもてなしの場である。利休の茶会はたしかに、もてなしの心に満ち、客はくつろぎ、やすらぎ、愉しむ。…そして利休のつくる茶懐石の料理って、ほんとに美味そうだなあ。

 さて、利休のそのもてなしの精神の大元になるものは、ネタバレすれば、利休の若いころの絶望的にまでに狂おしい恋であった。利休には死別してしまった永遠の恋人ともいえる存在があり、利休はずっとその恋人をもてなすことを考え、最良の、最高のもてなしを行いたく、自らを向上させていった。その結果、美学の極致とでもいうべき茶道を完成したというのが、ミステリの解答となる。

 …こういうフロイド的解釈は、さすがにさんざんに使われ、すでに手あかにまみれてしまった小説技法ゆえ、説得力はまるでないのだが、著者の文章の力は卓越したものなので、ついついそれで納得してしまう。

 茶というものを蘊蓄合戦くらいに思っていた人(←おれだ)などには、茶の世界が、広くて深く、また愉快なものであることを知らせてくれ、目からウロコの体験ができる、そういう良書である。

……………………………………………
利休にたずねよ

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October 11, 2009

鮎祭り@由貴亭

 延岡は鮎の名産地であり、鮎が最も獲れる時期は10月ということになっていて、職場では月半ばで鮎やなで大宴会をやる予定が入っている。
 由貴亭でも、今の時期に野外で鮎の宴会を行うことを恒例としており、その誘いがあったので、行ってみることにした。
 場所は秀逸な地ビールをつくっている「ひでじビール」の醸造所敷地内のビアガーデン。ここは行縢山の山麓であり、たぶんここいらに良質な水が湧いているゆえ、工場を建てたのでありましょう。

【ビアガーデン】
1

 着いてみると、調理の真っさい中。炭火をおこして鮎を焼き、その横では地鶏が焼かれている。後ろに写っている山は、行縢山である。そばには川も流れ、虫の鳴き声も響き、いいロケーションの地だ。…ここまで来るのはちょいと面倒だけど。

【鮎の串焼き】
3

 上の写真では分かりにくいので、改めて鮎の焼いているところ。
 炭火からやや離して、遠赤外線でじっくりと焼き上げます。これが理想の、魚の焼きかただな。

【天然鮎】
2

 この日に備えて、由貴亭店主は鮎を釣りまくっていたのだが、それだけで足りるわけはなく、鮎釣りの上手な知人を動員して、宴会用の天然鮎を確保したのである。これは相当な量が用意されており、宴会終了時にはまだ余っていた。鮎食べ放題の宴であり、鮎が好きで好きでたまらない人には天上の宴であろう。
 …もっとも集まってる人は、みな鮎が好きで好きでたまらない人たちであり、そういう人たちにも、鮎を4匹も5匹も食うのは、やや無理ではあったみたい。

【鮎の好きな人たち】
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 由貴亭を好きな人たちは、すなわち鮎を好きな人たちであり、延岡市からけっこう離れた行縢の山麓にも、たくさんの人が集まっていた。その集いのなかでの、サプライズの誕生日のお祝い。なにがなんやらわかりにくいけど、まんなかで誕生日を迎えた人がバースディケーキの蝋燭を吹き消しているところです。

 宴会に来ていた人たちに、鮎と延岡の自然についてのいろいろな話を聞く。
 川と水に恵まれた延岡の地といえど、年々鮎の漁獲量は減ってきており、以前は鮎の名所だったのに、今では獲れなくなってしまった瀬も増えてきているそうだ。
 美味い鮎は、貴重な財産であるからして、これをいかに後世に残し伝えていくか、そういう真面目な話も出てきた次第。なかなかためになることの多き宴であった。

……………………………………………
 ひでじビールのHP → ひでじビール 

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October 09, 2009

土産:光洋の玉子焼き

Tamago

 閉店近くまで飲み、玉子焼きが余ったとのことで、お土産にもらう。
 光洋は近頃玉子焼きを始めたのである。

 東京の寿司屋では定番の厚焼き玉子も九州では出す店が少なく、(出汁巻き玉子はどこでも置いているけど)、鮨の〆のさいに少々さびしく思うことが多いが、ついに登場ですか。
 この料理、なにしろ手間ヒマのかかるものであり、そのわりには九州では鮨通あるいは通ぶった人にしか喜ばれないという、店にとってはあまりモチベーションの上がるようなものではないのだが、そういうものを置いてくれるところに店主の意気込みを感じます。

 帰りに職場に寄り、仕事なかばの者たちに、知らないであろうからと、江戸前風玉子焼きに関してのウンチクを一席ぶって、それから玉子焼きを渡す。
 …迷惑な酔っ払いだな。いつものことながら。

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October 08, 2009

鮨:10月の光洋 バブリーな夜

 今夜は突然ヒマになったので、ふらりと光洋へ鮨を食いに行くことにする。
 ちょうど台風が日本を縦断したあとなので、海はめちゃくちゃな状況であり、仕入はよくないであろうと予測はしたが、それはあまり考えないことにした。

 さて席について、酒のアテを待っていると、光洋常連のW氏が登場。
 W氏は最初からかなりハイテンションである。じつはW氏は3日前にも来ており本日は来る予定はなかったのだが、その後光洋がいいアラを入荷したという情報を聞き、「美味いもの食うぞ!」の戦闘モードに入って光洋に突入してきたわけ。

 隣の席についたW氏と、「おひしぶり」の挨拶をかわすうち、今日はいいアラが食えるから、いい酒も飲まないといけない、自分が店にキープしている秘蔵の酒を飲みましょう、と愛知の酒「蓬莱泉・吟」を出してくれた。
 この酒初めて飲んだけど、大吟醸にしては香りが控えめなのに、口中に広がる旨みの複雑さが印象的、そして咽には清冽な感触を与えて、すーと流れていく。たしかにこれは名酒だ。入手するのは大変な手間がかかるとのこと。
 その希少な酒を、差しつ差されつぐいぐい飲んでいるうちに、10キロを超える大物アラの、一番脂の乗ったカマ焼きという、豪華な焼き物登場。寝かせて間もない獲れたてのアラの身は、ぷるぷるこりこりの愉しい食感。脂も良質なものが十分に乗っており、アラの新しい魅力をたっぷり教えてくれた。高級魚アラの、数限られた部位の料理であり、そうそう食べられるものではない、貴重な、バブリーなものをしっかりと体験させていただきました。貴重な酒「蓬莱泉・吟」とあわせ、バブリーな夜であった。
 その「蓬莱泉・吟」、美味すぎてついついピッチが上がり、私のほうが半分以上飲んだんじゃないのかな。W先生、失礼いたしました。

 本日はネタにはあまり期待していなかったのだけど、シャコや赤貝などは、なかなかの上品が出ていた記憶はあるが、…アラと蓬莱泉の印象が強すぎて、どれがどれやらどうでもよくなってしまった。わははは。(←わははじゃないって)

 その「蓬莱泉・吟」のwebから拾った写真。
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 醸造元のホームページをみると、他にもおいしそうな酒がずらずらと並んで載っております。

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October 07, 2009

読書:ナガサキ 消えたもう一つの原爆ドーム 高瀬毅 著

【浦上天主堂廃墟】
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 長崎の浦上は日本でも珍しいまでに幾度もの艱難におそわれた地である。
 長崎の港近き地ゆえ宣教師の訪れとともにこの地域ではキリスト教に帰依する者が多かったが、江戸時代の禁教令により彼らは迫害を受け、幾人もの殉教者を出した。それでも彼らは信仰を捨てずに隠れキリシタンとなって長い年月信仰を守っていた。明治維新とともに開国となり、浦上に外国の司祭が滞在し天主堂を建てたとき、隠れキリシタン達が訪れ、自分たちがキリスト教信者であることを告白した。しかし明治政府は幕府同様にキリスト教信仰を許すことはなく、彼らは囚われ、棄教を強いられ、それに従わないものは牢につながれ殺されていった。諸外国の抗議により明治政府がキリスト教を許可するまでその迫害は続けられた。
 浦上は、我が国のキリスト教の受難の象徴的な地であった。

 その浦上に、昭和20年8月9日、よりによってキリスト教者の国であるアメリカの原子爆弾が頭上で炸裂し、7万人を超える死者を出し、街の建物は破壊された。浦上天主堂も崩壊し、その時ミサを行っていた司教および信者たちも全員死亡した。
 かくも悲惨な迫害をいくども繰り返された浦上は、磔刑に処せられた街のように思える。

 戦争が終わり、街の復旧が進んでいくなか、原爆投下の惨劇を直に伝える天主堂廃墟は、貴重な原爆遺構として、保存が希望され、長崎市議会も保存を決議した。長崎市長も保存の意思を表明していたのであるが、なぜか急にその意を翻し、撤去の方針を打ち出し、1958年に天主堂廃墟を撤去し、そこに新しい教会を建てた。
 今に残されていたなら、広島の原爆ドームに並ぶ、人類の愚行を記念する貴重なモニュメントと成り得た天主堂廃墟は永遠に失われることとなった。

 本書は浦上の歴史、天主堂の歴史、長崎での被爆者達の思いなどを語ったのち、天主堂廃墟の撤去を決めた長崎市長の変節の理由を、当時の資料を集め、解明を企てている。
 変節の理由として、著者は市長が、アメリカの都市に招かれて(当時は国外に出るのは費用的に大変なことであった)、その後意見が180度変わったことから、アメリカの要請があったものとしている。たしかに、キリスト教者により建国されたアメリカという国にとっては、広島の原爆ドームはいざしらず、原爆に焼かれた教会の廃墟は、残されては迷惑なものではあったであろう。
 …著者の追及は、相当の過去の出来事を扱っていることもあって、隔靴掻痒の感はあり、じつのところ真の理由は闇の中なのではあるが、現実として、アメリカ訪問を終えたのち、市長は保存の方針を撤回し、ただちに廃墟撤去を決定し、貴重な遺構である浦上天主堂遺構はこの地から消えてしまった。
 著者の怒りと嘆きは当然のものに思われ、読んでいるこちらも同様の念を持たざるをえない。

【浦上天主堂廃墟のかわりにこのようなものが設置された】
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 浦上教会は原爆資料保存会側から遺跡を残して、新しい協会は現在の平和公園のある地に建てなおすことを勧められた。しかし結局遺跡は撤去され、かわりに平和公園には原爆投下の記録として「平和祈念像」が設置された。

 私はこの像をはじめて見たときに、不快感とまではいかないにしても、それに近い違和感を感じざるを得なかった。日本の歴史上どこにも存在しなかった形式の像であり、どうみても白人男性をモデルにした、ポーズも表情も力の誇示しか示していないような、この像のなにが平和祈念像なんだろう?

 それがこの書を読んで私の違和感の理由が私なりに解けた。
 大戦後、長崎の被爆者たちの思いには、半ばやけくそのような、原爆恩寵論が実在していたらしい。
 すなわち「原爆が我々の上に落ちたのは、我々が戦争という大罪をおかしたため、神が我々を生贄の羊として選び、罰したのだ。原爆は平和をもたらすための神の摂理であった」てな、今となっては寝言にしか思えない論である。(でも以前の長崎市長も似たようなことを言っていたので、信じがたいことだが、まだ長崎には残っている思想なのかもしれない)

 この論から敷衍すれば、あの奇怪な平和祈念像がよく理解できる。
 あの平和祈念像こそ、「神の摂理」であり、「原爆そのもの」であると。
 平和祈念像の、いやらしいまでの力の誇示、arroganceとしかいいようのない表情。「平和」とはまったく異なる像全体の表現は、しかしあれが「原爆」と考えると、まったく矛盾なく理解できる。あの像から感じる第一の印象「力の誇示」は、まさに「原爆」の本質であるから。
 平和とは「力」によってもたらされるもの、という論は、一面の真理であることは否定しない。しかし、長崎の平和公園に、平和をもたらした神として「原爆」を祭るのは、それがアメリカのやったことなら(腹は立つだろうけど)理解できぬこともないが、何万人もの無辜の民間人を虐殺された日本人が、その虐殺の道具を神として祭るのは、どう考えてもおかしいよ。


 原爆投下の象徴としての浦上天主堂廃墟が失われてしまったことを、著者同様に、私も深く惜しむ。


……………………………………………
ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

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October 04, 2009

鮨:秋の夢膳

 ライブが終わったのちは、夢膳へと鮨を食いに行く。
 …が、着いてみると様子がおかしい。明かりはついているが、門が閉じており閉店の雰囲気。あれ、予約の日を間違えて伝えていたかなと思っているうち、女将さんがこちらに気づき玄関を開けてくれた。
 私が予定の時間を1時間過ぎても訪れないので、店のほうも予約の間違いかと思い閉店の準備をしていたとのこと。あれ、今は9時少しすぎたくらいのはずなのにと思って、携帯の時刻をチェックすると、なんと10時を過ぎていた。
 ライブが終わったとき、マリンメッセの(見にくい)時計を見ると8時50分だったので、ちょうといいくらいの時間だと思っていたら、…あれはじつは9時45分だったのだ。ライブ独自の時間の流れで、思いっきり時間の感覚がおかしくなり、おおぼけをかましてしまった。鮨屋の予約の時間はきちんと守るべし、というのが家訓であったが、ひさしぶりに破ってしまった。
 すでに仕事後の晩酌モードに入っていた店主に平謝りしながら、10時過ぎという遅いスタート。それでも造り、椀物、焼き物、鮨とフルコースでいただく。

【天然鰻の白焼】
Eel

 夢膳の鰻は初夏から始まるが、まだあったんだ。天然鰻の本当の旬は今頃なのであるが、まああっておかしくはないのだが、夢膳の鰻は7月というイメージが強いなあ。
 有明海で天然獲れた鰻は、皮が分厚く香りが高い。身も筋肉隆々としており、歯ごたえ十分で旨みも濃厚。この店の天然鰻を食べると、海で獲れた天然鰻というものが、鰻の中で独自の存在であることがよく分かる。養殖鰻の出来が良くなった今の時代でも、天然鰻にこだわる人たちがいるけど、この店のを食べるとその気持ちはよく理解できる。

【ノドグロ】
Nodoguro

 夢膳名物ノドグロは、いつもは対馬のものなのだけど、今週は海の状態が悪く(たしかにそうだ。大型台風も近付いているし)、長崎のもの。どう違うかといえば、脂の乗りがまったく違うそうだ。「今回くらいのは光洋さんでも出てきますよ」、と光洋を褒めているのか、けなしているのかよく分からない店主のコメントつき。この業界、仕入からしてすでに分かっているので、ごまかせない世界なのである。
 いつもの対馬のノドグロは、身を切ると、脂がとろ~りと流れて来るような脂濡れ濡れのものだけど、長崎のノドグロはといえばそこまでの脂の乗りはない。でも、それゆえのホコホコホクホクした身の食感は、これはこれでたいへんよろしい。

【ハモ椀】
Pike_conger

 ハモ椀はハモのストレート勝負。ハモの旨みが十二分というか十五分くらいに出た濃厚な出汁を塩で整えた、一歩間違うとハモくさくなるような椀だが、そのようなことはもちろんなくハモの旨さが幾層にも重なった、なんとも夢膳でしか出てこないような、素晴らしい椀。

 その後は握りをおまかせで。
 今夜は少しばかり酒が入っているので、精度が落ちているかもしれませんとのことであったが、いつも通りの豊かにして華やかな夢膳の鮨であった。

 夢膳の料理は、「非日常感」が満ちている。このようなものは家庭ではもちろん無理だが、一流の店でさえなかなか味わえるものではない。
 なにかとんでもない、なにかすごい、そういう料理を食べたくなる時があったとき、夢膳は第一に候補に挙げるべき店である。


 造り、椀物、焼き物、鮨とフルコースを楽しみ、終わったのは日付けが変わっての午前1時。まったくもうしわけありませんでした。

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October 03, 2009

10月のあゆ@福岡マリンメッセライブ

 10月は鮎もそろそろ落ち鮎だなあ、五ヶ瀬川に鮎やなも立ったことだし、やな場へ落ち鮎の塩焼きでも食いに行ってみようかなあとか思いつつ、…今回はそっちの鮎の話ではなく、「浜崎あゆみ」の「あゆ」の話。

 福岡マリンメッセの浜崎あゆみのライブに行ってきた。
 私は浜崎あゆみの、というか若いころの浜崎あゆみのファンなのである。
 彼女はデビューのころはキワモノのイメージが強かったけど、いざ聴いてみると曲のqualityが高く、「自分の歌いたいことを懸命に歌う」というスタンスが既に確立していて、静かな迫力のある佳作を幾曲も歌っていた。
 浜崎あゆみの歌のモチーフは、「孤独な少女の心の救済」ということで一貫しているのだろうけど、歌い続けることによりモチーフが深化していくというタイプの歌手でもないみたいで、さすがに近頃の歌は飽きてきて、また若いころの澄んだキンキン声も出なくなっていることもあり、近作のCDを聴くこともなくなってきた。

 しかし、今回はひょんな事情からチケットが入手でき、それならばと行くことにした。浜崎あゆみのライブは、手間のたいへんかかったもので、観る価値のあるものだし。

 さて、そのライブ。浜崎あゆみも10年以上現役でやっているベテラン歌手なので、ファン層もそろそろ年齢が上がってきたかと思いきや、なんのなんの。若い女性が大半である。それも見た目10代くらいの。この年代の人たちにも浜崎あゆみは人気があるのは、ちょっと意外。もっとも同行者に言わせれば、あの人たちは10代の若作りをした20代の人たちだそうだ。
 予定よりも30分遅れて開演し、浜崎あゆみが登場すると黄色い大歓声とともに、観客は総立ち。蛍光ウチワやペンライトが曲のリズムに合わせて会場いっぱいに揺れ、これは見ものであった。

 4年ぶりにライブで見るナマの浜崎あゆみは、いくぶんふっくらとしており、健康的にみえた。この人はクスリはやってないな、などとつまらぬ感想を持つ。
 浜崎あゆみは、最初から全力投球。本ステージにアンコールを加え、20数曲をノリノリ状態で歌う。見ていて、聴いていて、ほんとうにこの人は歌うことが好きなんだなあ、ということがわかる。
 終幕には感極まって涙を流す浜崎あゆみ。
 歌うことでこの世界になかに自分の居るべきところをみつけた、その喜びが素直に伝わってくる。

 とてもいいステージであった。

……………………………………………

【開演前】
Concert

 二階の、手すりの手前の席にて観る。ここらは中年族の御用達の席で、たとえ前の者が立っていても視界の邪魔にはならず、こちらは座ったままじっくりとステージを観ることが可能。
 さすがに浜崎あゆみのライブで、若者に混じって立ってペンライト振りながら観るのは、年齢的に無理っす。

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