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August 02, 2009

花火は見上げて観るもの

 8月1-2日は延岡の夏祭りであり、2日は花火大会が開かれる。
 花火大会というものは、たいていは人家の少ない、広々としたところで花火を打ち上げるものであり、九州では海岸とか港とかで行うのが定番となっているが、今年の延岡の花火大会の会場はほぼ延岡市の真ん中となっており、これはすごいと思った。(どうやって許可をとったんだろう?)

 そこで、どこで花火を観るかということになる。
 私は花火はできる限り真近で観るべきと思う。音、火薬のにおい、光の強さ、いずれも近ければ近いほど迫力があるからだ。
 しかし、延岡の花火大会の場合、せっかく町中でするわけだから、暗闇のなか打ち上げられた花火の美しさとともに、その光に照らされ浮かびあがる町の風景というものも観てみたい。それはいつも見ている町の風景とは、また違った独自の美しさがあるはずだから。

 それで、延岡市を一望できるビュースポットとして、愛宕山に登ることにする。
 花火とともに延岡市の風景を観たいと思う人は、私以外にもいくらでもいるようで、暗くなって愛宕山に登ろうとしたら、愛宕山への入り口の道路は、「駐車場満車」という看板が出ており、車はいずれも係りの人に入場を断られていた。
 私は自転車で登っていったので、その制止を受けることはなく余裕で山頂の駐車場に到着。自転車で登るような者は私だけかと思いきや、他に2台の自転車が駐車していた。しかもママチチャリが。ママチャリで登るのなら、歩いて登ったほうがはるかに楽だと思うのだが、世のなかにはすごい人がいるものだ。

 8時から花火大会が始まった。
 大きく広がる光の輪に、闇のなかから延岡市が照らしだされる、なかなかによい風景。

 …しかし、迫力がない。
 距離が遠いので花火そのものが小さく見えるのに加え、花火ってあんまり高くは上がらないのだな。標高300m弱の愛宕山からでさえ、ほとんどの花火は見下ろす高さにしか上がらない。眼の下の花火というものは、いざ実物を見ると、いじましさというか、妙な哀しさを感じてしまう。まるで線香花火のように。
 花火は、やはり傲慢なくらいに高く上がり、炸裂してもらいたい。

 さっさと愛宕山の花火見物に見切りをつけ、延岡市に下りる。
 花火に近づいていけば、さっきまではまったく異なる花火の輪の大きさに驚く。見上げる花火は空を埋めるかのごとく広がる。そして町なかの花火ゆえ、轟音が建物に反射し、多重音を持って迫力いっぱいに音を響かせる。

 花火は遠くにありて観るものではない。
 可能なかぎり近くで、そして見上げて観るもの。改めて、思い知りました。

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