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July 19, 2009

ガイド登山について思う

 7月18日に起きた北海道のトムラウシ山大量遭難事故は、あらためてガイド登山というものの難しさを考えさせるものであった。

 山登りは基本的には自分の力で行うべきものであろうが、しかし、自分あるいは自分たちの力量では登山するのが困難である山は当然ある。そういう山に登りたいときは、熟練したガイドの手助けを得ることにより、難しい山でも、より安全により確実に登ることできるようになり、登山の行動範囲を広げることができる。ガイド登山の存在によって、山好きな人たちの登山の幅はたいそう広がった。
 また本邦では、有名な山を登るとガイド登山の一行には必ず遭遇することより、ガイド登山が普遍的なものになっているのは容易にうかがえる。

 ガイド登山は登山の楽しみを高める有効な手段であるが、しかし残念ながら今回のような大惨事の原因にもなってしまう。

 今回事故の起きたトムラウシ山は、今から7年前の2002年にも福岡発のツアー登山の遭難事故が起きている。このときも状況はまったく同じで、悪天候のなかの登山を強行し、その結果一人の命が低体温症で失われてしまった。
 登山は自己責任が基本であるが、商業ベースのガイド登山においては、遭難事故が起きた場合は、ガイドに刑事的責任が問われるのが了解事項となっている。この時の福岡の登山ガイドも有罪の判決を受け確定している。
登山ガイドの責任は、すごく重たいのである。

 だから、というわけでもないし、当然のことなんだろうど、登山においてはまず第一に安全が優先される。登山とは何よりも無事に下山することが大事なスポーツだ。
 しかし、次に大事なことは、山に登ることである。
 そして、ガイドとは、我が力では目的とする山に登れない人を、その山へ登らせることが仕事であり、ある程度の困難は予測の範囲として、その困難を解決しながら、客を山頂(あるいは目的地)に立たせるのが、力量のあかしであり、やりがいでもあろう。

 今回の事故の原因は悪天候になか無理な出発をしてしまったことにある。
 しかし、悪天候といっても、山は天気が変わりやすく、悪天候になるのは当たり前であり、高山を何泊もするような縦走ではずっと好天であることのほうが珍しい。悪天候の行動は、常に登山行為に織り込まれている。
 早い話、悪天候のなか、視界も利かず、強風吹きすさぶなか行動を続けた経験は、山登りをする人なら誰でもあるだろう。

 今回の遭難事故でも、避難小屋からトムラウシに向かったパーティは別にもいたが、そのパーティは、一人が低体温症になりかけたとのことだが、とりあえずは無事に下山している。また事故を起こしたパーティにおいても、四名は暴風のなか18時間以上も行動を続け自力で下山している。(この人たちは、実際のところすごい実力の持ち主だと思います)
 だから、出発の判断は、絶対的な誤りというものでもなかった。誤っていたのは、ガイドの力量と参加客の力量が、総合的にこの天候のなかでは行動は可能であると判断したことだ。残念ながら、このツアー一行には、総合的にはその力はなかった。

 安全を重視するなら小屋に停滞したほうがいいに決まっている。しかし、もう一度繰り返すが、ガイドというのは客を山に登らせるのも大事な仕事だ。そしてより困難な山の登山の成功は、客の満足度も高い。今回は、己と客の力量の判断に間違いがあり、悲惨なことになってしまったが、問題の基本には、「山に登らせてあげたい」というガイドの善意があることは間違いなかろう。

 今回のトムラウシ遭難事故では、最初に低体温症で動けなくなった客とビバークしていたガイドは亡くなり、救助要請のため、先導して下山を急いでいたガイドは途中で体力の限界に達し、行動不能になって倒れていたところを救助されている。
 誰もが全力を尽くした行為であったけど、客も悲惨であったが、ガイドもまた悲惨であった。

 2002年のトムラウシ山遭難事故のあとも、九州発のガイド登山ツアーでは、2004年の屋久島、2006年白馬山と大きな遭難事故が起きている。
 どれも悪天候の中の登山強行という、お決まりのパターンなのであるが、それを「ガイドの判断ミス」「ガイドによる人災」と一言で済ませるのには、私は躊躇してしまう。山の世界なんて狭いものなので、(ツアー登山はたいてい山道具屋関係発であり、そして山道具屋なんて数が限られているので、だいたいその世界内に関係者は入ってしまう)、そこに登場する人物は、直接間接にしろ私は知っている。そして参加客は、どの人も中高年者とはいえ、かなり鍛えた人たちであり、ジムでクライミングのトレーニングをしっかりしている人たちもいた。
 悪天候のなか、ド素人を連れて行っているツアーなら、あっさりとそこで登山を中止にするだろうが、それなりに力量のある人たちのそろっているパーティなら、「やってみようか」と思ってもしまうだろう。登山とは、非日常へのチャレンジでもあるので、克服できる悪天候と判断してしまったら、Go signも出してしまうだろう。悪天候を克服して為した登頂は、なにはどうあれ価値のあるものだから。登山とは、そういう理不尽な満足感も存在するスポーツなのです。残念ながら。
 じっさい、九州発のガイド登山遭難事件はいずれも、ガイドは必死に行動し、救助の要請に成功している。ある意味ガイドだけでは、遭難はしなかったのであり、本人にとってGo signは正しかった。しかし、客は悪天候を克服できず、パーティ全体としてのGo signはまったく間違っていた。

 登山においては、「安全」と「登山の満足感」は必ずしも一致しない。あるときは相反してしまう。登山という行為は、この「安全」と「満足感」のバランスを、己の力量を考えながらとらねばならない。
 ガイド登山においては、そのバランスの取り方、そして力量が、客の数だけあるわけで、Goの判断はとても難しいものであろう。
 そして結果として、誤ったGo signを出して、遭難事故を起こしてしまったガイドの自責感は、考えるだに辛く重いに違いない。

 遭難事故を起こしてしまったあるガイド氏が、その後の登山ガイドの会合で、「ガイドたる者、救助に山小屋に駆け込んだのはいいとして、そのあと、なぜ救助に向かわなかった。たとえ疲労困憊していたとして、歯を食いしばってでも救助に向かい、そこで力尽きて死んでも、それがガイドの務めだろう」と詰られたそうだ。そのガイド氏は、涙を流しながら「自分もそうしたかった。そうしたくないわけはないだろう。でも、自分も低体温症に陥っていて、小屋までたどり着くのが精一杯だったんだ。小屋についたあとは、まったく身体が動かなかったんだ」と嘆いたそうだ。

 その話を聞いて、登山ガイドとはすごい世界なんだなあと思った記憶がある。

 好天のときだけ登山すればいい、というわけにはいかないのが登山というものである。
 これからも登山のGo signについては、ガイドに難しい判断を迫られることがいくらでもあるであろう。
 私の知っているガイド氏たちは、8000m級の山にも登る実力のある人たちであり、天候の読み方、ルートファインディング、レスキューの方法、自己鍛錬等の登山に必要な技術は確立した人たちであるが、それでも事故を起こしてしまっている。それは結局は、パーティ全体の力量を把握しきれていなかったことに由来しており、このことはやはり責められて仕方ないことだろう。

 ガイド登山は、登山の楽しみの幅を広げ、登山を豊かにしたことは間違いない。
 そのガイド登山を、これからも続け、発展させていくためにも、ガイド登山の問題点については、登山界全体でよく検討し、改善をなしていかねばならないと思う。

………………………
(参考) ドキュメント気象遭難
 02年のトムラウシ山遭難事故についての報告が掲載されています。 

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