初夏になれば、「安春計」の鮎の一夜干しの炙りを食べたくなる。
山笠の見物(+雑用)がてら、博多へ行ってみた。
江戸前寿司店「安春計」は、薬院駅の近く、路地の奥まったところ、店の看板もなしにひっそりと佇む、事前に地図で調べていたとしても、簡単には見つけることのできない店である。
繁華街にあるわけでもなく、また人の通りの多い道に面しているわけでもなく、もともと分かりにくいところにある店なので、看板くらいは出してみてはと思うのだけど、店主としては、容易に客が入って来るような店にはしたくなかったとのことで、じつは店の名前さえつけたくなかったそうだ。
さすがに名前がなければ、いろいろと不便なので、周囲の者の忠告を受け、しかたなく名前をつけてもらった。店名の「安春計」は「あすけ」と読む。なんとなく由緒ありげなこの店名は、じつはほとんど意味をもたない普通名詞みたいなものである。
「あすけ」というのは佐賀弁であり、これを標準語にすると「あそこ」、英語にすると「there」。
「店の名前って無いといかんのですかねえ」
「ないと、客が店を探すときに困るだろう」
「そんなの、タクシーつかまえ、『あそこに行け』で済ませればいい」
「あそこじゃ分からんよ。…でも、それを店名にするか。『あそこ』はおれが言いにくいから、『あすけ』にしよう」
てな会話が店主と陶芸家中里氏のあいだでかわされ、店名は「安春計(あすけ)」となった。
ちなみになぜ佐賀弁かというと、命名者中里氏が佐賀の人だったからである。中里氏は、ついでとばかり店の名前を揮毫して店に置いてあり、名物となっている。
そういう豆知識はともかくとして、カウンターに座り、お任せを頼む。
【造り盛合せ】

刺身(アコウ、シャコ、カツオ)
魚の難しい季節であるが、クセのない旨みのアコウ、今が旬の子のぎっしりとつまったシャコ、脂少なめですっきりした味わいのカツオ、どれも美味なり。いかにも初夏の爽やかさを感じる皿です。
【鮎の一夜干し炙り】

今の季節の定番、鮎の一夜干しを炙ったもの。
鮎はワタを食うものと思い込んでいる私でも、一夜干しにすることにより鮎の香りが凝集し、これをほどよく炙ることによりさらに香りが増すこの料理を食うと、鮎という魚はワタのみならず、身にもこんな香りと旨さを内包していたのかと、鮎のいう魚の凄さを思い知らされてしまう。
酒の肴としても抜群のもの。三千盛が進みます。
【雲丹モロキュウ】

これも今の季節の定番。雲丹のモロキュウ。
ここでの主役はじつは胡瓜。初夏の瑞々しさあふれる、甘みたっぷりの胡瓜が、モロミ雲丹の強い味にうまくぶつかって、美味さが引き立っています。野菜は大根のときもあり、こちらもじつに美味。
【アワビ酒煮】

もちもちにして、さくっとしたアワビの上手に煮られた食感もよいが、アワビの出汁が出たスープが、これがまた美味しい。最後まで、ずずっと飲む。
安春計の肴は、素材の生かし方、煮る焼くの技術、出汁のとり方等で、傑出したものがあり、九州の和料理として、トップクラスのものだと思う。この店の洗練された、技術の粋のような肴の数々は、季節ごとに変わっていき、その都度食べに行きたくなる。
肴が一通り終わってから、鮨となる。
安春計の鮨は、シャリに一番の特徴がある。赤酢と塩だけを使ったシャリは、シンプルにしてストレートに旨さが伝わる逸品だが、さらに季節ごとに調整を行い、そのときに最も美味くなるようなシャリとなっている。
夏は魚の脂の乗りが弱いので、それにあわせ、すっきりとした、でも芯の強い塩気の利いたシャリとなっており、これがまた美味いんだ。
オコゼの昆布〆、ヤリイカ、コハダ、カスゴ、アジの炙り、中トロ、車海老、雲丹軍艦、穴子…等々。
良い素材に丁寧な仕事をされたネタに、この店の絶妙のシャリが合わさり、見事な「安春計の鮨」となっている。まずはネタの美味さが口になかに広がり、それをシャリの美味さが追いかけ、食べているうち、たがいの調和のなかに、しっかりと一点に収まり、「美味い鮨を食べた」との実感が一貫ごとに完結する。
「鮨とはなんと美味い料理なんだ」と、改めて思う。
鮨のいくつかを。
【コハダ】

〆すぎず、〆なさすぎず、いい塩梅の〆方。コハダの旨さがよく出ています。
シンコは再来週からだそうです。この店はだいたい8月からは、秋までシンコが出ます。
【アジの炙り】

アジは珍しく炙りで。
炙ったことにより、食感のよさと香りが増し、これはまたアジが出たときに、〆ものに加えて頼みたくなるようなすぐれもの。
【雲丹】

小さな塔のような独特の雲丹軍艦巻き。
倒れるか倒れないかのぎりぎりのバランスが面白い。
【中トロ】

鮪が今が一番難しい時期なのだけど、十分に旨さが乗りまくった鮪であった。
こういうのを仕入れるのも大変でしょうなあ。
【穴子】

穴子は背と腹で2貫。
ふんわりとやわらかく握られており、これは皿に載せられて出てきます。
とろけるように柔らかい穴子が、シャリとともにふわふわと口になかにほどけていきます。
こういうやわらかい穴子の鮨を出すためには、よく煮てやわらかくするのでは美味みが減るので、最初から柔らかい、質のよい穴子を仕入れるのが大事だそうです。
さて、高名な陶芸作家中里隆氏の唐津焼の名品を多く置いている店内であるが、奥に紐飾りをした立派な木箱が置いてある。
新しい器の気配がしたので、「それはなんでしょうか?」とたずねると、「見てみますか」と店主はうれしそうに言う。「是非にと」と答えると、中身は以下のものであった。
【ハブ酒】

沖縄名物のハブ酒。
大きなハブが、牙を生やした口を大きく開けております。迫力あります。壷か、大きな器と思ったのに、意外性十分。
…しかし、下戸の店主がハブ酒を飲むわけもなく、なぜにここにあるのかと問うと、客からの預かりものとのこと。
意味深な木箱に入れられたものゆえ、ついつい器が入ってると思ってしまったが、よく考えればああいう高級風な木箱は、酒が中に入っているのも定番だよなあとか思いつつ、ま、珍しいものを見せてもらった。
【銚子】

珍しいものついでに、店の銚子のあれこれも写真紹介。
中里隆氏の器はどれも独自の破格のある個性豊かなもので、この器に盛られた酒をぐいぐい飲んでいくのも安春計の楽しみなのだが、その器がどういうものであるかは適当にしか私は覚えていなかった。
「コペンハーゲンの土で焼いたのが一番美しいと思います」とか私が言うと、いやいやどれもそれぞれの美しさがありますと、奥の戸棚から店主が銚子を取り出し、ずら~りと並べてみせてくれた。
右上一番端がロイヤルコペンハーゲンの土で焼いた銚子。つやつやした輝きと気品が素晴らしい。(その右横にちょっと写っている白い猪口は、娘さんの花子さんが焼いたもの)。そして、唐津焼きの銚子の数々は、どれも陶器の柔らかさと暖かさをうまく表現したもので、「おれに酒を入れて飲んでみろよ」と語りだすかの雰囲気を持っている。いずれも、「人が使うことを求める」名品。
安春計は、肴も鮨も酒も美味いけど、こういう陶器の話、それに仕入れ、仕込みの話を店主から聞いていると、舌にも耳にも手にも頭にも、楽しみがもたらされます。
真の名店だと思います。
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安春計 福岡県福岡市中央区薬院1-6-28 TEL092-716-6688