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July 2009の記事

July 28, 2009

7月の光洋

 宮崎市の鮨屋「光洋」は酒の仕入れにも力を入れていて、7月末の週末に、懇意の酒造元の新酒の披露会があった。私も参加したかったのだが、仕事があり残念ながら出席できず。酒への興味に加え、こういう会は、宮崎の濃ゆい人が集まるに違いなく、さぞかし濃いく、またタメになるであろう話が飛び交うであろうので、末席よりそういう話をうかがいたかったのであるが、残念であった。

 その時に出た新酒がまだキープしてあるとの連絡があり、それならまだ酒が新しいうちに飲みたく、本日光洋へと出かけた。
 出てきたのは、羽根屋という富山の酒で、香り豊かで、口のなかで広がる味もまた豊かなもの。いわゆる「豊潤」というイメージの酒。これはたしかに美味い。
 ただしこの手の酒って、鮨屋にとっては肴がいらなくなるほど美味いというのが弱点であり、これにがっぷり四つで組み合うことのできる肴ってけっこう難しそう。…でも、光洋の白身魚で、思いっきり寝かしたもので、香り旨さが濃厚になったものがあったな。あれなら、いいマリアージュになるのでは、などとも思った。
 美味い酒と美味い肴・鮨の組み合わせというのは、ものすごく難しい問題であり、多くの鮨屋はそれをスルーし、超一流の店でも酒は一種類のみと決めたりしているところがあったりするのであるが、光洋はそこのところをがんばっているわけで、店主の切磋琢磨・試行錯誤はこれからも続くのでありましょう。

 鮨もあれこれとつまむ。
 シャリは一種類になっており、以前の力強い赤酢のものと比べると、やさしくやわらかな味わいとなっている。江戸前鮨は、シャリが主人公だとばかりシャリでネタをねじふせるような鮨を出す店が多く、あんがいと私はそういう鮨が好みであったりするのだが、光洋のはネタの美味さを引き出すことを重視した、控えめな感じの味わいのシャリである。これはこれで美味く、とくに白身系統〆もの系統はバランスがよく取れていて、秀逸な鮨となっていたと思う。

【本日のシンコ3枚つけ】
Shinko


 平日ゆえデスクワークがまだ残っていたので、飲んだのちはちょいと仕事に寄ることにする。夜も働いているであろうメンバーのために、お土産として光洋の絶品の「ちらし寿司」を注文。
 さて、職場に寄ると、なんとまだ7名も残っていた。「ちらし寿司」はたぶん3人前くらいのはずなので足りないなあとは思ったが、とりあえずお土産と渡す。すぐに箱は開けられ、「わ~。宝石箱みた~い」と誰もが思う感想が飛びかい、みなさんで争ってスプーンですくって食べることに。「こんな美味しいちらし寿司初めて食べました」とみなさんの感謝の言葉に、なんかとてもいいことを行ってしまったような面映ゆい気持ちになってしまった。


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July 23, 2009

映画:ノウイング *注ネタバレあり

 予告編の飛行機の墜落シーンの出来のよさにひかれ、観てみた。
 冒頭あたりの、預言者の少女ルシンダが預言の数字を書いて、森に佇みながらその予言の紙がタイムカプセルに入れられるところを凝視するあたりは、ほとんどホラー映画の乗りであり、ホラー調の映画と思いきや、地球滅亡モノの映画であった。

 地球が滅亡してしまう話は、映画ではよく扱われるテーマであり、多くの映画がつくられているけど、だいたいは以下に分類されると思う。

 (1) 地球がそのまま滅亡してしまう。
 (2) 地球がほとんど滅亡するが、残った僅かな人類が人類再生のために頑張る。
 (3) 地球は滅亡するも、神に近い存在に選ばれた僅かな人類が、新たな段階に達する。

 それぞれについては、適当に今思いつくだけで、(1)トゥモローワールド、ドクター・ストレンジラブ、続猿の惑星 (2)アイ アム ザ レジェンド、ザ・デイ・アフター・トゥモロー、バイオハザード、マッドマックス、ターミネーターなどなど。

 と、たくさんあるように思うけど、(3)のパターンは案外少ないようだ。

 それは(3)のパターンについては、半世紀以上前に書かれたA・C・クラークの小説「幼年期の終わり」という傑作があり、このパターンの話をつくろうとすると、誰でもそれが頭に浮かび、その結果どうやってもそれのパロディにしかならないとの思いが、製作者側に生じてしまうからじゃないのかなと、私は思う。

 ネタバレすれば、ノウイングは(3)のパターンの滅亡モノであり、超常の力を持つ少数の人類が、超越的存在(天使の格好をしているけど、たぶん宇宙人)に選別され、地球滅亡の日に、新天地へと宇宙船で連れていかれる。
 人類は新人類を生み出すための存在であり、地球は新人類の揺籃の場であった、ということが最後で明かされて、幕となる。


 ここで映画を離れ、人類の存在意義について考えてみる。
 人類が地球でただただ資源を貪って浪費している存在と考えるには、私としては人類の一員としては哀しく思える。それよりも、人類とは、いつか重力のくびきから解き放たれ、宇宙に飛び立ち、宇宙世界に存在しているだろう高次の存在と同等のレベルに達するために、今は雌伏している存在と考えるほうが、誇りは保てる。

 ただし、いつか人類がそういう存在になれるときが来るとして、それはもはや今の人類とは異なる存在になっているのは間違いない。

 「幼年期の終わり」では、超越者の助けを借り、人類は次の高みの段階に達し、地球を見捨て、高次の存在に同化しようとする。しかし、それを受容できない旧世代の人類は、滅びる地球とともに、自分たちも滅びる道を選ぶ。その姿は、気高さと誇りを持って、感動的に描かれていた。

 ノウイングでも、地球の滅亡を回避しようと必死の努力を続けていた主人公は、その企てがすべて失敗したのち、滅亡を受諾して、すべてを許し、家族とともに最期の時を迎える。その姿が感動的に描写されている。
 この結末からみると、この映画は、やはり「幼年期の終わり」のパロディにみえるのだが、…感動させてもらったのだから、すべてはよしとしよう。

 ……………………………………………
 映画ノウイング 公式サイト

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July 22, 2009

日食@平成21年7月22日

 平成21年7月22日は、日食の日である。
 日食じたいはさほど珍しいものでなく、私とて今まで幾度も、部分日食で3分の2ほどまで欠けた太陽を見た記憶はある。しかしながら今回の日食は欠け具合が宮崎で95%と、今までのものに比べ非常に本格的なものであり、その天体ショーを期待していた。
 ところが本日はあいにくの薄曇りの天候で、晴れ間ものぞかない。まあ、ダメもとでと11時少し前に外に出る。95%欠けているはずだが、外は普段同様に明るい。太陽、5%だけでもその力はすごいです。

 太陽は天の真ん中ほどの高い位置にあり、雲を通してその存在は分かる。
 どれどれと遮光フィルムをかざして、太陽を見ると、…おや、見事に欠けている。太陽は爪の先のようなほっそりとした形であり、とても細い三日月状となって輝いている。
 これは滅多に見られるものではなく、珍しいものなのでしげしげと見たが、形がどんどん変わるとか、炎を吹き上げているとかいうものでもないので、そのうち飽きて見るのをやめた。

【部分日食(のつもり)】
Eclipse

 記念にとデジカメで太陽を写したが、条件を設定するのが難しく、遮光フィルムを通したただの光の固まりにしかなってません。…デジカメの基本設定に、太陽の写し方なんて載っていないから、まあ素人には調整は無理ですな。
 でも、この日の個人の記録webには、たくさんの日食のきれいな写真が載っている。みんなどうやって撮影したのだろうか?

 あとでNHKのニュースを見ると、硫黄島などでの皆既日食のシーンは、荘厳にして神秘的なものであり、まさに自然の演じる最高のショー。これはたくさんの旅費を払っても一度は見たくなるものだなあと感心。(暴風雨に直撃されてしまった悪石島ツアーの人は残念でした)

 私も皆既日食ツアーに参加してみたくなってしまった。
 来年はイースター島で皆既日食が見られるそうで、ならばモアイ像もついでに見物できるわけだし、…行きたい。

【(参考)硫黄島の皆既日食像】
E090722_comp_ss


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July 20, 2009

登山:烏帽子岳(延岡市北川町)

 「烏帽子岳」といっても、地元の延岡市の人でさえどこにあるか知らない人がほとんどだと思う。私も登って初めて知った。

 延岡市は海と山に囲まれているところであり、東は日向灘、その他の三方は山々である。山々で目立つ山の名前を挙げれば、南は愛宕山、南方面は行縢山、北は可愛岳(えのだけ)となる。いずれも個性的な山容を誇るいい山で、しかも独自の歴史を持つ山である。愛宕山、行縢山は神話の世界に登場するが、可愛岳は明治の初め、西南戦争の舞台に登場する山だ。南北両方のルートから政府軍に攻められた薩軍が、敗退ルートとして選んだのが可愛岳越えで、その敗走ルートがそのまま登山道として残っている。

 可愛岳は花崗岩の岩肌が垂直に聳え立っており、格好のいい山であり、その歴史の探訪も兼ねて、いつかは登りたいと思っていた。

 ところで、今は7月の中旬。
 九州の山の紹介本をみると、登山に適した月として、7月8月はいずこの山も省かれており、7月は山に登るのは適さない月となっている。理由については、その時期登れば容易に分かる。暑くて暑くて、登ってられるものではないからだ。例えるなら、それはサウナの中で2時間も3時間もランニングをするような行為であり、続けているとまじに生命の危機を感じてしまう。九州の夏の登山なんて、(稜線が吹きっさらしで、涼しい久住山などを除いては)、我慢くらべが好きな人以外には、とても勧められるものではない。
 私も10何年以上も前に、何を思ったか、夏に杉ヶ越登山口から傾山に登ろうとしたことがあり、途中であまりの暑さに、脱水症の恐怖を覚えて、撤退してしまった経験がある。それ以来、夏の登山は長野あたりの高山にしか行っていない。

 しかし、本日の午後はなにも用事がなく、また山の本を集中的に読んでいたこともあり、山に登りたくなってしまった。そして、すぐ近くにはまだ登っていない面白そうな山がある。本日の天気予報は、曇りであり、降水確率は50%とのこと。蒸し蒸しして、暑い気候ではあるが、雨が降れば涼しくはなるであろう。雨の恵みを期待して、行ってみた。

【可愛岳案内板】
1entrance

 目的地は可愛岳山頂である。
 国道10号線を北川町で、西郷資料館に向かって入ったところが登山口となる。


【西郷資料館】
2_nannsyu_house

 この案内板より少し進めば西郷資料館がある。
 政府軍に追い詰められた薩軍が最後の軍議を開いた屋敷であり、ここで薩軍は解散令を出し、主だった者たちが脱出することになった。可愛岳から高千穂へ向けての敗走路は、大崩祖母山系を越えていく、九州で最も険しい山系を通るルートであり、そこを重い装備をかかえて突破に成功している薩軍は、軍隊としての能力は歴史的評価としては無能であったのだが、山岳レンジャーとしてみるなら、瞠目すべき能力があったといえる。

 そういうことはともかくとして、薩軍敗走路は眺めが悪そうなので、帰りにとっておくとして、北側の二本杉の稜線に出るルートでまずは登ることにする。

【登山道】
3way

 登ることしてしばらくして、すぐに登山がいやになった
 予想通りというか、予想以上に暑く、しかも蒸し暑かった。曇りで、雨がいつでも降りそうな天気ゆえ、暑さに加え、湿度がすごく高い。まさに蒸し風呂のなかを進む登山である。これが寒さとかなら、防寒具と運動で対処することが出来るが、暑さはどうにもならない。動けば動くほど暑くなるし、涼しくする方法など、なきに等しい。…まさか扇風機をかかえて登るわけにはいかないし。行けど行けども、身体じゅうにまとわりつく暑さと湿気に、いつ登山を止めようかとの思いばかり浮かぶ。
 標高727mで、しかも途中に水場がある山では、オーバスペックといえる持参の1.5リットルの水を、飲んだり、頭にぶっかたりしながら、じゃんじゃん消費して登りいくうち、うやむやのうちに二本杉の稜線に出た。

【二本杉】
4ridge

 ここから稜線に入る。
 向こうに見える山が、最初のピークらしく、あれに登ればあとは平坦な道になると思える。しかし稜線に入っても、風は吹かず、暑さ湿気はまったく変化なし。汗がだらだらと出て、飲んだ水がそのまま汗として流れるような気分。

【烏帽子岳】
5eboshi_summit

 二本杉から見えていた最初のピークに到着。一応標識があり、「烏帽子岳」なる名前がついていた。標高は588mとのこと。

【烏帽子岳からの延岡方面の眺め】
6view

 山頂は木が伐採されており、そして南方面が断崖絶壁となっていることから眺めはよろしい。天気のよい日は、延岡市から日向灘が一望のもとに望め、さぞかしいい景色が広がっているものと思える。
 今日は天気がよくないので、展望はあまり利かないのが残念。

 烏帽子岳から、ちょっとしたアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を増して可愛岳山頂へ向かう道に入るが、道は林の中なので、風は吹かず、むしむしと暑いったらあったものではない。稜線上に入れば、風が吹いて涼しい登山が楽しめるのではという淡い期待を持って、なんとか登ってきたのであるが、さすがにイヤになってきた。雲は厚くなってきて、遠くから雷の音が響いてきた。雨は降らずに、雷かよ、と愚痴りたくなる。
 そして、雷が鳴ったらさすがに心がくじけた。
 あと標高にして150mほど残っているが、こういう真夏に厚着をしてコタツに入るような我慢競技を続行しても、身体に悪いだけである。さっさと下山することにする。

 下山中も暑い暑いと文句を言いながら、元の道を辿り登山口に汗まみれで到着。

 まったく、夏の九州の低山なんて登るもんではありませんな。
 可愛岳はそれなりに人気のある山であるが、今回、まったく他の登山者に会わなかったのは、あまりに当然のことといえる。

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July 19, 2009

ガイド登山について思う

 7月18日に起きた北海道のトムラウシ山大量遭難事故は、あらためてガイド登山というものの難しさを考えさせるものであった。

 山登りは基本的には自分の力で行うべきものであろうが、しかし、自分あるいは自分たちの力量では登山するのが困難である山は当然ある。そういう山に登りたいときは、熟練したガイドの手助けを得ることにより、難しい山でも、より安全により確実に登ることできるようになり、登山の行動範囲を広げることができる。ガイド登山の存在によって、山好きな人たちの登山の幅はたいそう広がった。
 また本邦では、有名な山を登るとガイド登山の一行には必ず遭遇することより、ガイド登山が普遍的なものになっているのは容易にうかがえる。

 ガイド登山は登山の楽しみを高める有効な手段であるが、しかし残念ながら今回のような大惨事の原因にもなってしまう。

 今回事故の起きたトムラウシ山は、今から7年前の2002年にも福岡発のツアー登山の遭難事故が起きている。このときも状況はまったく同じで、悪天候のなかの登山を強行し、その結果一人の命が低体温症で失われてしまった。
 登山は自己責任が基本であるが、商業ベースのガイド登山においては、遭難事故が起きた場合は、ガイドに刑事的責任が問われるのが了解事項となっている。この時の福岡の登山ガイドも有罪の判決を受け確定している。
登山ガイドの責任は、すごく重たいのである。

 だから、というわけでもないし、当然のことなんだろうど、登山においてはまず第一に安全が優先される。登山とは何よりも無事に下山することが大事なスポーツだ。
 しかし、次に大事なことは、山に登ることである。
 そして、ガイドとは、我が力では目的とする山に登れない人を、その山へ登らせることが仕事であり、ある程度の困難は予測の範囲として、その困難を解決しながら、客を山頂(あるいは目的地)に立たせるのが、力量のあかしであり、やりがいでもあろう。

 今回の事故の原因は悪天候になか無理な出発をしてしまったことにある。
 しかし、悪天候といっても、山は天気が変わりやすく、悪天候になるのは当たり前であり、高山を何泊もするような縦走ではずっと好天であることのほうが珍しい。悪天候の行動は、常に登山行為に織り込まれている。
 早い話、悪天候のなか、視界も利かず、強風吹きすさぶなか行動を続けた経験は、山登りをする人なら誰でもあるだろう。

 今回の遭難事故でも、避難小屋からトムラウシに向かったパーティは別にもいたが、そのパーティは、一人が低体温症になりかけたとのことだが、とりあえずは無事に下山している。また事故を起こしたパーティにおいても、四名は暴風のなか18時間以上も行動を続け自力で下山している。(この人たちは、実際のところすごい実力の持ち主だと思います)
 だから、出発の判断は、絶対的な誤りというものでもなかった。誤っていたのは、ガイドの力量と参加客の力量が、総合的にこの天候のなかでは行動は可能であると判断したことだ。残念ながら、このツアー一行には、総合的にはその力はなかった。

 安全を重視するなら小屋に停滞したほうがいいに決まっている。しかし、もう一度繰り返すが、ガイドというのは客を山に登らせるのも大事な仕事だ。そしてより困難な山の登山の成功は、客の満足度も高い。今回は、己と客の力量の判断に間違いがあり、悲惨なことになってしまったが、問題の基本には、「山に登らせてあげたい」というガイドの善意があることは間違いなかろう。

 今回のトムラウシ遭難事故では、最初に低体温症で動けなくなった客とビバークしていたガイドは亡くなり、救助要請のため、先導して下山を急いでいたガイドは途中で体力の限界に達し、行動不能になって倒れていたところを救助されている。
 誰もが全力を尽くした行為であったけど、客も悲惨であったが、ガイドもまた悲惨であった。

 2002年のトムラウシ山遭難事故のあとも、九州発のガイド登山ツアーでは、2004年の屋久島、2006年白馬山と大きな遭難事故が起きている。
 どれも悪天候の中の登山強行という、お決まりのパターンなのであるが、それを「ガイドの判断ミス」「ガイドによる人災」と一言で済ませるのには、私は躊躇してしまう。山の世界なんて狭いものなので、(ツアー登山はたいてい山道具屋関係発であり、そして山道具屋なんて数が限られているので、だいたいその世界内に関係者は入ってしまう)、そこに登場する人物は、直接間接にしろ私は知っている。そして参加客は、どの人も中高年者とはいえ、かなり鍛えた人たちであり、ジムでクライミングのトレーニングをしっかりしている人たちもいた。
 悪天候のなか、ド素人を連れて行っているツアーなら、あっさりとそこで登山を中止にするだろうが、それなりに力量のある人たちのそろっているパーティなら、「やってみようか」と思ってもしまうだろう。登山とは、非日常へのチャレンジでもあるので、克服できる悪天候と判断してしまったら、Go signも出してしまうだろう。悪天候を克服して為した登頂は、なにはどうあれ価値のあるものだから。登山とは、そういう理不尽な満足感も存在するスポーツなのです。残念ながら。
 じっさい、九州発のガイド登山遭難事件はいずれも、ガイドは必死に行動し、救助の要請に成功している。ある意味ガイドだけでは、遭難はしなかったのであり、本人にとってGo signは正しかった。しかし、客は悪天候を克服できず、パーティ全体としてのGo signはまったく間違っていた。

 登山においては、「安全」と「登山の満足感」は必ずしも一致しない。あるときは相反してしまう。登山という行為は、この「安全」と「満足感」のバランスを、己の力量を考えながらとらねばならない。
 ガイド登山においては、そのバランスの取り方、そして力量が、客の数だけあるわけで、Goの判断はとても難しいものであろう。
 そして結果として、誤ったGo signを出して、遭難事故を起こしてしまったガイドの自責感は、考えるだに辛く重いに違いない。

 遭難事故を起こしてしまったあるガイド氏が、その後の登山ガイドの会合で、「ガイドたる者、救助に山小屋に駆け込んだのはいいとして、そのあと、なぜ救助に向かわなかった。たとえ疲労困憊していたとして、歯を食いしばってでも救助に向かい、そこで力尽きて死んでも、それがガイドの務めだろう」と詰られたそうだ。そのガイド氏は、涙を流しながら「自分もそうしたかった。そうしたくないわけはないだろう。でも、自分も低体温症に陥っていて、小屋までたどり着くのが精一杯だったんだ。小屋についたあとは、まったく身体が動かなかったんだ」と嘆いたそうだ。

 その話を聞いて、登山ガイドとはすごい世界なんだなあと思った記憶がある。

 好天のときだけ登山すればいい、というわけにはいかないのが登山というものである。
 これからも登山のGo signについては、ガイドに難しい判断を迫られることがいくらでもあるであろう。
 私の知っているガイド氏たちは、8000m級の山にも登る実力のある人たちであり、天候の読み方、ルートファインディング、レスキューの方法、自己鍛錬等の登山に必要な技術は確立した人たちであるが、それでも事故を起こしてしまっている。それは結局は、パーティ全体の力量を把握しきれていなかったことに由来しており、このことはやはり責められて仕方ないことだろう。

 ガイド登山は、登山の楽しみの幅を広げ、登山を豊かにしたことは間違いない。
 そのガイド登山を、これからも続け、発展させていくためにも、ガイド登山の問題点については、登山界全体でよく検討し、改善をなしていかねばならないと思う。

………………………
(参考) ドキュメント気象遭難
 02年のトムラウシ山遭難事故についての報告が掲載されています。 

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July 18, 2009

創作系フランス料理:カハラ@大阪市曽根崎新地

 週末は大阪市へ出張。
 夜はどこか和食屋か寿司屋に行こうかと思っていたが、「光洋」で宮崎の食通W氏と雑談したとき、今度大阪に行くんですよ、お勧めの店はありますかとたずねたら、「カハラ」が大阪ではNo.1ですと勧められたので、それならばと「カハラ」に行くことにする。

 じつのところ「カハラ」は有名店なので、知ることは知っていたが、創作系フランス料理ということで、足が向かなかった。でもW氏も勧めるし、また福岡の鮨マニアT氏も絶賛していた。W氏もT氏も大の和食党であり、そういう人たちが太鼓判を押すからには、和料理好みの人にも、十分にフィットする繊細系のフランス料理と予想したのである。

 その予想は、結局当たらずとも外れもせずといったところであったが…ともかくの感想として、すごい料理を食ってしまった。
 その料理の数々の紹介。

【泥鰌バジルシード和え】
Loach

 泥鰌というと柳川鍋くらいしか私は料理法を知らないけど、これは初めて食べる泥鰌料理。
 味付けをして柔らかく焼いた泥鰌に、寒天状のバジルシードを和えている。泥鰌の溶けるように柔らかい食感を、プチプチしたバジルシードが支えて、両者合わせてなんとも不思議な歯ごたえを感じさせる。それを包むスープは、かなり濃厚で、この個性強い両者に負けていない。

【アワビ、野菜、キノコとカチョカバロ 1】
Abalon

 続いての料理は、森シェフがこのチーズを使いますと、まずは吉田農場の瓢箪型のチーズ、カチョカバロを客に見せて、それから出ます。
 その料理、たしかにカチョカバロを細かく摺って盛り上げたもののようだが、中が見えない。それで、チーズをちょいとどけて、改めて写真の撮りなおし。

【アワビ、野菜、キノコとカチョカバロ 2】
Abalon2

 カチョカバロに埋もれていたものは、揚げアワビに、韓国産ズッキーニに、ブラウンマッシュルーム。それぞれにほどよい味付けをして、揚げ、焼いている。アワビは上手な揚げ方で、うまく美味さを凝集している。噛めば、美味さがポンと花開く感じ。野菜も、新鮮なものでしゃっきりした食感がよろしい。
 これらの優れものの食材のうえにどっさりとカチョバロが載せられているので、それとともに食べる仕組みになっているのであるが、…あっさり味のカチョカバロとはいえ、元はチーズだけあってチーズの味は豊潤。チーズと具材の味がぶつかりあい、なんとも奇抜な味を感じる料理となっている。


【八寸】
Hassun

 合鴨のマスタード和え、生ハムとスイカ、ミニミニトマト、ピスタチオの唐揚げ、ママカリ、ライムを器としたジュンサイ、ジャガイモを連ねて揚げたもの、ホテタとチーズの餃子。
 洋風の八寸である。それぞれにすごい手間がかけられており、またちょっとした工夫が楽しい。ジュンサイは、ライムの器に口をつけて食べるので、ライムの香りが豊か。

【ホンビノス貝焼き】
Kai

 ホンビノス貝は、近頃東京湾で獲れ出した新登場の貝で、蛤の仲間らしい。
 新たな食材ということで、素材の探求に目のない森シェフがさっそく築地から手に入れ、蛤の塩焼き風に、貝殻を小鍋にしてコンスメスープで煮ながら焼いたもの。
 貝のぷりぷりした食感は見事だが、味はといえば普通に蛤のほうが美味に思える。しかしそういう貝の味云々などどうでもよくなるほど、コンソメは濃厚で力強く、圧倒的な存在感を示す美味なるスープ。

【ハモ・モッツァレラチーズ・イカスミ+ビーフン】
Hamo

 それぞれ個性ある食材の組み合わせであり、…どうやって食うのがよく分からなかったので、ハモ・チーズ・イカスミかけビーフン、それぞれずつ食べました。
 モッツァレラチーズは、なんと日本産。だから鮮度がよい。なんでも宮崎県都農町に、イタリア水牛の牧場があって、そこで作られる作りたてのモッツァレラチーズを取り寄せているそうだ。たしかにいかにもフレッシュという食感であった。ハモも、イカスミビーフンは、それぞれ個性強い料理である。

 この五品が出てきて、次にカハラ名物のメイン料理、牛肉のミルフィーユ登場となるわけだが。

 カハラの料理はどれも全力投球であり、素材、技術、創意工夫、いずれも高い水準にある。ただ、こういう全力投球の料理が次々に出てくると、なんというか、料理の流れが、4番バッターばかりを並べた野球チームのように感じられ、食べていて少々疲れてくる。いわゆる、「これでもか」の御馳走責めであり、もうちょっと遊びというか、軽さがほしくなるような…。

【牛肉焼き1】
Beef

【牛肉焼き2】
Beef2

 カハラ名物、伊賀牛のミルフィーユ。
 薄切りにした牛肉を5枚重ねて、外の肉片はよく焼き、中の肉片はレアでジューシィ。肉の食感と味が、グラデュェーションをもって口の中で複雑に広がる。
 森シェフが、「肉を最も美味しく食べさせる方法」として編み出した調理法であり、たしかに凄みを感じさせる料理なのだが、…今までの濃い系統の料理の仕上げとして、この料理は中年族の胃袋にはちと重たすぎのような気がする。

【焼きトウモロコシ御飯】
Corn_rice

 〆はトウモロコシ御飯である。
 気分的にはもうお茶漬けで結構と思う頃であり、御飯ものもそのたぐいのあっさり系統で来てほしいと思うけど、この店はそういう楽はさせてくれない。
 このトウモロコシ御飯も、全力投球もの。
 御飯ものといっても、ここでは、甘く、旨みたっぷりのトウモロコシが主役であり、それだけでは単調気味となるのを、柔らかく炊いた御飯がアクセントを与えて支え、豊かな味の混ぜ御飯となっている。その味の豊かさといえば、私が素で食う気にならずに、赤ワインとともに食べたくらい、メインディッシュ並みのレベルのものなのである。

 このあとはデザートを食べ終了。

 なんとも、すごい料理のシリーズであった。
 絵でいえば極彩色のルノワールの名画ばかりを観たような、音楽でいえば後期ロマン派の交響曲を立て続けに聞いたような感じであり、素晴らしいものを体験した充実感はあるが、しかしどこか精神的に疲れを感じてしまう、そういう食体験であった。

 カハラ、この店はたしかにオンリーワンと言える店であり、「食の体力」がある人には、このうえなく魅力あふれる店だろうなあと思いました。


………………………
カハラ 大阪府大阪市北区曾根崎新地1丁目9−2岸本ビル TEL 06-6345-6778

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July 12, 2009

寿司 : 近松@福岡市薬院

 日曜昼は、薬院の近松にて鮨を。
 肴に椀物。
 ・タコの柔らか煮。じっくりとよく煮られた、旨みのつよいもの。柚子の香りがいいアクセントになっている。
 ・銀杏の塩焼き。銀杏はまだ木に成っている若い実で、さっくりした食感と、少し青臭い香りが面白い。
 ・若布。清新なもので歯ごたえが楽しい。
 ・椀物は、鱧と蓴菜。鱧の骨切りは絶妙。出汁も上品。福岡では最上に近いものでしょう。

 鮨は、ヤリイカ、サヨリ、ヒラメコブ締め、車海老、シャコ、カツオのヅケ、アジの炙り、雲丹、中トロ、大トロ、アワビ、コハダ2貫、アナゴ、玉子で締め。順不同でこんな感じ。

 イカは身を薄く削いで、それを重ねた独特のもの。イカのねっとりした食感と旨みがこれにより増します。車海老は殻を剥いてから握るので香りが高い。雲丹は軍艦にしないで雲丹の旨みを強調したもの。鮪はいずれも今の時期にしては、良質なものであった。

 近松の鮨は、玄界灘という活きの良い魚の宝庫を前にした福岡らしく、鮮度を重視しながら、それに丁寧に手を加えて鮨タネにした、江戸前とか鮮魚系とかいうのでなしに、近松風としかいいようのない独自の鮨となっている。
 この鮨は、ここ福岡の近松でしか食べられないものであり、たとえば関東からの鮨好きの人が、地元の鮨を食いたいと希望したなら、第一候補に勧めるべき店に思える。


 さて、本日の鮨。仕入れが同じ柳橋市場なので、昨夜の安春計とかぶるネタが多かったのは当たり前とはいえ、アジの炙りが両店で、でてきたのには驚いた。このネタなら炙りがいいと、期せずして両店とも考えが一致したわけだ。でもカツオは、安春計は爽やかな食味を前面に出して肴にしたものなのに、近松はヅケにより旨みを増して鮨にしている。こういう違いも面白い。

 仕入れに関してはいろいろな考えがあると思われ、たとえば信頼する店にまかせて魚をキープしておいてもらう方法もあるが、薬院の「安春計」「近松」それに「開」などは、早朝一番に柳橋に出かけ、自分の目で見て自分の手で触って、納得いくものを仕入れている。そのときに店間でいろいろと情報の交換もあるようで、そうやって互いに切磋琢磨しあうから、薬院の寿司店のレベルがどんどん高くなってきているのでしょうな。

 肴も鮨も美味く、昼というのに生ビール1本、冷酒4合をあけてしまった。
 「昼から飲むのは極楽ですよねえ」との店主の言葉に、「まったくそうですが、…休日だけですよ。さすがに平日は昼からは飲みきりません」とは、いちおう社会人として答えておく。
 隣の常連客の方は、飲める人であったが、お茶のみで肴、鮨を食す。「じつは飲みたいんですよ。でもこのあとに仕事があるんです」と話す。「仕事が残っていても飲むのは問題ないことだと思いますよ。たとえば、仕事が終わってから飲むというようなことをしていると、かえって飲んだあと何もしないから、ただただ寝てしまう羽目になり時間がもったいない。真の酒飲みは、わざと仕事を残してから酒を飲み、そのあと仕事をします。そうすれば酒にも飲まれないし、アル中にも絶対にならない」と、飲酒暦長き私は無茶苦茶なアドバイスをする。

 隣の客が帰ったのち、私は店主に「お茶のみで鮨を食う人」って、なんだか通みたいで格好いいですよねえ、一度はやってみたいと言うと、「それは絶対に無理です」と、同じく酒飲みの店主は断言する。
 …たしかに、私にとっては、こんなに美味しい肴と鮨を前に、酒を飲まないことはまず無理です。

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July 11, 2009

寿司: 安春計@福岡市薬院

 初夏になれば、「安春計」の鮎の一夜干しの炙りを食べたくなる。
 山笠の見物(+雑用)がてら、博多へ行ってみた。

 江戸前寿司店「安春計」は、薬院駅の近く、路地の奥まったところ、店の看板もなしにひっそりと佇む、事前に地図で調べていたとしても、簡単には見つけることのできない店である。
 繁華街にあるわけでもなく、また人の通りの多い道に面しているわけでもなく、もともと分かりにくいところにある店なので、看板くらいは出してみてはと思うのだけど、店主としては、容易に客が入って来るような店にはしたくなかったとのことで、じつは店の名前さえつけたくなかったそうだ。
  さすがに名前がなければ、いろいろと不便なので、周囲の者の忠告を受け、しかたなく名前をつけてもらった。店名の「安春計」は「あすけ」と読む。なんとなく由緒ありげなこの店名は、じつはほとんど意味をもたない普通名詞みたいなものである。
 「あすけ」というのは佐賀弁であり、これを標準語にすると「あそこ」、英語にすると「there」。

 「店の名前って無いといかんのですかねえ」
 「ないと、客が店を探すときに困るだろう」
 「そんなの、タクシーつかまえ、『あそこに行け』で済ませればいい」
 「あそこじゃ分からんよ。…でも、それを店名にするか。『あそこ』はおれが言いにくいから、『あすけ』にしよう」

 てな会話が店主と陶芸家中里氏のあいだでかわされ、店名は「安春計(あすけ)」となった。
 ちなみになぜ佐賀弁かというと、命名者中里氏が佐賀の人だったからである。中里氏は、ついでとばかり店の名前を揮毫して店に置いてあり、名物となっている。

 そういう豆知識はともかくとして、カウンターに座り、お任せを頼む。

【造り盛合せ】
Dish

 刺身(アコウ、シャコ、カツオ)
 魚の難しい季節であるが、クセのない旨みのアコウ、今が旬の子のぎっしりとつまったシャコ、脂少なめですっきりした味わいのカツオ、どれも美味なり。いかにも初夏の爽やかさを感じる皿です。

【鮎の一夜干し炙り】
Sweatfish

 今の季節の定番、鮎の一夜干しを炙ったもの。
 鮎はワタを食うものと思い込んでいる私でも、一夜干しにすることにより鮎の香りが凝集し、これをほどよく炙ることによりさらに香りが増すこの料理を食うと、鮎という魚はワタのみならず、身にもこんな香りと旨さを内包していたのかと、鮎のいう魚の凄さを思い知らされてしまう。
 酒の肴としても抜群のもの。三千盛が進みます。

【雲丹モロキュウ】
Sea_urchin

 これも今の季節の定番。雲丹のモロキュウ。
 ここでの主役はじつは胡瓜。初夏の瑞々しさあふれる、甘みたっぷりの胡瓜が、モロミ雲丹の強い味にうまくぶつかって、美味さが引き立っています。野菜は大根のときもあり、こちらもじつに美味。

【アワビ酒煮】
Abalon

 もちもちにして、さくっとしたアワビの上手に煮られた食感もよいが、アワビの出汁が出たスープが、これがまた美味しい。最後まで、ずずっと飲む。

 安春計の肴は、素材の生かし方、煮る焼くの技術、出汁のとり方等で、傑出したものがあり、九州の和料理として、トップクラスのものだと思う。この店の洗練された、技術の粋のような肴の数々は、季節ごとに変わっていき、その都度食べに行きたくなる。

 肴が一通り終わってから、鮨となる。
 安春計の鮨は、シャリに一番の特徴がある。赤酢と塩だけを使ったシャリは、シンプルにしてストレートに旨さが伝わる逸品だが、さらに季節ごとに調整を行い、そのときに最も美味くなるようなシャリとなっている。
 夏は魚の脂の乗りが弱いので、それにあわせ、すっきりとした、でも芯の強い塩気の利いたシャリとなっており、これがまた美味いんだ。

 オコゼの昆布〆、ヤリイカ、コハダ、カスゴ、アジの炙り、中トロ、車海老、雲丹軍艦、穴子…等々。
 良い素材に丁寧な仕事をされたネタに、この店の絶妙のシャリが合わさり、見事な「安春計の鮨」となっている。まずはネタの美味さが口になかに広がり、それをシャリの美味さが追いかけ、食べているうち、たがいの調和のなかに、しっかりと一点に収まり、「美味い鮨を食べた」との実感が一貫ごとに完結する。
 「鮨とはなんと美味い料理なんだ」と、改めて思う。

 鮨のいくつかを。

【コハダ】
Shad

 〆すぎず、〆なさすぎず、いい塩梅の〆方。コハダの旨さがよく出ています。
 シンコは再来週からだそうです。この店はだいたい8月からは、秋までシンコが出ます。

【アジの炙り】
Mackerel

 アジは珍しく炙りで。
 炙ったことにより、食感のよさと香りが増し、これはまたアジが出たときに、〆ものに加えて頼みたくなるようなすぐれもの。

【雲丹】
Urchin_sushi

 小さな塔のような独特の雲丹軍艦巻き。
 倒れるか倒れないかのぎりぎりのバランスが面白い。

【中トロ】
Tsuna_sushi

 鮪が今が一番難しい時期なのだけど、十分に旨さが乗りまくった鮪であった。
 こういうのを仕入れるのも大変でしょうなあ。

【穴子】
Conger_sushi

 穴子は背と腹で2貫。
 ふんわりとやわらかく握られており、これは皿に載せられて出てきます。
 とろけるように柔らかい穴子が、シャリとともにふわふわと口になかにほどけていきます。
 こういうやわらかい穴子の鮨を出すためには、よく煮てやわらかくするのでは美味みが減るので、最初から柔らかい、質のよい穴子を仕入れるのが大事だそうです。


 さて、高名な陶芸作家中里隆氏の唐津焼の名品を多く置いている店内であるが、奥に紐飾りをした立派な木箱が置いてある。
 新しい器の気配がしたので、「それはなんでしょうか?」とたずねると、「見てみますか」と店主はうれしそうに言う。「是非にと」と答えると、中身は以下のものであった。

【ハブ酒】
Habusyu

 沖縄名物のハブ酒。
 大きなハブが、牙を生やした口を大きく開けております。迫力あります。壷か、大きな器と思ったのに、意外性十分。
 …しかし、下戸の店主がハブ酒を飲むわけもなく、なぜにここにあるのかと問うと、客からの預かりものとのこと。
 意味深な木箱に入れられたものゆえ、ついつい器が入ってると思ってしまったが、よく考えればああいう高級風な木箱は、酒が中に入っているのも定番だよなあとか思いつつ、ま、珍しいものを見せてもらった。

【銚子】
Ceramics

 珍しいものついでに、店の銚子のあれこれも写真紹介。
 中里隆氏の器はどれも独自の破格のある個性豊かなもので、この器に盛られた酒をぐいぐい飲んでいくのも安春計の楽しみなのだが、その器がどういうものであるかは適当にしか私は覚えていなかった。
 「コペンハーゲンの土で焼いたのが一番美しいと思います」とか私が言うと、いやいやどれもそれぞれの美しさがありますと、奥の戸棚から店主が銚子を取り出し、ずら~りと並べてみせてくれた。
 右上一番端がロイヤルコペンハーゲンの土で焼いた銚子。つやつやした輝きと気品が素晴らしい。(その右横にちょっと写っている白い猪口は、娘さんの花子さんが焼いたもの)。そして、唐津焼きの銚子の数々は、どれも陶器の柔らかさと暖かさをうまく表現したもので、「おれに酒を入れて飲んでみろよ」と語りだすかの雰囲気を持っている。いずれも、「人が使うことを求める」名品。

 安春計は、肴も鮨も酒も美味いけど、こういう陶器の話、それに仕入れ、仕込みの話を店主から聞いていると、舌にも耳にも手にも頭にも、楽しみがもたらされます。
 真の名店だと思います。

 ………………………
 安春計 福岡県福岡市中央区薬院1-6-28 TEL092-716-6688

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July 07, 2009

映画:スタートレック

 エンタープライズ号乗組員の主役たち、カーク艦長、スポック、マッコイらの、若き日の邂逅と成長を描いた映画。

 私たちには、宇宙に対する憧れがあり、宇宙を覗いて見たい、宇宙のなかに身を置きたいという願望を誰しも持っているのだが、我々の生きている時代には、その望みの一部をかなえてくれるであろう宇宙旅行は普遍的にはなりえず、宇宙に飛び立つことは一般人には無理である。ならば、せめてもの疑似体験として、映画館の大画面で、宇宙を感じたくなる。

 SFは米映画が主流となっており、宇宙を舞台にした映画は米国製のものばかりだが、そこでの映画は、宇宙を背景に使ったチャンバラ劇(スペースオペラというのが正しい言葉か)か、ホラーもの、サスペンズものばかりであって、「宇宙」を知ることのできる映画は、「2001年宇宙の旅」くらいしか、すぐれたものを私は知らなかった。

 しかし、スタートレックは、さすがに「2001年」ほどの傑作ではないが、それでも久しぶりに「宇宙」を堪能できた良作であったと思う。

 異空間から突如突き出てくる敵役宇宙船の禍々しい造形の迫力。宇宙空間の港に集う巨大な戦艦の規則的な配列。暗い宇宙に散らばる味方船の残骸。惑星を救うために一人小型宇宙船を駆る老スポックの孤独な姿。
 絶望的なまでに広大な宇宙空間のなかに、宇宙は謎をいくつも秘めていることを、次々に映像は語り、映画を見ていて、宇宙の魅力を十分に感じることができる。


 エリック・バナ演じる敵役の船長を葬り去り、物語の事件は一件落着となる。この事件の解決の功で、艦長となったカークは、スポック、マッコイらを引きつれ、エンタイープライズ号最初の航海へと出発する。
 その宇宙への旅立ちのシーン。未知なるものが無尽に存在している宇宙への探索、わくわくする高揚感を余韻に残し、映画は幕となる。

 いい映画であった。続編も計画されているようで、楽しみである。


 スタートレック 公式サイト

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July 06, 2009

読書:贖罪 湊かなえ(著)

 小学生の一人娘を殺された母親が、そのときに子供と一緒に遊んでいて、犯人を目撃したにもかかわらず犯人の似顔絵さえ作成できない友達四人に、「犯人がつかまらないのはあんたらのせいだ。あんた達を絶対に許さない。私に贖罪をしなさい。それが出来ないなら私があんた達に必ず復讐してやる」と逆恨みの呪いの言葉をかけ、その贖罪意識を背負って生きていかざるをえなかった四人の女性が、それぞれの人生を物語っていく形式の小説。

 語り手たちがそれぞれ背負う罪の意識は、かれらの人生を、その罪の意識に応じたものにねじ曲げていくわけだが、ねじ曲がった先はすべて悪い方向へ、破局へと向かっていってしまう。
 著者のデビュー作「告白」出てくる人物は、誰もが自分のことしか考えていない、非人間的で冷酷な者ばかりであったので、この小説でもそうかと思いきや、それほど人の道を外した者は出てこず、かえって自省というものを行うことのできる一般人を語り手として話が進むので、どうにも読んでて違和感を感じてしまう。

 女性たちの人生の破局は、逆恨み女の呪詛のせいであるが、小説が進むにつれ、子供が殺されたのが、逆恨み女に原因の全てがあることが判明し、それを知った逆恨み女が贖罪を行っていくところで、小説は終わりとなる。

 全体は暗いが、結末は妙に明るく、後味がよい。
 …湊かなえに期待する小説は、もっともっと暗く、後味の悪いものであるはずであり、こんなのは湊かなえの小説じゃねえよ、とか思ったのは私だけではないはず。

 ……………
 湊かなえ 贖罪

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July 02, 2009

和食(鮎料理) 由貴亭@延岡市

 日向灘には、大崩・祖母傾山系、九州脊梁山地の巨大な山塊を源流とする、幾本もの大きな川が注ぎ込んでおり、どの川にも鮎が泳いでいるのが自慢で、鮎はこの地を代表する魚となっている。
 延岡も鮎の名産地であり、6月の鮎漁解禁を迎え、市内の店々で鮎料理がならぶことになる。

 鮎という魚はこれだけ養殖技術が進歩した今でも、天然と養殖の違いが歴然とした魚であり、身と内臓と脂の香りと旨みを、鮎を食する醍醐味とするなら、天然ものを食わずして鮎を食ったということにならず、それゆえ、天然ものを常にきちんと出してくれる店は、鮎好きにとってはたまらない良店である。

 延岡には鮎が獲れる川が幾本もあり、そしてその日の天候の具合によって釣れる場所が変ってくるわけであるが、地元にはその日のコンディションによってどこで鮎がよく釣れるかを知り尽くした達人たちがいて、そういう達人たちによって、鮎や、ついでにいろいろな天然素材が市内の店に供給される。
 由貴亭の主人もその達人の域に近い人であり、店で供される鮎は、大部分が自分が獲ってきたものである。

【本日の鮎】
Sweetfish

 本日の鮎は五ヶ瀬川支流の見立川のもの。
 けっこう遠いところにある川だが、本日の天候からはこの川が狙い目であったそうだ。
 見た目も美しいが、香りもまた素晴らしい。

【鮎の塩焼き】
Baked_fishs

 鮎は、背越し、甘露煮、唐揚げ、さまざまな料理法があるけど、これほど塩焼きに尽きる素材もないように思える。
 焼き方も上手で、皮をぱきっと開いて、そこで立ち上る、清流のコケの香りの豊かなこと。
 ほくほくした身、香り高い皮と脂、ほろ苦くも香ばしいワタ、…6月はまだ成長が足りなかったが、7月になって鮎の美味さがぐぐんと増してきた。

【刺身盛り合わせ】
Rawfishs

 今日は鮎を目当てに行ったのであるが、肴で出てくる一品料理は、丁寧につくったものが多く、定番の手作りゴマ豆腐とか湯葉とか、店主の技術がしっかりしたものであることがよく分かる。
 この刺身の盛り合わせも、なかなかの素材を用いたもの。鰻の白焼きが出てくるのもいいじゃないですか。

【鮎】
Swiming_ayu

 カウンターの水槽には鮎が泳いでいる。
 これは活きつくり用というわけではなく、売り物ではない。店主が次に鮎の友釣りに行くときのための、おとり鮎というわけ。
 ここで鮎が泳いでいるときは、鮎のシーズンということが、すぐわかります。

 この店は鮎釣りの達人が集う店でもあり、私もせっかく延岡にいるのだから、一度はtryしてみませんかと誘われているが、…どう考えても卓越した技術のいる特殊な釣りに思え、いまだ行く気がしない。

 ……………………
 由貴亭  宮崎県延岡市安賀多町3丁目3-4  TEL 0982-22-9164


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