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June 08, 2009

私のおくりびと体験記

 映画「おくりびと」を観ていて、そういえば自分も、かれこれ20年近く前に似たようなことを体験したなあと思い出した。
 その当時、私は大きな造船所のある港町で働いていた。あの頃は、社会人なりたての見習だったので、祝日休日などなく、毎日早朝から深夜まで職場に泊り込みで働いており、そしてそれは、平穏な日曜日の午後に起きた。
 港に入ってきたタンカー船の事故である。機関室で作業をしていた人が、スクリューのシャフトに巻き込まれて、引き裂かれてしまい、バラバラになって死亡してしまった。タンカーの巨大なシャフトだったので、その破壊力はすさまじく、遺体は、バラバラというより、粉々とも言っていいまでに、肉と骨と内臓が100以上のパーツに分解された。その全パーツは、事故現場から陸上の作業小屋のようなところに移され、ブルーシートの上に置かれていた。

 医者と警察による検視が終わったのち、その凄惨な遺体は、船会社の人が引き取りにきたわけだが、その会社の責任者が、バラバラ粉々の遺体に対面して、卒倒寸前になり、とてもこの姿のままでは、遺族に会わせるわけにはいかない。なんとかしてくださいと泣きついてきた。

 泣きついてはきたものの、このあたりにはエンバーミングを行っている企業などなく、葬儀社に頼んでも、このようなとんでもない遺体は修復してくれないだろう。さて、困った。
 ところでその責任者が泣きついたのは、たまたま休日勤務をしていた私の上司であった。上司というものは常に理不尽でわがままな存在であるが、その理不尽さとわがままさを発揮して、職場で別の仕事をしていた私ともう一人の見習を呼びつけ、このバラバラの死体を見せ、これを組み合わせて、なんとか人間の形に戻せと要請した。
 私も、もう一人の見習も、この死体を見て、目が点になってしまった。これはすごい、こんなすさまじい死体は今まで見たことはないし、これからも見ることはないであろう、そう一目で確信した。じっさいこれ以後、こんな死体は見たことはない。

 それはそうと、我々は、エンバーミングの資格や経験があるわけでなし、また死体修復をする義理があるわけでもなく、この仕事は理不尽きわまりないものなのではあるが、上司の命令であるゆえ、やらねばならない。参ったな。

 上司は修復の方法として、「遺体はこのように縫うのだ」と言い、タコ糸とタタミ針を用いて、遺体の皮膚と筋肉をジグザグにハイスピードで縫っていくのを実践してみせた。こういうことまでやれるのか、芸の広い人だなあと感心はしたものの、上司は死体の縫合の基本法を見せたのち、あとは頼んだと言って、去ってしまった。

 さて、100近くある人体のパーツ。人体のパーツは、上下ならなんとか区別はつくが、左右のパーツは区別がつきにくい。腕らしき肉片が、左腕なのか、右腕なのか、容易には判別しがたい。仕方なく、わかりやすい部分をいくつか設置し、それに合うピースを当てはめ、ジグソーパズルのやり方でまずは全体を組み立てる計画にした。
 このピース当てはめを行ううち、だんだんと要領が分かってきて、なんとか作業は進み、人の形が現れてきた。それからタコ糸で各パーツを縫い合わせていった。
 この作業の途中、なにやら珍しいことが行われているらしいとの噂話を聞きつけた、休日出勤の者が何人か、作業場に訪れたが、みな、一目みて逃げて行ってしまった。ある一名などは、なにやら手伝いに来たみたいだったのだが、現場を見るなり気分不良になり、倒れる寸前にまでなって、あわてて外に追い出す羽目におちいった。(あの現場を見た瞬間、わなわなと震え、顔が真っ青になった姿は今も記憶に残っている。誰が依頼したのかは知らんが、女性をこういう場に寄こすのはどうかと思うなり)

 それやこれやで、4~5時間たって作業は終了。縫合が終わった遺体を、腕・脚・胴体、それぞれをぐるぐると包帯で巻き、なんとか人に見える姿まで修復を行った。上司に、終わりましたよと連絡し、我々は退散。あとは葬儀社の人が、棺に納めたのでしょう。

 日曜の午後、本来の業務とまったく違うことを、えんえんとやらされてしまった。しかも、私は見習いゆえ、まったくの無給のボランティアである。少々の不満を覚え、後日上司に、「そういえば、あの遺体修復の件、むこうの会社の責任者、なんか礼には来ましたか」と聞くと、「そういえば、礼もなにもなかったなあ」と、とぼけた返事。大企業の船会社のくせに、なんたる不誠実。今は大赤字でつぶれる寸前みたいだが、つぶれて当然の会社だわい。

 そういうわけで、不愉快な思い出ゆえ、思い出したくもないので、すっかり忘れていたが、「おくりびと」のせいで思い出した。

 それで、今思うに、向こうの会社の責任者はろくでもないやつだったが、とにかく我々は、遺族に対しては、とても良いことをしたのだなと知った。あのとき遺体修復は、状況からすると、我々がするしかなかった。遺体修復の技術など持っていなかったが、それでも懸命に修復を行い、遺族が対面すると、ひどいショックを与えるに違いなかった元の遺体を、なんとか人様が見ることができる遺体にまで戻すことができた。それは、遺族に対して、大きな貢献であったことは間違いない。
 遺族は、遺体修復は、葬儀社の業者がしたくらいに思ってたであろうが、じつは、葬儀社とまったく関係のない、無給の見習いがボランティアで行っていたのである。

 人生で、たいした悪行も行っていないかわり、たいした善行も行っていない私であるが、この遺体修復の件は、文句なしの善行と思う。
 神もあの世も信じていないが、もしそういうものがあったとして、死ののち、天国と地獄の分かれ道で待っている神が「汝の行った善行を述べよ」と問うたなら、この遺体修復の件くらいは、我が善行として答えていいんじゃないでしょうか。

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