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May 2009の記事

May 30, 2009

寿司:鮨匠のむら@開店10周年

 霧島登山ののちは「のむら」で食事。
 「のむら」のお任せコースは結構な量があり、それに酒もどんどん出てくるので、(というか私が頼むのでどんどん出てくるわけだが)、これを存分に楽しむためには、しっかりとした前準備が必要だ。今日は、飲まず食わずで韓国岳に登ってきたので、準備は万端。出るもの、いくらでも食えるモードに突入している。

【トコロテン】
Gel_jelly

 突き出しは、「ところてん」から。季節は夏を迎えようとしているのだなあ。
 この店の「ところてん」は、歯ごたえがよく、風味も確か。ところてんって、出汁の味しかしないものだと思っていたけど、この店のように良いところてんは、海そのものを、食べていて感じることができます。


 肴は、メイチダイ、汐子(カンパチ若魚)、アジ、ゴマサバ、茹でダコ、ハガツオ、アワビ、焼きキビナゴ、ヨコワ、ヨコワ炙り、アカウニ、茶碗蒸し、などなど。

【造り メイチダイ】
Raw_fish

 造りの最初はメイチダイから。いつもながら、見事な切りつけです。
 身は、弾力よく、おとなしくも滋味豊か。

【造り ゴマサバ】
Mackrel

 マサバの季節は終わったけど、ゴマサバは今が美味しいものが食べられます。
 屋久島名物の首折れサバ。ゴマサバはマサバより一ランク落ちるように思われているけど、良いゴマサバを、ただちに処理したものは、本当の味が残っており、はなはだ美味。マサバで得られない、筋肉質のぷりぷりした食感も非常によろしい。

【アカウニ】
Sea_urchin

 のむら名物のアカウニ。
 5月頃から出て、10月で終いとなるアカウニであるが、毎月来ると、繊細で淡い味のウニが、季節を深めるごとに濃厚で甘くなっていくことがわかって面白い。季節それぞれに、独自の味わいがあり、それぞれに良さがある。

 鮨は、イカ、白身、アジ、ヨコワヅケ、海老、コハダ、アワビなどなど。小ぶりなシャリに、絶妙の仕事がなされたネタが乗り、ここでしか食べられない「のむらの寿司」が次々に出てきます。酒が進みすぎる欠点はあれど、いつもながらたいへんに美味しい寿司。

【太刀魚の寿司】
Sord_fish


 〆は店の看板メニュー、太刀魚のハラミの炙り。
 爽やかでいながら、深く、豊かに広がる、太刀魚の脂の旨さがたまりません。

 さんざん飲んで、さんざん食って、本日も存分に、のむらを堪能させていただきました。

 なお、本日は「のむら」が今の店で開店して10年目とのこと。20年近く前は、もう少し繁華街に近いところで営業していたのだが、考えることあって、少し不便なこの地に店を移したそうだ。
 常連客から、花束のプレゼントあり。
 美味い店は貴重であり、このあと10年後、20年後も、私は訪れたいものだ。

【ピンとがずれてしまったが、花束贈呈のシーン】
Bunch_of_flowers


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登山:韓国岳 ミヤマキリシマ

 5月下旬から6月中旬にかけて、九州の山ではミヤマキリシマが開花の時期を迎える。
 ミヤマキリシマは、硫黄の臭いのする、火山の煙が漂ってくるところでしか花をつけない植物である。山頂近くでは、硫黄の濃度が高くなるみたいで、そんな過酷な環境では他に育つ樹々とて少なく、岩肌一面にミヤマキリシマのみが群生して、それが、いっせいにピンクの花を咲かせるさまは、山がピンクに発火したような華やかさがあり、この季節のたびに、その華やかさを求め山に登ることになる。

 ミヤマキリシマの九州での開花の順は、南からであり、霧島→九重→雲仙の順に開花していく。5月下旬においては、まずは霧島が満開の時期を迎えているであろうから、霧島に行くことにする。

 えびの高原の「つつじヶ丘」では、ミヤマキリシマは既に満開であり、丘全体がピンクに染まり、たいそうきれいであった。観光客も多く、道のわきは駐車している車がいっぱいだ。
 この満開の花を見て、それで満足してもいいわけだが、ミヤマキリシマ(深山霧島)は、名前の通り山の中にあってこそその存在感を際立たせる花であり、予定通りに韓国岳に向かう。

 えびの高原から直接韓国岳に登るルートは、途中でのミヤマキリシマの量が少ないので、いったん下って、よりミヤマキリシマを楽しめる大浪池ルートで登ってみた。

【大浪池】
Onami_pond

 登山口から登ること30分ほどして大浪池に到着。見ての通りの、まん丸い元噴火口である。
 さて、ここで問題発生。韓国岳は、この池を半周ぐるりと回って、その先にあるのだけど、そこには霧がかかっており、正面にあるべきはずの姿が見えない。「霧島」という名前が示すとおり、この山系は霧がかかること多き山であり、霧がかかることはべつだん珍しいことでもないのだが、霧の中の登山って、あんまり面白いものではないんだよなあ。登山のモチベーションが落ちてしまう。
 ま、今回はミヤマキリシマが目当てなので、気にせず登山を続けることにする。

【大浪池登山道】
Flowers

 大浪池を巡る登山道。
 植生は豊かであり、照葉樹に交じって、ミヤマキリシマとミツバツツジがピンクと赤の花を咲かせており、互いに色が映えている。

【韓国岳登山道】
Kirisimas_azelea

 大浪池を半周まわって、それからいったん下りてから、韓国岳登山口に到る。そこからは、木製の階段が設置された、よく整備された登山道を行くことになる。
 七合目を超えたあたりから、植生はミヤマキリシマ優位となる。まだ三分咲きくらいで、蕾のほうが目立っている。
 あと1~2週間くらいしてからが、山頂近傍のミヤマキリシマの開花のピークであろう。

【韓国岳山頂】
Karakuni_summit

 霧の中を黙々と登って行き、霧を透かして山頂の標識がぼんやり見えてきて、しばらく歩くうち、あっさりと山頂着。
 当たり前のことながら、霧だらけで、遠景はまったく望めず。山頂から覗きこめるはずの、旧噴火口も、霧で埋まっていた。
 とりあえず頂上着の写真は撮ってはみたものの、光が乏しいせいで、モノクロ写真みたいだなあ。

 あとは、また黙々と来た道を引き返すのみ。
 この登山道の下りは、霧や雨のときは、急な木製の階段がたいへん滑りやすく、視界が悪いことも相まって、難易度の高い道と化す。私は幾度も、この階段でつるりとこけて、ずでででんと落ちていく人を見たことがあるが、幸いそのようなミスはおかすことはなく、無事に登山口に着。

 さて、朝・昼と何も食わずに山に登ったせいで、けっこう腹が減った。
 これから鹿児島市へと行き、「鮨匠のむら」で、がっつりと美味いものを食い、美味い酒をぐいぐいと飲むことにしよう。

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May 23, 2009

サイクリング 延岡北海岸

 宮崎県北の海岸線は複雑で変化に富んでおり、風景として特徴あるものになっている。
 眺めていて楽しい海岸線であり、いく度も訪れたくなる地である。ただし自転車で行くとアップダウンが激しい道が続くため、相当にきついのが難ではある。
 難ではあるが、あの美しい海岸線を見ながらのサイクリングは、きつくとも魅力的であり、天気もいいこともあって、出かけてみた。

【常夜灯】
Light_tower

 県道388号線を北上し、川島町でリアスラインと別れて右に曲がって212号線に入り、そこからは平坦な海岸線を行く。右手は延岡港であり、港の入り口付近に、「常夜灯」なる、江戸時代に作られた夜通し灯りをともしていた灯台が立っている。延岡って、旭化成が来てから町として成り立ったくらいに思っていたけど、それよりもはるかに古い時代から、重要な港町として成立していたんだなと、ちょいと感心。も少し詳しく、当地の歴史について勉強してみる気になった。

【海岸線の道】
Seaside_way

 港沿いの道を突き詰めると、半島部に到り、道は高度を上げてい、側は海である崖に刻まれた道を行くことになる。県北の海岸線は、このパターンばかりだ。適度なアップダウンを繰り返して徐々に高度が上がっていったのち、道は一挙に下りに入り、海を横目に見ながら自転車を漕いでいくうち、小さな港に到達。

【安井町漁港】
Small_port_3

 ここできつい道が終わりということではなく、向こうの山に刻まれた道をまた登り返さねばならないのは、県北の海岸線のルートのいつものパターンである。
 ある程度行ったのち、道は海岸線から離れ、山の中に突入。えんえんと続く坂を登るうちに、ようやく名もなき峠に着き、そこからは一挙に下り、ここから先はきついところはない。
 あとはお気楽ロードを辿って、戻るのみ。

【田植えの準備】
White_egret

 道の途中、少し面白い風景あり。
 田植えを控え、耕運機で田を整備しているのだけど、そのはずれに白鷺が幾羽も集い、餌をついばんでいる。耕運機で田を攪拌したときに、小魚や虫のたぐいが掘り出され、それを食べるために集まっているんでしょうな。
「ゴンベが種撒きゃ、カラスがほじくる」という童謡があるけど、べつだん種撒かなくとも、田あるいは畑を耕すだけで、鳥は集まってくるわけです。
 季節はもう少しすると梅雨を迎え、それに備えての田植えの準備。
 自転車でうろちょろすると、季節の推移を、五感全てに鋭敏に感じることができます。これも、自転車の楽しみの一つです。

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May 20, 2009

5月の光洋

 光洋に鮨を食いに行く。最初はコハダから。
 コハダは浅く〆たものと、〆てじっくり寝かせたものなどを食べ比べ。コハダは〆ることにより旨味がぐっと増し、噛むごとにコハダと酢と塩が一体化した、コハダ独自の玄妙なる味が口の中に広がるわけで、それがコハダを食べるキモの一つなのだが、コハダそのものが良いと、浅く〆たものでも、コハダの脂のそこはかとない甘さがより分かり、これはこれでじつに美味いと思う。

【コハダ:浅〆が笊のもの。平皿にはじっくり寝かせたもの。】
Kohada

 コハダを堪能したのち、光りものを連続で、サバ、アジ、イワシともらう。光りものは、少々素材が悪くても、上手く〆ればあんがい食べられる鮨に仕上がるわけで、そういう鮨を近頃近所で食べてそれなりに満足しているが、やはりモノが良ければ、鮨のレベルは格段に上がるなあ。どれもこれも、口の中でとろけゆく食感と、素材の旨さをより高める〆方が見事。

 さて、本日は常連W氏がカウンター隣に座られた。
 美味いものを求め全国を訪ね歩くW氏は、宮崎市でも美味いものを食いたいと願い、店主がデビューして以来、「もっといいものを出せ。なければ探せ。値段が張っても自分がちゃんと食う」と、店主を鍛え、地元での一流店に育てあげた功労者の一人である。(このような人がいるおかげで、私などが美味いものでありつけるわけで、ありがたいことだ。)
 そのW氏、「九州ではいいアワビが食べられない。宮崎でも銀座に負けないアワビを一回くらいは取り寄せて、築地の業者を驚かせてやろうではないか」とのアワビ大作戦を練っている。たしかに、銀座の鮨屋では、神社の社宝のように、大きな鏡のようなアワビが調理場に飾ってあるのを見かけるけど、あれは九州ではみない光景だな。あのサイズのアワビが九州に来ないのは、要は高いからであって、業者の言い値で買えば手に入れるのは可能。あとはそれを食う客がいるかどうかだが、それはW氏が責任をもって集めるそうだ。W氏を含め、この店の常連は濃い人が多いから、それは十分に可能であると思われる。というわけで、初夏の旬を迎え、光洋では幻のアワビである、「大原のマダカアワビ」Get計画が始動となった。もし入荷できれば私にも連絡を頂けるそうで、それは楽しみだ。…私も濃い人のようである。

 光洋では、アワビGet計画と並行して、店主のダイエット大作戦も進行中。
 店主のメタボ体型は、フランス料理のシェフならばっちり決まっているが、鮨屋では無理がありますよ。鮨屋の店主の理想の体型は、水谷さんみたいなので、ああいう古武士みたいな人が握った鮨のほうが、明らかに凄味があるでしょう、などと私は店主に言っていたのだが、まあ私が言ったからというわけでもなしに、なにか決心することがあったようで、今年からダイエット開始、だいぶとスリムになってきている。私は1か月ごとくらいのペースでしか来ていないので、その痩せかたがよく分かります。ぐん・ぐん・といった感じのハイペースの痩せかたであり、人間まじめにダイエットに取り組むと、きちんと痩せるんだなあと感心。
 とはいえ、まだまだ水谷さんの域には達していない。精進を続け、名人水谷さんに追いつけ、追い越そう。体型も、そして鮨の腕も。などと勝手なことを書いておく。

【参考までに、水谷八郎氏】
Mizutani_7


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May 18, 2009

映画:ワルキューレ

 トム・クルーズ演ずるところの傷痍軍人、隻眼隻腕の陸軍大佐がリーダーとなって、戦争末期に企てたヒットラー暗殺計画の実話の映画化である。
 この手のものは、ドゴール大統領暗殺計画を描いた「ジャッカルの日」なんかが同様であったのだが、失敗したと分かっている暗殺計画なので、成功するかどうかのドキドキ感を映画をみているときは感じることができず、「どうして失敗したのか?」という理由を各場面で考える必要があり、ミステリでいうところの叙述形式で映画をみることになる。

 その暗殺計画。
 ヒットラーの暗殺を企てた集団は、国防軍幹部、有力政治家、高級官僚などが数多くメンバーとなっており、実力も頭脳もあったはずだが、この集団、口は出すけど手は出さない、やる気はあれど実行は躊躇するという、優柔不断な者の集まりであり、計画遂行力に欠けている。その欠点を補うために、統率力・実行力のあるトム・クルーズ大佐が指揮官に選ばれ、そのリーダーシップのもと、ヒットラー暗殺およびクーデター計画である「ワルキューレ作戦」が始動する。
 なんのかんのいっても、長い時間をかけて練り上げられた作戦であり、武装兵力である予備兵も傘下に収めていたため、最初のうちは計画書とおりに作戦は進み、いったんは政権掌握に成功するのであるが、いろいろと詰めが甘くて、最終的にはみじめな失敗に終わってしまう。

 …という物語が淡々と描かれております。

 誰もがそこそこに有能であり、そこそこに無能であり、そういう普通の人たちが、歴史の歯車のなかで、己の演じるべき役割を果たし、去っていく、それを描いた叙事史としかいいようがない映画だな。
 もう少し、実行役の大佐を英雄的に表現するとか、敵役のヒットラーを怪物的に描くとかすれば、映画としては面白くなった気がしないでもないが、現実がそういうものであったから仕方ないのではあろう。

 ノンフィクション映画として映像的に優れており、歴史好きの者からすれば、十分に楽しめた映画ではあったが。

 
 ワルキューレ 公式サイト


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ワルキューレ雑感 「独裁国家とヒットラーの異常性について」

 私はアニメでいうところのヤマトやガンダム世代である。これらは面白いアニメであり、大変な人気も博したのではあるが、あのアニメをみると、世間一般には「独裁国家」に対して、妙な誤解が広まっていることが分かる。デスラー総統率いるガミラス帝国も、ギレン・ザビ総帥率いるジオン公国も、よく訓練され、整備も最新である軍隊を持っており、戦争初期に主人公サイドの国家を圧倒する。「独裁国家」は軍事的に強い、という思い込みから、このような描写がされているのであろうが …これはウソである。

 独裁国家は弱いのだ。

 それこそアレキサンダーやカエサルの時代のように、軍事と政治が一体化した国家運営が可能な時代ならいざしらず、政治と軍事が分化して国家が機能する近代においては、独裁国家は、軍事において致命的な欠陥を持つ政治形態となっている。

 国家においては、軍隊というものは常に第二国家というべき存在であり、それ独自で機能することができる。というより独自で機能できる仕組みがないと、軍隊として存在しえない。この特徴により、軍隊は、第一国家に成りかわる可能性を常に持っている。
 軍隊が国家本体を乗っ取ることをクーデターと呼ぶが、これを予防するため近代国家はいろいろなシステムを採用している。そのうち一番汎用されているのは、権力の分散である。短期間で権力中枢を乗っ取られるような政治形態を採用していなければ、クーデターが成功する可能性は非常に低い。たとえば日本においても、東京を自衛隊が占拠したところで、一時的な「東京国」ができるだけであり、日本国は転覆しない。
 しかし権力を集中させた中央集権国家では、中枢を軍隊に攻撃されては、一挙にクーデターが成功してしまう。そして独裁国家とは、中央集権が究極まで行き着いた国家形態であり、まさにクーデターのためにあるような政体なのだ。
 それゆえ独裁国家は、常にクーデターの危機を内包しており、独裁者はその対策を考案する必要がある。
 考案する必要がある、…とは書いたものの、対策はたいてい一つである。
 「クーデターを起こす力を持たないように、軍隊を弱体化させる」。これに尽きる。

 だから独裁政権が成立したら、独裁者はまず最初に軍隊の「粛清」を行う。クーデターを起こす能力のある者を軍隊から排除することにより、軍隊の政権に対する牙を抜いてしまうのだ。ただしクーデターを起こす能力のある者は、当たり前のことながら軍事的に有能な人でもあり、そのような人達を排除すれば当然軍隊の軍事的能力も落ちてしまう。
 これがゆえに、独裁国家は弱くなる。

 代表的独裁国家である、スターリンのソビエト連邦も、毛沢東の中華人民共和国も、政権成立および維持の際は、徹底的に軍部の首脳陣を粛清している。それゆえ二次大戦初期の独ソ戦時は、ソビエト赤軍はあまりに弱く、ドイツ国防軍にやられっぱなしだったのは有名な話で、あわてたスターリンは、粛清して僻地に追いやっていた将軍たちを、早急に呼び戻して戦線を立てなおした。それにより東部戦線は、なんとかまともな戦争を行えるようになった。
 現代の代表的独裁国家は北朝鮮ということになろうが、あの国も金日成時代に軍に対して徹底した粛清を行っているし、今も軍隊は粛清の圧力を受けており、統一した軍隊として機能できないようになっている。ゆえに、いくら核実験をやろうが、ミサイルを持とうが、北朝鮮は弱いのである。これは断言できる。

 その弱いはずである独裁国家の例外が、ヒットラーの第三帝国である。第三帝国の国防軍は強かった。ヨーロッパにおいては、文句なしに最強の存在であった。
 では、なぜ国防軍が強かったかというと、ヒットラーは独裁国家のくせに、軍隊を従わせるための必須の項目である軍隊首脳の粛清を行わなかったからだ。そのため、ナチス政権成立後も、国防軍は以前からの強さを維持することができた。
 ヒットラーがなぜ国防軍に対して粛清を行わなかったかといえば、ナチスの大もとの構想である東部への侵略のためには、軍隊を弱体化させるようなことは、絶対にしてはいけないことであったからだ。軍隊の力を維持する方針が功を奏して、第三帝国は一時的にヨーロッパをほぼ支配することができたわけだが、もちろんこの方針は諸刃の剣となる。

 有能な軍隊は、クーデターを起こす危険が常にあるのだ。

 実際に、ヒットラーほどクーデターを企てられた人物はいないし、またこれほど暗殺計画が立てられた人物もいない。
 ナチス政権樹立後の、すぐの大事件ラインランド進駐において、そんな行動が成功するはずはないと軍部は考え、クーデター発動寸前までになっていた。その後の1938年のズデードン併合事件の際も、軍部はクーデター計画を練っていた。その時のメンバーはそのまま活動を続け、ついに映画で描かれた1944年7月のワルキューレ作戦を起こすことになる。

 こんなに長年にわたり、軍隊には反ヒットラーの活動を行う有力なグループがあったのに、ヒットラーは実際に暗殺計画が実行されるまで、彼らの排除は行わなかった。ある意味まぬけで、迂闊な話に思えるが、ヒットラーは我が身の危険を冒してでも、軍隊の力を維持したかったのである。

 ベルリンの塹壕で自死を遂げるまでヒットラーが暗殺されなかったのには、理由はない。
 ただ運が良かっただけの話であり、一歩間違えば、いつ殺されても全くおかしくなかった。
 歴史というものは、たまにそういうことをする。
 1944年の大本営爆発の時、九死に一生を得たヒットラーは「自分が神より使命を授かった人間ということを確信した」と述べた。神がいるとして、その神はヒットラーにドイツを完膚なきまでに壊滅させるまで、寿命を与えた。歴史という名前の神は常に気紛れで残酷だが、その神は、ドイツにとっては、とりわけ迷惑極まりない、過酷で残忍な存在であったことは間違いない。

 歴史上独裁者は数多く現れたが、ヒットラーは、その誰にも似ていない。
 ヒットラーは権力をこよなく愛し、また権力の行使を愛したが、その権力の行使者である自分に対しては、驚くほど無防備で、価値を認めていないようだ。
 巨大な権力者には、その性癖がどうであろうが、独自の豊かな生活というものがあり、その人間の幅を広げるなり、特徴づけているのであるが、ヒットラーにはまったく生活感というものがない。その生活は空虚であり、人間そのものも空虚感が満ちている。ヒットラーは権力を、自分の生活を豊かにするためにはまったく用いなかったが、もとより自分にそんな価値を認めていなかったのだろう。暗殺も覚悟のうえで生き、そして暗殺がついに為されなかったあとは、当然の結末のように、ゴミをゴミ箱に捨てるかのような気楽さで、自分の頭を拳銃で砕いて、すべての幕を引いた。
 このような、ドストエフスキーの小説に出てくるような人物は、歴史では一人しか現れなかった。

 達成すべき目的を持ち、かつ無私の精神を貫いている政治家は、魅力的な存在である。
 ヒットラーはそのような政治家であった。
 しかし、その目的はあまりにも人道に外れたものであり、無私の精神はかえって、その誤った目的を肥大化させることになってしまった。ヒットラーは残念ながら、きわめて有能な政治家であったため、巨大な目的をほぼ達成することに成功し、ヨーロッパは灰塵に帰す寸前まで破壊された。

 ヒットラーのような人物は、19世紀に、次世代に現れるべき怪物として、ニーチェやドストエフスキーが出現を予言していたとはいえ、歴史上の稀有の存在であろう。ニーチェもドストエフスキーも、虚無主義を体現化した人物の圧倒的な魅力と、その存在が具現化したときの、帰結すべき無為性を、その著作で緻密に描いたが、そのあまりに現実的描写にもかかわらず、当時はそれを夢物語としか誰も思わなかった。しかし一世紀もたたぬうちそういう人物が現実に現れ、その人物の為した途轍もない災厄を、我々は歴史の物語として得てしまった。
 
 このような人物が、もはや二度と歴史の舞台に現れることがないことを、せつに願う。

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May 10, 2009

登山 5月の大崩山@延岡

 5月初旬は祖母傾大崩山系で、アケボノツツジが咲いている時期なのであるが、ドタバタしているうちに5月も中旬となりそうだ。今のうち登らないと花が全部散ってしまうだろうから、大崩山に登ることにする。
 祝子川登山口より登山を始めること10分、今日がとても暑いことに気づく。歩いても歩いても、まわりに生あたたかい空気がまとわりつき、汗がだらだらと出てくる。こりゃ5月の気温じゃないぞ。(あとでニュースをみると、本日は最高気温が30度を超える真夏日だったそうだ)登山の大敵は暑さである。暑さは体力と気力を奪い、登山の楽しみをおおいに減じてしまう。そういうわけで、こりゃたまらんと暑さにめげて帰ってもいいのだが、大崩山は逃げないけど、アケボノツツジは逃げる。今日は、今年のラストチャンスであろうから、しょうがなく、あづい、あづいとわめきながら、てくてくと登っていった。

【小積ダキ】
River_view

 登山ルートは登りを「わく塚コース」にとる。このコース、祝子川を徒渉してから始まるが、そのときに広がる光景はじつに素晴らしい。誰しも初めてここに立つと、この風景にたまげます。白く輝く巨大な花崗岩の岩の塔が、突兀と、蒼天に向かい聳え立っている。この岩塔の名前は、「小積ダキ」といい、登山のコース中、頂に登ることができます。

 なお、今日は空気が少々霞んでいて、小積ダキが少しぼやけている。
 4年前に登ったときは、空気が澄んでいて、小積ダキの絶景がよりはっきりと見えたので、参考までにその写真も載せてみる。凄いっす。

【小積ダキ 4年前】
Ozumidaki2


【徒渉部の橋】
Bridge

 先の写真にも小さく写っているけど、大崩山登山最初の難関の金属製の橋。けっこうぐらぐらして、足場が悪く、初級者とかには渡るにはちょいと厳しい。数年前は、これは丸太の橋で、もっと恐かった。
 それより前の20数年前は、大崩山登山道は梯子やロープが少なく、技術と根性で登るアスレチックフィールド的な山であり、山慣れした人しか来ない山であったのだが、近頃は整備も進みだいぶ登りやすくなっている。
 もっとも、山のつくり自体が険しいので、今でも九州では一番ハードな山であろう。

【稜線で見る下わく塚】
Sodedaki

 山の中に入り、日陰になっても相変わらず暑い。あづい、あづいと、なおもわめきながら急坂を登っていくうち、稜線上に出る。さすがに風が吹き、暑さは一段落。
 ここからの眺めが、また素晴らしい。大崩山は花崗岩で出来た山であり、稜線もずっと花崗岩の岩肌が露出している。その稜線に、3つ大きな岩の塊が突き出ており、それぞれが「下・中・上わく塚」と名付けられ、これらを巡っていくことになる。

【アケボノツツジ】
Dawn_azalea

 下わく塚へ向かうところで、本日お目当ての、満開のアケボノツツジを発見。
 ピンクの大きな花が、まるで灯りを点すかのように、木の枝に何百も咲き誇り、大きな燭台のようになって、周囲にピンクの色をまき散らしている。この木が今日見たアケボノツツジのうち、最も立派なものであった。たぶん誰しもそう思うようで、この木は登山道から少し離れたところに立っていたが、そこに向かう道が専用にできていた。まさに、「桃李言わざれども下おのずから蹊を成す」の格言を、地で行く木である。
 アケボノツツジは標高の高いところでしか花をつけないので、登山者のみ御用達のような花であり、このような美しい花を見るだけでも、大崩山登山の価値はありますな。

【下わく塚】
Simowaku_2

 下わく塚からの眺望。向こうに桑原山が見えます。
 下わく塚から中わく塚は、花崗岩の痩せた稜線を歩くことになり、高度感抜群。このコースで一番楽しく、また眺めもいいところで、文句なしのハイライト。

【中わく塚】
Nakawaku

 中わく塚から見る上わく塚の光景。
 中わく塚から上わく塚へは稜線が切れ落ちて、キレットとなっており、ここを直接渡って行くのは不可能。ロープ持って行って、支点つくって懸垂すれば行けるかもしれないが、そういう人は見たことない。
 それで、ここからは下に大きくいったん下り、また登り返すことになる。かなりの距離を下るので、初めてのときなどは、道を間違っていないかと不安になったりします。

【(たぶん)ホシガラス】
Star_crow

 その上わく塚へ向かう途中、妙に甲高い声でカラスが鳴いている。変なカラスがいるもんだと、鳴き声の方向を見ると、小柄なカラスがいて、どうもホシガラスのようだ。長野の山ではいくらでもみるホシガラスだけど、九州で見るのは初めだなあ。というか、ホシガラスって九州にいるんだったっけ? でも、尾の白いカラスなんてホシガラスしかいないだろうから、ホシガラスではあろう。あとできちんと調べようと写真に撮ってはみたが、遠くてよく分からん。

【上わく塚】
Kamiwaku

 上わく塚は、3つのわく塚の中では登るのがやや困難で、ちょっとした岩のテクニックがいる。
 以前はここを直登するときは、右側の岩角沿いによじ登るルートで登っていたけど、いつのまにかチムニー(岩溝)に梯子とロープがかけられた直登ルートができている。これは便利だ。さっそくここを登ってみる。

【チムニー出口】
Kamiwaku2

 このチムニー、最後に抜けるところは、チョックストーンがはまっており、トンネル状になっている。これをくぐらないと抜けられないのだが、相当な狭さであり、ザックかついでいると通過するのは無理だ。ここでザックをおろすには、ロープから手を離し、不安定な足場で足を岩溝にはめこんで体を固定して、ザックをおろさないといけない。そんな危ないことを敢えてする理由もないので、おとなしく引き返す。
 あの穴くぐるのは、空身でもいやなので(汚れそうだ)、巻き道使って上に登ってみた。

【チムニー出口2】
Kamiwaku3

 上方からさっきのルートを見おろしてみる。矢印が出口の穴だが、ここから降りる気もまったくしない。使い道の難しい、新ルートである。誰か使ってた人いました?

【七日廻りの岩】
Seven_days_hill

 上わく塚に登ると、ここでのみ、大崩山名物の奇岩「七日廻り岩」を見ることができる。原生林のなかに、にょっきりと一本だけ生えたキャラメルブロック様の岩の塔。かなりの昔、修験僧がこの岩に登ろうと7日まわりとぐるぐる廻ったけど、登る道を見つけられなかったため、そう名付けらたという謂われがあるが、昔の(今も)修験僧の山登りのテクニックはたいしたものゆえ、そんなことがあろうはずなく、たんなる伝説であろう。

 上わく塚を超えから稜線は花崗岩から離れ、クマザサの茂る道となる。ずっと登っていくと大崩山山頂に着くのだが、これが面白くもない道で、山頂もまったく眺望が利かないこともあり、山頂へは向かわず、リンドウの丘経由で坊主尾根より下山することにする。
 大崩山は九州本土で一番美しい山だと思うけど、山頂だけは、魅力に乏しい。一度登れば十分という気がする。じっさいに一回登ってしまえば、次からは山頂をカットするルートを選ぶ人が多い。

【リンドウの丘より】
Rindou

 展望のテラス、リンドウの丘よりわく塚稜線を眺める。
 あの変化に富んだ稜線を歩いてきたのだなあ。

【象岩】
Elephant_way

 登山口より歩くこと3時間半にて、あの高く聳え立っていた小積ダキ頂上に着。
 ここからの眺望はもちろん素晴らしい。右手には、大崩山名物「象岩」が見える。見ての通り、象の形をした岩で、この下にトラバースの登山道が刻まれている。ちょうど2名が下山中である。このトラバースルートは一枚岩の上にあり、落ちるとまず命はないという道だが、ワイヤーやステップもあってよく整備されており、ここから落ちた人の話は聞いたことがない。ただし、通過時は細心の注意が必要であって、ゆっくりと進まねばならず、シーズン中などは、ここでよく渋滞が起きる。

【参考:4年前の渋滞のシーン】
Elephanto_rock


【坊主岩】
Closecropped_head_rock

 「坊主尾根」という名前は、途中にあるこの特徴ある形態をした「坊主岩」から名付けらている。この岩は、他に「米塚」という異名も持つが、見ての通り、そういう形の岩だ。
 坊主岩はつるつるの花崗岩のスラブであり、これに登るのはまず無理であろうが、登ろうとした人がいたみたいで、よく見ると、岩肌に一列リングボルトが打たれている。

【リングボルト】
Pinn

 まともな手がかりも足がかりもないし、規則正しいピンの打ち方からは、アブミかけての人工登攀で登ったのでしょうな。いったいいかなる人がこんな山奥の岩で登攀を試みたのであろうか。
 下山して、大崩山の登山基地みたいなところである温泉館「美人の湯」の管理人さんに聞いてみたが、「10年以上前からボルトはあるけど、どのグループが整備したとかは知らないなあ」とのこと。「あそこは目立つところだから、登ると顰蹙ものなので、登ってはいけませんよ」と言われたが、こんな腐りかけたボルトに命預けて登る度胸など私にはありませんって。

 坊主尾根は、よくもこんな険しく急峻な痩せ尾根にルートを作ったものだと感心するようなルートであるが、そのずっと続く急坂にうんざりするうちに、沢の水音が聞こえだすと、ようやく道はゆるやかになり、そうするうちに祝子川に出て、登山口へと到着。

 4年ぶりに登った大崩山。
 やはり素晴らしい山である。近くに住んでいることから、緑あふれる初夏、紅葉の秋、雪と氷の冬に、また登りに来よう。

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おまけ。

 大崩山の山頂は魅力には乏しいけど、一度は頂点には登るべきなので、ピークハントの意味で登る価値はある。
 しかし、大崩山の山頂にはちょっとして仕掛けがあり、それには留意する必要あり。
 大崩山は、以前は標高1643mの山だったが、2004年に標高が改定され、1644mとなっている。2004年は、全国的に山の標高の見直しがされ、今までは三角点の位置がその山の標高とされていたのだが、実際に一番高いところを山の標高としようという方針のもとに、全国の山が測定されなおされ、その結果、九州では傾山と大崩山の標高が変更になった。
 これは九州の、(おそらくは全国でも)、山好きの人に話題となり、真の山頂getを目指し、登りなおしたモノ好きが、けっこういたりする。(祖母山九合目小屋の宴会で、よく話題になりました)

【大崩山山頂】
Sumitt

 これは4年前の写真である。標高1644mと書いているけど、当然変更後に書き直しているのだ。写真で見える標識の下の三角点は、もはや山頂でなく、真の山頂はその左横の、赤矢印をつけた1mほどの高さの岩である。
 それで、大崩山に登頂するには、この岩に登って、初めて達成したことになる。

【真の山頂】
Sumitt2

 というわけで、面白くもなき大崩山の山頂に、真に登るには、この岩に登る必要あり。
 これは、大崩山の標高が変更になったと聞き、わざわざ登った、モノ好きな者の、足の写真である。
 ただし、山頂まで来て疲れた身で、この足場が安定しているとは言い難い岩に登るのは、他の登山者には、全く勧めません。1mほどの高さの岩ですので、手でタッチでもすれば、真の登頂を触ったことになりますので、それで山頂Get完了と思いますので、それを勧めます。

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May 09, 2009

登山 行縢山@延岡

 延岡市からはたくさんの山が見えるのであるが、そのなかでも行縢山は特徴的な山の形で、とくに目をひく山である。行縢山は山容が面白いことのみならず、古い歴史を持つ山ということでも有名だ。なにしろ日本書紀の最初の方の、ヤマトタケルの物語の舞台となっており、ヤマトタケルが女装して討った熊襲族の長カワカミタケルが住んでいたところが、この行縢山であったとのことだから。もっとも日向の地は熊襲の地と少々離れており、ほんとにカワカミタケルの住んでいた伝説の地かどうか、疑問の余地なしとはいえない。だいたい、前に鹿児島の妙見温泉に行ったとき、カワカミタケルが住んでいたという「熊襲の穴」なる洞窟を見物した記憶があり、南九州は探せば、カワカミタケルがヤマトタケルに討たれた伝承のある地って、まだまだあるのでは。

 それはともかくとして、登山口が市内から30分ほどのところにあり、たいへん登りやすい山であり、天気がよいことから、散歩がてら登ってみることにした。

【行縢山 雌岳】
Mtmukabaki_f

 登山道に入ってしばらくすると、行縢山の雌岳が姿を現す。行縢山は2つの峰から成り立っており、雌峰のほうが尖っている。花崗岩の巨大な岩が、晴天に頭を突っ込んでいます。さらに進んでいくと橋を渡り、ここから行縢の滝を望むことができる。

【行縢の滝】
Mukabaki_fall

 行縢山の雄岳と雌岳の裂け目から、77メートルの高さの滝が流れ落ちている。こういう山の稜線から一気に流れる滝はかなり珍しく、日本の滝100選に選ばれています。登山道は滝方面に向かっており、途中で滝壺に寄ることができます。本日は水量が少ないことから、たいした滝とは感じられなかったけど、雨量の多い季節などは迫力十分な滝の流れを見ることが出来るのでは。

【行縢の滝 滝壺】
Mukabaki_fall2

 稜線上に出ると小さな神社の祠があり、そこを少し下って、滝に至る沢を渡り、雄岳の稜線に入る。雄岳は屏風のような形をしており、その屏風の縁に当たるゆるやかな登り道を進んでうち、雄峰の頂上に着きます。標高は831m、登山口からは1時間くらいの行程。
 頂上にはさえぎるものもなく、延岡から日向灘まで一望に広がる絶景が楽しめます。延岡市は旭化成の大きな赤白エントツがいいランドマークとなっており、どこがどのへんやら容易にわかる。

【行縢山 雄岳山頂】
Mt_mukabaki_summit

【行縢山 雄岳山頂 南面ルート】
Way

 頂上で、持ってきた「宮崎県の山 (山と渓谷社 1994年版)」というガイド本を見ると、頂上から直接下におりることができる「南稜コース」なる道が載っている。雄岳西南方面は、スパッと切れ落ちている崖なので、ほんとにそんな道があるのかいなと思い探索すると、たしかにそれらしき道がある。ケモノ道みたいではあるが、ロープやらテープがところどころにあるので、人間が歩いてよい道のようだ。しかし、下っていくうち、地図では道は稜線を直下していくのに、今進んでいる道は、稜線から離れ崖を巻いて東方面に向かっている。どうもおかしい。このまま進み道に迷うと、登り返さねばならないのが面倒なので、本日はさっさと撤退して山頂に戻り、元来た道を引き返すことにして、下山した。

 行縢山には登山道を記した地図も設置してある。汚れていて読みにくく、読む気もしなかったので写真だけ撮っておいたが、見直すと、その雄峰からの下り道が載っている。それによると、崖を巻いていくのが正しいルートであり、「宮崎県の山」に載っていたコースは、廃道になっていたのか、あるいは間違いだったようだ。
 登山道については、ネットで検索するときれいな地図が載っていたページがあったので、リンクさせていただく。
「行縢山 行縢の滝」


 行縢山は市内から近く、また登山道もよく整備されているから登りやすい山だ。登りやすいわりには、山に変化が富んでいて、景観もよく、水や緑も豊富。
 これは、いい山です。

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May 08, 2009

和食 馳走喜泉@宮崎市

 和食をしばらく食べていないので、宮崎市の和料理屋「喜泉」へと行く。
 美味しい店というのは、入った瞬間に見て分かるもので、その条件というのは「店内が、整理整頓されていて、清潔であること」である。この店は、ぴかぴかに磨き上げらており、いずこもきれい。調理器具も必要最小限のもののみが置いてあり、とても機能的なつくりだ。誰しも、店に入れば、美味いものが食べられることを確信できるでしょう。

 5月初旬の料理内容は。
 先付け:胡麻豆腐、じゅんさい、オクラ、サイマキ
1

 初夏を告げる内容のもの。じゅんさいのぬるぬるとした食感がきもちよい。オクラ、サイマキの歯ごたえとうまく対比がとれている。

 先付け2:サヨリ、シャコ、胡瓜 酢味噌和え
 まずはサヨリが美しい。シャコも身のつまった立派なもの。

 椀物:アイナメ椀
Ainame

 この店は京都スタイルの椀物であり、出汁は上品であり、素材の旨さをくっきりと浮かばせてくれる。アイナメは質がよく味がよいのに加え、上手に骨切りされており、かすかに残る骨の食感が、より美味さを高めている。

 造り:
Tsukuri

 造りは、カンパチとアカハタと、アジだったかな。
 新富町の食通氏が宮崎一の包丁使いと称していたように、エッジがすっぱり立っていて、かつ刺身の表面もつるつるに光っており、切りつけの技術の高さが写真からも分かります。
 魚は鮮度のよいものを使っており、もちろん味も上等。

 焼き物
Ainame2

 本日の魚は、アイナメがとてもいいものが入っていたようで、椀物に加え、焼き物でも登場。西京味噌で軽めに味を調えて、上品な感じの西京焼きに仕立ています。

 揚げ物
Rennkonn

 揚げ物はまずはレンコンのすり身。揚げたてのホクホクした食感のレンコンは、元がレンコンとは分かりにくいような、面白い、独自の料理となっています。
 揚げ物はもう一つ出て、アナゴの天ぷら。これもアナゴの旨さをふっくらと包む上手な揚げ方。

 食事は、宮崎らしく鰻飯が出てきて、〆となります。


 九州では珍しい、本格的な京料理がこの店では食べられます。
 京料理とは、私が思うに、特殊な料理ではまったくなく、吟味された良い素材を用い、料理の基本である、切る、焼く、煮る、蒸す、揚げるを真っ当に行うことにより、生み出される、普遍的な日本料理のはずである。そして、この店のように、確かな技術があれば、まごうことなき本格的京料理が、はるか京都を離れた宮崎市でも食べられることになる。

 店主は、京都で修業してから、福岡のホテルや有名料亭で勤め、そののち奥さんの実家のある宮崎で和食料理店を開店。ただでさえ本格的な和料理屋の少ない九州で、それも宮崎というところで、このような正統派の和料理が食べられるのは、たいへん有難いことです。
 宮崎市のみならず、南九州においても貴重な店だと思います。

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馳走喜泉(喜は七みっつ)宮崎県宮崎市橘通東3丁目2−4−2F
0985-29-7706

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May 02, 2009

サイクリング:日向岬

 今回は海方面へサイクリングに行く。
 北浦の海岸線と並んで、日向市の海岸線は変化に富んでいて、観光名所となっていることから、そこを目指す。
日向までは国道10号線を利用。歩道がずいぶんと広い道路であり、この歩道はたぶん自転車も使っていい兼用の道路みたいなので、車の交通量の多いところでは遠慮なく歩道を使わせてもらう。歩道とはいえ、歩行者の数じたいが少ないので、自転車専用道路みたいになっており、このあたりは「自転車にやさしい」つくりの国道となっていた。宮崎市に近づくと、まったくやさしくなくなってしまう国道10号線なのではあるが。

 日向市に入り、岬の方向へ向けて適当に走らせていくと海岸線に突き当り、標識に従って「馬ヶ背」を目指す。

 岬の突端であるはずの「馬ヶ背」への標識へ従って進んでいくも、なぜか道は上へ上へと登っていく。岬は小高い場所ゆえ上るのは不思議はないが、それにしては海岸線から離れていくのが不思議だ。まあ、登ってもたいした距離ではなかろうと思ったが、なんのなんのきつい坂が延々と続いていき、なぜか日向岬の頂点である「米の山展望台」に到着。200メートルくらい登ったな。

【米の山展望台からの眺め】
1

 日向灘が眼下一面に広がっている。空気が澄んでいたなら、四国も見えたのだろうけど、本日はすこし霞がかかっており、そこまでは見えなかった。

 米の山を下り、あらためて「馬ヶ背」を目指す。
 リアス式海岸の特徴のアップダウンの多い海岸線を走るうちに、「クルスの海」なる観光名所が出現。クルスとはなんであろう、と思ったけど、風景を見れば容易に十字のことと判明。
 これは面白い。たぶん日本でもここくらいにしかない光景ではないのだろうか?
 流れが一方向しかない海において、このように直交して、岩が切られる物理法則がよく分からない。かなり珍しい現象と思われる。

【クルスの海】
2

 見事な十字である。
 地元では、この十字と、傍の小岩(○)を足して、「○十」の形にして、「叶う」と読み、「ここで祈りをささげると願いが叶う」との伝承があり、その助けとして、祈りをささげたのちに鳴らす鐘が置いてあります。

 クルスの海を過ぎ、またアップダウンのきつい道を走るうちに、ようやく「馬ヶ背」駐車場に着く。ここからは徒歩で、海岸線まで歩く。
 日向岬一番の名勝である、柱状岩は歩いて5分くらいの場所にある。

【馬ヶ背前 柱状岩】
3

 海より垂直にそびえる、何百本もの岩の柱は、迫力あります。高千穂峡に似た風景であるが、海の波が柱に次々にぶつかりくだける様は、あちらの静に対し動的な風景を形成しています。
 この柱状岩が「馬ヶ背」というわけでなく、ここをさらに過ぎた、痩せた岬が「馬ヶ背」であり、眺め良好。

 馬ヶ背を過ぎると、観光ポイントはおおむね終了。
 あとは元来た道を帰路にとるのみ。

 本日の走行距離:56.7km

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