国見峠 (国見山)
薩摩より九州各地に延びる幾本もの薩摩街道のうち、宮崎方面の道は国見峠を越えて日向へと至る。国見峠は峠と名前はついているけど、地形上は山であり、国見山という別名もある。昭文社の宮崎県の地図を見ると、国道10号線より分かれて国見峠へ登る道路が載っており、これは自転車で十分に登るのは可能と判断した。
【道路地図】
12月7日は素晴らしい快晴。気温もほどほどの寒さ。これは気持ちよいサイクリングが楽しめそうである。
山之口から有水へ抜け国道10号線に入る。地図によればコンビニの対面に岩野屋に入る道があるはずだが、容易に見つけることができた。ただし、熊野神社や国見峠などへ向かうとの標識はなく、ほんとにこの道が山へと続いているかは確信が持てなかったけど、走ること数分して熊野神社に到達。集会所もあり、広い駐車場やトイレがある。この近くより薩摩街道が始まるわけで、すぐに「薩摩街道入り口」の標識が見つかった。しかしそれに従って自転車を進めると、あれ? 民家に入ってしまった。民家の奥に道路が続いている雰囲気はなく、どうもおかしい。民家が薩摩街道のわけないし。よくよく標識を観察すると、矢印の示す方向には、民家にはさまれた狭~い未舗装の道がある。どうやらこれが「薩摩街道」らしいのだが、完全なオフロード。傾斜がつくころには登山道という名前になりそうな道だ。クロスバイクで行って行けないことはないのだろうけど、それなりのアクシデント対策用の装備は必要そう。こんなところでパンクなどしては、日の明るいうちに帰れないゆえ、ここを突破していくの諦めた。
【熊野神社】
【薩摩街道標識】
ただし、昭文社の地図では、国見山へ行く道はちゃんとした線で書かれているため、じつは他に正規のルートがある可能性もある。それゆえ、国見山へ向かうと思われる道を探してそこらをうろうろするも、山方面に入ると道は未舗装になり、そのうちの一つなど樹が倒れて封鎖されている。やはり、薩摩街道が国見山へ向かう唯一の道なのであろう。国見山はまた改めてチャレンジすることにする。
【案山子の道】
10号線を戻り、帰りには高城の歴史博物館に寄ってみる。
資料を読むうち、高城が肥沃な土地であったことがよく理解できた。ま、これほど広い土地があり、温暖かつ水の豊富なところなので、それも当然か。
【高城歴史博物館】
【今回の不思議物件】
山之口~有水間にあった「薩摩寒天工場」
寒天の産地って、寒冷地ばかりと思っていたけど、とても気温的に産生できそうもない南の国宮崎にも寒天工場の跡地あり。説明の看板を読むと、薩摩藩が財政改善のために建て、材料は甑島で仕入れていたとのこと。こんな辺鄙な地に建てたのは、まずは気象条件。ここではテングサが凍結する温度まで気温が下がるのであろう。もう一つの主な理由は、幕府に見つからないようにするためだそうである。そりゃ、密輸目的の製品だから容易に見つかっては藩主の首が飛びまするな。このような地道な努力で小金を稼ぎ、そうして倒幕の力を蓄えたわけで、それなりに歴史的意義のある建物跡である。
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