November 12, 2009

雑感:未完の傑作

 昨日に「ガラスの仮面」は「紅天女」を書くことにより、傑作の座からすべりおちてしまうことになるかもしれないというような危惧を述べた。じっさいのところ、ガラスの仮面は今のままでも十分に傑作なのであり、「紅天女」をあえて描かずに、「未完の傑作」として、そのままにしておくという選択肢は当然ありえたはずなのだし、じつはそうするつもりであったと思っていたのだが、著者は急にガラスの仮面を完結させる気になったみたいで、…さてどうなるのであろう。

 ところで、美術史には「未完の傑作」が現実に数多く存在している。そのパターンとしては、以下の3つのパターンが主なものであろう。
(1)完成が不可能だったが、それでも傑作ゆえ「未完の傑作」となった。 
(2)完成品が損傷を受けることによりその元の姿を失ったのに、それゆえかえって魅力が増し「未完の傑作」となった。
(3)わざと未完の部分を残すことにより完成度が増し、「未完の傑作」となった。

 (1)の代表的なものはダヴィンチの「最後の晩餐」か。
 「最後の晩餐」はじつは未完成の作品である。十二使徒と師キリストの晩餐、キリストが「このなかに私を裏切る者がいる」と語ったときの、使途たちの動揺する瞬間を描いたこの絵では、ダヴィンチは使徒の姿から描き始めたのであるが、十二人全員描いたところで大変な困難に面した。使徒の顔をあまりに気高く描きすぎたために、ダヴィンチはこれ以上気高い存在を描けないことに気付いてしまったのだ。ゆえにダヴィンチはキリストの顔を描くことができず、結局キリストの顔は空白となってしまった。超絶的天才ダヴィンチに描けないのなら、人類の他の誰が描けるというわけもないので、「最後の晩餐」はここで作成が終了し、未完の作品となった。しかし、未完という大変な欠陥があるにもかかわらず、構図の斬新さ、絵そのものの美しさ、ドラマチックな表現等々にて、この絵は偉大なものであり、現在にいたるまで傑作中の傑作として称賛されている。

 (2)これはルーブル美術館が所蔵する2つの人類の至宝「サモトラケのニケ」「ミロのビーナス」が代表。
 ミロのビーナス像は、両腕を失ったことゆえに、不思議な安定感とともに、自由な空間の広がりをも得て、魅力を増している。それこそこの像はかえって腕があったときのほうが未完成品なのではないだろうかといえるほど、今の姿は高い完成度を示している。
 ニケも顔と腕がないことによって、かえって躍動感が増した。ニケは勝利を告げるために天より降りてきたときの姿であり、その大きな翼が、まさに今そこではばたいているかのような臨場感を描出している。ルーブル美術館に入場したとき、真っ先に現れるのがこの像であって、誰もが、見た瞬間そこから風が吹いてくるような迫力を感じることができる。私もルーブルを訪れたとき、まずはこの彫刻のすごさに心底感心した。

(3)については、私がその最もな代表的作品と思っている、セザンヌの「大水浴」を次のエントリで紹介してみたい。 (続く)

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November 11, 2009

コミック:ガラスの仮面44巻 美内すずえ(著)

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 北島マヤの演劇の恐るべき才能を知った月影先生が放つ有名な名セリフ、「マヤ、恐ろしい子」。
 この言葉を放ったシーンは、「ガラスの仮面」有数の名場面であり、web上あちこちで引用されており、自然に私も「ガラスの仮面」の書評を書くとなると、UPせざるを得なくなる。
 やはりすごい迫力だ。でも、ひきつった顔で額に汗をたらして哄笑する月影先生の姿をみると、「恐ろしいのは月影先生、あなたです」とも言いたくなってしまうが、それはさておき「ガラスの仮面」の最新刊である第44巻。

 「ガラスの仮面」は30年近く前に始まった連載漫画であり、30年ほど前この漫画を読みだしたとき、私は「こんなに面白い漫画があっていいものだろうか」と思ってしまったのだが、そのハイテンションな面白さが持続したまま連載が続いていたのに、10年近く前に突然に休載となり、残念に思っていた。

 休載の理由については巷間伝わる話では、「美内みすずが宗教にはまってしまい、あっちの世界にいってしまった」ということになっていた。
 それもあろうが、ほんとの理由は作中劇「紅天女」にあると思っていたし、今でもそう思っている。

 「ガラスの仮面」の特徴は、作中に北島マヤや姫川亜弓演じるところの作中劇が入っているところである。その作中劇、それだけで一巻の別の作品にもなるようなよく出来たものばかりであり、そこにこれらの演劇を演じる主人公たちの成長がからんで、ガラスの仮面という作品をより奥行きの深いものとしていた。

 その素晴らしい劇中劇のラスボス的存在が、かつて月影先生が演じたところの「紅天女」であり、当代一の最高の役者しか演じることができない至高の作品ということになっている。北島マヤも姫川亜弓も、これを演じたくて懸命に努力を続けてきた、そういう劇だ。

 その「紅天女」であるが、ガラスの仮面では、今までの作中劇がよく出来たものであったため、当然「紅天女」はそれらをはるかに超えるレベルの劇であることが要求される。そういう劇を作者は果たして作ることができるのか? 普通に考えれば無理であり、それゆえ「紅天女」上演を前にして、ガラスの仮面が休載になってしまったのはやむをえないことと思っていた。そしてそのまま「未完の傑作」となるものと思っていた。

 しかし、今更ながらの連載再開である。
 これからの連載はラスボス「紅天女」がいかなる劇なのか、それをいかに主人公たちが舞台上で演じるのかが主筋となってくるのであり、肝心貫目の「紅天女」に魅力がなければ、今まで積み上げてきた「ガラスの仮面」の世界が全て崩れてしまう。
 美内すずえさん、すごい覚悟で書いているのだろうなあ、とこちらも正坐して読まねばならないかのような真剣味を感じてしまいます。
 今のところ、「紅天女」の造形に破綻はなく、「至高の劇」と称される片鱗は見せ始めているようである。このままうまく物語を盛り上げていけるかどうか、読者もハラハラして見守ることになろう。

 …ただ、姫川亜弓のアクシデントはどう考えても余計だなあ。これくらいの目にあわないと、北島マヤのレベルには達せないとかいうことかもしれないが、素人からすれば演技の支障になるとしか思えない。
 作者の嫌がらせ(?)に負けず、薄幸の少女姫川亜弓が幸せになれればいいのだが。

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ガラスの仮面44巻 美内すずえ(著)

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November 10, 2009

読書:ヒルクライマー 高千穂遥(著)

 主人公は不摂生が災いしてメタボに悩む中年男であり、あるとき郷里で行われていた白馬栂池自転車ヒルクライムレースを見て、あれはメタボ対策になると思い自転車を購入して、サイクリングを始めた。するとたちまち自転車の魅力にはまってしまい、今までの不摂生な生活を捨てたのはよいとして、家族サービスもいっさい止め、仕事以外の生活の全てを自転車に捧げてしまうまでに熱中する。食事も、運動も、睡眠も、体格改造も、全ては、より速くより強く走るためのものになる。
 この手の「はまってしまった」人は存外多いもので、主人公がレース出場のために参入した自転車クラブでは、同じような自転車バカばかりであり、他人には異常としか思えない生活が、彼らにとっては当たり前のものとなっている。

 主人公は節制と努力の賜物で、みなから一目おかれる立派なヒルクライマーに成長する。しかし、その代償に家庭生活を切り捨てたことから、可愛がっていた一人娘からは離反され、口もきいてくれないまでに嫌われる。そりゃある日娘から「自転車と私とどちらが大事なの」みたいなことを言われ、「…察してくれ」というふうに答えるくらいだから、嫌われるのは当たり前に決まっているのだが。

 一般に結婚をして家庭を持っている社会人にとっては、最も大事なものは家族のはずである。
 その家族を失ってまではまってしまう「自転車」というものの素晴らしき魅力をこの小説は存分に伝えてくれる、…というわけもなく、普通人からすりゃどう読んでも、「プロでもないのに、そこまでやるなよ」との感想を持ちますな。

 小説は、娘がたまたまヒルクライマーの若い男とつきあうことになり、そのことから「自転車に憑かれた人」の存在を、理解はしないまでも、実在することを納得せざるを得なくなり、父と和解するところで、感動的(?)に幕となる。

 著者の高千穂遥はディープな自転車愛好家として知られており、小説中の主人公は、著者の等身大の人物なのであろう。そしておそらくは作中に示されるように、著者は家庭生活をずいぶんと犠牲にしたものと思われる。作中の自転車乗りの妙な自己弁護からするに、著者はこの作品を家族への贖罪のために書いたようにも邪推してしまうなあ。


 ところで男というのは、「はまって」しまいやすい種族のようであり、自転車はともかくとして、スキー、ゴルフ、ロッククライミング、カヌー、マラソン等々、はまってしまった人は多く、その実物例を何人も私は知っている。
 小説「ヒルライマー」の主人公はまだ定職を持っているからましなほうで、私の知っているスキー愛好家たちは、夏と秋は非常勤でバイト生活で金をため、冬から春へのオンシーズン中はゲレンデにこもってひたすらスキーに明け暮れる。そしてそういう人はスキー界ではまったく珍しくない存在だ。彼らの生活はうらやましいようであり、うらやましくないようでもある。

 なんにせよ、「はまることなく」人生を過ごした自分は、幸運であったのか、不運であったのか。いろいろ考えさせられる小説ではあった。

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ヒルクライマー 高千穂遥(著)

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November 08, 2009

サイクリング:五ヶ瀬川~見立渓谷~杉ヶ越~宇目(ととろ)~藤河内渓谷 

 宮崎県北で紅葉のきれいなところといえば、まずは祝子川上流の三里河原であろうけど、新聞の紅葉情報をみると、まだ3分程度のこと。それで今どこがみどころになっているかといえば、日之影町の日之影川上流の見立渓谷が紅葉の真っ盛りだという。それでは、そこを本日のサイクリングの目的地とする。日之影川は川沿いの道を登っていくと、傾山の尾根を貫く杉ヶ越に到達する。杉ヶ越は標高901mという高さなので、このルートはけっこう登り甲斐のある道だ。見立から杉ヶ越トンネルを超えて大分に抜け、そこから宇目を経由して延岡に戻るコースで走ってみよう。宇目から延岡にあいだに、これも紅葉の名所藤河内渓谷があるので、時間があればそこにも寄ってみることにし、いざ出発。

【上水流鮎やな】
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 国道218号線を五ヶ瀬川に沿って走るうち、五ヶ瀬川の秋の名物、鮎やなが見えてくる。
 川を竹や木材で堰き止め、真ん中の竹の簾のところで、産卵のために下流に向かっている落ち鮎をつかまえる仕組み。

【星山ダム】
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 五ヶ瀬川上流にある星山ダム。ここを今は廃線となった高千穂線の高架が渡っていて、なんとも哀しい風情がある。(暗いけど、写真の奥に高架が写っている)
 左手の岸壁上の道に、魚釣りをしている人がずらりと並んでいる。この人たちは何を狙っているかといえば、なんと鮎なのである。鮎って川で友釣りをして釣るものかと思っていたけど、ダム湖でも釣れるんだ。今の時期は群れて泳いでいるそうで、それを掛けバリで引っ掛けて釣りあげます。

【釣れた鮎】
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 ダム湖にいる鮎は、まだ落ちていってない鮎なので、流線形のすらりとした姿。
 卵を持つようになると、魚道を通って川を下って行き、そして鮎やなにひっかかるわけ。

【青雲橋】
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 旧218号線を川沿いに進むうち、家や店が現れてくると日之影町である。
 五ヶ瀬川に日之影川が合流するところで、見立方向を眺めると、そこにはとんでもなく大きなアーチ橋「青雲橋」がある。東洋一の高さを持つ巨大なアーチ橋であり、地方の小都市高千穂と延岡を結ぶ国道にしては明らかにオーバースペックな建築物。しかし218号線には、このレベルの橋がほかにいくつも架けられており、とんでもない金をかけてできた道路なのである。なお国道218号線を普通に走っていると、それらの橋の存在には気づきにくいが、川沿いの旧218号線を走ると、頭上にいくつもかかる壮大な橋々に度肝をぬかれたりします。橋だけで十分に観光資源になるな。

【石垣の村】
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 青雲橋のところで進行方向を90度変えて、日之影川に沿って進んでいく。途中に石造りの洋風な建築物があり、ここが「石垣の村」。観光名所なんだけど、本日は観光客は見かけず。

【民宿・白滝温泉】
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 祖母傾山系は火山活動期が古いため、温泉のほとんど出ないところであるが、その唯一の例外がこの白滝温泉。その温泉の出るところの渓谷沿いに民宿が一軒ある。
 15年くらい前に傾山登山のついでに泊まったことがあり、やわらかな温泉の湯に加え、山の幸をふんだんに使った料理が印象的で、いい民宿であった。懐かしく思い、また訪れてみようかなと思ったが、この奥に「当分のあいだ休業いたします」と、休業のお知らせの看板があった。マジックの書き跡が新しいことから、まだ休業して日が浅いみたいだけど、なんとか再開してもらいたいものだ。こういう「秘湯系の温泉」って、九州じゃ貴重だからなあ。

【見立渓谷駐車場】
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 日之影川沿いの色づいた樹々や、周囲の紅葉に彩られた山を眺めながら自転車を進めていくうち、見立渓谷到着。紅葉の時期のわりにはあんまり観光客はいない。
 ここまで延岡から60km。予定ではあと90km近く残っている。

【見立渓谷】
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 新聞では見立渓谷は紅葉の盛りということであったが、どう見ても5分程度である。今まで走ってきた風景でも、紅葉は山の上のほうがピークであり、まだこのくらいの標高には降りてきていない。
 当初の予定とおり、紅葉探してまだまだ上へ登っていく。

【杉ヶ越への道(広くなったところ)】
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 見立渓谷を過ぎてしばらくすると道が狭くなり、路面の状態も悪くなって「山道」ふうになる。この山道は10%を超える坂であり、けっこうきつい。疲れが足にたまり、だんだんとペダルを回すのが嫌になってくるころ、ぽんと眺望が開けたのちは道が広くなり、そこからは5%程度の緩やかな坂になり、漕いでいて楽になる。そのままの感じで、道は杉ヶ越へと続いていく。

【杉ヶ越トンネル】
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 ようやく着いたぜ、杉ヶ越。標高は901m。出発点の延岡がほぼ海抜0mであるからして、純粋に900mは登ったわけだ。
 ここは傾山への登山口であり、杉ヶ越から傾山山頂にいたるルートは、祖母傾山系の登山道のうち屈指のハードコースである。だからあんまり人気なく、登山日和というのに、たいして車は駐車していない。

【大分県へ】
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 傾山の尾根を貫く杉ヶ越トンネルは、そのまま宮崎・大分を貫いており、ここを越えれば大分県だ。
 県境の写真を撮っていると、後ろから轟音を響かせて大型バイクが通り過ぎていく。今日は天気が良かったので、このルートをツーリングしている集団がいくつもいた。その集団、いずれも中年族御用達の大型バイクか単コロのバイクばかりで、…今の時代、若い人ってモーターバイク乗らないんだなあ。スズキの社長がバイクが売れないと嘆いていたけど、たしかにモーターバイク業界の未来は暗そう。

【峠の紅葉】
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 川沿いで、山々の紅葉が上のほうがきれいであったので、山の上まで来れば紅葉は見事だろうと予測していたが、ぴたりと当たる。
 杉ヶ越を少し過ぎた展望所で見た、傾山東面の尾根の紅葉が、今日見た紅葉で一番美しかった。赤、黄、橙、紅、いくつもの鮮やかな色が山肌を錦のように染め、ひとときの秋の装いを存分に誇る、そんな風景が広がっていた。
 (写真ではその美しさを伝えきれていないが、実物はほんとに素晴らしかった)

【木浦小学校前】
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 杉ヶ越から宇目町に向かっては一本道の下り。
 せっかく苦労して稼いだ高度をただただはき出していく下り道というものの存在に、なにか理不尽なものを感じてしまうのは私だけであろうか。
 下りきったところが名水の産地である木浦鉱山区。過去には栄えていた地区みたいで、立派な小学校があったが、今は廃校になっている雰囲気であった。

【ととろのバス停】
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 宇目町名物といえば私は「ととろのバス停」しか私は知らず、とりあえずそこによってみる。
 地方の名もなき一バス停が、映画「となりのトトロ」のヒットとともに、全国から宮崎駿のアニメファンが訪れる名所となった。たまたま名前が「ととろ」であることから、このバス停にトトロや猫バスの看板を物好きな人が置いたところ、それを目当てにアニメファンが集まるようになったとのこと。これがディズニーのキャラクターなどではすぐにディズニーから撤去の警告が来るだろうけど、スタジオジブリはそのような野暮なことはしません。
 それにこのバス停は、とても鄙びたところにあり、アニメ「となりのトトロ」に出てくるバス停とよく似た雰囲気をまとっており、映画のモデルといわれても納得してしまいそうだ。夜に雨のなかバスを待っていると、ほんとに猫バスがやってきそう。
 だいたい、このバス亭、小川の上に丸太を渡してその上に作っているのであり、そのアバウトさも、トトロっぽくてよい。

【北川ダムと唄げんか大橋】
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 ととろを過ぎ、国道326号線に入ってから南下すると、特徴ある大きな橋が見えてくる。これが唄げんか大橋で、北川ダムにかかっている。この変な名前の由来は、地元の民謡からだそうだ。

【藤河内渓谷】
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 県境の桑原トンネルを超えてしばらくすると交差点があり、まっすぐ行けば延岡、西側は大崩山方面、東側は桑原川沿いの藤河内渓谷にいたる道となる。
 時間の余裕があったので、紅葉目当てに藤河内渓谷への道を行く。藤河内渓谷までは9kmの道をひたすら登っていく。途中、花崗岩の巨大な岩壁があり、これは見事な光景。紅葉もいい塩梅である。

【藤河内ダム】
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 桑原川のような小さな川でもダムはあるのであり、川の小ささに比例して小さなダムだ。渓谷沿いの道に水圧管があったので発電ダムなんだろうけど、どれほどの発電量なんだろう。あんまり役に立ってなさそうだけど。

【藤河内渓谷キャンプ場】
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【藤河内渓谷】
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 そうこうしているうちに藤河内渓谷キャンプ場に着。
 藤河内渓谷はまだ紅葉には早く、3分から5分といったところ。
 本日は紅葉よりも、迫力ある渓谷の姿に感心した。
 ここからは元来た道を戻り、あとは日の暮れる前に延岡に帰るだけ。

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本日の走行距離:146.2km

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November 04, 2009

読書:オイアウエ漂流記 荻原浩 著 

 この小説、2年ほど前に週刊新潮に連載されており毎週楽しみにしていたのだけど、話がそろそろ佳境に入ってあたりで唐突に終了となり、ひょっとして打ち切り?とか思っていたが、その週刊誌の発行元の新潮社にて大幅に改稿加筆を行っての発刊である。打ち切りじゃなかったみたい。

 ポリネシア諸島に観光地開発の下見に行ったリゾート開発会社の社員一行4名、スポンサー企業の御曹司1名、新婚旅行中の夫婦2名、あやしい外人1名、戦没者祈祷の旅の祖父・孫の2名の計10名が、悪天候による小型飛行機の墜落で小さな無人島に漂着する。外界との連絡手段もなく、救助の手はいつまでたっても差し伸べられず、彼らは孤島でサバイバル生活を送らざるを得なくなる。

 幸いなことに南の島なので、生きるのに必要なものは努力をすればなんとか得られる。どころか海や山に入れば、美味そうなものが次々に見つかり、ココナッツ、ミニリンゴ、マンゴー、キノコ、ヤシガニ、オオコウモリ、熱帯魚、貝、等々。
 とはいえ、それらを得て生活していくにはそれなりに技がいるのであり、遭難した者のなかに、木登りの達人、ココナッツ割の達人、火を起こす達人、など意外な能力を持つものがいることが判明し、かれらの力によりサバイバル生活は円滑にまわっていく。

 無人島での生活は、以前の文明社会での人間関係が成り立たなくなり、島に適した実力によって人間関係が再構築されそうなもので、当然そういう諍いが少々生じるが、しかし元の人間関係がなんとはなしに継続されていくのが、日本人社会のゆるいところか。

 捜索もまともにはされていないようで、孤立したサバイバル生活は半年以上続く。人々もその生活に慣れてきたころ、唐突に救出劇が始まり、あっという間に小説は幕となる。
 なんだか中途半端な終わり方で、これでは週刊誌に連載していたときと同様、欲求不満の残る終わり方だな。
まあ、ヴォリュームが大幅に増えたぶんだけ、読み応えはUPしていたけど。

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オイアウエ漂流記 

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November 03, 2009

登山&サイクリング:行縢山南面ルート(崖下コース)

 本日は素晴らしい好天である。紅葉の時期でもあり、これは山に登らねばならない。
 午前中に仕事を終え、延岡のランドマークの山、行縢山へと向かう。

 行縢山はそんなに遠いところにある山でもないので、自転車で登山口まで行くことにする。
 山登りのための自転車ということで、ひさびさにジャイアント・グライドの登場。CambiagoやEPSのほうが走るのに楽に決まっているが、さすがにこれらのバイクを登山口に置きっぱなしにするのは社会通念上無茶な行為ゆえ、グライドの選択となる。

【延岡市内からの眺め】
River_side

 延岡市内を流れる大瀬川は、落ち鮎漁のまっさかりである。
 青空を背景に、特徴ある花崗岩の崖を立てている行縢山を望む。

【行縢山近景】
Middle_point

 適度に涼しい快適な気温のなか自転車を進めていくうち、だいぶ行縢山に近付いてきた。
 左の峰が雄岳で、右の少し低いほうが雌岳。この二つの峰の分かれ目に、名滝「行縢の滝」が流れ落ちている。

【登山口(行縢神社)】
Entrance

 100mほどの高さを登ったところで、登山口に着。
 行縢山と滝を御神体とする行縢神社が、その登山口になる。鳥居から先が登山道となっている。

【行縢山南面ルート入り口】
Course1

 半年ほど前に行縢山に登ったとき、頂上から岩壁を伝わってのびているルートをみつけ、途中まで下った。このルートが気になっていたので、今回はこの南面ルート(別名崖下コース)を使って登ることにする。
 鳥居からのルートと、駐車場からのルートが合流する部が南面ルートへの入り口となっている。丸で囲んだ「むかばき青少年自然の家」作成の標識がある。この標識は頂上まで、No.1からNo.20まで番号順に設置されている。これに加え、過剰なほどの赤テープや、他の登山グループが設置した白い標識があるので、それらを確認しながら登れば道には迷わない。

【崖下コース】
Course2

 先で示した入り口からは一回涸沢に入り、対岸に赤テープが目印の登山道があるので、それを登っていく。そしてすぐに行縢山の雄大な崖に突き当たる。南面コースはこの壁に沿って、高度をかせいでいくコースである。

【水場】
Course5

 崖に沿った道を進むうちに、水の流れる音が聞こえると、そこが水場だ。崖を伝わって、水が滴り落ちている。
ここからは登りがきつくなっていき、また足場も悪くなってくる。浮いた石に注意しながら、登っていく。

【尾根上方】
Under_sumitt

 岩がゴロゴロの道を登っていくうち、南に伸びている尾根に入る。そこからは雑木林の中であり、踏み跡がしっかりしていない道となるので、赤テープや標識を確認しながら進んでいく。やがて尾根も相当に登ると、ようやく雄岳に連なる岩が見えてくる。
 ここで今まで西側に向かっていた登山道は、東に向きを変える。頂上への近道に思える岩を直登したくなる気持ちを抑え、標識に沿って進むと眺望が開けてくる。

【行縢山の紅葉】
Red_leaf

 今日は紅葉も楽しみにしていたのだが、まだ時期は早く、この程度の紅葉のぐあいである。
 来週くらいはもっと色づいてくるであろう。
 しばし進むうち、頂上直下の岩場へと出る。

【頂上直下の岩場】
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 この岩場はけっこう険しく、ロープが設置されている。落ちれば命が危ない箇所なので、注意深く登って行けば、ぽっかりと頂上に出る。

【行縢山雄岳頂上】
Course8

 そういうわけで、ようやく行縢山雄岳頂上に到着。1時間半かかってしまった。前に一般道で登ったときより時間がかかっているので、こちらのルートのほうが時間がかかるみたい。距離は短そうだけど。
 秋晴れのもと、東には延岡市、日向灘、南には脊梁山地の巨大な延々と山なみが連なっている。

【南面コース概略図】
Root_map

 南面コース地図を見るだけでは、概略があまり分からなかったが、登るとよく分かった。
 行縢山雄岳の南面は、巨大な崖に、尾根が南側からぶつかり、西側にせせり上がっていくような形しているのだが、登山道は、図の赤字で示すように、崖沿いのその尾根を登りつめていくコースなのである。

【雌岳への入り口】
Froot1

 雄岳に着いたのが午後3時だったので、あと行動できる時間は限られている。
 雄岳のついでに雌岳にも登りたかったが、ちょっと厳しいか。あと1時間行動できるところまで行動することにする。
 一般道に入り、鞍部をいったん下って、それから雌岳への分岐点に着いてから登り返すことにする。
 ここからの雌岳の道は南面ルートなみに荒れており、ルートファインディングが少々難しい。悪天候のときに登ってしまったら、たぶん迷ってしまうと思う。

【行縢の滝 展望所】
View_spot

 ある程度登ると稜線上に出る。基本的には木が茂っていて、あまり展望のきかない道であったが、ときどき眺めのよい岩場がある。そのなかでも一ヶ所、行縢の滝を眼下に望める場所は、絶好の展望所であった。

 雌岳のルートは、恐竜の背みたいなルートで、いくどもいくどもアップダウンを繰り返していく。あれが頂上だろうかと思ってピークに着くと、その奥にまたピークがあるという感じでいつまでたっても雌岳にたどりつく気配がない。
 そのうち午後四時になってしまったので、本日はここで進むのを中止して引き返す。べつだん、雌岳に登らねばならない理由はなにもない。

【行縢山駐車場】
Stop

 下山を急ぎ、登山口の駐車場に日の暮れる前に到着。
 登るときは4~5台の車が駐車していたが、さすがに午後5時に近い時間では、車が残っているはずもなかった。

【延岡市内夜景】
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 国道218号線を自転車で走るうち日はどんどん傾いていく。延岡市内についたときには、太陽ははるか西の彼方に沈み、とっぷりと日は暮れた。
 そして東にはまんまるの満月が。
 澄んだ夜空に、皓々と月の輝く、今日は素敵な満月の夜なのであった。

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October 30, 2009

食事:宮崎観光ホテル~光洋

 以前フェニックスリゾートのホテルに研修会に出かけ、その続きの懇親会にて料理の出来栄えにあまり感心はしなかったのだが、宮崎市ではそのたぐいは宮崎観光ホテルが一番レベルが高いと聞き、ならば宮崎観光ホテルで研修会があったなら、それにはぜひとも参加してみようと思った。
 …お前は研修会にいったい何を求めているのかと問われると、答えに困ってしまうが。

 その宮崎観光ホテルで研修会が開かれるとのことで、それではと行くことにした。
 研修会の中身は、中央で腕を磨いていた人を講師に迎えての現在の最先端の技術についてのもので、すごいものであった。宮崎でも数年経てば導入されるのであろうか?

 それが終わったのちは、本日目当ての懇親会のビュッフェ。(おいおい)

【テーブル上の料理】
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 テーブルに並べられた料理はこんな感じ。たしかにフェニックスのホテルよりも、品数とも増えていたし、素材もよかった。

【ローストビーフ】
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 ローストビーフも切り分けて出てくる。こういうのがあると、ポイントが高くなる。

 全体として、まあまあのレベルのものであったと思う。自分からわざわざ食う気はしないが、こういう会でなら十分満足できるもの。
 じつのところホテルのビュッフェは、東京大学が主催した帝国ホテルのものにたまげたことが一回あるきりで、あんな美味くて豪華なものは例外中の例外なんだろうなあ。

 適当に飲んで、適当に食ったのち、せっかく宮崎市に出たので、光洋に寿司をかるくつまみに行く。

【イクラ】
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 イクラは先週にのむらで良いものを食ったが、このイクラもなかなかcharmingなもの。つやつやした輝きと、ぷちぷちした食感がよろしい。

【イクラ2】
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 旬を迎えたイクラはたくさん仕入れており、明日の会席料理用へ仕込みをしているものが、ボールに満ちている。見ているだけで、おなかいっぱいになりそう。

 寿司のシャリもだいぶ安定してきた感じで、特に白身がその繊細な旨さがよく引き出されていた、そんな寿司であった。あとの課題は、藤田水産の「濃い系」のマグロと、今のシャリをいかに調和させるかだな。これからぐんぐんマグロが濃くなってくることだし。

 美味い寿司を食い、美味い酒を飲み、いい気分でJRに乗って帰る。

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October 28, 2009

寿司:小太郎(@延岡市)でコハダを食う

 寿司好きな私は週に1~2回は必ず寿司を食べるわけであるが、延岡市内では、「やぐら寿司」「一太郎」、それに「新茶屋」「一寸ぼうし」をその日の気分しだいで訪れることが多い。

 本日は「一太郎」にて寿司を食う。
 この店は店主が東京で修業を積んできただけあって、けっこう本格的な寿司が出てくる。地元の素材にこだわりながらも、ウニなどは北海道のいいものを仕入れており、それらの素材がややこぶりなシャリとバランスよく握られ、きちんとした寿司として供される。

 …この店、おしむらくは、まあこれは延岡全体の寿司店の問題点なのだが、ヒカリものが弱い。
 延岡では需要が少ないからしかたないといえばしかたないのだけど、私のような、ヒカリもの系を好む者にとっては、ヒカリものの品種の少なさがちょいとものたりない。

 しかし、今日はなんとコハダが入っているとのこと。延岡じゃ、初めての経験だな。
 コハダはべつに東京湾や三河湾の特産品というわけではなく、目の前の日向灘にいくらでも泳いでいるわけだが、漁師がそれが商売物になるという意識がなく、わざわざ獲ったりしないのである。けれど、数日前にたまたま網にかかったのか、市場に2キロほどのコハダが出ていたそうだ。珍しいことであり、店主はあるぶん全部仕入れ、仕込みのおえたものが出てきた次第。

 意外とはけるもので、もう半分以上出ましたよ、とのこと。それだけ需要があるのなら、漁師の尻をたたいて、できるかぎり市場に出すようにしてもらいたいもんだよなあ、とヒカリもの好きの私としては思うのであった。

 そうして、貴重なコハダを四貫も食ってしまった。
 うん、おいしかった。

……………………………………………
一太郎 宮崎県延岡市船倉町2丁目4−16−1F
TEL 0982-33-5018

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October 25, 2009

フランス料理:プティフール@都城市

 霧島登山ののちの翌日は、都城に寄ってみることにする。
 以前に訪れた大川原峡が紅葉の時期はさぞかし美しい景色が見られるであろうと思ったからであるが、…せっかく訪れた大川原峡は、樹々はまだぜんぜん色付いてなく、時期には早かった。残念。

 昼食は、都城市内のレストラン「プティフール」にて。

【プティフール・ホール】
Hall

 このフレンチレストランは、都城市の不思議物件である。
 ホールは内装、インテリア、ウェイテイングルーム、雰囲気、すべてグランメゾンのそれである。とても17万人程度の人口の地方都市に存在しているレストランとは思えない。
 これで料理が「なんちゃってフレンチ」とかなら、ハードとソフトのミスマッチングを愉しむ、通人(?)好みの店となるかもしれないが、料理もしっかりした本格的なフランス料理ゆえ、余計に「なんでこんな店が都城市に」と思ってしまう。
 もしかして私が知らぬだけで、都城はフレンチを愛好すること人が多いところなのかもしれない。しかし少ない回数ながらも私が訪れた時の客の数から考えるに、とてもそうは思えないのだがなあ。

【テリーヌ】
Terrine

 新鮮な海産物と野菜のテリーヌ。
 あっさりとした感じであるが、全体のバランスがとてもよい。素材も技術も一流のもの。

【アマダイのムニエル】
Tilefish

 アマダイの良さもいいし、またソースの味の豊かさもよい。
 ていねいにつくられた一品。
 地方都市のフレンチというわけではないのだろうけど、コテコテのフレンチではなく、素材をうまく生かした繊細系のフランス料理が全体として出てくる。


 地方都市に住んでいる人でフランス料理が好きな人なら、こういう店があることは僥倖に思えるような、そんな良店です。

……………………………………………
 プティフール:宮崎県都城市年見町22-4
         TEL 0986-23-4873

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October 24, 2009

寿司:10月の鮨匠のむら@鹿児島市

 霧島登山を終えたのちは、当然酒を飲めねばならぬ。
 鹿児島での定番「鮨匠のむら」へと、車でGO。

 いつものごとく、生きた季節を切り取ったような旬の素材が次々へと現れ、日本に生れ魚を食うという幸せを存分にあたえてくれる。

【済州島の本サバ】
Saisyutou

 五島のものよりこちらが上と店主が断言する済州島の真鯖。出始めの最初期のものなので、脂ののりは不十分なるも、身の清新で純粋な美味さはこの時期特有のものでしょう。これからどんどん脂がのってきます。
 いつもの定番首折れ鯖も同時に出てきて、こちらは旬の真っ盛りで、熟しきったむちむち、ねっとりした食感がすばらしい。この二つの鯖の食べ比べもおもしろかった。

【歯鰹のたたき】
Hagatuo

 素晴らしい歯鰹が入ったときのみ出てくる、「のむら」自慢の裏メニュー。じつは私も初めて食った。
 歯鰹のたたきをポン酢で和えて、それにニンニク、カイワレ、アサツキ、ショウガを添えている。あんまり鮨屋には出てこなさそうな、飲み屋の突き出しふう料理であるが、食べてみれば歯鰹の爽やかな脂と、薬味のたぐいが上品なレベルで調和しており、美味い冷酒にじつによくあっている。「九州最強の居酒屋」との異名を持つのむらの面目躍如の料理。

【バショウカジキの炙り】
Bayoukajiki

 バショウカジキってこの店でしか食べたことはないんだけど、これってすごく美味い魚である。よく乗った、しかしくどくない脂が、炙ることによって旨さが増し、なんとも豊かな味が広がってくる。

【イクラ】
Ikura

 南九州の魚を大事にしているのむらであるが、南九州で手に入らぬ美味い素材についても、しっかりと仕入れている。これこそ本場北海道でもなかなか食えないレベルの、極上のイクラ。仕入、仕込みがしっかりしているので、瑞々しい、生きのよいイクラを味わえる。

【ウニ・イクラ丼】
Uniikuradon

 のむらで食の主役を張る「ウニ」と「イクラ」をあわせて豪華なミニ丼で。
 ウニはもう終わりの時期で、ちょっとした雑味が混じってきている。これも季節のうつろいのあわれさを感じさせてくれます。これをかきまぜて、ウニとイクラの良いとこどりの、旨さたっぷりの丼を、はふはふと食う。

【海老の握り】
Kurumaebi

 握りももちろん美味いものばかり。
 とりわけこの茹でたてぷりぷりの海老はいつ食べても、味と食感の豊かさで、日本一の海老の握りだと思います。

 さんざんに飲んで、食って、充実感いっぱいの時間であった。
 季節の流れというのは、山登り以外でも、一流の料理店で存分に知ることができるという、いつもながらの感想を持ちます。


 ところで本日、やけに体格のよいアスリート系の人が隣に座っていた。ぜったいにただものではない雰囲気がただよっており、それも道理で、マリーンズの里崎選手であった。マリーンズの秋季キャンプが鹿児島で行われていて、店のファンである里崎選手がキャンプの合間に訪れてきたとのこと。
 店主と少しばかり雑談に加わらせていただき、春季キャンプの誘致を止めてしまった鹿児島市の不見識について私が愚痴ったりする。
 店主がせっかくなのでサインをもらいませんかと言うが、色紙とか持っていないので、といってそのへんの紙にサインしてもらうのも失礼な話なので、またの機会にでもと答えると、うちの店にはいくらでも色紙がありますよ、とのこと。(どういう店だい)
 というわけで、里崎選手のサインを、私の名前と日付入りでもらいました。
 「これはありがとうございます。ホークスのファンでしたが、マリーンズのファンになります」と言ったところ、「いえいえ、とんでもない。ホークスとともにこれからもパリーグを応援してください」と立派な答え。里崎選手、見ためとおりのナイスガイです。

 そういうわけで、こんどの日本シリーズは日本ハムを応援することにするが、…さすがに今年のジャアンツには勝てそうな気がしないなあ。

【里崎選手のサイン(私の名は画像修整にて消してます)】
Sign


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登山:秋の霧島(えびの高原→韓国岳→高千穂河原)

 そろそろ紅葉のシーズンの始まりなので、霧島に登ってみることにする。
 本日の天気予報では午前中は曇りで午後は晴れという中途半端な天気。着くのは午後なので、天気予報を信じて晴れた空のもとでの登山を期待する。

【えびの高原】
Ebino_tableland

 午後1時に韓国岳の登山口であるえびの高原に着くと、まだ天候は曇りであった。えびの高原いったいは濃い霧のなか。正面方向に今から登る韓国岳がそびえているはずだが、何も見えません。

【韓国岳山頂】
Mt_karakuni_sumitt

 午後から登り始めたので、登山道では登山を終え下りて来る人とばかりすれ違う。みな雨具を着ているところをみると、午前中はかなり悪条件の登山だったようだ。
 韓国岳山頂までは500mほどの高さを登る。登山道には道のりを10等分しての何合目という標識があるので、行程がわかりやすい。6合目を過ぎたあたりで急登は終わり、噴火口を巻くような道となって、それから頂上へと到着。頂上にはバンザイ三唱している数人の若者のグループがいたくらいで、シーズンなのに人少なき頂上であった。
 韓国岳登山の途中で、天気予報通り霧は晴れてきたが、それでも遠方の高千穂の峰にはまだ雲がかかっている。

【高千穂の峰】
Mttakachiho_view

 しばらく待つうち、霧がどんどん晴れていき、霧島の縦走路が現れてきた。
 見下ろす山肌の紅葉は3分~5分といったところ。来週くらいからが見ごろになりそうだ。

【雑木林】
Autumn_road

 韓国岳からの下りはガレ場が続き歩きにくい。注意しながら降りて行き、獅子戸岳へ至る鞍部の縦走路に入る。ここの雑木林の紅葉を期待していたけど、まだ早かった。でもここは植生は豊かで、静かな雰囲気のいい道である。霧島縦走路では、この道が私は一番好きだ。

【新燃岳】
Mt_shinmnoe

 獅子戸岳を越えた次は新燃岳である。
 ここの噴火口は、九州最大の露天風呂となっている。ただし底部は硫化水素ガスが満ちており、これに入浴しようと思ったら、ガスマスクなしには不可能。
 もっとも、火口内そのものが立ち入り禁止になっており、そのようなことをしていると絶対に通報されます。

【縦走路にて】
Mtshinmoe2

 人気の高い紅葉シーズンの霧島縦走路とはいえ、天候の悪いなか午後に縦走しているのは私だけであったが、新燃岳で登山者1名とすれ違う。普通の靴にザックもなしのラフな格好で、たぶん新燃岳山麓の温泉宿から散策がてら登ってきたのであろう。けっこうな高さを登らねばならないはずだが、たいしたものだ。

【自然歩道 もみじコース】
Red_leaves

 新燃岳から中岳経由で高千穂河原まで下りていく。
 中岳を過ぎたところで自然歩道が整備されており、もみじ林の植林のなかを歩いていくことになる。ここはそろそろ紅葉づいてきており、なかなかきれいであった。日がもっと照っていれば紅葉の色もより映えていたろうが、残念である。

 えびの高原より3時間半ほどで高千穂河原に着き、縦走終了。
 ここから舗装路を歩いてえびの高原に戻る根性はなく、うまいぐあいに駐車場にとまっていたタクシーに乗って出発地へと戻った。

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October 21, 2009

落ち鮎@延岡水郷やな

 落ち鮎というものは、美味しいといえば美味しいし、美味しくないといえば美味しくない、人によって好みの分かれる微妙な食材である。

 私の先輩に鮎の好きな人がいて、何年か前に鮎の名産地である球磨川沿いの地方都市に赴任することになった。当然、和食店で出る鮎を楽しみにしていたのだが、そこの店の人に「極上の鮎が入りました。どうですか」と言われ、それは是非ともと頼むと、一尺近い落ち鮎が出てきて、?と思った。なにはともあれ食べてみると、大味でパサパサの身の、香りも乏しい、自分が好きであった「鮎」とはまったく異なる魚であり、これが極上の鮎とはぜったいに何かの間違いだと思った。しかし、その後どの店に行っても、「いい鮎」がありますと言われたとき出てくるのは定番のごとく、妙に太った落ち鮎であって、閉口することしきりであった。どうやらその地では、いい鮎とは、大きな落ち鮎であるらしかった。
 以前会ったときに、そういうことを私に話し、あそこはこんなでかい鮎ばかり食わせるろくでもない所だぞ、と両手でサイズを示しながら力説していたが、まだそこに住んでいるのでそれなりに気にいってるのであろう。

 私も鮎は初夏の瑞々しい香り高いものが一番と思っているけど、落ち鮎のほうを好む人も多いみたいで、私の職場では10月に鮎やなが立ち、落ち鮎のシーズンになったのちに、鮎の宴会を開くことが定例となっている。

【延岡水郷やな】
Shop_2

 鮎やなは10月から12月まで立って、落ち鮎を収穫している。昨年まではこの店のすぐ前の瀬に鮎やながあり、そこで取れた鮎を出していたようだが、今年は採算の面から(鮎やなは架設するのに1千万円くらいかかるそうだ)鮎やなは立てられず、他のやなで取られた鮎を生簀に入れて、それを供している。
 落ち鮎のための期間限定の建物だけあって、こういうプレハブ仕立ての建物。味があります。

【落ち鮎】
Ayu

 これが出てきた落ち鮎。塩焼きと味噌焼き。それぞれオスメスがセットになっています。
 骨を抜いてかぶりついてみると、…卵がたっぷり入っており、大きなシシャモのような食感だな。鮎本来の繊細な味は失われてしまっているけど、このジャンキーなテイストは、ビールのツマミとしては、なかなかのものと言えよう。

 職場の宴会ゆえ、10月から延岡に異動してきた見習の新人が2名いる。
 鮎の名所延岡に来たからには、鮎の食い方は覚えておけと、鮎の骨の抜き方を教える。最初は途中で骨が折れていたけど、4匹もあるので、4匹目くらいにはきちんと抜けるようになった。これで彼らも立派な延岡人。

 6月の解禁から鮎を食ってきたけど、そろそろ今年度の鮎は食いおさめ。
 11月からは、…やっぱり河豚だな。

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October 18, 2009

サイクリング:六峰街道+鮎やな見物

 天気がよく、涼しいこともあり、絶好のサイクリング日和である。
 10月も半ばを過ぎ、鮎の名所五ヶ瀬川には鮎やなが立っている時期となった。鮎やな場の見物がてら、この前途中まで行った六峰街道へまた行ってみることにする。時間の余裕があれば終点まで行ってみよう。

【大瀬川】
Nobeoka

 延岡市を発し、まずは大瀬川に沿って山へ向かっていく。
 大瀬川にも鮎を求める人が漁を行っている。パワーショベルで魚道を作り、そこを通る鮎を転がし釣りでひっかけるという、けっこう乱暴な漁法にて鮎を収穫しているとのことである。

【ETOランド遠景】
Eto_land

 国道218号線に移り山方面に入っていくと、ETOランドの風車が遠景として見えてくる。
 案外近そうであるが、…これが近くなかった。

【上水流鮎やな】
Kawaduru

 本日の目的、上水流鮎やな。
 川全体に竹や木で組んだ柵を設営して川幅を狭め、その狭めたところに簾を設けて、産卵のために汽水域に川を下ってくる鮎をそこに集めて捕える仕組み。鮎が大量にいる川でのみ出来る漁法である。
 しかし、近年は不景気のせいか、観光名所である鮎やなを訪れる人が減ってきており、例年は3つのやなが五ヶ瀬川に立つというのに、今年はこの川水流の鮎やな一つのみが営業。鮎にとっては有難いことかもしれんが、少々さびしい話。

 この鮎やなのあるところに橋がかかっており、それを超えて道なりに進んでいくと北方町の六峰街道の入り口に到る。ただ、その入り口は以前に使ったので、今回は別のルートでETOランドに登る予定とする。

【天馬大橋】
218r

 218号線をさらに進んでいくと、山側に登っていくバイパスが現れる。
 今回は218号線沿いにある物産館「よっちみろ屋」の近くの道に入ってからETOランドへ向かう予定なのだが、川沿いの道と218号線バイパスは「よっちみろ屋」のあるところで合流することに地図上なっているので、そのまま川沿いの道を進んでいく。しかし進むうち、218号線が川を横切る天馬大橋が見えてきた。ありゃりゃ、あの天馬大橋を過ぎたすぐの所に「よっちみろ屋」はあるのだが、この川沿いの道はそこには着かないぞ。2次元の地図では、これらの道は交わるのに、いざ現実の3次元の世界ではそれは上下に並行して決して交わることはなし。…ということは、この道を行っても「よっちみろ屋」には着かないわけだ。地図に騙されたわい。

【よっちみろ屋】
Shop

 五ヶ瀬川を超える橋はなかなか見当たらず、結局218号線の干支大橋のあたりまで行ったところに五ヶ瀬川にかかる小さな橋があったので、それを渡って218号線まで登って、「よっちみろ屋」まで戻った。
 218号線はあんまり車の通行量の多い国道ではないのだが、「よっちみろ屋」周辺は渋滞しており、店の駐車場は満車状態であった。そんなに人気のある店だったのか。何売ってるんだろ。

【林道】
Road1

 「よっちみろ屋」を少し過ぎたところで林道に入り、ETOランドへ向かう。この道は、ずいぶんと狭く、車で行くなら軽自動車じゃないと離合も大変に思える。登ったり下ったりするうち、地図上でETOランド方向に伸びている道の分岐に着いたが、どうも変だ。

【分岐点】
Road2

【標識拡大図】
Board

 この道は地図上はETOランドに行くはずだが、標識にはそのようなことは何も書いていない。標識に書いてある目的地「清水峠集材場」って、ようするにこの山で伐採した木材を積み上げている所なんだろうけど、そこが終点で、そこで行き止まりになっては、そこまでの上り道4kmを行った体力が無駄使いになってしまう。
 こういう怪しい道を行く根性と勇気は出ず、ETOランドへ向かう道への標識のある枝道を探し、さらに林道を進んでいくが、枝道はいくらでもあるものの、どれも何の標識もなく、だらだら進むうちに元の上水流やなのところに戻ってしまった。
 やれやれである。
 そこから坂を登っていって、トンネルを超えるてすぐのところに六峰街道の入り口がある。

【六峰街道入口】
Entrance

 結局、無駄な大回りをしたのちここに来てしまった。
 前回走った道をただただ登って行くうち、ETOランドに到着。

【ETOランド】
Sumitt

 巨大な風車があり、ゴーカート乗り場もあり、バンガローもあり、芝スキー場もあるという立派なレジャーランドであるが、…人はいない。相変わらずの閑散ぶり。

【中小屋天文台】
Observatory

 六峰街道にはいくつかのランドマークがあり、ETOランドに続く2番目のランドマークがこの天文台。空気の澄んでいるところではあるので、星はよく見えるであろうが、あんまり使われている形跡のない天文台ではあった。

【真弓岳方面】
Sky_view

 天文台より西の方角を見る。六峰街道はいくつかの山をこれからも越えていくのだが、奥に見える山がたぶん3つ目のランドマークの真弓岳と思われる。
 六峰街道はまだまだ道の半ばであり、終点の五ヶ瀬町まではあと30数キロ残っている。今の時間がすでに午後3時なので、このまま進むと、五ヶ瀬に着くころには日が暮れるのは確実だな。「よっちみろ屋」あたりの時間のロスが痛かった。
 暗闇のなかの林道を無理に自転車で進むと、ろくでもない目に会う可能性が高く、(経験者は語る)、本日の六峰街道サイクリングはこのあたりで止めることにする。
帰りは210号線を使って北郷まで下りていった。

 さて、次はいつ六峰街道にトライするべきか。日はどんどん短くなっているので、早いうちに再トライする必要はあるのだが…


 本日の走行距離:112.3km

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October 13, 2009

和食:食事会@喜泉

Kisen

 秋になり和食がぐんぐん美味くなる時期だ。
 ならば、和食を食わねばならない。
 宮崎市の和食の名店「喜泉」で、食事会を行うことにする。

 メンバーは私に加え、「光洋」のキミヤ3兄弟に、宮崎市最強の食通W氏という、かなり濃い面々でのカウンター貸し切り。店主、同業者+食通W氏という面子を前にして、少々やりにくかったかもしれないが、料理のパフォーマンスは相変わらず素晴らしいものであった。

【アラの造り】
Ara

 福岡専門と思っていたアラも近頃は、南九州でも出てくるようになったのは時代の流れか。
 喜泉の造りはいつ見ても、エッジの立ち方の鋭さと、切りつけの面のつややかさが見事。この包丁さばきを店主がいかにして得たかといえば、料亭等での修行に加え、福岡柳橋市場の魚卸店に勤めていたことがあり、そこで大量の魚を捌くことによって技術を習得したとのこと。なるほど、技術の向上には、やはり量は必要ですな。

【ノドグロ西京焼き】
Nodoguro

 このノドグロは素材がたいへんよかった。脂の乗りがすごく、ちょっと前に夢膳で食べたものより上質のもの。
 しかし、こういう上質の高級魚ノドグロを西京焼きにするとは、バチあたりというか、もったいないというか、なんとも強引な料理。
 西京焼きは、魚を西京漬けにすることによって、魚の旨さを凝縮するところがポイントなのだろうけど、これだけ脂の乗ったノドグロだと、その旨さは凝集されることなどなく、西京味噌の味から飛び出そうとばかり、その旨さを主張する。ノドグロの美味い味と、そして西京味噌の味が、マリアージュなどせずに、互いにギシギシと競いあう、不思議な食味の料理。
 良いノドグロをただ塩焼きにするのは寿司屋の肴、和料理ではこのように調理するのです、といった店主の気迫と気合を感じさせる料理であった。

【蕪の蒸し物・湯葉あんかけ】
Turnip

 関西ではよくみかけるけど、九州ではあんまりみかけない蕪の料理。
 蕪の擦り方がとても丁寧で、蕪の持つ甘みと旨みが最大限表現されている。湯葉と出汁もまた蕪の美味さをよく支えている。
 和の技術の冴えを堪能する料理。

【穴子と海老芋の煮物】
Conger

 この穴子がまた絶品。じっくり煮られた柔らかな穴子は、ほんのりした上品な甘さで味が整えられ、鮨屋の穴子とはまたことなる穴子の魅力がよく出ている。海老芋煮もその淡い甘さによくあっている。

 〆はマツタケ御飯にて。
 全コース、間然するところなく、和食の凄さと愉しさを伝えてくれる。
 あらためて、宮崎市の貴重な和食店であることを認識いたしました。

 今回は、仕入と仕込の専門職が同席であったため、専門家からの素材・調理の評価、感想を現在進行形で聞くことが出来、「ただ美味いものが食うことが好きな素人」の私としてはたいへんためになることが多き食事会であった。
 また今後もこのような会を開こうという話となり、つぎはW氏お勧めの「妙見石原荘」か、あるいは「美山荘」(ミシュラン星獲得おめでとうございます)で、と。美山荘はちと遠すぎるような気はするが、すでにW氏+キミヤ家は一度美山荘で食事会を開催しているそうで、…すごい人たちである。

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October 12, 2009

読書:利休にたずねよ 山本兼一著

 骨董集めと女遊びにうつつをぬかし、家業が傾くまで蕩尽をつくした、魚屋の道楽息子が、いかにして美の世界を極めつくした巨人に変貌していったか、その謎をミステリ仕立ての形式で描いた小説。

 本書は、利休が秀吉から死を命じられ、それが実行される日の描写から始まり、それから一章ごとに時をさかのぼっていくことにより、ベールを一枚ずつはぐようにして、利休の茶の精神の「芯」を明らかにしていく。
 まず著者は利休の茶会を描き、そこで茶の本質というものを説明している。茶の本質は、もてなしの精神の発露であり、優れた茶の場とは、すなわち優れたもてなしの場である。利休の茶会はたしかに、もてなしの心に満ち、客はくつろぎ、やすらぎ、愉しむ。…そして利休のつくる茶懐石の料理って、ほんとに美味そうだなあ。

 さて、利休のそのもてなしの精神の大元になるものは、ネタバレすれば、利休の若いころの絶望的にまでに狂おしい恋であった。利休には死別してしまった永遠の恋人ともいえる存在があり、利休はずっとその恋人をもてなすことを考え、最良の、最高のもてなしを行いたく、自らを向上させていった。その結果、美学の極致とでもいうべき茶道を完成したというのが、ミステリの解答となる。

 …こういうフロイド的解釈は、さすがにさんざんに使われ、すでに手あかにまみれてしまった小説技法ゆえ、説得力はまるでないのだが、著者の文章の力は卓越したものなので、ついついそれで納得してしまう。

 茶というものを蘊蓄合戦くらいに思っていた人(←おれだ)などには、茶の世界が、広くて深く、また愉快なものであることを知らせてくれ、目からウロコの体験ができる、そういう良書である。

……………………………………………
利休にたずねよ

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October 11, 2009

鮎祭り@由貴亭

 延岡は鮎の名産地であり、鮎が最も獲れる時期は10月ということになっていて、職場では月半ばで鮎やなで大宴会をやる予定が入っている。
 由貴亭でも、今の時期に野外で鮎の宴会を行うことを恒例としており、その誘いがあったので、行ってみることにした。
 場所は秀逸な地ビールをつくっている「ひでじビール」の醸造所敷地内のビアガーデン。ここは行縢山の山麓であり、たぶんここいらに良質な水が湧いているゆえ、工場を建てたのでありましょう。

【ビアガーデン】
1

 着いてみると、調理の真っさい中。炭火をおこして鮎を焼き、その横では地鶏が焼かれている。後ろに写っている山は、行縢山である。そばには川も流れ、虫の鳴き声も響き、いいロケーションの地だ。…ここまで来るのはちょいと面倒だけど。

【鮎の串焼き】
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 上の写真では分かりにくいので、改めて鮎の焼いているところ。
 炭火からやや離して、遠赤外線でじっくりと焼き上げます。これが理想の、魚の焼きかただな。

【天然鮎】
2

 この日に備えて、由貴亭店主は鮎を釣りまくっていたのだが、それだけで足りるわけはなく、鮎釣りの上手な知人を動員して、宴会用の天然鮎を確保したのである。これは相当な量が用意されており、宴会終了時にはまだ余っていた。鮎食べ放題の宴であり、鮎が好きで好きでたまらない人には天上の宴であろう。
 …もっとも集まってる人は、みな鮎が好きで好きでたまらない人たちであり、そういう人たちにも、鮎を4匹も5匹も食うのは、やや無理ではあったみたい。

【鮎の好きな人たち】
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 由貴亭を好きな人たちは、すなわち鮎を好きな人たちであり、延岡市からけっこう離れた行縢の山麓にも、たくさんの人が集まっていた。その集いのなかでの、サプライズの誕生日のお祝い。なにがなんやらわかりにくいけど、まんなかで誕生日を迎えた人がバースディケーキの蝋燭を吹き消しているところです。

 宴会に来ていた人たちに、鮎と延岡の自然についてのいろいろな話を聞く。
 川と水に恵まれた延岡の地といえど、年々鮎の漁獲量は減ってきており、以前は鮎の名所だったのに、今では獲れなくなってしまった瀬も増えてきているそうだ。
 美味い鮎は、貴重な財産であるからして、これをいかに後世に残し伝えていくか、そういう真面目な話も出てきた次第。なかなかためになることの多き宴であった。

……………………………………………
 ひでじビールのHP → ひでじビール 

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October 09, 2009

土産:光洋の玉子焼き

Tamago

 閉店近くまで飲み、玉子焼きが余ったとのことで、お土産にもらう。
 光洋は近頃玉子焼きを始めたのである。

 東京の寿司屋では定番の厚焼き玉子も九州では出す店が少なく、(出汁巻き玉子はどこでも置いているけど)、鮨の〆のさいに少々さびしく思うことが多いが、ついに登場ですか。
 この料理、なにしろ手間ヒマのかかるものであり、そのわりには九州では鮨通あるいは通ぶった人にしか喜ばれないという、店にとってはあまりモチベーションの上がるようなものではないのだが、そういうものを置いてくれるところに店主の意気込みを感じます。

 帰りに職場に寄り、仕事なかばの者たちに、知らないであろうからと、江戸前風玉子焼きに関してのウンチクを一席ぶって、それから玉子焼きを渡す。
 …迷惑な酔っ払いだな。いつものことながら。

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October 08, 2009

鮨:10月の光洋 バブリーな夜

 今夜は突然ヒマになったので、ふらりと光洋へ鮨を食いに行くことにする。
 ちょうど台風が日本を縦断したあとなので、海はめちゃくちゃな状況であり、仕入はよくないであろうと予測はしたが、それはあまり考えないことにした。

 さて席について、酒のアテを待っていると、光洋常連のW氏が登場。
 W氏は最初からかなりハイテンションである。じつはW氏は3日前にも来ており本日は来る予定はなかったのだが、その後光洋がいいアラを入荷したという情報を聞き、「美味いもの食うぞ!」の戦闘モードに入って光洋に突入してきたわけ。

 隣の席についたW氏と、「おひしぶり」の挨拶をかわすうち、今日はいいアラが食えるから、いい酒も飲まないといけない、自分が店にキープしている秘蔵の酒を飲みましょう、と愛知の酒「蓬莱泉・吟」を出してくれた。
 この酒初めて飲んだけど、大吟醸にしては香りが控えめなのに、口中に広がる旨みの複雑さが印象的、そして咽には清冽な感触を与えて、すーと流れていく。たしかにこれは名酒だ。入手するのは大変な手間がかかるとのこと。
 その希少な酒を、差しつ差されつぐいぐい飲んでいるうちに、10キロを超える大物アラの、一番脂の乗ったカマ焼きという、豪華な焼き物登場。寝かせて間もない獲れたてのアラの身は、ぷるぷるこりこりの愉しい食感。脂も良質なものが十分に乗っており、アラの新しい魅力をたっぷり教えてくれた。高級魚アラの、数限られた部位の料理であり、そうそう食べられるものではない、貴重な、バブリーなものをしっかりと体験させていただきました。貴重な酒「蓬莱泉・吟」とあわせ、バブリーな夜であった。
 その「蓬莱泉・吟」、美味すぎてついついピッチが上がり、私のほうが半分以上飲んだんじゃないのかな。W先生、失礼いたしました。

 本日はネタにはあまり期待していなかったのだけど、シャコや赤貝などは、なかなかの上品が出ていた記憶はあるが、…アラと蓬莱泉の印象が強すぎて、どれがどれやらどうでもよくなってしまった。わははは。(←わははじゃないって)

 その「蓬莱泉・吟」のwebから拾った写真。
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 醸造元のホームページをみると、他にもおいしそうな酒がずらずらと並んで載っております。

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October 07, 2009

読書:ナガサキ 消えたもう一つの原爆ドーム 高瀬毅 著

【浦上天主堂廃墟】
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 長崎の浦上は日本でも珍しいまでに幾度もの艱難におそわれた地である。
 長崎の港近き地ゆえ宣教師の訪れとともにこの地域ではキリスト教に帰依する者が多かったが、江戸時代の禁教令により彼らは迫害を受け、幾人もの殉教者を出した。それでも彼らは信仰を捨てずに隠れキリシタンとなって長い年月信仰を守っていた。明治維新とともに開国となり、浦上に外国の司祭が滞在し天主堂を建てたとき、隠れキリシタン達が訪れ、自分たちがキリスト教信者であることを告白した。しかし明治政府は幕府同様にキリスト教信仰を許すことはなく、彼らは囚われ、棄教を強いられ、それに従わないものは牢につながれ殺されていった。諸外国の抗議により明治政府がキリスト教を許可するまでその迫害は続けられた。
 浦上は、我が国のキリスト教の受難の象徴的な地であった。

 その浦上に、昭和20年8月9日、よりによってキリスト教者の国であるアメリカの原子爆弾が頭上で炸裂し、7万人を超える死者を出し、街の建物は破壊された。浦上天主堂も崩壊し、その時ミサを行っていた司教および信者たちも全員死亡した。
 かくも悲惨な迫害をいくども繰り返された浦上は、磔刑に処せられた街のように思える。

 戦争が終わり、街の復旧が進んでいくなか、原爆投下の惨劇を直に伝える天主堂廃墟は、貴重な原爆遺構として、保存が希望され、長崎市議会も保存を決議した。長崎市長も保存の意思を表明していたのであるが、なぜか急にその意を翻し、撤去の方針を打ち出し、1958年に天主堂廃墟を撤去し、そこに新しい教会を建てた。
 今に残されていたなら、広島の原爆ドームに並ぶ、人類の愚行を記念する貴重なモニュメントと成り得た天主堂廃墟は永遠に失われることとなった。

 本書は浦上の歴史、天主堂の歴史、長崎での被爆者達の思いなどを語ったのち、天主堂廃墟の撤去を決めた長崎市長の変節の理由を、当時の資料を集め、解明を企てている。
 変節の理由として、著者は市長が、アメリカの都市に招かれて(当時は国外に出るのは費用的に大変なことであった)、その後意見が180度変わったことから、アメリカの要請があったものとしている。たしかに、キリスト教者により建国されたアメリカという国にとっては、広島の原爆ドームはいざしらず、原爆に焼かれた教会の廃墟は、残されては迷惑なものではあったであろう。
 …著者の追及は、相当の過去の出来事を扱っていることもあって、隔靴掻痒の感はあり、じつのところ真の理由は闇の中なのではあるが、現実として、アメリカ訪問を終えたのち、市長は保存の方針を撤回し、ただちに廃墟撤去を決定し、貴重な遺構である浦上天主堂遺構はこの地から消えてしまった。
 著者の怒りと嘆きは当然のものに思われ、読んでいるこちらも同様の念を持たざるをえない。

【浦上天主堂廃墟のかわりにこのようなものが設置された】
C

 浦上教会は原爆資料保存会側から遺跡を残して、新しい協会は現在の平和公園のある地に建てなおすことを勧められた。しかし結局遺跡は撤去され、かわりに平和公園には原爆投下の記録として「平和祈念像」が設置された。

 私はこの像をはじめて見たときに、不快感とまではいかないにしても、それに近い違和感を感じざるを得なかった。日本の歴史上どこにも存在しなかった形式の像であり、どうみても白人男性をモデルにした、ポーズも表情も力の誇示しか示していないような、この像のなにが平和祈念像なんだろう?

 それがこの書を読んで私の違和感の理由が私なりに解けた。
 大戦後、長崎の被爆者たちの思いには、半ばやけくそのような、原爆恩寵論が実在していたらしい。
 すなわち「原爆が我々の上に落ちたのは、我々が戦争という大罪をおかしたため、神が我々を生贄の羊として選び、罰したのだ。原爆は平和をもたらすための神の摂理であった」てな、今となっては寝言にしか思えない論である。(でも以前の長崎市長も似たようなことを言っていたので、信じがたいことだが、まだ長崎には残っている思想なのかもしれない)

 この論から敷衍すれば、あの奇怪な平和祈念像がよく理解できる。
 あの平和祈念像こそ、「神の摂理」であり、「原爆そのもの」であると。
 平和祈念像の、いやらしいまでの力の誇示、arroganceとしかいいようのない表情。「平和」とはまったく異なる像全体の表現は、しかしあれが「原爆」と考えると、まったく矛盾なく理解できる。あの像から感じる第一の印象「力の誇示」は、まさに「原爆」の本質であるから。
 平和とは「力」によってもたらされるもの、という論は、一面の真理であることは否定しない。しかし、長崎の平和公園に、平和をもたらした神として「原爆」を祭るのは、それがアメリカのやったことなら(腹は立つだろうけど)理解できぬこともないが、何万人もの無辜の民間人を虐殺された日本人が、その虐殺の道具を神として祭るのは、どう考えてもおかしいよ。


 原爆投下の象徴としての浦上天主堂廃墟が失われてしまったことを、著者同様に、私も深く惜しむ。


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ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

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October 04, 2009

鮨:秋の夢膳

 ライブが終わったのちは、夢膳へと鮨を食いに行く。
 …が、着いてみると様子がおかしい。明かりはついているが、門が閉じており閉店の雰囲気。あれ、予約の日を間違えて伝えていたかなと思っているうち、女将さんがこちらに気づき玄関を開けてくれた。
 私が予定の時間を1時間過ぎても訪れないので、店のほうも予約の間違いかと思い閉店の準備をしていたとのこと。あれ、今は9時少しすぎたくらいのはずなのにと思って、携帯の時刻をチェックすると、なんと10時を過ぎていた。
 ライブが終わったとき、マリンメッセの(見にくい)時計を見ると8時50分だったので、ちょうといいくらいの時間だと思っていたら、…あれはじつは9時45分だったのだ。ライブ独自の時間の流れで、思いっきり時間の感覚がおかしくなり、おおぼけをかましてしまった。鮨屋の予約の時間はきちんと守るべし、というのが家訓であったが、ひさしぶりに破ってしまった。
 すでに仕事後の晩酌モードに入っていた店主に平謝りしながら、10時過ぎという遅いスタート。それでも造り、椀物、焼き物、鮨とフルコースでいただく。

【天然鰻の白焼】
Eel

 夢膳の鰻は初夏から始まるが、まだあったんだ。天然鰻の本当の旬は今頃なのであるが、まああっておかしくはないのだが、夢膳の鰻は7月というイメージが強いなあ。
 有明海で天然獲れた鰻は、皮が分厚く香りが高い。身も筋肉隆々としており、歯ごたえ十分で旨みも濃厚。この店の天然鰻を食べると、海で獲れた天然鰻というものが、鰻の中で独自の存在であることがよく分かる。養殖鰻の出来が良くなった今の時代でも、天然鰻にこだわる人たちがいるけど、この店のを食べるとその気持ちはよく理解できる。

【ノドグロ】
Nodoguro

 夢膳名物ノドグロは、いつもは対馬のものなのだけど、今週は海の状態が悪く(たしかにそうだ。大型台風も近付いているし)、長崎のもの。どう違うかといえば、脂の乗りがまったく違うそうだ。「今回くらいのは光洋さんでも出てきますよ」、と光洋を褒めているのか、けなしているのかよく分からない店主のコメントつき。この業界、仕入からしてすでに分かっているので、ごまかせない世界なのである。
 いつもの対馬のノドグロは、身を切ると、脂がとろ~りと流れて来るような脂濡れ濡れのものだけど、長崎のノドグロはといえばそこまでの脂の乗りはない。でも、それゆえのホコホコホクホクした身の食感は、これはこれでたいへんよろしい。

【ハモ椀】
Pike_conger

 ハモ椀はハモのストレート勝負。ハモの旨みが十二分というか十五分くらいに出た濃厚な出汁を塩で整えた、一歩間違うとハモくさくなるような椀だが、そのようなことはもちろんなくハモの旨さが幾層にも重なった、なんとも夢膳でしか出てこないような、素晴らしい椀。

 その後は握りをおまかせで。
 今夜は少しばかり酒が入っているので、精度が落ちているかもしれませんとのことであったが、いつも通りの豊かにして華やかな夢膳の鮨であった。

 夢膳の料理は、「非日常感」が満ちている。このようなものは家庭ではもちろん無理だが、一流の店でさえなかなか味わえるものではない。
 なにかとんでもない、なにかすごい、そういう料理を食べたくなる時があったとき、夢膳は第一に候補に挙げるべき店である。


 造り、椀物、焼き物、鮨とフルコースを楽しみ、終わったのは日付けが変わっての午前1時。まったくもうしわけありませんでした。

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