November 13, 2021

天才快進撃:将棋の革命児 藤井聡太

【ネムルバカ@石黒正数(著) より】

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 令和3年は二人の若き天才、大谷将平と藤井聡太の活躍にずいぶんと心が躍った。二人とも前代未聞の記録を次々と打ちたて、これからもさらなる飛躍を遂げること確実であり、我々はその高みに登っていく活劇を楽しんでいくことができる。
 それにしても、野球、将棋、どの分野も、努力の限りを尽くしたトッププロ達が、人の為す限界ギリギリのところでせめぎ合って、わずかな差を凌ぎきって勝ちをつかむ、凄惨な修羅場である。ところがひとたび「天才」というものが出現すると、天才はそんな勝負の鬼達をものともせず、易々とせめぎ合いの限界を突破して、彼らを置き去りにし、新たな世界に行ってしまう。まったく天才というのは、世の不思議であり、不条理でもあり、そしてエキサイティングなものである。 

【竜王戦第四局終局時】

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  1113日、将棋竜王戦において藤井聡太は豊島竜王を4タテで下し、竜王の座につくことによって19歳にして将棋界の頂点に立った。これは彼の才能からはまったく驚くべきものでなく、挑戦者になったときから、というよりは棋士になったときからの予定調和的出来事であった。

 そして勝ち進むうち、藤井聡太はその強さよりも、将棋そのものに注目を浴びている。その将棋の質から、藤井って30年に一度の天才と言われていたが、どうもそれは過小評価で、100年に一度の天才なのでは?とも言われるようになってきた。

 というのは、藤井が近頃指すようになった将棋は、今までの将棋の歴史と異なる、まったく独自のものと化しているからである。

【美濃囲い】

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  将棋を習うときに、まず習うことは「玉を囲え」ということである。将棋は自玉を詰まされると負けのゲームなので、自玉の安全度を優先させるため、玉を中央の戦線から端のほうに動かし、そして傍を金・銀で囲う。上はその囲いの代表例の「美濃囲い」であるが、このような囲いを完成させてから、相手への攻めに入る、というのが駒組の原則である。初心者はそう習い、そういう将棋を続け強くなり、そうしてプロになっても同様の将棋を指す。つまり「玉を囲う」は将棋の常識であり、これは将棋というゲームが誕生してから、ずっと正解とされていた。

 しかし、それに現在進行中で若き天才が改革をもたらしている。

 将棋というのは自玉は確かに大事だが、基本は「相手を先に詰ませば勝ち」というゲームである。ならば自玉を囲う手間など時間の無駄で、「とにかく敵より先に攻撃をしかけて相手の玉を詰ませばいい、それで勝ちだ」。そういう発想の転換を行った。その発想をもとに藤井は自玉を囲わず居玉のまま猛攻をしかけるスタイルを確立し、次々と勝ち星を積み上げてきた。
 そんなに勝率の高い戦法をなぜ今まで他の棋士は発見できなかったのだろうと疑問に思う人はいるだろうけど、思いついた棋士はたぶんいくらでもいると思う。ただし実行すると高い確率で破綻するので、それでやる者は払底した、というところだろう。

 相手よりも早く攻めれば勝ち、と書けば簡単だが、「攻めれば相手に駒を渡す」という将棋の特質上、どこかで反撃のターンは入るので、その時自陣が居玉だと、防御力が弱いのであっという間に負けにしてしまう。居玉はものすごく運用が難しいのである。ところが藤井聡太は盤全体の駒でバランスをとって、たとえ居玉でも安全なマージンを持って戦っているので、少々危ない目にあったとしても最終的には必ず勝ってしまう。つまりは天才にしかできない芸当で、それで藤井聡太は連戦連勝を続けている。

【居玉 VS 居玉】 

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 分かりやすい例として、今年の王将リーグ戦からの対豊島将之戦をあげてみる。
 自玉を囲っていては藤井に速攻をかけられ主導権を握られることを豊島は重々承知しているので、自分も居玉のまま、歩を犠牲に手得を得て先に猛攻をかけたのであるが、その攻撃がいったんやんだのち、藤井に攻めのターンが回ると、桂馬が飛んだらもう豊島陣は崩壊している。居玉の弱さがそのまま出た形で、すべての駒が攻撃目標になり、玉の逃げ場もない。このあとすぐ豊島は投了に追い込まれている。

 まったく、自玉を囲おうとすると速攻をかけられボコボコにされ、では居玉のまま攻めたら居玉の弱さをつかれてやはりボコボコにされる。相手からすれば理不尽としか言いようのない、まさに才能の暴力そのものの革新的将棋を指しているのが、藤井聡太という天才である。

 

 この若き天才による将棋の革新はさらに進化していき、今まで見たことのなかったような将棋を次々に見せてくれるであろう。将棋ファンとして、素晴らしいスターのいる時代に居合わせた幸運に感謝。
 あと欲をいえば、将棋の名棋譜って一人でつくるものでないので、もう一人くらい次に続く天才好敵手が現れてくれれば有難いが、そんなに何十年に一人の天才が幾度も現れるわけもなく・・・まあ無理か。

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November 06, 2021

イカキングに会いたい

 久しぶりに更新。

 このブログは主に旅と外食をメインのネタとしているものなので、このご時世なかなか新たな記事をUPするのもはばかられ、ブログを放置する日々が長々と過ぎたのであるが、あまりに放置しすぎて管理人がコロナでくたばっていると思われるのもなんだし、それにようやくコロナの出口が見えてきたこともあって、今後のつまらぬ抱負を述べるがてら更新。

 それにしても、2020年の3月から一気に世界と社会が姿を変えたのは、多くの人と同様に人生初の経験であった。こういうことがグローバルに起きるのは偶発的大戦争とか破局的噴火くらいであろうと思っていたが、この医療の進んだ時代に、パンデミックが生じるとはまさに青天の霹靂であり、まあ世の中何が起きるかわからないという当たり前の真理をこの時代に思い知ってしまった。

 コロナの蔓延により社会規律も変わり、私の職場だって新たな対応を進めていたのであるが、誰もが初めて経験することであって、それは手探り状態で進めざるをえず、昨年の4月から5月にかけては仕事がまったくなくなり、社会人になってこれほど暇で楽な日々を過ごしたことはなかった。それでも給与所得者としては給料は普通に出るわけで、「これぞ給料泥棒」となんとなく職場に悪いなあなどと思ってはいたが、そのうちコロナに対応する新たな仕事が次々と生じ、ひどいときはてんてこ舞い状態になり、なるほどやはりトータルではまったく楽できない、人生は勘定は合うようになっているんだなと、「人生万事塞翁が馬」とか「禍福は糾える縄の如し」とか「天網恢恢疎にして漏らさず」とかいう諺を頭に浮かべつつ仕事をしながら今にいたる。

 コロナのせいで仕事も変化したが、生活も変わり、私のようなどこそこにすぐ出かけたがる人間にとっては窮屈な日々だったけど、それでも感染の波の合間を縫って、ちょこちょこと遠出はしていた。自粛、自粛で気がめいるなか、たまに出かけて見る珍しい光景というものは、やはりなによりも精神のリフレッシュになり、心身の健康にとても良いものであったと、あらためて思う。

 その旅で、見つけたいくつかの不思議物件を紹介してみよう。

 【土偶駅@木造駅】

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 青森はJR五能線の木造駅。この駅舎の外壁に遮光器土偶が飾られている。土偶があまりに巨大すぎて、遠目には土偶が駅そのものに見えてくる。その怪異な姿は日本の駅舎のなかでも唯一無二のものであって、ローカル線の無人駅なのに、これを目当てに多くの観光客が訪れるという。
 さすがにこれのみ目当てで青森に訪れたわけではないが、それでもこの普通の町に、違和感たっぷりにその存在をアピールする巨大土偶を見たとき、「ああ、これはやはり一度はナマで見るべきものであった」と、己のサーチ能力に感心しつつ満足した。 
 なおこの土偶、ただの飾りではなく、実用的能力も持つ。土偶の細い目は、列車が近づいたときピカピカと光り、人々に列車の到来を知らせるそうで、きちんと世の役に立つ働きものなのである。

【カニ爪オブジェ@紋別町】

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 北海道はオホーツク海に臨む紋別町。その海浜に高さ12mの巨大なカニの爪が聳えている。広々とした海浜公園で、ニョキっと空に爪を立てる、この大きなオブジェは、その巨大さと鋭さで、紋別がズワイガニの名産地であることを知らせる、というよりも、もっと激しい役割を感じさせる。
 オホーツクの荒れた海を前に、毅然と屹立する巨大なカニ爪は、厳しい北海の大自然に真っ向から立ち向かう、北海道防衛隊最前線隊長といった勇敢さを感じ、観る者の精神に高揚感を与えてくれる。
 なお、このカニ爪オブジェはかつての芸術祭の時に作られたものであり、以前は他にもいくつか北の海を表すオブジェが設置されていたのだが、それらは北海の厳しい気候に耐え切れず老朽化して除去されてしまい、今ではこの頑強な勇士、カニ爪のみ残っている。

【礼文岳@礼文島】

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 北海道、花の島として有名な礼文島の最高峰「礼文岳」。礼文島を登山目当てに訪れる人はあんまり居ず、私も登山目的で訪れたわけではないものの、そこに山があるからにはとりあえず登ってみよう、とカジュアル靴のまま登ってみた。
 標高490mの山なのであっさりと山頂には着いたが、この山頂、あるはずのないものがある。それは山頂標柱の奥にあるハイマツであり、この植物は本州では高山でしか見ることはない。それも森林限界を突破した2500mくらいの高さから現れ、これを見たことのある人はある程度気合の入った登山者のみという、けっこうレアな植物なのである。それが標高500mにも満たぬ低山に群生していることに驚いてしまった。
 結局はそれだけ北海道の自然が厳しいということであり、本州では2500mを越えないと体験できない寒気というものが、北海道では500m程度で現れてしまうということだ。じっさいに礼文島の冬の厳しさというものは相当なものであり、住む人々は冬のあいだはただ家に閉じこもっているしかないそう。

 

 今年経験した不思議物件、他にもいろいろあれど、とにかく世の中には実際に観ないと実感できないものは多く、やはり旅というものは大事だなあという結論。

 

【イカキング@石川県能登町】

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 そして今特に気になっている不思議物件は、能登町にある「イカキング」。
 イカキングはイカ漁の名所九十九湾のもと、「イカの駅つくモール」に設置された巨大イカオブジェである。
 この手の頭足網軟体動物の置物は、タコと相場が決まっておりイカは滅多にない。なぜならタコは造形が単純でまた安定性がよいので、公園に滑り台のたぐいなどでよく見ることができる。しかしそれに対してイカは形が流線形で、足も長2+短8の複雑な形をしており、作るにも設置するにも費用と手間暇がかかるからだ。ところが能登町は敢然と2500万円という大予算をかけてこの難プロジェクトを実施した。そしてその出来上がりの姿の写真をみると、なかなか躍動感ある、立派なオブジェに思える。
 その予算、コロナで疲弊した地方経済を支えるための政府からの補助金を利用したものであり、当初はイカの化け物に、コロナ対策用の巨額な費用を使うなんてという非難の声もあったそうだが、いざ完成すると、造形の良さもあって、人気の観光名所となり十分にペイできそうな状況。

  世には見たいもの、見るべきものが、たくさんある。
 まずは、年末年始、非常宣言等が出ていなかったら、能登まで行って、コロナの荒波を悠々と泳ぐイカキングの雄姿を見てみたい。

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July 17, 2020

天才が天才を語る @将棋棋聖戦雑感

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 現在の将棋界の最強者渡辺棋聖に、新進気鋭の高校生棋士藤井聡太七段が挑んだ棋聖戦は激闘の結果、藤井七段のタイトル奪取となり、最年少タイトル獲得の記録更新となった。

 ここで将棋の歴史をさらりと解説してみる。
 江戸時代は幕府に庇護されて家元制であった将棋界が、明治維新になってスポンサーを失い、家元制度を廃止して実力制に変更したのち、その世界は中国大陸の歴代王朝みたいなものになった。
 将棋という激しいゲームは、その強さは純粋に才能によって決まるので、強い者は子供の頃から図抜けて強く、その強さは頭の体力が弱って来る40才代まで持続する。そして将棋の世界では、真の天才はだいたい25年に一度くらいの周期で出現する、というのが今までの歴史で分かっている。人類って、それが種としての能力の限界のようなのだ。この25年に一度の天才が覇者となって将棋界を20年間くらい統一し、その力が衰えてくると群雄割拠の戦国時代がしばし続く。やがてそのうち棋界の法則に従い、一人の超天才がまた出現して棋界を統一する。そういうことをずっと繰り返してきた。
 おおざっぱにいえば50年代から70年代までが大山康晴の時代、70年代から90年代が中原誠の時代、そして90年代からが羽生善治の時代である。羽生は平成の30余年を第一人者で棋界に君臨することになった。鬼神とも畏れられたその強さは、しかし近年となってさすがに衰えて来て、ずっと保持してきたタイトルを次々と手放すことになり、そこから将棋界は一時期8人もの棋士で8つのタイトルを分け合うまさに戦国時代になった。こうして将棋界は、次代の覇者を迎えるばかりの状況となった。
 その時代の覇者は誰か? ということに関しては4年前に既に答えは出ていた。2016年に当時中学生の藤井聡太がプロ入りしたからである。彼がやがて棋界を制覇する器であるのは衆目の一致するところであり、そしてあとは、いつ彼が棋界の覇者になるのかということだけが将棋ファンの関心となっていた。

 羽生級、藤井級の天才は滅多に出てこないけど、しかし、今回の挑戦を受けた渡辺棋聖だって大変な天才である。なにしろ彼も中学生の時にプロになり、20歳にして将棋界最高位の一つである竜王を獲得し、それから現在に至るまで何らかのタイトルを保持している、将棋史に残る名棋士であるのは誰もが認めるところである。
 そして渡辺は頭の回転が早く、笑いのセンスもよくて、彼の将棋の解説はとても面白く分かりやすい。また文才もあってブログや週刊誌のエッセイも質が高い。さらには元棋士であった妻はメジャー少年雑誌に連載を持っており、そこで渡辺棋士のリアルな将棋生活が楽しくかつ詳細に書かれている。渡辺は将棋界随一のスポークスマンであり、その棋譜とともに、将棋界への貢献度は非常に高いものと言える。
 しかしながら、羽生が日本中誰でも知っている有名人なのに比べて、渡辺の人気は将棋界に限定されていて知名度ははるかに低い。渡辺明の名を聞いたのは、今回の藤井新棋聖誕生のニュースが初めて、という人は多かったろう。
 渡辺明の有能さに比して、その待遇はあまりに低すぎる、と私などは残念に思っているのだが、その原因については、渡辺明がキャラクター的に地味であったからというのが定説になっており、これは本人にはどうしようもないことなのであって、重ね重ね残念である。これについては当人が漫画で茶化して述べていて、まあ面白いけど、ちょっとかなしい。

【将棋の渡辺くん(1)】

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 渡辺明は将棋の評論家としても出色の才があり、その核心をついて正直な評は参考になることが多い。
 渡辺明は強敵ぞろいの羽生世代(羽生、森内、佐藤、郷田等々)と互角以上に戦い続け、さらには自分より若い世代の挑戦を退け続けてきた強者であるが、ついに渡辺時代というものは築けなかった。いや、渡辺の棋士人生では今が最も強いのは明らかであり、羽生世代がすっかり衰えた今、彼が覇者になる可能性もないことはなかったのだが、藤井聡太の台頭があまりに予想通りであったため、その実現は極めて可能性が低くなった。渡辺自身がそれを確実に想定しており、将棋界は羽生時代ののち自分たちがゴチャゴチャ争っているうちに、藤井くんがそれを横目に一挙に抜き去り、自分たちは藤井くんを追いかける存在になるであろうと既に一昨年の時点で言っていた。

【将棋の渡辺くん(2)】

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 渡辺明ほどのトップレベルの棋士になると、トーナメント戦上位か、タイトルリーグでしか棋戦が組まれないため、新人棋士は指す機会がほとんどないのだが、藤井は強いのでトーナメント戦を容易に勝ち抜き上位に上がって来るので、プロ入り二年目にしてさっそく渡辺と対戦が組まれることになった。
 それはトーナメント朝日杯の決勝戦であった。渡辺は藤井との対戦に対し、こちらは長くプロでトップをはってきた先輩だ。いくらなんでも今はまだ自分の力のほうが上だろう。ここは、「おれと戦うなんて10年早いんだよ」、と圧勝して先輩の貫録を見せつけてやる、という予定だったのだが、あに図らんや、自分のほうが鎧袖一触されてしまい、藤井は想像以上にはるかに強い、自分はもう抜き去られているのではなかろうかと考え、いや待て、藤井とて万能というわけではない、苦手な戦法や指し方もあるであろう、自分はそれをしっかりと研究して勝負に持ち込まないといけないと自省した。

【将棋の渡辺くん(3)】

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 それから2年が経った。
 藤井はついにタイトル戦である棋聖戦トーナメントを勝ち抜き、最年少記録で挑戦者となった。
 渡辺棋聖は最も手強い挑戦者を迎えることになった。渡辺は藤井の強さは十分に知っているが、相手はまだ17歳、そしてマスコミの注目を大いに浴びるこの一戦では、なんとしてでも勝たねばならない大一番である。渡辺は宣言通り、対藤井戦へ徹底的な研究を重ねてこの戦いに臨んだ。

 今回の棋聖戦の全四局は、将棋史に残る熱戦ぞろいで、どれも大変に面白かった。渡辺は精緻を極めた構想で、中盤までに優位を築く。しかし藤井は盤面全体を使った妙手奇手のたぐいを繰り出し、局面を複雑極まりないものに誘導する。そして終盤に近づき、最善手をずっと続けないと勝てないような際どい局面にいたると、たいていは渡辺が最初に最善手を逃す立場になり、するとそこを起点として一挙に藤井が優勢を築きあげそのまま押し切ってしまう。こういう戦いが繰り返され、結果3勝1敗で藤井が最年少でタイトルを獲得したのは全国に大きく報道されたとおり。

 この棋聖戦について渡辺明がブログや談話で述懐しているけど、我々からは拮抗した名勝負にみえていた各局も、渡辺にとっては、競いあっているうちに、相手から予想もしない手が次々に出て来るので、自分がどう指したらいいのか分からなくなり、良い対応手を見つけられずに、ずるずると負けに引きずり込まれていった、もう棋力が違っていて、お手上げとしかいいようのないものであったそうだ。しかし、相手が圧倒的に強いということは分かったが、まさかこのままずっと負け続けるわけにもいかないので、なんとかさらなる研究を積み重ね、彼の弱点をみつけ反撃の手がかりにしたいとも語っていた。

 天才のことは天才が最も知っているのであって、今回の藤井新棋聖の強さの本質というのは渡辺の批評がたいへん分かりやすく、有難いものであった。

 私は、昭和50年代、谷川浩司の名人奪取の頃からずっと将棋を観戦しているけど、羽生の台頭から君臨あたりが、棋譜そのものも、世間の盛り上がりも一番面白かった。そして羽生に続く30数年ぶりの新覇者の登場、これによってあと30年間はまたスリリングで熱い棋戦の数々を楽しめそうである。人生の新たな楽しみが出来たことに感謝。

 …………………………

・ 記事中の漫画は、伊奈めぐみ著「将棋の渡辺くん」から。漫画自体も面白けいど、wikipediaに書かれている執筆に到る過程もまた面白い。

 

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June 27, 2020

森の貴婦人に会いに行ってひどい目にあった話

【森の貴婦人 オオヤマレンゲ】

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 その清楚にして華やかな佇まいから、「森の貴婦人」とも称される山の名花オオヤマレンゲ。美しい花であるが、標高1000m以上でないと育たない樹に咲くため、高いところに行くことが好きな人しか見ることのできない、やや観賞に難易度を持つ花である。
 この花は梅雨の時期が開花の旬であり、そして雨にそぼ濡れた姿がより魅力的であるため、少々の雨くらいは気にせずに山に登って、そしてその姿を愛でるということがままある。

 6月最終末、土曜日の天気予報では梅雨前線が北上して北部九州は豪雨であるけど、宮崎は午後までは薄い雲がかかる程度の曇り時々雨で、そして夕方から豪雨になるとのこと。それなら宮崎の最高峰の祖母山(九合目にオオヤマレンゲの大群落がある)なら、さっさと登ってさっさと下りれば大丈夫だろうと思い、尾平の登山口まで行ってみた。

【尾平登山口】

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 普段は突兀たる岩峰をいくつも突き立てる祖母山の勇壮な姿が見られる尾平登山口であるが、本日は中腹から雲のなかに隠れている。稜線に出てからの展望はまったく期待できないだろうけど、今回の目的は展望ではなくオオヤマレンゲなので、ノープロブレム。

【奥岳川】

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 祖母山の登山道はまずは奥岳川に掛けられた橋を渡る。深山の渓谷なので、水は透明に澄んでいてうつくしい。いくつかの橋と渡渉を経て、黒金尾根にとりつき登っていく。

【雲の中】

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 本日は最高気温が30℃で、そして湿気が高く、登っていて蒸し暑くてしかたない。しかし標高1000mを越えたところからは雲のなかなので涼しくなるだろうとそれを楽しみに高度を上げていったが、いざ入った雲のなかは小雨であって、雨具を着ないといけなかった。風がなく気温の高いなか、急傾斜の登山道を雨具を着て登っていくと、余計に蒸し暑く、稜線に出るまでは修業の登山であった。

【稜線】

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 稜線に出ると小雨から霧雨に変わり、フードを被らなくてよくなったので、大変楽になり、風景を楽しむ余裕も出る。
 薄ピンクの縁取りを付けたベニヤマボウシの奥、霧の中に天狗岩が見える。

【オオヤマレンゲ】

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 山頂を過ぎ、九合目小屋周囲がオオヤマレンゲの大群落地。
 半球型の純白な花びらを付けたオオヤマレンゲがいたるところで咲き誇っている。雨の季節、束の間の饗宴を楽しむ貴婦人たちの宴の舞台。そして目論見通り、霧雨に濡れ雨滴をまとった花々はさらに瑞々しさを増していっそうその魅力を高めていた。
 修業の末に観ることができた、この素晴らしい世界に満足してあとは下山するのみ。

【宮原登山道】

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 帰りは宮原尾根を下山。
 しかし宮原尾根の雲のなかは大雨であった。稜線越えるだけで天気ががらりと変わるのは山ではよくあることだが、しかし尾根一本違うだけで雲のなかがこうまで違うとは驚きであった。大雨に登山道は水で満ち、小川と化している。こちらの尾根もけっこうな傾斜なので、とにかく滑って歩きにくい。そのうち遠くで雷が鳴りだした。そんなの予報では言ってなかったぞ、と腹を立てつつ、それはさておき山のなかの雷ほど怖いものはなく、ゴロゴロ鳴る音はたいへん心臓に悪い。そして雷に加えて、夕方になると雨が本格的になるのは予報で分かっていたので、さっさと下山したく気は焦るが、無理に急いで滑って転んで足でも捩じったら大変なので慎重に時間をかけて下るしかない。
 急ぎたいが、急げないという苦行の時間を経て、標高1000mくらいでようやく雲を抜けて雨は小雨となった。雷もどこかに行ってくれた。やれやれである。

【宮原登山道渡渉部】

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 下っている最中、下の方から沢の音が轟々ととんでもない音で響いて来ていたので、今日は渡渉は無理かなと思っていたが、迂回ルートは遠回りになるので、とりあえず渡渉部がどうなっているかそこまで行ってみた。
 すると水量はたしかにいつもと比べはるかに増量していたけど、渡って渡れぬこともないようなので、十分に気をつけて渡渉に成功。

【奥岳川】

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 宮原ルートの橋の上から見た奥岳川。
 午前中の清流とはうって変わって、濁流うずまく荒れた川となっていた。

【尾平登山口】

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 尾平登山口から祖母山を振り返る。雲はさらに下に下り、あたり一面も水浸しであった。
 このあと車を走らせていると、尾平トンネルを越えたところあたりから、雨は土砂降りになった。下山がもう少し遅れると、前も見えないような豪雨のなかを歩く羽目になったわけで、なかなか危ういタイミングであった。

 本日は、霧雨に濡れたオオヤマレンゲ観賞というミッションは無事に達成できたが、天気図の読み方がまったく甘くて、いろいろと反省多き登山であった。ちなみにこのオオヤマレンゲの旬の週末、祖母山では誰にも会わなかったし、また駐車場にも私の他には一台も駐車していなかった。通常の感覚だと、この予報では登山自体が論外だったようで、それもまた反省材料の一つである。

 

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Mtsobo

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May 10, 2020

令和2年5月 宮崎のアケボノツツジ

【狛犬@延岡今山八幡宮】

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 GWは遠方へ旅行するか、あるいは登山遠征に行くかがここ数年のルーチンであったのだけど、今年はコロナ禍による緊急事態宣言のために、遠方に行き難くなった。この宣言の本来の目的である感染抑制の趣旨からすれば、人との接触を避けながら車中泊を繰り返し、遠方地で散策なり登山をするなら、とくに問題はないようには思うものの、(じっさい、そういう人々はある程度いたとは思う)、感染者数の少ない県では、ウイルスの持ち込みに対して敏感になっており、宮崎県においてもGW期間中は主な観光地や登山口の駐車場は使用禁止となっていて、さらに「県外の人の来訪は御遠慮ください」との立看板も設置されている。これは他県も同様と想定され、ならばそういう排他的な場所を他県ナンバーでこそこそ移動するのは、どうも精神衛生上よくないと思え、今回のGWはおとなしく宮崎県内をうろうろとすることにした。
 GWの宮崎といえば、なんといっても山に咲き乱れるアケボノツツジ。標高が高く、自然条件の厳しいところにしか生えない樹ゆえ、そこに行きつくまではけっこう大変なのだけど、いったん見ればそれまでの苦労があっさりと報われる絢爛豪華な花なのである。

【諸塚山】

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 アケボノツツジは見るのが大変とは書いたが、例外的なのが諸塚山である。諸塚山のアケボノツツジは登山口から歩いて5分のところに大群落があり、散歩気分でそこまで行くことができる。ただしこれは諸塚山の登山口が標高1200mの高さにあるという、ある種反則的な理由による。そしてその登山口まで車で着くのにはくねくねした山道を長距離走らねばならず、結局はやはり大変なのだ。

【大崩山】

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 GWは全国からアケボノツツジを目指して登山客が集まり、登山口近くは路上駐車があふれる大崩山も、今年ばかりはさすがに閑散としていた。
 人は閑散としていても、それとは関係なく、旬のアケボノツツジは岩稜帯に密集して咲き誇っていた。どの樹々も花のつきが多く、今年は当たり年だったようだ。袖ダキから小積ダキまでの道は満開のアケボノツツジだらけであり、花に酔ったような気になった。

【パックン岩@鉾岳】

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 近頃発見(?)され県北の有名スポットとなった「パックン岩」。ナムコのゲーム「パックマン」のキャラとそっくりということで名付けられた岩である。
 県北の者として、一度は見に行くべきとは思ってはいたもの、ここの登山口に到るまでの県道が狭いうえに、近くに鹿川渓谷という観光地があるため交通量が多く、運転にいろいろと気苦労があるため行く気が出なかったのだが、今なら交通量も激減だろうと思い行ってみた。予想通りに交通量が少なくスムーズに登山口に到着。
 パックン岩は鉾岳への途中にあり、たしかに特徴的な岩である。ま、話のネタにはなるでしょう。パックン岩に来たついでに鉾岳にも登ろうかと歩を進めたが、適当に登っていたせいで尾根を一つ間違え、反対方向の山の頂きに出てしまった。で、同じような高さで向かいの鉾岳を見ると、もうそこでどうでもよくなり、さっさと下山した。そこで咲いていたアケボノツツジが美しかったこともあり、私としては満足であった。

【尾鈴山】

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 尾鈴山は稜線上にアケボノツツジとシャクナゲがほぼ同時期に咲くので、この時期は一粒で二度美味しい登山が楽しめる。
それで登った尾鈴山、すでに花の旬は過ぎており、シャクナゲは終盤、アケボノツツジはほぼ終わりであった。薄桃色の花びらが散りばめられた登山道を歩きながら、そこで眺める終わりかけの花々もまた風情あるものと思うのであった。

 アケボノツツジの咲く山は、他にも夏木山、五葉岳、祖母山、傾山・・・といい山がたくさんあるけど、それらは稜線が県境になっていて、半分大分県みたいな山なので、今回は遠慮して、登るのはすべて純宮崎県の山にしておいた。

 

 それにしても新型コロナ禍、相手はウイルスなので無くなることはあり得ず、免疫獲得、診断治療法の進歩、弱毒化等を経て、既存のコロナウイルス並みの存在になるまでは、相当な時間がかかるのは確実で、我々はこの厄介なものと長くつきあわざるをえない。今、一般人が普通にやれることは感染の大きな原因となっている「三密」を避けるということが一番であろうけど、そうなるといろいろな文化がなくなってしまうだろうなあ。
 山でいえば、「山小屋」なんて三密の典型みたいなもので、今後数年間は山小屋の営業はどこも無理であろう。そうなると今年からの日本アルプスは、テントと寝袋食料を担ぐ体力のある人しか入れない山となってしまう。それはそれでいい面もあろうけど、山小屋がなくなると、登山道をメンテする人がいなくなるわけで、これから登山道はそうとうに荒れることが予想される。コロナのせいで、登山の文化も変わっていくのは哀しいものがある。登山以外にも、あらゆる文化においてひどい影響が出るだろう。
 ただし、人類が経験したウイルスのパンデミックは必ず終焉があった。どんな形にせよゴールは必ずある。この厄介にして面倒なコロナ禍が一日でも早く終息しますように。

【今山大師@延岡】

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February 26, 2020

グリザベラ@キャッツはなぜ嫌われているのか? & 絵画と寓意

【グリザベラ:Elain Paige】

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 以前キャッツの四季版ミュージカルを福岡で観たのち、西中洲で宴会してからカラオケで二次会を開いていたときに、「グリザベラはどうしてあんなに嫌われているのか?」という話題が出た。
 劇中の野良猫コミュニティでは個性豊かな猫たちが勝手気ままに仲良く暮らしているのに、グリザベラだけは禍々しいもののように扱われ、姿を見せただけで舞台の雰囲気が暗転し、みなグリザベラから逃げ去ってしまう。
 それほどまでに忌み嫌われているグリザベラであるが、劇中ではそれに対する詳しい説明がないので戸惑う人がいるようだ。それで何故グリザベラが嫌われているかについての考察をふんふんと聞いているうち、いろいろな解答例がでたけど、それらは
(1)グリザベラが娼婦だから。
(2)グリザベラがかつて猫のグループにひどいことをしたから。
(3)グリザベラが空気を読まない、いわゆるKY猫だから。
 と三つくらいにまとまることになった。
 これらについて解説を述べると、
(1)の娼婦説についてはまずないだろう。西洋の芸術作品において娼婦という職業はいろいろと複雑な役割を持たされることになるが、たいていは魅力的な役であり、一方的に忌避される存在ではない。だいたい劇中の妖艶猫ボンバルリーナとかディミータとかはその手の職業猫っぽいし。
(2)については、それならきちんとその過去について述べるはずなので却下。
(3)については判断が微妙である。グリザベラがKYなのは事実で、そして「嫌われているのに、それに気がつかずにグループに接しようとするので、さらに嫌われる」悪循環の原因になっているのは明らかなのだが、大本の「何故嫌われているか」の説明にはならない。
 というわけですべて不正解。

 じつはグリザベラが嫌われている理由、それはあまりに明らかなので、劇中ではいちいち説明する必要はないのである。ただしそれは西洋の文化基準によるもので、西洋人には明らかでも、東洋的文化基準とはずれているので、それで我々には分かりにくいんだなあ、とこれらのディベートを聞きながら私は思った。

 正解をあっさりと述べると、グリザベラが嫌われているのは彼女が老女だからである。西洋文化的には、老いたる女性は、それだけで忌避されるべき忌まわしい存在なのだ。東洋にはそんな文化はないので、このへんにどうしても違和感を持ってしまうのであるが、そういう前提があることを知っておかないとキャッツは肝心のところが分からないであろうと思う。

 

 以上については私の勝手な思い込みとか思う人もいるであろうが、これについては西洋の美術の勉強をすると、イロハ的に最初のほうで入って来る知識なので、その手の勉強が好きな人にとっては常識である。
 写真と違って絵画にはそこにあるものは全て意図を持って存在している。そして西洋美術においては、画かれた人物なり静物にはアレゴリー(寓意)とかアトリビュート(特定へのヒント)が関わっているものが多く、それらを読み解くことによって、絵全体の理解が進みやすい。だから西洋の美術を観賞するときに、これらのアレゴリーやアトリビュートの知識があると、より一層理解が深まり、興が増す。
 そして「老女」のアレゴリーはまずは「死」。そして「忌むべきもの」「禍々しいもの」というふうになる。「老女」は人に否応なく死という不吉なものを意識させる、汚らわしい、なるべくなら身近から遠ざけるべき存在、というわけだ。
 私は若いころ美術のムック本でその項を読んだとき、我々の東洋文化の常識から外れたその概念に、ひっでぇなあと憤慨した記憶がある。そして、ならそれは男性だって一緒だろうという当然次に思う疑問に対してのムック本の解答は、老いたる男「老人」のアレゴリーは「叡智」とか「賢明」とかいう良いものである、ということだったので呆れてしまった。つまりあちらの文化的には「老女」というものは若き日の美しさを失ってしまった全く役に立たないどころか忌むべき存在なのに対して、「老人」のほうは若き日の体力は失ってしまってもその分智恵と経験を蓄えた敬すべき存在だ、ということだ。こういうアレゴリーがあるので、西洋の宗教画などでは威厳ある男性の神は老人ないしは壮年の姿で描かれることが多い。対して神々しい女神はまず若い女性の姿であり、老いた姿で描かれることはまずない。


 ともあれ、西洋の芸術では、女性に対して若さを過剰に賛美し、そのかえりに老女を卑下する概念が基礎にあるため、老女はいかなる分野でも大きな役はもらえない。もしもらえるならその不吉さを表に出した「魔女」役くらいであり、だから美術、小説、劇、童話では、存在感ある老女ってたいていは「魔女」である。あの膨大な多種多彩の魅力あるキャラクターを創出した偉大なシェイクスピアでさえ、その多作の劇で、一流の俳優が演じるに値する老女役って、マクベスの魔女くらいであろう。
 まったくこの文化は今にいたるまで徹底しており、ミュージカルのキャッツでは老女グリザベラがああも嫌われているのに対して、老人男性陣では、長老オールド・デュトロノミーは畏敬の対象だし、肥満猫バストファー・ジョーンズも尊敬されていて、老残の駄目オヤジ猫アスパラガスでさえ皆から愛されている。ずいぶんな違いである。

 もっとも21世紀の西洋では、性別・人種等の差別を防ぐべくポリコレがうるさいので、ハリウッドも原作をそのまま映画化することはできず、老女グリザベラは中年女性に、智恵深き長老オールド・デュトロノミーは女性に変更になっている。作成陣もさすがにキャットは元のままでは現代の映画にはできないと認識していたのだ。ただし役割りの改変はよいとして、歌詞はそのまま採用したために、クライマックスの「メモリー」の整合がとれなくなっている。メモリーでは「年をとって私は若き日の美しさを失ってしまい、誰も相手をしてくれなくなった。こういう年老いた哀れな私に誰か触ってください」とグリザベラが切々と感動的に歌い上げるのに、それを歌うのが現役感バリバリの艶満な中年女性じゃ違和感ありまくりで、原作を知らずに映画を観た人はこの場面で、頭に?マークがいっぱい浮かんだのでないだろうか。映画キャッツが多くの評者から、まったくの怪作と評されることになった要因の一つである。
 ま、ポリコレというのはあくまでも建て前なので、ハリウッドの現実は今もそのままである。ハリウッドでは男性俳優が年をとってキャリアップするにつれギャラも上がっていくのに対して、女優は若き頃と比べての年を経ての扱いって男性と比べてひどいの一言だ。「ノッティングヒルの恋人」でのジュリア・ロバーツの嘆きは、今も通用するものだろう。

 こういう妙ちくりんな文化、それが当たり前の概念として存在しているため、西洋の絵画ではそれが堂々と描かれている。
 代表例として、ハンス・バルデゥング・グリーンの「女の三世代と死」をあげてみよう。

 

【The Three Ages of Woman and Death】

3-age

 解説をする必要もないような露骨な絵であるけど、絵には女性の三世代、「赤ん坊と若い女性、それに老女」それに砂時計と折れた槍を持った「死」が描かれている。
 若い女性は美しさの盛りであり、生の豊かさを謳歌しているさなかである。しかしその隣の老女は「美しいお前が味わっている人生の豊かさは束の間のものであって、すぐに私のような醜い存在になってしまうのだ。さあ、早くこっちに来なさい」というふうな表情で布を引っ張っている。そして老女と一体化した「死」は、その流れる時の速さを測るかのように砂時計を見つめている。
 この不快な絵、好意的に解釈するなら、「若きの日は貴重である。だから大事に使いなさい」との教訓を描いたものとかにもなりそうだが、しかし絵そのものからは、中心に置かれた老女の存在感がもっとも強く、それはやはりこの世に実在する、最も死に近きアイコンとして扱われていると解釈せざるをえない。

 

 もう一枚、有名な老女の絵をあげてみよう。

【la Vecchia(老女)】

Col_tempo

 天才画家ジョルジョーネ作。16世紀に画かれたもので、当時肖像画というものはたいてい金持ちから注文されるものであり、こういう一般の女性の老いたる姿の肖像画自体がたいへん珍しい。どのような意図でもって画かれたのか不明であるけど、ヒントらしきものはある。それは老女の手に握られた紙片であり、そこには「Col tempo /(with time)時とともに」と書かれてある。つまりは「老女」そのものを題材にしたものではなく、そこには時間というものが大事な役割を果たしていて、そして老女は時間によってそうなったということだ。この老女は今まで述べた概念に沿うごとく、人生に疲れ切った表情をし、もはや若きときの美しさは全て失われた、死に近き存在に思える。ま、典型的な「老女」だ。
 こういう、「時がたてば、どんなに美しい女でもこうなってしまうんだ」という、女性への悪意に満ちた、掛けておいて不快になるような、どこにも置き場のないような絵ってなぜ画かれたのだろう。
 つらつらと私が妄想するに、この絵にはモデルがあったのだろう。それも若い美人の。ある時その女性に懸想した画家がくどいたところ、こっぴどく振られた。それを逆恨みした画家、なんとか仕返しをしたく、いろいろと考えたところ、己の卓越した技術を用いることを思いついた。その女性の年を取ったリアルな姿を想像して描き、時とともに必ず来る醜い姿を見せつけるという。その陰険な企てに画家は持てる技術を全て使い、その女性が見れば、絶対に己自身の老いた姿ということが分かる超写実的な絵を生みだした。そしてそれを彼女に送りつけ、恐怖と絶望に沈ませるという、思い通りの結果を得て画家は大いに満足した、とかいうのはどうだろう。じっさいそれくらいの強い意思がないと、このような悪意の塊のような絵は描けないと思う。
 ただ、画家の真意なり悪意がどうあれ、老女の概念の典型を目指したようなこの絵は、描いた画家ジョルジョーネが天才であったために、当初の意図を超えた、偉大な名画となっている。
 老女はたしかに人生に疲れ果てた老残の姿をさらしているけど、そこには真摯に懸命に辛い人生をやり遂げた形が、表情に克明に刻まれており、そしてその人生から得られた諦念とか洞察とか悟りとか慈愛といった複雑にして深奥な精神が、その強い眼差しから伝わってくる。余計なことが書かれた紙変がなければ、この絵はある老女の一生の精神劇を画像化した名品として、普通に観賞されるであろうに。まったくもってもったいない。

 

 キャッツのグリザベラついでに、絵の紹介まで来たけど、最後の私の妄想のところ、じつはネタみたいなものがある。
 ジョルジョーネの「老女」のモデル、いろいろと説はあるのだけど、有力なものにジョルジョーネの代表作「テンペスタ」の女性モデルを老化させたものというのがある。テンペスタに描かれている授乳中の半裸の若い女性がそれで、この女性と老女は顔の輪郭とかパーツのつくりがほぼ一致するそうだ。だからもしその若い女性をわざわざ老化させた絵を描いたなら、その理由って、やっぱりモデルへの嫌がらせくらいしか思いつかないので、先のような妄想を思いついた次第。

【テンペスタ La Tempesta】

Latempest

【比較】

Compare

 似ている…… のかなあ。

 

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February 24, 2020

映画 キャッツ

Cats-movie

 ミュージカル「キャッツ」の実写版映画。原作は世界で最も人気のあるミュージカルだし、それにスター達が出演するということで注目はされていたが、いざ米国で公開されると、その怪作ぶりのみが話題になり、映画そのものは大コケに終わった、という不幸な作品。
 それでも映画館で観た予告編での映像・音楽は雰囲気のよいものだったし、さらにはそれだけ評判が悪いとかえって観たくもなる。そういうわけで映画版キャッツ観賞。
 私の事前情報といえば、先ほど述べた酷評と、それから以前に映画館に貼ってあったポスターにジュディ・デンチ、テイラー・スウィフトの名前が出ていた、ということくらい。それだとジュディ・デンチがグリザベラ、テイラー・スウィフトがジェミマかな? しかしデンチが今さらグリザベラ歌えるのだろうか、いや歌えるわけないから本職が吹き替えか。テイラー・スウィフトは歌はまったく問題ないけど、踊れるのかね、とか漠然と思っていた。
 そういう情報のみで映画を観ていたのだが、出て来たグリザベラはジュディ・デンチと全くの別人である。そうなると老女が演じる役って、この劇ではグリザベラ以外にないので、ジュディ・デンチはいったい何を演じるのだろうと混乱する。というかこのグリザベラ、全然老いていない、現役感バリバリの中年猫で、なんか変だ。そしてテイラー・スウィフトは群猫のなか、どれを演じているのかよく分からなかったが、歌いだしてボンバルリーナと判明。となるとなんか大スターにしては役不足に思える。歌の重みからするとビクトリアを演じるべきだったのでは。…いや、あんな踊りはプロダンサーしか無理か。そしてジュディ・デンチはといえば、なんとオールド・デュトロノミー。これははっきりいって失敗。キャッツの終幕は、猫の扱いかたについて、じつに下らない歌詞を歌って〆るのだが、あの下らない歌詞を荘厳なバリトンで歌うから面白いのに、ジュディ・デンチのメゾでは軽過ぎて、その下らなさのみが目立ってしまう。ジュディ・デンチの演技はオールド・デュトロノミーの持つ威厳と慈愛をうまく表現していたけど、歌はどうにもならない。

 さて映画全体の感想といえば、まずはオリジナルとは、ずいぶんと内容が違っているなあ、というものであった。オリジナルは、老雌猫グリザベラが主人公であり、個性的な猫たちの歌あり踊りありの宴会芸大会は、グリザベラの歌う「メモリー」への長い前座になっている。そして「メモリー」も二段構えになっていて、幾度かの転調ののちに、「Touch me~」と高い声で歌いあげるところが、ミュージカル全体のクライマックスであって、あそこで観客は誰しもガツンと来て、感動する。そういう構造になっている。
 ところが映画では捨て猫の若い雌猫ビクトリアが主人公になっていて、その猫が「メモリー」の前に、それと同様の「孤独」をテーマとした曲を歌うので、そのあとで歌われる「メモリー」は二番煎じみたいな感じとなり、どうにもこの曲に心が入っていけない。それゆえそのあとのグリザベラの昇天もなんだかピンとこなかった。昇天のシーン自体も、怪しげな気球船が遭難覚悟で空に突っ込んでいくような妙なものであったし。
 というわけで、原作ファンの者が観に行くと、頭に?マークがいくつも浮かんでしまう映画であり、そしてこの映画は原作ファンが客の大半を占めていたであろうから、映画の酷評もまたやむをえなしと言えよう。私も駄作とまでは思えないが、(なにしろ歌と踊りは素晴らしいので)、いろいろと残念な映画であったとは思う。

 それでも部分部分ではいいところもあり、それらは原作ファンとしても楽しめるものであった。それらを紹介してみよう。以下ネタバレ少々あり。

 

【ミストフェリーズ】

The-magical-mr-mistoffelees

 原作では自信満々の魔法使い猫ミストフェリーズは、映画では気弱なマジシャンとなっている。
 オールド・デュトロノミーがマキャヴィティに瞬間移動術で攫われたのち、オールド・デュトロノミーを取り戻すため、猫たちがミストフェリーズに魔法を使って戻すよう懇願する。ミストフェリーズはそんな凄い魔法なんて使えないので、その無理難題に困惑するけど、断るわけにもいかず懸命に魔法を使っているふりをして、そしてそれは当然上手くいかず泣きそうになる。
 そこへ、自力で脱出したオールド・デュトロノミーが背後に現れ、よく頑張りましたというふうな慈愛の笑みを浮かべ、Oh, well I never, was there ever a cat so clever as magical Mr. Mistoffelees? と歌うところ。原作とはまったく違う筋になってしまっていたけど、ここは和めてとても良かった。

【アスパラガス】

Asparagus

 落ちぶれた老俳優猫アスパラガスはイアン・マッケランが演じている。
 キャッツはCGとメイク技術が高度なので、どの役者も猫にうまく化けているけど、ジュディ・デンチとこの人だけは、いかに猫の扮装をしようが、本人そのものであった。これが大スターのオーラというものか。
 アスパラガスが若き日の自分の栄光の日々を思い出すシーンは、アスパラガスに今も燃え続ける役者魂を表しているが、それをイアン・マッケランは見事に表現している。

【スキンブルシャンクス】

Skimbleshanks

 キャッツのなかで一番の人気者、鉄道猫スキンブルシャンクス。鉄道が好きで好きで仕方がない鉄道オタク猫、なんだけど、映画ではオタク風味が減って、凄腕タップダンサーとして登場。快適な鉄道行進のリズムを、見事なタップスで刻んでいくのはじつに見ものである。単なる鉄オタ猫であった原作とは相当違ってしまったが、これはこれで素晴らしく、改めて原作の歌を聞くと、タップダンスの音がないのが物足りなくなってしまうほど。

 などなど、みどころはそれなりにあったが、原作ファンにはあんまりお勧めできない映画ではあると思う。
 そして、ミュージカルのほうのキャッツの知識がない人が、この映画を観たさいにはどのような感想を抱くのか、そちらにも興味を覚えた。

 

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 映画 キャッツ 公式サイト

 

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February 23, 2020

地球温暖化を実感する @冠山~寂地山登山

 近年、いろいろと話題になっている地球温暖化。じっさい地球全体は温暖化に向かっているのだろうけど、今までは年間通して少しは暑くはなるものの、冬はきちんと寒くなっていたから特にその実感はなかった。九州の山においても、冬は寒波が定期的に来て、そして雪は降り積もっていた。
 しかし昨年、寒波は来ても、それは短期間であり、雪の積もる期間は少なく、雪山を楽しめないシーズンとなってしまった。そして今年になると状況はさらにひどくなり、寒波は散発的にのみ来て、その時だけ雪は降るものの、それはすぐに溶けてしまい、まったく白い雪山になってくれない。
 冬、もっとも山が美しくなる季節なのに、こういうことでは春になる前に、雪山を求め九州を離れて遠征せねば。

 それで2月の連休は雪が豊富で、スキー場もたくさんある広島の中国山地へ出かけた。ネットで調べると、火曜日から水曜日にかけて大寒波が訪れたので雪はどっさりあるようだ。
 ・・・ところが、大寒波のあとに、一挙に気温が上がり、土曜日の午前中に雨が降ってしまったので、どうも雪の積もり具合についてはあやしくなってきた。
 それでもなにはともあれ、雨あがりの午後に深入山へと行ってみた。

【深入山】

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 なだらかで木が少ないことから、今の時期は雪が積もって、白いプリンのようになる深入山、みごとに雪がない。でもガスがかかっていてよく見えない稜線には雪があるかも、と期待して登ってみた。

【深入山山頂】

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 深入山は標高1153m。冬、中国山地のこの標高では雪がないとおかしいのだが、雪、ない。困ったものである。
 それでも深入山は景色がよいことで有名なので、周囲のガスが晴れて、見晴らしが良くなるのを待とうとしたが、山頂では強い北風がダイレクトに当たり、まともに立っているのも大変だったので、さっさと下山することにした。

【深入山北斜面】

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 下山路は北側の斜面を行くが、こちら側は日が当らないので、今週積もった雪がまだ残っていた。けれど下るうち、日当たり側に出ると、登山道の雪は溶けて、冷水となって流れ、道全体が小川と化していた。

【しし鍋@旅館松かわ】

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 深入山から下山したのちは、吉和の潮原温泉へ。ここで名物のしし鍋でも食いながら、登山計画を練り直す。
 深入山の状態からみるに、中国山地の雪は標高1200mくらい、そして日当たりのよくないところくらいにしか残っていなさそうである。そうなるとその高さの稜線を持つ山は吉和冠山から寂地山、右谷山にかけての稜線になろう。ではそこを登ってみよう。ただ右谷山まで行ってしまったら時間的に寂地峡に下らざるを得ず、それだと元の登山口に戻るのが大変なので、潮原から寂地山へのピストン登山という、寂地山登山にはあまり一般的でない、冬用の変則コースをとることにした。

【潮原登山口】

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 冠山への登山口。雪、ほとんどない。

【潮原登山口 2018年】

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 こちらは、一昨年登ったときの写真。雪の量がまったく違う。

【登山道】

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 標高1100mくらいになっても雪の量はこのくらい。木の合間から見えているのが冠山。

【登山道】

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 標高が1200mを越えたくらいから雪は出て来る。しかし積雪量は乏しい。

【登山道 2018年】

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 一昨年はこれくらい雪が積もっていて、膝まで沈むラッセルを楽しめたのだが。

【冠山山頂】

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 雪ないな、ないな、と思いながら到着した山頂。ここも標高1300mを越えているわりには雪が乏しい。

【登山道】

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 冠山からはいったん100mほど標高を落としてから、寂地山までの1200mを越える稜線を行く。こちらの道は日当たりの関係からか、ずっと雪は残っており、ようやく雪山気分を味わえた。

【寂地山山頂】

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 いくつかの小ピークのあるなだらかな稜線を歩くうち、今までより少々高いピークがあるなと登って行くうち、着いたピークが本日の最終目的地寂地山山頂であった。
 登山全体を通して、狙い通りに冠山から寂地山にかけて雪山登山を楽しめたのは良かったけど、それにしても2月の中国山地でここまで雪が少ないとは、ほんとうに地球温暖化を実感できた日であった。

 じっさいのところ、雪が少なくて困ることって、一部の業種以外にはないだろうし、除雪の手間がいらないだけ一般の人には助かっているだろうけど、雪山が趣味の者にとっては、今後の趣味の戦略をいろいろと練り直さねば、と思った、今シーズンのあまりの暖冬であった。

 

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December 29, 2019

ムンジュイックの丘から@バルセロナ

【バルセロナ風景©アイアムヒーロー】

Barcelona

 上図はゾンビ漫画の名作、花沢健吾氏作のアイアムヒーローからの一頁。
 人類が謎の感染症によりほぼ全滅し、無人と化したバルセロナの街を偵察ゾンビが彷徨しているシーンで、バルセロナを最も美しくし俯瞰できる場所を訪れたところ。
 ここを訪れるためにバルセロナを訪れたわけではないのだが、滞在中のホテルがこの場所、ムンジュイックの丘、カタルーニャ美術館のテラスに近いところにあったため、ここをよく訪れることになった。
 そこで見た風景をいろいろ紹介してみる。

【マジカ噴水】

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 カタルーニャ美術館正面にあるマジカ噴水は、夜間にライトアップされる噴水ショーが有名。しかし私が訪れた時期は微妙にショーの時間がずれていたのか、水さえ出ている姿も見ることができず、ただの水たまりであった。

【バルセロナ風景】

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 階段をのぼりきってテラスに立つと、先に漫画で紹介したこのバルセロナの街の風景を望むことができる。
 バルセロナは狭い街なので、主要な建物はここでほぼ見ることができる。

【サグラダ・ファミリア教会遠景】

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 テラスを東側に移動すると、ぽつぽつ立つ高層建築のなかに、ひときわ異様な姿の建物が見える。これが今回のバルセロナ旅行の目的のサグラダ・ファミリア教会であろうが、遠景ゆえ確信はつかない。
 それでここに設置してある、1ユーロの有料双眼鏡で観てみる。

【サグラダ・ファミリア教会】

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 双眼鏡で見ると、間違いなくサグラダ・ファミリア教会であった。
 バルセロナで最も有名であり、世界的にも有名な教会であるが、ナマで観たのは今回が初めてであった。

【マジカ噴水工事風景?】

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 眺めを楽しんだのち階段を下って行くと、大きなクレーン車が入ってきて、なにやら作業していた。何かの工事かと思ったが、翌日その理由が分かった。

【スペイン広場大通り】

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 マジカ噴水からスペイン広場までの大通りは、ほぼ歩行者天国みたいになっている。
 この幅広い道がスペイン広場まで一直線に通じている。

【スペイン広場】

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 「スペイン広場」って、誰でもローマにあるものと思っているけど、本場のスペインにもあるのである。私も今回旅行プランを立てるときに初めて知った。
 スペイン広場は空港バスが最初に着くところだし、主要駅のサンツ駅も近くにあるので、交通にいろいろ便利だろうと思い、ホテルをここの近くにとってみた。
 しかし、バルセロナの観光名所はたいていカタルーニャ広場周辺にあるので、それらを訪れるときいちいちカタルーニャ広場まで歩いていくのが面倒で、今回はホテル選びに失敗してしまったと思った。もっとも交通の便はよい地なので、地下鉄使えば、すぐにカタルーニャ広場へは行けることに二日後に気付き、それからはすいすいとどこでも訪ねられるようになった。

【ムンジュイックの丘 夜景@12月30日】

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 昼間見たクレーン車は、その先に大きな照明球をぶらさげ、そこからレーザー光線を出して光を全方向に放っていた。そして噴水にもぐるりと照明装置を並べ、ここからも光線を放ち、バルセロナの夜の闇を裂いている。

【ムンジュイックの丘 夜景@12月30日】

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 これはテラス側から見たライトアップの光景。
 見上げる姿も良かったが、こうやって見下ろすと、バルセロナを照らす新たな太陽という感じがして面白い。

【ムンジュイックの丘 夜景@12月31日】

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 30日であれほどのライトアップをするのだから、ニューイヤーイブの31日にはもっと派手なライトアップをするのだろうなと期待して31日の深夜訪れたが、クレーン車、照明器具のたぐいは既に撤去され、これは定番らしい後光のような光がカタルーニャ美術館の裏から放たれているのみであった。
 普通は31日こそ本番だと思うのだが、どうもこちらの国の感覚はよく分からない。

【ムンジュイックの丘 夜明け@1月1日】

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 初日の出はムンジュイックの丘で拝もうと、夜明けの前に見晴らしのよいところに訪れた。正面が北なので、右側から日は登るはずである。 しかし私の方角感覚が微妙に間違っていたようで、日は丘のほうから登って来た。そのため、私のいるところにはなかなか日は当たらず、丘から外れた方向、バルセロナの市街地のほうに日が当たり始めた。写真では、バルセロナの高いビルの窓に日が当って、橙色に輝いている。

【ムンジュイックの丘 夜明け@1月1日】

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 やがてバルセロナの街北半分に日が当たり、風景全体も明るくなった。しかし私のいるところはいつまでたっても日の光は来ず、日の陰である。気分的にも白けてきたし、グエル公園の予約の時間も迫ってきてるしで、初日の出はあきらめ退散した。
 こうして私は2020年の初日の出ゲットを失敗したわけだが、「初日の出を見ようとするときは、きちんと方角と地形を確認しておくべし」という、来年への教訓を得たということでよしとしよう。

 

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November 19, 2019

ティベリウス帝別荘(Villa Jovis)@カプリ島 探訪記

(1)政治システムについて
 人類は社会性生物であるため、地球上に出現した時点から社会を構築して生活している。そして社会全体を統治する手法―政治について、人類は様々なシステムを考案してきた。そのなかで最も効率のよいものは、有能な政治家がリーダーとなり、トップダウン式に物事を決めて行く、ということが判明している。このことは社会が困難な状況に面し、その解決にスピードが必要なときに特に顕著になる。合議制などを用いて、全体の意見の調整を行ってから解決を図るようなことをしていては、その間に社会が滅びてしまう、ということは普通にあり得るからだ。だから多くの国を巻き込む戦乱の時代には、有能なリーダーが一手に責任をもって率いる国が、最終的に生き残る、ということはよくある。

 この非常に効率的な政治システム、―独裁制は、しかし大きな弱点をいくつか持っていて、それゆえ長期の運営はかなりの困難を伴う。
 その最大の弱点は、一国を任せるに足る有能な政治家、そういう人間自体が極めて少数なことである。そのような人物は一国家においては、100年に一人か二人出ればいい、というのが人類の生物的限界と、歴史は教えている。それゆえ独裁制を登用した国家は、稀に出現する超優秀な人材を除き、大抵は「それなりに優秀」な人物をリーダーに据えることになるが、種々の事情で無能な人が選ばれることもまたあったりする。
 第二の弱点は、第一の弱点と密接に関係しているのだが、リーダーに権限を集中させているため、国家の命運がリーダーの資質によって容易に左右されてしまうことである。これは帝政なり絶対君主制なりの独裁制を用いた国家の歴史を読めば判然としており、そのような国は名君を擁したときは興隆するが、暗君がその座にあるときは存亡の危機に瀕し、たいていはリーダー交代のための内乱に突入する。
 これらに加え、その他いろいろと独裁政治には弱点があるのだが、それらは長くなるので省くことにする。

(2)ローマ帝政の樹立

 共和制ローマは約500年間共和制で政治を行い国民全体で政治を行っていたのだが、ポエニ戦争に勝利して地中海の覇者となり大国化すると、様々な政治問題が噴出して社会が不安定化した。そのためカエサルが台頭して、一時的に独裁制を敷いて社会のリストラクションを行っていた。ところが共和制の国家とは、独裁制に対するアレルギーが強く、カエサルは改革の半ばで暗殺されてしまい、その改革はいったん頓挫してしまった。

 カエサルの跡を継いだのが養子のアウグストゥスである。彼は熾烈な権力闘争を勝ち抜いて、最高権力者の座に着いた。しかしローマを治めるのに、そのまま独裁制に移行しては、まだまだ独裁制アレルギーが残っているなかでは、カエサル同様に暗殺されかねない。そこで彼はいったん権力を元老院(国会みたいなもの)に戻すと宣言し、しかし実権は握ったままで、徐々に元老院を無力化し、実質的な独裁制―帝政を一代で築きあげた。アウグストゥスは大変有能な政治家で、彼の指導は広大なローマ帝国は平和と安定をもたらし、ローマ帝国は大いなる繁栄を謳歌する。
 アウグストゥス統治下のローマ帝国は、「超有能なリーダーのもとの独裁制国家」の典型のようなもので、アウグストゥスが生きているかぎり国家体制はまさに盤石であった。しかしいかに有能な人物であれ、いつかは寿命は尽きる。そしてアウグストゥスは75歳で亡くなり、ここでようやく本記事のテーマであるティベリウスの話題となる。

(3)ティベリウス帝の悲劇

【ティベリウス】

Ii-emperer
 ローマ帝国という国は、じつは「皇帝」という職業は正式には存在せず、国民の代表である元老院が国家を運営している、という建前になっていた。しかしアウグストゥスは実質上全ての権力を握って国家を運営しており、そしてそれは非常に上手く機能していたので、アウグストゥスの長い統治のうち、元老院はその政治的な能力を失ってしまった。元老院議員は政治に関しては名誉職みたいなものであり、政治の決定についてはアウグストゥスのイエスマンと化していたのである。

 そしてアウグストゥスが亡くなっては、ローマの政治機能の根本が失われたことになった。しかしアウグストゥスは自分が死んだのちは、あとは野となれ山となれとかいう無責任な考えの持ち主ではなく、きちんと後継者を指名していた。それがティベリウスである。ただし、当のティベリウス自身にとって、それは悲劇的なことであった。

 

 先に、独裁制にとって最大の問題点は「独裁制を行える能力を持つ人物が極めて少ないこと」と述べた。帝政樹立期のローマ帝国にとってたいへん幸運なことに、二代目を継ぐことになったティベリウスはローマ帝政史でも有数の有能な人物であった。しかしそれはティベリウス自身にとっては不幸なことであった。

 ティベリウスという人は教養もあり、威厳もあり、人望も厚く、責任感強く、軍事の才能にも長け、そしてローマきっての名門家の嫡男という、ローマ帝国の第一人者としてこれ以上ない人物だったのだが、政治家としては看過できない欠点があった。彼は高潔な精神を持ち、誇り高く、自他ともに厳しい人だったのである。それは個人としては美点とすべき特質ではあろうが、政治家にとっては険しい欠点となる。政治力とは、すなわち調整能力のことでもある。個人、団体、すべてに存在する利害関係をうまく調整して、世の中を進めて行く、それが政治の大事な役割だ。しかしティベリウスは、無能な者、卑怯な者、下劣な者は大嫌いであり、それらの者たちともやむをえなく付き合わざるを得ない政治家という職業はまっぴらごめんと思っていた。

 そういう彼がローマ帝国の指導者になりたいと思うわけもない。そして元老院で読み上げられたアウグストゥスの遺言書には「後継者として期待していた二人の息子が亡くなってしまった今、私はティベリウスを後継者に指名せざるを得ない」などと失礼なことが書かれていたのだから、それはなおさらであったろう。

 ティベリウスは遺言書読み上げのあと、「偉大なアウグストゥスの指名であるが、私には後継者という重責を果たす能力はない。その地位は辞退して、全ての権力は元老院に戻したいと思う」と述べた。困ったのは元老院である。すでに元老院は政治的能力を失ってしまっている。今さら権力を戻されても、国家が乱れるだけだ。元老院はティベリウスに馬鹿を言うな、あんたがその座を引き受けないと、アウグストゥスが築いたローマが無茶苦茶になってしまうと抗議した。ティベリウスは責任感の強い人間である。自分の気持ちはともかくとして、元老院の言うことも理解できたので、それではこれからはお互い協力してローマ帝国を運営していこうという方針でまとめ、アウグストゥスの正式な後継者となった。

 ティベリウスの治世においては、なにしろティベリウスは有能な人なので、ローマ帝国全体に的確な指示を与え、国家は平和安定を享受した。ただしティベリウスにとって、政治とは彼の精神を蝕んでいくものであった。就位のさい、協力を誓った元老院は政治のパートナーとしてはまったく無能であり、いつまでたってもまともに機能する兆しはなかった。政治家ティベリウスに対して近寄ってくる人たちも、彼にとってはまったく心を許せるものではなかった。政治という職業を続けていくと、彼は人間の嫌な面ばかりを見ることになっていった。まあ政治家という職業は、元々そういうものなのであって、人間にはいろいろな人がいて、そして個人にもあらゆる面があるので、人間とはそういうものだと受け入れ、妥協する必要があるし、じっさいアウグストゥスを始めとする大政治家はそうしてきたのだが、潔癖なティベリウスにとってそれは耐えがたいことであった。そうして政治家という職業を続けることによって、彼の心は病んでいった。
 仕事により心が病んでしまったとき、その治療法の第一は、仕事を放棄して、ゆったりと休むことである。これだけで治ることは、ままある。しかしながら、責任感強いティベリウスには仕事を放棄する選択肢はなかった。それで次なる治療法としてティベリウスはローマ帝政史上、どの皇帝もやっていない荒技に出る。

 ティベリウスは治世12年目にして、ローマからちょっと旅に出るといって、少数の側近と友人を連れてカプリ島に行き、そしてそこから約10年間、亡くなるまでローマに戻らなかった。これは隠遁というわけではなく、ティベリウスは政治家としてはずっと現役であった。つまりローマで人と会うのが嫌で嫌でたまらないので、首都ローマから遠く離れた孤島のカプリ島に引きこもり、人との交わりを絶ったうえで、そこから手紙の交換で指示を出し、亡くなるまでの政治家としての仕事を行ったのである。大帝国の元首としては常識外れ、破天荒な行為ではあるが、ティベリウスにとっては、自らに課した重い責任を果たしつつ、己の人間の心を守るにはこれが唯一の方法であったのだ。

 ティベリウスという人の伝記を読むと、仕事の辛さは言うに及ばす、アウグストゥスにはいろいろとひどい目にあわされ、家族とはうまくいかずなんでもかんでも島流しに処す羽目になり、唯一愛していた息子は暗殺され、本当に不幸な人生なのだけど、それは結局彼が有能であったからそういう目にあったわけで、それを考えると、彼の政治家としての一生の厳しさ、哀しさがより伝わってくる。

 そういう悲劇的な人生を送っていたティベリウスが、心を癒すために選んだカプリ島の別荘、伝記を読んださいに是非とも一度訪れたいと思っていたけど、今年の秋訪れることができた。

(4)ティベリウス別荘 Villa Jovis探訪記
【カプリ島 対岸のエルコラーノからの眺め】

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 カプリ島はナポリから30kmほど離れたところに浮かぶ小島である。全体が巨大な岩であり、周囲は絶壁に囲まれているが、一ヶ所だけ入江になっているところがあり、そこを港として島に渡ることができる。そしてその港から100mほど登った小高い平地が人々の居住地になっており、今もそこにはたくさんの家、建築物が並んでいるけど、ティベリウスの別荘はそこと遠く離れた島の東端にあり、ティベリウス、いったいどんだけ人嫌いなんだ、と思わず突っ込みたくなってしまう。

 そして港から、私はナポリ旅行の主目的ティベリウスの別荘「Villa Jovis」を目指して歩いて行った。お洒落な家々と庭に挟まれた小径をずっと歩いて行き、島の端に近づくとようやくVilla Jovisへと着いた。

【Villa Jovis】

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 かつては豪華な宮殿であったVilla Jovisは、二千年近い前に主を失ったのち、荒れるに任され、今では基礎部と石壁のみかろうじて残されているのみで、往時の栄華をつたえる術もない。政治家の住処としてはおろか、普通の者さえ住むのも不便な地ゆえ、偏狭な主人がいなくなったのちは、誰もそこに住もうとは思わず、時の流れのまま朽ちていったのであろう。
 この宮殿の跡地からは、ティベリウスの見ていたものは、もはや想像もできない。

【カプリ島からの風景】

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 かつてのローマ帝国最高権力者の住居は荒れ果てていたけど、二千年前と同様の眺めは、もちろんある。別荘の高台の前には、紺碧のティレニア海が広がり、そこにカプリ島に向かってソレント半島が突き出ている。その半島を奥に辿って行くと、円錐形の秀峰ヴェスヴィオ火山があり、さらにその奥にナポリの街が扇型に弧を描いている。
 とても美しい、まさに名画のような眺め。

 仕事と人生に疲れ果て、絶望に沈んだ、世界で最も気難しい男が、広大なローマ帝国のなかから、終の棲家として選んだ、カプリ島の東端の崖の上。

 この眺めを見ていると、なぜティベリウスがこの地を選んだのか、はっきりと理解できる。そしてあれほど疲弊させられたティベリウスの心が、この眺めによって癒されることによって、残りの激動の政治人生を全うできた、ということも。

 伝記だけ読んでは分からない、その地に行ったことによってのみ理解できる、そういうものを私はカプリ島の探訪で知ることができた。

 

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November 16, 2019

ブルックナー第八交響曲@メータ指揮ベルリンフィル公演

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 福岡市でメータの指揮によるブルックナー第八交響曲(以下ブル8)の公演があるとのこと。ベルリンフィル演奏とのことで大変そそられるが、S席36000円という値段は、ブル8のような本邦では決してメジャーではない曲目では強気と思われ、私もしばし逡巡したのだが、ブルックナーの交響曲の金管強調の大型なもの、第5や第8は、ベルリンフィルやシカゴ響みたいな超高性能デジタルタイプオーケストラで聴いてみたく、だいたいベルリンフィルが九州に来ること自体が珍しく、さらには名指揮者メータ氏も今年は御歳83才ということで、いつ引退するや分からない、ということもあり、結局チケットをゲットしてみた。それにしても、私がクラシックを聞きだした頃は、メータって「若手の有望指揮者」という位置づけだったんだが、もうそんな歳になっているんだ。そりゃ私も歳取るわけだよ。

 そういうわけで、久々に福岡市へ。会場のアクロスに着いてみたら、当日券は売り切れとの看板が出ていた。こんな一般受けするとも思えない曲の高額演奏会が売り切れとは、福岡市おそるべし、と思った。

 肝心の演奏については、とても素晴らしいものであった。
 ブル8の第一楽章、私はじつはこの楽章は苦手であった。何か大きな深刻な感情があり、ずっとそれを引き摺りながら進む音楽。解決に向かいたい、解放に向かいたい、そういう情熱はひしひしと感じられるもの、一歩進んでは二歩下がり、安らかな休息にやっと入ったと思ったらすぐにまた格闘の場に戻って来る、そういうことを繰り返しながら、最後は何らの解決策もないまま諦めの境地で終わってしまう。大規模で大迫力のある音楽なんだけど、カタルシスがない、やるせない音楽、そういう印象であった。いや、ナマで聴いても印象はその通りであったのだが、ナマだと、音楽が生まれ、それが消え、また生まれ、なんだかある巨大な生命集合体の生ける歴史がダイレクトに見えて来る、特異な圧倒的な経験ができた。これはブルックナーという稀代の大作曲家の傑作を、名指揮者が世界有数の高性能オケを使って演奏したからこそ感じられる、得難いものであった。

 そしてずっと何らかの抑圧を感じていた第一楽章のあと、それを受けて第二楽章は主題を前進、発展させていき、そして爆発する。明らかに景色が変わる。ここにはあの苦しい第一楽章をくぐり抜けて来たものしか得られない。新たな世界がある。その世界に入ったのちは聴衆は音楽の激流にただただ飲まれ流されていく。

 弟三楽章アダージョ。ブルックナーの書いたもののなかで、いや音楽史上で、最も美しい曲。そして深遠な思索を奏でる曲。あまりにも美しい弦の調べのなかに、ホルン、そしてはープが世界の神秘の答えを告げるがごとく、荘厳な調べを奏で、それらの調べが絡み合い、もつれながら、壮大なクライマックスへとたどり着く。あまり出番のないシンバル奏者は、このクライマックの前に立ちあがり、来るぞ、来るぞ、との雰囲気を開場に満たし、そしてクライマックスでバーンとシンバルを鳴らす。ライブならではの迫力。

 フィナーレは、弦楽器のリズムをバックに金管群がファンファーレを鳴らし出すと、一挙にオーケストラの楽団員が倍に増えたかのごとく、オーケストラの音量が膨れ上がり、さらにはこれに凄まじいまでの迫力をもったティンパニが加わって、音の大饗宴が続く。野蛮な、とでも称したい生命力あふれたオーケストラの大饗宴は、ずっとこのまま続いてほしいと思うくらいの充足感をもって進行していくが、やがては全ての楽章の主題をまとめていくコーダに突入し、そしてオーケストラの全力を振りしぼったがごとく輝かしい音を放って終宴となる。

 素晴らしい、じつに素晴らしい。

 ・・・のだけど、まだ残響が残っているのに、拍手した聴衆が少数ながらいたのには心底腹が立った。ブルックナーの音楽って、残響が消えるまでがブルックナーの音楽なのであって、そういう風に作曲されている。それはブルックナーの理解の初歩中の初歩だろうに。ブルックナーの音楽の最後の音が響いたのちは、あれが消えるまで余韻を存分に味わうという幸福な音楽経験をして、それから全ての音が消え去ったのち拍手、が本道というものである。だいたい、それを知らぬ客のために演奏の始まる前にわざわざ会場放送で、「福岡シンフォニーホールではマナー向上に努めています。指揮者の手が下りるまで拍手は控えてください」って流されていたのに、なぜなんだろう。いまだに腹が立つ。ただ、3年前にプロムシュテットが宮崎市でブル7を振ってくれた時、やはり開演前にスポンサーの局アナが舞台に出て来て、「ブルックナーは残響が消えるまでが演奏です。拍手はそのあとにしてください」と具体的な指示をしたのに、終楽章が終わるやいなやただちに拍手、さらにはブラボーと叫ぶ人がけっこういたのに辟易したから、そういう人たちが一定数紛れこむのは仕方ないのだろう。でもそういう「分っていない」人たちが高い金払って、ブルックナー聴きに来る理由がよく分からない。ブルックナーって基本的に「信者」しか聴きに来ない作曲家だし、だいたい「信者」じゃないと、あの長い、難しい曲を、狭い椅子に長時間座って聴けないと思うんだけどなあ。

 以上、「信者」の愚痴でした。

 

 

 愚痴で〆るのもなんだから、ブルックナーへの私流の賛辞も書いておく。
 ブルックナーの音楽、生で聴いてあらためて実感したけど、交響曲ってここまで複雑にして深遠な音を出せる、ということに感嘆した。もちろん、交響曲ってあらゆる種類の楽器を使って合奏するわけだから、その組み合わせによって無限といってよい音が出せるのは分かるけど、その無限に近い音のなかで、それがブルックナーのような崇高にして深遠な調べに結実するのは、たぶん針の穴を通すがごとき困難さを要する作業だと思う。
 交響曲という分野は、いったんはベートォヴェン(特に第九)によって頂点に達して、その達成したあまりの完成度によって、「後世の作曲家は、もはや交響曲を書く気になれない」てなことをブラームスが言っていたりするわけで、じっさいベートォヴェン以後、大作曲家によりいくつもの交響曲は書かれたものの、ベートォヴェンに比肩するようなものはついぞ書かれなかった。そして、そのままだと、交響曲という分野は、そこで完結してしまいかねなくなっていた。

 そこにブルックナーが現れた。って、彼はべつに交響曲の救世主たろうなどと思ってこの分野に進出したわけでなく、交響曲を書くことが己の人生そのものと固く信じ、その道を突き進んできた。けれどもその作曲家人生は決して幸福なものではなく、彼の書く交響曲はその時代にとってはあまりに規格外であり、理解されずにいた。今回聴いたブル8でさえ、当人にとっては畢生の大作だったのだが、途方もない努力の末書きあげたのち、演奏を依頼した指揮者には、無視されるか、あるいは演奏不可能です、と突き返され自信を喪失し、何度も曲を書きなおしたり、さらには昔の自作へも自信を失いその改訂さえやりだしている。

 同時代には評価されず後世で評価された天才って、たいていはたとえ周囲が理解せずとも己のみは自分の天才を信じているものだが、ブルックナーの場合はそういう自負心は得られず、ずっと己の天才性に疑義を感じながら作曲人生を続けねばならなかった。それでも彼が作曲を死ぬ当日まで続けたのは、「自分には音楽しかない」という、強固な信念があったからだ。まあ、世の中には今でもそういうぐあいに「自分には○○しかない(○○は美術、音楽、小説、詩等なんでもいい)」と思い込み、その○○に人生を浪費して終わってしまう凡人はヤマほどいるわけだが、極めて稀に、そのなかに真の天才がいて、その人たちの仕事は後世に残ることになる。そしてブルックナーはそういうなかでも、超弩級の傑出した天才だったので、見事に彼の信念は実ることになった。

 じっさい、ベートォヴェンによって袋小路に入ってしまったかに見えた交響曲は、ブルックナーの手によって新たな扉が開かれた。ベートォヴェン第九の終楽章は、冒頭の不協和音、各楽章のテーマの否定等、苦心惨憺して新たな音楽の扉を開こうとして努力しているけど、結局その扉開けるのを諦めて、合唱へと逃げている。けれども我々はブルックナーによってその扉が開けられたことを知っている。交響曲はまだまだ新しい響き、新しい音、新しい旋律があることを知った。あの偉大なベートォヴェンの先にもまだ傑作の森があることを教えてくれたのである。

 世の芸術には、残念ながら、もうピークを過ぎ、我々はもはやその分野の新たなものは望めず、昔の作品をどう解釈するかにのみ興味が絞られている、そういうものがじつは数多い。しかし、ある大天才の出現により、それに新たな生命が吹き込まれ、その分野が蘇ることもある。ブルックナーの達成した業績はその重要にして貴重な一例だと思う。

 

 

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アクロス山に登ってみる@福岡市

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 標高60mの低山なれど、福岡市での有数の有名な山、「アクロス山」。
 有名ではあるけれど、わざわざ登りに行くほどのものでもないのだが、今回アクロス福岡に用事があったので、そのついでに登ってみた。
 アクロス内には山頂までのルートはないので、天神公園側に二か所設けられた階段を使っていく。

【天神公園から】

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 天神公園から見るアクロス山は、秋山の佇まい。
 都会のまんなかにこのような大規模な人工林があるのは面白い。
 アクロス山には5万本近い樹が植樹されており、種類も多く、樹々を観察しながら登るとさらに楽しい。

【展望】

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 アクロス山は山頂まで行くと、北は博多湾、南は大宰府方向、360度の風景を望めるのだが、時間制限があり、本日はそこまで行けなった。
 というわけで、登頂はしていないのだけど、それでも途中の展望台から見る風景は、都会と川と山々を一望できる素晴らしいものであった。

 

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October 02, 2019

ラグビー ワールドカップ観戦記@大分市

【ビッグアイ@Wikipediaより】

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 ラグビー ワールドカップ、ニュージーランドVSカナダ戦が大分ビッグアイでの初試合として開催されるので観に行ってきた。
 ラグビーって、観ていてこんなに面白いスポーツもそうはないと思うけど、贔屓のチームがあるわけでもなく、年末年始の花園大会をたまに観るくらいが、私にとっては関の山であった。しかしラグビーのようなメジャースポーツのワールドカップが本邦で開催されるのは、私の人生でただ一回のチャンスであろうから、この機会を利用して、世界最高峰のラグビーを観るために、大分市のビッグアイまで遠征した次第。

 10月2日はあいにく台風が九州の西を通過中で、天気が不安定なのが確定していた。チケットには、通常の雨なら決行、場内での傘は禁止なので、雨具を持参してください、とか書いていたので、それ相当のものを準備して持って行ったけど、会場に着いてみると、ビッグアイは屋根が閉っていたので必要なかった。
 ビッグアイはその名前の通り、中央部が開いていたはずだが、じつは開閉式なのであった。

【キックオフ】

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 国家斉唱のあと、オールブラックスの勇壮なハカを観たのち、キックオフ。オールブラックス選手がいっせいにカナダサイドに攻め入り、スクラム組んだのちは、あっさりとゴールラインに押し込み、先制。
 それからもオールブラックスは圧倒的な強さを見せ、カナダに一瞬の隙が出来たと思ったら、ボールを奪った選手はフィールドを颯爽と駆け抜けトライ、トライ、トライ。カナダがなんとか反撃しようとゴールライン近くまで迫っても、結局は頑強なオールブラックスのディフェンスに拒まれ押し返され、さらにはカウンターをくらってしまう。
 フィジカルストレンス、スピード、テクニック、それら全てオールブラックスがカナダを上回っているので、もう後半になっては、試合の形をなさなくなってしまった。
 ラグビーって、実力が痛いほどに如実そのままに現れるスポーツだなあ、と私は感心してしまった。そして、それで先日の日本VSアイルランド戦において、日本が勝利を収めたのは、奇跡とか偶然ではなく、たんに実力によるものであることも分かった。奇跡や偶然でなんとかなるほどラグビーは甘いスポーツではないっす。
 それにしても、ニュージーランドとカナダ、どちらも大英帝国の移民の国なのに、どこでどうやってこんなに差がついてしまったのだ。

【日程シャツ:ニュージランドサポーター】

Rugby-2

 試合には外国人も多く来ていたけど、当たり前ながら主力はニュージーランド人とカナダ人。前者は黒の、後者は赤のシャツを着ているので見分けは簡単につく。
 私の席の隣は、五人のニュージーランド人オヤジ組であった。
 試合前に、隣の人が「お前はどちらの味方なんだ?」と聞いてきたので、「日本でラグビーワールドカップが開かれるなんて一生で一回しかないだろうから記念に来た。だから、どちらのチームのサポーターでもないが、グッドプレイ、グッドゲームを期待している」と正直に答えておいた。そして「オールブラックスは日本でも大変有名なチームで、特にハカはよく知られている。ライブでそれを観るのが楽しみだ」と言うと、その一つ隣の人が、「彼はハカが得意なんだ。一緒にダンスしてくれるよ」と言い、みなで笑った。
 彼らは大分のような地方都市に、ビッグアイのようなビューティフルな会場があることを称賛していた。ただし席が小さくて、外国人には辛いと文句も言っていた。私はビッグアイ建設の由来について一通り説明したのち、ビッグアイに外国人がたくさん来るのはレアケースなので、どうもすみません、I’m sorry on behalh of Japaneseと謝っておいた。
 試合が始まると、当然オールブラックスの快進撃に、隣組は大騒ぎで盛り上がっており、その流れでついつい私もオ-ルブラックスを応援していたけど、後半になり差が付きすぎると、会場全体はカナダ贔屓の雰囲気になり、カナダの選手がニュージーランドフィールド内に切り込むと大歓声が上がり、しかし大抵はあっさりと拒まれるので、しゅんとなる、その繰り返しであった。会場としては、カナダにワントライくらいはさせてやれよ、という感じであったが、オールブラックスは無情なのであった。

 試合が終わったのち、オヤジ組に「日本ではどれくらい観戦するのか」と尋ねたら、くるっと振り返りシャツの背中を見せてもらった。このずらりと並んだ日程、日本全国を追いかけるのである。うーむ、マニアってたいしたものだなあ。

【大分駅前】

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 試合終了後は、大観衆のピストン輸送のためのシャトルバスの大行列に並んで順番を待つ。大分駅や別府駅から3万人近くの人を運ぶ大事業。様々なバス会社、大分県中のバスが集まっていた。
 ビッグアイは公共交通機関のアプローチシステムが貧弱なので、こういうピストン方式をとらないといけないのは理解できるけど、どうにも手際が悪いのが気になった。
 ビッグアイはトリニータの本拠地であり、その試合にも3万人の人は集まるので、輸送システムは確立しているのだろうと勝手に思っていたけど、いざそれを利用しようとすると、どこがどの行列で、どこが最後尾なのか、どうにもはっきりせず、まるで試行錯誤の段階のように見えた。これが駅内の人や道路の交通量の多い休日昼間の開催時は、けっこうたいへんな混雑渋滞になるのではと危惧した次第。まあ、それこそ試行錯誤を重ね、改善はしていくのだろうけど。

 結局、午後11時を過ぎて大分駅に着き、駅近くの駐車場を出発。
 台風通過中、大分市は小雨で済んでいたけど、高速に乗って走っていると、宮崎方面に雷が光っている。いやだな~と思いながら走るうち、県境近くで突如豪雨となり、50km制限となっていた。そしてその速度で走っていてもフロントガラスには雨が水平方向に滝のように叩き、道路は時に川となる。ただ、川に突っ込み、どんなにタイヤが水を撒き散らそうが、まったくハンドルは取られず、車の走行は安定していたので、「ああ、電子制御式四駆(インテリジェント四駆)の車にしておいてほんとに良かった」と心から思った。
 豪雨のなかを安全運転で走るなか、蒲江インターの次で一般道に下りようかなと思っていたが、そこらあたりで雨が弱まったので、東九州道をそのまま走り、宮崎に入ってからはほぼ上がったので、そこからは安心して走ることができた。

 ラグビー、試合はまあ楽しかったけど、会場までの大混雑のアプローチと帰り、そして豪雨のなかの運転、ラグビー以外で疲れ果てた一日であった。

 

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July 14, 2019

信州旅行(2) 善光寺

 日本の有名な神社仏閣はだいたい訪れたことがある。
 といってそれは私が信心深いからというわけではなく、日本各地の名所って、たいていは神社、仏閣、城のたぐいなのであり、旅行ついでにそこに寄ることが多かったからである。

 しかしながら、長野市の善光寺は今まで訪れたことがなかった。
 長野の最大の観光名所であり、日本最古の仏像を有するこの有名な寺を何故訪れなかったかといえば、それは長野市が九州から訪れるのに不便なところにあり、行くのに気が進まなかったからだ。(同じ長野の松本市は、それよりは便利なので幾度も訪れたことがある。)

 けれども善光寺は、日本人は一度は訪れるベき寺とされている。
 それは善光寺は、本堂のお戒壇巡りをすると極楽浄土に行くことが約束される、というたいへん有難い寺だからである。
 私自身は、極楽浄土が存在しているとは思ってもいないが、もし万が一本当にそのようなものがあったとしたら、のちに極楽浄土の門の前に立ったとき、門番に「お前は善光寺に参っていないので入場はダメ」とか言われたら、さぞかし口惜しいだろうので、その万が一に備えて、やはり善光寺には行ってみようと思った次第。

【善光寺】

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 というわけでの善光寺。
 檜皮葺きの立派な屋根を持つ、巨大な本堂は国宝に指定されている。
 ここに日本最古の仏像が安置されており、その下を巡るお戒壇巡りへ出発。
 日本の寺では、真っ暗な回廊を巡る、このたぐいの戒壇巡り、胎内巡りはしばし見かけるが、善光寺においては、本堂の規模が大きいだけあって、回廊の距離も長く、まったく視界が利かない真の暗闇のなか手探りで歩いていると、そのうち平衡感覚がおかしくなり、宙をさまよっているかのような不思議な感覚が生じ、回廊を抜け明るいところで出ると、ああ日常の世界に戻ってきたのだと、ほっとする感じがした。
 かくして、とりあえずミッション終了。

【仁王門】

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 善光寺には名物は多かれど、その一つが仁王門の金剛力士像。
 著名な彫刻家によって造られた二体の像は迫力満点。

【牛】

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 善光寺といえば、牛がセットであるので、境内のどこかにそれがないかなと思っていたが、いくつか見つけた。
 これはそのうち最も分かりやすい、森永乳業贈呈のもの。この牛には名前があり、「善子さん」と「光子さん」というのが面白い。

【御祭礼 屋台巡業】

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 善光寺を訪れた日はちょうど祇園祭が行われていた。
 門前町が町ごとに屋台を出して、舞いを奉納するというもの。
 それぞれの屋台に特徴があり、みていて楽しかった。

【美ヶ原】

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 善光寺参りののちは、長野を代表する観光道路ビーナスラインへ。
 しかし梅雨の時期の長野は、雨は降っていないものの、標高の高いところはガスに覆われており、楽しみにしていた美ヶ原の眺めは、まったくダメであった。

【白樺湖】

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 白樺湖まで来ると、そろそろ本日の宿のある蓼原は近い。
 ビーナスラインは結局、ずっとガスのなかであり、なにも展望はなかった。
 また改めて長野に来なくては。

 

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July 13, 2019

湯田中渋湯温泉郷@長野

 善光寺の門前町である長野の奥座敷、湯田中渋温泉郷。長野からここまで私鉄が走っており、その終点地が湯田中温泉。
この温泉に、ユニークな建物と温泉を持つ、江戸寛政時代からの老舗旅館「よろづや」があり、そこに宿泊。

【ロビー】

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 「よろづや」は外見は廃虚風雰囲気のある鉄筋高層建築物だけど、中に入ると、華やぎのあるレトロな空間が広がっていて、驚かされる。

【風景】

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 本館の部屋から眺める風景。
 志賀高原へと向かう山並みが続いているはずだが、雲に途切れている。
 天気のよい日は、長野ならではの雄大な山岳の風景が広がっているだろうに、少々残念。

【桃山風呂:宿公式ページより】

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 純木造伽藍建築なる工法で建てられた大風呂は、その建築様式の豪華でまさに圧巻。自然の木だけを使い、ここまで豪奢で立派な風呂って、初めて見た。国の文化財に指定されている理由も納得である。

【世界大平和観音】

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 湯田中温泉は俳人小林一茶がよく訪れ句を詠んだ地ということで、一茶が散策した裏山が散歩道として整備されている。
 そのスタート地点が平和観音像であるが、かつては現役の宗教施設らしかった廃園のなか、もう手入れがなされなくなって久しいとおぼしき姿が、妙に印象的であった。

【一茶のこみち】

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 湯田中温泉の裏山、害獣除けの電気柵に沿って歩いてみる。周囲は鬱蒼とした雑木林で、展望はまったく利かない。
 ときおりある「平和の鐘」を鳴らしてみると、やけによく響き、なんだか迷惑行為をやっている気になってしまった。

【夕食】

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 夕食は地元の山の幸、川の幸を用いたもの。
 いずれも普通に美味しかった。
 長野は蕎麦の名産地であり、特に本日訪れた戸隠は全国的に有名であるけど、寄る機会がなかった。それをここで経験することができ、とりあえず長野の蕎麦クリア。

【渋温泉】

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 夕食後、隣の渋温泉まで散策。
 石畳の風情ある道を歩いて行く。

【金具屋@渋温泉】

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 渋温泉の夜の名物「旅館 金具屋」。
 千と千尋の温泉宿のモデルになったとも称される、木造4階建ての国の文化財。
 ライトアップされた姿は、夢幻的であり、御伽の世界の建物のよう。

【かえで通り】

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 朝は湯田中温泉名物の朝市へ。
 地図では「かえで通り」を進むとそこへ行けるとのことであったが、その通りに出ると、名前の由来がわかった。

【朝市@湯田中駅前】

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 足湯もある湯田中温泉駅前で、土日月の早朝に行われる朝市。
 野菜、果物、漬物、ジャム等々が売られているこじんまりした市。観光客と地元の人がまじり、コスパの良さそうな品々を買い求めておりました。
 山間の静かな温泉街に、この風景はよくあっていたと思う。

 

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信州旅行(1) 戸隠神社

【天手力男神(アメノタヂカラオ)】

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 宮崎県北高千穂の観光名所「天岩戸神社」は、日本の神話の最初のほうに登場する神社であり、この神社と対になる神社が長野にある。
 天岩戸神社の伝説では、弟の乱暴に憤った天照大神が岩屋に引きこもり岩戸を閉じてしまった。そうなると天照大神は日の神なので世の中が夜になってしまい、闇の世界に困った神々は相談して、なんとか天照大神がこの世に出てきてくれるように作戦を練り、まずは岩戸の前で大宴会を行った。岩屋のなかまで響くその馬鹿騒ぎが気になった天照大神が少し戸を開けると、その機を逃さず、天手力男神という力持ちの神がその戸をつかみ、長野まで放り投げてしまった。その戸が、長野の戸隠山であり、功労者の神である天手力男神がその山の麓の戸隠神社奥社に祀られている。

 この戸をぶん投げるシーンはドラマチックであり、高千穂神楽でも名シーンとなっていて、高千穂の町での神楽の絵や像では、このシーンを描いたものが採用されていることが多い。天岩戸神社に設置されている神楽の像も、それである。

 で、戸隠神社は宮崎県民としては一度は訪れてみるべき神社であったので、行ってみることにした。

【戸隠神社中宮】

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 戸隠神社は大きな神社5社からなる広大な神社であり、全部回っていると時間が足りないので、その中心である中宮からスタート。
 この神社は、天岩戸神社での神々の作戦時、戦略を考案した智恵の神天八意思兼命を祀っている。

【戸隠山】

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 中宮から歩道、車道を歩き、戸隠森林植園へ。ここから戸隠山を見ることができる。
 火成岩が崩落してギザギザの屏風型になった山である。
 天岩戸神社の近くには似たような山、根子岳があり、そっちが戸隠伝説の山となってもよさそうなものだが、まあ天手力男神がよほど力持ちであったと解釈しておこう。

【奥社鳥居から参道】

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 入り口の大鳥居からは約2kmに及ぶ参道がある。しばらくは大杉の立ち並ぶ真っ直ぐな道である。

【奥社参道杉並木】

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 山門を越えると、奥社の名物である杉並木が続く。赤い樹肌を持つ大杉が並び、いずれも樹齢400年を超える老杉。独特な厳かな雰囲気があり、この並木は長野県の天然記念物に指定されている。

【参道】

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 杉並木が終わってから参道は石畳の登り坂となる。

【戸隠神社奥社】

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 坂を登りおえ、奥社に到着。
 天手力男神は力の象徴であるから、スポーツの神としても知られており、参拝してアウトドアでの無事故を祈った。

【戸隠山登山口】

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 神社の手前には戸隠山への登山口がある。
 複雑な形をしていて登攀意欲をそそる山であるが、今回は何の道具も持ってきていないため、登山口を眺めるだけで終わった。

 私は長野では、北アルプスの名峰はほとんど登ったけど、こういう個性的な名山はまだ登っていない。いずれまた訪れたいものだ。

 

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July 07, 2019

御田祭@美郷町西郷区

 七夕の日、美郷町の有名な祭り「御田祭」に行ってきた。
 千年近い歴史を持つ田代神社の田植えの祭りであり、それは神社前の神田において、牛馬、人力を用いて整地を行い、そのあと田植えを行うという、機械化の進んだ現代ではもう行われなくなった伝統的田植えを神前にて行うという、希少価値ある祭りなのである。

【馬入れ】

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 いきなりクライマックスから紹介。
 大きな裸馬にまたがって、青年たちが神田を疾走。泥飛沫を上げながらの豪快な疾走。なお、鞍も鐙もない裸馬ゆえ、乗り手はしょっちゅう泥の中へと落馬して、かなり危険な行為ではある。

【牛入れ】

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 馬に続いては牛の神田入り。
 この牛たち、普段は農耕などしないだろうから、泥田に入るのを露骨に嫌がっていて、泥のなかに入れられると興奮状態になり、引き手たちの手綱を振り払い、逃げ回る。そして泥田のなかで暴れているぶんにはいいのだが、一匹が畔に乗り上げ、そこで向きを変え観光客に向かって突進してきた。それはまさに猪突猛進というべき勢いであり、そしてその観光客のなかに私もいたので、慌てて横に飛んで逃げて難を逃れた。
 それって、ほぼ間一髪のタイミングであり、カメラのファインダー覗いていたら、行動が遅れて間違いなく牛にぶつけられていたところであった。そうなるとただで済むわけもなく、病院送りは確実であり、あやうく宮日新聞に載ってしまうところであった。あぶない、あぶない。

【牛入れ】

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 というわけで、牛のほうはあまり整地に役立たず、引き手によって懸命に宥められていた。写真にするとのどかな風景であるが、内実はかなり緊張感あるのである。

【御輿入れ】

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 牛馬に引き続き、人の手でも整地を行う。
 青年たちが御輿をかついで神田を一周。そのあとは大暴れし、泥のかけあい。

【代掻き】

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 また馬の登場。今回は泥田のなかの疾走でなく、真っ当に農具を使っての整地。こういう時でないと今では滅多に見られぬ、犂を引いての代掻きである。

【田植え@早乙女】

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 整地が終わったのち、絣と編み笠姿の早乙女達によって、田植えが始まる。バックグランドには、催馬楽の囃子歌。

【田植え終了】

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 二列の早乙女達の列が離れていくにつれ、田植えも進んでいき、そしてほぼ終了。
 泥田が、一面稲苗の植わった田圃に変わった姿はなかなかに感動的。しかし、賑わっていた観光客は途中で飽きたのかほぼ帰ってしまい、がらーんとしているのは少々味気ない。

【早乙女meet巫女】

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 神事が全て終わり、足を洗いに行く早乙女たち。そこに巫女が通りかかり、互いに「かわいい~」と言い合う、ほほえましい風景。

 御田祭は普段見られぬものがふんだんに見られ、静も動も、いい被写体が多く、場内には高性能カメラを抱えたプロとアマチュアのカメラマンがたくさん居た。県外からも撮影目的で多くの人が訪れるそうだ。
 御田祭写真コンテストもあり、各所から送られた写真が後日順位を付けて発表されるそうである。
 私も突進してくる暴れ牛の近影を撮っていたら、それはずいぶんと迫力ある写真だろうから、いい順位を取れたかもしれないが、しかしそれは即私の病院送りを意味するわけで、そんな写真が撮れなくて幸いであった。

 こうして今年の御田祭は私に、「暴れ牛は怖い」という大事な教訓を与えて終わったのであった。

 

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July 06, 2019

滝で涼みに日向冠岳へ

 宮崎県北にはそれぞれの地域に目立つ山があって、「市民の山」的な存在となっている。延岡では行縢山がそれで、日向市では冠岳がそれに当たる。
 梅雨が始まり連日雨が降る中、週末は梅雨の中休み的となり、好天との予報なので、近場の山に登ってみることにした。冠岳なら標高も低くてあまり疲れないだろうし、それに滝がいくつもあり、滝で涼むこともできるだろう。

【登山道】

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 冠岳は標高438mでさしたる高さはないが、7月だけあってそれなりに暑く、しかも林のなかは蒸し暑くて、最初の30分くらいでそうとうに疲れてしまった。何度も途中で帰りたくなったが、とにかく稜線に出れば風は吹いているだろうから、それを頼みに歩を進めて行った。

【岩場】

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 この岩場まで来ると風景は開けてきて、風も吹いてきたので、ようやく一息つけた。

【冠岳北岳】

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 稜線に出ると、冠岳北岳が見える。
 巨大な一枚岩の岩壁で、この姿は日向市のどこからで見える、シンボルタワーである。
 もっとも近くで見ると、樹々に岩壁が隠れて、かえって迫力がない。

【展望台より】

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 山頂近くの展望所から耳川の流れを一望することができる。
 耳川は黄緑かかった特殊な色の川で、上流くからずっとこんな色であり、たぶん源流の椎葉の山のなかにこの色のモトがあるんだろうな、と推測している。

【日の丸展望台より】

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 北岳を過ぎて、次は冠岳の名所「日の丸展望台」へ。
 ここには日ノ丸が翻っており、注意すれば麓からも旗を見ることができる。

【水場】

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 水場を過ぎて、吉ヶ原岳へと向かう。
 暑い日には水場があるとほんとうに助かる。

【展望台?】

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 吉ヶ原岳への途中に展望台があると地図に書いていたので、そこに寄ってみた。
 しかし藪と雑木でまったく展望は利かず、展望台であったのはそうとう昔のことと思われた。
 位置的には、樹々がなければ尾鈴山がよく見えるはず。

【二段の滝】

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 吉ヶ原岳を過ぎてからは下山ルートに入る。下山ルートは滝を持つ沢筋であり、本来なら登山道に使えるようなルートではないのだが、ロープ、鎖、梯子等よく整備されており、滝を間近に見ながら進むことができる。

【樋口の滝】

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 滝巡りコース中、一番の大物の滝が「樋口の滝」。
 立派な滝ではあるが、写真ではまったくその威容を伝えられないのが残念。

【登山案内図】

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 滝を堪能して元の登山口へと戻った。
 山を周回してこの案内図をみると、あまり正確ではないようだ。
 冠岳は常に人の手が入って、登山道が複雑に伸びていて、つまりは進化し続けていると思われる。
 標高はさしてないが、複雑な地形を持つ山であり、さらには気分次第でコースがいくらでも選べるわけで、長くつきあえるいい山だと思った。

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June 30, 2019

映画:ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

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 日本の怪獣映画史上最も有名なコンテンツである「ゴジラ」を、ハリウッドが巨額の費用をかけてリメイクしたゴジラ実写版その3。
 20年前のエメリッヒ版の一作目は、ゴジラは「俊敏な巨大爬虫類」といった感じで、原作のゴジラの「荒ぶる神」と称すべき威厳も神秘性もまったくないベツモノであったけど、2作目のギャレス版ゴジラは原作の精神に戻り、ゴジラは「人間以上の存在」としてのオーラを放ち、映画全体としても良作であった、と思う。そのゴジラをそのままスライドして用いたのが本作。

 本作の原作は「三大怪獣 地球最大の決戦」で、東宝ゴジラシリーズで最も強力で凶悪なモンスター「キングギドラ」の登場する話である。キングギドラは造形も素晴らしく、他の怪獣がトカゲなり鳥なり昆虫なりのモトネタがあったのに対して、これはまったくのオリジナルであり、この映画で初めて世に出現した異様にして美しい、魅力あふれる怪獣であった。そのキングギドラが、着ぐるみ撮影でなく、最先端のCGによって大画面で登場するのだから、これは観ないと損でしょう。

 そういうわけで観たけれど、脚本ははっきりいってつまらなかった。
 こういった大災害モノでは、家族の物語をそれに並行させるのはハリウッド映画の常道であるが、それらはたいていは映画を面白くするのに役に立っていない。なにしろ向うの人達って、家族が危機に陥ると、世の中がどうなろうが、他人にいかなる迷惑をかけようが、家族を救うためのみ全力を尽くす、てのばっかりで、まあそれは人間の行動様式としては納得はできるものの、それをこれが正義だとばかり延々と見せられると、なんか鼻白んでしまう、というのが正直な感想である。
 この映画でも、怪獣の暴動により世界が危機に瀕する筋に、怪獣制御のキーとなる技術を持つ科学者家族の物語がからむのだが、それがまったくつまらない。

 科学者夫婦は前作でゴジラによって、息子を一人亡くしている。それが原因で家族はみな心に深い傷を受け、離れ離れになったのだが、そこから立ちなおるための妻の思考が極端である。
 彼女は息子が亡くなったのには何か理由があったと考える。そして、息子が亡くなったのは、それは怪獣に殺されたからで、つまりは怪獣は人を殺す存在なので、そのため息子は亡くなった。ではなぜ怪獣が人を殺すかといえば、それは怪獣が人間の上位にある生物であり、彼らは自分の意思で自由に人を殺すことができる存在だからだ。そして怪獣が人間を適度に殺すことによって、何が起きるかといえば、自然環境が改善する。つまり怪獣が適度に人間を間引くことによって、地球は環境汚染、戦争、異常気象を改善することができ、長い目ではそれは人間をもよい影響を与える。そうだ、息子は世界を良くするために亡くなったのだ、ではさらに怪獣を増やして世界をより良くしよう、そういう論理の進め方により、彼女は今世界で眠っている怪獣たちを解き放ち、人類の審判者、あるいは裁定者として、地上あらゆるところに跋扈させようとする。

 この怪獣を神聖化し、人間よりも上位の存在として崇める思想。
 向うのクジラ保護運動なんか見ていると、あきらかに彼らは人間よりもクジラを大切な存在と思い込んでいるので、西洋ではべつだん珍しい思想ではないようには思えるけど、クジラと違って怪獣は獰猛な生き物なので、彼女の行為によって20匹近くの怪獣が野に放たれると、世界は壊滅的ダメージを受けた。
 一人の女性の理性を失った思いこみにより、世界が危機に瀕するという、なんとも哀しくもやりきれない話である。でも、それでも、これで彼女の本望達成、めでたしめでたし、とかいうふうにはならず、その怪獣の大暴れにより彼女の残った一人の娘の命が危なくなると、彼女はそこで半狂乱になり、娘を救うことと、娘を襲っている怪獣を排除することに懸命に奔走することになる。
 怪獣に人類の命を捧げて当然とか言っていた人が、いざ自分の家族の命が危険にさらされると、前言撤回、全く逆の行動に出る。
 狂信者というのは、たとえ根本の思想が間違っていても、その行動に首尾一貫性があるのが本物の狂信者というものであって、ここで彼女は狂信者としての誇りも意義も失ってしまう。
 つまりは彼女の先ほどの思想とやらはただの言い訳みたいなもので、本当は「自分の息子だけが怪獣に殺されたのが腹が立つし、納得いかない。こうなりゃ、他の人達も怪獣に食われて、私と同じように不幸になれ」という考えで、怪獣を世に放ったということが露呈されてしまい、まったくみっともない。

 つまりはこの女性科学者はろくでもない人間なのだが、それは私のみの意見ではなく、彼女は映画内で、他の人物皆、家族や機関関係者、はては環境テロリストからも、お前はおかしい、お前はどうしようもないと非難されており、映画の脚本上からも、最初からどうしようもない愚かであり、魅力のかけらもない人物と設定されているわけで、演じる役者もさぞかし気がのらない役ではあったと思う。
 しかしながら彼女はこの映画では極めて重要な役割を持っている。
 前作で怪獣達はモナークという機関で厳重に管理されていると設定がなされているが、怪獣達が暴れるというテーマの本作では、その管理されている怪獣達を解放するには、こういう愚かな人物が必要不可欠であった。その理由のみで、彼女はこの映画に存在している、ということだったのだ。

 そんなこんなで、この科学者の物語にはイライラさせられたが、しかしキングギドラを始めとして、怪獣たちの造形はとても素晴らしかった。三つの首がそれぞれ独自に動き、かつ大きな翼をはばたくキングギドラの動画って、CG造るのはとても大変だと思うけど、じつに自然に、かつ雄大、雄渾に動きまくっていた。威厳と迫力にあふれるゴジラは前作同様の格好良さ。さらに驚いたのがモスラ。巨大な羽根から放たれる光をまとった姿は、神々しいまでに美しかった。

 これらの怪獣の姿、そしてバトルを映画館の大画面で観るだけでも、ああ、今の時代はこのようなものが観られるようになったのか、と昭和の東宝怪獣映画を観て育った者は感動してしまった。いい映画であった。

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 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 公式サイト

 

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June 23, 2019

オオヤマレンゲ(2)@英彦山

【九州自然歩道】

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 梅雨の時期なのに好天の日曜日、鳴子山に引き続き、オオヤマレンゲを見に英彦山へと。
 別所駐車場に着くと、登山日和だけあってほぼ満車状態。強引に数台とめるスペースはありそうだったが、本日は北岳始点の周回コースを予定していたため、素通りして次の駐車場へ。英彦山は別所から高住神社までの間に広大な駐車場がいくつもあるけれど、これってオーバースペックなのではといつも思う。おかげで便利ではあるが。駐車場からはすぐ九州自然歩道を使って、高住神社の登山口まで行く。杉林のなかの平坦な散歩道である。

【キャンプ場】

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 キャンプ場に出ると丘の緑が濃く、青空のもと輝いている。梅雨とは思えない初夏のような景色であるが、じっさいまだこの地域は梅雨入りしていない。

【登山道】

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 北岳への登山道は苔むした岩が続き、霊山らしい神秘的な雰囲気をまとっている。

【展望台】

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 途中で展望台に寄ってみた。
 この「展望台」、じつは切り立った一枚の岩壁であり、「展望板」とも称すべきもの。それゆえ高度感抜群であり、眼下に広がる風景もまた雄大。

【オオヤマレンゲ】

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 北岳への稜線の手前の「溶岩の壁」あたりに英彦山の名物であるオオヤマレンゲの群落がある。
 鳴子山ではまだ始まったばかりであったが、対照的に英彦山ではほぼ終わりかけ。枯れた花がいくつも樹にあるなか、それでもちょうど満開のオオヤマレンゲをいくつか見ることができたのはまだ幸運であった。
 北岳経由で英彦山に登って来る人はたいていこれが目当てなので、オオヤマレンゲの前ではたくさんの登山客が集い、写真を撮っていて、順番待ちの行列ができていた。

【ヒコサンヒメシャラ】

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 オオヤマレンゲの傍に、これも英彦山を代表する花ヒコサンヒメシャラが咲いていて、こちらのほうは蕾も多く、今からどんどん花が開いていくところであった。
 オオヤマレンゲには華やかさでは負けるものの、独特の愛嬌がある良い花である。
 三枚目のものは中岳山頂に咲いていたもの。さすが英彦山の名のついた樹であり、英彦山のあちこちに生えていた。普通のヒメシャラと違ってあまり目立たない樹なので、花の時期でないとなかなか気付かない。

【中岳へ】

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 北岳まで登ると、中岳、南岳は近い。

【南岳山頂】

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 中岳から南岳にかけてはエゴノキの白い花がちょうど盛りであって、登山道にもいくつもの花が散っていて、道を白く染めていた。

【大南神社】

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 南岳からは大南神社を通るコースで下山。そこそこ岩場があり、変化に富んだ道である。

【学問神社】

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 登山道から少し外れているが、学問神社にも寄ってみた。いろいろあやかりたいことがあったので。ここは御利益がありそうな名前の神社だけあって、たどり着くまでの道はけっこう険しく、ちょっとしたアドベンチャールートになっている。

【奉幣殿】

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 奉幣殿に着いて、だいたい登山は終了。
 本日もたくさんの花々を見ることが出来て、いい登山であった。

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