September 17, 2017

綾界隈@台風18号到来の宮崎

【9月17日天気図】
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 9月になって涼しくなり、山のシーズン到来というわけで、連休は山登りと温泉で楽しもうと思っていたのだが、そこへ連休を狙ったかのように、大型の台風18号が、進路が不安定なまま九州に向かってきて、予定がまったく立たなくなったので大人しく前半はインドアで過ごしていた。
 そして16日の夜には、台風の進路がはっきりし、17日の午前中に鹿児島上陸ということで予測が立てやすくなった。
 その日は綾町の温泉宿「酒泉の杜 綾陽亭」に予約を入れていた。当たり前のことながら、旅館というものは、当日にキャンセルをするとキャンセル料を取られるのだが、このときは数日前に宿からあり、「台風の場合はキャンセル料はとりませんので、キャンセルされる場合は早めにご連絡お願いします」との電話があり、なかなか出来た宿と思った。
 当日になり、天気図をみて計画をねる。
 まず宮崎では台風は午後に直撃ということになる。そして雨については、前線との関係で県北はひどいことになりそうだが、宮崎市から綾町へのルートはさほどの雨は降らなさそうである。
 それで、午前中にとっとと綾に移動して、台風本番は施設内で迎えるというプランを立てた。「酒泉の杜」は、温泉、ワイナリー、レストラン等のあるリゾート施設なので、チャックインまで充分に時間をつぶせるであろう。

 ということで、いつもより遥かに車の数の少ない10号線を車で走り、11時頃に綾に到着。
 ところが、時間をつぶすはすの予定の酒泉の杜、本日は台風のせいで全施設営業中止となっていた。・・・よく考えれば当たり前なのだが、その可能性についてはすっかり失念していた。反省。

【酒泉の杜】
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 施設の臨時休業とととも、イベントも中止のお知らせ。

【綾陽亭 客室】
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 というわけで、酒泉の杜をぶらぶらして時間を過ごすという計画があっさりと没になったのだが、宿のほうが特例で12時からチェックインさせてくれた。有難きかな。
 広々として、品のよい、快適な部屋である。
 この部屋のソファに寝っ転がり、午後からは嵐の様相になってきた外を眺めながら、読書や音楽で、ゆったりと時を過ごした。

【部屋風呂】
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 部屋風呂も檜の立派なものである。

【大浴場】
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 酒泉の杜の大浴場は、本日は宿泊者専用である。
 得した気分になった。

【夕方】
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 海上にいたころはゆっくりと進んでいた台風ではあったが、九州に上陸してからは速度を上げ、あっというまに当地を過ぎ去り、夕方には晴れ間も見えた。
 連休中の、迷惑千万の邪魔虫であった台風のとりあえずの通過であった。
 ちなみに、飛行機も飛ばす、JRも全区間運休というこの日、宿のキャンセルは2組だけだったそうだ。どうやって遠くから来れたのだろう?と思ってしまうが、台風に慣れた日本人は、旅のやりかたもそれぞれの工夫をもっているようだ。

【夕食】
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 夕食は、宮崎の地元のものをふんだんに使ったもの。
 綾町取れの野菜、茸、日向鶏、地頭鶏、宮崎牛、日向灘の魚、天然鮎、宮崎産の鰻等々、〆はやはり宮崎名物レタス巻き。
 この宿は県外の観光客が訪れることが多いので、そういう人たちにとって満足度の高い料理であろう。もちろん県内の者にとっても、十分に美味しい料理の数々である。

【照葉大吊橋】
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 翌日は台風一過の晴天である。
 それで綾の観光地を散策。
 まずは、一番の名所「綾の大吊橋」。
 原生林の峡谷にかけられた、世界最大規模の長さを高さを持つ、大吊橋。
 足元は一部が網状になっていて、歩いていると高度感抜群である。

【花時計】
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 直径26mという大きな花時計。
 花の時期はとてもきれいなのであるが、少々時期外れであった。

【綾城】
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 綾の町を見下ろす場所にある、ユニークな造形の城。
 ここからの眺めはじつに素晴らしい。


 台風直撃の連休、それなりに充実した休日を過ごすことができた。

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September 10, 2017

西郷どん帰郷の路@鹿川古道再生プロジェクト

【西郷軍敗走路@宮崎県内】
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 西南戦争末期、西郷軍は延岡和田峠で決定的な敗戦を喫し、事ここまでと悟った西郷は、軍の解散令を出した。そこで多くの降伏兵が出て、西郷は残った兵たちを率い、延岡から鹿児島への逃避行を行った。
 主要道路にはもちろん政府軍が待ち構えているので、裏道、山道を通っての行程になる。行く所々で糧食、武器を略奪しながらの行軍であったため、地元の住民にとってははなはだ迷惑な集団であったとは思われるが、なにはともあれ西郷軍は険しい山々を辛酸辛苦の末に突破し、鹿児島城山への帰還に成功した。
 西郷軍は、戦略・戦術等の軍隊そのものの能力には著しく難があったが、サバイバル技術には優れたものがあったようで、彼らは能力の使い方を根本的に間違っていたのでは、と後世の者からは残念に思われている。

 その西郷軍の敗走に使ったルートをざっと上の図に示す。
 これらの道は、今も生活道に使われていたり、登山道に使われていたりもするが、西南戦争から150年近くがたった今、その半ばは廃道になっている。

 ところで近年の歴史ブームの余波からか、宮崎県の地方起こしで、この敗走路を復活させようという活動が数年前から起こり、たとえば日之影から岩戸までは、「天の古道」として復活した。
 それで、チーム大崩でも、大崩山山麓の西郷軍が通ったルート、「鹿川古道(上の地図で赤線の部分)」を整備して復活させようという話が持ち上がり、私もそれに参加してみた。

【西郷隆盛宿陣の跡】
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 上祝子集落に残る、西郷隆盛が泊まった農家の跡。
 ここをもう少し行ったところから、鹿川古道は始まる。

【鹿川古道】
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 鹿川古道は、この川を渡るところから始まる。
 鹿川古道は、かつて上祝子と鹿川が林業で栄えていたころ、人々の往来に使われていた道だったが、人々が去ってしまい、道が使われなくなった今、かつて掛けられていた橋は落ちたままとなっている。

【鹿川古道】
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 林道を少し歩いて、それから山のなかに入って行く。

【鹿川古道】
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 使われなくなった道は、樹々や草で覆われてしまう。
 地道に樹々を切り、草を刈って行く。

【鹿川古道】
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 先頭者が樹々を切ったあと、後続の者がそれらを脇に捨てていって、道が整備されていく。

【展望所】
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 鹿川古道は基本的には茂った林のなかの道なので展望がきかないが、ところどころ展望の利くところがある。
ここはその一つ。
 広ダキ、やかん落とし、大崩山山系の特徴である巨大な花崗岩のスラブを見ることができる。

【鹿川古道】
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 ここらは日当たりがよいせいか、カヤが生い茂って、自然に還ってしまっている。
 ここは刈り払い機にぞんぶんに活躍してもらって、道を切り開いて行く。

【鹿川古道】
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 使用前、使用後という感じで、道が復活している。
 もっともカヤはすぐにまた生えて来るので、人が入り続けないかぎり、この道もやがては自然に戻ってしまう。

【林道】
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 3kmほど進んで、機械用の燃料もなくなってきたので、本日の整備作業は終了。帰りは、古道は使わずに、快適な林道を歩くことにした。

 終点である鹿川越までは、あと半分くらいを残すのみ。あと一回作業を行えば、鹿川古道全行程が復旧できそうである。


【本日の鹿川古道作業区間】
Sisigawa

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September 09, 2017

落水林道@整備後

 大崩山のイベントで、上祝子から鹿川までの廃道を復旧させようというものがあり、天気予報では好天だったので参加してみることにした。
 このイベントの常で、前夜に宴会があるので、それにも当然参加してみることにして、その前には大崩山界隈を散策してみたい。(まだ暑いなか、大崩山に登る気はしないので。)
 それで、昨年に完成した落水林道がその後どうなっているかを見るため、ハイキングすることにした。

【祝子川】
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 大崩山の登山ベース「美人の湯」から、まずは舗装路をスタート。
 最初に祝子川を渡る橋から見る、大崩山の眺め。

【鋸山】
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 林道を登っていき、特徴ある鋸山の姿が見えると、落水林道の入り口も近くである。

【落水林道】
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 落水林道は、以前に林業用に使われていたので、きちんと残っているところは幅も広く、トレランなどに使いやすい道である。

【落水林道】
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 落水林道は、しかし使われなくなって久しく、道は多くの場所で崩壊していて、かつ崩落しているところもあり、「林道」と名はついているけど、ルートファインディングは難しいコースだと思う。
 トレラン目的で来た人とかは、最初はガイド付きで走ったほうがぜったい安心。

【落水林道】
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 昨年、道の馬酔木は全部刈ったはずだが、生命力の強い樹であり、このようにまた元気に生えてきていた。

【落水林道】
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 台風や、大雨で樹々は倒れるのであり、この林道もいくつも倒木のあるのを見つけた。
 やはり普段使われていない道は、荒れる一方なのではある。

【落石場】
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 落水林道を歩き、この平たい落石が被さっているところにくれば、林道もほぼ終点。


 散策を終え、落水林道の状況を、整備管理者のN館長に伝えたところ、自然を相手にする限り、これはこれでいいのであり、整備はずっと必要なので、エンドレスの努力を続けていきましょうとの、たくましい答えが返ってきました。

 まあ、とりあえず、道は使わないと荒れていく一方なので、大崩山が好きな人は登山もふくめ、この林道も散策なりサイクリングなりトレランなり、なにか使っていってほしいなあ、と思う次第であります。

【宴会料理】
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 夜の宴会は、大崩山で獲れた鹿料理に、自家栽培の野菜の数々、それに各自持ち寄りの料理、酒で、深夜まですすむのであった。

【落水林道】
 落水林道:「美人の湯」を起点終点で、総距離16.3km 獲得標高762m
Ochimizu


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September 03, 2017

「天空の船」&レストラン「Festa del mare」@上天草松島

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 念珠岳から下りて、車で30分ほどの位置にある、本日の宿「天空の船」へと向かう。
 この宿は天草のリゾートホテルであり、天草松島の絶景を高台から望みながら、露天風呂に入られるというのが売りの宿であり、残暑の天草登山で汗をたくさんかいた身には、絶好の場にあるホテルといえる。

 そして部屋から見たホテルの本館の姿。
 たしかに、岬の突端から空へと漕ぎ出す、客船のように見え、「天空の船」が見事なネーミングということが分かった。

【露天風呂】
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 オーシャンビューの部屋のテラスのなかにある、掛け流しの露天風呂。
 リクライニングソファもあり、ここでゆったり時を過ごし、日がな、太陽の動きとともに変わる松島の風景を眺めたりすれば、贅沢な時を過ごせるだろうなと思った。

【夕暮れ】
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 天草の海は西に面しているので、サンセットビューが売り物である。
 本日は、大気が澄んでおり、そこまできれいな夕焼けにはならなかったが、それでも沈む夕日に、刻々と色と姿を変えていく、雲や海の姿がとても印象的であった。

【天空の船@夜】
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 ホテル本館は、夜になると、内部かの明かりが自らを美しく照らし、まるで豪華客船のように見え、このホテルの真の姿は夜にあると思った。

 風呂と夕焼けを満喫したあとは、ホテルにあるレストランで夕食。

【前菜】
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 天草の食材を使った盛り合わせ。
 海老の包み揚げ。天草の名物の天草大王のササミのマリネ。甲イカの昆布〆。
 野菜のバーニャカウダ。

【前菜(オプション)】
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 今が旬の天草赤雲丹。甘くて旨い。
 これはオプションメニュー。

【前菜】
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 アワビと天草野菜のガスパチョ。香草添え。

【前菜】
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 トウモロコシのクロカンテ。クルマエビの唐辛子風味。

【パスタ】
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 天草産魚介類とトマトで和えたサルディニア風フレゴパスタ。

【魚料理】
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 有明町産さざえと鮮魚のソティ・新ごぼうのソース。
 鮮魚はイシガキダイ。

【肉料理】
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 阿蘇赤牛の網焼きもろみと、赤ワインソースと夏野菜添え。


 「リゾートホテル」なるものは、サービスが多角的であり、種々のことに手を出さないといけないので、そのどれもが平均的になりがちで、食事も「とりあえず最大公約数的に満足できるようなもの」が出てきがちなのだが、このディナーを食べてちょっと驚いた。
 本格的なイタリア料理である。
 もちろん素材は地元のものを主に使っているけど、組み立て、調理法は、じつに真っ当なイタリア料理であり、都市部の専門店で十分に通用するレベルのものである。
 こういう地方の観光地で、しかも多数の客を相手にする観光ホテルで、このような本格的かつ真摯なイタリアンを食べられて、イタリア料理好きの私としてはとても感心した。さらに、ワイン揃えも立派なものであり、それもまた驚きであった。

 海産物、野菜の豊富な天草は、それを利用した美味しい店が多いけれど、基本的には新鮮な素材勝負な店が主体であり、そのなかでこのように、素材をうまく生かして、イタリア料理に昇華できる腕を持つシェフのいるレストランがあることは、天草にとって、じつに良いことだと思った。

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September 02, 2017

登山:念珠岳@上天草観海アルプス

【念珠岳登山地図】
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 昨年から唐突に開始している夏の天草登山シリーズ。今回は、天草観海アルプス最高峰の念珠岳である。
 この山は調べてみると、たくさんの登山ルートを持っている。そのなかでは観海アルプスの自然歩道を使うのが、稜線歩きが長く、一番眺めがよさそうだ。それで、そのルートを使うことにした。登山コースについては、「熊本県の山@山と渓谷社」の念珠岳に載っているもの使うことにした。

【二弁当峠】
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 このコースは登山口と下山するところが離れているので、まずは二弁当峠に車を止め、そこから自転車で下貫まで移動して、そこから登ることにした。

【下貫】
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 下貫は、龍ヶ岳への登山口でもある。
 この舗装路を8kmほど歩いて、歩道に入る必要がある。
 アスファルトの照り返しによる暑さを覚悟したが、山のなかに入ると木陰が多くて、意外と暑くはなかった。

【観海アルプス】
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 一回目の峠を過ぎると、本日歩く観海アルプスの稜線が見えてくる。
 標高は500m程度と低いけれども、恰好はよい山々である。

【登山口】
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 舗装路を登って行き、2度目の峠みたいなところが、念珠岳への登山道入り口。
 今の時期は、あまり使われていないようで、夏草が道を隠していた。

【登山道】
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 しばらく歩くと、道は広くなる。
 この登山道、しばしばササクサが茂っており、種が服にたくさんくっつくので苦労した。

【稜線】
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 登山口から15分ほど登ったら、この稜線に出る。
 ここからが九州自然歩道であり、500mごとに標識が設置されていた。

【烏帽子岳】
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 念珠岳の稜線ラインは、いくつものコブがあったが、大きいものは3つであり、その最初の一つが烏帽子岳。
 ここは登らず、そのまま巻道を行った。

【念珠岳へ】
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 いくつも軽いアップダウンを行くうち、念珠岳への登り口に到着。
 ここからは急傾斜を登っていく。

【念珠岳】
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 そして念珠岳山頂に到着。
 この山頂は木々が伐採されていて、とても展望がよい。
 天草の山々や、静かな内海の八代海、複雑な海岸線を持つ天草の海岸線、そして港町、素晴らしい眺めが広がっている。

【登山道】
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 念珠岳からの自然歩道は、稜線から少し離れ、アップダウンの少ない緩やかな道となる。

【二弁当峠旧分岐】
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 やがて登山道は二弁当峠への旧分岐に出る。
 地図を見ると九州自然歩道のほうは舗装路に出て相当歩いて二弁当峠に着くの対し、この旧道を使うとほぼダイレクトに二弁当峠に出ることになっている。
 舗装路をだらだら歩くのもつまらないので、ここで自然歩道から離れ旧道を下っていくことにした。

【登山道】
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 この旧道、ほとんど使われていないらしく、標識も赤テープもまったくない、整備のされていない道であった。そして進むうち、道が不明瞭になり、はたして道なのか、それとも雨で崩れた跡なのか分からなくなってきた。
 それで地図をみて調べると、どうやら正規の道から知らないうちに離れて、枝尾根を西方向に下りていってしまっているようだ。
 ただ、地図からすると、ここは下ってさえいけば、道路のどこかに必ず出るので、そのまま下っていくことにした。

 そして道らしきものは、ついになくなってしまい、前方向はすべて藪というところに出てしまった。藪こぎはイヤなので、横と斜め方向に藪をさけて下っていき、やっと道路へと出た。
 出たのはいいが、そこはコンクリで固めた法面であった。つまり崖である。登山道を外れて下山すると、だいたいこういうことが生じるのは一種のお約束ごとではある。いわゆるマーフィの法則というやつか。

 とにかくその崖を観察すると、20mくらい横で崖が切れていたので、結局藪を突破してそこから道路に脱出した。

【コンクリ法面】
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 この写真の、ちょうど真ん中あたりで、私がひょっこり顔を出したわけである。
 傾斜のある山での、この手のコンクリの崖、下手をすると延々100m以上続くこともあるのだが、小規模なものでよかった。

【登山道入り口】
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 こうして予定していたとこよりも、かなり上の道路に出たせいで、登山口まで10分ほど歩くことになった。
 そして、二弁当峠近傍にあった、正しい旧道の入り口を見つけた。
 ここもそうとう使われていないらしく、標識は茫々に茂る草になかば覆われていた。

 なにはともあれ、登山口に着き、そして自転車の回収に下貫に行って、登山は終了。
 好天のもと、天草の自然を楽しめた山行であった。

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August 19, 2017

サーラカリーナ福岡店閉店

 福岡市のイタリアンの名店「サーラカリーナ」が今月末で閉店との知らせが突如届いた。
 レストランが閉店するのにはいろいろと理由があり、もっとも多い理由は経営的問題なのであるが、サーラカリーナの場合は客はコンスタントに訪れているし、よい常連客も多くついている店なのでそれは考えにくく、なぜなんだろうと思ったけど、理由は閉店の2番目に多い理由、「店主の体調不良」なのであった。

 そして、さらには店の借地期間の関係もあって、閉店とともに、あの瀟洒なレストランも取り壊され、更地になってしまうということで、物理的にもサーラカリーナはなくなってしまうのである。

 これはたいへんと、店がなくなってしまう前にとにかく訪れることにした。

【サーラカリーナ】
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 訪れたのはひさしぶりであり、緑あふるる蔦がさらに生い茂っていて、店の外観が変わっており、いったん通り過ぎてしまった。

【Ca' del Bosco Terre di Franciacort 2003】
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 サーラカリーナは一流のイタリアワインを仕入れている店であり、貴重なワインがいくつもセラーのなかにある。
 店の突然の閉店により、それらのワインの行く末が気になるところであり、今回は料理にあわせるのでなく、ワインを主役として白・赤出してもらった。

 白は、フランチャコルカの最高峰、カ・デル・ボスコのシャルドネ。ヴィンテージは2003年。この年には深い意味があり、サーラカリーナが薬院に開店した年なのである。
 店とともに14年の年月を積み上げ、そして閉店の年に栓が開けられる。けっこう劇的。
 ワインは当然、素晴らしい。

【Le Pergole Torte Montevertine 1994】
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 赤はトスカーナのワイナリー「モンテヴェルティネ」の最上キュベ、レ・ペルゴーレ・トルテ1994。20年以上の歳月をかけて熟成されたこのワインは、果実の豊かな香りとともに、奥深いコクがあってすこぶる美味であった。

【パスタ】
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 キャビアのフェデリーニ。

【パスタ】
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 ポルチーニとトリュフのラビオリ。

【パスタ】

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 この時期のサーラカリーナのスペシャリテ 桃の冷製カッペリーニ。

【パスタ】
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 唐辛子とアナゴのパスタ。

 食事に関しては、パスタ尽しをアラカルトで頼んだ。
 サーラカリーナは、やっぱりバスタの実力が抜群に高いゆえ。
 それにはもちろん理由がある。それこそ30年以上も前は、九州においてパスタって、洋食麺料理であり、「ミートソーススパゲッティ」か「ナポリタン」とかしかパスタの概念がなかったのだが、そこに今井シェフはまったく新しい概念を持ち出した。
 まずパスタには形にしろ、細さにしろ、生麺、乾麺じつに様々な種類があること。そして茹で方、オイルの使い方、茸、野菜、スパイスの使い方等々。パスタには無限の素材と調理法があり、サーラカリーナで供されるパスタは、カルチャーショックものだったのだ。
 そして、サーラカリーナは九州のイタリアンの最前線を走り続け、そこで修業したシェフたちが九州の第一級のイタリアンレストランを経営している。

 今井シェフは、九州のイタリアン界にとってレジェンドであり、特別の存在なのである。

 そして、今回食したパスタ料理、素晴らしものではあるけど、今井シェフがキッチンで陣頭指揮をとって料理していたころと比べると、微妙に違うものを感じてしまった。
 今回の訪問は、私はサーラカリーナの料理というより、今井シェフの料理が好きだったんだなあ、と思い知った時間でもあった。


 サーラカリーナは、でも、これで終幕というわけでなく、今井シェフは静養したあとは、また新たなところで店を起こしたいとの意思を持っているとのこと。
 今井劇場はこれでEndというわけではなく、次の幕開けが、これから予定されている、そういうことだそうだ。

 私も、次の開幕の日を、楽しみに待っております。

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August 12, 2017

平戸観光

 盆休みは里帰りのついでに、長崎まで足を伸ばし、平戸を観光してきた。
 平戸は玄界灘に面して、小高い山々が連なっている地形だから、つねに潮風が吹いて少しは涼しいであろうとの魂胆であったけど、・・・やっぱり暑かった。
 地球温暖化の時代、夏はどこも暑いですな。

【田平天主堂】
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 平戸は島であり、橋を渡って行かねばばならないが、その橋の手前にあるのが田平天主堂。
 赤煉瓦の、経て来た歴史を伝える造りが印象的な美しい教会である。
 聖地ルルドを模した洞窟も併設されている。

【平戸大橋】
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 この赤く立派な橋により、平戸は陸続きとなっている。築四十年である。

【川内峠】
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 平戸はほとんど平地がなく、山で出来ている地形。その山地の小高いところにある展望所が川内峠。
 360度広がる風景から、九十九島や、壱岐まで見ることができる。

【春日の棚田】
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 平戸はその地形から、水田はどうしても棚田形式となる。
 一枚一枚積み上がって行く田は、独特の美しさがあるが、作業は大変そうであった。

【平戸城】
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 山鹿流により建てられた珍しい城、とのことであるが、素人にはその違いがよく分からない。
 天守閣に登れば、平戸の街並み、港、それに島々を見渡すことができる。

【ザビエル記念堂】
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 日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、日本各所で布教を行ったので、その名をつけた教会が日本に多くある。これもそのうちの一つ。
 中央の尖塔を囲むように、いくつもの小尖塔が取り囲む、ゴシック様式の荘厳な教会である。

【最教寺】
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 真言宗派のお寺。
 空海が唐から帰国したとき、最初に護摩を焚いた場所につくられたお寺だそうだ。
 空海もまた伝承、伝説の多い人物である。
 3階の展望所から平戸を見渡せるが、高さがそれほどないので、平戸城ほどの展望はない。

【塩俵の断崖】
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 平戸から生月大橋を渡って、生月島まで行くと、この柱状節理が美しい「塩俵の断崖」を望むことができる。
 このへんには火山がないので、どうやって出来たのか不思議に思ったが、調べてみると1000~600万年くらい前には、この地域では活発な火山活動が起きていたとのことであった。

【夕食】
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 平戸は漁も盛んなところなので、夕食は魚つくし。
 新鮮な魚でおおいに酒を飲みましょう。
 そして〆は、平戸名物「鯛めし」で。

【平戸の夜景】
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 平戸の美しい建築物は夜にはライトアップされており、それらを巡る遊覧バスも各ホテルから出ている。
 私はホテルの近くの展望台に登り、街を一望。平戸城や、ザビエル記念堂が白く浮かびあがっている。


 平戸は大陸に近く、昔から海外との交流がさかんであった地なので、さまざまな歴史記念物があり、そして地形が複雑なので自然も美しい。
 訪れるべき場所が多く、いいところであった。

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July 22, 2017

晴れた日には、パリを歩こう

 今回のフランス旅行はモン・サン=ミッシェル ツアーとレストランの予約だけしており、その他はなにをする予定もいれていなかった。
 天気が良ければパリ市内を散策。雨ならば美術館にこもる、というその場対応でいこうと思っていたが、パリ滞在中はずっと好天、それも好天すぎるほど好天だったため、結局はひたすらパリを散策するということになった。

【ナポレオン廟(アンヴァリッド)】
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 パリ市内でもひときわ目立つ金色のドーム教会。
 フランスの最大のスターであるナポレオン1世の墓でもある。

【アレクサンドル三世橋】
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 名所アンヴァリッドからセーヌ川を渡って、次なる名所グランパレへ行くとき渡る橋。
 アールヌーヴォ調の街燈や金ピカの彫刻で飾られた、セーヌ川にかかる多くの橋のなかで最もきらびやかな橋である。

【セーヌ川とエッフェル塔】
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 エッフェル塔は、パリを歩いていて、建物が切れたところではかならずその姿を見ることができる。いい目印だ。

【コンコルド広場】
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 パリの中心地、コンコルド広場。噴水とオベリスクで有名
 ここはフランス革命の無慈悲さ、残虐さを象徴する陰惨な場所であったが、長き年月がたち、いまではそれを伝える縁(よすが)ももない、平穏な観光名所となっている。

【マドレーヌ寺院】
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 コリント式円柱の立ち並ぶ威風堂々たる建物、まるでローマ時代の神殿のようだが、じつはカソリック教会である。
 なかに入ると、たしかに教会であった。
 この教会は、立派なパイプオルガンを持ち、音楽好きにはかのフォーレのレクイエムが初演されたことで有名。しかし、この荘厳な内装と、あの静謐、清澄な音楽とはちょっと取りあわせが悪い気がした。

【シャンゼリゼ通り】
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 三色旗が街路に沿って並ぶは、シャンゼリゼ通り。
 本日歩くと通りに沿って観覧席があり、そしてゴミも散らかっていた。なぜかというとパリ最大のお祭り「パリ祭」が一昨日開かれ、その後片付けがまだ終わっていなかったのである。

【凱旋門】
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 シャンゼリゼ通りは凱旋門へとつながっている。
 ここまで来たら、凱旋門に登ってパリ市街をながめよう。

【凱旋門屋上から】
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 パリというのは近代で大改造された都市であって、このように凱旋門を中心として、放射状に道路が築かれ、それを基盤として建物が立てられている。

【モンマルトルの丘】
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 パリ全体を眺めるのに適した場所がいくつかあるが、モンマルトルの丘からの眺めがまたいい。
 地下鉄駅からおりてすぐの坂道を登っていって、それからパリを眺めよう。

【ルーブル美術館】
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 ルーブル美術館はなかの収蔵品はもちろん素晴らしいが、建物そのものも立派な美術品。
なかに入ると、一日たっても終わらないので、今日は外を見るだけ。

【ポンヌフ】
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 ルーブルからシテ島に行く途中に、有名な橋ポンヌフがある。「新しい橋」という意味だけど、じつは古い。

【ノートルダム大聖堂】
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 フランスのみならず、ヨーロッパのゴシック建設を代表するノートルダム大聖堂。
 正面から見るツインタワーがまず威厳がある。
 有名な観光地であるので、観光客も多く、照りつける日のもと大行列がならんでいる。

【薔薇窓】
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 ノートルダム大聖堂は建物も素晴らしいが、巨大なステンドグラスもまた素晴らしい。
 この幻想的にまで美しいガラスの色は、今の技術では再現できないそうだ。

【リュクサンブール公園】
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 シテ島を南方向に歩いて、リュクサンブール公園へ。
 「花の都」パリらしい、花に満ちた華やかな公園だ。

【ギャラリー ラファイエット】
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 建物を眺めるだけでなく、買い物もまたパリの魅力。
 パリ一のデパート、ギャラリー ラファイエットは品揃えがたいへん豊富である。
 美しい店内でそれらの品物を見ながら歩こう。


 パリ、今回市内を歩いてみてのまず感じた印象、というか違和感は、夏休みシーズンというのに日本人が少ないなあというものであった。
 その私の感想は正しく、あとでパリ在住の日本人ガイドさんから聞いたことでは、一昨年のパリの多発テロで、日本人のパリ観光客は激減し、いまだ回復していないそうだ。一方でアメリカ、中国等の国の観光客の数は回復しているのに。
 それでパリの日本人ガイドさんたちにとって、それは死活問題でもあるので、たいへん嘆いていた。ガイドさんたちに言わせると、「日本って、台風、地震、津波、洪水等々、フランス・パリよりはるかに危険な国なのに、なぜパリに来るのを躊躇するのかわからない」とのこと。理屈はそうなのだが、人間は理屈よりも感情で行動するから、それはどうもこうもならんでしょう。
 まあなにはともあれ、パリに今回来られた人たちで、パリを良いところと思った人は、SNS,ブログ、口コミ、とにかくなんでもいいからパリを宣伝してくださいと、ガイドさんに要望された。

 ・・・パリは憧れの都市といわれるわりには、道にはゴミやタバコが散らかり放題だし、趣ありそうな建物はじつは古びて小汚いし、交通機関のプリペイドカードは使い勝手が悪いし、列車の運行・案内はいいかげんだし、職業的スリ団、詐欺団は市内を跋扈しているし、オフィシャルは不親切、ぶっきらぼうだし、公衆トイレ環境は劣悪だし、飲食店の閉店時間は早いし、いざじっさいに訪れてみると、世界有数の観光都市としてはいかがなものか、と思わせることが多い。
 しかしながらそういうのを全部含めて、清濁あわせのむ、独自の都市パリの個性を形成しているともいえ、やはり魅力あふれる都市であるのは間違いない。なにより私のように飽きっぽい者でさえ、3回も訪れているくらいだから。
 そういうわけで、ガイド氏たちの要望にこたえて、パリの写真日記をUPした次第。

 ただし、もし次訪れるとしたら、夏はぜったいにやめようと思った。
 パリは緯度が日本でいえば北海道と同じようなものなので、夏でも涼しいと勝手に思い込んでいたら、東京なみに暑かった。それなのに、あちらの人たちは暑さに強いのか、タクシーも、ホテルもエアコンなしは当たり前であり、ずいぶんと体力を消耗させられた。
 夏にヨーロッパに行くなら、北欧か、スイスだなあ、という感想が今回のパリ行で得た最大の教訓であった。

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フランス料理: Le cinq@パリ

 パリ滞在最終日は、レストランLe cinqでランチ。
 5年前にパリを訪れたとき、三つ星レストランLedoyenの料理に感心したけど、そのときのフランス料理界のスターシェフChristian Le Squer氏がLe cinqに移ってきたそうで、かの名シェフの料理を期待しての訪問である。

【Amuse bouche】
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 アミューズブッシュは、一口大のジンジャー味のシャンパンゼリー。これって、Ledoyenでも出て来た料理であり、シェフの得意料理だったんだ。
 口になかにいれると、ふるっと震えて、それから弾けた。それと同時に、前に食べたときの感覚もよみがえった。

【前菜1】
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 焼いたアーティチョーク。タイム、トマトのスープに、香草。
 それぞれの素材の香りが軽やか、かつ鮮やかである。

【前菜2】
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 「現代のパリスタイルの玉葱グラタン」という、なんだかよく分からないネーミングの料理。これ一目、松露みたいに見えるけど、じつは小玉葱で、そして焼かれた玉葱は外側だけであり、なかにはクリーム状のオニオンスープが入ったグラタン仕立て。
 カラっとした玉葱をかじると、なかから熱いスープがこぼれて来る面白い食感。そして玉葱もスープも味は豊かであり、そして甘み、苦み、塩味、それぞれのバランスが絶妙である。
 名シェフの腕が存分にふるわれている。

【メイン1】
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 真鯛を焼いたものに、トマトとジンジャーのソース。
 フランスでの魚料理は、魚の素材そのものがピンとこない印象を私は持っているけど、この鯛は見事。仕入れ、仕込みがうまくいっている。さらにあっさり系のスープがさらに鯛の味を引き立ていて、素材のよさをよく演出している。

【メイン2】
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 全体が黒い、見た目へんな料理。
 素材が「黒米とブータンノワール」なので、黒くなるのは当たり前なのだが、あまり食欲をそそる外観ではない。 しかし口に入れてみると、食感といい、味の広がりといい、ブータンノワールと黒米の相性といい、まさに完璧に近い出来。

【デザート】
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 フランス料理の、もう一つの華である。デザート料理。
 今までの料理でけっこうな量があったが、デザートは別腹ということで、この美しく、また鮮やかな香りの料理をいただく。


 Le cinqの料理は、コテコテのクラシックなフランス料理と異なり、和食的な引き算の方法も用いた、優雅にして繊細な料理。素材がよく、それぞれのバランスもまたよく、食べていて驚きと新しさも感じることができる。
 パリをまた訪れたときは、是非とも再訪したい、とても美味しいレストランであった。

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July 21, 2017

フランス料理: Le Taiilevent@パリ

 1946年創業の、パリの老舗フランス料理店。
 フランス料理のレジェンドであるシェフ「タイユヴァン」の名前を店名としているだけあって、伝統的で本格的なフランス料理を出す店で有名である。

 専属のドアマンに扉を開けられ店内に入ると、高い天井、豪華な照明,調度品、壁に掛けられた数々の大きな名画、そして優雅にして品のあるスタッフたち、その高尚たる雰囲気にまずは圧倒され、わが身の場違い感に戸惑いを覚えてしまう。
 ほんと、入るなり回れ右をして帰りたくなるほどの圧倒感。まあ帰るわけにはいかないので、席に案内され、着席。ちなみにこの店は、1~2人までのゲストは壁サイドの椅子に案内され、その椅子は固定されているので、案内するスタッフは重たいテーブルを動かして、それからゲストが着席するというおもしろい形式。そしてゲストはたいてい壁サイドにいるので、食事中ず~と、店のなかで他の客がほぼ全員、互いに素通しで目に入るという、ややシュールな状況となる。

 メニューが運ばれると、フランス語のみであった。
 国際観光都市パリでは、有名レストランに行くと、外国人に対してはたいてい英語のメニューが持ってこられるので、少々珍しい経験。(スタッフとはもちろん英語で会話できます)
 ディナーにコースはないので、前菜、メインはアラカルトで頼む方式。
 まずは前菜を2種類。キャビアを使ったものと、それからタイユヴァンのスペシャリテである蛙のリゾットを頼んだ。

【前菜1】
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 「Boeuf de Salers Préparé en Tartare Caviar et Condiments」。
 フランスの銘牛「サレール牛」のタルタルをオシェトラキャビアで包んだもの。
 一見、鉄火巻にいろいろ乗せたような料理に見えるが、鉄火の中身は牛のタルタルであり、海苔にあたるのはキャビア。キャビアをふんだんに使った、ゴージャスな料理。キャビアって、とにかく量を使うことが必要だと思うが、理想に近い使い方。サレール牛もまたキャビアの強い味に拮抗する旨味を持ち、見事なバランス。

【前菜2】
2

 「Epeautre du Pays de Sault en Risotto.Cuisses de Grenouilles Dorées」
 黄金カエルの脚と、それにフランス産の特殊な小麦を使ったリゾット。
 とにかく濃厚な味。チーズ、クリーム、香草、それに小麦にカエルと個性的な食材をいくつも使い、積み上げていく足し算の料理。
 これが下手な調理法だと、いろいろな色を混ぜて結局は鈍重な色になってしまう駄絵画みたいなものになりがちだけど、ここではそれぞれの色が、それぞれ引き立てあって印象鮮やかな絵になっている、そういうふうな色彩感のある料理であった。

【メイン1】
3

 「Turbot Sauvage en Tronçon. Marinière de Coquillages」
 メインは魚料理から。
 ヒラメの厚切りと、貝のワイン蒸し。これもまた濃厚系の料理。やはりそれぞれの個性が強く、ソースがまた美味。
 ただ、どうもヒラメそのものの味がピンと来なく、これはメインの魚よりも、ソースのほうを味わうべき料理と、どうも日本の魚に慣れた身としては思ってしまった。

【メイン2】
4

 「Homard Bleu en Cocotte Lutée . Artichaut Poivrade, Basilic et Tomate Mi-Séchée」
 メインのもう一つは肉料理ではなく、海老料理を選んだ。
 この料理を注文したとき、「これは海老ですけど、アレルギーはありませんか?」と聞かれた。レストランで海老料理を注文して、海老アレルギーがあるかどうかを尋ねられたのは初めての経験である。頭に?マークが浮かんだが、もしかして私がフランス語を読めず、これを海老料理と知らずに適当に選んでいるのでは、と思われているのかなあとか思い、いや、そんな注文するやついないだろうとも思い、とりあえず軽く「Je sais que c’est un homard. merci. (私はこれが海老であることは知ってますよ。どうも。)」と返そうとしたが、「homard」の発音って日本人には難しく、こう返答したところで、はあ?という表情をされそうな予感がして、余計な恥をかくのもいやなので、「I have no allergy. Thank you」と簡潔に答えておきました。
 この料理はぷりぷりのオマール海老に、やや辛目のアーティチョークとバジル、トマトを添えたもの。これも多層的、多重的な料理であり、本日の料理全体を通して、いかにも典型的フランス料理という一貫した芯の通った品々を経験することができた。

 料理の非日常感に加えて、店内の雰囲気もまた非日常的であり、店内にはフランス語は聞こえず、英語・中国語ばかりであった。
 前日訪れた「114フォーブル」はフランス語ばかりが聞こえる地元の人によく使われている店であったが、この店は「パリならではの特殊な食体験をしたい」という人が集う店らしく、そしてその価値が十分ある名店であった。


 本場そのものフランス料理に満足して、タクシーを頼んでホテルへと。
 タクシーに乗って行先を告げたら、フランス語でホテル名を言ったせいか、運転手がフランス語で「料理の印象はどうだった?」と聞いてきたので、「力強く、個性的で、素晴らしく、なんとかかんとか」と答えると、運転手はパリのレストランを自慢、そのまま会話が続き、愉快に時を過ごせた。酔っぱらってると、異国語の会話ってけっこうできるものである。まあ、もっとも冠詞、文法、適当だったので、もしかしたらお互い相手の言い分がよくわからず、自分の言いたいことを勝手に言い合っていただけなのかもしれないが。

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July 20, 2017

フランス料理: 114 faubourg@パリ

 114フォーブル。パリの中心街の瀟洒なホテル「ル・ブリストル」のなかにあるカジュアルなフレンチレストラン、またはブラッスリーともいう。
 ブラッスリーということで、気軽な気持ちで訪れたら、入り口は高級ホテルの玄関なので、ちょっと緊張してしまった。
 とりあえずフロントで「114 faubourに予約しています」と言うと、スタッフがにこやかに笑みを浮かべて案内してくれます。

【114 faubourg】
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 レストランはこんな感じ。
 室内の壁の絵や調度品はいい感じで気軽であり、リラックスして食事を楽しめる。スタッフの方たちのサービスもたいへんフレンドリーであった。

【前菜1】
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 このレストランのディナーはコースはなく、アラカルトのみ。
 それらの一品ごとの量が分からないので、とりあえず前菜2+メイン1で組むことにして、最初はこの店の名物料理である「King crab eggs, ginger and lemon mayonnaise」から。
 この料理、写真でしか事前情報はなく、卵と蟹を和えてそれを卵に入れたものと思っていたけど、いざ目の前に来たら、この卵は陶製の容器なのであった。
 卵容器は小さめの鶏卵サイズ。そのなかにタラバ蟹の身とマヨネーズを和えて、そして3つの器ごとに違う香草を載せて変化をつけている。
 濃厚なタラバ蟹の味がまず良く、それにマヨネーズを追加し、さらに重層的な味にしている。美味しいけど、蟹+マヨネーズって、強すぎる組みあわせであり、3つ食うと途中で飽きて来た。隣の組は、一人につきこの料理を卵一個分のみ注文していたから、「なるほど、そういう頼み方があったんだ」と感心、今度来る機会があればそうしようと思った。

【前菜2】
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 次の前菜は、「Artichoke soup with pan-seared foie gras, black truffle emulsion」。
 私が海外のレストランで特に興味があるのは、キャビアやフォアグラ、トリュフといった高級食材の使い方。日本だと、この手の食材は、「高級」という印象のみ先走った、なんだかそれだけがとんがっている変な料理にでくわすことが多いのだけど、(特に和食系)、前回パリに来たときに、これらの食材の醍醐味を知ることができたので、今回もそれに期待。
 そしてその期待にそぐわぬ見事な料理。軽く熱を入れたフォアグラは豊かな味で、香ばしいトリュフと、まろやかな乳化アーティーチョークのスープがあわさり、じつに豊穣な味わいの料理となっている。一口、二口、とその世界にひきこまれる。
 ただ、豊かなのはいいが、おしむらくは味付けに塩が効きすぎていて、五口目くらいからはけっこうきつかった。 あっさり系の味を好む人には、少々つらい料理かも。

【メイン】
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 メインの魚料理は、「Fillet of Sea Bass softly baked, cockles cooked with seaweed butter, “charlotte” potatoes」。
 前菜2品がけっこう腹に来たので、メインは「ライトな魚料理をお願いします」といったところ、この料理を勧められた。
 鱸を焼いたものに、海藻バターで炒めたコックル(ザル貝)とシャーロットポテトと野菜を和えたもの。見た目美しく、魚にかけられたソースもじつに手の込んだ豊かにして豊穣な味わい。
たいへんに美味い。
 ただ、フランスでの料理全体に思えたのだけど、主役の魚の味がどうもピンとこない。
 サイズといい、食感といい、良い鱸を使っているのは間違いないのだけど、日本の白身魚の淡泊だけど複雑な味わいに慣れていると、どうもソースで無理やり美味くしているという印象がしてしまう。
 おそらくは、獲ったあとすぐからの魚の処理が日本と違うからなんだろうけど、それからすると日本の漁業文化(特に漁師さんたちの技)の奥深さに改めて感心してしまう。


 などと、少々気になったポイントも書いたけど、全体的には、日本では食べられない、パリならではの素晴らしい料理をとても楽しめたディナーであった

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July 19, 2017

遥かなるモン・サン=ミッシェル 2日目

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 モン・サン=ミッシェル二日目。
 日の出時刻前にホテルを出発。雲がどんよりとたちこめ、これは日の出は期待できそうにない。
 早朝ゆえ、昼間は観光客、シャトルバス、馬車でにぎわう橋は、ほとんど人がいない。

【東の空】
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 東の空を眺めながら歩いたが、日の出の時刻を過ぎても朝日は雲のなかであった。

【モン・サン=ミッシェル】
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 モン・サン=ミッシェル、観光客はいないけれど、この時刻には島内の施設のために、多くの荷物、商品が運び込まれているようであった。

【入り口】
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 入り口。閑散としている。

【王の門】
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 跳ね橋を持つ、「王の門」。
 その手前左手にあるのが、ジャンボオムレツで有名なレストラン「ラ・メール・プラール」。

【グランドゥ・リュ(大通り)】
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 土産屋やレストランが立ち並び、昼間は人で混雑しているグランドゥ・リュも早朝は静かな通りである。

【グランドゥ・リュでの荷物運搬】
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 この通りはとても狭く、そのわりには店が多いので、荷物はどうやって運んでいるのだろうと誰でも思うだろうが、その正解はこの写真。
 入り口に止めた車から、電動の軽フォークリフトで運び入れているのであった。

【北の塔】
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 北の塔から東の空を眺める。ついに太陽は、その姿を見せそうにない。

【修道院】
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 北の塔から修道院を見る。
 晴れていれば、朝日の染まる修道院の姿を見ることができたのだが、残念。
 修道院入り口の手前で引き返し、ホテルに戻って朝食をとり、それから修道院の開いている時刻に出なおした。

【グランドゥ・リュ】
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 昼間になると、グランドゥ・リュは人で賑わっている。
 ここを歩く気もしないので、王の門からすぐ右手の迂回路を使って北の塔経由で修道院へと行った。

【西のテラス】
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 修道院に入ったのちは、「西のテラス」と呼ばれる展望所からの眺めがたいへん素晴らしい。西方向の広々たる海と大地を眺めることができる。

【ミカエル像】
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 礼拝堂にはこの地に聖堂を建てよと命じた天使ミカエルの像が祀られている。

【中庭】
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 モン・サン=ミッシェル名物の美しい庭園は工事中であった。なんでもこの下の部屋が雨漏りするのでそれの対策だそうだ。
 ここはなにしろ古い建物なので、あちらこちら修復中であった。

【レリーフ像】
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 伝説によると、天使ミカエルはこの地に聖堂を建てさせようと、この地の司教オベールの夢元に現れそう命じたそうだ。しかし司教はそれを単なる夢と思い、何度ミカエルが現れても無視していた。業を煮やしたミカエルは夢に出たついでに、司教の頭を指でつつき頭蓋骨に穴を開けるという過激な手段に出た。畏れおののいた司教はあわてて島に聖堂を造り、それがモン・サン=ミッシェルの起源とされる。
 このレリーフはその光景を描いたもの。
 なお、オベール司教は重傷を負いながら生命は大丈夫だったようで、神につかえる人生を全うしたのちはサン・ジェルヴェ教会に葬られ、彼の穴の開いた頭蓋骨は聖遺物として公開されている。

【モン・サン=ミッシェル 荷物運搬路】
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 モン・サン=ミッシェルは、聖堂、修道院、城塞、牢獄と、時代によっていろいろな使い方をされた複雑な歴史を持つ。牢獄時代は2万人近くの人が住んでいたそうで、大量の荷物の運搬が必要となり、大車輪を上階で回して、この通路を使って荷物を揚げていたそうだ。

【干潟から】
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 「海に浮かぶモン・サン=ミッシェル」というのを見てみたかったが、今回はその機会はなかった。でも、潮が引いているので周りを歩くことができたので、しばし干潟を散策。
 モン・サン=ミッシェル橋から見た姿が正面像として有名だが、違うところからの眺めもまた趣があってよい。

【サントベール協会】
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 島からは小さな岬のように海に突き出た磯が何ケ所かあり、それぞれにまるで砦のように塔や協会が建てられている。そのうちの一つがサントベール協会。
 ここまで行ったのち潮が満ちて来て、それ以上行けなくなり島一周散策は諦め、元の道を引き返した。

【モン・サン=ミッシェル】
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 島内、修道院、干潟を十分に満喫して橋を引き返す。
 そしてモン・サン=ミッシェルを振り返る。
 やはり唯一無二の個性ある風景である。
 一度は訪れるべきところと思っていたけど、本当に訪れてみてよかったと実感した。

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July 18, 2017

遥かなるモン・サン=ミッシェル 1日目

 世界遺産、モン・サン=ミッシェル(Le Mont-Saint-Michel)に行ってみようと思った。
 それで行く方法を調べてみたら、けっこう不便なところにあることが判明。日本からダイレクトに行こうと思ったら、空港→バス→TGV→バスと何度も乗り継ぎがあり、大きな荷物を持っている旅行者には辛い。だいたい半日かけてのフライトあとに、そんなに何度も交通機関を乗り下りするのは体力的には無理があると思い、いったんはパリに宿泊し、そこを起点としてバスツアーを利用し一泊二日でモン・サン=ミッシェルを観光するという、いちばん楽そうなプランを立ててみた。

 パリで二泊して時差ぼけをある程度修正したのち、早朝からのJTB主催のバスツアーに参加。JTBのオフィスはオペラ座の近くにあり便利である。パリでは、テロの影響がまだあるのか日本人観光客はとんと見なかったが、さすがにJTBのツアーでは日本人ばかりが30名ほど集まって来た。
 日本人のガイド氏はフランス在住の長いベテランであり、話題が豊富であって、バス旅行中楽しめた。
 ツアーは海岸の小さな港町オンフルールに寄ったのち、モン・サン=ミッシェルの対岸に到着。パリから6時間ほどかけての長旅である。
 まずは昼食ということで、モン・サン=ミッシェルがよく見えるレストランで、名物のオムレツを食べる。

【モン・サン=ミッシェルとオムレツ 】
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 これ、噂に聞いていたほどのジャンボなものではなかった。
 モン・サン=ミッシェルのオムレツは、レストラン「ラ・メール・プラール」が本家なのであるが、あれは大きすぎて日本人観光客には不評なことが多く、それでこのレストランでは小さめのサイズにしている、とのことであった。
 このオムレツ、日本のものとはまったく違っていて、ふわふわの泡々で、まるで玉子と空気を食べているような不思議な食感のものである。そして、玉子とバターの素材はとても良く、普通に美味しい。

【大雨襲来】
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 モン・サン=ミッシェルのあるノルマンディー地方の海岸沿いはたいへん天候が不安定であり、晴れと曇り、雨がしょっちゅう入れ替わる。
 本日も午前中は天気が良かったが、午後から厚い雲が一帯を多い、そして土砂降りの雨が降って来た。写真ではよく写っていないが、いまその大雨が降って、歩いてモン・サン=ミッシェルへ行った人たちが急いで戻ってきているところ。

【雷雲のもとのモン・サン=ミッシェル】
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 我々は雨が止むのをレストランで待ったのち、それから出発。
 雨は上がったものの、雨雲はまだ残っており、そこに幾度も稲妻が走っている。
 稲妻を背負ったモン・サン=ミッシェルの姿は格好よく、なんとか一枚の写真に収めようと何度も何度もtryしたが、雷が光ったときシャッターを押しても、すでにそれは手遅れで、といって雷が出るタイミングなど予想も出来ず、結局一枚も雷を撮れなかった。残念。

【モン・サン=ミッシェル】
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 モン・サン=ミッシェルは、シャトルバス駐車場付近から見る姿が一番絵になるそうで、これがそこからの写真。
 このあと、島のなかをしばし散策して、それからまた橋を戻ってホテルへと。

【ルレ・サンミッシェル】
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 ホテル、ルレ・サンミッシェルはモン・サン=ミッシェル対岸にあり、正面にモン・サン=ミッシェルがあるので、どの部屋からもその姿を見ることができるというのが売りである。
 で、私の泊まった部屋からは、・・・木立に隠れてあんまり見えない。
 じつはこのホテルには「冬(つまり樹が葉を落としたとき)にしかモン・サン=ミッシェル全貌が見えない部屋がいくつかあるのだが、その一つに当たってしまった。
 まあ、モン・サン=ミッシェルはさんざん見たし、あえて部屋から見たいとも思わなかったのだが、なんか納得いかないなあ。

【夕食】
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 午後7時半から夕食。
 フランスはサマータイムなので、まだまだ外は明るい。そして雲はいつしか吹き払われ、青空が広がっていた。その青空のもとのモン・サン=ミッシェルを眺めながらの食事である。
 モン・サン=ミッシェルは、干潟の牧草地に、潮風の当たる牧草で育った「プレサレ羊」が名物だそうで、その羊のロースト。日本の羊料理と違って、羊特有のにおいと味がしっかりとして、いかにもヨーロッパの料理という感じである。

 夕食を終えたのち、日が暮れるのを待ってから、モン・サン=ミッシェルのライトアップを見に行こうと思っていたけど、いつまでたっても、午後10時を過ぎても暗くならず、バス旅の疲れもあり、ついつい熟睡。
 起きたら深夜の2時であった。これはいかん、と思い、とにかく外出。

【深夜のモン・サン=ミッシェル】
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 ホテルを出ると、橋の手前までは、小さいながらも明かりがあったが、それからは明かりはなく、真っ暗である。
 そして遠くにモン・サン=ミッシェルが見える。
 当然ライトアップの時間は過ぎており、いくつかの照明のみがぼんやりとその姿を浮かばせていた。

【深夜のモン・サン=ミッシェル】
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 暗いなか、橋の上まで来たが、どこまでが橋の端か分からないくらいに真っ暗であり、ライトとか持ってきてなかったので、これ以上進むのを諦めた。
 しかし暗いのと雲が払われていたことで、頭上には無数の星々がきらめいていて、そして天空にまさに天の川が、輝く川の姿をして横切っていて、そのもとにモン・サン=ミッシェル、という荘厳な光景を見ることができた。
 写真では捉えることは不可能であったが、あの美しい姿はくっきりと記憶に残っている。
 いいものを見ることができた。


 ホテルに帰ったのち、また寝なおす。
 明朝は、「朝日に照らされるモン・サン=ミッシェル」を見たいので、目覚ましは日の出前の時刻にセットしておいた。

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June 17, 2017

オペラ:ジークフリート@新国立劇場

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 ワグナー作の「ジークフリート」は、大変楽しく面白い劇である。
 主神ヴォータンの血をひく英雄ジークフリートは孤児として生まれ、森のなかでニーベルング族のミーメに育てられていた。ミーメはラインの宝を守っている巨人族のファフナーから宝を奪うためという目的のみに、ジークフリートを育てていたため、ジークフリートはまともな教育を受けていなかった。本能のみで育ったようなため、己の怪力自慢の暴君に育ち、成人してからは養父ミーメも手がつけられない。ジークフリートはミーメを疎んじ、腕の良い鍛冶職人であるはずのミーメが鍛錬した刀をすべてへし折り、そしてミーメが所有していた折れた名剣ノートゥングを自ら鍛え直し、この名剣を持って森から出ていくと宣言する。
 ミーメはせめてファフナーは退治してもらいたく、ジークフリートをファフナーの住む洞窟の近くまで連れて行く。そしてそこで大蛇に化けたファフナーとジークフリートの諍いが始まり、ジークフリートはノートゥングでファフナーを切り斃す。そこでジークフリートは世界を支配できる力を持つ指輪を手に入れる。それを横取りしょうとしたミーメをついでに切って捨て、ジークフリートは小鳥の声に導かれ、妻を求めて旅に出る。目的地は、戦乙女ブリュンヒルデが眠る、炎で囲まれた岩山である。
 そこは主神ヴォータンが守っておりジークフリートの行く手を阻む。ヴォータンの武器である槍は世界で最も強力な武器のはずだった。しかしジークフリートはヴォータンの槍をノートゥングで折ってヴォータンを退かせる。
 何人の侵入も許さなかった炎もジークフリートを拒むことはできず、炎を突破したジークフリートは至高の美女ブリュンヒルデを得て、二人の歓声のうちに舞台は幕となる。

 ジークフリートはとにかく強く、そして思慮も分別もない脳筋男なので、なんでもやりたい放題、己の道を突き進み、欲しいものを全て得ていく。シンプルにしてストレートな英雄譚。いちいち難しいことは考えずに筋を追うことができる。
 そしてジークフリートは、舞台はずっと出ずっぱりで、咆哮のような強いテノールで歌いっぱなしであり、5時間近い舞台を一人で支配するという、過酷な役である。それゆえ「ジークフリート」は本格的な公演の実現が困難なことで知られている。これは作曲者ワーグナーの作劇法に問題があった、というふうに誤解されがちだが、じつはワーグナーの時代にはそれを歌える歌手はふつうに居たので、ワーグナーは悪くない。なにより現代音楽界の、人気歌手を消耗させ、育つまでに使い切ってしまうシステムに問題がある。

 それはともかく、ジークフリートを歌える歌手がいない、というのは何十年も前からのオペラ界の深刻な問題であった。しかしひさしぶりに本格的な力強い声を持つヘルデンテナー、ステファン・グールドが現れた。
 私は前回の「ワルキューレ」で彼のジークムントを聞き、これぞヘルデンテナーと感心して、今回のジークフリートを楽しみにしていた。
 そして一幕から終幕までずっと飛ばしっぱなし、ハイテンションの彼の素晴らしい声を聞くことができ、ほぼ理想に近いジークフリートを聞くことができ、感銘を受けた。

 さらには、そのほかの歌手の出来もよく、劇全体としても高水準のものになっていた。日本でこのような素晴らしいワーグナーの演奏を経験でき、たいへん満足した夜であった。

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June 15, 2017

ミヤマキリシマ2日目@九重:扇ヶ鼻~星生山

 日曜日は予報では曇りだったのだが、いつの間にか雨の予報にと変わり、そしてその通りに朝から雨が降っている。しかし朝のニュースをみると、午後には雨が上がり、その後は雨は降らないとの予報になっていた。
 ならば雨上がりを待って出発しよう、ということにした。
 赤川温泉に泊まったのは、ミヤマキリシマの名所扇ヶ鼻に登る予定だったからである。しかし、雨あがりのあとに赤川ルートを使って扇ヶ鼻に登る気にはとうていならず、予定を変更して牧ノ戸ルートで扇ヶ鼻に登ることにし、赤川から牧ノ戸へ移動。

 この時期の休日は、牧ノ戸の駐車場は満杯になり、道路に車があふれでているのが常だが、さすがに雨が降っている日は登山者は少なく、容易に駐車することができた。
 そして、11時前には雨が上がったので、出発した。

【沓掛山から】
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 沓掛山からの眺め。
 扇ヶ鼻と星生山は、ミヤマキリシマが見事に山肌を染めている。

【扇ヶ鼻】
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 扇ヶ鼻のミヤマキリシマはほぼ満開。素晴らしい眺めである。

【扇ヶ鼻】
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 登山道のまわりを一面ミヤマキリシマが囲う、御伽話のような道を登って行く。

【登山道】
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 私同様に雨上がりを待って登山を開始した人が多かったようで、私が扇ケ鼻を下りる頃から、どんどんと登山者が増えてきた。
 そのなかに、ひときわにぎやかな韓国人の団体客があった。
 大型バス3台利用して、百人近いほどの人が行動していた。登山でこれほどの団体を管理するのって大変だと思うのだけど、どうやら牧ノ戸から久住山までの行程を各々の力量にまかせて、自由に行動するやりかただったらしく、小グループでの行動。おかげで、大行列に遭遇せずに済んだ。


【星生山へ】
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 扇ヶ鼻から下って、それから星生山へと向かう。

【星生山】
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 扇ヶ鼻ほどの量はないが、それでも星生山のミヤマキリシマも今がピークであり、美しい。

【星生山】
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 星生山山頂から西千里ヶ浜方面を望む。
 扇ヶ鼻のミヤマキリシマもよいが、その隣の肥前ヶ城のミヤマキリシマも、豪華に咲き誇っており、この二つの峰を見下ろすこの風景は、素晴らしいものであった。

【星生山】
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 久住方面を望む。

【星生山】
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 三俣山、平治、大船方面を眺める。
 昨日登った山々。
 それぞれ、ミヤマキリシマのピンクの帽子をかぶったような姿となっている。

【久住山】
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 久住山の山肌にもミヤマキシリマがちらほらと咲いている。
 久住山にも登って、南面の群落を見たかったが、今日は登山開始が遅かったので、ここでタイムアップ。

 このあとは西千里ヶ浜から牧ノ戸へ下山。
 午前中に雨には降られたものの、そのおかけで、雨露に濡れたミヤマキリシマの花は、とても瑞々しく美しいものであり、それを楽しめたのは望外の幸運であった。


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June 10, 2017

ミヤマキリシマ一日目@九重:三俣山~大船山~平治岳

 ミヤマキリシマの季節は梅雨と重なるので、雨のせいでミヤマキリシマ見物は中止、ということによくなる。6月第二の週末も予報はずっと雨だったのだが、二日前に突然雨から晴れとなり、これはラッキーと、九重へと出かけた。

【星生山】
1

 本日のコースは長者原を出発して、三俣山、大船山を周回するコースをとる。
 三俣山への登山道を行くと、正面に星生山が見えて来る。
 荒々しい山肌を、ミヤマキリシマの群落がピンクに染め、いきなり素晴らしい風景を見せてくれる。

【すがもり越え】
2

 すがもり越えから三俣山に登る。三俣山の山肌のミヤマキリシマも花のつきがよく、稜線に入ってからの眺めが期待できる。

【登山道】
12

 登山道の満開のミヤマキリシマ。奥に大船山。

【三俣山】
13

 稜線に出ると、山頂からの山肌のミヤマキリシマの花が見事に咲き誇る姿が、正面に現れる。おどろくような風景。

【三俣山西峰から】
3

 本峰にかけての山肌にも、びっしりとミヤマキリシマが咲いており、これも素晴らしい風景。

【三俣山本峰山頂】
14

 まずは本峰にと登ってみる。
 ここから御鉢を眺めると、御鉢(大鍋)そのものにはミヤマキリシマは乏しいものの、鞍部のミヤマキリシマが満開であり、御鉢を巡ることにした。

【御鉢鞍部】
4

 御鉢の切れ込んだ最低標高部に大きなミヤマキリシマの群落があり、ここは満開。

【御鉢(大鍋)】
5

 三俣山名物の大鍋、ミヤマキリシマはあまりない。
 まあ、ここは紅葉の名所だから、秋にまた訪れることにしよう。
 で、大鍋には降りず、そのまま北峰に登っていき、御鉢巡りを続ける。

【三俣山南峰から】
6

 御鉢を巡って、南峰に到着。ここから坊がつるに下って行く。
 南峰の斜面のミヤマキリシマも見事に咲いている。

【坊がつる】
7

 南峰からの急傾斜を下り、坊がつるへ。
 ここから平治岳を見ると、登山道のある南斜面のミヤマキリシマが一面に咲いている。
 今年の九重は、どこもかしこもミヤマキリシマがとんでもないことになっていた。

【段原】
8

 坊がつるから大船山へと向かう。
 段原に出ると、大船山方向はミヤマキリシマの咲き具合があまりよくない。
 ミヤマキリシマを観察すると、まだ蕾の状態が多く、大船山に関してはピークはもう少しあとのようであった。

【大船山山頂】
9

 大船山山頂から眺める北大船と平治岳。
 この山域のミヤマキリシマは九重でも別格とされているが、その通りの圧倒的染まり具合だ。

【段原】
10

 段原に戻り、北大船へ登っていく。

【登山道】
11

 美しく咲くミヤマキリシマのなかの登山道を進んでいこう。

【平治岳】
12_2

 稜線から眺める平治岳。
 一時期は平治岳南峰のミヤマキリシマは虫害でひどいことになっていたが、そこから完全復活。
 峠から山頂に向けて、ずっとピンクに染まっている姿は、なんだかミヤマキリシマのお化けみたいな、異様な迫力を感じさせてくれる。

【大戸越え】
13_2

 大戸越え。ここもミヤマキリシマの名所であるが、ピークは少々過ぎていた。
 ここから本日のメインの平治岳登山である。

【平治岳南峰】
14_2

 高さはないが、急峻な登山道を登りつめると、この有名な風景が眼前に現れる。
 三俣山、坊がつるを背景に、山肌一面がミヤマキリシマに染まる平治岳。
 九重を代表する絶景。
 今年もこの風景を見ることができた。

【平治岳本峰】
15

 本峰側の斜面も一面ミヤマキリシマが咲き誇っている。
 ここも、夢幻的な美しい風景だ。

【雨ヶ池】
17

 九重を代表する景観を堪能して、坊がつるに下り、それから雨ヶ池経由で下山。
 長者原起点の周回ルートで、三俣山、大船山、平治岳と、ミヤマキリシマの名所の山々を訪れたが、いずれも見事な咲き具合であった。花の時期と、天候がうまくあった快心の登山であった。

【赤川温泉で】
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 下山してからは赤川温泉の韓国料理オーベルジュ「赤川温泉スパージュ」に移動。
 汗をおおいにかいたのちのビールは極上に美味いのであった。


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June 03, 2017

ミヤマキリシマ@阿蘇杵島岳~烏帽子岳

 ミヤマキリシマの季節。
 阿蘇もミヤマキリシマの名所であるが、昨年の地震のせいで、登れる山は限られており、今回はそのなかで杵島岳と烏帽子岳に登ることにした。
 この一帯は30万株ものミヤマキリシマの大群生があり、時期がよければ山肌が一面ピンクに染まる風景を楽しめる。

【杵島岳登山口】
1

 6月最初の週末は、まだ梅雨前線が北上しておらず、好天である。
 まずは杵島岳へと登ってみよう。

【登山道】
2

3

 登山道にはちらほらとミヤマキリシマが。


【杵島岳山頂】
5

 杵島岳は火口にミヤマキリシマの群落があるけど、先の地震の影響からか、群落地の土壌が崩れており、少々悲惨な状態になっていた。

【烏帽子岳】
4

 山頂から眺める烏帽子岳。
 う~む、あんまりミヤマキリシマは咲いていない様子。

【古御池火口群】
6

 山頂からいったん下山して、窪地を通り、それから古坊中経由で烏帽子岳へと。

【登山道】
7

8

 烏帽子岳への登山道。ここもちらほらとミヤマキリシマが咲いている。
 この標高では、花の時期は終わりかけのようであった。

【登山道】
9

 草千里からの登山道との三叉路の高さのミヤマキリシマの群落。
 ほどほどの咲き具合。
 条件が良ければ、山肌全体がピンクに染まるのであるが、3~5分といったところ。

【登山道】
12

 山頂に近付くと、ミヤマキリシマの群落の花の数はぐっと減った。
 散っているのではなく、そもそも蕾の数が少なく、今年の烏帽子岳はミヤマキリシマの外れ年だったようだ。

【烏帽子岳山頂】
10

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 山頂手前で、立ち入り禁止の標識。
 震災から1年以上たっても、まだまだ復旧中である。
 ここからの中岳、高岳の眺めは素晴らしい。

【草千里へ】
13

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 先の三叉路に戻り、草千里方向へ下山。

【草千里】
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 草千里へ降り、それから駐車場へと。
 一面の緑が美しい。
 今日はミヤマキリシマよりも、青空のもとの、生命力あふれる草原の緑のほうが印象的であった。

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May 27, 2017

雲仙のミヤマキリシマ&小浜のジャカランタ

 ミヤマキリシマの季節到来である。
 この時期は梅雨前線のせいで、天候が悪いことが多いのだが、今年はまだ梅雨前線の北上が遅く、5月の最終末は高気圧が九州を覆い、好天の予報である。
 九州にはミヤマキリシマの咲く山は多かれど、今が旬の山は雲仙のようだったので、雲仙へとでかけてみよう。
 また下山後は、小浜温泉に寄り、そろそろ咲くであろうジャカランタもあわせて楽しむ予定とした。

【池原登山口から】
A1

 池原登山口から登山開始。
 ここはツツジが多く植えられているけれど、もう花の時期は終わりに近かった。

【登山道】
A15

 今日は天気が良すぎて、日が痛いほどであったが、しばし歩くと林のなかの道となって日陰となり助かった。

【仁田峠】
A2

 登山口はいったん仁田峠へと出る。
 ここもミヤマキリシマの名所。たくさんの車も止まっていた。

【国見岳】
B1

 妙見岳に登り、国見岳を見ると、見事にミヤマキリシマが咲き誇っていた。
 雲仙の三岳のなか、どの山もミヤマキリシマは生えているのだけど、国見岳は量・質ともに、他の山を圧倒していた。

【国見岳】
B2

B3

 国見岳に近づくにつれ、ピンクの花々がよく見えてくる。
 国見岳のミヤマキリシマは、群落を作っている九重とは違って、他の灌木とともに生えているので、初夏の濃い緑との色の対照が独自の景観をつくっている。

【国見岳山頂】
B4

 国見岳山頂から普賢岳と平成新山を眺める。
 あまりミヤマキリシマは咲いていないようだが、ここから見えないクレーターのなかの咲き具合に期待して、普賢岳へと向かう。

【平成新山】
C1

C2

 平成新山へと着けば、ミヤマキリシマはぽつぽつと咲いている程度。
 以前の噴火でここらの植生はいったん全滅したはずだが、それでも新たな灌木はしっかりと生えていて、そして平成新山の瓦礫にも、うっすらと植物が覆い、そのなかには小さなミヤマキリシマの株もいくつかあって、ピンクの花を咲かせている。
 自然の回復力には感心させられる。

【普賢岳】
C3_2

 普賢岳方面のクレーターは、ヒカゲツツジの群落があるのだが、さすがにもう終わっていて、花は一輪も残っていなかった。
 それでもこの濃い新緑は見事なものである。

【普賢岳】
C4

 この標識を少し登れば、普賢岳山頂である。
 しかし本日は狭い山頂に人がいっぱいなのが、どこからで見えていたので、今回はパスして下山。

【仁田峠普賢神社】
C5_2

 仁田峠に到着。
 今日は天気がよく、ミヤマキリシマのピンクに加え、生命感あふれる新緑、そして澄み切った空の青さを存分に楽しめた。

【小浜温泉】
D1_2

 下山後は小浜温泉へと。
 小浜温泉は町じゅう、もうもうと湯煙が立ち、海からも海底からわく温泉で湯気が立つ、湯量豊富なところであり、風呂も当然源泉かけ流しである。
 雲仙温泉郷も良いところだが、小浜温泉もとても良い温泉地である。

【ジャカランタ】
D3

D2

 小浜名物は温泉に加え、街道にずらりと並ぶジャカランタ。
 6月からが旬の花なのであるが、5月下旬ではさすがにまだ花はわずかしか咲いていなかった。
 ミヤマキリシマ、ジャカランタと二つの名花を同時に楽しむのはやはり無理だったか。


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February 12, 2017

雪の阿蘇:杵島岳~烏帽子岳

 寒波到来で、英彦山に続いては、阿蘇の高岳に登ってみることにした。高岳にしたのは、前の寒波到来の時に瀬の本から見た高岳が雪と氷で白く輝いていて、とても美しかったので、久しぶりに登ってみたくなったからである。
 ただ、阿蘇は先の地震の影響で登山道が使えなくなっている可能性があるので、ネットで熊本県北広域本部の広報を調べたら、高岳は「調査予定」とのみ書いており、通行可とも不可とも書いてなかったので、いわゆる「自己責任で行ってください」とのことであろうと勝手に解釈して、仙酔峡に向かった。

【仙酔峡道路】
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 仙酔峡道路を走ると、なんと通行止め。登山どころか、仙酔峡にさえ入れない状況であった。仕方なく、ネットで「登山可」と載っていた杵島岳へと予定を変更して、いこいの森経由で草千里登山口を目指した。

【県道】
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 いこいの森を越えてしばし走ったところで、ここも通行止め。震災の影響である。
 しょうがなく、57号線にいったん出て、阿蘇駅前からのパノラマラインで草千里へと行った。
 そしてあとで分かったのだが、阿蘇五岳を複雑に走っている登山道路のうち、使えるのはこのルート一本のみであり、復旧はまだまだ途上なのであった。

【根子岳】
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 パノラマラインを走っていると、根子岳が近くに見えた。
 ひさしぶりに根子岳の姿を近くで見ると、形が変わっている。天狗の基部の岩が崩れたようで、こりゃ根子岳も当分まともに登れないだろうなあ。

【杵島岳登山口】
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 なにはともあれ、草千里駐車場に車を止め、杵島岳へと向かう。
 雪はいい具合に積もっているけど、登山道に足跡はなく、私が本日一番乗りのようである。

【登山道】
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 登山道に人の足跡はなく、ときおり小動物の足跡が横切っている。

【登山道】
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 ときおり雪のふきだまっているところがあり、ここは膝まで埋る。

【登山道】
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 山の中腹あたりの登山道は石段になっていたはずだが、それも埋もれていた。

【杵島岳山頂】
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 山頂に着いたら、ネットの情報通り、御鉢への道は通行止めになっていた。

【烏帽子岳】
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 本日は好天であり、向かいの草千里と烏帽子岳もよく見える。
 ここからまたおりて、向うに見える烏帽子岳へ登り返しである。

【登山道】
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 草千里の高さまでおりて、それからしばらくは中岳方向へ歩いて行く。

【登山道】
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 古坊中から烏帽子岳へと登って行く。ここの道も誰も通った跡はなく、新雪を踏みしめながらの山行だ。

【登山道】
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 雪をかぶったミヤマキリシマのトンネルを進んでいく。

【烏帽子岳山頂近く】
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 烏帽子岳山頂は、山頂手前の稜線が崩れているらしく、通行止めになっていた。ここさえ通られれば草千里を一周するようなコースで行けるのだが、残念だ。
 とりあえず、360度の景色を楽しむ。中岳は盛大に噴煙をあげていた。

【登山道】
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 いったん引き返し、下りは草千里への道をとる。
 途中で草千里から登って来た二人組と会った。本日初めて見る登山者である。
 二人組のほうは、雪道に足跡がまったくないので、本当に登っていいものかどうか不安に思いながら登って来たそうで、これで安心して登れますと喜んでいた。

【草千里】
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 阿蘇の名所草千里はいちめんの雪原となっている。家族連れも多く繰り出し、雪遊びをしていた。その普段めったに見られぬ、雪で覆われた草千里を楽しみながら、駐車場へと戻った。

 天気のよい休日の雪の阿蘇。杵島岳、烏帽子岳に登っていたのは結局私を含めて3人のみであった。阿蘇五岳はいちおう日本百名山にも入っている有名な山なのであるが、今の登山道の状況では、訪れる人が少ないのも仕方がないのかもしれない。
 ただ九重や由布岳の登山道が着実に復旧したように、阿蘇の登山道もそのうち復旧されるだろうし、そのときまた登ってみたい。

 ……………………………

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February 11, 2017

和食:ゆずはん@日田市

 日田駅近くの繁華街にある和食店。
 英彦山に登って日田に泊まったさいに訪れてみた。
 日田の名物といえば、日田が山中の地ゆえ、高菜巻き、鮎の姿寿司、鰻、すっぽんといった山・川のものが有名なので、その手のものが出るのかなと漠然と予想していたら、新鮮な海の幸を使った本格的な日本料理がでてきて少々おどろいた。

【向付】
2

 茶ぶり海鼠、蕪の紫蘇山芋巻き、春の表現に梅の枝をかざして。
 けっこう手のかかった料理であり、そして視覚的にも美しい。

【椀物】
1

 椀物は蟹真丈。出汁はあまり九州系でなく、すっきりと澄んだ上方系のもの。
 この椀で、店の実力が高いことがよく分かった。

【造り】
3

 造りはカンパチ、平目、車海老。車海老は活き海老である。
 山のなかの店で、そこまで鮮度にこだわらなくともと思うけど、そういう流儀なのであろう。

【焼物】
4

 甘鯛の幽庵焼き。幽庵のたれはあっさりしており、魚の旨みをよくいかしている。

【焼物】
5

 豊後牛をリンゴソースで。下には茄子がしいている。

【揚げもの】
6

 河豚の唐揚げは、茶塩で。

【煮物】
7

 鱈の白子はとても上質なものである。
 造りのときと同様に、日田の山のなかの店でそこまで仕入れにこだわらなくともとか思ったが、とにかく美味しかった。

【御飯】
8

 〆はイクラ御飯。
 全コースを通して、海の幸がふんだんに用いられていた。


 飲み物に関しては、地酒よりも、日本全国から集めた銘酒がずらりと並んでおり、そこにもこだわりがあるようであった。
 素材の良さと、料理の技術の高さから、日田に行ったとき、海鮮系の和食が好みの人にはお勧めの店である。

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