May 21, 2012

宮崎の日蝕ロマン 1700年の時を経て

【日向灘】
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 平成24年5月21日は宮崎全域で金環日蝕が観察できるとのことで楽しみにしていたのだけど、前日の予報では曇りとのこと。
 朝起きてみると、やはり空一面に雲がかかっている。それでも雲が少しでも切れることを期待して、日向灘の海岸まで行ってみたが、金環日蝕の時間はずーと曇りであり、そのときに少し暗くなったかな、という程度で過ぎてしまった。

【期待された日蝕の図】
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 晴れていたら、こういう金環日蝕を見ることが出来たのだが、こればかりはどうにもならない。
 私の生きている間は、この地に金環日蝕が起きることはなく、残念であった。


 日蝕は、天空ショーのなかでも最大級の見世物であり、この仕組みがよく分かっていない時代には、神の怒りとも捉えられていたようだ。
 日本における記録では、古事記における「天岩戸」の記事が、日蝕を記した最初のものと考えられている。ここでは天照大神の怒りが、日蝕となったわけであるが、この日蝕は、いつの日蝕であろう?

 日本の歴史初期のスター天照大神にモデルがあるとしたら、それは邪馬台国女王卑弥呼しかおらず、そしてたぶんそうだと言われている。
 卑弥呼の時代は紀元3世紀であり、天文学的にたしかにその時期日本に皆既日蝕が起きている。そして皆既日蝕のせいで、女王の神性が疑われ、卑弥呼が殺されたという説もある。
 それはともかくとして、もし卑弥呼と日蝕に関連があるなら、それは邪馬台国の位置の大きなヒントとなる。

 日蝕は日本列島でバンド状の位置でしか観察できず、その日にどこでも見られるというわけではない。

【日蝕バンド】
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 邪馬台国で皆既日食が起きたとするなら、邪馬台国は日本列島のうち、この紀元3世紀の日蝕バンドのなかのどこかにあったはずとなる。
 邪馬台国の候補地は、北部九州と近畿奈良の二つが最も可能性が高いとされており、この二つはバンド内には入っている。
 しかし、3世紀の皆既日蝕では、九州ではたしかに日蝕は観察できたが、奈良では観察は困難であったとされている。バンドには入ってはいるものの、この時の日蝕は日の出に近い時刻であり、盆地の奈良では、太陽はまだ山に隠れており、日蝕を観察できなかったからだ。
 そうなると、邪馬台国は九州にしぼられることになる。

 考古学的には、邪馬台国が北部九州にあったのか、近畿奈良にあったのか、いまだに結論はついていない。
 紀元3世紀に30万人も人が住んでいた遺跡がどこかに見つかれば、それで簡単に決定ということになるのだけど、いまだにそのようなものが見つからない以上、たぶんこれかも正解は出ないであろう。

 それで、邪馬台国の位置は、魏志倭人伝の読解が重要になるのであるが、魏志倭人伝を読むかぎりは、私は「邪馬台国=近畿奈良」説はありえないと思っている。
 魏志倭人伝の一節、「男子は大小と無く、皆黥面文身す。今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う」における邪馬台国の風習、「男子は身体全体に入れ墨をして、また潜水漁法が得意で、魚や蛤を捕る」からは、邪馬台国は南洋風の文化を持ち、かつ水産物の採取が得意であったことが分かる。
 これだと奈良ではおかしい。奈良には海はないし、たとえ川か湖での漁としても、「好んで沈没して、魚蛤を補う」文化にはほど遠かったはずだから。

 ただし、北部九州にしても、この記事はおかしい。この記事からは邪馬台国は、それこそ沖縄あたりの南洋系の文化を持っていたように思え、九州ならせめて宮崎・鹿児島あたりの南九州のあたりにないとおかしい。

 ここで宮崎は西都原古墳の出番となる。
 紀元3世紀において、九州では巨大な遺跡はここにしかない。西都原古墳群は、日本最大級の古墳群であり、この地に大きな人口を持つ都市があったことは間違いないと思われる。
 「西都原=邪馬台国」説はあまり聞いたことはないけど、魏志倭人伝の記事、それに日蝕から、ここが邪馬台国の可能性は高いのではないだろうか。
 それならば卑弥呼の見た日蝕は、宮崎の地での日蝕となる。


 まあ、そういうふうに邪馬台国の卑弥呼にも関連があったかもしれぬ宮崎の日蝕を、千七百年以上の時を経て、また見るのだなあとか思いながら日蝕を観察する予定であったのだが、厚い雲に隔たれてしまい、…繰り返して言うが、まったく残念であった。

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May 20, 2012

ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ氏死去の報を聞いて

【マタイ受難曲のアリア「我が心、己を清めよ」より】


 例えばいきなり音楽好きで横暴な宇宙人が襲来し、「我々は音楽を愛しており、優れた曲を求めて宇宙を旅している。たまたたまこの星域に来たところ、地球にも音楽があるようだ。それで、地球で最も偉大な音楽の曲を一曲選んで我々に示してほしい。もし、いい加減に選んで、それがつまらない曲だったりしたら、地球を滅ぼしてやる。だから真剣に選べ」てな無理難題を出してきたとする。

 全人類の命がかかった深刻な要求ゆえ、全世界から有識者が集められ、喧々諤々の騒動が繰り広げられることとなるだろう。しかし、やがて議論は白熱した二者択一に収斂されていくことになるのは間違いない。
 それは、「地球の運命を託す」ほどの価値を持つ偉大な曲は、人類はじつのところ2曲しか持ってなく、人類の存亡をかけた選択は、結局は、その2曲のうちのどちらを選ぶかにかかることになるからだ。

 その2曲はもちろん大バッハ作曲の「マタイ受難曲」と「ミサ曲ロ短調」なのだが、このうちのどちらが人類を代表する曲に選ばれるか、私には想像つかないけど、もし「マタイ受難曲」が選ばれたとする。
 そうなると、宇宙人に「マタイ受難曲」の楽譜が提供されることになる。
 恒星間航空が余裕で出来るほどの技術を持っているなら、それを直ちに聴くのは容易と思うけど、その宇宙人が特異なる地方での楽器・声楽等の再現を面倒と思うような存在だったら、「音源にして寄こせ」とか言い出すかもしれない。

 そうなると、地球人はまた議論をして、「マタイ受難曲」の最高の音源を宇宙人に示さねばならない。
 この場合の議論は、そんなに長引かない。
 なぜなら、「マタイ受難曲」に関しては、至高と称すべき音源が、ちゃんと一つ実在しているからだ。
 そう、カール・リヒター指揮の1958年盤である。

 「マタイ受難曲」は、人類の文化創造の頂点に達するような存在であるゆえ、その演奏も、大変な労苦が要されることになる。
 指揮者のカール・リヒターは、ある意味、バッハを演奏するためだけに生まれて来たとでもいうべき稀なる存在ゆえ、渾身の指揮は当然としよう。
 それでも脇を固める歌手の素晴らしさは、途方もない。
 曲の進行役であるエヴァンゲリストは、要求される精神性の深さから、歌える技量を持つ歌手は数十年に一人くらいしかいないという難役だけど、リヒター盤のヘフリガーは、それを見事にこなしている。(そしてその後、彼を凌駕する歌手はいまだいない)
 ソプラノのゼーフリート、アルトのテッパーも、見事な名唱である。
 しかし、やはりバリトンのフィッシャー=ディスカウの名人芸は、誰しも感嘆するしかない領域。

 マタイ受難曲自体が人類の文化の奇跡的存在であるのだが、この奇跡的存在を、その真実の価値を示すべき演奏が、半世紀以上前の1958年に現実に行われたことが、また奇跡に思える。
 その演奏の核は、リヒターの指揮であり、そして私が思うに、フィッシャー=ディスカウの歌唱であった。


 キリスト教というのは、東洋人にとっては過激な宗教に思える。
 たとえば、仏教の宗祖ブッダは、亡くなるときに、高僧、弟子、大衆、動物たちが回りを囲み、嘆き悲しんだそうである。
 しかし、キリスト教の宗祖イエスが亡くなるときは、弟子はみな逃げ去り、イエスは十字架刑に処され、隣で同様に十字架に架されている泥棒たちと、それから大衆に、「お前が本当に神の子なら、神の力を借りて十字架から降りてみろ!」とか嘲られ罵られていた。ブッダの最期とはえらい違いだ。

 そして憎悪と嘲笑に満ちた声のなか、イエスは息を引きとる。

 それみたことか、この似非預言者め、とか大衆が溜飲を下げたところ、急に空が暗くなり、ゴルゴダの丘に雷が落ち、突風が吹いたのちに、大地震が起きる。
 「うわ、しまった。こいつは本当に神の子であった。おれたちはどうしたらいいのだろう」と、大衆がパニックに陥るまでを、マタイ受難曲は途方もない迫真性をもって描いている。

 キリスト教は、そのキモは、「世界を救おうと思って救世主が現れた。しかし大衆は(弟子も含めて)、その存在の意味を理解できず、理解できないという理由によって、救世主を貶めて殺してしまった。その罪に気づいてしまったのちの後悔と贖罪によりキリスト教が成り立った」ということであり、それをよく解説してくれるのが、「マタイ受難曲」なんだけど、…受難曲の4分の3を占める、イエスへの嘲りと罵りの音楽は、異教徒にしてもきついものがある。

 マタイ受難曲を聞いていて、やはり一番心に染み入るのは、イエスの死ののち、とんでもないことをやって殺してしまったイエスの死を、後悔した人々が、自分を高めることによって心に受け入れたいと願うアリア、「己を清めよ、わが心」。
 私は「マタイ受難曲」の核心は、このアリアと思っているけど、これをフィッシャー=ディスカウが、超絶的な技巧と声で歌っている。


 「己を清めよ、わが心よ」

 Mache dich, mein Herze, rein,
 Ich will Jesum selbst begraben. 
 Denn er soll nunmehr in mir
 Für und für eine süße Ruhe haben.
 Welt, geh aus, laß Jesum ein!
 
 …………………………

 Make you, my heart,to clean,
 I myself would Jesus bury.
 For he shall only in me
 forever. find his sweet repose be here.
 World, go away,let Jesus in!

 …………………………

 己を清めよ、わが心よ
 私はイエスをこの手で葬ろう
 なぜなら彼はこれから私の中で
 いつまでも甘い安らぎの時を過ごし続けるのだから。
 世よ、出て行け、イエスを迎え入れさせよ!


 最初の一行から、フィッシャー=ディスカウはとんでもない高みに達している。
 Mach dichの「d」の発音、Herze reinの「r」の発音。神々しいまでに美しい。
 音程、音量、声質、全てが言いようもなく素晴らしい。


 抽象的芸術である音楽というものは、その本来の姿は、作ったものの頭のなかにしか存在しないものとも思えるが、それこそ地球の運命をかけてもいいような名曲「マタイ受難曲」には、作曲家バッハがたぶん満足できるような演奏が、奇跡的に実在することができた。
 その立役者の一人、フィッシャー=ディスカウに、多大な感謝をささげ、ひさしぶりに「マタイ受難曲」のCDをじっくりと聴くことにしよう。

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May 03, 2012

緒方@京料理

 GW後半は京都へ和食の食べ歩きに出かけた。
 そのなかで最も印象が強かったのが「緒方」であった。

 和食というのはずいぶんと手間がかかる料理であり、和食の定番である、造り、焼き物、煮もの、椀物、揚げ物…と、こういったものがいずれも高水準のレベルで供されるには、仕入れ、仕込み、調理と大変な手間がかかり、それゆえ真っ当な和食を出す店は限られており、それは京都に偏在している。
 だから美味しい和食を食おうと思ったら、地方在住のものは、わざわざ京都にやってくるわけである。
 そして京都の和食は、だいたい予定調和的な美味しさがあり、なんというか、新幹線にでも乗ったように始発駅から終着駅まで安心して、その流れにのったままコースを楽しむことになるのが普通だ。

 しかし、緒方の料理は、時に京料理の枠を超えて、普通の流れからはみ出すところが結構あり、その激しさには、ちょっとしたカルチャーショックを覚えた。

【鰻八幡巻】
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 これは普通に京料理なのであるが、素材の良さと、技術の良さがしっかりと分かる。

【玉葱椀】
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 京料理は椀ものに尽きるところがあるといえばあるが、その椀の蓋をあけると、なかには玉葱だけ。
 あれっという感じだけど、まずその玉葱が今開いたばかりの花のようであり、見た目に美しい。
 そして薄めの出汁と甘い玉葱との調和も抜群。
 素材の良さの切れ味がじつに鋭い。

【佐賀牛小鍋】
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 さきの玉葱椀や造りのように、シンプルな料理が得意なのかとも思ったが、この小鍋は豊かな味付けの佐賀牛に、たっぷりと多量の花山椒をかけて、馥郁たる花山椒の香りと佐賀牛が混然一体となっている、いわゆる足し算の料理。

 コース全体を通して変化に富んでいて、京料理の新たな魅力が十二分に伝わってきた。

 これは秋にも来なくてはと、さっそく半年後の予約をいたしました。
 今年の京都の秋は、紅葉と、それに緒方を楽しむことにしよう。

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April 29, 2012

アケノボツツジ@祖母山2012年

 GW二日目は祖母山へアケボノツツジを見に行くことにした。
 天気は本日の夕方から崩れるそうで、そうでなければ一泊しての祖母傾縦走も考えたのだが、雨のなか縦走してもしかたないので、日帰り登山とする。

【尾平越えへ】
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 尾平に着いて登山口前の駐車場に車を止めようとするも、ほぼ満車であった。それで引き返して、ほしこが山荘のほうに止めた。
 祖母山へは、黒金尾根か尾平越えかどちらかで登ろうと思っていたけれど、ほしこが山荘からなら尾平越え登山口が近いので、尾平越えからの半縦走ルートで登ることにした。

 尾平からの尾平越えルートは、今までは車道しか使ったことはなかったけど、今回は標識に従い、右方向への登山者用のルートを使ってみた。

【坑口跡?】
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 コンクリ舗装路が尽きたところから踏み跡に従い登っていったら、この坑口跡みたいなところで枯沢に突き当たってしまった。そこから先は道はないようである。
 ここ登山道じゃなかったのかなあと思い、ザックから地図を出して確認すると、わ、全然違うところを歩いていた。
 登山道はずっと手前で左に入らないといけなかったのである。たぶん標識を見落としたのだな。

 ただ、地図ではこの枯沢を登っていけば、尾平トンネル前の駐車場に出るようだ。それならドンピシャで正規登山道に合流する。
 そして例え沢を一・二本読み違えていても、登っていけば車道に出るのは確実なので、そのまま枯沢を登っていくことにした。

【車の残骸】
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 登ることしばらくして、小型バスの残骸が出現した。まわりにタイヤも転がっている。こんなところに車を捨てるわけはないので、車道から転落してしまった事故車なんでしょうね。
 この山域では、親父山のB-29や大崩山の大和航空機の墜落碑が有名であるけれど、尾平越えにもこんなものがあったのか。祖母山、やはり奥が深い。

【アケボノツツジ】
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 事故車のあったところからさしたる距離もなく登ったのち、尾平越えのトンネル前へと出た。
 そこから縦走路に入ると、ぽつぽつとアケボノツツジが咲いていた。
 花を通して、祖母山を見る。

【障子岳近傍】
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 アケボノツツジ、それにムシカリの花などを眺めつつ、縦走路を歩き、障子岳山頂に近付くと、山頂を囲うように金属柵が立てられていた。
 なんのためかと思ったら、鹿の食害を防止するためのものだそうだ。
 祖母傾山系は植生の豊かなところであり、とくにスズタケが山を覆うがごとく茂っていたのだが、鹿に食われるために絶滅危惧種になりかけているそう。傾山のほうではスズタケはほぼ絶滅してしまったそうだ。これ以上スズタケが減ってしまっては、植生全体に多大な影響が生じるから、その予防のために張ったわけだが、…でも登山にとってはこの柵はかなり邪魔ではある。特に冬に登ったときなど厚いグローブで戸の開閉をするのは大変だろうな。

【黒金尾根分岐部】
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 障子岳から祖母山までの縦走路は、アケボノツツジはまだ蕾の状態。
 黒金尾根分岐部のアケボノツツジは、とくに花のつきが多いので好きなのであるが、このようにわずかに蕾が付いているのみであった。

【祖母山山頂から】
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 祖母山山頂より、本日歩いた縦走路を眺めてみる。
 山頂にはまだマンサクも咲いていた。

【九合目小屋にて】
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 山頂を下りて、九合目小屋に寄ってみる。
 小屋番さんに、柵の出来た理由や、山の登山者数などを聞いてみた。昨年はさっぱりだったが、今年は登山者が増えているそうである。
 本日も泊まり客は既に10名以上は予約済だそうだ。
 そのうちの一人が84才の矍鑠たる老人で、なんと18kgの荷物を神原から担ぎあげてきた。その中身は写真に示す「好き焼きセット」であり、鍋、燃料、それに大量の肉と野菜。荷物の重さもすごいが、84才で「好き焼き」というのもまたすごいことである。

【馬の背】
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 下山路は宮原尾根経由で。
 馬の背ではミツバツツジが咲いていた。
 岩にしがみつくように生えている、こじんまりした灌木の花も、また可憐でよろしい。

【宮原尾根】
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 宮原尾根ではアケボノツツジはほぼ満開であった。
 大崩山、祖母山をあわせ、この尾根筋のアケボノツツジがいちばん華やかに咲いていました。

【尾平】
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 下山中、雲が厚くなってきたけれど、なんとか雨が降らぬうちに下山。
 ふりむけば屏風のごとき、祖母山の姿。
 今日はあの山のなかに、まだ多数の人が残っているのである。

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April 28, 2012

アケボノツツジ@大崩山2012年

 GWが始まり、祖母傾大崩山系はアケボノツツジのシーズンとなる。
 まずは大崩山に登ってみることにした。
 GW初日の28日は晴天に恵まれたが、真夏なみの気温となり、登っていて暑くてしかたなかった。

【ワク塚ルート渡渉点】
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 ワク塚ルートへの祝子川渡渉点の橋は昨年の大水害の時に流されていたという話を聞いていたけれど、新しい立派な橋が架け替えられていた。
 ただ、ここに至る川原の岩が、私の記憶と異なる配置になっていて、どうやら橋も含めて、あらゆるものが流されていたみたいであった。

【袖ダキ展望台】
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 袖ダキ展望台に出ると、大崩山のシンボルである絶景が広がる。
 この景色を見るためだけでも、大崩山に登る価値があると思う。
 アケボノツツジもちらりと見えている。

【中ワク塚】
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 袖ダキから中ワク塚までのルートは、高度感たっぷりの花崗岩の岩の上を歩く、展望抜群のパノラマルート。一番楽しいところである。
 ところで、袖ダキから最も目立つ中ワク塚の東端の岩塔(赤矢印)は、直登ルートはなく、そこに行くにはいったん鞍部みたいな所に出たあと、ロープを使って岩伝いにたどって行く必要がある。
 それはかなり難易度が高く、高所恐怖症の人とかはたぶん行けないところだ。

 私が鞍部で休憩していたところ、同じ時刻に着いた男女4人の若者グループのうち二人がその岩塔まで行っていた。
 そして記念写真を撮っていたのだが、そのポーズが面白かった。

【せーの】
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【ジャンプ! 】
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【無事着地】
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 中ワク塚でジャンプは、けっこう高度な平衡感覚が要されると思う。特に右側の女性のポーズは見事なものだ。
 こういうものを生で観られて、ラッキーであった。

【中ワク塚東端】
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 ちなみに中ワク塚東端はこういうところなのであるが、こんな足場の悪いところでよくジャンプできるものだと、改めて感心した。

【上ワク塚】
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 中ワク塚の次は上ワク塚である。
 上ワク塚は、カンテ直登のロープを張ったルートを登っていく人が多かった。どうやらこっちが本ルートになっているみたいであった。
 しかし、このルート、一般登山道にするには無理があり、いつか事故があるのではと心配になってしまう。

 上ワク塚に登って下りたのち、アケボノツツジの写真などを撮っていると、先の若者グループが到着した。
 追い抜いていないのになぜ後で来る?と思ったが、上ワク塚への途中でショートカットルートを試そうとし、それが無理だったので改めて正規登山道で登りなおしたとのこと。
 中ワク塚から上ワク塚の正規登山道は、いったんかなりの高度を下がるので、それが面倒な者はショートカットルートを必ず考えるわけだが、…ロープとギアがないと無理ですわ。

 それにしても、大崩山は中高年御用達みたいな山だったのだけど、今日は若者たちをけっこう見た。どうも登山年齢が若返っているみたい。
 それはいいことなんだけど、しかし九重とかならいざしらず、大崩山みたいな辺鄙な山で、山ガールを見るとか思いもしなかったなあ。

 この若者グループはテン泊仕様で、装備も本格的なものであった。厳しいルートを求めて大崩山に来ており、頼もしいですね。

 私がカロリーメイトを齧りながら会話していると、一人が「これ余っているので、よろしければどうぞ」と安納芋をくれた。また珍しいものを持ってくるものだなあと思ったが、食べてみるとこういう甘さたっぷりの糖度の高い芋って、登山の補給食として合理的だなと思った。

【大崩山山頂】
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 上ワク塚を過ぎたのちは、いつもはそのまま坊主尾根から下山するのだけど、本日はFacebookで「大崩山なう。」と書き込みたいだけのために、山頂まで行ってみた。
 山頂に着いてスポットを検索するとやはり設定されていなかったので、私が山頂の設定をしておいた。

【アケボノツツジ】
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 本日の大崩山では、小積ダキから象岩へ向けて降りるところのスラブにあったアケボノツツジが、一番花の色もつき具合もよかった。写真を撮ったけど、位置的に近寄るのが難しかったので、いい写真を撮れなかった。

【アケノボツツジ2】
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 アケボノツツジは蕾も濃いピンクで、かえってそのほうが美しくも見えた。
 奥に聳えるのは中ワク塚。

【小積ダキ】
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 象岩を通っているうち、小積ダキから人の声が聞こえてきた。
 どうやら小積ダキ中央稜をクライミングしてるグループがいるようで、ベランダに3人ほどの人が見えた。
 ただ、今の時刻が14時過ぎなので、位置的にはおかしい。だからあとは左に巻いていくのかと思っていたけど、右のほうの壁に取り付きに行っていた。どういうルートを取るのか興味があったけど、やがて岩陰に消えてしまった。

【カウンター】
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 急峻極まる坊主尾根を下って行き、登山口へと到着。
 登山口近くには、登山者のカウンターがあるのだけど、いつのまにか一基増えていた。
 以前は、ここに示すように二つ目の器械だったのが、三つ目の器械が横に増設されている。こっちのほうが精度が高いのかな。


 1年ぶりに訪れた大崩山、けっこういろいろと変化があった。
 「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」ってな有名な句があるけれど、山だって人同様に変わっているのだと実感。


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April 25, 2012

読書:無菌病棟より愛をこめて (著) 加納朋子

 小説とは結局は「人間」を描く芸なのであろうが、その描かれる多種多様の人間像のうち、リアルに存在する「いい人」を描いて、当代で加納朋子ほど上手い作者はいないと思っている。
 彼女の作に出てくる「いい人」は、宗教書や伝説とかに出てくる聖人や善人系の「いい人」と違い、絵空事ではなく、私たちが今生きている社会に実際に存在している、確かな実在感を感じさせてくれる。

 加納朋子の著作は全部読んでいるけど、今年出た新刊「無菌病室より愛をこめて」は、ミステリではなくて、なんと著者自身の闘病記であった。

 体調が悪くなった著者が大病院で検査を受けたところ、「血液のがん」といわれる急性骨髄性白血病であることが判明。そして精密検査を受けたところ、それは白血病でも特にたちが悪いタイプのものであった。
 白血病に対する抗腫瘍薬による治療はハード極まるもので、そのハード極まる治療を受けても寛解は難しく、結局さらにハードである骨髄移植が適応だと判断され、著者はその治療を受けることになる。
 そして死亡率も高いその治療を乗り越え、なんとかほぼ白血病細胞が消滅するまでにいたった。それでも治療はまだまだ続き、治療は途上であり、これはその中間報告を書いたルポである。

 白血病を含めた悪性疾患に対する治療などについては、かなり詳しいことが書かれた闘病記はすでにいくつかあるが、この本はそれらとはずいぶんと異なったものであった。

 冒頭の話にいきなり戻るが、「いい人」の定義をしてみる。
 「いい人」とは、人の気持ちを思いやり、人の悲しみ苦しみを、自分に置き換えて考えられ、だからこそ人に対して優しくなれる人であろう。

 そして本書で知る加納一家は、著者を含めてみな「いい人」であることが分かる。病気が分かったときの家族の反応、そして著者の反応をみれば、あなたたち、そんなに優しくていいの?とか突っ込みたくなるくらい。

 著者の作に描かれた「いい人」があまりにリアル感があるのは、著者がそういう環境に生まれ、育ったからなんでしょうね。

 著者はこの本が、今まで書いたミステリ等の小説とちがって、あまりにプライベートなものなので、発刊に躊躇を感じたと述べている。
 ただ、それでも発刊を決意したのは、表題に示す「愛」であった。
 「無菌病棟より愛をこめて」の「愛」は、無菌病棟で過酷極まる治療を受けた著者のからの、同じような境遇になってしまった人へのメッセージのことなのである。
 白血病になった人たちに、「決して絶望しないで下さい」と伝えるため、著者はこの作を書いたのだ。

 本書は全体的に淡々とした筆致で書かれているが、行間からにじみ出てくる、哀しみと、同時に現れる明るさが、独自の魅力を与え、そしてあとがきにいたり、静かな感動を与えてくれる。

 名著であるとは思うが、読みたくなかった名著だというのも実感である。


 加納朋子(著) 無菌病棟より愛をこめて

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April 24, 2012

不思議物件:延岡の謎の塔

【謎の塔】
Mistery_tower

【拡大図】
Mistery_tower_large

 半年ぶりくらいに延岡に来たら、街のなかに変な塔が建っていた。
 市のまんなかにあるので、遠目にもたいへん目立つのであるが、その形というのがバベルの塔をスリムにしたというか、木製ブロックの積み立て物というか、スペースシャトルの木製発射台というか、…なんともなんのためにあるのかよく分からない奇妙な形の建物である。

 東京スカイツリーを代表として、日本の各自治体ではランドマークとなる高層タワーを作るのが流行ってはいるので、延岡市も遂にそれに手を出して、変なオブジェを作ったのかとも思ったのであるが、それにしてもこの塔は高すぎる。

 周囲の建物と比較するに、これはどう見ても100mを越える高さの塔である。
 基礎工事とかを考えると、たかが半年くらいでここまでの高さの塔が建つはずはない。いかなる突貫工事をしようが、九州にそんな技術力を持つ建築会社があるとは思えぬ。
 これぞ、まさに不思議物件。

 場所からすれば旭化成敷地内であるので、旭化成が、何かのイベントで社の総力をかけた超技術を用いて、この不思議物件を建てたのかしらんとか思ったが、…ん? 旭化成?
 と、旭化成の名をよく考えれば、この建物の正体はあっさりと判明した。

 はい、旭化成の延岡名物、大煙突だったんですね。
 おそらく修理かメンテナンスのために周囲に足場を組んで、煙突を覆っていたのであろう。
 そして実際数週間後には、(たぶん)きれいになった大煙突が元の姿を現していた。

Tower2

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April 14, 2012

映画:バトルシップ

Battleship

 日本人俳優も配役した、大金をかけたユニバーサル社100周年記念の戦争映画ということで、スピルバーグ監督の「1941」みたいな壮大な馬鹿映画を期待して(すでに予告編がその気配濃厚であった)、観に行った。

 …俳優のトンデモ演技とCGの無駄な豪華さが売りの映画だろうな、と勝手に予想していたが、なんのなんの、しっかりした脚本の映画であった。

 宇宙観測をしていて、地球に似た環境の惑星があることを発見した科学者たちが、未知の知的生命体の存在を期待してハワイの高性能通信器と人工衛星を使い、その惑星に向けてメッセージを発信する。
 そのメッセージを受信して、惑星の知的生命体が地球のハワイに向けて宇宙船5隻でやってくる。しかその惑星と地球の物質は微妙に異なっていて、互いにレーダーでの観測ができない。目が見えないような状態で地球に近づいた結果、地球の人工衛星に一隻がぶつかってしまって破壊され、そして残りの4隻が太平洋ハワイ沖に着水する。
 ところが、たまたまそこで多国籍群の合同海軍演習(Rimpac)が行われており、宇宙人たちはいきなり軍艦に囲まれることになる。これはたまらないと、彼らはシールドを張って、ハワイ周囲に誰も入られないようにして、ハワイ島の攻撃を行う。彼らがそういうことを行うのは、たまたま破壊されてしまった一隻に重要な機能があったゆえの切実な理由があったのだが、間の抜けたことに、そのシールドのなかに合同演習群の3隻が残っていた。
 そのため、お互いよく状況がよく分からないまま、意思の疎通もままならぬ二種の知的生命体は、戦いに突入してしまう。
 宇宙人は恒星間飛行ができる超科学文明を持っているわりには、その宇宙船の戦闘能力はそれほどのものでもなく、防御機能にも難がある。たぶんその宇宙船は軍艦でなく偵察船だったのだろう。
 それでも流石に地球を凌駕する文明の持ち主なので、合同海軍3隻を沈没させることには成功。

 ところがハワイにはまだ軍艦が一隻残っていた。

 ここで映画題名の「BATTLESHIP」の意味が初めて分かる。
 3隻の生き残りの、頭に血が登った士官たちとそのサポート隊一同が、BATTLESHIPに乗り込み堂々と出航する。
 それからの戦闘は、胸熱くなり、心躍り、たいへん盛り上がるところである。この場面のために冒頭から伏線がひかれていたわけで、いい脚本だ。
 …ただ、攻撃目標の宇宙人が全然悪いやつに思えず、やっつけてもカタルシスを味わえないのは、ここは脚本の欠陥だな。

 でも、ユーモアあり、ロマンスあり、バトルあり、全編通して面白い映画であった。

 そうそう、浅野忠信は、この手のハリウッドでよくある名前だけ出てくるチョイ役かと思ったら、縦横無尽に活躍する、副主人公なみの役であった。
 それも観ていて、うれしかった。

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April 07, 2012

ETOランドへ花見サイクリング、そののち光洋へ

 素晴らしい好天なので、花見がてらサイクリングに出かけることにした。
 といっても宮崎県北の平地では桜はもう散りかけているので、まだ桜が満開に近いであろう標高の高いところを目指すことにした。

【ETOランドへ】
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 県北の標高の高いところで気軽にサイクリングに行けるところは、やはりETOランドということになる。
 ここからヒルクライムの始まり。

【ETOランド】
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 今年の春はどうしたことか風が台風なみに強い日が続いている。
 本日も強風が吹き荒れ、向かい風をまともに受けて、漕いでも自転車が進まない状態。
 春の強風ってのは、一日程度のはずなのに、もう一週間近くこの強風が続いている。ここ数年の日本の気候って、危険なものを感じる。
 ヒルクライムのきつさに加え、向かい風のせいもあり、ペダルを踏むのが精いっぱいで、途中咲いていた満開の桜を写真に撮る余裕もなく、風車がランドマークのETOランドに到着。
 相変わらず、閑散とした施設だ。

【中小屋天文台】
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 こんな快晴の日に、ETOランドに登っただけで下ってはもったいないので、さらに六峰街道を走り中小屋天文台へ足を伸ばす。
 ここを過ぎあと100mほど登ったのちに、諸塚村のほうへと下っていった。

【六峰街道より】
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 六峰街道からは山並みの眺めがやはり素晴らしい。
 九州で最大規模の脊梁山地のなかにある道だけあって、周囲は山そして山である。

【桜】
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 下り道では写真は容易に撮れる。
 山間部は桜は満開の時期であった。
 こういう感じでこじんまりとした桜のトンネルとなっている。

【耳川沿い】
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 耳川沿いの桜並木は満開時は、ほどよいカーブに連なり、清流とともに遠くまで見渡せる、いい桜の見物ポイントなのであるが、この低さになるとすでに盛りは過ぎていた。

【土筆】
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 目をおろせば、下には土筆が。
 季節はすっかり春なのであった。

【光洋のちらし寿司】
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 サイクリングを終えて、しっかりと腹をへらしたのち、ひさしぶりに宮崎市の光洋へと鮨を食いにでかけた。
半年ぶりの光洋は、宮崎モード全開となっていた。
 今までは築地・福岡の食材にこだわっていたのが、地元でもいい手当ての食材が手に入るようになってきたので、「宮崎の寿司店」を目指し、なるべく宮崎近傍の食材を使った料理、鮨を出すようになってきている。
 その意気やよしですね。
 江戸前寿司が美味い、といっても、どこも東京の寿司屋と似たようなものではつまらない。やはり地方には地方ならではの寿司店がほしいものである。

 写真はお土産のちらし寿司。
 これは以前とはあまり変わっていなかったけど、相変わらずの宝石箱のように美しいちらし寿司です。


本日の走行距離:116.2km


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December 30, 2011

京都編(7) 京都市(柊家)

【朝食】
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 年末年始は自転車には乗らずに、ゆったりと過ごす予定ゆえ、朝食はビールとともにいただく。
 朝から優雅な気分にひたれます。

【柊家】
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 八坂神社から四条通り、切り通しと行き、今日の宿、麩屋町通りの「柊家」へ自転車を置きに行く。
 柊家も歴史の長い宿であるが、北海道から自転車でこの宿に来たのは私が初めてだろうな。…って、向かいの俵屋のときでも書いたか。

【錦市場】
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 京都市内の散策は、京都の台所錦市場を。
 いやはや年越しのために買い物をする人達で、身動きできないほどの人の数であった。
 こういうところに来ると、このときばかりと人が集まる、年末の雰囲気がよく分かる。

【映画:ニューイヤーズ・イブ】
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 二条の東宝シネマで、映画「ニューイヤーズ・イブ」を観た。
 ニューヨークのニューイヤーズ・イブ(大晦日)の、年越しイベントを軸にした、数々の人間ドラマを描いた作品。
 本来は明日31日に観るのが適切な映画であろうけど、早く観たかったので本日に。
 この映画、出演者が、ロバート・デ・ニーロ、ヒラリー・スワンク、ハル・ベリー、ジェシカ・パーカー、ミシェル・ファイファー、アビゲイル・ブレスリン、ジョン・ボン・ジョビ…といった名スターがずらりと並び、ギャランティーだけで製作費吹っ飛んでしまわんかい?と余計な心配をしてしまう。
 その名優たちが、年越しという、一年の最も特別な時のなかで、恋愛あり、和解あり、再会あり、といくつもの人間ドラマを演じ、…観るほうにも、「年が明ければ、自分にもいいことがあるのではないだろうか」と、ほのぼのした感動を与えてくれる秀作。
 良かったです。
 ただ、この映画観たせいで、すでに気分は年越しになってしまい、明日の大晦日がどうでもよくなってしまった気がしないでもない。

 映画を観たのちは、柊家に戻る。
 大女将が挨拶に訪れ、いつもながら元気のお姿で、…と言いたいところであるが、いつもの着物姿ではなく、ジャージルックである。
 なんでも先日転倒して骨折してしまい、和服での挨拶はきついとのことで、しばらくこの格好だそうだ。しかし歩く姿にはとくに問題はなく、そして、こういう文化遺産のような人が現役で仕事している姿を見ると、「京都の旅館の精神」のような、尊いものを感じます。

【柊家 夕食】
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 京都では慣れ親しんでいる柊家の料理。
 ここの料理は典型的な「京料理の御馳走」。
 独特の華やかさがあり、分かりやすい美味しさがある。
 …ただ、量の多さがきついのがちょっと難。
 御馳走攻撃!という感じもあり、食事が終わるときは、腹いっぱいの満足感に満ち、そのまま一日が終わってしまいます

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December 29, 2011

京都編(6) 浜大津→京都市(祇園畑中) 37.1km


【義仲寺】
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 滋賀大津市は、木曽義仲が討ち死にした所であり、その地に義仲寺がある。
 前回行きそびれたので、行ってみた。
 猛々しい武将という義仲のイメージとは裏腹に、古色蒼然とした静かな寺である。
 松尾芭蕉は義仲を好んでおり、この寺も訪れて句を詠んでいるけど、この寺と芭蕉の侘び寂びの精神はうまくマッチしていると思った。

【国道1号線】
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 滋賀県から京都への国道1号線は、ゆるやかな峠越えがあるのみの楽な道である。この道、通るのは初めてのはずだが、既視感を覚える。そして進むうち、ここは絶対に通ったはずと思ってきた。

【月心寺】
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 そして、この建物が見えて、確かにここを通ったことを思い出した。
 6年前、私はこの「月心寺」に来るために、滋賀からレンタカーで走ったのであった。
 月心寺は、日本で最高級の精進料理が食べられることで有名な寺である。
 この寺の精進料理を経験するには、10名以上人数がそろわないと予約が出来ないという、九州の人間にとってはハードな関門がある。それをなんとかするべく、福岡の有志が人数を集めて京都に遠征したさい、それに私が便乗して、訪れたのであった。
 ちなみに精進料理ってノンアルコールだろうから車で来たのであったが、「般若湯」なるアルコールも出ることを来て知り、しまったと思った記憶がある。
 精進料理そのものについてはさして記憶に残っていないが、料理よりも、個性的な庵主さんのほうが圧倒的に記憶に残っている。
 あの時点で既に80歳を超えた御高齢の方であったが、まだ現役であろうか?

 1号線から京都に入ったのちは、昼食をとりに行く。

【妖怪ストリート いのうえ】
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 京都の北野天満宮の前に妖怪ストリートという商店街がある。
 商店街の店の前に、その店手製妖怪人形が置かれ、商店街にずらりと妖怪が並ぶ、る楽しい通りである。
 そのなかに「いのうえ」という定食店が一軒。ここも妖怪が二匹が置かれ、そして妖怪提灯も下がられているが、この店の名物が「妖怪ラーメン」。

【妖怪ラーメン】
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 どこが「妖怪」かといえば、おどろおどろしい見た目である。
 イカ墨たっぷりの黒いスープに、くちなしで染めた紫色の麺。黒いピータン、真っ赤なパブリカをまぶしたチャーシュ、と怪しさたっぷりのラーメンである。
 味はというと、…ニラが少々きつくて、他はあっさり系なのにバランスが悪く思える。まあ、そのバランスの悪さも妖怪っぽいというところか。
 なにはともあれ、話のネタにはなります。

【八坂神社】
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 本日の宿は、八坂神社傍の「祇園畑中」。
 京都の観光地へ行くのに便利なところにある宿である。
 料理の美味しいことでも有名。

【祇園畑中】
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【部屋】
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 祇園畑中は、いかにも京都の宿という感じの、じっくりと落ち着ける宿である。
 大浴場もあるので、(大というか中だな)、風呂に入ったのち外の景色でも眺めながら部屋でくつろぐことにする。

【夕食】
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 京都の料理は若手の料理人のところなど、時代の先端を行く和食を出すぞという感じの、研ぎ澄まされた料理を出すところが多くなっているけど、旅館では中庸系のものが多い。
 祇園畑中もその系統のもので、京料理の本流の、穏やかな感じの料理が続く。
 料理、接遇、そして部屋も含め、落ち着ける宿である。

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December 28, 2011

滋賀編(3) 亀山→甲賀→浜大津 80.1km


【国道1号線】
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 亀山市を出発して、とりあえずは甲賀市方面に向かう。
 遠くに見える県境の山はうっすらと雪がかぶっている。
 これから峠越えなんだが、いやな予感がする。

【国道1号線】
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 高度をどんどん上げていくと、寒くはなるが、雪の積もりはさしたることはない。
 山には軽く積もっているけど、道路にはまったくない。

【鈴鹿トンネル】
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 ようやく県境の峠になる鈴鹿トンネルに到着。
 ここが1号線の最高点となる。
 ありがたいことに道路にも、また周囲にも雪はまったくなかった。
 昨日の愛知と比べると、ずいぶんな違いである。
 日本は地形が複雑なだけあって、県ひとつ違うだけで、気候がまったく異なっている。

【甲賀忍者屋敷】
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 甲賀といえば、伊賀にならぶ忍者の聖地。
 忍者好きとしては訪れざるをえないであろう忍者屋敷へと行ってみた。…いや、べつにそんなに忍者は好きではないのだが。

【お知らせ】
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 しかしなんということか、甲賀忍者屋敷は、昨日から年末年始の休みに入っているのであった。
 年末年始って、絶好の稼ぎ時と思うんだけどなあ。

【信楽のタヌキ】
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 甲賀市は忍者で有名だが、また信楽焼の里でもある。
 それゆえタヌキの置物が街中、ゴロゴロしているのだろうと思って、タヌキを探しながら走行したが、やっとこの変なタヌキを一匹みつけた。

【信楽のタヌキ2】
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 タヌキが予想以上に数が少なく、おかしいなあと思っているうち、ドライブイン「たぬきの村」の前を通ると、やはり大中小のタヌキがずらりといました。
 大きなのは、3mはあります。

【琵琶湖】
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 信楽町からは県道16号線を通り、琵琶湖へと出た。
 琵琶湖湖畔に自転車を止めて休憩していると、ママチャリに生活道具を満載したホームレスっぽい人が前に立ち止まり、「荷物をいっぱい積んだ自転車を漕ぐ秘訣はブレーキの効きにある」とかの話をし始め、しばしブレーキ談義となった。

【ホテルからの風景】
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 前に滋賀に来たとき同様に、浜大津に宿泊。
 滋賀ではここが交通の要所となる。
 宿は前に泊まった「ホテルブルーレイク大津」にした。前泊まったとき、自転車で私が来たことを知ると、自転車を隣の施設の室内に止めさせてくれたので、「自転車に優しい宿」と認識したからである。

【鮒寿司】
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 夕食は、宿近くの寿司店「長吉」にした。
 ネタケースのネタはあんまりやる気がなさそうであったが、適当にそれを選んでそれを飲んでいた。店主と雑談するうち、ネタケースの中以外にも、面白いツマミがあることが分かり、それを頼んでみる。
 まずは、琵琶湖名物鮒寿司。
 じつは私は鮒寿司って初めて食ったのだけど、和風のブルーチーズをまとったパルマハムみたいな感じで、酸味と食感が独特であり、これはいい酒のアテとなる。

【モロコ素焼き】
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 続いては、琵琶湖名物モロコ。
 京都料理の主役級の魚モロコは、たいていは軽く味付けして出て来るのであるが、店主に言わせると、モロコは素焼きが一番美味しいとのこと。
 というわけで、モロコの素焼きにしたのだが、モロコって川魚特有のクセがあって、素焼きだとそのクセが出過ぎの気がしないでもない。まあ、慣れるとこれが美味く感じるんだろうな。

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December 27, 2011

三重編(3) 名古屋→桑名→亀山 74.8km


【名古屋市内】
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 二日続けて大寒波が襲った名古屋市はまだ雪は残ってはいるものの、天気が晴れとなったので、京都方面に向けて名古屋を脱出することにした。
 雪はこのように更地には積もってはいるものの、道路は除雪されている。

【国道側道】
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 名古屋からは、大垣経由で米原市に出て、それから滋賀に入ろうと思っていたのだが、山のほうに向かうにつれ、車道は除雪されているものの、路側帯には雪が残っており、自転車が走行するのは危険だ。しかし、歩道を行こうにも、こちらはさらに雪が積もっており、走行自体が無理となる。
 これを無理して行ったところで、米原市はおろか大垣市にさえたどり着かないと思い、進路を南方面の国道1号線に変更。

【CoCo壱番屋】
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 こっちのルートは楽なので、なんだかやる気が落ち、途中でみかけたCoCo壱番屋で昼食休憩。
 腹がいっぱいになると、サイクリングはつらくなるが、亀山市までの道はたいしたことはない。
 そして奈良から名古屋にやって来た道をそのまま引き返すルートを通り、亀山市に宿泊。


【博多ラーメン一竜】
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 亀岡市ではホテルの近くで夕食。
 宿泊した「ホテルエコノ亀山」の周囲はファミレス、ネパール料理店、居酒屋、コンビニ、本屋などがずらりと立ち並んでおり、ずいぶん便利である。案外と、こういう便利なロケーションのホテルは珍しい。

【博多ラーメン】
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 その店々のなかに博多ラーメン店があったので、それにしてみた。
 それにしても、居酒屋や寿司店以外だと、豚骨ラーメン店ばかり行っているような気がするなあ。
 豚骨ラーメンと生ビールの組み合わせはたいへんよろしく、そして麺はやはりバリカタで頼む。
 …しかし、三重県の麺の固さは九州より一ランク柔いみたいで、替え玉はハリガネにしておいた。

 さて、明日は三重滋賀県境を越えるわけだが、このルートだと県境越えには峠がある。はたして、雪の積もり具合はどんなものであろうか。

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December 26, 2011

愛知編(5) 名古屋市

【雪の中の名古屋ツインタワー】
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 昨日も寒かったが、本日は大寒波は名古屋市にも及び、大雪が降っている。
 滅多に雪が積もらない地ゆえ、積雪8cmくらいの量でも大変な事態なのであり、新幹線は上下とも不通となり、高速道路も一部通行止め。
 名古屋はちょっとした陸の孤島と化している。
 私も当然ながら、サイクリングする気もせず、二日続けての停滞となる。

【コンビニ おでん】
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 寒いので、あったまるような料理、-名古屋名物味噌煮込みうどんか、コーチン鍋でも食いに行こうかと思ったが、雪降るなか遠くまで歩く気力も起きず、ホテル近くにあったコンビニでおでんを買い込み、これで一杯やりながらぬくもることにする。

 それにしても、コンビニのおでんって、けっこう美味しいんだよな。

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December 25, 2011

愛知編(4) 名古屋市

 昨夜は京都で夕食を楽しんだのちは、トンボ返りで名古屋に戻った。

 次にどこへ行くべきかといえば、年末年始は京都で過ごすことはここ数年の習慣にしているので、その方向に向かわねばならない。
 京都へのルートは名古屋に来るときは三重経由で来たので、次は大垣~米原~京都という東海道本線に沿ったルートで行く方針とする。

 そこで大垣市に向けて本日Goの予定だったのだが、間の悪いことに、滅多に来ない大寒波が中京地方に到来してしまい、岐阜方面山間部は雪が積もっているとの情報である。
 それで本日はホテル泊を延長し、名古屋市に停滞することにした。

【鯖寿司】
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 朝食のために、京都駅伊勢丹地下の朽木旭屋で買っていた鯖寿司である。
 京都の鯖鮨は、ここか「花折」が好みである。どちらも少々値段は張るが、せっかくの京都の名物なので、京都に来たときはこれらを食いたい。
 そして、鯖寿司は当然、いい酒の肴ともなる。
 本日は自転車漕ぐ必要がなくなったので、朝からこれをツマミにビールを飲み、だらだらと過ごすことになった。

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December 24, 2011

愛知編(3) 名古屋市 忘年会2日目

【トゥ・ラ・ジョア 海老芋のウニ風味】
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 忘年会2日目の昼食は、名古屋市の創作系料理店「トゥ・ラ・ジョア」にて。
 会員制に近い店であり、名古屋では最も予約の困難な部類の店だそうだ。
 名古屋市在住の食の大御所のような人が今回の忘年会の主催者であったので、そのおかげで我々一行がこの店を経験でき、ありがたいことである。

 トゥ・ラ・ジョアはいちおうフレンチに分類される店なのだが、実質的には大阪のカハラみたいな、自在な創作系の店のようであった。
 その日のメニューを、メニュー表から書き写すと、

 ・源助大根と鮑の椀物
 ・トラ河豚のスープ
 ・海老芋のウニ風味
 ・下仁田葱と真鱈白子のオーブン焼
 ・カニ真丈の甲羅蒸
 ・すだち牛のビーツソース
 ・Mのサラダ
 ・帆立貝ご飯
 ・ブッシュドノエル

 調理も素材も過剰なくらいに手間暇かけているのだけど、フランス料理にありがちな、出来た料理もその流れで「過剰なもの」になる、ということはまったくなく、どの料理も見事にバランスが取れており、スマートかつクールな料理であった。
 同じ創作系の「カハラ」がホームランバッターが次々と出てくる打線とすれば、この店はイチロークラスの巧打者がずらりと並ぶ感じである。

 写真で紹介している料理は、海老芋に辛味風味のウニを芯に入れて、茹でたものに、ウニを和えて、アラレで食感にアクセントをつけたもの。
 相当な試行錯誤を経て、完成された料理なのだろうけど、複雑にして、深く、鮮やかな味にただただ陶酔するのみ。そして見た目も、写真のごとく、優美である。

 トゥ・ラ・ジョアは、ミシュラン言うところの三つ星店、まさに「そのためだけに旅行して訪れる価値のある店」である。
 これは来年も来なくては、と、主催者の予約に便乗して、私も来年の同時期に訪れることにした。


 忘年会2日目の夕食は、名古屋を離れ、京都の割烹「桜田」にて。
 その時間で、自転車で京都市に行くのは無理なので、新幹線で訪れることにする。
 新幹線だと、名古屋から京都までなんて、あっという間だな。

【京都 桜田】
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 2011年忘年会は、「柳家」「トゥ・ラ・ジョア」と個性の強い店を2軒訪れたのち、京料理の伝統の粋のような店「桜田」で〆となる。

 桜田は数多い京料理の名店のなかでも、スタンダードに近い、本流の京料理を出してくれる店である。
 いい素材を仕入れ、それを引き立てさせるような、切り方、煮方、蒸し方、焼き方で、シンプルながらも精緻な計算で成り立つ料理の数々。
 長い歴史のある京都でしか味わえない、「日本人の究極の家庭料理」を堪能しました。

 写真は虎魚の椀もの。
 研ぎ澄まされた出汁が、くっきりと具材の味を際立たさせ、立体的に迫る山水画のごとき世界。和食の世界の奥深さというものを教えてくれます。
 京料理、そして桜田の真骨頂。

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December 23, 2011

愛知編(2) 名古屋市 忘年会1日目

【名古屋ツインタワー】
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 世間は年末の連休である。
 連休とは関係なく日々を過ごしている私であるが、この連休は、食通氏たちが名古屋に集まっての忘年会があるので、それに参加するべく私も名古屋へとやってきた。
 参加者は、九州の者は飛行機で、東京の者は新幹線で来たわけだが、私は北海道から自転車である。

 なぜ名古屋で忘年会?というわけは、主催者が名古屋在住なのと、この時期ジビエが最も美味しい店が岐阜にあるので、そこで忘年会を開くから、という理由による。

 昨夜名古屋に到着していた私は、昼間は映画を2本、年末の話題作「MI4」と「リアルスティール」を観て、それから名古屋駅前に行き、そこで参加者全員と合流。ワゴンタクシーに乗って、1時間半ほどかけて岐阜瑞浪市の「柳家」に到着した。

【柳家】
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 日本で最高峰のジビエ料理を食べることができると評判の「柳家」。
 ここを経験するのはけっこうハードルが高く、まずやたらに不便なところにあることと(良い素材を手に入れるためには仕方ないのである)、それと参加者が4名以上でないと予約ができないことから、九州在住の者としてはこういう機会がないと、滅多に来られるものではない。

 柳家は、囲炉裏をみなで囲み、目の間でジビエが炭火で焼かれる方式。
 焼け焦げる肉と脂の香りが、食欲をぐんと刺激いたします。
 出されたものは、
 ・野鳥の丸焼き
 ・仔鹿ヒレ+ロース
 ・猪 
 ・羆
 そのあと、しし鍋、芋粥で〆となる。

 いやはや、驚きました。
 私は今までジビエを、いわゆる獣くささ、野性の味を楽しむものと思い、変化球的な食材と思っていた。
 しかし柳家の料理は、野生の肉がいかに澄んだ、肉の旨さをストレートに示す、自然の恵みそのものなことを教えてくれた。とりわけジビエの脂なんて、くどくもしつこくもなく、ただただ純粋に美味いので、いくらでも食えることになる。
 新たなる食の世界の魅力を、岐阜の山奥で知りました。

 そしてワインは九州のW氏秘蔵のDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ)の赤ワインがぽんぽんと開く。これがジビエにじつによく合う。
 DRCをW氏が用意したわけは、全国から集った食通氏たちに、九州のワインマニアの矜持をみせるとの意気だったそうだ。その意気やよし、といったところではあるが、…いったいいくらかかったんだろう。 

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December 22, 2011

愛知編(1) 四日市→桑名→名古屋市 46.7km

【海蔵寺】
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 桑名市の名所、というわけではないのだが、九州の歴史マニアとしては一度訪れたいところ「海蔵寺」。
 江戸時代、名古屋の治水工事を薩摩が担当したのだが、難工事のため、藩士の事故死や自死が多発した。この工事は治水と同時に薩摩への嫌がらせでもあったので、幕府は地元民に対して薩摩藩士にはいっさい協力するなとの無茶なお触れを出していた。それで薩摩藩士に死者が出ても、どこでも供養してくれなかったなか、この寺の住職だけが「せっかく遠くから工事に来てくれているのに、死者の供養もしないなんて馬鹿な話があるか」と憤り、この寺が薩摩藩士の葬儀を一手に引き受けたのである。
 海蔵寺は、そういう、いわゆる仏道の本筋を通した寺なのだ。

 それにしても、こういうイザコザがつもり積もって、薩摩は幕府に恨みをためていき、その結果、維新のときに薩摩は怒りを爆発させ、完膚なきまでに幕府を潰そうとしたわけで、幕府も愚かなことをしたものである。        

 四日市市からは、国道1号線の側道を走って名古屋市に着。
 途中、揖斐川、長良川、木曽川の三つの橋を越えたが、どこもえらい長い橋で、…こんな大きな川の治水工事を、江戸時代に完遂できた薩摩藩士の努力に感心した。

【鮨処成田】
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 夕食は、名古屋市栄の「鮨処成田」にて。
 ここの鮨は、地元三河の食材を用いながら、名古屋流とでもいうべく独自の肴、鮨が供され、私としてはけっこう好みなのである。
 写真は、穴子の蒸し鮨。
 穴子という素材は温かくすればするほど、甘味と旨味が増すものだが、これはその理想形。たぶんシャリはこれ専用のものを使っているんじゃないかなあと思うのだけど、ふんわり柔らかい穴子に、もっちりしたシャリがよく合い、絶品の鮨となっている。 



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December 21, 2011

三重編(2)伊賀→亀山→四日市 75.5km

 伊賀市から国道25号線を使って亀山市へと向かう。
 国道25線は途中で自動車専用道のバイパスとなり、自転車は旧道を走ることになる。この旧道がまさに酷道であって、道は狭くなるし、舗装は剥がれ、途中で砂利道になったりしていて大変であった。車はほとんど走ってなく、廃道に近いような道路なんだろうけど、途中にあった採石工場のためだけに残している道路に思えた。

【亀山 シャープ工場】
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 酷道25線を抜けると亀山市。
 亀山市といえば、三重が世界に誇るシャープの液晶パネル生産巨大プラントで有名なので見にいってみた。たしかに途方もなくでかい工場である。
 ただし、液晶パネルは今や赤字産業となり、この工場はシャープのお荷物と化し、生産拠点をどんどん他に移しているわけで、…時の変化の激しいことよ。

 亀山市からは国道1号線を走る。
 この国道1号線は自転車専用道になっていて、自転車は並行する側道みたいなところを走るのだが、やたらにアップダウンの激しい道であり疲れた。

【鈴鹿サーキット】
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 やがて国道1号線が普通に自転車が走れるようになると、鈴鹿市が近い。
 鈴鹿市といえば、サーキット。せっかくなので寄ってみた。
 といってイヴェントがあるわけでもなく、ただ前まで行っただけである。
 しばし休憩すうち、ポルシェが轟音たてて入っていった。サーキットで走るんだろうけど、これが正しいポルシェの使い方であろう。

【四日市】
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 今日は津市に泊まるか、四日市市に泊まるかどちらにしようと思ったのだが、「津市は県庁所在地なのに何もない」ということで有名なので、工業都市四日市市に泊。
 しかし駅前うろついてみたけど、四日市市も何もないっぽいなあ。

【夕食】
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 よさそうな店が見つからず、ホテルに戻ってホテルのレストランにて夕食。
 ここ数日油っこいものばかり食べていたので、刺身、湯豆腐とあっさりしたものを注文。
 豆腐という食材は、なにをやってお美味しいなあなどと思いつつの夕食であった。



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December 20, 2011

三重編(1) 奈良市→伊賀 45.8km

【伊賀忍者博物館】
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 奈良市からは木津川に沿って走行して、伊賀市へ着。
 伊賀市といえば、もちろん忍者の里。
 日本人としては、国際的に最も有名であろう日本の名物「Ninja」の本拠地を一度は訪ねる必要があると思っていたのだ。
 この忍者博物館には本物の忍者屋敷を移籍したものであって、いろいろと仕掛けがあって、面白い。案内の人が、壁抜けの術などを実践してくれて、こういうものが実際にあったことに感心する。
 忍者についての資料も豊富であり、忍者の歴史、生態がよく理解できた。
 忍者マニアにとっては、訪れるべき場所であろう。

【松尾芭蕉生家】
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 伊賀市は、また俳聖松尾芭蕉の生まれ、住んだところとして有名。
 芭蕉の生家は保存されており、庭には芭蕉の号の由来となった芭蕉も植えられている。
 この芭蕉という植物、バナナみたいであり、南洋系の雰囲気が強く、松尾芭蕉のわびさびの世界とはどうも外れているのでは、と思っている人は多いはず。

【ラーメン】
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 伊賀市の食べ物といえば伊賀牛が名物だそうだ。日本って、そこら中に名物和牛が存在しており、畜産のレベルが高いことがわかる。
 その伊賀牛は、すき焼きが特に美味いそうだが、一人ですき焼き食っても仕方ないので、宿近くのラーメン店「伝丸」で夕食。
 北海道ラーメンとのことで味噌ラーメン店かと思いきや、豚骨ラーメンもあった。豚骨ラーメンは以前は九州限定みたいなものだったけど、いつのまにか全国どこにでもあるようになっている。



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